物理的集団的性格

中井正一





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ゲオルゲ・グロッスはすでに別の道を歩む。彼はすでに彼でなくして、社会的集団のいっそうの視覚を自己代表する。諷刺画とのみそれはいいえない。それはそれで一つのカラクテールである。
 インテリ的個人が集団の掌の感触を受け入れるのには一つの回心を要求する。脈々たる「」の血汐の感触には、面をそむけるごとき戦慄が待っている。なぐりつけるごとき一抹の時の悪感の底に、個人をその溶接の一関連体とする巨大なる溶鉱炉が、姿を起す。
 それが資本主義的外貌をもつとはいえ、時代はすでに集団的性格をその交渉の単位としている。結社、会社、工場、学校、軍隊、新聞、雑誌などのすべてがそれである。
 いわばそれは新しき未知なる秩序へのあらゆる試射であり、実験である。日々が、歴史それみずからリポートをおのれみずからに報告するところの実験体である。
 人間の憧るる、この新しき未知なる秩序と統制、これが動けるロゴスであり、形成されんとするモルフェでもある。それは朗らかといわんにはあまりにももの醒めたる凄みと精緻性をもっている。あたかも強靱、巨大、精巧なる機械が私たちに喚びかけるものがそれである。われわれは性急にライプニッツの予定調和を信ずるものではないけれども、この社会的集団的性格が構成せる物理的集団的性格があまりにも相互等値的に射影的でもあるのに驚異を感ずるものである。そしてこの物理的集団的性格は社会的集団的性格に向って、可逆的に喚びかけをもつ。
 リップスの感情移入はコーヘンが指摘するごとく、ロマンティクの同一哲学の系統をあきらかに引いている。いわば自我の物に融合する根本的契機の心理学的演繹である。自我と物が個物として相対し、主観と客観、形式と内容と対立すればこそ、そこに統一と多様もあるのである。それはカッシラーの指摘した実体概念的思惟方法である。機能概念的考え方をもってすれば、いわばすでに自我は一瞬一瞬無限により深い組織と関連体に展開していくところの関係の無限なる射影面にしかすぎない。そこには唯函数論組織構成があるのみである。


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201591

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