美学入門

中井正一




第1部
  ――美学とは――


1 美とは何であるか


自然の中に
 
 
 
 
 ()
 ()
 Sch※(ダイエレシス付きO小文字)ne Seele 姿
 姿
 姿
 姿
 

技術の中に
 
 調姿()調
 調
 
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芸術の中に
 ()
 
 
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 鹿鹿
 
 
 
 
 
 
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2 


 姿
 
 
 ()
 
 
 
 
 
 ()
 
 
 姿()
 
 姿

 
 
 


3 


歴史の流れの中に
 
 西
 
 ()
 
 ()
 
 
 
 
 
 ()
 
 
 

地理のひろがりの中に
 姿
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 殿殿姿
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 姿姿()姿姿姿()姿
 姿
 姿
 
 姿姿
 ()
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4 


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 hinaus調調調調
 
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芸術とその媒介
 調
 調使
 
 
 
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 姿
 
 ()
 便
 ()殿
 

生きていることの美しさ
 調調()
 
 
 ()()
 
 
 
 ()()
 Sealing oSealing o
 


5 


 
 
 姿姿
 姿調
 
 ()()()

光の中に
 
 
 
 西
 
 

音の中に
 
 ()
 
 
 
 
 
 ()
 姿
 
 
 姿
 
 
 姿
 
 
 
 姿
 ()
 姿
 
 
 


6 


物質的視覚
 映画が物質的視覚から構成されているということは、案外人々が見のがしているところの条件である。
 レンズの光学的作用と、フィルムの化学的印象が、映画の立っている基盤であり、それらのものが、人間が見ている世界と同一のものであると思っているのは、ほんとに、人間的短期間の習慣に過ぎないことは、むしろ驚くべきことである。
 しかし、もっと驚くべきことは、この物質的視覚が、その率直さにおいて、さらに、その正直さにおいて、人類全体の信用を獲得したことである。
 人類は、いま、百号のカンヴァスに描かれたる悲壮な戦場の光景よりも、ライカの一コマによってスナップされた一情景のほうが、何か清新であり、凄壮なる事実感にうたれるのである。
 なぜならば、人々は、レンズとフィルムが、現像に対している関係は、厳密に対応的に、函数的な関係をもって、一点も一線もゆるがせにせず構成されていることを知っているからである。
 宇宙的関係の中に、一回しか起らない時間の瞬間が、現像とフィルム面の上に、対応関係を構成していることを知っているからである。
 換言すれば、フィルムが写される時の画面は、射影手続きの群関係であるが、まだ物質的自然現象なのである。

聖なる一回性
 
 
 
 
 

歴史への連続
 
 
 ()
 
 
 

主体性の撃発
 
 
 
 
 

カットの文法
 
 
 便
 
 ()


7 


畏れの空間

 姿
 
 ()
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身分の空間
 
 

遠近法の空間
 ()()
 
 
 
 
 
 
 
 ()
 
 

図式空間
 
 ()
 ()
 
 
 
 
 

切断空間
 ()
 
 
 
 ()
 
 
 ()()
 
 
 
 


2
  




1 


 
 

プラトン
 
 
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 退
 
 

アリストテレス
 
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 ()

古代的なるもの
 ()()()()
 
 ()()
 殿

近代的なるもの
 
 
 
 
 
 
 
 ()()
 ()()
 
 

そのたどりし道のはて
 
 
()
 調
 
 


2 


 
 
 
 

高等なものと下等なもの
 
()
 
 
  subjectum  Subjekt, subject, 

認識能力として
 
 
 
 西
 
 
  Wunder 
 姿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


3 


上と下との媒介者
 姿
 
 ()()
 

繊細な知恵としての趣味
 
 
 

認識能力として
 前の節でいったように、カントの「悟性」の背景にはヴォルテール=ヒューム的な英国の産業革命の精神がじゅうぶんに反映しているし、カントの「理性」の背景にはドイツの経済制度の立ちおくれによって起るユンカートゥム、田舎騎士的精神がほかの国にくらべて多くのこされている。歴史はそれをみごとに証明するかのように、一八〇六年のナポレオンの行動がドイツ・ユンカートゥムの再編成の必要を起してくると、フィヒテ、シェリング、またヘーゲルさえもが、この理性の再編成をもってカントから脱落していくのである。ローマン派の精神がもうすでに、全体的に、フリードリッヒ大王のポツダムの宮殿の礎石にしかすぎなくなるのが、歴史の展開と共に明きらかになってくる。
 形而上学的といわれるすべての理性的なものは、多かれ少なかれ政治情勢の反映であり、すべて一八七〇年のワイマール憲法に向って旗をかかげて行進しているのである。この行進の中で最もあざやかな旗手はゼーレン・キルケゴールであろう。
 この一八七〇年、すなわち普仏戦争が終って、ワイマール憲法でドイツが統一されて五十億の償金が入り、すべてのユンケル(土地貴族)が慣れない投機事業にまき込まれて、七二―三年の大失業時代を経、ドイツが汚れた金融体制と変わり、ユンケルは株主になり、サーベルを算盤にもちかえるこの転換を、かのニイチェは激しく批判したのである。そして一八八〇年ドイツがさらに資本国家として植民地に眼を転じようとする時、彼は生ける屍のように狂える人となってしまったのである。
 しかし、この一八七〇年という年代は、すでにドイツが、あらゆる形而上学、ユンカートゥムを棄て去る年であって、新たなロッチェの心理主義を、シグワルトの論理学を、ヒルバートの数学論理学を自分の新たな興味とする年でもある。
 心理学的なヴント的な感情論が、芸術の中に入るのもこの転換期を乗り越えて後のことである。そして、ドイツはガスの膨脹率よりも大きな率でその経済力をふくれあがらせていく。新世紀の「すべての上に栄あるドイツ」(ドイチェラント・ユーバー・アーレス)という大ドイツ帝国のこの合言葉はこの金融体制のドイツの最も誇らしい思い出である。思想の世界でも、新カント派は心理主義を脱して、ドイツの帝国主義の線にそってドイツのすぐれていることを説き、日本にも多くの影響を与えた。この哲学も一応巨大な膨脹計画の爆発点、かの一九一四年、第一次大戦のために大きなショックを受けた。一九一八年以後、哲学は新カント派よりも、現象学に重点が移っていくのである。ハイデッガーの一九二八年の『存在と時間』は、いわば彼の大戦中過ごした塹壕の臭いのようなものが感じられ、生きていることのはかなさ、鋭い不安がみなぎっている。

時間構造の中に
 
 
 
 ()
 


4 


自我の分裂
 
 
 
 
 姿
 

二つの時間
 
 
 
 
 姿
 姿 Zeit-Urschau 
 

永遠の一瞬
 ()()
 姿姿

 
 

 
 
 

 
 
 
()

 


5 


 姿殿
 
 
1 直接射影(反射)
2 上部射影(反映)
3 基礎射影(正射影)
 
 姿姿
 姿
 
 
 姿()
 
 


6 


 

1 自然の存在
  
 便
  
 
  
 

2 技術の存在
 
 
 
 ()
 姿
 

3 芸術の存在
 西姿
 
 
 
 


7 


主観の崩壊
 
 
 調
 姿
 
 
 
 S. 642
 調
 
 ()

集団の形成――アメリカにおいて
 
  The Principles of Psychology
  Psychology
 
  signs of direction 
じめじめした雨の中に青ざめて
裸の道に虚ろな日が
 
 調
 ()()西
  subject  object organism  environment zeigen Zeug Instrumentalism
 調medium......organic means of communication
  Typenhaus f※(ダイエレシス付きU小文字)r Seinauf der Spur Seinf※(ダイエレシス付きU小文字)r SorgeDa Sein
  community 
 
 
 ()
  subject 
 
 
 
 
 
 

白夜の哀愁
 調 altruism 
 Civilization on trial. 1948Society in transition. 19391947The condition of man. 1944

抵抗するもの
 
 
 
 
 
 
  medium  Mittel 姿
 西

機械美に酔う人々
 姿
 
 

おびゆる人々
 
 
 ()()
 

機械の創造しつつある芸術
 
 
 ()()()
 






   199576161

   195126

   195126


Juki
2015319

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