比較神話学

高木敏雄






 
 
 西
 
 
 
 
 
 
 稿稿
 


熊本に於て
明治三十七年十月
著者識す
[#改ページ]
[#ページの左右中央]


神話学に関して、未だ一個の著書をも有せざる明治の学界に、此冊子を出すに臨みて、





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凡例


調

※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)

以上
[#改丁]


 



 


 
 
 
 
 
 ※(小書き片仮名ハ、1-6-83)
 
 使
 
 


 


 何れの文献学に於ても然るが如く比較神話学に関しても、また種々の学説あり。此等の学説の何れが、真に夫れ自身に於て正しや、また之を個々の場合に応用するに方りては、その各は、幾何の程度まで、その効力を保ち得るや、その何れが、最も適当なりとして、採用す可きや、これ决して容易なる問題には非ず。比較神話学説の発生して、神話学の一個の科学としての発達に大なる催進を与えてより、欧羅巴の神話学界は俄に活気を呈し、今日まで、学者のこの学に関して、言説をなせしもの甚だ多く、その著書もまた、啻に汗牛充棟のみならず。其間種々の学説或は起り、或は仆れ、甲論し乙駁して今日に至れり。一般に神話学説と云うも、其中には、神話の起原に関するものあり、神話の解釈に関するものあり、またその研究の方法に関するものあり。此等の学説を、比較検覈して、勉めて公平着実の眼を以て、その何れを取り、何れを捨つ可きや、甲の説は何れの程度まで参酌す可きや、乙の論は如何なる点に於て、不適当なるやを、判別するを要す。比較神話学説に数派の区別あり。国民神話学が、比較神話学と相関係する点に於て、後者は决して、前者の学説を度外視するを得ず。比較神話学説発生以後の神話学界の波瀾起伏の精細は、神話学史に譲り、この節に於ては、次の表に従って、学説の叙説評隲を試み、次の節に於て、比較神話学の方法に論拠す可し。
比較神話学説諸派
イ、神話起原説及比較神話学附言語の形式と説話の発達
ロ、人類学的神話学附比較神話学
ハ、神話伝播説
国民神話学説





 

 
 
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)退※(「革+橿のつくり」、第3水準1-93-81)※(「革+橿のつくり」、第3水準1-93-81)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(二の字点、1-2-22)
 
言語の形式と説話の発達とに就て
 便便便
 
 ※(二の字点、1-2-22)
 
 
 
 
 
 使使便
七個条
イ、富士山
 富士山に関しては、不死の霊薬を山上に焼きしとのこと、『竹取物語』に見ゆ。山名の意義は「不死」にもあらず、また「不二」にも非ず。不死の霊薬のことは、文那神仙説に見ゆ。唯この説話が、我国の名山富士に結合して、此形式を取るに至りしは、「不死」と「富士」との国音の類似、即ち一個の意識的語原論に外ならざるざり。この説話は『竹取物語』、『富士山縁起』その他を経て、謡曲『富士山』に至って、次の形式を取る。
宿

 

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 使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使

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 使退
 
 
 
 
 
 
※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)
宿
 
 
 
比較説話学の概念及び世界大拡布説話の一例
 
 
 
 
世界大拡布説話の実例
富士と筑波
古老曰、昔祖神尊、巡行諸神之処、到駿河国福慈岳、卒遇日暮、請欲寓宿、此時福慈神答曰、新粟初嘗、家内諱忌、今日之間、冀許不堪、於是祖神尊恨泣詈曰、即汝親何不宿、汝所居山、生涯之極、冬夏雲霜、冷寒重襲、人民不登、飲良勿尊者、更登筑波、亦請容止、此時筑波神答曰、今夜雖新甞、不敢不一レ尊旨、爰設飲食、敬拝祗承、於是祖神尊、歓然謌曰、愛乎我胤、巍哉神宮、天地並斎、日月共同、人民集賀、飲食富豊、代代無絶、日日弥栄、千秋万歳、遊楽不窮者、是以福慈岳常雪不登臨、其筑波岳往集歌舞飲喫、至于今絶也、
蘇民将来と巨旦将来
備後国風土記曰、疫隅国社、昔北海坐武塔神、南海神之女子与波比出坐、日暮多利、彼所蘇民将来巨旦将来二人在、兄蘇民将来甚貧窮、弟巨旦将来富饒、屋倉一百在、爰武塔神借宿処、惜而不借、兄蘇民将来借奉、即以粟柄座、以粟飯等饗奉、饗奉既畢出坐後、経年率八柱子還来、我将来之為報答、曰汝子孫其家在哉問給、蘇民将来答申、巳女子与斯婦、即詔茅輪、令於腰上、随詔令着、即夜蘇民与女子二人、皆悉許呂志保呂保志天支、即時、吾者速須佐能雄神也、後世疫気在者、汝蘇民将来之子孫、以芽輪腰上、随詔令着、即家在人者将
 宿
 
 
(イ)『ハーゲン奇譚全集』第三十七番を参考す可く、次に
(ロ)キルヒホーフが一五八一年に、その『エンヅンムート』の第一巻に於て、物語りし、一個の説話も、大躰に於て、一致するを見る。若しグリム童話の部分的の類似を求むれば、
(ハ)『千倍の報』と題する、一個の墺地利説話、
(ニ)マイエルの童話集の第四十番と六十三番、
(ホ)一六四〇年レーマンの『花園』第三七一頁に見ゆる一節
(ヘ)グリムの童話集の第八十二番、
(ト)仏朗西のペローの『可笑しき願』
(チ)古代仏朗西の説話『サンマルチンの四個の願』
(リ)ケルレルの『七賢人伝』の序文、
(ヌ)ヘーゲルの『宝の筥』の一節等を挙ぐ可く、
(ル)
(ヲ)ポリーアがその『印度神話』の第二巻に於て、詳かに述べたる、一個の説話にして、貧しくして而も敬神の念篤き婆羅門、仮りに人間と現われたるクリスネン[#「クリスネン」は底本では「クリス子ン」]神の如き、類似の重なる点なり。
(ワ)宿
(カ)
(ヨ)『オディスセー』の十七の四八五、
(タ)『エッダ』に見ゆるリグルの歌、
(レ)グリムの童話集の第十三番『森の三人』
(ソ)同じく第二十四番『フラウ、ホルレ』

(ツ)


 

 
 
 
 
 


 

 
 姿※(二の字点、1-2-22)
 
 
 
 
 
 ※(「てへん+険のつくり」、第4水準2-13-21)
 
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
 姿姿
 
 
 
 
 
植物精霊信仰の形跡として植物説話
 
 
(イ)美男ナルチス、山の女精を慕うて、思を遂ぐる能わず、化して水仙となり、
(ロ)アポロ神の愛せし美童、死して一種の燕子花となり、
(ハ)アドニスは野猪に咬み殺されて、其血より福寿草を生じ、
(ニ)キバリッソスは生ながら変じて一種の扁栢となり、
(ホ)森の精ベリデスは、同じく化して、一種の雛菊となる、
(ヘ)寿※(「木+解」、第3水準1-86-22)
(ト)
 
(イ)頼風の妻死して、女郎花となり、
(ロ)『皿屋敷』のお菊殺されて、菊その跡に生じ、
(ハ)虞美人死して、その墓に美人草を生じ、
(ニ)娥皇女英の涙は化して紫竹を生じ、
(ホ)定家の熱心は葛となりて、永く式子内親王の墓に纒う、
(ヘ)童子女松原『常陸国風土記』に曰く、
古有年少童子女、童称那賀寒田之郎子、女号海上安是之嬢子、並形容端正、光華郷里、相聞名声、同存望念、自愛心燃、経月累日、※(「女+櫂のつくり」、第3水準1-15-93)歌之会、邂逅相過、于時郎子歌曰、
伊夜是留乃、阿是乃古麻都爾、由布悉弖弖、
和呼布利弥由母、阿是古志麻波母、
嬢子報歌曰
宇志乎※[#「口/十」、78-3]爾波、多多牟止伊※[#「門<上」、78-3]止、奈西乃古何、
夜蘇志麻加久理、和乎弥佐婆志理之。
便欲相語、恐人知一レ之、避遊場、蔭松下、携手促膝、陳懐吐憤、既釈故恋之積疹、還起新歓之頻咲、于時玉露抄候、金風々節皎々桂月、照処、涙鶴之西洲、颯松※(「風にょう+思」、第4水準2-92-36)吟処、度雁之東路、山寂寞兮巌泉旧、蕭条兮烟霜新、近山自覧黄葉散林之色、遥、海唯聴蒼波激磧之声、茲宵于茲楽、莫之楽、偏耽語之甘味、頓忘夜之将一レ蘭、俄而鶏鳴狗吠、天暁日明、爰童子等、不為、遂愧人見、化成松樹、郎子謂奈美松、嬢子謂古津松古著名、至今不改、
 所謂古史神話の源泉材料中に於ては、此種の説話を発見するを得ず。此種の信仰の存在に関して、徴証を与うるもの殆んど稀なり。此の如きは、古史神話が主として、高級神話の記録たるに止り、低級神話は重に、その伝承を口誦に依頼せし結果なる可く、之によりて直ちに、古代に於けるかの信仰の存在を否定す可きに非ず。唯一二の稍々注意す可き事項あり、最古の詩集たる『万葉集』中に次の歌あり。
君が代も吾代も知らん、磐代の岡根の草をいざ結びてな、
磐代の浜松が枝を引結び、まさきく有らば、また還り見ん、
磐代の野中に立てる結び松、心もとけず古へ念ほゆ、
玉葛実ならぬ木には、千磐破る神ぞ著くと云う、成らぬ樹ごとに、
忘れ草吾が紐につく、香山カグヤマのふりにし里を忘れぬが為め、
忘れ草吾が下紐に著けたれど、醜のしこ草、ことにし有けり、
 ()()()()()()
 鹿※(「楫+戈」、第3水準1-86-21)
 
退
(イ)
(ロ)退
(ハ)
(ニ)
(ホ)
(ヘ)宿
(ト)西

木之精名彭候、状如里狗尾、可烹而食一レ之、
とあり、亦た『元中記』にも、
千歳樹精為青羊、万歳樹精為青牛、多出遊人間
漢桓帝時出遊河上、忽見一青牛、従河中出直走盪、桓帝辺人皆驚走、大尉何公時為殿中将軍、有勇力、輙走逆之、牛見公往乃走還河、未至何公及牛、乃以手抜牛左足脱、以右手斧、斫牛頭而殺之、此青牛是万年木精也、

 寿寿





 


 
 
 
 
 
 
 便
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 便
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
 
 
国民神話の名目的分類
甲、高級神話或は狭義に於ての国民神話
乙、低級神話或は民間神話
成文神話の成分
イ、天地開闢神話附人間の起原に関する神話
ロ、神統論的神話
化生神話
ハ、祭祀神話附司祭神話附司祭神話
ニ、農業神話或は産業神話
ホ、諸神の行為事業を語るもの即ち純粋神話
ヘ、宗教神話
ト、風習神話
チ、天然神話
リ、英雄神話或は勇者譚或は伝説
ヌ、遊離説話
ル、説明神話
 知る可し、高級神話の重なる史的源泉たる成文神話中には、多くの民間神話的異分子を混入するを。然れども神話は元来其性質に於て、甚多面的なるが故に、予め若干の名目を立てて、個々の神話を悉く、其所属に従いて、分類せんことは、到底不可能のことなり。一個の神話にして、同時に天然神話たり、且つ人事神話たり、司祭神話たると同時に、説明神話たり、其一面に於ては、十分に天然神話的解釈を可能ならしめつつも、他の一面に於ては、風習神話として解釈す可く、更に他の一面に於ては、祭祀神話として、解釈せざる可からざるが如きは、神話学に於ては、甚だ普通の現象にして、神話に変化あり、発達あるを知る者は、毫も之を怪しむこと無かる可し。其一面のみを見て、他の一面を察せず、唯一個の解釈のみを施して、他の解釈を試みず、甚しきに至りては、之を否定するが如きは、大に不可なり。故に姑く成文神話を、個々の名目の下に分類するを避けて、その成分に従て観察するときは、大躰に於て、次の五つを区別し得可し。
成文神話の成分的分類
一、天然的分子
二、宗教的分子
三、国家的分子
四、社会的分子或は人事的分子
五、説話的分子
 天然的分子に関しては、更に説明の要なし。宗教的分子に関しては、宗教神話、司祭神話、祭祀神話が此性質を有するは、云うまでもなく、神統論的神話、純粋神話化生神話等もまた、多少この分子を含有す可く、罪悪、贖罪、呪咀等、一般の宗教的信仰と、何等かの為す所ある神話は、凡て此分子を有すと知る可し。社会的分子、或は人事的分子を、有するものは、凡ての人事神話社会的神話をはじめとして、風習に関するもの、社会的生活に関するもの、其他民間医療の術に関するもの等、悉く然らざるは無し。一般に「人事神話」と云うときは、天然神話に対して、凡ての他の神話を指すものと知る可し。国家的分子とは、その国民の国家の組織、成立、主宰、政治並びに国家的事件に関して、或は説明を与え、或は却てその影響を、内容と形式との上に示すもの、説話的分子とは、純然たる神話にも非ず、史的伝説にも非ざる、遊離説話的の分子にして、英雄神話中にも、此分子頗る多し。
 説明神話或は説明説話は、凡て或る事物或は現象に関して、其由来を説明するものにして、其根本的性質に於ては、凡て同一なるも、其中に多くの区別あり。之を大別して、社会的現象を説明するものと、天然的現象を説明するものとの、二つと為す可し。社会的現象を説明するものの中には、生死の起源を説明するものあり、結婚の起原を説明するものあり、風習の起原を説明するもの、俚諺の起原を説明するもの、言語の起原を説明するもの、器物の起原を説明するものあり。天然現象を説明するものの中にも亦た、多くの区別あり、即ち左表の如し。
説明神話或は説話の分類
第一、社会的現象に間するもの
イ、人間界生死の起原の説明
ロ、結婚の起原の説明
ハ、俚諺の起原の説明附名称の起原の説明
ニ、風習の起原の説明附器物の起原の説明
第二、民間天然科学的説話
イ、民間天文学的説話
ロ、民間地文学的説話
ハ、民間地理学的説話
ニ、民間動植物学的説話
社会的現象の起原に関して
(一)何故に人間界には生死あるや、
(二)人間は如何にして、結婚の道を知るに至りしや、
()()()()()()
(三)俚諺の起原に関して、日本神話中に次の例あり。
()()()()()()()()()()()()使使
(四)名称の起原に関する説明説話は、凡ての民族を通して無数なり。
()()()()()()()()()※(「女+夫」、第3水準1-15-75)()※(「女+夫」、第3水準1-15-75)※(「女+夫」、第3水準1-15-75)西
(五)風習の起原に関する説明神話
()()()()()()()殿()()()()宿
(六)器物の起原に関する説明
民間天然科学的説話の例
(一)民間天文学的説話
(イ) ()()()()
(ロ)月の斑点に関して
(甲)錫蘭島にては、釈迦甞て遍歴せし折、兎ありて吾身を殺して、釈迦の食に供せんと、申出でしが、釈迦之を憐みて、即月中に移して、万人の共に、仰き瞻得る様に計れりと云い、
(乙)支那にても、「月中の兎」と云うこと、甚だ旧し。
(丙)「サモア」群島にては、月を辱めし女の、月に呑み込まれしなりと云い、
(丁)「ホッテントット」人は、月の面を兎の傷けしその傷痕なりと云い、
(戌)欧羅巴にては、一般に「月中の男」と云う。
(二)民間地文学的説話
(イ) 
(ロ) 
(三)民間地理学的説話
(イ)富士筑波の説明説話は、前節に述べたり。
(ロ)『出雲国土記』には、臣津野オミツヌ神の「国引」の説話あり。
(ハ)西西
(四)民間動植物学的説話
(イ)海鼠の口の拆けたるは、天受売アメノウヅメ命紐小刀を以て、其口を拆きしによる。
(ロ)蚊、蠅、虻等の害虫は怪物の死屍を焼きし灰より生じたり。
(ハ)焚かれし魔神の灰の赤きは赤猫、黒きは黒猫、白きは白猫となれり。
(ニ)蛇の蛙を食するに至りしは、悪魔の之を教えしによる。
以上三個の説話は、「アイヌ」説話なり。
(ホ)驢馬の背に、十字形の黒き斑点あるは、嘗て基督を乗せし記念なり。
(ヘ)兎の尾の短く、狐の尾の長きは、狐の之を咬み取りて我有とせしによる。
此二個は、共に欧羅巴の説話なり。
(ト) 
(チ)何故に白楊の葉は、絶えず震い動くや 欧羅巴の説話に曰く、罪を犯せし基督の弟子ユダス此樹に懸りて死す。これより此樹の葉常に震うと。
(リ)
 


 



 


 
 
黄帝与蚩尤※(「さんずい+(冢−冖)」、第3水準1-86-80)鹿之野、蚩尤作大霧兵士皆迷、
黄帝与蚩尤※(「さんずい+(冢−冖)」、第3水準1-86-80)鹿之野常有五色雲気
蚩尤幻変多方、徴風召雨、吹煙噴霧、黄帝師衆大迷帝帰息太山之阿、昏然憂寝、王母遣使者、被玄狐之裘符授帝佩符、既畢、王母乃命九天玄女帝以三宮五音陰陽之略太乙遁甲六王歩斗之術、陰符之機、霊実五符五勝之文
蚩尤作兵伐黄帝、黄帝令応龍冀州之野、応龍畜水蚩尤請風伯雨師大風雨黄帝乃下天女魃、雨止、遂殺蚩尤魃不復上居不雨、叔均言之帝後置之赤水之北叙均乃為田祖
 
 
 
 
黄帝之時有蚩尤兄弟八十一人、並獣身人語、銅頭鉄額、威振天下、天遣玄女黄帝兵信神符蚩尤、帝因使之主兵、以制八方蚩尤没後、天下復擾乱、黄帝遂書蚩尤形像以威天下、天下咸謂蚩尤不死、八方万邦、皆為弭服、
東海中有流波山、入海七千里、其上有獣、状如牛、蒼身而無角、一足入水則風雨、其光如日月、其声如雷、其名曰変黄帝得之、以其皮為皷、※[#「てへん+厥」、U+6485、126-11]雷獣之骨声五百里、以威天下
 ※(「くさかんむり/(止+頁+巳)/夂」、第3水準1-15-72)
 
 ()()()
 
 ※(「口+句」、第3水準1-14-90)
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()※(「火+艱のへん」、第4水準2-79-94)()()()
 退
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
 
 


 


 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 使西
 
 
 ()()()()()※(「火+玄」、第3水準1-87-39)()()()()()()()()()()()()※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ()()()()()
 使
 
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()
 尿()()()()()()()()()()()()()()綿()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 西
 西
 ()()()殿使
 ()()()()()()()


 



 
 ()()()()
 



 

 世人の通常、支那の天地開闢説と称する、哲学的説明は、之を論ぜず。此種の説明に比して、其発生の時代、遥かに古く、其性質一層自然に且つ簡朴に、思弁的考察の跡を示すこと少きものを、盤古神話とす。今之に関して、三つの源泉を示さん。その第一は『五運歴年記』に出で、その第二は『述異記』その第三は『三五暦記』に出づ。
元気濛鴻、萠芽茲始、遂分天地、肇立乾坤、啓陰感陽、分布元気、乃孕中和、是為人也、首生盤古、垂死化身、気成風雲、声為雷霆、左眼為日、右眼為月、四肢五体為四極五獄、血液為江河、筋脈為地里、肌肉為田土、髪髭為星辰、皮毛為草木、歯骨為金石、精髄為珠玉、汗流為雨沢、身之諸虫、因風所一レ感、化為黎※[#「田+氓のへん」、U+753F、152-3]
盤古氏、天地万物之祖也、然則生物始於盤古、昔盤古氏之死也、頭為四岳、目為日月、脂、膏為江海、毛髪為草木、秦漢、間俗説、盤古氏頭為東岳、腹為中岳、左臀為南岳、右臀為北岳、足為西岳、先儒説、泣為江河、気為風、声為雷、目睫為電、古説、喜為晴、怒為陰、呉楚間説、盤古氏夫妻、陰陽之始也、今南海有盤古氏墓、亘三百里俗云、後人追葬盤古之魂也、
天地混沌如鶏子、盤古生一レ其中、万八千歳、天地開闢、陽清為天、陰濁為地、盤古在其中、一日九変、神於天、聖於地、天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈、丈如此万八千歳、天数極高、地数極深、盤古極長、後乃有三皇、数起於一、立成於三、成於五於八、処於九、故天去地九万里、
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
 
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
()() 
二、伊弉冊神死して、其屍躰に八個の雷神化生ず。
三、火神三段に斬られて、諸神化生す。
四、須佐能男命の鬚化して、諸種の有用樹木を生ず。
六、伊弉冊神病み臥せし時、其屎に土神化生し、其尿に水神化生す。
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)


 

 
 ※(「日+斤」、第3水準1-85-14)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)調
 
故二神喜日、吾息雖多、未此霊異之児、不久留此国、自当早送于天而授以天上之事、是時天地相去来未遠、故以天柱於天上也、
 
 


 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()
 調()()
 ()
 調
 ()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
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 ※(「泥/土」、第3水準1-15-53)()()()()()()()()()()()
 ()※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)
 
 ※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)()橿()()()()()()()橿()()()()※(「泥/土」、第3水準1-15-53)()()()()()()()
 ()()()()()()()()
 ※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)


 



 


 西
 
 西西()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()殿()
 ()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()※(「言+栩のつくり」、第3水準1-92-6)()()()()()()()()
 
 
 鹿
 
 西

 
 調
 U6358191-5姿姿宿
 
 
耶和華エホバ該隠カイン曰、爾弟亜伯アベル何在、対曰、不知、我豈弟之守者乎、曰、爾何為哉、爾弟血、有声、自地覦我、今爾手流弟血、地啓口以受之、則爾見於地、爾今耕田、地不力、爾必流蕩於地、該隠対耶和華曰、我罪甚重、我将堪、今日爾逐我、出斯土、不覿爾面、我既流竄於地遇我者、必将我、耶和華曰、凡殺該隠者、使其受罰必七倍、於是耶和華、以號賜該隠徴、免之者殺一レ之、
 
 姿
 


 


 調調調調調調
 
 
 
 
耶和華神所造諸生物、莫於蛇、蛇謂婦曰、爾勿偏食園中諸樹之果、非神所一レ命乎、婦謂蛇曰、園樹諸果、我儕得之、惟園之中、有一樹果、神云、毋食、毋捫、免死亡、蛇謂婦曰、爾未必死、神知爾食之日、爾目即明、致爾似神、能別善悪、於是婦視其樹、可食、可観、又可慕、以其能益智慧也、遂摘果食之、並給其夫、夫亦食之、二人目即明、始覚身裸、乃編無花果樹葉裳、日昃涼風至、耶和華神遊於園亜当アダム婦聞其声、匿身園樹間、以避耶和華神之面、耶和華神召亜当云、爾何在曰、在園中、我聞爾声、以裸故、懼而自匿、曰、誰告爾裸乎、我禁爾勿一レ之樹、爾食之乎、曰爾所我之婦、以樹果我、我食之、耶和華謂婦曰、爾何為也、婦曰、蛇誘惑我、我故食之、耶和華神謂蛇曰、爾既為之、爾必見詛、甚於諸畜百獣、爾必腹行、畢生食塵、我将使爾与婦為仇、爾裔与婦裔亦為仇、婦裔将爾首、爾将其踵、謂婦曰、我必以胎孕之苦、重加於爾、産子維艱、爾必恋夫、夫必治爾、謂亜當曰、爾既聴婦言、食我所禁之樹、地縁爾而見詛、爾畢生労苦、由之得食、必為爾而生荊棘、爾将田之蔬、必汗流浹面、始可※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)爾帰一レ土、葢爾由土出、爾乃塵也、必復帰於塵
 
 
 ※(「女+咼」、第3水準1-15-89)
俗説、天地初開闢、未人民、女※(「女+咼」、第3水準1-15-89)黄土人、劇、務力不供、乃引縄組泥中、挙以為人、故富貴賢知者、黄土人也、貧賎凡庸引組人也、
※(「女+咼」、第3水準1-15-89)に就て、古史伝承の語る所、区々にして一致せずと雖も、其庖犠の制度を承くると云い、婚姻を置くと云い又、楽器を作ると云うは、何れも人文的事業なり。
 調
 
 使
 使
 使
 姿
 ()()()寿寿()()()()()()()()()()()()退寿
 調


 


 
 
()()()()()()()()※(「火+玄」、第3水準1-87-39)()()()()()()()()()()()
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 殿
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
 
 
 便


 



 


 
 
堯使鯀治水、不其任、遂誅鯀于羽山、化為黄能、入于羽泉、黄能即黄熊也、陸居曰熊、水居曰能、
帰蔵云、鯀死三歳不腐、剖之以呉刀、化為黄龍
堯命夏鯀水、九載無蹟、鯀自沈於羽淵、化為玄魚、時揚鬚振鱗、横修波之上、見者謂為河精、羽淵与河通源也、海民於羽山之中、修立鯀廟、四時以致祭祀、常見玄魚与蚊龍跳躍而出、観者驚而畏矣、至舜命禹疏川尊岳済巨海、則※(「元/黽」、第4水準2-94-62)※(「鼈」の「敝」に代えて「旦」、第4水準2-94-63)、而為梁踰翠岑、則神龍而為馭、行※(「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1-84-34)日月之墟、惟不羽山之地
 
 
禹娶※(「くさかんむり/辛」、第3水準1-90-88)氏女、名曰女嬉、年壮未孳、嬉於砥山、得慧苡而呑之、意為人所一レ感、因而妊孕、剖脅而産高密、家西羌地、曰石紐
父鯀妻修、已見流星貫一レ昂、夢接意感、又呑神珠慧苡、※[#「匈/(胃−田)」、U+80F7、223-10]拆而生禹於石※(「土へん+幼」、第4水準2-4-70)、虎鼻大口、両耳参漏、首載※(「金+今」、第3水準1-93-5)、※[#「匈/(胃−田)」、U+80F7、223-11]玉斗、足文履已、故名文命字高密身長九尺、長於西羌
古有大禹、女禍十九代孫、寿三百六十歳、入九嶷山仙飛去、後三千六百歳、堯理天下、洪水既甚、人民※(「執/土」、第4水準2-5-9)溺、大禹念之、仍化生於石紐山、泉女狄暮汲水、得石子、如珠、愛而呑之有娠、十四月生子、及長能知泉源
禹鑿龍関之山、亦謂之龍門、至一空巌、深数十里、幽暗不復進、禹乃負火而進、有獣状如豕、銜夜明之珠、其光如燭、又有青犬、行吠於前、禹計可十里、迷於昼夜、既覚漸明見、向来豕犬変為人形、皆著玄衣、又見一神、蛇身人面、禹因与神語、神即示禹八卦之図、列於金板之上、又有八神側、禹曰、華胥生聖人、是汝耶、答曰、華胥是九河神女、以生余也、乃探玉簡禹、長一丈二寸、以合十二時之数、使度天地、禹即執持此簡、以平定水土、蛇身之神、即羲皇也、
 第三の伝承は、洪水説話の英雄禹を以て、古の大禹の再生なりとし、最後の伝承は、龍門山の洞中に於ける義皇と禹との会合を記す。蛇身の神は、即ち義皇なりと云うは、『帝王世紀』に、
大昊帝庖犠氏風姓也、燧人之世有巨人跡、華胥以足履之有娠、生伏羲于成紀、蛇身人首、有成徳
西沿
 
 
 


 


 
人始加多於地、亦有女者、神子輩、見人之女為一レ美、随其所一レ欲而娶之耶和華曰、我霊必不人有一レ過恒争之、蓋其為肉体、姑弛期一百二十年、当時有偉大夫在一レ世、其後神子輩、与人之女室、生子、亦為英雄即古有声名之人、耶和華神見世人之悪貫盃、凡其心念之所図惟者、恒惟作匿、故耶和華悔已造人於地、而心憂之、耶和華曰、我所造之人、我将滅於地、自人及獣毘蠢、飛鳥、蓋我悔造之矣惟揶亜ノア恩那和華前、挙世自壊於神前、強暴※(「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1-84-34)於地、神鑑観下土、見其自壊、因地兆民尽壊其所行一レ、神謂揶亜曰、兆民之末期、近及我前矣、盖強暴※(「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1-84-34)地、我将一レ其他而滅上レ之、
七日後、洪水氾濫於地、適揶亜在世六百年二月十七日、是日大淵之源潰、天破其隙、雨注於地、四旬昼夜、水溢於地、歴一百五十日
 
 
 
 
西

 






 
 


 



 


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()()()()()()()()()()()()()()()()()※(「討/虫」、第4水準2-87-68)()()()()※(「討/虫」、第4水準2-87-68)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()※(「口+它」、第3水準1-14-88)()()()
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 ()()()()()()()()()
 姿()()殿
 
 西
 ()()()()()※(「討/虫」、第4水準2-87-68)※(「討/虫」、第4水準2-87-68)※(「討/虫」、第4水準2-87-68)
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第一例 大国主神と八十神との妻争い
 此説話は、之を三個の方面より、観察し得可し。
(一)兄弟の軋轢の説話として、
(二)妻争いの説話として、
(三)英雄神の成功神話として、
兄弟軋轢の説話と妻争いの説話とは、共に説話界に於て、各々一個の形式を有する者にして、凡ての民族の神話と説話とに、其例甚多し。日本神話と日本説話とに於ても、亦た等しく、多数の例を求むることを得可し。古より今に至るまで、此等の説話が詩人の筆に上り、文学的製作の主題となりし例、数うるに遑あらず。
 此説話は、二個の挿話を含む。
(一)動物説話(即ち兎と鰐との話にして、此説話に就ては後の節にて、云う所ある可し)
(二)大国主神の根国行
第二の挿説は其全躰に於て、之を一個の求婚説話として、解釈す可き者にして、其中に二個の異分子を含む。
(一)鼠に開するもの
(二)動物説話的分子(此の点に関しても後に云う可し。)
第二例 海幸山幸の段
 此段の説話も亦た、二個の方面より、観察し得可し。
(一)兄弟軋慄の説話として、
(二)英雄神の成功神話として、
 
 
(一)求婚説話として
(二)神婚説話として、
(三)海宮説話として、
 


 


 

青年英雄、敵人の処に赴く。









 ()()()
 西
()()()()()()()()()()()()()()※(「てへん+庶」、第3水準1-84-91)()()()()()()()()()()()()()()()()()
 尿
 ()()()()()()()
 
 貿


 退


 退退退調退退退
 退
 ()()()退
 退退退
 
 

姿
 退

第四節[#「第四節」は底本では「第四章」] 動物説話



 
(一)真正動物説話
(二)動物に関する説明説話
(三)動物に関する説話
第一例 刀我野乃真牡鹿
第二例 忠犬
(四)説話中に動物の見ゆるもの
 ()()()()()鹿
 
 
 
 
 
 
 西
 
 
 
 
 
 


 



 


 

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 便
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土佐国風土記云、神河訓三輪河云々、多氏古事記曰、崇神天皇之世、倭迹迹媛皇女為大三輪大神婦、毎夜有一壮士、密来暁去、皇女思奇、以綜麻針、及壮士之暁出也、以針貫欄、及旦見之、唯有三輪遺一レ器、
 
 穿
※(「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88)穿


 ※(「虫+果」、第4水準2-87-59)※(「羸」の「羊」に代えて「虫」、第4水準2-87-91)※(「虫+果」、第4水準2-87-59)※(「羸」の「羊」に代えて「虫」、第4水準2-87-91)穿
 ※(「日+甫」、第3水準1-85-29)
大伴狭手彦連発船渡任那之時、弟日姫子登此、用褶振招、因名褶振峯、然弟日姫子、与不狭手彦連相分、経五日之後、有人、夜来与婦共寝、至暁早帰、容止形貌、似狭手彦、婦抱其怪、不忍黙、窃用績麻其人襴、随麻尋往、到此峯頭之沼辺、有寝大蛇身人而沈沼底、頭蛇而臥沼壅、忽化為人、即歌云、志努波羅能、意登比比売能古袁、佐比登由母、弥為弖牟志太夜、伊幣爾久太佐牟也、于時弟日姫子之従女、走告親族、親族発衆、昇而看之、蛇并弟日姫子、並亡不存、於茲見其沼底、但有人屍
茨城里、自此以北高丘、名曰※(「日+甫」、第3水準1-85-29)時臥之山、古老曰、有兄妹二人、兄名努賀※(「田+比」、第3水準1-86-44)、妹名努賀※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「口+羊」、第3水準1-15-1)、時妹在室、有人不姓名、常就求婚、夜来昼去、遂成夫婦、一夕懐妊、至産月終生小蛇、明若言、闇与母語、於是母伯驚奇、心挟神子、即盛浄杯、設壇安置、一夜之間、已満杯中、便易※(「扮のつくり/瓦」、第4水準2-81-13)而置之、亦満※(「扮のつくり/瓦」、第4水準2-81-13)、如比三四、不敢用一レ器、母告子曰、量汝器宇、自知神子、我属之勢、不養長、宜父所在、不有此者、時子哀泣、拭面答曰、謹承母命、無敢所一レ辞、然一身独去、無人共去、望請副一小子、母曰、我家所有、母与伯父而已、是亦汝明所知、当無人可相従、爰子含恨、而事不吐之、臨訣別時、不怒怨、欲殺伯父、而昇天、時母驚動、取※(「扮のつくり/瓦」、第4水準2-81-13)之、触神子、不得昇、因留此峰、所※(「扮のつくり/瓦」、第4水準2-81-13)甕、今存片岡之村、其子孫立社致祭、相続不絶、
 
 姿※(「日+甫」、第3水準1-85-29)姿
 姿
 湿姿
 
 ()
()()()()()()()殿()殿殿()()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()
 
 姿婿婿
 


 


 西
 
 
 殿
 殿
仏告比丘、月天子宮殿、縦横正等四十九由旬、四面垣墻、七宝所成、月天子宮殿、純以天銀天青瑠璃而相間錯、二分天銀清浄無垢、光甚酔曜、余一分天青瑠璃、亦甚清浄表裏映徹、光明遠照云々、於此月殿、亦有大輦、青瑠璃成輦、高十六由旬、広八旬、月天子身与諸天女、住此輦中
嘗因八月望夜、師与玄宗月宮、聆月中天楽、問其曲名、謂紫雲曲
帰伝其音、名之曰霓裳羽衣
仙人道士、乗雲駕鶴、往来若遊戯、少焉歩向前、覚翡翠色冷光、相射目眩、極寒不可進、下見素娥十余人、皆皓衣乗白鶴、往来舞笑於広陵大桂樹之下、又聴楽音※(「口+曹」、第3水準1-15-16)、亦甚清麗、(中略)次夜皇欲再求徃一レ天、師但笑謝、而不允、上皇因想素娥風中飛舞袖被、編律成音、製霓裳羽衣舞曲、自古泪今、無復加於是矣、
月中有桂、高五百丈、下有一人、常斧斫之、樹創随合、乃仙人呉剛也、
 
 
 
()()()()()()()()西()()()()()()()()()()()()()()()()※(「口+羊」、第3水準1-15-1)※(「口+羊」、第3水準1-15-1)()()()

 殿
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 便
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 殿※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)
 
於東海之上蓬莱之頂、南宮西庶、有群仙所一レ居、上元女仙太真者即貴妃也、謂什伍曰、我太上侍女、頴上元宮聖上太陽朱宮真人、以宿縁世念其願頗重、聖上降居於世、我謫人間、以為侍衛耳、此後一紀、自当相見
 西


 



 

 
 使姿使使
ことわりや、扨は仙女の計らいにて、行くや月日を此箱に畳みかくして、年並の老いせず死せぬ薬を籠めて、あさまになさじとさしもげに、明くなと教え給いける言葉を変て云々、
 
耀麿使宿麿使
而して、此等の諸説を合せて、巧に之を融合し、之を醇化し、之に仏教的趣味を加えて、一篇の詩曲とせし者は、即ち謡曲作者なり。こは浦島説話の研究には、直接の関係なけれども、前に赫夜姫に就て論ぜしとき、詳細に亘る能わざりしを以て、茲に之を補うこととせり。
万葉詩人の「詠水江浦島子歌」に曰く、
春日之、霞時爾、墨吉之、岸爾出居而、釣船之、得乎良布見者、古之事曽所念、水江之、浦島児之、堅魚釣、鯛釣矜、及七日、家爾毛不来而、海界乎、過而榜行爾、海若、神之女爾、邂爾、伊許芸※[#「走にょう+多」、U+8D8D、317-11]、相誂良比、言成之賀婆、加吉結、常代爾至、海若、神之宮乃、内隔之、細有殿爾、携二人入居而、老目不為、死不為而、永世爾、有家留物乎、世間之、愚人之、吾妹爾、告而語久、須臾者、家帰而、父母爾、事毛告良比、如明日、吾者来南登、言家礼婆、妹之宮答久、常世辺爾、復変来而、如今、将相跡奈良婆、此篋、開勿勤常、曾已良久爾、堅目師事乎、墨吉爾、還来而、家見跡、宅毛見金手、里見跡、里毛跡金手、恠常、所許爾念久、従家出而、三歳之間爾、墻毛無、家滅目八跡、此筥乎、開而見手歯、如本来家者将有登、玉篋小披爾、白雲之、自箱出而常世辺、棚引去者、立走、叫袖振、反側足受利四管、頓、情消失奴、若有之、皮毛皺奴、黒有之、髪毛白斑奴、由奈由奈波、気左倍絶而、後遂、寿死祈流、水江之、浦島子之、家地見、
 
 殿
人姿容秀美、風流無比、(中略)は長谷朝倉宮御宇天皇御世、嶼子独乗小船、汎出海中、為釣経二日三夜、不得一魚、乃得五色亀、心思奇異、置于船中、即寝忽為婦人、其容美麗更不比、嶼子問曰、人宅遥遠、海底人乏、誰人忽来、女娘微笑封曰、風流之士、独汎蒼海、不近談、就風雲来、嶼子復問曰、風雲何処来、女娘答曰、天上仙家之人也請君勿疑、垂相談之愛、爰嶼子知神女、慎懼疑心、女娘語曰、賤妾之意、共天地、畢、倶日月極、但君奈何早先許不之意、嶼子答曰、更無言何解乎、女娘曰、君宣棹赴于蓬山、嶼子従往、女娘教令目、即不意之間、至海中博大之島、其地如玉闕台※(「日+奄」、第4水準2-14-9)映楼台玲瓏、目所見、耳所聞、(中略)時嶼子、遣旧俗仙都、既経三歳、忽起懐土之心、独恋二親、故吟哀繁発、蹉嘆日盆、女娘問曰、比来観君之貌、異於常時、願聞其志(中略)女娘取玉手匣、授嶼子、謂曰、君終不賤妾、有看尋者、堅握匣慎莫開見、即相分乗船、仍教令眠目、忽到本土筒川郷、即膽眺村里、人物遷易、更無由爰問郷人曰、水江浦嶼子之家人、今在何処、郷人答曰、君何処人問旧遠人乎、吾聞古老等相伝、曰、先世有水江浦嶼子、曰独遊蒼海、復不還来、今経三百余歳者、何忽問此乎、即啣棄心、雖郷里会一親、既送旬日、乃撫玉匣而感思神女、於是嶼子忘前日期、忽開玉匣、即未膽之間、芳蘭之体、率于風雲、翩飛蒼天、嶼子即乗違期要、還知復難一レ会廻首踟※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)、咽涙徊、于斯拭涙歌曰、云々、神女遥飛芳音歌曰云々、
 殿
 
 







 

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()()()()()※(「糸+施のつくり」、第3水準1-90-1)()()()()()
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殿
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 姿殿
 
 
 
 ※(「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67)姿姿
 西殿姿
 
 使姿


 

 ※(「革+堂」、第3水準1-93-80)殿
 
 
 
 
其地如玉、闕台※(「日+奄」、第4水準2-14-9)映、楼台玲瓏、目所見、耳所聞、携手徐行、到一大宅之門、女娘曰、君且立此処門入内、即七豎子来相語曰、是亀比売之夫也、亦八豎子来相語曰、是亀比売之夫也、茲知女娘之名亀比売、乃女娘出来、嶼子語豎子等事女娘曰、其七豎子昂星也、其八豎子者畢星也、君莫恠終焉、即立前引導、進入于内、女娘父母共相迎、揖而定坐、于斯称説人間仙都之別談議人神偶会之喜、乃薦百品之芳味、兄弟姉妹等、挙杯献酬、隣里幼女等、紅顔戯接、仙歌寥亮神※(「にんべん+舞」、第4水準2-3-4)※(「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52)、其為歓宴、万倍人間、於茲不日暮、但黄昏之時、群仙侶等漸々退散、即女郎独留、雙眉接袖、成夫婦之理
殿()※(「糸+施のつくり」、第3水準1-90-1)
 
常陸国風土記曰、夫常陸国者、堺是広大、地亦緬※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)、土壌沃墳、原野肥衍、墾発之処、山海之利、人々自得、家々足饒、設有身労耕耘、力竭紡蚕者、立可富豊、自然応貧窮、況復求塩魚味、左山右海植桑種麻、後野前原、所謂水陸之府蔵、物産之膏腴、古人云、常世之国、蓋疑此地、
 
 


穿※(「門<(螂−虫−おおざと)」、第3水準1-93-50)※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)
 
玉皇前立七人、北斗七星也、
二十七仙云我等二十八宿也、
 
 
 

余論

 
 西
 
 西寿
 退
劉晨阮璧入天台薬、不返経十三日飢遥望山上有桃樹(中略)数枝飢止体充欲山以杯取一レ水見蕪青葉流下、甚蘇妍、復有一杯流下、有胡麻飯、焉、乃相謂曰、此近人矣、遂渡江出一大渓、渓邊有二女子、色甚美、見二人持一レ盃笑曰、劉阮二郎、捉向杯、求、劉阮驚、二女遂忻然如旧識、曰来何晩耶、因邀還家、西壁東壁、各有絳羅帳、帳角懸鈴、上有金銀交錯、各有数侍婢、使令、其饌有胡麻飯、山羊脯牛肉、其美、食畢行酒俄有群女、持桃子笑曰、賀汝婿来、酒酣作楽夜後各就一帳宿、婉態殊絶、至十日還、苦留半年、気候草木、常是春時、百鳥啼鳴、更懐故郷、帰思甚苦、女遂相送示帰路郷邑零落、已十世矣、
 調
 
比較神話学 畢






   1904371017
   19053835




2016723
2016810

http://www.aozora.gr.jp/







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213

JIS X 0213-


「ころもへん+(くさかんむり/闌)」、U+897D    29-2
「口/十」    78-3
「門<上」    78-3
「てへん+厥」、U+6485    126-11
「田+氓のへん」、U+753F    152-3
「てへん+俊のつくり」、U+6358    191-5
「匈/(胃−田)」、U+80F7    223-10、223-11
「走にょう+多」、U+8D8D    317-11


●図書カード