母はいつも、釣りから戻ってきた父をやさしくいたわった。子供心に、私はそれが何より嬉しかった。
やはり、五月はじめのある朝、父と二人で、村の河原の雷電神社下の釣り場へ若鮎釣りを志して行った。父と私が釣り場へ行く時には、いつも養蚕に使う桑籠用の大笊ざるを携えるのであった。あまり数多くの若鮎が釣れるので、小さな魚び籠くではすぐ一杯になってしまい、物の役にたたなかったのである。
釣り場へ着くと大笊を、二人の間の浅い瀬脇へ浸けてから、鈎をおろすのを慣わしとした。道糸を流して流れの七分三分のところまで行くと、目印につけた水鳥の白羽がツイと揺れる。若鮎が、毛けば鈎りをくわえたのだ。軽く鈎合わせをする。掛かった鮎を、そのまま大笊の上へ持ってきて振り落とす。
こうして、二時間もすると、大笊のなかは若鮎の背の色で、真っ黒になるのを常としたのであった。
お腹が、すいてきた。
﹃お母さんは、もうきそうなものだね﹄
と、私は無言のまま一心に道糸を見つめる父に話しかけた。腹がすいてくるのを覚えるといつも間もなく母がお弁当を持ってくる時刻になるからである。やがて、崖の上から、
﹃どうだい、釣れたかい?﹄
と、言う和やかな母の声が、群れ泳ぐ笊のなかの鮎を、首を突っ込んで覗いている私に聞こえた。振り返ると母はにこやかに微ほほ笑えんでいる。
母は坂路を下りてきた。お鉢とお重を近くの小石の上へ置いた。大きな平らな石が卓ちゃ袱ぶだ台いである。母が給仕をして瀬の囁ささやきを聞きながら、親子三人で、水入らずの朝飯を食べたのである。お重のなかには、昨日釣った鮎が煮びたしとなって入っていた。プーンと、鮎特有の香が漂う。
それからというもの、私はこの歳になるまで鮎の煮びたしに亡き母の匂いを感じる。