一
当たりそこないの飛ひき球ゅうが、ふらふらと遊ゆう撃げき手しゅの頭上をこえていった。左さよ翼くし手ゅが、もうれつないきおいでつっこんできた。だが、球は、その一メートルばかりまえにポトリと落ちた。 Ｒアール町の応おう援えん団だんは、﹁わあっ。﹂と、わきたった。 まったく、ひろいもののヒットである。 Ｒアール町の少年野やき球ゅう団だん、Ｒアールクラブは、一回に一点、二回に一点を入れて、二点の勝ちこしのまま、相あい手ての、Ｔティー市少年野やき球ゅう団だん、Ｔティークラブを六回まで無むと得くて点んにおさえてきた。ところが、七回の表おもてに、いっきょ、その二点を取りかえされ、同点に追いこまれてしまった。こうなると、Ｒアールクラブの選せん手しゅたちは、追われる者の心ぼそさを感じないわけにはいかない。延えん長ちょ戦うせんに持ちこまれそうな不ふあ安んをいだきはじめていた。 そこへ、七回のうら、Ｒアールクラブの最さい後ごの攻こう撃げきで、最さい初しょの打者、岩いわ田たが、安打で一塁るいに出たのだ。応おう援えん団だんが色めきたったのもむりはない。 よし、ここで一点。その一点で、勝しょ敗うはいがきまるのだ。Ｒアールクラブの選せん手しゅたちの顔は、急に明るくなった。郡ぐん内ない少年野やき球ゅうの選せん手しゅ権けん大たい会かいの、出場チームになることができるかもしれない。 八番打者、投手の星ほし野のが、先のほうを四分の一ほど黒くぬった愛あい用ようのバットをさげて、バッターボックスへはいろうとした。だが、そのとき、伝でん令れいがきて、かれはベンチへよばれた。 一塁るいでは、ランナーの岩いわ田たが足をそろえて、ぴょん、ぴょんと、はねている。足ならしをして、走そう塁るいの準じゅ備んびをしているのだ。 星ほし野のは、それをちらっと見て、ベンチへ行った。キャプテンの喜き多たと、監かん督とくをしている大学生の別べっ府ぷさんが、かれを待っていた。 ﹁星ほし野の、岩いわ田たをバントで二塁るいへ送ってくれ。氏うじ原はらに打たせて、どうしても確かく実じつに一点かせがなければならないから。﹂ 別べっ府ぷさんは、正面から星ほし野のの目を見て、はっきりといった。 別べっ府ぷさんがそういうのもむりはなかった。きょうの星ほし野のは、投手としてはかなりできがよかったけれども、打者としては、ふるわなかった。投手ゴロひとつ、三振しんひとつ、という不ふけ景い気きな成せい績せきだ。だが、星ほし野のは元がん来らい、よわい打者ではなかった。当たれば、そうとうな大ものをかっ飛とばすほうだった。だから、かれは、この三回めの打だげ撃きで、名めい誉よを回かい復ふくしようと、ひそかにはりきっていたのだ。こんどは、きっと当たる。なんとなく、そういう予よか感んを持っていた。それだけに、かれは、別べっ府ぷさんのことばにたいして、﹁はい。﹂と、すなおな返事がしにくかった。 ﹁打たしてください。こんどは、打てそうな気がするんです。﹂ ﹁﹃打てそうな気がする﹄くらいのことで、作さく戦せんを立てるわけにはいかないよ。ノーダンなんだから、ここは、正せい攻こう法ほうでいくべきだ。わかったな。さあ、みんなが待っている。しっかり、やってくれ。﹂ ぐずぐずしているわけにはいかなかった。 ﹁はあ。﹂ あいまいな返事をして、星ほし野のがひきかえすうしろから、キャプテン喜き多たのひくい声が、追っかけてきた。 ﹁たのんだぞ。星ほし野の。﹂ 星ほし野のは、明るい、すなおな少年だった。人の意見にさからって、あらそうようなことは、このまなかった。しかし、きょうのバントの命めい令れいにだけは、どうしても服ふくしにくかった。安打が出そうな気がしてならないのだ。バントのぎせい打でアウトになるのは、もったいない気がする。 だが、野球の試しあ合いで、監かん督とくの命めい令れいにそむくことはできない。星ほし野のは、別べっ府ぷさんの作さく戦せんどおり、バントで岩いわ田たを二塁るいへ送るつもりでバッターボックスにはいった。二
Ｔティークラブの投手は、なかなか投げない。バッテリー間のサインは、しんちょうをきわめた。 やっと、サインがきまって、投手がプレートをふんだ。 ランナーの岩いわ田たは足の早い選せん手しゅではなかった。だから、なるべく塁るいからはなれて、走そう塁るいに有ゆう利りな態たい勢せいをとろうとした。 投手は、ランナーのほうにも、じゅうぶん、注意をはらっている。 ランナーは、じりじりと、塁るいをはなれはじめた。 あっ、少し出すぎた……。バッターボックスにいる星ほし野のがそう思うのと同時に、投手は一塁るいへ矢やのような球たまを送った。あぶない。岩いわ田たは、すなけむりをあげて、塁るいへすべりこんだ。 塁るいしんは、手のひらを下にして、両手をひろげている。セーフ！ あぶなく助かったのだった。一塁るいのコーチャーが、大声でランナーに何かいっている。 岩いわ田たのはりきった動作を見ているうちに、星ほし野のの打ちたい気持ちが、また、むくむくと頭をもたげてきた。 ――打てる。 きっと打てる。 確かく実じつにヒットが打てさえすれば、むりにバントをするにはおよばない。 かれは、しせいを少しかえた。心もち、またを大きく開いて、左足を、ちょっとまえへ出した。とたんに、投手が第一球を投げこんできた。予よそ想うどおりのつりだま。しかし、星ほし野ののもっともすきな近めの高い直ちょ球っきゅう……。 星ほし野のは、大きくふった。 当たった……。バットのまん中に当たったボールは、ぐうんとのびて、二塁るいと遊ゆう撃げきの間をぬくあざやかなヒットになった。中ちゅ堅うけ手んしゅが転てんてんするボールを追って、やっと、とらえた。そのまに、ランナーは、二塁るい、三塁るい。 ヒット！ ヒット！ 二塁るい打だだ。 Ｒアール町の応おう援えん団だんは総そうだちになった。ぼうしを投げあげる気の早い者もある。 ボールは、やっと、投手のグローブにかえった。 星ほし野のは、二塁るいの上に直ちょ立くりつして、両手をこしに当てて、場内を見まわした。だが、このとき、星ほし野のは、別べっ府ぷさんがにがい顔をして、ベンチからかれのほうを見ていることには、気がつかなかった。 星ほし野のの一撃げきは、Ｒアールクラブの勝しょ利うりを決けっ定てい的てきにした。九番打者の氏うじ原はらが、右うよ翼くに大飛ひき球ゅうをあげ、それがぎせい打になって、岩いわ田たがホームインしたからである。 Ｒアールクラブの郡ぐん内ない野球選せん手しゅ権けん大たい会かい出場は確かく定ていし、星ほし野のじ仁んい一ちは、この試しあ合いの英えい雄ゆうとなった。三
郡ぐん内ない少年野球選せん手しゅ権けん大たい会かいの日どりは、さしせまっていた。だから、星ほし野のたちのチームは、自分の地ち区くからの出しゅ場つじ権ょうけんをかくとくした試しあ合いのあくる日も、練れん習しゅうを休まなかった。選せん手しゅたちは、定められた午後一時に、町のグラウンドに集まって、やけつくような太たい陽ようの下で、かたならしのキャッチボールをはじめた。
そこへ、監かん督とくの別べっ府ぷさんがすがたをあらわした。選せん手しゅたちは、別べっ府ぷさんのまわりに集まって、めいめい、ぼうしをぬいで、あいさつをした。
キャプテンの喜き多たは、いつものとおりに、打だげ撃きの練れん習しゅうをはじめるものと思って、バットを取りにいった。別べっ府ぷさんは、喜き多たからバットを受け取ると、
﹁みんな、きょうは、少し話があるんだ。こっちへきてくれないか。﹂
といって、大きなカシの木かげにいって、あぐらをかいた。
選せん手しゅたちは、別べっ府ぷさんのほうを向き、半円をえがいて、あぐらをかいた。
﹁みんな、きのうは、よくやってくれたね。おかげで、Ｒアールクラブは待たい望ぼうの選せん手しゅ権けん大たい会かいに出場できることになった。おたがいに喜よろこんでいいと思う。ところで、きのうのみんなの善ぜん戦せんにたいして、心からの祝しゅ辞くじをのべたいのだが、ぼくには、どうも、それができないのだ。﹂
補ほけ欠つも入れて十五人の選せん手しゅたちの目は、じっと別べっ府ぷさんの顔を見つめている。別べっ府ぷさんの、おもおもしい口くち調ょうのそこに、何かよういならないものがあることを、だれもがはっきり感じたからである。
別べっ府ぷさんは、ひざの上に横たえたバットを、両手でゆっくりまわしていたが、それをとめて、静しずかにことばを続けた。
﹁ぼくが、監かん督とくに就しゅ任うにんするときに、きみたちに話したことばを、みんなはおぼえてくれているだろうな。ぼくは、きみたちがぼくを監かん督とくとしてむかえることに賛さん成せいなら、就しゅ任うにんしてもいい。町長からたのまれたというだけのことでは、いやだ。そうだったろう、喜き多たくん。﹂
喜き多たは、別べっ府ぷさんの顔をみて、強くうなずいた。
﹁そのとき、きみたちは、喜よろこんで、ぼくをむかえてくれるといった。そこで、ぼくは、きみたちとそうだんして、チームの規きそ則くをきめたのだ。いったん、きめたいじょうは、それを守まもるのが当とう然ぜんだと思う。また、試しあ合いのときなどに、チームの作さく戦せんとしてきめたことには、ぜったいに服ふく従じゅうしてもらわなければならない、という話もした。きみたちは、これにもこころよく賛さん成せいしてくれた。それで、ぼくも気持ちよくきみたちと練れん習しゅうを続けてきたのだ。おかげで、ぼくらのチームも、かなり力がついてきたと思っている。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経けい験けんをしたのだ。﹂
ここまで聞いたとき、﹁これは自分のことかな。﹂と、星ほし野のはかるい疑ぎも問んをいだいた。けれども、自分が、しかられるわけはないと、思いかえさないではいられなかった。
――なるほど、ぼくは、きのう、バントを命めいじられたのに、かってに、打だげ撃きに出た。それはチームの統とう制せいをやぶったことになるかもしれない。しかし、その結けっ果か、ぼくらのチームが勝しょ利うりを得えたのではないか……。
そのとき、別べっ府ぷさんは、ひざの上のバットをコツンと地面においた。そして、ななめ右まえにすわっている星ほし野のの顔を、正面から見た。
﹁まわりくどいいい方はよそう。ぼくは、きのうの星ほし野のくんの二塁るい打だが気にいらないのだ。バントで岩いわ田たくんを二塁るいへ送る。これがあのとき、チームできめた作さく戦せんだった。星ほし野のくんは不ふふ服くらしかったが、とにかく、それをしょうちしたのだ。いったん、しょうちしておきながら、かってに打だげ撃きに出た。小さくいえば、ぼくとのやくそくをやぶり、大きくいえば、チームの統とう制せいをみだしたことになる。﹂
﹁だけど、二塁るい打だを打って、Ｒアールクラブをすくったんですから。﹂
と、岩いわ田たがたすけぶねを出した。
﹁いや、いくら結けっ果かがよかったからといって、統とう制せいをやぶったことに変かわりはないのだ。……いいか、みんな、野球は、ただ、勝てばいいのじゃないんだよ。健けん康こうなからだをつくると同時に、団だん体たい競きょ技うぎとして、協きょ同うどうの精せい神しんをやしなうためのものなのだ。ぎせいの精せい神しんのわからない人間は、社会へ出たって、社会を益えきすることはできない。﹂
別べっ府ぷさんの口くち調ょうが熱ねつしてきて、そのほおが赤くなるにつれて、星ほし野のじ仁んい一ちの顔からは、血ちの気けがひいていった。選せん手しゅたちは、みんな、頭を深くたれてしまった。
﹁星ほし野のくんはいい投手だ。おしいと思う。しかし、だからといって、ぼくはチームの統とう制せいをみだした者を、そのままにしておくわけにはいかない。﹂
そこまで聞くと、思わず一同は顔をあげて、別べっ府ぷさんを見た。星ほし野のだけが、じっとうつむいたまま、石のように動かなかった。
﹁ぼくは、こんどの大会に星ほし野のくんの出場を禁きんじたいと思う。とうぶん、きんしんしていてもらいたいのだ。そのために、ぼくらは大会で負けるかもしれない。しかし、それはやむをえないことと、あきらめてもらうよりしかたがない。﹂
星ほし野のは、じっと、なみだをこらえていた。
――別べっ府ぷさんのことばは、ひとつひとつ、もっともだ。自分は、いままでいい気になっていたのだ。
かれは、しみじみと、そう思わないではいられなかった。
﹁星ほし野のくん、異いぞ存んがあったら、いってくれたまえ。﹂
別べっ府ぷさんのことばに、星ほし野のは、なみだで光った目をあげて、はっきりと答えた。
﹁異いぞ存んありません。﹂
別べっ府ぷさんを中心とした少年選せん手しゅたちの半円は、しばらく、そのまま、動かなかった。
ぎらぎらする太たい陽ようの光こう線せんが、人かげのないグラウンドに、白くはねかえっていた。