まえがき
花は、率そっ直ちょくにいえば生せい殖しょ器っきである。有名な蘭らん学がく者しゃの宇うだ田がわ川よう榕あ庵ん先生は、彼の著ちょ﹃植学啓けい源げん﹄に、﹁花は動物の陰いん処しょの如ごとし、生産蕃はん息そくの資とりて始まる所なり﹂と書いておられる。すなわち花は誠まことに美びれ麗いで、且かつ趣味に富とんだ生殖器であって、動物の醜みにくい生殖器とは雲うん泥でいの差があり、とても比くらべものにはならない。そして見たところなんの醜しゅ悪うあくなところは一点もこれなく、まったく美点に充みち満みちている。まず花かべ弁んの色がわが眼を惹ひきつける、花かこ香うがわが鼻を撲うつ。なお子しさ細いに注意すると、花の形でも萼がくでも、注意に値あたいせぬものはほとんどない。 この花は、種た子ねを生ずるために存在している器官である。もし種子を生ずる必要がなかったならば、花はまったく無用の長ちょ物うぶつで、植物の上には現あらわれなかったであろう。そしてその花かけ形い、花かし色ょく、雌しゆ雄うず蕊いの機能は種子を作る花の構かまえであり、花の天から受け得た役目である。ゆえに植物には花のないものはなく、もしも花がなければ、花に代わるべき器官があって生殖を司つかさどっている。︵ただし最も下等なバクテリアのようなものは、体が分裂して繁はん殖しょくする。︶ 植物にはなにゆえに種子が必要か、それは言わずと知れた子しそ孫んを継つぐ根源であるからである。この根源があればこそ、植物の種属は絶たえることがなく地球の存する限り続くであろう。そしてこの種子を保護しているものが、果実である。 草でも木でも最も勇ゆう敢かんに自分の子しそ孫んを継つぎ、自分の種属を絶たやさぬことに全力を注そそいでいる。だからいつまでも植物が地上に生活し、けっして絶ぜつ滅めつすることがない。これは動物も同じことであり、人間も同じことであって、なんら違ったことはない。この点、上等下等の生物みな同権である。そして人間の子を生むは前記のとおり草くさ木きと同様、わが種属を後こう代だいへ伝えて断たやさせぬためであって、別に特別な意味はない。子を生まなければ種属はついに絶たえてしまうにきまっている。つまりわれらは、続かす種属の中なか継つぎ役をしてこの世に生きているわけだ。 ゆえに生物学上から見て、そこに中なか継つぎをし得なく、その義務を怠おこたっているものは、人間社会の反逆者であって、独身者はこれに属すると言っても、あえて差しつかえはあるまいと思う。つまり天然自然の法則に背そむいているからだ。人間に男女がある以上、必ず配偶者を求むべきが当然の道ではないか。 動物が子孫を継つぐべき子供のために、その全生涯を捧ささげていることは蝉せみの例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけている蝉せみは雄おす蝉ぜみであって、一いっ生しょ懸うけ命んめいに雌めす蝉ぜみを呼んでいるのである。うまくランデブーすれば、雄おす蝉ぜみは莞かん爾じとして死し出での旅たび路じへと急ぎ、憐あわれにも木から落ちて死しが骸いを地に曝さらし、蟻ありの餌えとなる。 しかし雌めす蝉ぜみは卵を生むまでは生き残るが、卵を生むが最後、雄おす蝉ぜみの後あとを追って死んでゆく。いわゆる蝉せみと生まれて地上に出いでては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。これは草でも、木でも、虫でも、鳥でも、獣けものでも、人でも、その点はなんら変わったことはない、つまり生物はみな同じだ。 われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆たん美びするのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞しょ観うかんして楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠まことに迷めい惑わく至しご極くと歎かこつであろう。花のために、一いっ掬きくの涙があってもよいではないか。 ﹇#改丁﹈ ﹇#ページの左右中央﹈花
﹇#改ページ﹈ボタン
ボタン、すなわち牡丹は中国の原産であるが、今は日本はもとより西洋諸国でも栽さい培ばいしている。 だれでも知っているように、きわめて巨大な美び花かを開くので有名である。今その栽培してあるものを見ると、その花かよ容う、花かし色ょくすこぶる多様で、紅色、紫色、白はく色しょく、黄色などのものがあり、また一ひと重え咲ざき、八や重え咲ざきもあって、その満まん開かいを望むと吾ごじ人んはいつも、その花の偉いよ容う、その花の華かれ麗いに驚きょ嘆うたんを禁じ得ない。 牡ぼた丹んに対し中国人は丹たん色しょくの花、すなわち赤せき色しょくのものを上じょ乗うじょうとしており、すなわち牡丹に丹の字を用いているのは、それがためである。また牡丹の牡は、春に根上からその芽が雄お々おしく出るから、その字を用いたとある。つまり牡は、盛さかんな意味として書いたものであろう。今はどうか知らぬが、昔は中国のある地方では、それが荊いば棘らのように繁しげっていて、原住民はこれを伐ばっ採さいし燃料にしたと書物に書いてある。 牡丹はキツネノボタン科に属するが、この科のものはみな草そう本ほんであるにかかわらず、独ひとりこの牡ぼた丹んは落らく葉よう灌かん木ぼくである。草そう木ほんなる芍しゃ薬くやくに近きん縁えんの種類で、Paeonia suffruticosa Andr. の学名を有している。この種名の suffruticosa は、亜あか灌んぼ木くの意である。また Paeonia moutan Sims. の学名もあるが、この種名の Moutan は牡丹の意である。そしてその属名の Paeonia は、Paeon という古代の医者の姓名に基もとづいたものである。牡丹根皮は薬用となるので、それでこの医者の名をつけた次しだ第いであろう。 日本では牡丹の音ボタンが、今日の通名となっている。 古歌にはハツカグサ、ナトリグサの名があり、古名にはフカミグサの名がある。右のハツカグサは二は十つ日か草で、これは昔、藤原忠ただ通みちの歌の、 咲きしより散り果つるまで見しほどに 花のもとにて廿はつ日かへにけり に基づいたもので、つまり牡丹の花の盛りが久しいことを称たたえたものだ。 一つの花が咲き、次の蕾つぼみが咲き、株上のいくつかの花が残らず咲き尽つくすまで見て、二は十つ日かもかかったというのであろう。いくら牡丹でも、一輪りんの花が二は十つ日か間も萎しぼまず咲いているわけはない。 中国では、牡ぼた丹んが百ひゃ花っかのうちで第一だから、これを花かお王うと唱となえた。さらに富ふう貴き花か、天てん香こう国こく色しょく、花かし神んなどの名が呼ばれている。宋そうの欧おう陽よう修しゅうの﹃洛らく陽よう牡ぼた丹んの記﹄は有名なものである。 牡丹は、樹きの高さ通常は九〇〜一二〇センチメートルばかりに成長し、まばらに分ぶん枝しする。春早く芽が出いで、葉は互ごせ生いして葉よう柄へいがあり、二回、三回分裂して複ふく葉ようの姿をなしている。五月、枝した端んに大なる花を開き、花かけ径いおよそ二〇センチメートルばかりもある。花か下かにある五萼がく片へんは宿しゅ存くそんして花か後ごに残り、八片へんないし多片の花かべ弁んははじめ内うちへ抱かかえ込み、まもなく開き、香かおりを放って花後に散さん落らくする。花かち中ゅうに多たゆ雄うず蕊いと、細さい毛もうある二ないし五個の子しぼ房うとがあり、子房は花後に乾かわいた果実となり、のち裂さけて大きな種子が露あらわれる。 多くの年数を経へた古い牡丹にあっては、高さが一八〇センチメートル以上にも達して幹みきが太くなり、多くの枝えだを分かち、たくさんな葉を繁しげらし、花が一株上に数百輪りんも開花する。私は先年、この巨大な牡丹を飛ひだ騨たか高や山ま市の奥田邸ていで見たのだが、この株かぶはたぶん今でも健在しているであろう。これはその土地で、﹁奥田の牡ぼた丹ん﹂と評判せられて有名なものであった。たぶんこんな大きな牡丹は、今こん日にち日本のどこを捜しても見つからぬであろう。もし果たしてそうだとすれば、これは日本一の牡丹であると折おり紙がみをつけてよかろう。もしも高たか山やま市へ赴おもむかれる人があったら、一度かならずこの大おお牡ぼた丹んを見て来こられてよいと思う。シャクヤク
和わめ名いとして今こん日にちわが邦くにでは、芍薬をシャクヤクと字じお音んで呼んでいることは、だれもが知っているとおりであるが、しかし昔はこれをエビスグサ、あるいはエビスグスリと称となえ、古こ歌かではカオヨグサといった。 エビスグサは夷えび草すぐさ、エビスグスリは夷えび薬すぐすり、ともに外国から来たことを示している。カオヨグサは顔かお美よぐ草さで、花が美びれ麗いだから、そういったものであろう。 元がん来らい、芍しゃ薬くやくの原産地は、シベリアから北満州︹中国の東北地方の北部︺の原野である。はじめシベリアで採とった白はっ花かひ品んへ、ロシアの学者のパラスが、Paeonia albiflora Pallas の学名をつけてその図説を発表したが、満州︹中国の東北地方一帯︺に産するものには、淡たん紅こう花かのものが多い。しかしそれは、もとより同種である。種名の albiflora は、白花の意である。 日本に作っている芍しゃ薬くやくは、中国から伝わったものであろう。今は広く国内に培ばい養ようせられ、その花が美びれ麗いだから衆しゅ人うじんに愛せられる。中国では人に別れる時、この花を贈る習慣がある。つまり離りべ別つを惜おしむ記念にするのであろう。 芍薬は宿しゅ根っこ性んせい﹇#ルビの﹁しゅっこんせい﹂は底本では﹁しゅっこんそう﹂﹈の草そう本ほんで、その根を薬用に供きょうする。春に根こん頭とうから勢いきおいのよい赤い芽を出し、見てまことに気持がよい。充じゅ分うぶん成長すると、高さはおよそ九〇センチメートル内外に達し、その直立せる茎くきは通常まばらに分ぶん枝しする。葉は茎くきに互ごせ生いし、再三出式に分裂している。各枝した端んに一花ずつ開き、直径はおよそ一二センチメートル内外もあろう。花か下かに五片へんの緑りょ萼くがくがあるが、蕾つぼみの時には円まるく閉じている。花かべ弁んは平開し、およそ十片ぺん内外もあるが、しかし花かよ容う、花色種しゅ々じゅ多たよ様うで、何十種もの園芸的変わり品がある。花かし心んに黄色の多たゆ雄うず蕊いと、三ないし五の子しぼ房うがある。 芍しゃ薬くやくの姉しま妹いひ品んで、わが邦くにの山地に見る白はっ花かひ品んは、ヤマシャクヤクで、その淡たん紅こう花かひ品んはベニバナヤマシャクヤクである。花は芍薬に比べるとすこぶる貧弱だが、その果実はみごとなもので、熟じゅくして裂さけると、その内面が真しん赤せき色しょくを呈ていしており、きわめて美しい特とく徴ちょうを現あらわしている。スイセン
スイセンは水仙を音おん読どくした、そのスイセンが今日本の普通名となっているが、昔はわが邦くにでこれを雪せっ中ちゅ花うかと呼んだこともあった。元がん来らい、水すい仙せんは昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南なん欧おうの地中海地方の原産地からついに中国に来きたり、そして中国から日本へ来たものだ。中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙せん人にんの仙で、この草を俗を脱している仙せん人にんに擬なぞらえたものでもあろうか。 水仙はヒガンバナ科に属して、その学名を Narcissus Tazetta L. というのだが、この種名の Tazetta はイタリア名の小こざ皿らの意で、すなわちその花かち中ゅうの黄おう色しょ花くか冕べんを小皿に見立てたものである。そして属名の Narcissus は麻ま痺ひの意で、それはその草に含まれているナルキッシネという毒成分に基もとづいたものであろう。 水すい仙せんの花は早春に咲く。すなわち地中の球きゅ根うこん︵球根は俗ぞく言げんで正しくいえば襲しゅ重うち鱗ょう茎りんけい︶から、葉と共ともに花かけ茎い︵植物学上の語でいえば︶を抽ひいて直立し、茎けい頂ちょうに数花を着つけて横に向かっている。花には小しょ梗うこうがあり、もとの方にはこれを擁ようして膜まく質しつの苞ほうがある。そして小しょ梗うこうの頂いただきに、緑色の子しぼ房う︵植物学では下かい位し子ぼ房うといわれる。下かい位し子ぼ房うのある花はすこぶる多く、キュウリ、カボチャなどの瓜うり類、キキョウの花、ナシの花、ラン類の花、アヤメ、カキツバタなどの花の子房はみな下位でいずれも花の下、すなわち花の外に位くらいしている︶があり、子房の上は花かと筒うとなり、この花筒の末まっ端たんに白色の六花かが蓋いへ片んが平へい開かいし、花としての姿を見せよい香かを放っている。そしてこの六花蓋の外がい列れつ三片が萼がくに当たり、内ない列れつ三片が花かべ弁んである。 このように、花弁と萼がくとの外観が見み分わけ難がたいものを、植物学では便利のため花かが蓋いと呼んでいる。この開かい展てんせる瑩えい白はく色しょ花くか蓋がい六片へんの中央に、鮮せん黄おう色しょくを呈せる皿さら状じょ花うか冕べんを据すえ、花より放つ佳かこ香うと相あいまって、その花の品ひん位いきわめて高こう尚しょうであることに、われらは讃さん辞じを吝おしまない。そしてこの水すい仙せんの花を、中国人は金きん盞さん銀ぎん台だいと呼んでいる。すなわち銀白色の花の中に、黄おう金ごんの盞さかずきが載のっているとの形容である。 水すい仙せん花かの花かと筒うの内部には、黄色の六雄ゆう蕊ずいがあり、花筒の底からは一本の花かち柱ゅうが立って、その柱ちゅ頭うとうは三岐きしており、したがって子しぼ房うが三室になっていることを暗示している。そして花か下かの子房の中には、卵らん子しが入っている。それにもかかわらず、この水仙には絶たえて実を結ばないこと、かのヒガンバナ、あるいはシャガと同様である。けれども球きゅ根うこんで繁はん殖しょくするから、実を結んでくれなくっても、いっこうになんらの不自由はない。そうしてみると、水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである。ちょうど、子を生まない女の人と同じだ。 水仙は花に伴とものうて、通常は四枚、きわめて肥こえたものは八枚の葉が出る。草そう質しつが厚く白はく緑りょ色くしょくを呈ていしているが、毒分があるから、ニラなどのように食用にはならない。地中の球根を搗つきつぶせば強力な糊のりとなり、女の乳にゅ癌うがんの腫はれたのにつければ効きくといわれる。 元がん来らい、水仙は海かい辺へん地方の植物であって、山地に生はえる草ではない。房ぼう州しゅう︹千葉県の南部︺、相そう州しゅう︹神奈川県の一部︺、その他諸しょ州しゅうの海辺地には、それが天てん然ねん生せいのようになって生はえている。これはもと人じん家かに栽さい培ばいしてあったものが、いつのまにかその球根が脱出して、ついに野やせ生いになったもので、もとより日本の原産ではない。このように野生になっている所では、玉ぎょ玲くれ瓏いろうと中国で称する八や重え咲ざきの花が見られる。また青花と呼ばれる下品な花も現あらわれる。 支那水仙といって、能よく︵このような場合のヨクは能の字を書くのが本当で、近ごろのように一いっ点てん張ばりに良の字を書くのは誤あやまりである。これは can と good とを混こん同どう視ししたものだ。チョット老ろう婆ばし心んまでに。︶水すい盆ぼんに載のせて花を咲かせているものがあるが、これは人工で球根を割さき、多数の花かけ茎いを出いださせたものだ。けっして別種の水仙ではない。こんな球根への細さい工くは、その方法をもってすれば日本ででもできる。キキョウ
キキョウは漢かん名めい、すなわち中国名である桔梗の音おん読どくで、これが今こん日にちわが邦くにでの通つう名めいとなっている。昔はこれをアリノヒフキと称となえたが、この名ははやくに廃すたれて今はいわない。また古くは桔きき梗ょうをオカトトキといったが、これもはやく廃はい語ごとなった。このオカトトキのオカは岡で、その生はえている場所を示し、トトキは朝鮮語でその草を示している。このトトキの語が、今こん日にちなお日本の農民間に残って、ツリガネソウ一名ツリガネニンジン、すなわちいわゆる沙しゃ参じんをそういっている。 右のオカトトキを昔はアサガオと呼んだとみえて、それが僧昌しょ住うじゅうの著あらわしたわが邦くに最古の辞書である﹃新しん撰せん字じき鏡ょう﹄に載のっている。ゆえにこれを根こん拠きょとして、山やま上のう憶えの良おくらの詠よんだ万葉歌の秋の七なな種くさの中のアサガオは、桔きき梗ょうだといわれている。今人じん家かに栽さい培ばいしている蔓つる草くさのアサガオは、ずっと後に牽けん牛ぎゅ子うしとして中国から来たもので、秋の七なな種くさ中のアサガオではけっしてないことを知っていなければならない。 キキョウはキキョウ科中著ちょ名めいな一草で、Platycodon grandiflorum A. DC. の学名を有する。この属名の Platycodon はギリシア語の広い鐘かねの意で、それはその広く口を開あけた形の花かか冠んに基もとづいて名づけたものである。そして種名の grandiflorum は、大きな花の意である。 キキョウは山さん野やの向こう陽よう地ちに生じている宿しゅ根っこ草んそうであるが、その花がみごとであるから、観賞花草として能よく人じん家かに栽うえられてある。茎くきは直立して、九〇ないし一五〇センチメートルばかりに達し、傷きずつけると葉と共ともに白はく乳にゅ液うえきが出る。葉は緑色で裏りめ面んた帯いは白く、葉よう形けいは広こう卵らん形けいないし痩そう卵らん形けいで尖とがり、葉よう縁えんに細さい鋸きょ歯しがある。ほとんど無むへ柄いで茎くきに互ごせ生いし、あるいは擬ぎた対いせ生いし、あるいは擬ぎり輪んせ生いする。 秋に茎くきの上部分ぶん枝しし、小しょ枝うし端たんに五裂れつせる鐘しょ形うけ花いかを一輪りんずつ着つけ、大きな鮮せん紫しし色ょくの美び花かが咲くが、栽培品には二ふた重え咲ざき花、白花、淡たん黄おう花か、絞しぼり花、大形花、小形花、奇形花がある。そしてその蕾つぼみのまさに綻ほころびんとする刹せつ那なのものは、円まるく膨ふくらみ、今にもポンと音して裂さけなんとする姿を呈ていしている。 花中に五雄ゆう蕊ずいと五柱ちゅ頭うとうある一花かち柱ゅうとがあるが、この雄ゆう蕊ずいは先に熟じゅくして花かふ粉んを散らし、雌しず蕊いに属する五柱頭は後に熟じゅくして開くから、自分の花の花粉を受けることができず、そこで昆虫の助けを借りて、他の花の花粉を運んでもらうのである。つまり桔きき梗ょう花かは、自家結婚ができないように、天から命ぜられているわけだ。植物界のいろいろな花には、こんなのがザラにある。花を研究してみると、なかなか興味のあるもので、ナデシコなどもその例に漏もれなく、もしも今昆虫が地球上におらなくなったら、植物で絶滅するものが続々とできる。 花の時の子しぼ房うは緑色で、その上じょ縁うえんに狭きょ小うしょうな五萼がく片へんがある。花か後ご、この子しぼ房うは成熟して果実となり、その上方の小しょ孔うこうより黒色の種子が出る。 地中に直下する根は多たに肉くで、桔きき梗ょう根こんと称し痰きょ剤たんざいとなるので、したがってこの桔きき梗ょうがたいせつな薬用植物の一つとなっている。春に芽め出だつ新しん葉ようの苗なえは、食用として美び味みである。リンドウ
リンドウというのは漢かん名めい、龍胆の唐とう音おんの音おん転てんであって、今これが日本で、この草の通称となっている。中国の書物によれば、その葉は龍りゅ葵うきのようで味が胆きものように苦にがいから、それで龍りん胆どうというのだと解釈してあるが、しかし葉が苦にがいというよりは根の方がもっと苦にがい、すなわちこの根からいわゆるゲンチアナチンキが製せられ、健けん胃いざ剤いに使われている。 リンドウは昔ニガナといった。すなわち、その草の味が苦にがいからであろう。また播ばん州しゅう︹兵庫県南部︺ではオコリオトシというそうだが、これもその草を煎せんじて飲めば味が苦にがいから、病気のオコリがオチル、すなわち癒なおるというのであろう。また葉が笹ささのようであるから、ササリンドウの名もある。 リンドウは向こう陽ようの山地、もしくは原野の草そう間かんに多く生ずる宿しゅ根っこ草んそうで、茎くきは三〇〜六〇センチメートルばかり、葉は狭せまくて尖とがり無むへ柄いで茎を抱いだいて対たい生せいし、全辺で葉よう中ちゅうに三縦じゅ脈うみゃくがあり、元がん来らい緑色なれど、日を受けて往おう々おう紫色に染そんでいる。秋更ふけての候こう、その花は茎けい頂ちょうに集合して咲き、また梢しょ葉うよ腋うえきにも咲く。花か下かに緑りょ萼くがくがあって、尖とがった五つの狭きょ長うち片ょうへんに分かれ、花かか冠んは大きな筒つつをなし、口は五裂れつして副ふく片へんがある。この花かか冠んは非常に日光に敏びん感かんであるから、日が当たると開き、日がかげると閉とじる。 ゆえに雨うて天んの日は終しゅ日うじつ開かなく、また夜中もむろん閉とじている。閉じるとその形が筆ふでの頴ほの形をしていて捩ねじれたたんでいる。色は藍らん紫しし色ょくで外は往々褐かっ紫しし色ょくを呈ていしているが、まれに白花のものがある。筒とう中ちゅうに五雄ゆう蕊ずいと一雌しず蕊いとが見られる。花か後ごには、宿しゅ存くそ花んか冠かんの中で長ちょ莢うきょう状の果実が熟じゅくし、二つに裂さけて細かい種子が出る。このように果実が熟した後茎くきは枯かれ行き、根は残るのである。 花は形が大きく且かつはなはだ風ふぜ情いがあり、ことにもろもろの花のなくなった晩ばん秋しゅうに咲くので、このうえもなく懐なつかしく感じ、これを愛する気が油ゆう然ぜんと湧わき出るのを禁じ得ない。されども、人々が野や山より移して庭に栽さい植しょくしないのはどうしたものか、やはり、野に置けれんげそうの類かとも思えども、しかしそう野でこれを楽しむ人もないようだ。 リンドウはリンドウ科に属し、わが邦くにでは本科中の代表者といってよい。そしてその学名は Gentiana scabra Bunge var. Buergeri Maxim. である。この学名中にある var. はラテン語 varietas︵英語の variety︶の略字で、変種ということである。 このリンドウ属︵Gentiana︶には、わが邦くにに三十種以上の種類があるが、その中でアサマリンドウ、トウヤクリンドウ、オヤマリンドウ、ハルリンドウ、フデリンドウ、コケリンドウなどは著名な種類である。右のアサマリンドウは、伊い勢せ︹三重県︺の朝あさ熊まや山まにあるから名づけたものだが、また土と佐さ︹高知県︺の横よこ倉ぐら山やまにも産する。 根の味が最も苦にがく、能よく振ふり出して健けん胃いのために飲いん用ようするセンブリは、一いつにトウヤクともいい、やはりこのリンドウ科に属すれど、これはリンドウ属のものではなく、まったく別属のもので、その学名を Swertia japonica Makino といい、効力ある薬用植物として﹃日本薬局方﹄に登録せられている。秋に原野に行けば、採集ができる。アヤメ
アヤメといえば、だれでもアヤメ科中の Iris 属のものと思っているでしょう。それもそのはず、今こん日にちではアヤメと呼べば一般にそうなっているからだ。しかし厳格にいえば、このアヤメはまさにハナアヤメといわねばならぬものであった。なんとなれば、一方に本当のアヤメがあったからだ。とはいえ、この本当のアヤメの名は、実は今日ではすでに廃すたれてそうはいわず、ただ古こ歌かなどの上に残っているにすぎない運命となっているから、そう心配するにも及およぶまい。 右に古こ歌かといったが、その古歌とはどんな歌か、今試こころみに数すう首しゅを次に挙あげてみよう。 ほととぎす厭いとふときなしあやめぐさ かづらにせん日此こゆ鳴きわたれ ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ 玉に貫ぬく日をいまだ遠みか あやめぐさひく手もたゆくながき根の いかであさかの沼に生おひけむ ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ あやめも知らぬ恋もするかな などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白はく菖しょうのことである。︵世せけ間ん一般に今ショウブと呼んでいる水みず草くさを菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元がん来らいは間違いであることをわきまえていなければならない。︶そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。 昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花を冠かんしていたが、ショウブに対するアヤメの名が廃すたれた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今こん日にちの通称となっている。すなわち白はく菖しょうがアヤメであった時は、今こん日にちのアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるに及およんで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変へん遷せんのあったことを示している。 あまねく人の知っているかの潮いた来こぶ節しの俚りよ謡うに、 潮いた来こで出じ島まのまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい というのがある。この謡うたはその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとで織おりなされている。すなわちこの謡うたの作者は、謡うたのアヤメを美び花かの咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生はえているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸りく草そうだから水中には育たない。マコモといっしょになって生はえている水草のアヤメは、古こめ名いのアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生はえていても、なにも別に不ふ思し議ぎはない。 サーことだ、美び花かを開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中に生はえているアヤメは、つまらぬ不ふけ顕んち著ょな緑色の細かい花が、グロ的な花かす穂いをなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。 上の謡うたの﹁まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい﹂のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ︵ショウブ︶が咲くばかりであるから、この俚りよ謡うの意味がまったくめちゃくちゃになっている。謡うたはきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬ謡うただ。はじめてその事実の誤あやまりを摘てき発はつして世に発表したのは私であって、記事の題は、﹁実物上から観みた潮いた来こで出じ島まの俚りよ謡う﹂であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。カキツバタ
アヤメを書いたついでに、それと同属のカキツバタについて述べてみよう。 カキツバタの語原は書きつけ花の意で、その転てん訛かである。すなわち、書きつけは摺すり付つけることで、その花かじ汁ゅうをもって布を摺すり染そめることである。昔はこのような染め方が行われて、カキツバタの花の汁しるを染せん料りょうにしたのである。 その証しょ拠うこには﹃万葉集﹄に次の歌がある。 住すみ吉のえの浅あさ沢さは小を野ぬのかきつばた 衣きぬに摺すりつけ著きむ日知らずも かきつばた衣きぬに摺すりつけ丈ます夫らをの きそひ猟かりする月は来にけり この二つの歌を見れば、カキツバタの花の汁しるで布を染そめたことが能よくわかる。︵こういう場合の﹁よく﹂を﹁良く﹂と書いてはいけない。︶ 今からおよそ十年余あまりも前に、広島県安あ芸きの国︹県の西部︺の北ほっ境きょうなる八やは幡た村で、広さ数百メートルにわたるカキツバタの野やせ生いぐ群んら落くに出で逢あい、折おりふし六月で、花が一面に満開して壮そう観かんを極きわめ、大いに興きょうを催もよおし、さっそくたくさんな花を摘つんで、その紫しじ汁ゅうでハンケチを染そめ、また白シャツに摺すり付つけてみたら、たちまち美びれ麗いに染そまって、大いに喜んだことがあった。その時、興きょうに乗じょうじて左の拙せっ句くを吐はいてみた。 衣きぬに摺すりし昔の里かかきつばた ハンケチに摺すって見せけりかきつばた 白シャツに摺すり付つけて見るかきつばた この里に業なり平ひら来ればここも歌 見みお劣とりのしぬる光こう淋りん屏びょ風うぶかな 見るほどに何なんとなつかしかきつばた 去いぬは憂うし散るを見み果はてんかきつばた 世せじ人ん、イヤ歌読みでも、俳はい人じんでも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いて涼すずしい顔をして納おさまりかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもない誤あやまりであることを吾ごじ人んは覚さとらねばならない。 しからばすなわち燕子花とはなにか、燕子花の本物はキツネノボタン科に属するヒエンソウの一種で、オオヒエンソウ、すなわち Delphinium grandiflorum L. と呼ぶ陸りく生せい宿しゅ根っこ草んそ本うほんで、藍あい色いろの美び花かを一花かす穂いに七、八花も開くものである。その花かけ形いが、あたかも燕つばめが飛んでいるような恰かっ好こうから、それで燕子花の名がある。茎くきは細長く、高さおよそ六〇センチメートル内外で立ち、葉は細かく分裂し茎くきに互ごせ生いしている。そしてこの草は中国の北地、ならびに満州︹中国の東北地方︺には広く原げん野やに生じているが、わが日本にはあえて産しない。 燕子花と同様な大おお間まち違がいをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間まち違がいをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白はく楽らく天てんの詩集に、わずかにその詩が載のっているにすぎないものである。元がん来らい、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出しゅ生っせいした花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能よくその如いか何んを知っているのである。 カキツバタは水辺、ならびに湿しっ地ちの宿しゅ根っこ草んそうで、この属中一番鮮せん美びな紫花を開くものである。葉は叢そう生せいし、鮮せん緑りょ色くしょくで幅はば広く、扇せん形けいに排はい列れつしている。初しょ夏かの候こう、葉よう中ちゅうから茎くきを抽ひいて茎けい梢しょうに花を着つける。花のもとに二、三片の大きな緑りょ苞くほうがあって、中に三個の蕾つぼみを擁ようし、一日に一花かずつ咲き出いでる。 花は花か下かに緑色の下かい位し子ぼ房うがあり、幅はば広い萼がく三片が垂たれて、花を美しく派は手でやかに見せており、狭い花かべ弁ん三片が直立し、アヤメの花と同じ様よう子すをしている。花中の花かち柱ゅうは大きく三岐きし、その端はしに柱ちゅ頭うとうがあり、その三岐きへ片んの下には白色葯やくの雄ゆう蕊ずいを隠している。この花も同属のアヤメ、ハナショウブ、イチハツなどと同じく虫ちゅ媒うば花いかで、昆虫により雄ゆう蕊ずいの花粉が柱頭に伝えられる。花がすむと子しぼ房うが増大し、ついに長ちょ楕うだ円えん状じょう円柱形の果実となり開かい裂れつして種子が出るが、果かな内いは三室に分かれている。 花かし色ょくは紫のものが普通品だが、また栽培品にはまれに白花のもの、白しろ地じに紫しは斑んのものもある。きわめてまれに萼がく、花弁が六片へんになった異品がある。 学名を Iris laevigata Fisch. と称するが、その種名の laevigata は光こう沢たくあって平へい滑かつな意で、それはその葉に基もとづいて名づけたものであろう。そして属名の Iris は虹にじの意で、それは属中多くの花が美びれ麗いないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。ムラサキ
﹃万葉集﹄に﹁託つく馬ま野ぬに生ふる紫むら草さき衣きぬに染め、いまだ着ずして色に出いでけり﹂という歌があって、この時分染せん料りょうとして、ふつうに紫むら草さきぐさを使っていたことを示している。 ムラサキは日本の名で、紫しそ草うは中国の名である。根が紫色で、紫を染そめる染料となるので、この名がある。そしてその学名は Lithospermum erythrorhizon Sieb. et Zucc. である。すなわちこの種名の erythrorhizon は、字からいえば赤せき根こんの意であるが、その意味からいえば紫しこ根んの意と解せられる。属名の Lithospermum は石の種しゅ子しの意で、この属の果実が、石のように堅かたい種子のように見えるから、それでこんな字を用いたものだ。 このムラサキは、山さん野やこ向うよ陽うの草中に生じている宿しゅ根っこ草んそうで、根は肥ひこ厚うしていて地中に直下し、単一、あるいは枝えだ分わかれがしている。そしてその根こん皮ひが、生せい時じは暗あん紫しし色ょくを呈ていしている。茎くきは直立して六〇〜九〇センチメートルに成長し、梢こずえはまばらに分ぶん枝ししている。葉は披ひし針んけ形いで尖とがり、無むへ柄いで茎くきに互ごせ生いし茎と共ともに毛があり、葉よう面めんは白はく緑りょ色くしょくを呈ていしている。梢しょ枝うしには苞ほう葉ようがあって、その苞ほう腋えきに一輪りんずつの小さい白花が咲くから、緑色の草中にあってちょっと目につく。花のもとの緑りょ萼くがくは五尖せん裂れつし、花かか冠んは高こう盆ぼん形けいで花かめ面ん五裂れつし輻ふく状じょうをなしている。花かと筒うな内いに五雄ゆう蕊ずいと一雌しず蕊いとがあり、花かち柱ゅうのもとに四し耳じをなした子しぼ房うがある。 果実は小こつ粒ぶ状の堅かたい分ぶん果かで、灰色を呈ていして光こう沢たくがあり、蒔まけば能よく生はえるから、このムラサキを栽培することは、あえて難なん事じではない。ゆえに往おう時じは、これを畑に作ったことがあった。野やせ生いのものはそうザラにはないから、染せん料りょうに使うためには、是ぜ非ひともこれを作らねばならぬ必要があったのである。そしてこの紫しこ根んの上等品は染料の方へ回まわし、下等品を薬用の方へ回したものだそうな。 昔は紫の色はみな紫しこ根んで染そめた。これがすなわち、いわゆる紫しこ根ん染ぞめである。今はアニリン染せん料りょうに圧あっ倒とうせられて、紫しこ根ん染ぞめを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花はな輪わ町の染そめ物もの屋やに頼たのんで、絹きぬ地じにこの紫しこ根ん染ぞめをしてもらったが、なかなかゆかしい地じい色ろができ、これを娘の羽はお織りに仕立てた。今それをアニリン染せん料りょうの紫に比くらぶれば、地じい色ろが派は手ででないから、玄くろ人うとが見れば凝こっているが、素しろ人うとの前では損をするわけだ。私はさらに同染そめ物もの屋やで茜あか染ねぞめもしてもらったが、茜あか染ねぞめの色は赤味がかったオレンジ色であるから、あまり引き立たないが、なんとなく上品である。そしてこの紫しこ根ん染ぞめも茜あか染ねぞめもいろいろの模もよ様うを置くことができず、みな絞しぼり染ぞめである。 ムラサキと武むさ蔵し野のはつきものであるが、今こん日にち武蔵野にはムラサキは生じていない。しかし昔はそれがあったものと見えて、﹁紫の一もとゆえに武蔵野の、草はみながら憐あわれとぞ見る﹂という有名な歌が遺のこっている。 ムラサキを採とりたい人は、富士山の裾すそ野のへ行けば、どこかで見つかるであろう。スミレ
春の野といえば、すぐにスミレが連想せられる。実際スミレは春の野に咲く花であるが、しかし人家の庭には栽培してはいない。万葉歌の中にはスミレが出ているから、歌かじ人んはこれに関心を持っていたことがわかる。すなわちその歌は、﹁春の野ぬにすみれ摘つみにと来こし吾あれぞ、野ぬをなつかしみ一ひと夜よ宿ねにける﹂である。 スミレは今、いろいろのスミレの種類を総称するような名ともなっていれど、その中で特にスミレというのは、スミレ品類中一等優品で、濃のう紫しし色ょくの花を開く無むけ茎いせ性いそ叢うせ生いし種ゅの名であって、これを学名では、Viola mandshurica W. Beck. といっている。満州︹中国の東北地方一帯︺にも産するので、それで mandshurica︵﹁満州の﹂という意味︶の種名がついている。 そして日本にはスミレの品種が実に百種ほど︵変種を入れるとこれ以上︶もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれを観みれば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。 スミレ、すなわち Viola mandshurica W. Beck. は宿しゅ根っこ草んそうで、葉は一株かぶに叢そう生せいし長ちょ葉うよ柄うへいがあり、葉よう面めんは長形で鈍どん鋸きょ歯しがある。葉と同じ株かぶから花かけ茎いを抽ひいて花が咲くのだが、花は茎けい頂ちょうに一輪りん着つき、側そく方ほうに向こうて開いている。花かけ茎いにはかならずその途中に狭きょ長うちょうな苞ほうがほとんど対たい生せいして着ついており、花には緑色の五萼がく片へんと、色のある五花かべ弁んと、五雄ゆう蕊ずいと、一雌しず蕊いとがある。花かけ茎いは一株から一、二本、肥こえた株では十本余りも出ることがある。そして濃のう紫しし色ょくの花が、いつも人ひと目めを惹ひくのである。 五片へんの花弁中、下方の一花弁には、後うしろに突き出た距きょと称するものを持っている。元がん来らい、このスミレの花は虫ちゅ媒うば花いかなれども、今こん日にちではたいていのスミレ類は果実が稔みのらない。そして花の済すんだ後に、微びし小ょうなる閉へい鎖さ花かがしきりに生じて自じか家じゅ受せ精いをなし、能よく果実ができる特性がある。ゆえにスミレの美び花かはまったくむだに咲いているわけだ。しかしここにいう Viola mandshurica W. Beck. のスミレは、その常じょ花うかの後で能よく果実の稔みのっているものを見かけることがある。このスミレもその後では、しきりと閉へい鎖さ花かによっての果実が続々とできるのである。 いったい、スミレの花は昆虫に対し、とても巧こう妙みょうにできている。まず花は側そく方ほうに向いているので、昆虫が来て止まるに都つご合うがよい。花弁は上の方に二片へん、両側に二片、下の方に一片がある。そしてこの一片の後方に一つの距きょのあることは、前に記したとおりである。 花が開いていると、たちまち蜜みつ蜂ばちのごとき昆虫の訪問がある。それは花の後うしろにある距きょの中の蜜みつを吸いに来たお客様である。さっそく自分の頭を花中へ突き入れる。そしてその嘴くちばしを距きょの中へ突き込むと、その距きょの中に二つの梃て子このようなものが出ていてそれに触ふれる。この梃て子こようのものは、五雄ゆう蕊ずい中の下の二雄ゆう蕊ずいから突き出たもので、昆虫の嘴くちばしがこれに触ふれてそれを動かすために、雄ゆう蕊ずいの葯やくが動き、その葯やくからさらさらとした油あぶ気らけのない花粉が落ちて来て、昆虫の毛のある頭へ降りかかる。 そしてこの昆虫がよい加かげ減ん蜜みつを吸うたうえは、頭に花粉をつけたままこの花を辞じし去って他の花へ行く。そして同じく花中へ頭を突き込む。その時、前の花から頭へつけて来た花粉を今度の花の花かち柱ゅう、それはちょうど昆虫の頭のところへ出て来ている花柱の末まっ端たんの柱ちゅ頭うとうへつける。この柱頭には粘ねん液えきが出ていて、持って来た花粉がそれに粘ねん着ちゃくする。花粉が粘着すると、さっそく花粉管が花粉より延のび出て、花柱の中を通って子しぼ房うの中の卵らん子しに達し、それから卵子が生長して種子となるが、それと同時に子房は成熟して果実となるのである。 実にスミレ類は、このように昆虫とは縁の深い関係になっているのである。しかしかく昆虫に努力させても、花が果実を結ばず無む駄だ咲ざきをしているものが多いのは、まことにもったいなき次しだ第いである。それはちょうど水すい仙せんの花、ヒガンバナの花などと同じ趣おもむきである。 スミレの葉は花か後ごに出るものは、だんだんとその大きさを増し、形も長三角形となって花の時の葉とはだいぶ形が違ってくる。 スミレの果実は三殻かく片へんからなっているので、それが開かい裂れつするとまったく三つの殻かく片へんに分かれる。そしてその各殻かく片へん内ないに二列に並ならぶ種子を持っている。殻かく片へんが開いたその際は、その種子があたかも舟に乗ったように並んでいるのだが、その殻かく片へんがだんだん乾かわくと、その両縁が内方に向こうて収しゅ縮うしゅく、すなわち押し狭せばめられ、ついにその種子を圧あっ迫ぱくして急に押し出し、それを遠くへ飛ばすのである。なんの必要があってかく飛ばすのか、それは広く遠近の地面へ苗なえを生はえさせんがためなのである。 またそれのみならず、その種子には肉にく阜ふ︵カルンクル︶と呼ぶ軟なん肉にくが着ついていて、これが蟻ありの食物になるものだから、その地面に転ころがっている種子を蟻ありが見つけると、みなそれをわが巣すに運び入れ、すなわちその軟なん肉にくを食い、その堅かたい種子をばもはや不用として巣の外へ出し捨てるのである。この出された種子は、その巣の辺で発はつ芽がするか、あるいは雨あま水みずに流され、あるいは風に飛んで、その落ちつく先で発芽する。かくてそのスミレがそこここに繁はん殖しょくすることになる。このように、この肉にく阜ふが着ついている種子はクサノオウ、キケマン、タケニグサなどのものもみなそうで、いずれもみな蟻ありへのごちそうを持っているわけだ。かく植物界のことに気をつけると、なかなかおもしろい事こと柄がらが見いだされるのである。 春いちはやく紫の花が咲くスミレにツボスミレ︵今こん日にちの植物界ではこれをタチツボスミレといっていれど、これは畢ひっ竟きょう不用な名でツボスミレが昔からの本名である︶というものがある。このツボスミレもはやく歌人の目にとまり、万葉の歌に 山ぶきの咲きたる野の辺べのつぼすみれ この春の雨にさかりなりけり 茅つば花な抜く浅あさ茅ぢが原のつぼすみれ いまさかりなり吾あが恋おもふらくは がある。このツボスミレは前記のとおり紫花の咲くスミレで、他のスミレよりは早く開花する。野の辺べではこのツボスミレが最も早く咲き、且かつたくさんに咲くので、そこで歌人の心を惹ひきつけたのであろう。ツボスミレは壺つぼ︵内なか庭にわのこと︶スミレ、すなわち庭スミレの意である。花の後うしろの距きょが壺つぼの形をしているからツボスミレという、という古い説はなんら取るに足たらない僻ひが事ごとである。 昔から菫の字をスミレだとしているのは、このうえもない大間違いで、菫はなんらスミレとは関係はない。いくら中国の字じて典んを引いて見ても、菫をスミレとする解説はいっこうにない。昔の日本の学者が何に戸とま惑どうたか、これをスミレだというのはばからしいことである。それを昔から今こん日にちに至るまでのいっさいの日本人が、古い一人の学者にそう瞞まん着ちゃくせられていたのは、そのおめでたさ加かげ減ん、マーなんということだろう。 菫きんという植物は元がん来らい、圃はたけに作る蔬そさ菜いの名であって、また菫きん菜さいとも、旱かん菫きんとも、旱かん芹きんともいわれている。中国でも作っていれば、また朝鮮にも栽培せられて食用にしている。植物学上の所属はカラカサバナ科で、その学名は Apium graveolens L. である。これは西洋でも食用のため作られていて、かのセロリ︵Celery︶がそれである。今こん日にちではこの和わめ名いをオランダミツバというから、すなわち菫は確たしかにオランダミツバとせねばならなく、それがけっしてスミレではないことを、だれでも承知していなければならない。昔文ぶん禄ろく・慶けい長ちょうの役えきの時、加藤清きよ正まさが朝鮮からこの種子を持って来たというので、このオランダミツバに昔キヨマサニンジンの名があった。 パンジーはスミレ属の一種で、三さん色しきスミレと呼ばれる。すなわち、一花に三つの色があるというのである。 スイート・バイオレットはニオイスミレで園芸品となっている。通常紫色の花が咲き、香においが高いから、香こう気きを好すく西洋人に大いに貴とうとばれている。いったい日本人は花の香においに冷れい淡たんで、あまり興味を惹ひかないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花かこ香うを尊そん重ちょうする。かの素そけ馨い︹ジャスミン︺などは大いに中国人に好かれる花の一つで、市場で売っており、薔ば薇らの瑰まいかい︵日本の学者はハマナシ、すなわち誤っていうハマナスを瑰まいかいとしていれど、それはむろん誤りである︶も同国人に貴とうとばれ、その花に佳かこ香うがあるので茶に入れられる。ゆえに Tea rose の名がある。サクラソウ
サクラソウはよく人の知っている花かそ草うで、どんな人にでも愛せられる。またその名もよくつけたもので、まことにその花にふさわしい名称である。通常桜草と書いてあるが、これはもとより中国名すなわち漢名ではなく、単にサクラソウを漢字で書いたものたるにすぎなく、サクラソウには中国名はない。 そしてその学名は Primula Sieboldi Morren forma spontanea Takeda. であるが、この学名の中にある forma は品の義でその変わり品を示しており、spontanea は自じせ生いの意、種名の Sieboldi はかの有名なシーボルトの人名であり、属名の Primula は最初の義で、畢ひっ竟きょう花の早はや咲ざきを意味したものである。 サクラソウは平野に生ずるが、また山の高原地にも見られる。しかしそう普ふへ遍んて的きにどこにもあるものではない。東京付近では、かの田たじ島まの原にたくさん咲くので、そこは天然記念物に指定せられている。また信州︹長野県︺軽井沢の原にもあり、また遠く九州豊ぶん後ご︹大分県︺の日ひ田た地方にもあるといわれている。 宿しゅ根っこ草んそうで、これを人家の庭に栽うえても能よく育ち、毎年花が咲いてかわいらしい。葉は一株かぶから二、三枚ほど出いでて毛がある。長い葉よう柄へいを具そなえ、葉よう面めんは楕だえ円んけ形いで重じゅ鋸うき歯ょしがあり、葉よう質しつは軟やわらかくて皺しわがある。四月ごろ花かけ茎いが葉よりは高く立ち、茎けい頂ちょうに繖さん形けいをなして小しょ梗うこうある数花が咲く。花か下かに五裂れつせる緑りょ萼くがくがあり、花かか冠んは高こう盆ぼん形けいで下は花かと筒うとなり、平へい開かいせる花かめ面んは五片へんに分かれ、各片の頂いただきは二裂れつしていて、その状すこぶるサクラの花に彷ほう彿ふつしている。花の直径はおよそ二センチメートルばかりで、花色は紅こう紫しし色ょくであるが、たまに白花のものに出で逢あう。花かと筒う内には五雄ゆう蕊ずいと一雌しず蕊いとがあって、雌蕊のもとに一子しぼ房うがある。 このサクラソウの園芸的培養品にはおよそ二、三百の変わり品があって、みなこれまでの熱心な園芸家により、苦心して作り出されたものである。これは世界中に類のないもので、大いにわが邦くにの誇ほこりとするに足たる花である。 ここに最も興味のあることは、このサクラソウ︵同属の他の種も同様︶の花には二様の差があって、それが株によって異なっている事実である。すなわち一方の花は五つの雄ゆう蕊ずいが花かと筒うの入口直下についていて、その雌しず蕊いの花かち柱ゅうは短い。また一方の花は雄ゆう蕊ずいが花かと筒うの中途についていて、その花柱は長く花筒の口に達している。すなわち前者は高こう雄ゆう蕊ずい短たん花かち柱ゅうの花であり、後者は低てい雄ゆう蕊ずい長ちょ花うか柱ちゅうの花である。 ゆえにこれらの花は自分の花粉を自分の柱ちゅ頭うとうに伝うることができず、是ぜ非ひともそれを持ってきてくれる何者かに依いら頼いせねばならないように、自然がそう鉄てっ則そくを設もうけている。まことに不自由な花のようだが、実はそれがそう不自由でないのはおもしろいことではないか。なんとなれば、そこには花粉の橋はし渡わたし役を勤つとめるものがあって、断たえずこの花を訪おとずれるからである。そしてその訪問者は蝶ちょ々うちょうである。花の上を飛び回まわっている蝶々は、ときどき花に止まって仲なこ人うどとなっているのである。 今、蝶ちょうが来て高こう雄ゆう蕊ずい低てい花かち柱ゅうの花に止まったとする。すなわちその長い嘴くちばしをさっそく花に差し込んで、花かて底いの蜜みつを吸う。その時その嘴くちばしに高こう雄ゆう蕊ずいの花粉をつける。次にこの蝶が低てい雄ゆう蕊ずい高こう花かち柱ゅうの花に行き、その嘴くちばしを花に差し込む。そうすると低てい雄ゆう蕊ずいの花粉がその嘴くちばしに付着するばかりでなく、前の花の高雄蕊からつけて来た花粉を高こう花かち柱ゅうの柱ちゅ頭うとうにつける。また右の低雄蕊の花からその低雄蕊の花粉をつけて来た蝶は、その花粉を低てい花かち柱ゅうの柱頭につける。 このようにその花の受精するのは、どうしても他の花から花粉を持って来てもらわぬ限りそれができないから、自分の花粉で自分の花の受精作用はまったく不可能である。他た花かの花粉で、自分の花の受精作用を行わんがために、このサクラソウの花は雄ゆう蕊ずいの位置に上下があり、雌しず蕊いの花柱に長短を生じさせているのである。天てん然ねんの細さい工くは流りゅ々うりゅう、まことに巧こう妙みょうというべきではないか。こうなると他家結婚ができ、したがって強力な種子が生じ、子しそ孫んは繁んし殖ょくには最も有利である。 植物でも自家受精、すなわち自家結婚だと自然種子が弱いので、そこで他家受精すなわち他家結婚して強きょ壮うそうな種子を作ろうというのだ。植物でこんな工くふ夫うをしているのはまことに感かん嘆たんに値あたいする。今それを人間にたとうれば、同族結婚を避さけて他族結婚をしたこととなる。実際縁えんの近い人同士の結婚はあまり有利でなく、これに反して縁の遠い人同士の結婚が有利である。それゆえイトコ同士の結婚などはあまり褒ほむべきものではなく、強きょ健うけんな子供を欲ほしいと思えば、縁類でない他の家から嫁をもらうべきである。前述のとおりサクラソウでさえ、自家結婚を避けて他家結婚を歓かん迎げいしているではないか。言い古した言葉だが、﹁人にして草に如しかざるべけんや﹂である。 日本にはサクラソウ属の種類がおよそ三十種ばかりもあるが、その中で一番りっぱで大きな形のものはクリンソウで、これは世界中でも有名なものである。温室内にあるサクラソウ類には中国産のものが多く、シナサクラソウ、オトメザクラ、ハルコザクラなどはその名が高い。とにかく、観賞花としてサクラソウの類は、上じょ乗うじょうなものである。ヒマワリ
ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽さい培ばいせられている。そしてわが邦くにへはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう。今はわが国内でもあまねく諸州で作られている。通常は観賞花草として栽うえられているばかりで、その実を食らい、あるいはそれから油を搾しぼるなどのことはやっていないようだ。つまり有用植物としては顧かえりみられないでいる。 世せじ人んは一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回まわるということを信じているが、それはまったく誤りであった。先年私が初めてこれを看かん破ぱし、﹁日まわり日に回まわらず﹂と題して当時の新聞や雑誌などに書いたことがあった。つまりヒマワリの花は側方に傾かたむいて咲いてはいれど、日に向こうてはいっこうに動かないことは、実地についてヒマワリの花を朝から夕まで見つめていれば、すぐにその真相がわかり、まったくくたびれもうけにおわるほかはない。 このヒマワリの花が日光を追うて回るということは、もと中国の書物から来たものだ。それは﹃秘ひで伝んか花きょ鏡う﹄という書物に次のとおり書いてある。すなわち、 ﹁向ひま日わ葵り、毎まい幹かんの頂ちょ上うじょうに只ただ一いっ花かあり、黄おう弁べん大たい心しん、其その形盤ばんの如ごとく、太陽に随したがいて回転す、如もし日が東に昇のぼれば則すなわち花は東に朝むかう、日が天に中なかすれば則すなわち花直ただちに上に朝むかう、日が西に沈しずめば則すなわち花は西に朝むかう﹂ である。これが、ヒマワリの日に向こうて回転する、という中国での説である。 ヒマワリはキク科に属する一年生草そう本ほんで、その学名を Helianthus annuus L. と称し、俗に Sunflower といわれている。すなわち太陽花、すなわち日にち輪りん花かである。右属名の Helianthus は、これまた同じく Sunflower と同義で日にち輪りん花かを意味し、種名の annuus は一年生植物の義である。なぜこの花を日にち輪りん、すなわち太陽にたとえたかというと、あの大きな黄色の花かば盤んを太陽の面とし、その周辺に射しゃ出しゅつしている舌状花弁を、その光線に擬なぞらえたものだ。 中央に広く陣じん取どって並ならんでいる管かん状じょう小花は、その平へい坦たんな花かた托くめ面んを覆おおい埋うめ、下に下かい位し子ぼ房うを具そなえ、花かか冠んは管状をなして、その口五裂れつし、そして管状内には集しゅ葯うやく的に連合した五雄ゆう蕊ずいがあり、中央に一本の花かち柱ゅうがあって右の葯やく内を通り、その柱ちゅ頭うとうは二岐きしている。花の後のちには子しぼ房うが成熟して果実となり、果中に一種子があり、種皮の中には二子しよ葉うを有する胚はいがある。春にこの種子を播まけば能よく生ずる。はじめ緑色の二枚の子しよ葉うが開展し、その中央から茎くきが出て葉を着つける。そしてその胚には油を含ふくんでいる。 茎くきは巨大で、高さが二メートル以上にも達し、あたかも棒のようである。 葉は広くて、長ちょ葉うよ柄うへいを具そなえ、茎に互ごせ生いしており、広こう卵らん形けいで三大脈を有して、葉よう縁えんに粗そき鋸ょ歯しがあり、茎くきと共ともにざらついている。茎くきの頂いただきに一花あるものもあれば、また分ぶん枝ししてその各枝した端んに一輪りんずつの花を着つけるものもある。また品種によって花に大小があり、その大なるものは直径およそ二十センチメートルばかりもあろう。 このヒマワリの花は、他のキク科植物と同じく集合花で、そのおのおのを学問上で小フロ花レットと称する。すなわち、この小花が集まって一輪の花を形作っている。こんな集合花を、植物学上で頭とう状じょ花うかと称する。キク科の花はいずれもみな頭状花である。つまり寄より合い世せた帯い、すなわち一の社会を組み立ている花である。そしてこの寄り合い世帯には、分業が行われてたいへんにこの花に利益をもたらし、それがためにたくさんな種子がよく稔みのることになっている。 ヒマワリの花は虫ちゅ媒うば花いかである。昆虫が花の蜜みつを吸すいに来て、花かば盤んめ面んにあるたくさんな小花の上を這はい回ると、花が一度に受じゅ精せいする巧こう妙みょうな仕組みになっている。これは他のキク科植物も同様である。 右に分業といったが、すなわち、花かば盤ん上にある小花はもっぱら生殖を司つかさどり、周辺にある舌ぜつ状じょう小花は、昆虫に対する目めじ印るしの看かん板ばんと併あわせて生殖を担たん当とうしている。こんな分業などが能よく行われ、且かつ受精が巧こう妙みょうに行ゆきわたり、また種子の分ぶん布ぷも巧たくみなので、キク科植物は地球上で最も進歩発達した花である、と評価せられている。そしてキク科植物は、他のいずれの科のものよりも勝まさってたくさんな種類を含み、はなはだ優勢である。 ヒマワリの姉しま妹いひ品んにキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L.︵この種名は塊かい茎けいを有する意︶と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ︵馬ばれ鈴いし薯ょというは大間違い︶のような塊かい茎けいが生じて食用になるのだが、それにまったく澱でん粉ぷんはなく、ただイヌリン︵ゴボウと同様︶があるのみである。味は淡たん白ぱくであって美う味まくないから、だれも食料として歓かん迎げいしない。しかれども方法をもってすれば、砂さと糖うが製せられるから捨てたものではない。ユリ
中国に百合という一種のユリがあって、白い花が咲く。これは中国の特産であって、日本には見ることがない。そして百合は、独ひとりこの白花ユリ︵Lilium sp. 種名未詳︶の専有する特名である。 百合とは、その地下の球根︵植物学上でいえば鱗りん茎けい︶に多くの鱗りん片ぺんがあって層そう々そうと重なっているから、それでそう百合というとのことである。 ところが日本の諸学者はだれでも百合はササユリ︵学名は Lilium Makinoi Koidz.︶であるといっている。しかしササユリは、日本の特産で中国には産しないから、もとよりこのユリに中国名の百合の名があるわけはない。この一点をもってしても、ササユリが百合ではないことが判わかる。そして日本ではなお百合をユリの総名のように思っており、ユリといえばよく百合と書いているが、それはまったく間違っている。 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合に当たるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世せけ間んの女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮か名なでユリ子と書けば問題はないことになる。 右のような次しだ第いだから、実を言えば、百合の字面を日本のユリからは追つい放ほうすべきもので、ユリの名はその語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリの茎くきが高く延のびて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花が揺ゆれるから、それでユリというのだ、といっていることがある。 ユリの諸種はみな宿しゅ根っこ草んそうである。地下に鱗りん茎けい︵俗にいう球根︶があって、これが生命の源みなもととなっている。すなわち茎けい葉ようは枯かれても、この部はいつまでも生きていて死なない。 右、鱗りん茎けいは白色、あるいは黄色の鱗りん片ぺんが相あい重かさなって成なっているが、この鱗りん片ぺんは実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯たくわえている役目をしているから、それで多たに肉くとなり、多量の澱でん粉ぷんを含んでいる御おく蔵らをなしているが、それを人が食用とするのである。右の鱗片が相あい擁ようして塊かたまり、球をなしているその球の下に叢そう生せいして鬚ひげ状じょうをなしているものが、ユリの本当の根である。そしてなお鱗りん茎けいから出ている一本の茎くきにも、その地中部には真の根が横おう出しゅつして生はえている。 茎くきは鱗りん茎けい、すなわち球根から一本出いでて直立し、狭きょ長うちょうな葉がたくさんそれに互ごせ生いしている。茎くきの梢こずえは多くは分ぶん枝しして花を着つけているが、花はみな美しくて香こう気きのあるものが少なくない。そして花は上うわ向むきに咲くものもあれば、横向きに咲くものもあり、また下向きに咲くものもあって、みな小しょ梗うこうを有している。 花は花かが蓋い︵萼がく、花弁同様な姿をしているものを、便べん宜ぎのため植物学上では花かが蓋いと呼んでいる︶が六片ぺんあるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が萼がく片へんであり、内列の三片が花弁である。そしてそのもとの方の内面には、よく蜜みつが分ぶん泌ぴつせられているのが見られる。六本の雄ゆう蕊ずいがあって、おのおのが花かが蓋いへ片んの前に立っており、長い花か糸しの先にはブラブラと動く葯やくがあって、たくさんな花粉を出している。この花粉には色があって、それが着物に着つくと、なかなかその色が落ちないので困る。ゆえに、人によりユリの花を嫌きらうことがある。 花の底には一つの緑色の子しぼ房うが立っており、その頂いただきに一本の長い花かち柱ゅうがあり、その末まっ端たんはすなわち柱ちゅ頭うとうで三さん耳じけ形いを呈ていし、粘ねん滑かつで花粉を受けるに都つご合うよくできている。右のように花の中にある子しぼ房うをば、植物学上では上じょ位うい子しぼ房うといっている。 ユリの花は著いちじるしい虫ちゅ媒うば花いかで、主として蝶ちょ々うちょうが花を目め当あてに頻ひん々ぴんと訪問する常じょ得うと意くいである。それで美びれ麗いな花かし色ょくが虫を呼ぶ看かん板ばんとなっており、その花かこ香うもまた虫を誘さそう一つの手て引びきを務つとめている。訪問客、すなわち蝶々はその長い嘴くちばしを花中へ差し込み、花かが蓋いのもとの方の内面に分ぶん泌ぴつしている蜜みつを吸すうのである。その時、その虫の体も嘴くちばしも葯やくに触ふれて、その花粉を体や嘴くちばしに着つける。そして他の花へ飛びあるいた時、その着つけて来た花粉を粘ねん着ちゃくする雌しず蕊いの柱ちゅ頭うとうへ、知らず知らず着つけるのである。すなわち蝶と花とが、利益の交こう換かんをやっているわけだ。こうしてユリは子しぼ房うの中の卵らん子しが孕はらみ、のち種子となって、子孫を継つぐ基もといをなすのである。 たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻けん丹たんの名がある。それは花かが蓋いへ片んが反はん巻かんし、且かつ丹あかいからである。このオニユリの球根、すなわち鱗りん茎けいは白色で食用になるのであるが、少しく苦にが味みがある。このユリの特とく徴ちょうは葉よう腋えきに珠しゅ芽がが生ずることである。これが地に落ちれば、そこに仔しび苗ょうが生ずるから繁はん殖しょくさすには都つご合うがよい。 またこのオニユリは往おう々おう圃はたけに作ってあるが、なお諸処に野やせ生いもある。おもしろいことには東京地方へ旅行すると、農家の大きな藁わら葺ぶき屋根の高い棟むねにオニユリが幾いく株かぶも生はえて花を咲かせている風ふぜ情いである。オニユリの花は通常一ひと重えであるが、時に八や重え咲ざきのものが見られ、これを八やえ重てん天が蓋いと称するが、テンガイユリはオニユリの一名である。 ヤマユリはりっぱなユリであって、関東諸国に野やせ生いし、また人家にも作られている。大きな花が咲き、その満まん開かいの時はよく香におう。その花かが蓋いへ片んは元がん来らいは白色だが、片面に褐かっ赤せき色しょくの斑はん点てんがある。花かが蓋いへ片んの中央紅べに色いろの深いものはベニスジユリと唱となえ珍ちん重ちょうせられるが、これは園芸的の品である。ハクオウというのは、花かが蓋いへ片んが白くて斑はん点てんなく中央に黄きす筋じの通っているもので、これも園芸品である。 ヤマユリの球根は、食用として上じょ乗うじょうなものである。ゆえに古いにしえより、料理ユリの名がある。またその産地に基もとづいてヨシノユリ、ホウライジユリ、エイザンユリ、ウキシマユリの名がある。元がん来らい、ヤマユリの名は、ササユリの一名であるところのヤマユリの名と重複するので、今のヤマユリは、これをヨシノユリか、あるいはリョウリユリと呼んだならきわめてよいと思われる。ヤマユリの名は、なんとなく土つち臭くさい感じがして、いっこうに上品に聞こえない。 このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。日本の学者は﹃汝じょ南なん圃ほ史し﹄という中国の書物にある天香百合をヤマユリだとしていれど、それはむろん誤りである。 ヤマユリは、輸出向きには一等重要なユリである。従来非常にたくさんなこのユリ根が外国に輸出せられたが、これからも漸ざん次じにその盛せい況きょうを見るに至るであろう。 ササユリは、関西諸州の山地には多く野やせ生いしているが、関東地方には絶たえてない。しかし関西の地でも、あまり人家には作っていない。茎くきは九〇〜一二〇センチメートルに成長して立ち、なんとなく上品な色を呈ていし、花も淡たん紅こう色しょくで、すこぶる優ゆう雅がである。前記のとおり、このユリにもヤマユリの名があり、またサユリという名もある。サユリはサツキユリの略されたもので、それは早さつ月き︵旧暦の五月、今こん日にちでは六月に当たる︶のころに花が咲くからそういうのである。 カノコユリは、きわめて華か美びな花が咲く。花色紅こう赤せき色しょくで、濃のう紅こう色しょくの点がある。日本のユリ中、最も優すぐれた花色を呈ていしている。このユリは四国、九州には野生があって、いつも断だん崖がいの所に生じている。ゆえにその茎くきは向こうに突き出いで、あたかも釣つり竿ざおを差し出したようになっており、その先に花が下向いて咲いている。ゆえに土と佐さ︹高知県︺では、これをタキユリというのだが、同国では断だん崖がいをタキと称するからである。変種に白花の品と淡たん紅こう色しょくの品とがあって、その淡紅色のものをアケボノユリ︵新称︶といい、白花のものをシラタマユリと呼んでいる。これは共ともに園芸品である。 テッポウユリは沖繩方面の原産で、筒つつの形をした純白の花が横向きに咲き、香こう気きが高い。このユリを筑ちく前ぜん︹福岡県北東部︺では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著ちょ名めいなもので、その球根が大量に外国に出て行く。 サクユリは、伊いず豆しち七と島うにおける八はち丈じょ島うじまの南にある小島青ヶ島の原産で、日本のユリ中、最も巨大なものである。花は純白で香こう気き強く、実にみごとなユリで、この属中の王様である。球根もきわめて大きく、鱗りん片ぺんも大形で肉厚く黄色を呈ていし、食用ユリとしても上位を占しむるものといってよろしい。 スカシユリは、ふつうに栽さい培ばいして花を咲かせていて、その花色には赤、黄、樺かば︹赤みを帯おびた黄色︺などがある。花は上向きに咲き、花かが蓋いへ片んのもとの方がたがいに透すいているので、スカシユリの名がある。諸国の海岸に野やせ生いしているユリに、ソトガハマユリとも、テンモクユリとも、ハマユリとも、またイワトユリともいう樺かば色いろ花かのユリがあるが、これは右スカシユリの原種である。東京付近では房ぼう州しゅう︹千葉県の南部︺、相そう州しゅう︹神奈川県︺、豆ずし州ゅう︹伊豆半島と伊豆七島︺へ行けば得られる。 コオニユリは、オニユリに似て小さいというのでこの名があるが、一にスゲユリともいわれる。それは葉が狭きょ長うちょうだからである。山地向こう陽ようの草中に野生し、オニユリのごとき丹たん赤せき色しょくの花が咲き、暗あん褐かっ色しょくの斑はん点てんがある。球根は食用によろしい。 ヒメユリはその名の示すごとく可かれ憐んなユリである。関西地方から九州にかけて山野に野生があるが、そう多くはない。茎くきは六〇〜九〇センチメートルに立ち、狭きょ葉うようを互ごせ生いし、梢こずえに少数の枝を分かちて、きわめて美びれ麗いな真赤色の花が上向きに咲く。この一変種に、コヒメユリというのがある。茎くきは細長く花は茎けい末まつに一、二輪りん咲く。この品は野生はなく、まったく園芸品である。 クルマユリは、その葉が車しゃ輪りん状じょうをなしているので、この名がある。花は茎けい梢しょうに一花ないし数花点てん頭とうして咲き、反はん巻かんせる花かが蓋いめ面んに暗点がある。高こう山ざん植物の一つであるが、羽うぜ前ん︹山形県︺の飛とび島しまに生はえているのは珍しいことである。 右のほかヒメサユリ、タケシマユリ、タツタユリ、ハカタユリ、カサユリなどの種類がある。ウバユリというのは異いさ彩いを放ったユリで、もとはユリ属︵Lilium︶に入れてあったが、私はこれをユリ属から独立させて、Cardiocrinum なる別属のものとしている。その葉はユリの諸種とは違い、広こう闊かつなる心臓形で網もう状じょ脈うみゃくを有し、花は一茎に数花横向きに開き、緑りょ白くは色くしょくで左右相称状になっている。鱗りん茎けいの鱗りん片ぺんもきわめて少なく、花が咲くとその鱗りん茎けいは腐ふ死しし、その側に一、二の仔しび苗ょうを残すにすぎない特状がある。この属のもの日本に二種、一はウバユリ、二はオオウバユリである。インド・ヒマラヤ山地方に産する偉大なウバユリ、すなわちヒマラヤウバユリもこの属に属する。 輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていたが、戦争で頓とん挫ざしていたけれども、これからふたたび、前日のような盛せい況きょうを見るであろうことは請うけ合いで、わが邦くに園芸界のために、大いに祝しゅくしてよろしい。その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。これらのユリは、日本でなるべくその球根を大きくなるように培ばい養ようして、その球根を輸出する。先方ではそれを一年作って、さらにその大きさを増さしめ、そして次じね年んに勢いきおいよく花を咲かせてその花を賞しょ翫うがんする。花が咲いた後、弱った球根は捨てて顧かえりみない。 ゆえに年ねん々ねん歳さい々さい日本から断たえず輸入する必要があるので、この貿易は向こうの人の花の嗜しこ好うが変わらぬ以上いつまでも続くわけで、日本はまことにまたと得がたい良い得意先を持ったものだ。また、良いユリをも持ったものだ。万ばん歳ざい万ばん歳ざい。ハナショウブ
ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦くにの特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。アメリカでは、花ショウブ会ができているほどなのであるが、その本国のわが邦くにでは、たいした会もないのはまことに恥はずかしい次しだ第いであるから、大いに奮ふん起きして、世界に負けないようなハナショウブ学会を設立すべきである、と私は提てい唱しょうするに躊ちゅ躇うちょしない。 Iris 属中の各種中で、ハナショウブほど一種中︵ワンスピーシーズ中︶に園芸上の変わり品を有しているものは、世界中に一つもない。これは独ひとり日本の持つ特長である。なんとなれば、ハナショウブを原産する国は、日本よりほかにはないからである。実にハナショウブの品種は、何百通りもあるではないか。 ハナショウブは、まったく世界に誇ほこるべき花であるがゆえに、どこか適当な地を選んで一大花ショウブ園を設計し、少なくも十万平方メートルぐらいある園を設もうけて、各種類を網もう羅らするハナショウブを栽うえ、大いに西洋人をもビックリさすべきである。いまや観光団が来るという矢やさ先きに、こんな大規模のハナショウブ園を新設するのは、このうえもない意義がある。従来、東京付近にある堀ほり切きり、四ツ目などのハナショウブ園は、みな構かまえが小さくて問題にならぬ。 花ショウブは、元がん来らい、わが邦くにの山野に自生している野のハナショウブがもとで、それを栽培に栽培を重ねて生まれしめたものである。ゆえに、このノハナショウブは栽培ハナショウブの親である。昔かの岩いわ代しろ︹福島県の西部︺の安あさ積かの沼のハナショウブを採とり来って、園芸植物化せしめたといわれるが、それはたぶん本当であろう。 しかしハナガツミというものがその原種だというのは、妄もう説せつであると私は信ずる。そしてその歌の、﹁陸みち奥のくのあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋やわたらむ﹂の花ガツミはマコモ、すなわち真まこ菰もの花を指さしたもので、なんらこのハナショウブとは関係はないが、園養のハナショウブを美び化かせんがために、強しいてこの歌を引用し、付ふか会いしているのは笑しょ止うしの至りである。 ハナショウブの花は千せん差さば万んべ別つ、数百品もあるであろう。かつて三みよ好しま学なぶ博士が大学にいる間に、﹃花はな菖しょ蒲うぶ図ず譜ふ﹄を著あらわして公おおやけにしたが、まことに篤とく志しの至りであるといってよい。われらはこの図ず譜ふによって、明治末年前後のハナショウブ花かひ品んを窺うかがうことができるわけだ。そしてハナショウブを花菖蒲と書くのは、実は不正な書きかたで、ショウブは菖蒲から書いた名ではあれど、ショウブはけっして菖蒲ではない。 ハナショウブの花は、その構造はアヤメやカキツバタと少しも変わりはない。ただ花の器官に大小広こう狭きょう、ならびに色しき彩さいの違いがあるばかりだ。すなわち最さい外がいの大きな三片ぺんが萼がく片へんで、次にある狭せまき三片が花かべ弁んである。三つの雄ゆう蕊ずいは幅広き花かち柱ゅう枝しの下に隠れて、その葯やくは黄色を呈ていしており、中央の一花かち柱ゅうは大きな三枝しに岐わかれて開き、その末まっ端たんに柱ちゅ頭うとうがあり、虫ちゅ媒うば花いかであるこの花に来る蝶ちょ々うちょうが、この柱頭へ花粉を着つけてくれる。花か下かに緑色の一子しぼ房うがあって、直立し花を戴いただいている。子房には小しょ柄うへいがあり、その下に大きな二枚の鞘しょ苞うほうがあって花を擁ようしている。 ハナショウブは、ふつうに水ある泥でい地ちに作ってあるが、しかし水なき畑に栽うえても、能よくできて花が咲く。宿しゅ根っこ性んせ草いそ本うほんで、地ちか下け茎いは横おう臥がしている。茎くきは直立し少数の茎けい葉ようを互ごせ生いし、初しょ夏かの候こう、頂いただきに派は手でやかな大たい花かが咲く。葉は直立せる剣けん状じょうで白はく緑りょ色くしょくを呈ていし、基き部ぶは葉よう鞘しょうをもって左右に相あい抱いだき、葉よう面めんの中央には隆りゅ起うきせる葉よう脈みゃくが現あらわれている。花が了おわると果実ができ、熟じゅくしてそれが開かい裂れつすると、中の褐かっ色しょく種子が出る。 ハナショウブとは花の咲くショウブの意で、そしてその葉の大きさは、ちょうどショウブと同じくらいである。ところが元がん来らい、菖蒲と言う中国名、すなわち漢かん名めいは、実はしょせんショウブそのものではなく、ショウブは白菖と書かねば正しくない。そして菖蒲と書けば、本当はセキショウのことになる。このセキショウはショウブ属︵Acorus︶のものではあれど、ずっと小形な草で溪けい間かんに生じている常じょ緑うりょくの宿しゅ根っこ草んそうであって、冬に葉のないショウブとはだいぶ異なっている。 この水に生はえていて端たん午ごの節せっ句くに用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これを採とるのを﹁アヤメ引く﹂といった。すなわち古こ歌かにアヤメグサとあるのは、みなこのショウブであって、今こん日にちいう Iris のアヤメではない。右ショウブをアヤメといっていた昔の時代には、この Iris のアヤメはハナアヤメであった。右 Acorus 属であるアヤメの名が消えて、今こん名めいのショウブとなると同時に、ハナアヤメの名も消えてアヤメとなった。 ハナショウブの母ぼし種ゅ、すなわち原種のノハナショウブは、関西地方ではドンドバナと称するらしいが、今その意味が私には判わからない。人によっては、道どう祖そじ神んの祭りをトンド祭というとのことであるから、あるいはその時分にノハナショウブが咲くからというので、それでノハナショウブをドンドバナというのかもしれない。ドンドとトンドと多少違いはあるから、あるいはドンドバナはトンドバナというのが本当かも知れない。野やし州ゅう︹栃木県︺日光の赤あか沼ぬまの原では、そこに多いノハナショウブをアカヌマアヤメといっている。 このノハナショウブは、どこに咲いていても紅こう紫しし色ょく一色で、私はまだ他の色のものに出で逢あったことがない。そして花はなかなか風ふぜ情いがある。ヒガンバナ
秋の彼ひが岸んごろに花咲くゆえヒガンバナと呼ばれるが、一般的にはマンジュシャゲの名で通っている。そしてこの名は梵ぼん語ごの曼まん珠じゅ沙しゃから来たものだといわれる。その訳わけは、曼まん珠じゅ沙しゃは朱しゅ華かの意だとのことである。しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼まん珠じゅ沙しゃをこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼まん珠じゅ沙しゃ華げ、すなわちマンジュシャゲとなる。そして中国名は石せき蒜さんであって、その葉がニンニクの葉のようであり、同国では石せき地ちに生じているので、それで右のように石せき蒜さんといわれている。 本種はわが邦くにいたるところに群ぐん生せいしていて、真赤な花がたくさんに咲くのでことのほか著いちじるしく、だれでもよく知っている。毒どく草そうであるからだれもこれを愛あい植しょくしている人はなく、いつまでも野の草であるばかりでなく、あのような美び花かを開くにもかかわらず、いつも人に忌いみ嫌きらわれる傾向を持っている。 とにかく、眼につく草であるゆえに、諸国で何十もの方ほう言げんがある。その中にはシビトバナ、ジゴクバナ、キツネバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴグサ、シタマガリ、シタコジケ、テクサリバナ、ユウレイバナ、ハヌケグサ、ヤクビョウバナなどのいやな名もあるが、またハミズハナミズ、ノダイマツ、カエンソウなどの雅みやびな名もある。そしてその学名を Lycoris radiata Herb. といい、ヒガンバナ科に属する。右種名の radiata は放ほう射しゃ状じょうの意で、それはその花が花かけ茎いの頂いただきに放射状、すなわち車輪状をなして咲いているからである。 野外で、また山面で、また墓場で、また土ど堤てなどで、花が一時に咲き揃そろい、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花かけ茎いが高く直立していて、その末まっ端たんに四、五花かが車くる座まざのようになって咲き、反はん巻かんせる花かが蓋いへ片んは六数、雄ゆう蕊ずいも六数、雌しず蕊いの花かち柱ゅうが一本、花か下かにある。下かい位し子ぼ房うは緑色で各小しょ梗うこうを具そなえている。 ここに不ふ思し議ぎなことには、かくも盛さかんに花が咲き誇ほこるにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無む駄だに咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁はん殖しょくにはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根︵学術上では鱗りん茎けいと呼ばれる︶が、漸ぜん々ぜんに分裂して多くの仔しび苗ょうを作るからである。ゆえに、この草はいつも群集して生はえている。それはもと一球根から二球根、三球根、しだいに多球根と分かれゆきて集っている結果である。 花が済すむとまもなく数条の長い緑りょ葉くようが出いで、それが冬を越こし翌年の三月ごろに枯こ死しする。そしてその秋、また地中の鱗りん茎けいから花かけ茎いが出て花が咲き、毎年毎年これを繰り返している。かく花の時は葉がなく、葉の時は花がないので、それでハミズハナミズ︵葉見ず花見ず︶の名がある。鱗りん茎けいは球きゅ形うけいで黒こく皮ひこれを包み、中は白色で層そう々そうと相あい重かさなっている。そしてこの層をなしている部分は、実に葉のもとが鞘さやを作っていて、その部には澱でん粉ぷんを貯たくわえ自体の養分となしていること、ちょうど水すい仙せんの球根、ラッキョウの球根などと同様である。そしてそこは広い筒つつをなして、たがいに重なっているのである。 近きん来らいは澱でん粉ぷん製造の会社が設立せられ、この球根を集め砕くだきそれを製しているが、白色無毒な良好澱粉が製出せられ、食用に供きょうせられる。元がん来らい、この球根にはリコリンという毒分を含んでいるが、しかしその球根を搗つき砕くだき、水に晒さらして毒分を流し去れば、食用にすることができるから、この方面からいえば、有用植物の一に数かぞうることができるわけだ。 この草の生の花かけ茎いを口で噛かんでみると、実にいやな味のするもので、ただちにそれが毒どく草そうであることが知れる。女の子供などは往おう々おうその茎くきを交こう互ごに短く折おり、皮で連つらなったまま珠じゅ数ずのようになし、もてあそんでいることがある。 ﹃万葉集﹄にイチシという植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信しているが、これは今までだれも説せつ破はしたことのない私の新説である。そしてその歌というのは、 路みちの辺べの壱いち師しの花の灼いち然しろく、人皆知りぬ我が恋妻を である。右の歌の灼いち然しろの語は、このマンジュシャゲの燃ゆるがごとき赤い花に対し、実によい形容である。しかしこのイチシという方言は、今こん日にちあえて見つからぬところから推おしてみると、これはほんの狭せまい一地方に行われた名で、今ははやく廃すたれたものであろう。 このマンジュシャゲ、すなわちヒガンバナ、すなわち石せき蒜さんは日本と中国との原産で、その他の国にはない。外国人はたいへんに球根植物を好くので、ずっと以前にこのマンジュシャゲの球根が、多数に海外へ輸出せられたことがあった。オキナグサ
春に山地に行くと、往おう々おうオキナグサという、ちょっと注意を惹ひく草に出で逢あう。全体に白はく毛もうを被かぶっていて白く見え、他の草とはその外観が異っているので、おもしろく且かつ珍しく感ずる。葉は分ぶん裂れつしており、株かぶから花かけ茎いが立ち十数センチメートルの高さで花を着つけている。花は点てん頭とうして横向きになっており、日光が当たると能よく開く。花の外面に多くの白毛が生じており、六片ぺんの花かへ片ん︵実は萼がく片へんであって花弁はなく、萼片が花弁状をなしている︶の内面は色が暗あん紫しせ赤きし色ょくを呈ていしている。花かな内いに多たゆ雄うず蕊いと多たし雌ず蕊いとがある。わが邦くにの学者はこの草を漢名の白はく頭とう翁おうだとしていたが、それはもとより誤りであった。この白はく頭とう翁おうはオキナグサに酷こく似じした別の草で、それは中国、朝鮮に産し、まったくわが日本には見ない。ゆえに右日本のオキナグサを白はく頭とう翁おうに充あてるのは悪い。 さてこの草をなぜオキナグサ、すなわち翁草というかというと、それはその花が済すんで実になると、それが茎けい頂ちょうに集合し白く蓬ほう々ほうとしていて、あたかも翁おきなの白はく頭とうに似ているから、それでオキナグサとそう呼ぶのである。この蓬ほう々ほうとなっているのは、その実の頂いただきにある長い花かち柱ゅうに白はく毛もうが生じているからである。 この草には右のオキナグサのほかになおたくさんな各地の方言があって、シャグマグサ、オチゴバナ、ネコグサ、ダンジョウドノ、ハグマ、キツネコンコン、ジイガヒゲ、ゼガイソウもその内の名である。右のゼガイソウは、すなわち善ぜん界がい草そうで、これは謡よう曲きょくにある赤しゃ態ぐまを着つけた善ぜん界がい坊ぼうから来た名である。 ﹃万葉集﹄にこの草を詠よみ込んである歌が一つある。すなわちそれは、 芝しば付つきの美みう宇ら良ざ崎きなるねつこぐさ、相見ずあらば我あれ恋こひめやも である。そしてこのネツコグサは、ネコグサの意で、オキナグサを指さしている。花に白毛が多いので、それで猫草といったものだ。 このオキナグサは山さん野やの向こう陽よう地ちに生じ、春早く開花するので、子しじ女ょなどに親しまれ、その花を採とって遊ぶのである。葉は花か後ごに大きくなる。根は多年生で肥ひこ厚うしており、毎年その株の頭部から花、葉が萌ほう出しゅつするのである。 この草はキツネノボタン科に属し、その学名を Anemone cernua Thunb. とも、また Pulsatilla cernua Spreng. ともいわれる。そしてその種名の cernua は点てん頭とう、すなわち傾けい垂すいの意で、それはその花の姿しせ勢いに基もとづいて名づけたものだ。シュウカイドウ
シュウカイドウ、すなわち秋海棠はもと中国原産の植物である。昔寛かん永えい年ねん間かんに日本へ渡り来って、いまは各地に繁はん殖しょくしているが、しかし多くは栽うえられてある。たまに寺の後庭などに野やせ生いの姿となっている所があれど、これは元もとからの野生ではないけれど、人によってはそこに野生があると疑っていることがある。けれどもそれは、まったく思い違いである。 日本では、この中国名の秋海棠を音おん読どくしたシュウカイドウを、そのまま和わめ名いにしているが、さらにヨウラクソウ︵瓔よう珞らく草そうの意︶、ナガサキソウ︵長崎草の意︶の別名があれど、一般にはいわない。 そしてこのヨウラクソウは、花の見立てから来た名、ナガサキソウは、その渡とら来いした地に基もとづき名づけたものである。本品はシュウカイドウ科に属し、Begonia Evansiana Andr. の学名を有しているが、この Begonia 属のものは温室植物として多くの種類がある。みなその茎けい葉ように酸さん味みを含んでいるが、それは蓚しゅ酸うさんである。 秋しゅ海うか棠いどうは宿しゅ根っこ草んそ本うほんであるが、冬は茎くきも葉もなく、春に黒ずんだ地中のタマネ、すなわち球きゅ茎うけいから芽が出て来る。ゆえに一度栽うえておくと、年々生じて開花する。茎くきは立って六〇〜九〇センチメートルの高さとなり枝えだを分わかっている。葉は大形で葉よう柄へいを具そなえ、茎くきに互ごせ生いしている。その葉よう面めんは心臓形で左右不同の歪わい形けいを呈ていし、他の植物の葉とはだいぶ葉形が異なっている。茎と共ともに質が柔やわらかく、元がん来らいは緑色なれども、赤味を帯おびているから美しい。 茎くきの上部に分ぶん枝しし、さらに小しょ梗うこうに分かれて紅こう色しょくの美び花かを着つけ垂たれているが、その花には雄ゆう花かと雌し花かとが雑ざっ居きょして咲いており、雄ゆう花かは花かち中ゅうに黄色の葯やくを球形に集めた雄ゆう蕊ずいがあり、雌し花かは花か下かに三つの翼よくある子しぼ房うがある。このように、一株かぶ上に雄ゆう花かと雌し花かとを持っている植物を、植物学上では一家か花か植物と呼んでいる。すなわち雌しゆ雄うど同うし株ゅ植物である。 中国の書物には、秋しゅ海うか棠いどうを一に八月春と名づけ、秋しゅ色うし中ょくちゅうの第一であるといい、花は嬌きょ冶うや柔じゅ媚うびで真に美人が粧よそおいに倦うむに同じと讃さん美びしている。また俗ぞく間かんの伝説では、昔一女子があって人を懐おもうてその人至らず涕てい涙るい下って地に洒そそぎ、ついにこの花を生じた。それゆえ、この花は色が嬌あでやかで女のごとく、よって断だん腸ちょ花うかと名づけたとある。実際にその咲いている花に対せば淡たん粧しょう美人のごとく、実にその艶えん美びを感かん得とくせねば措おかない的のものである。 栽培はきわめて容易で、家の後うしろなどに栽うえておくと年々能よく繁はん茂もして開花する。その茎けい上じょうに小しょ珠うし芽ゅがができて地に落ちるから、それから芽が出て新しん株しゅが殖ふえる特性を有している。 日本にはこのシュウカイドウ科の土どさ産ん植物は一つもなく、ただあるものは外国渡とら来いの種類のみである。温室内にあるタイヨウベゴニア︵大葉ベゴニア︶は、大なる深しん緑りょ色くし葉ょく面ようめんに白はく斑てんがあって、名高い粧しょ飾うしょく用の一種である。ドクダミ
ドクダミと呼ぶ宿しゅ根っこ草んそうがあって、たいていどこでも見られる。人じん家かのまわりの地にも多く生じており、摘つむといやな一種の臭しゅ気うきを感ずるので、よく人が知っている。また民間ではこれを薬用に用いるので有名でもある。ドクダミとは毒どく痛いたみの意だともいわれ、またあるいは毒を矯ため除のぞくの意だともいわれ、身体の毒を追い出すに使われている。また頭とう髪はつを洗うにも使われ、またあるいは風ふ呂ろに入れて入浴する人もある。すなわち毒を除くというのが主である。佐さ渡どではドクマクリというそうだが、これは毒を追い出す意味であろう。 この草の中国名はであるが、ドクダミは今こん日にち日本での通名である。これをジュウヤクというのは薬じゅうやくの意、またシュウサイというのは菜しゅうさいの意である。草の臭しゅ気うきに基もとづきイヌノヘドクサといい、その地ちか下け茎いは白く細長いからジゴクソバの名がある。またボウズグサ、ホトケグサ、ヘビクサ、ドクグサ、シビトバナなどの各地方言があるが、みなこの草を唾だ棄きしたような称で、畢ひっ竟きょう不快なこの草の臭しゅ気うきを衆しゅ人うじんが嫌きらうから、このように呼ぶのである。馬を飼かうに十種の薬の効こう能のうがあるから、それで十薬という、といわれているのはよい加かげ減んにこしらえた名で、ジュウヤクとは実は薬じゅうやくから来た名である。 この草は春に苗なえを生ずるが、それは地中に蔓まん延えんせる細長い地ちか下け茎いから出て来る。茎くきは直立して三〇センチメートル内外となり、心臓状円形で葉裏帯紫色の厚い柔やわらかな全ぜん辺ぺん葉ようを互ごせ生いし、葉よう柄へい本ほんに托たく葉ようを具そなえている。茎くきの梢こずえに直径一〜二センチメートルの白花を開くが、その花は四花かべ弁んがあるように見えるけれど、これは花弁を粧よそおうている葉の変形物なる苞ほうである。そしてその花の中央から一本の花かじ軸くが立って、それに多数の花を着つけているが、しかしその花はみな裸で萼がくもなければ花弁もなく、ただ黄おう色しょ葯くやくある三雄ゆう蕊ずいと一雌しず蕊いとのみを持っているにすぎなく、まことに簡かん単たん至しご極くな花ではあるが、これに引き換かえその白色四片へんの苞ほうはたいせつな役目を勤つとめている。 すなわち目に着つくその白い色を看かん板ばんにして、昆虫を招いているのである。昆虫はこの白しろ看かん板ばんに誘さそわれて遠近から花に来きたり、花かち中ゅうに立っている花かじ軸くの花を媒ばい助じょしてくれるのである。けれども昆虫はただでは来こなく、利りえ益きこ交うか換んの蜜みつが花中にあるので、それでやって来くるのである。この草が群をなして密みっ生せいしている所では、草の表面にその白花が緑色の葉を背景に点々とたくさんに咲いていて、すこぶる趣おもむきがある。 このドクダミははなはだ抜き去り難がたく、したがって根こん絶ぜつせしめることはなかなか容易でなく、抜いても抜いても後あとから生はえ出るのである。それもそのはず、地中に細長い白はく色しょ地くち下かけ茎いが縦じゅ横うおうに通っていて、苗なえを抜く時にそれが切れ、依いぜ然んとして地中に残り、その残りからまた苗なえが生はえるからである。この地ちか下け茎いを蒸むせば食用にするに足たるとのこと、また地方によりこれから澱でん粉ぷんを採とって食しょくしているところがある。 この草は日本と中国との原産で、もとより欧おう米べいにはない。欧州のある植物園では非常に珍しがって、たいせつに栽培してあるとのことだ。 このドクダミはハンゲショウ科に属し、Houttuynia cordata Thunb. の学名で世界に通っている。この属名はオランダの学者で日本の植物をも書いたホッタインの姓せいを取ったものだ。種名のコルダタは心臓形の意で、その葉よう形けいに基もとづいて名づけたわけだ。イカリソウ
イカリソウは錨草の意で、その花かけ形いに基もとづいて名づけたものである。実際その花はちょうど錨いかりを下さげたようなおもしろい姿を呈ていしているので、この草を庭に栽うえるか、あるいは盆ぼん栽さいにしておき、花を咲かすと、すこぶる趣おもむきがある。栽培はいたって簡かん易いで且かつその草もじょうぶであるから、一度栽うえておくと毎年その時じ季きには花が眺ながめられる。 春に新しん葉ようと共ともに茎けい上じょうに短い花かす穂いをなし、数花が咲くのだが、ちょっと他に類のない珍めずらしい花かけ形いである。これを地に栽うえるとよく育ち、毎年花が着つく。東京付近のクヌギ林の下などには、諸処に野生しているから、これを採集して来きて栽うえるとよろしい。種類によっては白花のものもあるが、東京近辺のものはみな淡たん紫し花かの品ばかりである。 花には萼がく、花弁、雄ゆう蕊ずい、雌しず蕊いが備そなわっていて、植物学上でいう完かん備び花かをなしている。萼がくは元がん来らい、八片へんよりなっているが、しかしその外側の小さき四片は早く散さん落らくし、内側の四片が残って花弁状を呈ていし、卵らん状じょ披うひ針しん形けいをなして尖とがり平へい開かいしている。花弁が四個あって、前記残ざん留りゅうの四萼がく片へんと共ともに花の主部をなしており、著いちじるしい長ちょ距うきょがあって四方に突つき出いで、下に向かって少しく弯わん曲きょくしている。すなわちこれが錨いかりの手に当たる部である。 この長い距きょの底には、蜜みつ液えきが分ぶん泌ぴつせられていて、花は昆虫の来るのを待っている。この虫ちゅ媒うば花いかであるイカリソウの花へは長い嘴くちばしを出す蝶ちょうが訪れ、蜜を吸いに来て頭を花かち中ゅうへ差し込むときその頭へ花粉を着つけて、これを他の花の花かち柱ゅうの柱ちゅ頭うとうへ伝えるのである。そして花柱のもとにある子しぼ房うが、ついに果実となるのである。 花かち中ゅうには四雄ゆう蕊ずいがある。その長い葯やくは、葯やく胞ほうの片へんがもとから上の方に巻まき上がって、黄色の花粉を出している特状がある。このような葯やくを、植物学上では片へん裂れつ葯やくと称している。雌しず蕊いは一本で、緑色の子しぼ房うとほとんど同長な花かち柱ゅうが上に立っており、その頂いただきに花かと頭うがあって花粉を受けている。 葉は、地ちか下け茎いから出いで立つ一本の長い茎くきの頂いただきから一方は花かす穂いとなり、一方はこの葉となって出ていて長ちょ柄うへいがあり、それが三柄へいに分かれ、さらにそれが三小しょ柄うへいに分かれて各小しょ柄うへいごとに緑色の一小しょ葉うよ片うへんが着ついている。葉よう片へんは心臓状卵形で尖とがり、葉よう縁えんに針しん状じょ歯うしがあり、花か後ごにはその葉よう質しつが剛かたくなる。かく小しょ葉うようが一葉ように九片へんあるので、それで中国でこの草を三枝し九葉よう草そうというのだが、淫いん羊ようというのがその本名である。しかしこの淫いん羊ようの名は、この類の総称のようである。 右漢かん名めい︵中国名のこと︶の淫いん羊ように就つき、中国の説では、羊がこの葉︵︶を食えば、一日の間に百遍ぺんも雌しゆ雄う相あい通つうずることができる効力を持っていると信ぜられている。昔からこんな伝説が右のとおり中国にあるので、日本でもこれが成分を研究してみた人があったが、なにもそんな不ふ思し議ぎな効力はないとの結論で、たちまちその研究熱が覚さめてしまって、今こん日にちではだれもその淫いん羊よう説かくせつを信ずる馬ばか鹿も者のはなくなった。 かのタデ科に属し、地ちか下け茎いに塊かい根こんのできる何かし首ゅ烏うすなわちツルドクダミも、一時はそれが性欲に利きくとて、やはり中国の説がもとで大騒ぎをしてみたが、結局はなんの効こうも見つからず、阿あ呆ほらしいですんでしまった。 イカリソウはヘビノボラズ科に属し、右の名のほかになおクモキリソウ、カリガネソウ、カナビキソウなどの別名がある。﹇#改丁﹈ ﹇#ページの左右中央﹈
果実
﹇#改ページ﹈果実
世せけ間んふつうには果実というといわゆるクダモノであって、リンゴ、カキ、ミカンなどの食用になる実を呼んでいるのであるが、しかし植物学上で果実と称するものは、花の後にできる実をすべて果実といい、通俗とは大いにその呼び方が異なっている。そしてそれはあえて食用になると、ならないとにかかわらず、すべてをそういっている。ゆえにシソ、エゴマの実のようなものでも果実であり、また右のリンゴ、カキなどのようなものでもむろん果実である。 花の中の子しぼ房うが花か後ごに成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。 ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。 また、果実には他の器官が子しぼ房うと合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。 また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬ぎ果かとも偽ぎ果かとも称となえる。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。 果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一いち様ようではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中ちゅ果うか皮ひの部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花かた托く部ぶを食しょくしており、ミカンは果かな内いの毛を食し、バナナは果か皮ひを食し、イチジクは変形せる花かじ軸く部ぶを食用に供きょうしている。 いろいろの果実、すなわち実を研究してみるとなかなかおもしろいもので、ふつう世せじ人んが思っているよりほか、意外な事実を発見するものである。次に四つの果実について、おのおのその趣味ある特状を述べてみましょう。リンゴ
リンゴの果実は、これを縦たてに割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうして検けんして見るがよい。 その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐かっ色しょくな種た子ねが並ならんでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りを界さかいとしてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最さい外がいの外がい皮ひのところまでの間が人の食しょくする部分であるが、この部分は実は本当の果実︵中心部をなせる︶へ癒ゆご合うした付属物で、これは杯はい状じょうをなした花かた托く︵すなわち花の梗くきの頂ちょ部うぶ︶であって、それが厚い肉部となっているのである。 これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花かた托く、すなわち花かこ梗うの末まっ端たんを食っていることになるが、しかしリンゴを食う人々は、植物学者かあるいは学校で教えられた学生かを除くのほかは、だれもその真相を知っているものはほとんどないであろう。 このリンゴは英語でいえばアップルである。今こん日にちの日本人はだれでもこれをリンゴといってすましているが、実をいうとこれはリンゴではなくて、すべからくそれをトウリンゴまたはオオリンゴ、あるいはセイヨウリンゴといわねばならぬものである。そして漢字で書けば苹果でありまたである。 元がん来らい、本当のリンゴは林檎であって、これはその実の直径およそ三センチメートル余りもない小さいもので、あえて市場へは出てこなく、日本では昔その苗なえ木ぎがわが邦くにへ渡って今日信しん州しゅう︹長野県︺あるいは東北地方にわずかに見るばかりである。元がん来らい日本の原産ではなけれども、これを西洋リンゴのアップルと区別せんがために和わリンゴといわれている。すなわち日本リンゴの意である。 アップルすなわち西洋リンゴは、明治の初年にはじめて西洋から伝わりて爾じ後ごしだいに日本に拡ひろまり、今こん日にちでは東北諸州ならびに信州からそれの良果が盛さかんに市場に出でま回わり、果実店頭を飾かざるようにまでなったのである。 アップルを学名でいえば Malus pumila var. domestica であって、前の和わリンゴは Malus asiatica である。元がん来らいリンゴは林檎︵和リンゴ︶の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今こん日にちのように西洋リンゴ︵トウリンゴ︶を単にリンゴと呼ぶのは、実は当とうを得たものではないことを知っていなければならない。ミカン
ミカンすなわち蜜柑は、食用果実として名高く且かつ最もふつうのものであるが、世せじ人んはそのミカンの実のいずれの部分を味わっているのか知らぬ人が多いのであろう。そしてそのミカンは、その毛の中の汁しるを味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛が生はえなかったならば、ミカンは食くえぬ果実としてだれもそれを一いっ顧こもしなかったであろうが、幸さいわいにも果かち中ゅうに毛が生はえたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君くん臨りんしているのである。こうなってみると毛の価あたいもなかなか馬ば鹿かにできぬもので、毛もう頭とうその事実に偽いつわりはない。 ミカンの属は学問上ではシトルス︵Citrus︶と称し、属中には多数の種類を含んでいる。日本にあるダイダイ、クネンボ、ウンシュウミカン、ナツミカン、コウジ、ユズ、ベニミカン、ヤツシロミカン、レモン、マルブシュカン、トウミカン、コナツミカン、オレンジ、サンボウカン、ザボン、キシュウミカン︵コミカン︶、ポンカン︵元がん来らい台湾産、九州に作っている所がある︶などみなその果実の構造は同一で、いずれも甘かん汁じゅうもしくは酸さん汁じゅうを含んでいる毛がその食用源をなしているのである。これらミカン類の貴とうとさも、つまるところは前述のとおりその果かな内いの毛に帰きするわけだ。 ミカン類の果実は、植物学上果実の分類からいえば漿しょ果うかと称すべきであるが、なお精密にいえば漿しょ果うか中ちゅうの柑かん橘きつ果かと呼ぶべきものである。 ミカン類の果実を剥むいて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンの嚢ふくろが輪りん列れつしていて、これを離はなせば個々に分かれる。そしてその嚢ふくろの中に汁しるを含んだ膨ぼう大だいせる毛と種子とがあって、その毛はその嚢ふくろの外方の壁へき面めんから生じており、その種子は内方の底から生じている。つまり右の毛と種子とは反対側から出て、たがいに向き合っているのである。すなわち図上左ひだ隅りすみにその毛の生じ具ぐあ合いが示され、またそれとならんでその右隅には、成熟した毛が描かれている。子しぼ房うがまだ若いときは︵左側中央の図︶、その各室内にまだ毛は生じていないが、花が終わって後子しぼ房うが日増しに大きくなるにつれ、漸ざん次じにその外方の内ない壁へきから毛が生じ始める。そして後には図の下方にあるミカン半はん切きれ図が示すように、右の毛は嚢ふくろの中いっぱいに充じゅ満うまんする。 右のとおり、その半切れ図で表あらわしてあるように、果実の中は幾いく室しつにも分かれていて、この果実は実じつは数個の一室果実から合成せられていることを示している。すなわち一花中に数子房があって、それがたがいに分ぶん立りつせずして癒ゆち着ゃくし、ここに複成子房をなしているのである。ゆえにその嚢ふくろは数個連合してはいるが、これを離せば容易に離れて個々の嚢ふくろとなるのである。ただその外側に当たる外がい皮ひが割れ目なしに密に連合しているので、それがミカンの皮をなしている。そして果実全体からいえば、その部が外がい果か皮ひと中ちゅ果うか皮ひとに当たり、嚢ふくろの部分が内ない果か皮ひと果実の本部とに当たるのである。 なお図に種子が描いてあるが、この種子はなんら食用とはならず捨て去られるものである。しかしおもしろいことには、一つの種皮の中に子しよ葉う︵貝かい割われ葉ば︶、幼よう芽が、幼よう根こんから成なる胚はいが二個もしくは数個あることで、そこでこれを地に播まいておくと一つの種子から二本あるいは数本の仔しび苗ょうが生はえ出てくることで、これはあまり他に類のないことである。 ミカン類の葉はみな一片ずつになっていて、それが枝えだに互ごせ生いしているが、しかしミカン類の葉は祖先は三出葉とて三枚の小しょ葉うようから成なり、ちょうどカラタチ︵キコク︶の葉を見るようであったことが推すい想そうせられる。つまり前世界時代のミカン類の葉は、みな三出葉であったのである。その証しょ拠うことして今こん日にちあるミカンの苗なえにははじめ三出葉が出いで、次ついで一枚の常じょ葉うよう︵単葉︶が出ていることがたまに見られ、またザボンの苗なえの葉よう柄へいに幹みきから芽め出だつ葉にもまた三出葉が見られることがあって、つまり遠い遠い前世界の時の葉を出しているのであることは、すこぶる興味ある事実を自然が提供しているのである。 それからいま一つミカン類にとっておもしろいことは、その枝しじ上ょうにある刺しし針ん、すなわちトゲの件である。そしてこのトゲは、元がん来らいはこの樹きを食害する獣類︵それは遠い昔の︶などを防ぼう禦ぎょするために生じたものであろうが、こんな開けた世にはそんな害がい獣じゅうもいないので、したがってそのトゲもまったく無用の長ちょ物うぶつとなっている。 しかし学問上からそのトゲは何であるのかを究きゅ明うめいするのは、すこぶる興味ある問題の一つである。従来日本のある学者は、それは葉の変形したものだと言った。またある学者は、それは枝の変形したものにほかならないと唱となえた。これらの学者のいう説にはなんら確かくたる根こん拠きょはなく、ただ外から観みた想像説でしかない。そこで私の実検上からの観察では、これは葉よう腋えきにある芽を擁ようしているその鱗りん片ぺんの最さい外がいのものが大いに増大し、大いに強力となってついにトゲにまで進展発育したものにほかならなく、それはそのトゲの位置がそれをよく暗示しているので、これは動かし難がたいものである、と私は自分で発見したこの自説を固こし守ゅしている次しだ第いだ。 よく世せじ人んはタチバナ︵橘の字を当てているが、実は橘はクネンボの漢名であってタチバナではない︶ということをいうが、それはタチバナとはどのミカンを指さしたものかというと、いま確説をもっていうことはできぬが、たぶん今こん日にちいうキシュウミカン、一名コミカンのようなミカンをいったものではなかろうかと思われる。 かの昔、田たじ道ま間も守りが常とこ世よの国︵今どこの国かわからぬが、多分中国の東南方面のいずれかの地であったことが想像せられる︶から持って帰って来たというもので、それはむろん食用に供すべきミカンの一種であったわけだ。その当時はむろん日本ではまことに珍しいものであったに相そう違いない。そしてそのタチバナの名は、その常とこ世よの国からはるばると携たずさえ帰きち朝ょうした前記の田たじ道ま間も守りの名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。 珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野やせ生いしているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上に汁しるが少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣れっ等とう至しご極くなミカンである。これを栽さい植しょくしたものが時とき折おり神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一いっ顧この価値だもないものである。 世せじ人んはタチバナの名に憧あこがれて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、貴とうとんでいることがあれど、これはまことに笑しょ止うし千せん万ばんな僻ひが事ごとである。かの京都の紫しし宸んで殿ん前の右うこ近んの橘たちばなが畢ひっ竟きょうこの類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナと同じものであるとする所説は、まったく噴ふん飯ぱんものである。要するに、歴史上のタチバナと日本野生品のタチバナとは、全然関係のないミカンであることを私は断だん言げんする。 前ぜん記きのとおりわが邦くに野生のいわゆるタチバナに、かくタチバナの名を保もたしておくのは元がん来らい間違いであるのみならず、前からすでにある歴史上のタチバナの本物と重複するから、これをヤマトタチバナと改称すると提議したのは、土と佐さ︹高知県︺出身で当時柑かん橘きつ界かいの第一人者であった田村利とし親ちか氏であったが、その後、私はさらにそれを日にっ本ぽんタチバナの名に改かい訂ていした。 なぜそうしたかというと、ザボンの一品に疾とくヤマトタチバナの名称があったからであった。ちなみに右田村氏は、かつて日ひゅ向うがの国︹宮崎県︺において一の新しん蜜みか柑んを発見し、これを小こな夏つみ蜜か柑んと名づけて世に出した。すなわち小形の夏なつ蜜みか柑んの意で、そのとおり夏なつ蜜みか柑んよりは小形である。そしてその味は夏蜜柑ほど酸すっぱくなくて甘あま味みを有している。これは四、五月ごろに市場に現あらわれ、サマー・オレンジと称している。この品は田村氏がはじめて見いだしたので、一に田村蜜みか柑んとも呼んでいる。バナナ
元がん来らいバナナ︵Banana︶はその実のできるミバショウ︵学名は Musa paradisiaca L. subsp. sapientum O. Kuntze︶の名であるが、日本民間でふつうにバナナというと、その実︵果実︶を指さして呼んでいる。しかし西洋でも同様にその実をバナナといっていることもないではないが、これを正しくいうならバナナの実と呼ぶべきである。 さて、果実としてのバナナは元がん来らいそのいずれの部分を食しょくしているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘うその皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多たに肉くし質つをなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。幸さいわいにも多肉質の皮が存しているために、これが賞しょ味うみすべき好果実として登場しているのであるが、しかしこの委いき曲ょくを知ちし悉つしていた人は世せけ間んに少ないと思う。ゆえにバナナは皮を食うといったら、みな怪けげ訝んな顔をするのであろう。 バナナのミバショウ植物は、見たところ内地にあるバショウそっくりの形状をしている。それもそのはず、その両方が同属︵Musa すなわちバショウ属︶であるからだ。葉を検けんして見ると、バナナの方が葉よう質しつがじょうぶで葉裏が白はく粉ふんを帯おびたように白はく色しょくを呈ていしており、そして花かす穂いの苞ほうが暗あん赤せき色しょくであるから、わがバショウの葉の裏りめ面んが緑色で、花かす穂いの苞ほうが多少褐かっ色しょくを帯おびる黄色なのとすぐ区別がつく。 バナナを食うときはだれでもまずその外がい皮ひを剥はぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香においのよい肉、を食しょくする。そしてこの皮と肉とは、これは共ともにバナナの皮であるが、皮のように剥はげる皮は実はその外がい果か皮ひで、これは繊せん維いし質つであるから、それが細胞質の肉部すなわち中ちゅ果うか皮ひ内ない果か皮ひから容易に剥はぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中ちゅ果うか皮ひと内ない果か皮ひとである。 元がん来らいこのバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食くえる肉はできずに繊維質の硬かたい果か皮ひのみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不ふじ熟ゅくに帰きして、ただ果実の中央に軟やわらかい黒ずんだ痕こん跡せきを存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常じょ態うたいではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾ごじ人んはこの珍ちん果かを口にする幸運に遭あっているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食くって喜んでいるわけだ。 わが邦くににあるバショウにも花が咲いて果実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭ばし蕉ょうから来たものだけれど、元がん来らい芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭ばし蕉ょうの本物を知らなかったので、そこでこの芭ばし蕉ょうの字を濫らん用ようし、それが元もとでバショウの名がつけられ今こん日にちに及およんでいるのである。いまさら改あらためようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕しか方たがない。そしてこのバショウは、元がん来らい日本のものではなく昔中国から渡って来た外がい来らい植物なのである。 中国名の芭ばし蕉ょうは一に甘かん蕉しょうともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘あまいバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭ばし蕉ょうといい、甘かん蕉しょうといってもよいわけだ。 数年前には台たい湾わんより多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きな籠かごに入れたまま、それが神こう戸べこ港うなどに陸りく上あげせられた時はまだ緑色であった。それを仲なか買がい人にんが買って地下室に入れ、数日も置くとはじめて黄色に熟じゅくするので、それからそれが市場の売店へ氾はん濫らんし一般の人々を喜ばせたものだったが、一いっ朝ちょうバナナの宝庫の台湾が失われた後は、前日のバナナ盛せい況きょうを見ることはできなくなってしまった。オランダイチゴ
オランダイチゴは今こん日にち市場では、単にイチゴと呼んで通じている。けれども単にイチゴでは物もの足たりなく、且かつ他のイチゴ︵市場には出ぬけれど︶とその名が混雑する。人によっては草くさ苺いちごと呼んでいれど、これも別にクサイチゴがあるから名が重複して困る。オランダイチゴの名は回まわりくどくて言いにくいし、他の名は混雑、重複するし困ったものだ。あるいは西洋イチゴといってもよかろうが、いっそ英語のストローベリ︵Strawberry︶で呼ぶかな、それがご時じせ勢い向きかもしれない。 このオランダイチゴをむずかしく学名で呼ぶとすれば、それは Fragaria chiloensis Duch. var. ananassa Bailey である。日本産のモリイチゴ︵シロバナヘビイチゴ︶もその姉しま妹いひ品んで、これは Fragaria nipponica Makino であり、いま一つ同属の日本産は、ノウゴイチゴで、それは Fragaria Iinumae Makino である。このモリイチゴもノウゴイチゴも共ともにその実はオランダイチゴそっくりで、ただ小形であるばかりである。その形、その味、その香におい、なんらオランダイチゴと変わりはない。わが邦くにの園芸家がこれに着ちゃ目くもくし、大いにその品種の改良を企くわだてなかったのは、大だいなる落おち度どである。 このオランダイチゴ、すなわちストローベリの実の食くうところは、その花かた托くが放大して赤せき色しょくを呈ていし味が甘く、香においがあって軟やわらかい肉質をなしている部分である。人々はその花かた托くすなわち茎くきの頂ちょ部うぶ、換かん言げんすればその茎くきを食しょくしているのであって、本当の果実を食くっているのではない︵いっしょに口には入って行けども︶。されば本当の果実とはどこをいっているかというと、それはその放大せる花かた托くめ面んに散さん布ぷして付ふち着ゃくしている細小な粒つぶ状じょうそのもの︵図の右の方に描いてあるもの︶である。 ゆえにオランダイチゴは食用部と果実とはまったく別で、ただその果実は花かた托くめ面んに載のっているにすぎない。そして畢ひっ竟きょうこのオランダイチゴの実も一つの擬ぎ果かに属するのだが、それは野外に多きヘビイチゴの実も同じことだ。このヘビイチゴの実には甘あま味みがないからだれも食くわない。いやな名がついていれど、もとよりなんら毒はない。ヘビイチゴとは野原で蛇へびの食くう苺いちごの意だ。﹇#改ページ﹈
あとがき
まず以上で花と実との概がい説せつを了おえた。これは一いっ気きか呵せ成いに筆ふでにまかせて書いたものであるから、まずい点もそこここにあるであろうことを恐縮している。要するに失礼な申し分ではあれど、読者諸君を草くさ木きに対しては素しろ人うとであると仮定し、そんな御おか方たになるべく植物趣味を感じてもらいたさに、わざとこんな文章、それは口でお話するようなしごく通俗な文章を書いてみたのである。もし諸君がこの文章を読んでいささかでも植物趣味を感ぜられ、且かつあわせて多少でも植物知識を得られたならば、筆者の私は大いに満足するところである。
われらを取り巻いている物の中で、植物ほど人生と深い関係を持っているものは少ない。まず世界に植物すなわち草木がなかったなら、われらはけっして生きてはいけないことで、その重要さが判わかるではないか。われらの衣食住はその資源を植物に仰あおいでいるものが多いことを見ても、その訳わけがうなずかれる。
植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且かつ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天てん然ねんの賜たまものである。実にこれは人生の至しほ宝うであると言っても、けっして溢いつ言げんではないのであろう。
翠すい色しょく滴したたる草木の葉のみを望んでも、だれもその美と爽そう快かいとに打たれないものはあるまい。これが一年中われらの周囲の景けい致ちである。またその上に植物には紅こう白はく紫しお黄う、色とりどりの花が咲き、吾ごじ人んの眼を楽しませることひととおりではない。だれもこの天から授さずかった花を愛せぬものはあるまい。そしてそれが人間の心しん境きょうに影響すれば、悪あく人にんも善ぜん人にんになるであろう。荒すさんだ人も雅みやびな人となるであろう。罪ざい人にんもその過去を悔かい悟ごするであろう。そんなことなど思いめぐらしてみると、この微妙な植物は一の宗教である、と言えないことはあるまい。
自然の宗教! その本ほん尊ぞんは植物。なんら儒じゅ教きょう、仏教と異なるところはない。今こん日にち私は飽あくまでもこの自然宗教にひたりながら日々を愉ゆか快いに過すごしていて、なんら不平の気持はなく、心はいつも平へい々へい坦たん々たんである。そしてそれがわが健康にも響ひびいて、今年八十八歳のこの白はく髪はつのオヤジすこぶる元気で、夜も二時ごろまで勉強を続けて飽あくことを知らない。時には夜明けまで仕事をしている。畢ひっ竟きょうこれは平へい素そ天然を楽しんでいるおかげであろう。実に天然こそ神である。天然が人生に及ぼす影響は、まことに至しだ大いし至ちょ重うであると言うべきだ。
植物の研究が進むと、ために人間社会を幸福に導みちびき人生を厚くする。植物を資源とする工業の勃ぼっ興こうは国の富とみを殖ふやし、したがって国民の生活を裕ゆたかにする。ゆえに国民が植物に関心を持つと持たぬとによって、国の貧ひん富ぷ、したがって人間の貧富が分かれるわけだ。貧ひんすれば、その間に罪ざい悪あくが生じて世が乱れるが、富とめば、余よゆ裕うを生じて人間同士の礼れい節せつも敦あつくなり、風俗も良くなり、国民の幸福を招しょ致うちすることになる。想おもえば植物の徳大なるかなであると言うべきである。
人間は生きている間が花である。わずかな短かい浮うき世よである。その間に大いに勉強して身を修め、徳を積み、智ちを磨みがき、人のために尽つくし、国のために務つとめ、ないしはまた自分のために楽しみ、善人として一生を幸福に送ることは人間として大いに意義がある。酔すい生せい夢む死しするほど馬ば鹿かなものはない。この世に生まれ来るのはただ一度きりであることを思えば、この生きている間をうかうかと無む為いに過すごしてはもったいなく、実に神に対しても申し訳わけがないではないか。
私はかつて左のとおり書いたことがあった。
﹁私は草くさ木きに愛を持つことによって人間愛を養やしなうことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日にち蓮れんほどの偉えら物ぶつであったなら、きっと私は、草木を本ほん尊ぞんとする宗教を樹じゅ立りつしてみせることができると思っている。私は今草くさ木きを無む駄だに枯からすことをようしなくなった。また私は蟻あり一ぴきでも虫などでも、それを無むざ残んに殺すことをようしなくなった。この慈じひ悲て的きの心、すなわちその思いやりの心を私はなんで養やしない得たか、私はわが愛する草木でこれを培つちこうた。また私は草木の栄えい枯こせ盛いす衰いを観みて、人生なるものを解かいし得たと自信している。
これほどまでも草くさ木きは人間の心しん事じに役立つものであるのに、なぜ世せじ人んはこの至しほ宝うにあまり関心を払はらわないであろうか。私はこれを俗に言う﹃食わず嫌ぎらい﹄に帰きしたい。私は広く四方八方の世せじ人んに向こうて、まあ嘘うそと思って一度味わってみてください、と絶ぜっ叫きょうしたい。私はけっして嘘きょ言げんは吐はかない。どうかまずその肉の一いち臠れんを嘗なめてみてください。
みなの人に思いやりの心があれば、世の中は実に美しいことであろう。相そう互ごに喧けん嘩かも起こらねば、国と国との戦争も起こるまい。この思いやりの心、むずかしく言えば博愛心、慈悲心、相愛心があれば世の中は必ず静せい謐ひつで、その人々は確たしかに無上の幸福に浴よくせんこと、ゆめゆめ疑いあるべからずだ。
世のいろいろの宗教はいろいろの道をたどりてこれを世せじ人んに説といているが、それを私はあえて理りく窟つを言わずにただ感情に訴うったえて、これを草木で養やしないたい、というのが私の宗教心でありまた私の理想である。私は諸処の講演に臨のぞむ時は機会あるごとに、いつもこの主意で学生等に訓くん話わしている﹂
また私は世人が植物に趣味を持てば次の三徳とくがあることを主張する。すなわち、
第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲き誇ほこる草くさ花ばなを見れば、何なん人びともあの優やさしい自然の美に打たれて、和なごやかな心にならぬものはあるまい。氷が春風に融とけるごとくに、怒いかりもさっそくに解とけるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。
第二に、健けん康こうになる。植物に趣味を持って山さん野やに草や木をさがし求むれば、自然に戸こが外いの運動が足たるようになる。あわせて日にっ光こう浴よくができ、紫しが外いせ線んに触ふれ、したがって知しらず識しらずの間に健康が増進せられる。
第三に、人生に寂じゃ寞くまくを感じない。もしも世界中の人間がわれに背そむくとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草くさ木きは永遠の恋人としてわれに優やさしく笑えみかけるのであろう。
惟おもうに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次しだ第いである。