浮標

三好十郎








  
    
  
 
   
    
    
    
  
    
   
  
 
 
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 殿便便
 

 穿



    調
 
   
 
 
     
(間)
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 殿
   
 
  
 
    
 
 
 
   
 
  
 
   
 
 言つてゐる所へ、湯殿のガラス戸が、ガラツと開いて、運動シヤツ一枚にサルマタ、手拭で向ふ鉢巻をした久我五郎が出て来る。一仕事終つた後のホツトした気持で何か旧い外国の民謡を唸るやうな声でハミングしながら。両手はポスターカラアで汚れ、顔や胸から汗がタラタラ流れてゐる。湯殿をアトリエ代用にして絵を描いてゐたのである。しつかりした骨組の男で、善良で神経質らしい顔。たゞ眼の光と、頬のかげが、極めて強い偏執性をたゝへてゐるのが、時に依つて善良さや神経質の感じを裏切つて、非常にしつこい、動物的なシブトさを現はすことがある。栄養不良と絶え間のない心労とのために、肉体も精神もひどく痛めつけられて居り、殆んど、ドタン場に追ひ詰められた野獣の様なあはれな有様だ。しかもそんな自分の状態を美緒に気取られまいための努力が永い間続いて来たために、美緒の眼の前では明るく呑気で平静であり、それだけに、その反動で美緒の居ない場所ではイライラと神経質になり、表情も言語動作も激しく動物的なものに変つてしまふ。その変り方も変り目も彼自身は意識してゐず、全く自然に行はれてゐるが、はたから見てゐると変化があまりはげしい対照をするために、まるで別人を見るやうな感がある。
 殿 
  
 
 
 
 
 
  
 
   
 
 
 
 
 鹿
 
 調
 
 
 
 
 殿
 
そこへ、今度は居間を通つて小母さんが用意の出来た大型の膳を運んで来る。
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
  
 
 
 
  
  
 
 
 
 
 
 
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 退
 
   
 
 
 
 鹿 鹿
 
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 鹿
 
 
  
 
   
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
  
 
 
 
   
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 使
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 姿 
 
 
 
  
  
 
  
 
  
  
  
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 言つてゐる所へ、五郎がお代りの椀と、それに更に新しいお茶の皿を持つて台所から出て来て庭に下り、美緒の傍に来る。
 
 
 
 
 
 
 調 
 
 
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  鹿 
   
  
 
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
     
  
   
  
 
 
 
   
会話はトンチンカンなまゝで進行する。母親も恵子もそれから美緒までが、それぞれの気持で笑ふ。当の小母さんも美緒が笑ひ出したのが嬉しくつてゲラゲラ笑ひながら、食物を美緒に養つてやりつゞける。
小母 さうどすえ! 奥さんが尼さんになつてしまはるのを、五郎はん、いやがつておいやすのや!
母親 ハツハハ!


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 姿


  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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(間)
 街道の方から母親と恵子が砂を踏んでブラブラ歩いて来る。
 
 
五郎考へ込んでゐて返事をしない。
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
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五郎 ……(砂丘の向うを見て)あ……来やあがつた。
尾崎 なんだい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
 
  
 
  
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
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 姿
    

 
 
 
 
 
  
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 鹿
   
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  

 
   
 
 
 
母親が眼を怒らせて喰つてかゝらうとしてゐる所へ、家の方向から小母さんが息せき切つて駆けつけて来る。
    
 
   
 
  
 
 
 
 
 
   
 
 
  
  


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 鹿
  
 
 
 
 
 
 
 
短い間。
 
 
 
 
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 鹿
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 調 

 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
  
  
 
 
 
  
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
 
  
 
 調姿
 姿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
   
  
  
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 鹿
 
 殿
 
 
    

  
小母 (その音を呼ばれたものと感違ひして)はい、はい、(道具を片付けながら)直ぐ行きまつせ。
 
小母 (玄関の間へ出て来て)なんぞ、御用どすか、奥さん?
美緒 ……(首を横に振る)
小母 まあまあ、綺麗にならはつた!
美緒 ……(顔を歪めて笑ふ)
小母 少うし、わてがお話ししまほか?
 丁度そこへ玄関の外(奥)に元気の良い靴の音が響いて歩兵伍長の新しい軍服を着た赤井源一郎が勢ひ込んで玄関に飛込んで来る。
 端麗な顔に眼鏡をかけ、理智的にとぎすまされた人柄だ。骨組がガツシリしてゐるのと、軍服の強い線と、それから永い勤務で鍛へられたために現在はそんな感じは無いが、平常の生活でこの男を見れば、むしろ弱々しい位に敏感な人間を発見しはしないかと思はれる。喜びに顔を紅潮させてゐる。
    
  
 
 殿
 
 
 殿 
 
  
 
 殿
 
 
 
 
 鹿
  
  
 男二人がいろいろな意味を込めて眼を見合はせてゐる短い間。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そこへ小母さんがビール三四本と、つまみ物を載せた盆を運んで来る。
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
   
 
 姿
 
 
 
  
 
  姿
 殿
  
 
 
  
 
 鹿
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鹿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 鹿         
   
 姿姿
 
 
  
 
 
 
 
 
   
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
 
  
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
  
  
 
 
 
 
  鹿
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
   
   
     
 
 
 
   
   
 
  
  



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 Torna A SurrientoG. B. de. Curtis

姿

姿





  
  
 
  
 
 
 
  
 
  
 
  
 
 
 
   
 
    
  
    
 
  
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
  
   
  
 
 この時、出しぬけに砂丘の向うから五郎が出て来る。酔つた顔に何か戸惑ひした様な表情を浮べて、家の方角を振り返り振り返りしながら、ボンヤリしてゐて、此処の二人が居る事など全く知らずにゐる。
 足音で京子が振り返り、次に利男が五郎を見る。
 
 
 
 
  
 
 
  
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 西
 
 

 
 
 
 
 
 
  
利男何か考へながら下手の方へ歩み出してゐる。
 
 
  
  
 
  
 
 短い間。
 五郎はまだ沖を見てゐる。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 姿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 綿
 
 
 
 
 
 
  
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 姿
 

 
 
  
 
 
 
    
 
 
 
  
 
 
 
 
 調調
 
  
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
     
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 姿
 
 
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 宿
 
 
 
五郎 ……比企さん、俺が悪かつた。比企さん!――(立上つて無意識に比企の後を追ひかけて行きさうにしたトタンに丁度男の姿が眼に入る。フツと眼を釘付けにされたやうにその男を見詰めはじめる。……男は街道の途中まで来て、そこでボンヤリ立停つてゐたが、再び何と思つたのか、元来た方へ又フラリフラリと歩み出し、上手へ消える。その間五郎はジツとそればかり見守つてゐたが、不意に喘ぐやうな声で、グワーともゲツとも聞える叫声をあげる)……
 
  Torna A Surriento 

 

 姿
  


 





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 調使
 



  
 
    
 
  
 
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  婿
 
   
 
      
 
 
 
  

 姿殿
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 調
間。……五郎も自分の画を見てゐる。
 
 
  
 
 
 
 
  ()    鹿 
 
   
 
 
 
 
 
  
 
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 調調  
 
  調 殿殿
  
   便
  
 
    
 
   
 
 
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 退
 
 
 便
 
 殿
  
 
短い間。
 
 鹿 ()()()()()()()()()()() 
 
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    調
 
  
 
 () ()()()()()()  
そこへ小母さんが台所の方から出て来る。
 
 
 
  
 
   
 
 
 
 
 
 
 
そこへ五郎が戻つて来る。
  
 
   
 
    
 
 
 
 
 
 
 
 
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 鹿 
 
   
 
 
 三人、キチンとお辞儀をしてから、立去りかける。それを見て美緒が片手をあげる。
  
 
 鹿 
 
 
 
 調鹿 
 
 
  
 
 鹿
 
 
 
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2009106
2013108

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●図書カード