白しら魚うお、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑つく波ばの眺めとともに夕立もまた東都名物の一ひとつなり。
浮世絵に夕立を描けるもの甚はなはだ多し。いずれも市しせ井いの特色を描えが出きいだして興趣津しん々〳〵たるが中に鍬くわ形がた斎けいさいが祭礼の図に、若わか衆いしゅ大たい勢ぜい夕立にあいて花だ車しを路頭に捨て見物の男女もろともに狼狽疾走するさまを描きたるもの、余の見し驟雨の図中その冠たるものなり。これに亜つぐものは国くに芳よしが御おん厩まや川が岸し雨中の景なるべし。
狂言稗はい史しの作者しばしば男女奇縁を結ぶの仲立に夕立を降らしむ。清きよ元もと浄じょ瑠うる璃りの文句にまた一しきり降る雨に仲を結ぶの神かみ鳴なりや互にいだき大川の深き契ぞかわしけるとは、その名も夕立と皆人の知るところ。常とき磐わ津づ浄瑠璃に二代目治助が作とやら鉢の木を夕立の雨やどりにもじりたるものありと知れど未いまだその曲をきく折なきを憾うらみとせり。
一ひと歳とせ浅草代だい地ち河が岸しに仮かり住ずま居いせし頃の事なり。築地より電車に乗り茅かや場ばち町ょうへ来かかる折から赫々たる炎天俄にかきくもるよと見る間もなく夕立襲い来りぬ。人にん形ぎょ町うちょうを過ぎやがて両国に来きたれば大おお川かわの面おもては望ぼう湖ころ楼う下かにあらねど水みず天の如し。いつもの日ひよ和り下げ駄た覆きしかど傘持たねば歩みて柳やな橋ぎばし渡わた行りゆかんすべもなきまま電車の中に腰をかけての雨宿り。浅草橋も後あとになし須すだ田ちょ町うに来掛る程に雷光凄すさまじく街上に閃きて雷鳴止まず雨には風も加くわわりて乾けん坤こんいよいよ暗澹たりしが九段を上り半蔵門に至るに及んで空初めて晴る。虹中天に懸り宮きゅ溝うこうの垂すい楊よう油よりも碧し。住み憂き土地にはあれどわれ時折東京をよしと思うは偶然かかる佳景に接する事あるがためなり。
巴パリ里ーにては夏のさかりに夕立なし。晩春五月の頃麗都の児女豪奢を競ってロンシャンの賽さい馬ばに赴おもむく時、驟雨濺そそ来ぎきたって紅囲粉陣更に一段の雑沓を来すさま、巧にゾラが小説ナナの篇中に写し出されたりと記憶す。
紐ニュ育ーヨークにては稀に夕立ふることあり。盛夏の一いっ夕せきわれハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨を渡とと頭うの船に避けしことあり。
漢かん土どには白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東とう坡ばが望湖楼酔書を始め唐とう韓かんが夏かや夜のあ雨め、清しん呉ごし錫ゃく麒きが澄ちょ懐うか園いゑ消んし夏ょう襍かざ詩っしなぞその類るい尠すくなからず。彼我風土の光景互に相似たるを知るに足る。
わが断腸亭奴ぬぼ僕く次第に去り園丁来る事また稀なれば、庭樹徒いたずらに繁茂して軒を蔽い苔は階きざはしを埋め草は墻かきを没す。年々鳥ちょ雀うじゃく昆虫の多くなり行くこと気味わるきばかりなり。夕立おそい来きたる時窓によって眺むれば、日頃は人をも恐れぬ小こと禽りの樹間に逃惑うさまいと興あり。巣立して間もなき子雀蝉とともに家の中うちに迷入ること珍らしからず。是れ無聊を慰むる一快事たり。