一
わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。 おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。神田錦にし町きちょうに在った貸席錦輝館で、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。それから四十余年を過ぎた今こん日にちでは、活動という語ことばは既にすたれて他のものに代かえられているらしいが、初めて耳にしたものの方が口馴れて言いやすいから、わたくしは依然としてむかしの廃語をここに用いる。 震災の後のち、わたくしの家に遊びに来た青年作家の一人が、時勢におくれるからと言って、無理やりにわたくしを赤坂溜ため池いけの活動小屋に連れて行ったことがある。何でも其その頃非常に評判の好いものであったというが、見ればモオパッサンの短篇小説を脚色したものであったので、わたくしはあれなら写真を看るにも及ばない。原作をよめばいい。その方がもっと面白いと言ったことがあった。 然し活動写真は老ろう弱にゃくの別わかちなく、今の人の喜んでこれを見て、日常の話わへ柄いにしているものであるから、せめてわたくしも、人が何の話をしているのかと云うくらいの事は分るようにして置きたいと思って、活動小屋の前を通りかかる時には看板の画と名題とには勉つとめて目を向けるように心がけている。看板を一瞥べつすれば写真を見ずとも脚色の梗概も想像がつくし、どういう場面が喜ばれているかと云う事も会得せられる。 活動写真の看板を一度に最もっとも多く一瞥する事のできるのは浅草公園である。ここへ来ればあらゆる種類のものを一ト目に眺めて、おのずから其巧拙をも比較することができる。わたくしは下した谷や浅草の方面へ出掛ける時には必ず思出して公園に入り杖つえを池の縁ふちに曳ひく。 夕風も追々寒くなくなって来た或日のことである。一軒々々入口の看板を見尽して公園のはずれから千せん束ぞく町まちへ出たので。右の方は言こと問とい橋ばし左の方は入いり谷やま町ち、いずれの方へ行こうかと思案しながら歩いて行くと、四十前後の古洋服を着た男がいきなり横合から現れ出て、 ﹁檀だん那な、御紹介しましょう。いかがです。﹂と言う。 ﹁イヤありがとう。﹂と云って、わたくしは少し歩調を早めると、 ﹁絶好のチャンスですぜ。猟奇的ですぜ。檀那。﹂と云って尾ついて来る。 ﹁いらない。吉原へ行くんだ。﹂ ぽん引びきと云うのか、源氏というのかよく知らぬが、とにかく怪し気な勧誘者を追払うために、わたくしは口から出まかせに吉原へ行くと言ったのであるが、行先の定さだまらない散歩の方向は、却かえってこれがために決定せられた。歩いて行く中うちわたくしは土手下の裏町に古本屋を一軒知っていることを思出した。 古本屋の店は、山さん谷やぼ堀りの流が地下の暗あん渠きょに接続するあたりから、大おお門もん前まえ日にほ本んづ堤つみ橋ばしのたもとへ出ようとする薄暗い裏通に在る。裏通は山谷堀の水に沿うた片側町で、対岸は石垣の上に立続く人家の背面に限られ、此こな方たは土管、地ちが瓦わら、川土、材木などの問屋が人家の間に稍やや広い店口を示しているが、堀の幅の狭くなるにつれて次第に貧まず気しげな小こい家えがちになって、夜は堀にかけられた正しょ法うほ寺うじ橋ばし、山さん谷やば橋し、地じか方たば橋し、髪かみ洗あら橋いばしなどいう橋の灯ひがわずかに道を照すばかり。堀もつき橋もなくなると、人通りも共に途絶えてしまう。この辺で夜も割合におそくまで灯あかりをつけている家は、かの古本屋と煙草を売る荒物屋ぐらいのものであろう。 わたくしは古本屋の名は知らないが、店に積んである品物は大抵知っている。創刊当時の文芸倶ク楽ラ部ブか古いやまと新聞の講談附録でもあれば、意外の掘出物だと思わなければならない。然しわたくしがわざわざ廻り道までして、この店をたずねるのは古本の為ためではなく、古本を鬻ひさぐ亭主の人柄と、廓くる外わそとの裏町という情味との為である。 主ある人じは頭を綺麗に剃そった小柄の老人。年は無論六十を越している。その顔立、物腰、言葉使から着物の着様に至るまで、東京の下町生きっ粋すいの風俗を、そのまま崩さずに残しているのが、わたくしの眼には稀きこ覯うの古書よりも寧むしろ尊くまた懐しく見える。震災のころまでは芝居や寄よ席せの楽屋に行くと一人や二人、こういう江戸下町の年寄に逢うことができた――たとえば音おと羽わ屋の男おと衆こしゅの留とめ爺じいやだの、高嶋屋の使っていた市蔵などいう年寄達であるが、今はいずれもあの世へ行ってしまった。 古本屋の亭主は、わたくしが店先の硝ガラ子ス戸をあける時には、いつでもきまって、中なか仕じき切りの障子際ぎわにきちんと坐り、円い背を少し斜に外の方へ向け、鼻の先へ落ちかかる眼鏡をたよりに、何か読んでいる。わたくしの来る時間も大抵夜の七八時ときまっているが、その度毎に見る老とし人よりの坐り場所も其の形も殆どきまっている。戸の明く音に、折かがんだまま、首だけひょいと此こな方たへ向け、﹁おや、入らっしゃいまし。﹂と眼鏡をはずし、中腰になって坐布団の塵ちりをぽんと叩たたき、匐はうような腰付で、それを敷きのべながら、さて丁寧に挨拶をする。其言葉も様子もまた型通りに変りがない。 ﹁相変らず何も御ござ在いません。お目にかけるようなものは。そうそうたしか芳ほう譚たん雑誌がありました。揃そろっちゃ居りませんが。﹂ ﹁為ため永なが春しゅ江んこうの雑誌だろう。﹂ ﹁へえ。初号がついて居りますから、まアお目にかけられます。おや、どこへ置いたかな。﹂と壁際に積重ねた古本の間から合がっ本ぽん五六冊を取出し、両手でぱたぱた塵をはたいて差出すのを、わたくしは受取って、 ﹁明治十二年御届としてあるね。この時分の雑誌をよむと、生いの命ちが延のびるような気がするね。魯ろ文珍報も全部揃ったのがあったら欲しいと思っているんだが。﹂ ﹁時々出るにゃ出ますが、大抵ばらばらで御在ましてな。檀那、花月新誌はお持合せでいらっしゃいますか。﹂ ﹁持っています。﹂ 硝子戸の明く音がしたので、わたくしは亭主と共に見返ると、これも六十あまり。頬のこけた禿はげ頭あたまの貧相な男が汚れた縞しまの風呂敷包を店先に並べた古本の上へ卸しながら、 ﹁つくづく自動車はいやだ。今日はすんでの事に殺されるところさ。﹂ ﹁便利で安くってそれで間違いがないなんて、そんなものは滅多にないよ。それでも、お前さん。怪我アしなさらなかったか。﹂ ﹁お守まもりが割れたおかげで無事だった。衝突したなア先へ行くバスと円タクだが、思出してもぞっとするね。実は今日鳩はとヶ谷やの市いちへ行ったんだがね、妙な物を買った。昔の物はいいね。さし当り捌はけ口くちはないんだが見るとつい道楽がしたくなる奴さ。﹂ 禿頭は風呂敷包を解き、女物らしい小紋の単ひと衣えと胴どう抜ぬきの長襦じゅ袢ばんを出して見せた。小紋は鼠地の小浜ちりめん、胴抜の袖そでにした友禅染も一ちょ寸っと変ったものではあるが、いずれも維新前後のものらしく特に古代という程の品ではない。 然し浮世絵肉筆物の表装とか、近頃はやる手文庫の中うち張ばりとか、又草くさ双ぞう紙しの帙ちつなどに用いたら案外いいかも知れないと思ったので、其場の出来心からわたくしは古雑誌の勘定をするついでに胴抜の長襦袢一枚を買取り、坊主頭の亭主が芳譚雑誌の合本と共に紙包にしてくれるのを抱えて外へ出た。 日本堤を往復する乗合自動車に乗るつもりで、わたくしは暫く大門前の停留場に立っていたが、流しの円タクに声をかけられるのが煩うるさいので、もと来た裏通へ曲り、電車と円タクの通らない薄暗い横町を択えらみ択み歩いて行くと、忽ち樹の間から言問橋の灯あかりが見えるあたりへ出た。川端の公園は物騒だと聞いていたので、川の岸までは行かず、電燈の明るい小こみ径ちに沿うて、鎖の引廻してある其上に腰をかけた。 実は此こっ方ちへの来がけに、途中で食しょ麺くパ麭ンと鑵かん詰づめとを買い、風呂敷へ包んでいたので、わたくしは古雑誌と古着とを一つに包み直して見たが、風呂敷がすこし小さいばかりか、堅い物と柔いものとはどうも一緒にはうまく包めない。結局鑵詰だけは外がい套とうのかくしに収め、残の物を一つにした方が持ちよいかと考えて、芝生の上に風呂敷を平たいらにひろげ、頻しきりに塩あん梅ばいを見ていると、いきなり後うしろの木蔭から、﹁おい、何をしているんだ。﹂と云いさま、サアベルの音と共に、巡査が現れ、猿えん臂ぴを伸してわたくしの肩を押えた。 わたくしは返事をせず、静に風呂敷の結むす目びめを直して立上ると、それさえ待どしいと云わぬばかり、巡査は後からわたくしの肱ひじを突き、﹁其そっ方ちへ行け。﹂ 公園の小径をすぐさま言問橋の際きわに出ると、巡査は広い道路の向側に在る派出所へ連れて行き立番の巡査にわたくしを引渡したまま、急いそがしそうにまた何ど処こへか行ってしまった。 派出所の巡査は入口に立ったまま、﹁今時分、何処から来たんだ。﹂と尋問に取りかかった。 ﹁向むこうの方から来た。﹂ ﹁向の方とは何どっ方ちの方だ。﹂ ﹁堀の方からだ。﹂ ﹁堀とはどこだ。﹂ ﹁真まつ土ちや山まの麓ふもとの山谷堀という川だ。﹂ ﹁名は何と云う。﹂ ﹁大おお江えた匡だす。﹂と答えた時、巡査は手帳を出したので、﹁匡ただすは匚はこに王の字をかきます。一タビ天下ヲ匡スと論語にある字です。﹂ 巡査はだまれと言わぬばかり、わたくしの顔を睨にらみ、手を伸していきなりわたくしの外套の釦ぼたんをはずし、裏を返して見て、 ﹁記しる号しはついていないな。﹂つづいて上着の裏を見ようとする。 ﹁記しる章しとはどう云う記章です。﹂とわたくしは風呂敷包を下に置いて、上着と胴チョ着ッキの胸を一度にひろげて見せた。 ﹁住所は。﹂ ﹁麻布区御おた箪んす笥ま町ち一丁目六番地。﹂ ﹁職業は。﹂ ﹁何なんにもしていません。﹂ ﹁無職業か。年はいくつだ。﹂ ﹁己つちのとの卯うです。﹂ ﹁いくつだよ。﹂ ﹁明治十二年己の卯の年。﹂それきり黙っていようかと思ったが、後あとがこわいので、﹁五十八。﹂ ﹁いやに若いな。﹂ ﹁へへへへ。﹂ ﹁名前は何と云ったね。﹂ ﹁今言いましたよ。大江匡。﹂ ﹁家族はいくたりだ。﹂ ﹁三人。﹂と答えた。実は独身であるが、今こん日にちまでの経験で、事実を云うと、いよいよ怪しまれる傾かたむきがあるので、三人と答えたのである。 ﹁三人と云うのは奥さんと誰だ。﹂巡査の方がいい様に解釈してくれる。 ﹁嚊かかアとばばア。﹂ ﹁奥さんはいくつだ。﹂ 一寸窮こまったが、四五年前まで姑しばらく関係のあった女の事を思出して、﹁三十一。明治三十九年七月十四日生丙ひの午えうま……。﹂ 若もし名前をきかれたら、自作の小説中にある女の名を言おうと思ったが、巡査は何なんにも云わず、外套や背広のかくしを上から押え、 ﹁これは何だ。﹂ ﹁パイプに眼鏡。﹂ ﹁うむ。これは。﹂ ﹁鑵詰。﹂ ﹁これは、紙入だね。鳥ちょ渡っと出して見せたまえ。﹂ ﹁金がはいって居ますよ。﹂ ﹁いくら這は入いっている。﹂ ﹁サア二三十円もありましょうかな。﹂ 巡査は紙入を抜き出したが中は改めずに電話機の下に据えた卓テイ子ブルの上に置き、﹁その包は何だ。こっちへ這入ってほどいて見せたまえ。﹂ 風呂敷包を解くと紙につつんだ麺麭と古雑誌まではよかったが、胴抜の艶なまめかしい長襦袢の片袖がだらりと下るや否や、巡査の態度と語調とは忽たちまち一変して、 ﹁おい、妙なものを持っているな。﹂ ﹁いや、ははははは。﹂とわたくしは笑い出した。 ﹁これア女のきるもんだな。﹂巡査は長襦袢を指先に摘つまみ上げて、燈火にかざしながら、わたくしの顔を睨み返して、﹁どこから持って来た。﹂ ﹁古着屋から持って来た。﹂ ﹁どうして持って来た。﹂ ﹁金を出して買った。﹂ ﹁それはどこだ。﹂ ﹁吉原の大門前。﹂ ﹁いくらで買った。﹂ ﹁三円七十銭。﹂ 巡査は長襦袢を卓子の上に投捨てたなり黙ってわたくしの顔を見ているので、大方警察署へ連れて行って豚箱へ投込むのだろうと、初はじめのようにからかう勇気がなくなり、此こっ方ちも巡査の様子を見詰めていると、巡査はやはりだまったままわたくしの紙入を調べ出した。紙入には入れ忘れたまま折目の破れた火災保険の仮証書と、何かの時に入用であった戸籍抄本に印鑑証明書と実印とが這入っていたのを、巡査は一枚々々静にのべひろげ、それから実印を取って篆てん刻こくした文字を燈あか火りにかざして見たりしている。大分暇がかかるので、わたくしは入口に立ったまま道路の方へ目を移した。 道路は交番の前で斜に二筋に分れ、その一筋は南千住、一筋は白しら髯ひげ橋ばしの方へ走り、それと交叉して浅草公園裏の大通が言問橋を渡るので、交通は夜になってもなかなか頻ひん繁ぱんであるが、どういうことか、わたくしの尋問されるのを怪しんで立止る通行人は一人もない。向側の角のシャツ屋では女房らしい女と小僧とがこっちを見ていながら更に怪しむ様子もなく、そろそろ店をしまいかけた。 ﹁おい。もういいからしまいたまえ。﹂ ﹁別に入用なものでもありませんから……。﹂呟つぶやきながらわたくしは紙入をしまい風呂敷包をもとのように結んだ。 ﹁もう用はありませんか。﹂ ﹁ない。﹂ ﹁御苦労さまでしたな。﹂わたくしは巻煙草も金口のウエストミンスターにマッチの火をつけ、薫かおりだけでもかいで置けと云わぬばかり、烟けむりを交番の中へ吹き散して足の向くまま言問橋の方へ歩いて行った。後で考えると、戸籍抄本と印鑑証明書とがなかったなら、大方その夜は豚箱へ入れられたに相違ない。一体古着は気味のわるいものだ。古着の長襦袢が祟たたりそこねたのである。二
﹁失しっ踪そう﹂と題する小説の腹案ができた。書き上げることができたなら、この小説はわれながら、さほど拙劣なものでもあるまいと、幾分か自信を持っているのである。 小説中の重要な人物を、種たね田だじ順ゅん平ぺいという。年五十余歳、私立中学校の英語の教師である。 種田は初婚の恋女房に先立たれてから三四年にして、継けい妻さい光みつ子こを迎えた。 光子は知名の政治家某なにがしの家に雇われ、夫人付の小間使となったが、主人に欺かれて身重になった。主家では其その執事遠藤某をして後の始末をつけさせた。其条件は光子が無事に産をしたなら二十個年子供の養育費として毎月五拾円を送る。其代り子供の戸籍については主家では全然与あずかり知らない。又光子が他へ嫁かする場合には相当の持参金を贈ると云うような事であった。 光子は執事遠藤の家へ引取られ男の児を産んで六十日たつか経たぬ中うちやはり遠藤の媒なか介だちで中学校の英語教師種田順平なるものの後妻となった。時に光子は十九、種田は三十歳であった。 種田は初めの恋女房を失ってから、薄給な生活の前途に何の希望をも見ず、中年に近ちかづくに従って元気のない影のような人間になっていたが、旧友の遠藤に説きすすめられ、光子母おや子この金にふと心が迷って再婚をした。其時子供は生れたばかりで戸籍の手続もせずにあったので、遠藤は光子母子の籍を一緒に種田の家に移した。それ故後のちになって戸籍を見ると、種田夫婦は久しく内縁の関係をつづけていた後、長男が生れた為、初めて結婚入籍の手続をしたもののように思われる。 二年たって女の児が生れ、つづいて又男の児が生れた。 表向は長男で、実は光子の連つれ子こになる為ため年としが丁年になった時、多年秘密の父から光子の手ても許とに送られていた教育費が途絶えた。約束の年限が終ったばかりではない。実父は先年病死し、其夫人もまたつづいて世を去った故である。 長女芳子と季すえ児こ為ため秋あきの成長するに従って生活費は年々多くなり、種田は二三軒夜学校を掛持ちして歩かねばならない。 長男為年は私立大学に在学中、スポーツマンとなって洋行する。妹芳子は女学校を卒業するや否や活動女優の花形となった。 継妻光子は結婚当時は愛くるしい円顔であったのがいつか肥満した婆ばばとなり、日蓮宗に凝りかたまって、信徒の団体の委員に挙げられている。 種田の家は或時は宛さながら講中の寄合所、或時は女優の遊び場、或時はスポーツの練習場もよろしくと云う有様。その騒さわがしさには台所にも鼠が出ないくらいである。 種田はもともと気の弱い交際嫌いな男なので、年を取るにつれて家内の喧騒には堪えられなくなる。妻子の好むものは悉ことごとく種田の好まぬものである。種田は家族の事については勉めて心を留めないようにした。おのれの妻子を冷眼に視るのが、気の弱い父親のせめてもの復ふく讐しゅうであった。 五十一歳の春、種田は教師の職を罷やめられた。退職手当を受取った其日、種田は家にかえらず、跡をくらましてしまった。 是これより先、種田は嘗かつて其家に下女奉公に来た女すみ子と偶然電車の中で邂かい逅こうし、其女が浅あさ草くさ駒こま形がた町まちのカフエーに働いている事を知り、一二度おとずれてビールの酔を買った事がある。 退職手当の金をふところにした其夜である。種田は初て女給すみ子の部屋借をしているアパートに行き、事情を打明けて一晩泊めてもらった……。 * * * それから先どういう風に物語の結末をつけたらいいものか、わたくしはまだ定案を得ない。 家族が捜索願を出す。種田が刑事に捕えられて説諭せられる。中年後に覚えた道楽は、むかしから七ツ下りの雨に譬たとえられているから、種田の末路はわけなくどんなにでも悲惨にすることが出来るのだ。 わたくしはいろいろに種田の堕落して行く道筋と、其折々の感情とを考えつづけている。刑事につかまって拘こう引いんされて行く時の心持、妻子に引渡された時の当惑と面目なさ。其身になったらどんなものだろう。わたくしは山谷の裏町で女の古着を買った帰り道、巡査につかまり、路端の交番で厳しく身元を調べられた。この経験は種田の心理を描写するには最も都合の好い資料である。 小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。わたくしは屡しばしば人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過るような誤あやまちに陥ったこともあった。 わたくしは東京市中、古来名勝の地にして、震災の後新しき町が建てられて全く旧観を失った、其状況を描写したいが為に、種田先生の潜伏する場所を、本所か深川か、もしくは浅草のはずれ。さなくば、それに接した旧郡部の陋ろう巷こうに持って行くことにした。 これまで折々の散策に、砂町や亀井戸や、小松川、寺てら島じま町まちあたりの景況には大略通じているつもりであったが、いざ筆を着けようとすると、俄にわかに観察の至らない気がして来る。曾かつて、︵明治三十五六年の頃︶わたくしは深川洲すさ崎きゆ遊うか廓くの娼妓を主題にして小説をつくった事があるが、その時これを読んだ友人から、﹁洲崎遊廓の生活を描写するのに、八九月頃の暴風雨や海つな嘯みのことを写さないのは杜ずさ撰んの甚はなはだしいものだ。作者先生のお通いなすった甲きの子えね楼ろうの時計台が吹倒されたのも一度や二度のことではなかろう。﹂と言われた。背景の描写を精細にするには季節と天候とにも注意しなければならない。例えばラフカジオ、ハーン先生の名著チタ或はユーマの如くに。 六月末の或夕方である。梅ばい雨うはまだ明けてはいないが、朝から好く晴れた空は、日の長いころの事で、夕飯をすましても、まだたそがれようともしない。わたくしは箸はしを擱おくと共にすぐさま門を出いで、遠く千せん住じゅなり亀井戸なり、足の向く方へ行って見るつもりで、一ひと先まず電車で雷かみ門なりもんまで往ゆくと、丁度折好く来合せたのは寺島玉の井としてある乗合自動車である。 吾あづ妻まば橋しをわたり、広い道を左に折れて源げん森もり橋ばしをわたり、真直に秋葉神社の前を過ぎて、また姑しばらく行くと車は線路の踏切でとまった。踏切の両側には柵さくを前にして円タクや自転車が幾輛となく、貸物列車のゆるゆる通り過るのを待っていたが、歩く人は案外少く、貧家の子供が幾組となく群むれをなして遊んでいる。降りて見ると、白髯橋から亀井戸の方へ走る広い道が十文字に交錯している。ところどころ草の生えた空あき地ちがあるのと、家やな並みが低いのとで、どの道も見みわ分けのつかぬほど同じように見え、行先はどこへ続くのやら、何となく物淋しい気がする。 わたくしは種田先生が家族を棄てて世を忍ぶ処を、この辺の裏町にして置いたら、玉の井の盛さか場りばも程近いので、結末の趣向をつけるにも都合がよかろうと考え、一町ほど歩いて狭い横道へ曲って見た。自転車も小脇に荷物をつけたものは、摺すれちがう事が出来ないくらいな狭い道で、五六歩行くごとに曲っているが、両側とも割合に小綺麗な耳くぐ門りもんのある借家が並んでいて、勤先からの帰りとも見える洋服の男や女が一人二人ずつ前後して歩いて行く。遊んでいる犬を見ても首環に鑑札がつけてあって、左程汚きたならしくもない。忽たちまちにして東武鉄道玉の井停車場の横手に出た。 線路の左右に樹木の鬱然と生おい茂しげった広大な別荘らしいものがある。吾妻橋からここに来るまで、このように老樹の茂もり林んをなした処は一箇所もない。いずれも久しく手入をしないと見えて、匐はいのぼる蔓つる草くさの重さに、竹たけ藪やぶの竹の低くしなっているさまや、溝どぶ際ぎわの生垣に夕顔の咲いたのが、いかにも風雅に思われてわたくしの歩みを引ひき止とどめた。 むかし白髯さまのあたりが寺島村だという話をきくと、われわれはすぐに五代目菊五郎の別荘を思出したものであるが、今こん日にちたまたまこの処にこのような庭園が残ったのを目にすると、そぞろに過ぎ去った時代の文雅を思起さずには居られない。 線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京けい成せい電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽おおわれて、此こな方たから見ると城しろ址あとのような趣をなしている。 わたくしは夏草をわけて土手に登って見た。眼の下には遮さえぎるものもなく、今歩いて来た道と空地と新開の町とが低く見渡されるが、土手の向側は、トタン葺ぶきの陋ろう屋おくが秩序もなく、端はてしもなく、ごたごたに建て込んだ間から湯屋の烟えん突とつが屹きつ立りつして、その頂きに七なな八よう日か頃の夕月が懸っている。空の一方には夕ゆう栄ばえの色が薄く残っていながら、月の色には早くも夜らしい輝きができ、トタン葺の屋根の間々からはネオンサインの光と共にラディオの響が聞え初める。 わたくしは脚あし下もとの暗くなるまで石の上に腰をかけていたが、土手下の窓々にも灯がついて、むさくるしい二階の内なかがすっかり見下されるようになったので、草の間に残った人の足跡を辿たどって土手を降りた。すると意外にも、其処はもう玉の井の盛場を斜に貫く繁華な横町の半なか程ほどで、ごたごた建て連った商店の間の路地口には﹁ぬけられます﹂とか、﹁安全通路﹂とか、﹁京成バス近道﹂とか、或は﹁オトメ街﹂或は﹁賑にぎ本わい通ほんどおり﹂など書いた灯がついている。 大分その辺を歩いた後、わたくしは郵便箱の立っている路地口の煙草屋で、煙草を買い、五円札の剰つ銭りを待っていた時である。突然、﹁降ってくるよ。﹂と叫びながら、白い上ッ張を着た男が向側のおでん屋らしい暖のれ簾んのかげに馳かけ込むのを見た。つづいて割かっ烹ぽう着ぎの女や通りがかりの人がばたばた馳け出す。あたりが俄に物もの気け立だつかと見る間もなく、吹落る疾風に葭よし簀ずや何かの倒れる音がして、紙屑と塵ご芥みとが物の怪けのように道の上を走って行く。やがて稲妻が鋭く閃ひらめき、ゆるやかな雷らいの響につれて、ポツリポツリと大きな雨の粒が落ちて来た。あれほど好く晴れていた夕方の天気は、いつの間にか変ってしまったのである。 わたくしは多年の習慣で、傘かさを持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れていても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後うし方ろから、﹁檀那、そこまで入れてってよ。﹂といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油の匂においで結ったばかりと知られる大きな潰つ島ぶ田しには長目に切った銀ぎん糸しをかけている。わたくしは今方通りがかりに硝ガラ子ス戸を明け放した女髪かみ結ゆいの店のあった事を思出した。 吹き荒れる風と雨とに、結ゆい立たての髷まげにかけた銀糸の乱れるのが、いたいたしく見えたので、わたくしは傘をさし出して、﹁おれは洋服だからかまわない。﹂ 実は店つづきの明い燈火に、さすがのわたくしも相あい合あい傘がさには少しく恐縮したのである。 ﹁じゃ、よくって。すぐ、そこ。﹂と女は傘の柄につかまり、片手に浴ゆか衣たの裾すそを思うさままくり上げた。三
稲妻がまたぴかりと閃き、雷がごろごろと鳴ると、女はわざとらしく﹁あら﹂と叫び、一ひと歩あし後おくれて歩こうとするわたくしの手を取り、﹁早くさ。あなた。﹂ともう馴れ馴れしい調子である。 ﹁いいから先へお出で。ついて行くから。﹂ 路地へ這入ると、女は曲るたび毎に、迷わぬようにわたくしの方に振返りながら、やがて溝どぶにかかった小橋をわたり、軒並一帯に葭よし簀ずの日ひお蔽いをかけた家の前に立留った。 ﹁あら、あなた。大変に濡れちまったわ。﹂と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌てのひらでわたくしの上着の雫しずくを払う。 ﹁ここがお前の家うちか。﹂ ﹁拭ふいて上げるから、寄っていらっしゃい。﹂ ﹁洋服だからいいよ。﹂ ﹁拭いて上げるっていうのにさ。わたしだってお礼がしたいわよ。﹂ ﹁どんなお礼だ。﹂ ﹁だから、まアお這入んなさい。﹂ 雷かみなりの音は少し遠くなったが、雨は却て礫つぶてを打つように一層激しく降りそそいで来た。軒先に掛けた日蔽の下に居ても跳はね上あがる飛しぶ沫きの烈しさに、わたくしはとやかく言う暇いとまもなく内へ這入った。 荒い大阪格子を立てた中仕切へ、鈴のついたリボンの簾すだれが下げてある。其下の上あが框りがまちに腰をかけて靴を脱ぐ中うちに女は雑ぞう巾きんで足をふき、端はし折ょった裾もおろさず下座敷の電燈をひねり、 ﹁誰もいないから、お上んなさい。﹂ ﹁お前一人か。﹂ ﹁ええ。昨ゆう夜べまで、もう一人居たのよ。住すみ替かえに行ったのよ。﹂ ﹁お前さんが御主人かい。﹂ ﹁いいえ。御主人は別の家うちよ。玉の井館ッて云う寄よ席せがあるでしょう。その裏に住すま宅いがあるのよ。毎晩十二時になると帳面を見にくるわ。﹂ ﹁じゃアのん気だね。﹂わたくしはすすめられるがまま長火鉢の側そばに坐り、立たて膝ひざして茶を入れる女の様子を見やった。 年は二十四五にはなっているであろう。なかなかいい容きり貌ょうである。鼻筋の通った円顔は白おし粉ろい焼やけがしているが、結ゆい立たての島田の生はえ際ぎわもまだ抜ぬけ上あがってはいない。黒目勝の眼の中も曇っていず唇や歯ぐきの血色を見ても、其健康はまださして破壊されても居ないように思われた。 ﹁この辺は井戸か水道か。﹂とわたくしは茶を飲む前に何気なく尋ねた。井戸の水だと答えたら、茶は飲む振りをして置く用意である。 わたくしは花柳病よりも寧むしろチブスのような伝染病を恐れている。肉体的よりも夙はやくから精神的廢人になったわたくしの身には、花柳病の如き病勢の緩慢なものは、老後の今日、さして気にはならない。 ﹁顔でも洗うの。水道なら其そ処こにあるわ。﹂と女の調子は極めて気軽である。 ﹁うむ。後でいい。﹂ ﹁上着だけおぬぎなさい。ほんとに随分濡れたわね。﹂ ﹁ひどく降ってるな。﹂ ﹁わたし雷さまより光るのがいやなの。これじゃお湯にも行けやしない。あなた。まだいいでしょう。わたし顔だけ洗って御おし化ま粧いしてしまうから。﹂ 女は口をゆがめて、懐ふと紙ころがみで生際の油をふきながら、中仕切の外の壁に取りつけた洗面器の前に立った。リボンの簾越しに、両もろ肌はだをぬぎ、折りかがんで顔を洗う姿が見える。肌は顔よりもずっと色が白く、乳房の形で、まだ子供を持った事はないらしい。 ﹁何だか檀那になったようだな。こうしていると。箪たん笥すはあるし、茶棚はあるし……。﹂ ﹁あけて御覧なさい。お芋か何かある筈よ。﹂ ﹁よく片づいているな。感心だ。火鉢の中なんぞ。﹂ ﹁毎朝、掃除だけはちゃんとしますもの。わたし、こんな処にいるけれど、世帯持は上手なのよ。﹂ ﹁長くいるのかい。﹂ ﹁まだ一年と、ちょっと……。﹂ ﹁この土地が初めてじゃないんだろう。芸者でもしていたのかい。﹂ 汲くみかえる水の音に、わたくしの言うことが聞えなかったのか、又は聞えない振りをしたのか、女は何とも答えず、肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り毛け筋す棒きで鬢びんを上げ、肩の方から白粉をつけ初める。 ﹁どこに出ていたんだ。こればかりは隠せるものじゃない。﹂ ﹁そう……でも東京じゃないわ。﹂ ﹁東京のいまわりか。﹂ ﹁いいえ。ずっと遠く……。﹂ ﹁じゃ、満洲……。﹂ ﹁宇都の宮にいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。﹂と言いながら立上って、衣えも紋んだ竹けに掛けた裾模様の単ひ衣と物えに着かえ、赤い弁慶縞の伊だて達じ締めを大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓のように見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からバットを取り、 ﹁縁起だから御祝しゅ儀うぎだけつけて下さいね。﹂と火をつけた一本を差出す。 わたくしは此の土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、 ﹁五十銭だね。おぶ代だいは。﹂ ﹁ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。﹂と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸している。 ﹁じゃ、一時間ときめよう。﹂ ﹁すみませんね。ほんとうに。﹂ ﹁その代り。﹂と差出した手を取って引寄せ、耳元に囁ささやくと、 ﹁知らないわよ。﹂と女は目を見張って睨にらみ返し、﹁馬鹿。﹂と言いさまわたくしの肩を撲うった。 為ため永なが春しゅ水んすいの小説を読んだ人は、作者が叙事のところどころに自家弁護の文を挾さしはさんでいることを知っているであろう。初恋の娘が恥しさを忘れて思う男に寄添うような情景を書いた時には、その後で、読者はこの娘がこの場合の様子や言葉使のみを見て、淫いた奔ずら娘ものだと断定してはならない。深窓の女じょも意中を打明ける場合には芸者も及ばぬ艶なまめかしい様子になることがある。また、既に里馴れた遊女が偶然幼おさ馴なな染じみの男にめぐり会うところを写した時には、商く売ろ人とでも斯こう云う時には娘のようにもじもじするもので、これはこの道の経験に富んだ人達の皆承知しているところで、作者の観察の至らないわけではないのだから、そのつもりでお読みなさいと云うような事が書添えられている。 わたくしは春水に倣ならって、ここに剰語を加える。読者は初めて路傍で逢った此この女おんなが、わたくしを遇する態度の馴々し過るのを怪しむかも知れない。然しこれは実地の遭遇を潤色せずに、そのまま記述したのに過ぎない。何の作意も無いのである。驟しゅ雨うう雷鳴から事件の起ったのを見て、これまた作者常じょ套うとうの筆法だと笑う人もあるだろうが、わたくしは之を慮おもんばかるがために、わざわざ事を他に設けることを欲しない。夕立が手引をした此夜の出来事が、全く伝統的に、お誂あつらい通りであったのを、わたくしは却て面白く思い、実はそれが書いて見たいために、この一篇に筆を執り初めたわけである。 一体、この盛場の女は七八百人と数えられているそうであるが、その中に、島田や丸髷に結っているものは、十人に一人くらい。大体は女給まがいの日本風と、ダンサア好みの洋装とである。雨あま宿やどりをした家の女が極く少数の旧風に属していた事も、どうやら陳腐の筆法に適当しているような心持がして、わたくしは事実の描写を傷きずつけるに忍びなかった。 雨は歇やまない。 初め家うちへ上った時には、少し声を高くしなければ話が聞きとれない程の降り方であったが、今では戸口へ吹きつける風の音も雷かみなりの響も歇んで、亜とた鉛んぶ葺きの屋根を撲つ雨の音と、雨だれの落ちる声ばかりになっている。路地には久しく人の声も跫あし音おとも途絶えていたが、突然、 ﹁アラアラ大変だ。きいちゃん。鰌どじょうが泳いでるよ。﹂という黄いろい声につれて下駄の音がしだした。 女はつと立ってリボンの間から土間の方を覗のぞき、﹁家うちは大丈夫だ。溝どぶがあふれると、此こっ方ちまで水が流れてくるんですよ。﹂ ﹁少しは小降りになったようだな。﹂ ﹁宵の口に降るとお天気になっても駄目なのよ。だから、ゆっくりしていらっしゃい。わたし、今の中うちに御飯たべてしまうから。﹂ 女は茶棚の中から沢たく庵あん漬づけを山盛りにした小皿と、茶漬茶碗と、それからアルミの小鍋を出して、鳥ちょ渡っと蓋ふたをあけて匂をかぎ、長火鉢の上に載せるのを、何かと見れば薩さつ摩まい芋もの煮たのである。 ﹁忘れていた。いいものがある。﹂とわたくしは京橋で乗換の電車を待っていた時、浅草海の苔りを買ったことを思い出して、それを出した。 ﹁奥さんのお土みや産げ。﹂ ﹁おれは一人なんだよ。食べるものは自分で買わなけれア。﹂ ﹁アパートで彼女と御一緒。ほほほほほ。﹂ ﹁それなら、今時分うろついちゃア居られない。雨でも雷でも、かまわず帰るさ。﹂ ﹁そうねえ。﹂と女はいかにも尤もっともだと云うような顔をして暖くなりかけたお鍋の蓋を取り、﹁一緒にどう。﹂ ﹁もう食べて来た。﹂ ﹁じゃア、あなたは向むこうをむいていらっしゃい。﹂ ﹁御飯は自分で炊くのかい。﹂ ﹁住すま宅いの方から、お昼と夜の十二時に持って来てくれるのよ。﹂ ﹁お茶を入れ直そうかね。お湯がぬるい。﹂ ﹁あら。はばかりさま。ねえ。あなた。話をしながら御飯をたべるのは楽しみなものね。﹂ ﹁一人ッきりの、すっぽり飯はいやだな。﹂ ﹁全くよ。じゃア、ほんとにお一人。かわいそうねえ。﹂ ﹁察しておくれだろう。﹂ ﹁いいの、さがして上げるわ。﹂ 女は茶漬を二杯ばかり。何やらはしゃいだ調子で、ちゃらちゃらと茶碗の中で箸をゆすぎ、さも急いそがしそうに皿小鉢を手早く茶棚にしまいながらも、顎おとがいを動して込上げる沢庵漬のおくびを押えつけている。 戸そ外とには人の足音と共に﹁ちょいとちょいと﹂と呼ぶ声が聞え出した。 ﹁歇んだようだ。また近い中に出て来よう。﹂ ﹁きっと入いらっしゃいね。昼間でも居ます。﹂ 女はわたくしが上着をきかけるのを見て、後へ廻り襟えりを折返しながら肩越しに頬を摺すり付つけて、﹁きっとよ。﹂ ﹁何て云う家うちだ。ここは。﹂ ﹁今、名刺あげるわ。﹂ 靴をはいている間あいだに、女は小窓の下に置いた物の中から三味線のバチの形に切った名刺を出してくれた。見ると寺島町七丁目六十一番地︵二部︶安藤まさ方雪子。 ﹁さよなら。﹂ ﹁まっすぐにお帰んなさい。﹂四
小説「失踪」の一節
吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚よせ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待まち合あわしているのである。
橋の上には円タクの外ほか電車もバスももう通っていなかったが、二三日前から俄にわかの暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女の往き来もまだ途絶えずにいる。種田は今夜すみ子の泊っているアパートに行き、それからゆっくり行末の目当を定めるつもりなので、行った先で、女がどうなるものやら、そんな事は更に考えもせず、又考える余裕もない。唯今こん日にちまで二十年の間家族のために一生を犠牲にしてしまった事が、いかにもにがにがしく、腹が立ってならないのであった。
﹁お待ちどうさま。﹂思ったより早くすみ子は小走りにかけて来た。﹁いつでも、駒こま形がた橋ばしをわたって行くんですよ。だけれど、兼子さんと一緒だから。あの子、口がうるさいからね。﹂
﹁もう電車はなくなったようだぜ。﹂
﹁歩いたって、停留場三つぐらいだわ。その辺から円タクに乗りましょう。﹂
﹁明いた部屋があればいいが。﹂
﹁無かったら今夜一晩ぐらい、わたしのとこへお泊んなさい。﹂
﹁いいのか、大丈夫か。﹂
﹁何がさ。﹂
﹁いつか新聞に出ていたじゃないか。アパートでつかまった話が……。﹂
﹁場所によるんだわ。きっと。わたしの処なんか自由なもんよ。お隣も向側もみんな女給さんかお妾めかけさんよ。お隣りなんか、いろいろな人が来るらしいわ。﹂
橋を渡り終らぬ中に流しの円タクが秋葉神社の前まで三十銭で行く事を承知した。
﹁すっかり変ってしまったな。電車はどこまで行くんだ。﹂
﹁向嶋の終点。秋葉さまの前よ。バスなら真直に玉の井まで行くわ。﹂
﹁玉の井――こんな方角だったかね。﹂
﹁御存じ。﹂
﹁たった一度見物に行った。五六年前だ。﹂
﹁賑にぎやかよ。毎晩夜店が出るし、原っぱに見世物もかかるわ。﹂
﹁そうか。﹂
種田は通とお過りすぎる道の両側を眺めている中、自動車は早くも秋葉神社の前に来た。すみ子は戸の引手を動しながら、
﹁ここでいいわ。はい。﹂と賃銭をわたし、﹁そこから曲りましょう。あっちは交番があるから。﹂
神社の石垣について曲ると片側は花柳界の灯あかりがつづいている横町の突当り。俄に暗い空地の一隅に、吾妻アパートという灯が、セメント造りの四角な家の前面を照している。すみ子は引戸をあけて内なかに入り、室の番号をしるした下駄箱に草履をしまうので、種田も同じように履物を取り上げると、
﹁二階へ持って行きます。目につくから。﹂とすみ子は自分のスリッパーを男にはかせ、その下駄を手にさげて正面の階段を先に立って上る。
外側の壁や窓は西洋風に見えるが、内なかは柱の細い日本造りで、ぎしぎし音のする階段を上りきった廊下の角に炊事場があって、シュミイズ一枚の女が、断髪を振乱したまま薬やか鑵んに湯をわかしていた。
﹁今晩。﹂とすみ子は軽く挨拶をして右側のはずれから二番目の扉を鍵かぎであけた。
畳のよごれた六畳ほどの部屋で、一方は押入、一方の壁際には箪たん笥す、他の壁には浴ゆか衣たやボイルの寝間着がぶら下げてある。すみ子は窓を明けて、﹁ここが涼しいわ。﹂と腰巻や足た袋びの下っている窓の下に座布団を敷いた。
﹁一人でこうしていれば全く気楽だな。結婚なんか全く馬鹿らしくなるわけだな。﹂
﹁家うちではしょっちゅう帰って来いッて云うのよ。だけれど、もう駄目ねえ。﹂
﹁僕ももう少し早く覚かく醒せいすればよかったのだ。今じゃもう晩おそい。﹂と種田は腰巻の干してある窓越しに空の方を眺めたが、思出したように、﹁明あき間まがあるか、きいてくれないか。﹂
すみ子は茶を入れるつもりと見えて、湯わかしを持ち、廊下へ出て何やら女同士で話をしていたが、すぐ戻って来て、
﹁向むこうの突当りが明いているそうです。だけれど今夜は事務所のおばさんが居ないんですとさ。﹂
﹁じゃ、借りるわけには行かないな。今夜は。﹂
﹁一晩や二晩、ここでもいいじゃないの。あんたさえ構わなければ。﹂
﹁おれはいいが。あんたはどうする。﹂と種田は眼を円くした。
﹁わたし。此こ処こに寝るわ。お隣りの君ちゃんのとこへ行ってもいいのよ。彼氏が来ていなければ。﹂
﹁あんたの処とこは誰も来ないのか。﹂
﹁ええ。今のところ。だから構わないのよ。だけれど、先生を誘惑してもわるいでしょう。﹂
種田は笑いたいような、情ないような一種妙な顔をしたまま何とも言わない。
﹁立派な奥さんもお嬢さんもいらっしゃるんだし……。﹂
﹁いや、あんなもの。晩おそ蒔まきでもこれから新生涯に入るんだ。﹂
﹁別居なさるの。﹂
﹁うむ。別居。むしろ離別さ。﹂
﹁だって、そうはいかないでしょう。なかなか。﹂
﹁だから、考えているんだ。乱暴でも何でもかまわない。一時姿を晦くらますんだな。そうすれば決裂の糸口がつくだろうと思うんだ。すみ子さん。明部屋のはなしが付かなければ、迷惑をかけても済まないから、僕は今夜だけ何ど処こかで泊ろう。玉の井でも見物しよう。﹂
﹁先生。わたしもお話したいことがあるのよ。どうしようかと思って困ってる事があるのよ。今夜は寝ないで話をして下さらない。﹂
﹁この頃はじき夜があけるからね。﹂
﹁このあいだ横浜までドライブしたら、帰り道には明くなったわ。﹂
﹁あんたの身上話は、初めッから聞いたら、女中で僕の家いえへ来るまででも大変なものだろう。それから女給になってから、まだ先があるんだからな。﹂
﹁一晩じゃ足りないかも知れないわね。﹂
﹁全く……ははははは。﹂
一ひと時しきり寂しんとしていた二階のどこやらから、男女の話声が聞え出した。炊事場では又しても水の音がしている。すみ子は真実夜通し話をするつもりと見えて、帯だけ解いて丁寧に畳み、足袋を其上に載せて押入にしまい、それから茶ぶ台の上を拭ふき直なおして茶を入れながら、
﹁わたしのこうなった訳、先生は何だと思って。﹂
﹁さア、やっぱり都会のあこがれだと思うんだが、そうじゃないのか。﹂
﹁それも無論そうだけれど、それよりか、わたし父の商売が、とてもいやだったの。﹂
﹁何だね。﹂
﹁親分とか侠きょ客うかくとかいうんでしょう。とにかく暴力団……。﹂とすみ子は声を低くした。
五
梅つ雨ゆがあけて暑中になると、近鄰の家の戸障子が一斉に明け放されるせいでもあるか、他の時節には聞えなかった物音が俄に耳立ってきこえて来る。物音の中で最もわたくしを苦しめるものは、板いた塀べい一枚を隔てた鄰家のラディオである。 夕方少し涼しくなるのを待ち、燈下の机に向おうとすると、丁度その頃から亀ひ裂びの入いったような鋭い物音が湧わき起おこって、九時過ぎてからでなくては歇まない。此の物音の中でも、殊に甚はなはだしくわたくしを苦しめるものは九州弁の政談、浪なに花わぶ節し、それから学生の演劇に類似した朗読に洋楽を取り交ぜたものである。ラディオばかりでは物足らないと見えて、昼夜時間をかまわず蓄音機で流はや行りう唄たを鳴ならし立てる家もある。ラディオの物音を避けるために、わたくしは毎年夏になると夕ゆう飯めしもそこそこに、或時は夕飯も外で食うように、六時を合図にして家を出ることにしている。ラディオは家を出れば聞えないというわけではない。道端の人家や商店からは一段烈しい響が放たれているのであるが、電車や自動車の響と混こん淆こうして、市街一般の騒音となって聞えるので、書斎に孤坐している時にくらべると、歩いている時の方が却て気にならず、余程楽である。 ﹁失踪﹂の草稿は梅雨があけると共にラディオに妨げられ、中絶してからもう十日あまりになった。どうやら其そのまま感興も消え失せてしまいそうである。 今年の夏も、昨年また一昨年と同じように、毎日まだ日の没しない中うちから家を出るが、実は行くべきところ、歩むべきところが無い。神こう代じろ帚そう葉よう翁おうが生きていた頃には毎夜欠かさぬ銀座の夜涼みも、一いち夜やごとに興味の加くわわるほどであったのが、其人も既に世を去り、街頭の夜色にも、わたくしはもう飽あき果はてたような心持になっている。之に加えて、其後銀座通にはうっかり行かれないような事が起った。それは震災前ぜん新橋の芸者家に出入していたと云う車夫が今は一見して人殺しでもしたことのありそうな、人相と風ふう体ていの悪い破なら落ずも戸のになって、折おり節ふし尾張町辺を徘はい徊かいし、むかし見覚えのあるお客の通るのを見ると無心難題を言いかける事である。 最はじ初め黒沢商店の角で五拾銭銀貨を恵んだのが却て悪い例となり、恵まれぬ時は悪声を放つので、人だかりのするのが厭いやさにまた五拾銭やるようになってしまう。此男に酒さか手ての無心をされるのはわたくしばかりではあるまいと思って、或晩欺いて四辻の派出所へ連れて行くと、立番の巡査とはとうに馴染になっていて、巡査は面倒臭さに取り合ってくれる様子をも見せなかった。出いず雲もち町ょう……イヤ七丁目の交番でも、或日巡査と笑いながら話をしているのを見た。巡査の眼にはわたくしなどより此男の方が却て素姓が知れているのかも知れない。 わたくしは散策の方面を隅田河の東に替え、溝どぶ際ぎわの家に住んでいるお雪という女をたずねて憩やすむことにした。 四五日つづけて同じ道を往復すると、麻あざ布ぶからの遠道も初めに比べると、だんだん苦にならないようになる。京橋と雷かみ門なりもんとの乗替も、習慣になると意識よりも身から体だの方が先に動いてくれるので、さほど煩わずらわしいとも思わないようになる。乗客の雑ざっ沓とうする時間や線路が、日によって違うことも明あきらかになるので、之を避けさえすれば、遠道だけにゆっくり本を読みながら行くことも出来るようになる。 電車の内なかでの読書は、大正九年の頃老眼鏡を掛けるようになってから全く廃せられていたが、雷門までの遠道を往復するようになって再び之を行うことにした。然し新聞も雑誌も新刊書も、手にする習慣がないので、わたくしは初めての出掛けには、手に触れるがまま依よだ田がく学か海いの墨水二十四景を携えて行った。
長堤蜿蜒。経二三囲祠一稍成二彎状一。至二長命寺一。一折為二桜樹最多処一。寛永中徳川大猷公放二鷹於此一。会腹痛。飲二寺井一而癒。曰。是長命水也。因名二其井一。並及二寺号一。後有二芭蕉居士賞レ雪佳句一。鱠二炙人口一。嗚呼公絶代豪傑。其名震レ世。宜矣。居士不二過一布衣一。同伝レ於レ後。蓋人在下所二樹立一何如上耳。
先儒の文は目前の景に対して幾分の興を添えるだろうと思ったからである。
わたくしは三日目ぐらいには散歩の途すがら食料品を買わねばならない。わたくしは其ついでに、女に贈る土産物をも買った。此事が往訪すること僅に四五回にして、二重の効果を収めた。
いつも鑵かん詰づめばかり買うのみならず、シャツや上着もボタンの取れたのを着ているのを見て、女はいよいよわたくしをアパート住いの独ひと者りものと推定したのである。独身ならば毎夜のように遊びに行っても一向不審はないと云う事になる。ラディオのために家に居られないと思う筈もなかろうし、又芝居や活動を見ないので、時間を空費するところがない。行く処がないので来る人だとも思う筈がない。この事は言訳をせずとも自然にうまく行ったが、金の出でど処ころについて疑いをかけられはせぬかと、場所柄だけに、わたくしはそれとなく質問した。すると女は其晩払うものさえ払ってくれれば、他ほかの事はてんで考えてもいないと云う様子で、
﹁こんな処とこでも、遣つかう人は随分遣うわよ。まる一ト月居続けしたお客があったわ。﹂
﹁へえ。﹂とわたくしは驚き、﹁警察へ届けなくってもいいのか。吉原なんかだとじき届けると云う話じゃないか。﹂
﹁この土地でも、家うちによっちゃアするかも知れないわ。﹂
﹁居続したお客は何だった。泥棒か。﹂
﹁呉服屋さんだったわ。とうとう店の檀だん那なが来て連れて行ったわ。﹂
﹁勘定の持逃げだね。﹂
﹁そうでしょう。﹂
﹁おれは大丈夫だよ。其その方ほうは。﹂と言ったが、女はどちらでも構わないという顔をして聞返しもしなかった。
然しわたくしの職業については、女の方ではとうから勝手に取りきめているらしい事がわかって来た。
二階の襖ふすまに半紙四ツ切程の大きさに複刻した浮世絵の美人画が張はり交まぜにしてある。その中には歌麻呂の鮑あわび取り、豊とよ信のぶの入浴美女など、曾かつてわたくしが雑誌此この花はなの挿さし絵えで見覚えているものもあった。北斎の三冊本、福徳和合人の中から、男の姿を取り去り、女の方ばかりを残したものもあったので、わたくしは委くわしくこの書の説明をした。それから又、お雪がお客と共に二階へ上っている間、わたくしは下の一ト間で手帳へ何か書いていたのを、ちらと見て、てっきり秘密の出版を業とする男だと思ったらしく、こん度来る時そういう本を一冊持って来てくれと言出した。
家には二三十年前に集めたものの残りがあったので、請われるまま三四冊一度に持って行った。ここに至って、わたくしの職業は言わず語らず、それと決められたのみならず、悪銭の出でど処ころもおのずから明瞭になったらしい。すると女の態度は一層打解けて、全く客扱いをしないようになった。
日蔭に住む女達が世を忍ぶ後暗い男に対する時、恐れもせず嫌いもせず、必ず親密と愛憐との心を起す事は、夥か多たの実例に徴して深く説明するにも及ぶまい。鴨かも川がわの芸妓は幕吏に追われる志士を救い、寒駅の酌婦は関所破りの博徒に旅費を恵むことを辞さなかった。トスカは逃とう竄ざんの貧士に食を与え、三みち千と歳せは無頼漢に恋愛の真情を捧げて悔いなかった。
此ここに於てわたくしの憂慮するところは、この町の附近、若もしくは東武電車の中などで、文学者と新聞記者とに出会わぬようにする事だけである。この他たの人達には何処で会おうと、後をつけられようと、一向に差さし閊つかえはない。謹厳な人達からは年少の頃から見限られた身である。親類の子供もわたくしの家には寄りつかないようになっているから、今では結局憚はばかるものはない。ただ独ひとり恐る可べきは操そう觚この士である。十余年前銀座の表通に頻しきりにカフエーが出来はじめた頃、此に酔を買った事から、新聞と云う新聞は挙こぞってわたくしを筆ひっ誅ちゅうした。昭和四年の四月﹁文藝春秋﹂という雑誌は、世に﹁生存させて置いてはならない﹂人間としてわたくしを攻撃した。其文中には﹁処女誘拐﹂というが如き文字をも使用した所を見るとわたくしを陥れて犯法の罪人たらしめようとしたものかも知れない。彼等はわたくしが夜竊ひそかに墨水をわたって東に遊ぶ事を探知したなら、更に何事を企図するか測りがたい。これ真に恐る可きである。
毎夜電車の乗降りのみならず、この里へ入込んでからも、夜店の賑にぎわう表通は言うまでもない。路地の小こみ径ちも人の多い時には、前後左右に気を配って歩かなければならない。この心持は﹁失しっ踪そう﹂の主人公種田順平が世をしのぶ境遇を描写するには必ひっ須しゅの実験であろう。
六
わたくしの忍んで通う溝どぶ際ぎわの家が寺島町七丁目六十何番地に在ることは既に識しるした。この番地のあたりはこの盛場では西北の隅すみに寄ったところで、目めぬ貫きの場所ではない。仮に之を北里に譬たとえて見たら、京町一丁目も西河が岸しに近いはずれとでも言うべきものであろう。聞いたばかりの話だから、鳥ちょ渡っと通つうめかして此盛場の沿革を述べようか。大正七八年の頃、浅草観音堂裏手の境内が狭せばめられ、広い道路が開かれるに際して、むかしから其辺に櫛しっ比ぴしていた楊よう弓きゅ場うば銘酒屋のたぐいが悉ことごとく取払いを命ぜられ、現い在までも京成バスの往復している大正道路の両側に処定めず店を移した。つづいて伝法院の横手や江えが川わ玉乗りの裏あたりからも追われて来るものが引きも切らず、大正道路は殆ほとんど軒並銘酒屋になってしまい、通行人は白昼でも袖そでを引かれ帽子を奪われるようになったので、警察署の取締りが厳しくなり、車の通る表通から路地の内へと引込ませられた。浅草の旧地では凌りょ雲うう閣んかくの裏手から公園の北側千束町の路地に在ったものが、手を尽して居残りの策を講じていたが、それも大正十二年の震災のために中絶し、一時悉くこの方面へ逃げて来た。市街再建の後西にし見けん番ばんと称する芸者家組合をつくり転業したものもあったが、この土地の繁栄はますます盛になり遂に今日の如き半ば永久的な状況を呈するに至った。初め市中との交通は白しら髯ひげ橋ばしの方面一筋だけであったので、去年京成電車が運転を廃止する頃までは其停留場に近いところが一番賑にぎやかであった。 然るに昭和五年の春都市復興祭の執行せられた頃、吾妻橋から寺島町に至る一直線の道路が開かれ、市内電車は秋葉神社前まで、市営バスの往復は更に延長して寺島町七丁目のはずれに車庫を設けるようになった。それと共に東武鉄道会社が盛場の西南に玉の井駅を設け、夜も十二時まで雷門から六銭で人を載せて来るに及び、町の形勢は裏と表と、全く一変するようになった。今まで一番わかりにくかった路地が、一番入り易くなった代り、以前目貫といわれた処が、今では端はずれになったのであるがそれでも銀行、郵便局、湯屋、寄よ席せ、活動写真館、玉の井稲いな荷りの如きは、いずれも以前のまま大正道路に残っていて、俚りぞ俗く広小路、又は改正道路と呼ばれる新しい道には、円タクの輻ふく湊そうと、夜店の賑いとを見るばかりで、巡査の派出所も共同便所もない。このような辺へん鄙ぴな新開町に在ってすら、時勢に伴う盛衰の変は免れないのであった。況いわんや人の一生に於いてをや。 わたくしがふと心易くなった溝際の家……お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想おも起いおこさせる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。其家は大正道路から唯とある路地に入り、汚れた幟のぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶なお奥深く入り込んだ処に在るので、表通のラディオや蓄音機の響も素ひや見か客しの足音に消されてよくは聞えない。夏の夜、わたくしがラディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるまい。 一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線をも弾ひかせないと云う事で。雨のしとしとと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内うち外そとに群むらがり鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘わびしさが感じられて来る。それも昭和現代の陋ろう巷こうではなくして、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。 いつも島田か丸まる髷まげにしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴なく声こえとはわたくしの感覚を著しく刺しげ戟きし、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこのはかなくも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭らん蝶ちょうを語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼返す力に於ては一層巧妙なる無言の芸術家であった。 わたくしはお雪さんが飯おは櫃ちを抱きかかえるようにして飯をよそい、さらさら音を立てて茶ちゃ漬づけを掻かっ込こむ姿を、あまり明くない電燈の光と、絶えざる溝どぶ蚊かの声の中にじっと眺めやる時、青春のころ狎なれしんだ女達の姿やその住すま居いのさまをありありと目の前に思浮べる。わたくしのものばかりでない。友達の女の事までが思出されて来るのである。そのころには男を﹁彼氏﹂といい、女を﹁彼女﹂とよび、二人の侘住居を﹁愛の巣﹂などと云う言葉はまだ作り出されていなかった。馴なじ染みの女は﹁君﹂でも、﹁あんた﹂でもなく、ただ﹁お前﹂といえばよかった。亭主は女房を﹁おッかア﹂女房は亭主を﹁ちゃん﹂と呼ぶものもあった。 溝の蚊の唸うなる声は今こん日にちに在っても隅田川を東に渡って行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌っているのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。 そのあたり片づけて吊る蚊かち帳ょう哉かな さらぬだに暑くるしきを木もめ綿ん蚊が帳や 家いえ中じゅうは秋の西日や溝どぶのふち わび住みや団うち扇わも折れて秋暑し 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉 屑くづ籠かごの中からも出て鳴く蚊かな 残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ この蚊帳も酒とやならむ暮の秋
これはお雪が住む家の茶の間に、或夜蚊帳が吊ってあったのを見て、ふと思出した旧作の句である。半なかばは亡友唖あ々あ君が深川長慶寺裏の長屋に親の許さぬ恋人と隠れ住んでいたのを、其折々尋ねて行った時よんだもので、明治四十三四年のころであったろう。
その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這はい出したが、坐る場処がないので、わたくしと並んで上あが框りがまちへ腰をかけた。
﹁いつもより晩おそいじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。﹂
女の言葉遣いはその態度と共に、わたくしの商売が世間を憚るものと推定せられてから、狎こう昵じつの境さかいを越えて寧むしろ放ほう濫らんに走る嫌いがあった。
﹁それはすまなかった。虫歯か。﹂
﹁急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫はれてるだろう。﹂と横顔を見せ、﹁あなた。留守番していて下さいな。わたし今の中うち歯医者へ行って来るから。﹂
﹁この近処か。﹂
﹁検けん査さ場ばのすぐ手前よ。﹂
﹁それじゃ公設市場の方だろう。﹂
﹁あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。﹂
﹁痛い。そう邪じゃ慳けんにするもんじゃない。出世前の身から体だだよ。﹂
﹁じゃ頼むわよ。あんまり待たせるようだったら帰って来るわ。﹂
﹁お前待ち待ち蚊帳の外……と云うわけか。仕様がない。﹂
わたくしは女の言葉遣いがぞんざいになるに従って、それに適応した調子を取るようにしている。これは身分を隠そうが為の手段ではない。処と人とを問わず、わたくしは現代の人と応接する時には、あたかも外国に行って外国語を操あやつるように、相手と同じ言葉を遣う事にしているからである。﹁おらが国﹂と向の人が言ったら此こっ方ちも﹁おら﹂を﹁わたくし﹂の代りに使う。説はな話しは少し余事にわたるが、現代人と交際する時、口語を学ぶことは容易であるが文書の往復になると頗すこぶる困難を感じる。殊に女の手紙に返書を裁する時﹁わたし﹂を﹁あたし﹂となし、﹁けれども﹂を﹁けど﹂となし、又何事につけても、﹁必然性﹂だの﹁重大性﹂だのと、性の字をつけて見るのも、冗談半分口先で真似をしている時とはちがって、之を筆にする段になると、実に堪難い嫌けん悪おの情を感じなければならない。恋しきは何事につけても還らぬむかしで、あたかもその日、わたくしは虫干をしていた物の中に、柳やな橋ぎばしの妓にして、向嶋小梅の里に囲われていた女の古い手紙を見た。手紙には必ず候そう文ろうぶんを用いなければならなかった時代なので、その頃の女は、硯すずりを引寄せ筆を秉とれば、文字を知らなくとも、おのずから候可く候の調子を思出したものらしい。わたくしは人の嗤しし笑ょうを顧ず、これをここに録したい。
一筆ふで申上まいらせ候。その後は御ぶさた致し候て、何とも申わけ無これ之なく御免下されたく候。私事これまでの住すま居い誠に手ぜまに付この中じゅう右のところへしき移り候まま御おん知らせ申上候。まことにまことに申上かね候え共、少々お目もじの上申上たき事御ざ候間、何なに卒とぞ御都合なし下されて、あなた様のよろしき折御立より下されたく幾重にも御おん待申上候。一日も早く御越しのほど、先まずは御めもじの上にてあらあらかしく。
◯◯より
竹屋の渡しの下にみやこ湯と申す湯屋あり。八や百お屋やでお聞下さい。天気がよろしく候故御都合にて唖あ々あさんもお誘い合され堀ほり切きりへ参りたくと存候間御しる前からいかがに候や。御たずね申上候。尤もっともこの御返事御無用にて候。
文中﹁ひき移り﹂を﹁しき移り﹂となし、﹁ひる前﹂を﹁しる前﹂に書き誤っているのは東京下町言葉の訛なまりである。竹屋の渡しも今は枕まく橋らばしの渡わたしと共に廃せられて其その跡あともない。我青春の名なご残りを弔とむらうに今は之を那なへ辺んに探るべきか。
七
わたくしはお雪の出て行った後あと、半なかばおろした古蚊帳の裾すそに坐って、一人蚊を追いながら、時には長火鉢に埋めた炭火と湯わかしとに気をつけた。いかに暑さの烈しい晩でも、この土地では、お客の上った合図に下から茶を持って行く習慣なので、どの家でも火と湯とを絶たやした事がない。 ﹁おい。おい。﹂と小声に呼んで窓を叩たたくものがある。 わたくしは大方馴染の客であろうと思い、出ようか出まいかと、様子を窺うかがっていると、外の男は窓口から手を差入れ、猿をはずして扉とをあけて内なかへ入った。白っぽい浴ゆか衣たに兵へ児こ帯をしめ、田舎臭い円顔に口くち髯ひげを生はやした年は五十ばかり。手には風呂敷に包んだものを持っている。わたくしは其様子と其顔立とで、直すぐ様さまお雪の抱かか主えぬしだろうと推察したので、向から言うのを待たず、 ﹁お雪さんは何だか、お医者へ行くって、今おもてで逢いました。﹂ 抱主らしい男は既にその事を知っていたらしく、﹁もう帰るでしょう。待っていなさい。﹂と云って、わたくしの居たのを怪しむ風もなく、風呂敷包を解いて、アルミの小鍋を出し茶棚の中へ入れた。夜食の惣そう菜ざいを持って来たのを見れば、抱主に相違はない。 ﹁お雪さんは、いつも忙しくって結構ですねえ。﹂ わたくしは挨拶のかわりに何かお世辞を言わなければならないと思って、そう言った。 ﹁何ですか。どうも。﹂と抱主の方でも返事に困ると云ったような、意味のない事を言って、火鉢の火や湯の加減を見るばかり。面と向ってわたくしの顔さえ見ない。寧むしろ対談を避けるというように横を向いているので、わたくしも其まま黙っていた。 こういう家の亭主と遊客との対面は、両方とも甚はなはだ気まずいものである。貸座敷、待合茶屋、芸者家などの亭主と客との間もまた同じことで、此両者の対談する場合は、必ず女を中心にして甚気まずい紛ごた擾ごたの起った時で、然らざる限り対談の必要が全くないからでもあろう。 いつもお雪が店口で焚たく蚊かや遣りこ香うも、今夜は一度もともされなかったと見え、家いえ中じゅうにわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込もうとするのに、土地馴れている筈の主人も、暫く坐っている中うち我慢がしきれなくなって、中仕切の敷居際に置いた扇風機の引手を捻ねじったが破こわれていると見えて廻らない。火鉢の抽ひき斗だしから漸ようやく蚊遣香の破かけ片らを見出した時、二人は思わず安心したように顔を見合せたので、わたくしは之を機会に、 ﹁今年はどこもひどい蚊ですよ。暑さも格別ですがね。﹂と言うと、 ﹁そうですか。ここはもともと埋地で、碌ろくに地じあ揚げもしないんだから。﹂と主人もしぶしぶ口をきき初めた。 ﹁それでも道がよくなりましたね。第一便利になりましたね。﹂ ﹁その代り、何かにつけて規則がやかましくなった。﹂ ﹁そう。二三年前にゃ、通ると帽子なんぞ持って行ったものですね。﹂ ﹁あれにゃ、わたし達この中の者も困ったんだよ。用があっても通れないからね。女達にそう言っても、そう一々見張りをしても居られないし、仕方がないから罰金を取るようにしたんだ。店の外へ出てお客をつかまえる処を見つかると四十二円の罰金だ。それから公園あたりへ客引を出すのも規則違反にしたんだ。﹂ ﹁それも罰金ですか。﹂ ﹁うむ。﹂ ﹁それは幾いく何らですか。﹂ 遠廻しに土地の事情を聞出そうと思った時、﹁安藤さん﹂と男の声で、何やら紙かみ片きれを窓に差入れて行った者がある。同時にお雪が帰って来て、その紙を取上げ、猫板の上に置いたのを、偸ぬす見みみすると、謄とう写しゃ摺ずりにした強盗犯人捜索の回状である。 お雪はそんなものには目も触れず、﹁お父さん、あした抜かなくっちゃいけないって云うのよ。この歯。﹂と言って、主人の方へ開あいた口を向ける。 ﹁じゃア、今夜は食べる物はいらなかったな。﹂と主人は立ちかけたが、わたくしはわざと見えるように金を出してお雪にわたし、一人先へ立って二階に上った。 二階は窓のある三畳の間に茶ぶ台を置き、次が六畳と四畳半位の二間しかない。一体この家はもと一軒であったのを、表と裏と二軒に仕切ったらしく、下は茶の間の一室きりで台所も裏口もなく、二階は梯はし子ごの降おり口くちからつづいて四畳半の壁も紙を張った薄い板一枚なので、裏どなりの物音や話声が手に取るようによく聞える。わたくしは能よく耳を押つけて笑う事があった。 ﹁また、そんなとこ。暑いのにさ。﹂ 上って来たお雪はすぐ窓のある三畳の方へ行って、染模様の剥はげたカーテンを片寄せ、﹁此こっ方ちへおいでよ。いい風だ。アラまた光ってる。﹂ ﹁さっきより幾らか涼しくなったな、成程いい風だ。﹂ 窓のすぐ下は日ひお蔽いの葭よし簀ずに遮さえぎられているが、溝の向側に並んだ家の二階と、窓口に坐っている女の顔、往ったり来たりする人影、路地一帯の光景は案外遠くの方まで見通すことができる。屋根の上の空は鉛色に重く垂下って、星も見えず、表通のネオンサインに半なか空ぞらまでも薄赤く染められているのが、蒸暑い夜を一層蒸暑くしている。お雪は座布団を取って窓の敷居に載せ、その上に腰をかけて、暫く空の方を見ていたが、﹁ねえ、あなた﹂と突然わたくしの手を握り、﹁わたし、借金を返しちまったら。あなた、おかみさんにしてくれない。﹂ ﹁おれ見たようなもの。仕様がないじゃないか。﹂ ﹁ハスになる資格がないって云うの。﹂ ﹁食べさせることができなかったら資格がないね。﹂ お雪は何とも言わず、路地のはずれに聞え出したヴィヨロンの唄につれて、鼻唄をうたいかけたので、わたくしは見るともなく顔を見ようとすると、お雪はそれを避けるように急に立上り、片手を伸して柱につかまり、乗り出すように半身を外へ突出した。 ﹁もう十年わかけれア……。﹂わたくしは茶ぶ台の前に坐って巻煙草に火をつけた。 ﹁あなた。一体いくつなの。﹂ 此こな方たへ振向いたお雪の顔を見上あげると、いつものように片かた靨えくぼを寄せているので、わたくしは何とも知れず安心したような心持になって、 ﹁もうじき六十さ。﹂ ﹁お父さん。六十なの。まだ御丈夫。﹂ お雪はしげしげとわたくしの顔を見て、﹁あなた。まだ四十にゃならないね。三十七か八かしら。﹂ ﹁おれはお妾めかけさんに出来た子だから、ほんとの年はわからない。﹂ ﹁四十にしても若いね。髪の毛なんぞそうは思えないわ。﹂ ﹁明治三十一年生うまれだね。四十だと。﹂ ﹁わたしはいくつ位に見えて。﹂ ﹁二十一二に見えるが、四ぐらいかな。﹂ ﹁あなた。口がうまいから駄目。二十六だわ。﹂ ﹁雪ちゃん、お前、宇都の宮で芸者をしていたって言ったね。﹂ ﹁ええ。﹂ ﹁どうして、ここへ来たんだ。よくこの土地の事を知っていたね。﹂ ﹁暫く東京にいたもの。﹂ ﹁お金のいることがあったのか。﹂ ﹁そうでもなけれア……。檀那は病気で死んだし、それに少し……。﹂ ﹁馴れない中は驚いたろう。芸者とはやり方がちがうから。﹂ ﹁そうでもないわ。初めッから承知で来たんだもの。芸者は掛りまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落すなら稼かせぎいい方が結けっ句く徳だもの。﹂ ﹁そこまで考えたのは、全くえらい。一人でそう考えたのか。﹂ ﹁芸者の時分、お茶屋の姐ねえさんで知ってる人が、この土地で商売していたから、話をきいたのよ。﹂ ﹁それにしても、えらいよ。年ねんがあけたら少し自じま前えで稼いで、残せるだけ残すんだね。﹂ ﹁わたしの年は水商売には向くんだとさ。だけれど行先の事はわからないわ。ネエ。﹂ じっと顔を見詰められたので、わたくしは再び妙に不安な心持がした。まさかとは思うものの、何だか奥歯に物の挾はさまっているような心持がして、此こん度どはわたくしの方が空の方へでも顔を外そ向むけたくなった。 表通りのネオンサインが反映する空のはずれには、先程から折々稲妻が閃ひらめいていたが、この時急に鋭い光が人の目を射た。然し雷の音らしいものは聞えず、風がぱったり歇やんで日の暮の暑さが又むし返されて来たようである。 ﹁いまに夕立が来そうだな。﹂ ﹁あなた。髪結さんの帰り……もう三みつ月きになるわネエ。﹂ わたくしの耳にはこの﹁三月になるわネエ。﹂と少し引延ばしたネエの声が何やら遠いむかしを思返すとでも云うように無限の情じょうを含んだように聞きなされた。﹁三月になります。﹂とか﹁なるわよ。﹂とか言切ったら平つ常ねの談話に聞えたのであろうが、ネエと長く引いた声は咏えい嘆たんの音おんというよりも、寧むしろそれとなくわたくしの返事を促す為に遣われたもののようにも思われたので、わたくしは﹁そう……。﹂と答えかけた言葉さえ飲み込んでしまって、唯目まな容ざしで応答をした。 お雪は毎夜路地へ入込む数知れぬ男に応接する身でありながら、どういう訳で初めてわたくしと逢った日の事を忘れずにいるのか、それがわたくしには有り得べからざる事のように考えられた。初ての日を思返すのは、その時の事を心に嬉しく思うが為と見なければならない。然しわたくしはこの土地の女がわたくしのような老とし人よりに対して、尤もっとも先方ではわたくしの年を四十歳位に見ているが、それにしても好いたの惚ほれたのというような若もしくはそれに似た柔く温あたたかな感情を起し得るものとは、夢にも思って居なかった。 わたくしが殆ど毎夜のように足繁く通って来るのは、既に幾度か記述したように、種いろ々いろな理由があったからである。創作﹁失踪﹂の実地観察。ラディオからの逃走。銀座丸ノ内のような首都枢要の市街に対する嫌悪。其他の理由もあるが、いずれも女に向って語り得べき事ではない。わたくしはお雪の家を夜の散歩の休憩所にしていたに過ぎないのであるが、そうする為には方便として口から出まかせの虚う言そもついた。故意に欺くつもりではないが、最初女の誤り認めた事を訂正もせず、寧ろ興にまかせてその誤認を猶なお深くするような挙動や話をして、身分を晦くらました。この責だけは免れないかも知れない。 わたくしはこの東京のみならず、西洋に在っても、売笑の巷ちまたの外、殆ほとんどその他の社会を知らないと云ってもよい。其由来はここに述べたくもなく、又述べる必要もあるまい。若しわたくしなる一人物の何者たるかを知りたいと云うような酔興な人があったなら、わたくしが中年のころにつくった対話﹁昼すぎ﹂漫筆﹁妾しょ宅うたく﹂小説﹁見果てぬ夢﹂の如き悪文を一読せられたなら思い半なかばに過るものがあろう。とは言うものの、それも文章が拙つたなく、くどくどしくて、全篇をよむには面倒であろうから、ここに﹁見果てぬ夢﹂の一節を抜摘しよう。﹁彼が十年一日の如く花柳界に出入する元気のあったのは、つまり花柳界が不正暗黒の巷である事を熟知していたからで。されば若し世間が放ほう蕩とう者しゃを以て忠臣孝子の如く称賛するものであったなら、彼は邸宅を人手に渡してまでも、其称賛の声を聞こうとはしなかったであろう。正当な妻女の偽善的虚栄心、公明なる社会の詐欺的活動に対する義憤は、彼をして最初から不正暗黒として知られた他の一方に馳はせ赴おもむかしめた唯一の力であった。つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い種さま々ざまな汚し点みを見出すよりも、投捨てられた襤らん褸るの片きれにも美しい縫取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞ふんが落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花と香かんばしい涙の果実が却かえって沢山に摘み集められる。﹂ これを読む人は、わたくしが溝の臭気と、蚊の声との中に生活する女達を深く恐れもせず、醜いともせず、むしろ見ぬ前から親しみを覚えていた事だけは推察せられるであろう。 わたくしは彼かの女おん達なたちと懇意になるには――少くとも彼女達から敬して遠ざけられないためには、現在の身分はかくしている方がよいと思った。彼女達から、こんな処ところへ来ずともよい身分の人だのに、と思われるのは、わたくしに取ってはいかにも辛い。彼女達の薄はっ倖こうな生活を芝居でも見るように、上から見みお下ろしてよろこぶのだと誤解せられるような事は、出来得るかぎり之を避けたいと思った。それには身分を秘するより外はない。 こんな処へ来る人ではないと言われた事については既に実例がある。或夜、改正道路のはずれ、市営バス車庫の辺ほとりで、わたくしは巡査に呼止められて尋問せられたことがある。わたくしは文学者だの著述業だのと自分から名乗りを揚げるのも厭いやであるし、人からそう思われるのは猶更嫌いであるから、巡査の問に対しては例の如く無職の遊民と答えた。巡査はわたくしの上着を剥はぎ取って所持品を改める段になると、平ふだ素ん夜行の際、不審尋問に遇う時の用心に、印鑑と印鑑証明書と戸籍抄本とが嚢のう中ちゅうに入れてある。それから紙入には翌日の朝大工と植木屋と古本屋とに払いがあったので、三四百円の現金が入れてあった。巡査は驚いたらしく、俄にわかにわたくしの事を資産家とよび、﹁こんな処は君見たような資産家の来るところじゃない。早く帰りたまえ、間違いがあるといかんから、来るなら出直して来たまえ。﹂と云って、わたくしが猶愚図々々しているのを見て、手を挙げて円タクを呼止め、わざわざ戸を明けてくれた。 わたくしは已やむことを得ず自動車に乗り改正道路から環状線とかいう道を廻った。つまり迷ラビ宮ラントの外廓を一周して、伏見稲荷の路地口に近いところで降りた事があった。それ以来、わたくしは地図を買って道を調べ、深夜は交番の前を通らないようにした。 わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を咏嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見付けかね、煙草の烟けむりの中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。お雪は黒目がちの目でじっと此こな方たを見詰めながら、 ﹁あなた。ほんとに能く肖にているわ。あの晩、あたし後姿を見た時、はっと思ったくらい……。﹂ ﹁そうか。他人のそら肖って、よくある奴さ。﹂わたくしはまア好かったと云う心持を一生懸命に押隠した。そして、﹁誰に。死んだ檀那に似ているのか。﹂ ﹁いいえ。芸者になったばかりの時分……。一緒になれなかったら死のうと思ったの。﹂ ﹁逆の上ぼせきると、誰しも一時はそんな気を起す……。﹂ ﹁あなたも。あなたなんぞ、そんな気にゃアならないでしょう。﹂ ﹁冷静かね。然し人は見掛によらないもんだからね。そう見くびったもんでもないよ。﹂ お雪は片かた靨えくぼを寄せて笑顔をつくったばかりで、何とも言わなかった。少し下唇の出た口尻の右側に、おのずと深く穿うがたれる片えくぼは、いつもお雪の顔立を娘のようにあどけなくするのであるが、其夜にかぎって、いかにも無理に寄せた靨のように、言い知れず淋しく見えた。わたくしは其場をまぎらす為に、 ﹁また歯がいたくなったのか。﹂ ﹁いいえ。さっき注射したから、もう何ともない。﹂ それなり、また話が途絶えた時、幸にも馴なじ染みの客らしいものが店口の戸を叩いてくれた。お雪はつと立って窓の外に半身を出し、目かくしの板越しに下を覗のぞき、 ﹁アラ竹さん。お上んなさい。﹂ 馳かけ降りる後あとからわたくしも続いて下り、暫く便所の中に姿をかくし客の上ってしまうのを待って、音のしないように外へ出た。八
来そうに思われた夕立も来る様子はなく、火種を絶さぬ茶の間の蒸暑さと蚊の群とを恐れて、わたくしは一時外へ出たのであるが、帰るにはまだ少し早いらしいので、溝づたいに路地を抜け、ここにも板橋のかかっている表の横町に出た。両側に縁日商あき人ゅうどが店を並べているので、もともと自動車の通らない道幅は猶更狭くなって、出さかる人は押合いながら歩いている。板橋の右手はすぐ角に馬肉屋のある四よつ辻つじで。辻の向側には曹洞宗東清寺と刻しるした石碑と、玉の井稲荷の鳥居と公衆電話とが立っている。わたくしはお雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と二十日の両日である事や、縁日の晩は外ばかり賑にぎやかで、路地の中は却て客足が少いところから、窓の女達は貧乏稲荷と呼んでいる事などを思出し、人込みに交って、まだ一度も参さん詣けいしたことのない祠やしろの方へ行って見た。 今まで書くことを忘れていたが、わたくしは毎夜この盛場へ出掛けるように、心持にも身体にも共々に習慣がつくようになってから、この辺あたりの夜店を見歩いている人達の風俗に倣ならって、出がけには服みな装りを変かえることにしていたのである。これは別に手数のかかる事ではない。襟えりの返る縞のホワイトシャツの襟元のぼたんをはずして襟飾をつけない事、洋服の上着は手に提げて着ない事、帽子はかぶらぬ事、髪の毛は櫛くしを入れた事もないように掻かき乱みだして置く事、ズボンは成るべく膝や尻の摺すり切れたくらいな古いものに穿はき替かえる事。靴は穿かず、古下駄も踵かかとの方が台まで摺りへっているのを捜して穿く事、煙草は必かならずバットに限る事、エトセトラエトセトラである。だから訳はない。つまり書斎に居る時、また来客を迎える時の衣服をぬいで、庭掃除や煤すす払はらいの時のものに着替え、下女の古下駄を貰ってはけばよいのだ。 古ズボンに古下駄をはき、それに古手拭をさがし出して鉢巻の巻方も至極不ぶ意い気きにすれば、南は砂町、北は千住から葛かさ西いか金なま町ちあ辺たりまで行こうとも、道行く人から振返って顔を見られる気遣いはない。其町に住んでいるものが買物にでも出たように見えるので、安心して路地へでも横町へでも勝手に入り込むことができる。この不ぶざ様まな身なりは、﹁じだらくに居れば涼しき二階かな。﹂で、東京の気候の殊に暑さの甚しい季節には最もっとも適合している。朦もう朧ろう円タクの運転手と同じようなこの風をしていれば、道の上と云わず電車の中といわず何ど処こでも好きな処へ啖たん唾つばも吐けるし、煙草の吸殻、マッチの燃残り、紙屑、バナナの皮も捨てられる。公園と見ればベンチや芝生へ大の字なりに寝転んで鼾いびきをかこうが浪なに花わぶ節しを唸うなろうが是これまた勝手次第なので、啻ただに気候のみならず、東京中の建築物とも調和して、いかにも復興都市の住民らしい心持になることが出来る。 女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については、友人佐藤慵よう斎さい君の文集に載っている其その論に譲って、ここには言うまい。 わたくしは素足に穿き馴れぬ古下駄を突つッ掛かけているので、物に躓つまずいたり、人に足を踏まれたりして、怪我をしないように気をつけながら、人ごみの中を歩いて向側の路地の突当りにある稲荷に参さん詣けいした。ここにも夜店がつづき、祠ほこらの横手の稍やや広い空地は、植木屋が一面に並べた薔ば薇らや百ゆ合り夏菊などの鉢物に時ならぬ花壇をつくっている。東清寺本堂建こん立りゅうの資金寄附者の姓名が空地の一隅に板塀の如くかけ並べてあるのを見ると、この寺は焼けたのでなければ、玉の井稲荷と同じく他よ所そから移されたものかも知れない。 わたくしは常とこ夏なつの花一鉢を購あがない、別の路地を抜けて、もと来た大正道路へ出た。すこし行くと右側に交番がある。今夜はこの辺あたりの人達と同じような服みな装りをして、植木鉢をも手にしているから大丈夫とは思ったが、避けるに若しくはないと、後戻りして、角に酒屋と水菓子屋のある道に曲った。 この道の片側に並んだ商店の後うしろ一帯の路地は所いわ謂ゆる第一部と名付けられたラビラントで。お雪の家の在る第二部を貫くかの溝は、突然第一部のはずれの道端に現われて、中島湯という暖のれ簾んを下げた洗せん湯とうの前を流れ、許可地外そとの真暗な裏長屋の間に行先を没している。わたくしはむかし北廓を取巻いていた鉄おは漿ぐろ溝どぶより一層不潔に見える此溝も、寺島町がまだ田園であった頃には、水みず草くさの花に蜻とん蛉ぼのとまっていたような清い小こな流がれであったのであろうと、老とし人よりにも似合わない感傷的な心持にならざるを得なかった。縁日の露店はこの通には出ていない。九州亭というネオンサインを高く輝かがやかしている支那飯屋の前まで来ると、改正道路を走る自動車の灯ひが見え蓄音機の音が聞える。 植木鉢がなかなか重いので、改正道路の方へは行かず、九州亭の四ツ角から右手に曲ると、この通は右側にはラビラントの一部と二部、左側には三部の一区劃が伏在している最も繁華な最も狭い道で、呉服屋もあり、婦人用の洋服屋もあり、洋食屋もある。ポストも立っている。お雪が髪結の帰り夕立に遇あって、わたくしの傘の下に駈込んだのは、たしかこのポストの前あたりであった。 わたくしの胸むな底そこには先刻お雪が半なかば冗談らしく感情の一端をほのめかした時、わたくしの覚えた不安がまだ消え去らずにいるらしい……わたくしはお雪の履歴については殆ど知るところがない。どこやらで芸者をしていたと言っているが、長唄も清元も知らないらしいので、それも確かだとは思えない。最初の印象で、わたくしは何の拠よるところもなく、吉原か洲崎あたりの左程わるくない家にいた女らしい気がしたのが、却て当っているのではなかろうか。 言葉には少しも地方の訛なまりがないが、其顔立と全身の皮膚の綺麗なことは、東京もしくは東京近在の女でない事を証明しているので、わたくしは遠い地方から東京に移住した人達の間に生れた娘と見ている。性質は快活で、現在の境涯をも深く悲しんではいない。寧むしろこの境遇から得た経験を資もと本でにして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい。男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、其まま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全く荒すさみきってしまわない事は確かである。わたくしをして、然そう思わせるだけでも、銀座や上野辺あたりの広いカフエーに長年働いている女給などに比較したなら、お雪の如きは正直とも醇じゅ朴んぼくとも言える。まだまだ真面目な処があるとも言えるであろう。 端はし無なくも銀座あたりの女給と窓の女とを比較して、わたくしは後者の猶なお愛すべく、そして猶共に人情を語る事ができるもののように感じたが、街路の光景についても、わたくしはまた両方を見くらべて、後者の方が浅薄に外観の美を誇らず、見掛倒しでない事から不快の念を覚えさせる事が遙はるかに少ない。路みち傍ばたには同じように屋台店が並んでいるが、ここでは酔漢の三々五々隊をなして歩むこともなく、彼かし処こでは珍しからぬ血まみれ喧げん嘩かもここでは殆ど見られない。洋服の身なりだけは相応にして居ながら其職業の推察しかねる人相の悪い中年者が、世を憚はばからず肩で風を切り、杖を振り、歌をうたい、通行の女子を罵ののしりつつ歩くのは、銀座の外ほか他の町には見られぬ光景であろう。然るに一たび古下駄に古ズボンをはいて此の場末に来れば、いかなる雑ざっ沓とうの夜よでも、銀座の裏通りを行くよりも危険のおそれがなく、あちこちと道を譲る煩わずらわしさもまた少いのである。 ポストの立っている賑な小道も呉服屋のあるあたりを明い絶頂にして、それから先は次第にさむしく、米屋、八百屋、蒲かま鉾ぼこ屋などが目に立って、遂に材木屋の材木が立掛けてあるあたりまで来ると、幾いく度たびとなく来馴れたわたくしの歩みは、意識を待たず、すぐさま自転車預り所どころと金物屋との間の路地口に向けられるのである。 この路地の中にはすぐ伏見稲荷の汚れた幟のぼりが見えるが、素すけ見んぞめきの客は気がつかないらしく、人の出入は他の路地口に比べると至って少ない。これを幸に、わたくしはいつも此路地口から忍び入り、表通の家の裏手に無いち花じ果くの茂っているのと、溝どぶ際ぎわの柵さくに葡ぶど萄うのからんでいるのを、あたりに似合わぬ風景と見返りながら、お雪の家の窓口を覗く事にしているのである。 二階にはまだ客があると見えて、カーテンに灯ほか影げが映り、下の窓はあけたままであった。表のラディオも今しがた歇やんだようなので、わたくしは縁日の植木鉢をそっと窓から中に入れて、其夜はそのまま白しら髯ひげ橋ばしの方へ歩みを運んだ。後うしろの方から浅草行の京成バスが走って来たが、わたくしは停留場のある処をよく知らないので、それを求めながら歩きつづけると、幾程もなく行先に橋の燈火のきらめくのを見た。 * * * わたくしはこの夏のはじめに稿を起した小説﹁失踪﹂の一篇を今こん日にちに至るまでまだ書き上げずにいるのである。今夜お雪が﹁三みつ月きになるわねえ。﹂と言ったことから思合せると、起稿の日はそれよりも猶以前であった。草稿の末節は種田順平が貸間の暑さに或夜同宿の女給すみ子を連れ、白髯橋の上で涼みながら、行末の事を語り合うところで終っているので、わたくしは堤を曲らず、まっすぐに橋をわたって欄干に身を倚よせて見た。 最初﹁失踪﹂の布局を定める時、わたくしはその年二十四になる女給すみ子と、其年五十一になる種田の二人が手軽く情交を結ぶことにしたのであるが、筆を進めるにつれて、何やら不自然であるような気がし出したため、折からの炎暑と共に、それなり中休みをしていたのである。 然るに今、わたくしは橋の欄干に凭もたれ、下かわ流しもの公園から音おん頭どお踊どりの音楽と歌声との響いて来るのを聞きながら、先程お雪が二階の窓にもたれて﹁三月になるわネエ。﹂といった時の語調や様子を思返すと、すみ子と種田との情交は決して不自然ではない。作者が都合の好いように作り出した脚色として拆しりぞけるにも及ばない。最初の立案を中途で変える方が却てよからぬ結果を齎もたらすかも知れないと云う心持にもなって来る。 雷門から円タクを傭やとって家に帰ると、いつものように顔を洗い髪を掻直した後、すぐさま硯すずりの傍そばの香こう炉ろに香を焚いた。そして中絶した草稿の末節をよみ返して見る。 ﹁あすこに見えるのは、あれは何だ。工こう場ばか。﹂ ﹁瓦ガ斯ス会社か何なんかだわ。あの辺はむかし景色のいいところだったんですってね。小説でよんだわ。﹂ ﹁歩いて見ようか。まだそんなに晩おそかアない。﹂ ﹁向へわたると、すぐ交番があってよ。﹂ ﹁そうか。それじゃ後あとへ戻ろう。まるで、悪い事をして世を忍んでいるようだ。﹂ ﹁あなた。大きな声……およしなさい。﹂ ﹁…………﹂ ﹁どんな人が聞いていないとも限らないし……。﹂ ﹁そうだね。然し世を忍んで暮すのは、初めて経験したんだが、何ともいえない、何となく忘れられない心持がするもんだね。﹂ ﹁浮世離れてッて云う歌があるじゃないの。……奥山ずまい。﹂ ﹁すみちゃん。おれは昨ゆう夜べから急に何だか若くなったような気がしているんだ。昨夜だけでも活いきがいがあったような気がしているんだ。﹂ ﹁人間は気の持ちようだわ。悲観しちまっちゃ駄目よ。﹂ ﹁全くだね。然し僕は、何にしてももう若くないからな。じきに捨てられるだろう。﹂ ﹁また。そんな事、考える必要なんかないっていうのに。わたしだって、もうすぐ三十じゃないのさ。それにもう、為したい事はしちまったし、これからはすこし真面目になって稼かせいで見たいわ。﹂ ﹁じゃ、ほんとにおでん屋をやるつもりか。﹂ ﹁あしたの朝、照ちゃんが来るから手金だけ渡すつもりなの。だから、あなたのお金は当分遣わずに置いて下さい。ね。昨夜も御話したように、それがいいの。﹂ ﹁然し、それじゃア……。﹂ ﹁いいえ。それがいいのよ。あんたの方に貯金があれば、後が安心だから、わたしの方は持ってるだけのお金をみんな出して、一時払いにして、権利も何も彼も買ってしまおうと思っているのよ。どの道やるなら其方が徳だから。﹂ ﹁照ちゃんて云うのは確な人かい。とにかくお金の話だからね。﹂ ﹁それは大丈夫。あの子はお金持だもの。何しろ玉の井御殿の檀だん那なって云うのがパトロンだから。﹂ ﹁それは一体何だ。﹂ ﹁玉の井で幾軒も店や家を持ってる人よ。もう七十位だわ。精力家よ。それア。時々カフエーへ来るお客だったの。﹂ ﹁ふーむ。﹂ ﹁わたしにもおでん屋よりか、やるなら一いっ層そうの事、あの方の店をやれって云うのよ。店も玉も照ちゃんが檀那にそう言って、いいのを紹介するって云うのよ。だけれど、其時にはわたし一人きりで、相談する人もないし、わたしが自分でやるわけにも行かないしするから、それでおでん屋かスタンドのような、一人でやれるものの方がいいと思ったのよ。﹂ ﹁そうか、それであの土地を択えらんだんだね。﹂ ﹁照ちゃんは母さんにお金貸をさせているわ。﹂ ﹁事業家だな。﹂ ﹁ちゃっかりしてるけれども、人をだましたりなんかしないから。﹂ ………………………………………………………………………………………………………………………………………………九
九月も半なかばちかくなったが残暑はすこしも退しりぞかぬばかりか、八月中よりも却て烈しくなったように思われた。簾すだれを撲うつ風ばかり時にはいかにも秋らしい響を立てながら、それも毎日のように夕方になるとぱったり凪ないでしまって、夜よはさながら関西の町に在るが如く、深ふけるにつれてますます蒸暑くなるような日が幾日もつづく。 草稿をつくるのと、蔵書を曝さらすのとで、案外いそがしく、わたくしは三日ばかり外へ出なかった。 残暑の日盛り蔵書を曝すのと、風のない初はつ冬ふゆの午ひる後すぎ庭の落葉を焚たく事とは、わたくしが独居の生涯の最も娯たのしみとしている処である。曝ばく書しょは久しく高閣に束ねた書物を眺めやって、初め熟読した時分の事を回想し時勢と趣味との変遷を思い知る機会をつくるからである。落葉を焚く楽みは其身の市しせ井いに在ることをしばしなりとも忘れさせるが故である。 古本の虫干だけはやっと済んだので、其日夕ゆう飯めしを終るが否やいつものように破れたズボンに古下駄をはいて外へ出ると、門の柱にはもう灯ひがついていた。夕ゆう凪なぎの暑さに係かかわらず、日はいつか驚くばかり短くなっているのである。 わずか三日ばかりであるが、外へ出て見ると、わけもなく久しい間、行かねばならない処へ行かずにいたような心持がしてわたくしは幾分なりと途中の時間まで短くしようと、京橋の電車の乗換場から地下鉄道に乗った。若い時から遊び馴れた身でありながら、女を尋ねるのに、こんな気ぜわしい心持になったのは三十年来絶えて久しく覚えた事がないと言っても、それは決して誇張ではない。雷門からはまた円タクを走らせ、やがていつもの路地口。いつもの伏見稲荷。ふと見れば汚れきった奉納の幟のぼりが四五本とも皆新しくなって、赤いのはなくなり、白いものばかりになっていた。いつもの溝際に、いつもの無花果と、いつもの葡萄、然しその葉の茂りはすこし薄くなって、いくら暑くとも、いくら世間から見捨てられた此路地にも、秋は知らず知らず夜毎に深くなって行く事を知らせていた。 いつもの窓に見えるお雪の顔も、今夜はいつもの潰つ島ぶ田しではなく、銀いち杏ょう返しに手柄をかけたような、牡ぼた丹んとかよぶ髷まげに変っていたので、わたくしは此こな方たから眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると、お雪はいかにもじれったそうに扉をあけながら、﹁あなた。﹂と一言強く呼んだ後、急に調子を低くして、﹁心配したのよ。それでも、まア、よかったねえ。﹂ わたくしは初め其意を解しかねて、下駄もぬがず上あが口りぐちへ腰をかけた。 ﹁新聞に出ていたよ。少し違うようだから、そうじゃあるまいと思ったんだけれど、随分心配したわ。﹂ ﹁そうか。﹂やっと当あてがついたので、わたくしも俄に声をひそめ、﹁おれはそんなドジなまねはしない。始終気をつけているもの。﹂ ﹁一体、どうしたの。顔を見れば別に何でもないんだけれど、来る人が来ないと、何だか妙にさびしいものよ。﹂ ﹁でも、雪ちゃんは相変らずいそがしいんだろう。﹂ ﹁暑い中うちは知れたものよ。いくらいそがしいたって。﹂ ﹁今年はいつまでも、ほんとに暑いな。﹂と云った時お雪は﹁鳥ちょ渡いとしずかに。﹂と云いながらわたくしの額にとまった蚊を掌てのひらでおさえた。 家の内の蚊は前よりも一層多くなったようで、人を刺す其針も鋭く太くなったらしい。お雪は懐ふと紙ころがみでわたくしの額と自分の手についた血をふき、﹁こら。こんな。﹂と云って其紙を見せて円める。 ﹁この蚊がなくなれば年の暮だろう。﹂ ﹁そう。去年お酉とり様の時分にはまだ居たかも知れない。﹂ ﹁やっぱり反たん歩ぽか。﹂ときいたが、時代の違っている事に気がついて、﹁この辺でも吉原の裏へ行くのか。﹂ ﹁ええ。﹂と云いながらお雪はチリンチリンと鳴る鈴の音ねを聞きつけ、立って窓口へ出た。 ﹁兼ちゃん。ここだよ。何ボヤボヤしているのさ。氷白しら玉たま二つ……それから、ついでに蚊遣香を買って来ておくれ。いい児だ。﹂ そのまま窓に坐って、通り過る素ひや見か客しにからかわれたり、又此こっ方ちからもからかったりしている。其間々には中仕切の大阪格子を隔てて、わたくしの方へも話をしかける。氷屋の男がお待遠うと云って誂あつらえたものを持って来た。 ﹁あなた。白玉なら食べるんでしょう。今日はわたしがおごるわ。﹂ ﹁よく覚えているなア。そんな事……。﹂ ﹁覚えてるわよ。実じつがあるでしょう。だからもう、そこら中浮気するの、お止よしなさい。﹂ ﹁此こ処こへ来ないと、どこか、他わきの家うちへ行くと思ってるのか。仕様がない。﹂ ﹁男は大概そうだもの。﹂ ﹁白玉が咽の喉どへつかえるよ。食べる中うちだけ仲好くしようや。﹂ ﹁知らない。﹂とお雪はわざと荒々しく匙さじの音をさせて山盛にした氷を突つき崩くずした。 窓口を覗のぞいた素見客が、﹁よう、姉さん、御馳走さま。﹂ ﹁一つあげよう。口をおあき。﹂ ﹁青酸加里か。命が惜しいや。﹂ ﹁文無しのくせに、聞いてあきれらア。﹂ ﹁何云いってやんでい。溝ッ蚊女郎。﹂と捨すて台ぜり詞ふで行き過るのを此方も負けて居ず、 ﹁へッ。芥ごみ溜ため野郎。﹂ ﹁はははは。﹂と後あとから来る素見客がまた笑って通り過ぎた。 お雪は氷を一匙口へ入れては外を見ながら、無意識に、﹁ちょっと、ちょっと、だーんな。﹂と節をつけて呼んでいる中、立止って窓を覗くものがあると、甘えたような声をして、﹁お一人、じゃ上ってよ。まだ口あけなんだから。さア、よう。﹂と言って見たり、また人によっては、いかにも殊勝らしく、﹁ええ。構いません。お上りになってから、お気に召さなかったら、お帰りになっても構いませんよ。﹂と暫くの間話をして、その挙あげ句くこれも上らずに行ってしまっても、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、解けた氷の中から残った白玉をすくい出して、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。 わたくしは既にお雪の性質を記述した時、快活な女であるとも言い、また其境涯をさほど悲しんでもいないと言った。それは、わたくしが茶の間の片隅に坐って、破やれ団うち扇わの音も成るべくしないように蚊を追いながら、お雪が店先に坐っている時の、こういう様子を納のれ簾んの間から透すかし見て、それから推察したものに外ならない。この推察は極く皮相に止とどまっているかも知れない。為ひと人となりの一面を見たに過ぎぬかも知れない。 然しここにわたくしの観察の決して誤らざる事を断言し得る事がある。それはお雪の性質の如いか何んに係らず、窓の外の人通りと、窓の内のお雪との間には、互に融和すべき一縷るの糸の繋つながれていることである。お雪が快活の女で、其境涯を左程悲しんでいないように見えたのが、若もしわたくしの誤りであったなら、其誤はこの融和から生じたものだと、わたくしは弁解したい。窓の外は大衆である。即すなわち世間である。窓の内は一個人である。そしてこの両者の間には著しく相反目している何物もない。これは何なんに因るのであろう。お雪はまだ年が若い。まだ世間一般の感情を失わないからである。お雪は窓に坐っている間はその身を卑しいものとなして、別に隠している人格を胸の底に持っている。窓の外を通る人は其歩みを此路地に入るるや仮面をぬぎ矜きょ負うふを去るからである。 わたくしは若い時から脂粉の巷ちまたに入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉とらわれて、彼かの女おん達なたちの望むがまま家に納いれて箕きそ帚うを把とらせたこともあったが、然しそれは皆失敗に終った。彼女達は一たび其境遇を替え、其身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教う可からざる懶らん婦ぷとなるか、然らざれば制御しがたい悍かん婦ぷになってしまうからであった。 お雪はいつとはなく、わたくしの力に依って、境遇を一変させようと云う心を起している。懶婦か悍婦かになろうとしている。お雪の後半生をして懶婦たらしめず、悍婦たらしめず、真に幸福なる家庭の人たらしめるものは、失敗の経験にのみ富んでいるわたくしではなくして、前途に猶多くの歳月を持っている人でなければならない。然し今、これを説いてもお雪には決して分ろう筈がない。お雪はわたくしの二重人格の一面だけしか見ていない。わたくしはお雪の窺うかがい知らぬ他の一面を曝露して、其非を知らしめるのは容易である。それを承知しながら、わたくしが猶躊ちゅ躇うちょしているのは心に忍びないところがあったからだ。これはわたくしを庇かばうのではない。お雪が自らその誤解を覚さとった時、甚しく失望し、甚しく悲しみはしまいかと云うことをわたくしは恐れて居たからである。 お雪は倦うみつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷ほう彿ふつたらしめたミューズである。久しく机の上に置いてあった一篇の草稿は若しお雪の心がわたくしの方に向けられなかったなら、――少くとも然そう云う気がしなかったなら、既に裂き棄てられていたに違いない。お雪は今の世から見捨てられた一老作家の、他分そが最終の作とも思われる草稿を完成させた不可思議な激励者である。わたくしは其顔を見るたび心から礼を言いたいと思っている。其結果から論じたら、わたくしは処世の経験に乏しい彼の女おんなを欺き、其身しん体たいのみならず其の真情をも弄もてあそんだ事になるであろう。わたくしは此の許され難い罪の詫わびをしたいと心ではそう思いながら、そうする事の出来ない事情を悲しんでいる。 その夜、お雪が窓口で言った言葉から、わたくしの切ない心持はいよいよ切なくなった。今はこれを避けるためには、重ねてその顔を見ないに越したことはない。まだ、今の中ならば、それほど深い悲しみと失望とをお雪の胸に与えずとも済むであろう。お雪はまだ其本名をも其生おい立たちをも、問われないままに、打うち明あける機会に遇わなかった。今夜あたりがそれとなく別れを告げる瀬戸際で、もし之を越したなら、取返しのつかない悲しみを見なければなるまいと云うような心持が、夜のふけかけるにつれて、わけもなく激しくなって来る。 物に追われるような此心持は、折から急に吹出した風が表通から路地に流れ込み、あち等こち等へ突当った末、小さな窓から家の内なかまで入って来て、鈴のついた納のれ簾んの紐ひもをゆする。其音につれて一しお深くなったように思われた。其音は風鈴売が子れん窓じまどの外を通る時ともちがって、此別天地より外には決して聞かれないものであろう。夏の末から秋になっても、打続く毎夜のあつさに今まで全く気のつかなかっただけ、その響は秋の夜もいよいよまったくの夜長らしく深ふけそめて来た事を、しみじみと思い知らせるのである。気のせいか通る人の跫あし音おとも静に冴さえ、そこ等の窓でくしゃみをする女の声も聞える。 お雪は窓から立ち、茶の間へ来て煙草へ火をつけながら、思出したように、 ﹁あなた。あした早く来てくれない。﹂と云った。 ﹁早くって、夕方か。﹂ ﹁もっと早くさ。あしたは火曜日だから診察日なんだよ。十一時にしまうから、一緒に浅草へ行かない。四時頃までに帰って来ればいいんだから。﹂ わたくしは行ってもいいと思った。それとなく別べっ盃ぱいを酌くむために行きたい気はしたが、新聞記者と文学者とに見られて又もや筆ひっ誅ちゅうせられる事を恐れもするので、 ﹁公園は具合のわるいことがあるんだよ。何か買うものでもあるのか。﹂ ﹁時計も買いたいし、もうすぐ袷あわせだから。﹂ ﹁あついあついと言ってる中、ほんとにもうじきお彼岸だね。袷はどのくらいするんだ。店で着るのか。﹂ ﹁そう。どうしても三十円はかかるでしょう。﹂ ﹁そのくらいなら、ここに持っているよ。一人で行って誂あつらえておいでな。﹂と紙入を出した。 ﹁あなた。ほんと。﹂ ﹁気味がわるいのか。心配するなよ。﹂ わたくしは、お雪が意外のよろこびに眼を見張った其顔を、永く忘れないようにじっと見詰めながら、紙入の中の紙さ幣つを出して茶ぶ台の上に置いた。 戸を叩たたく音と共に主人の声がしたので、お雪は何か言いかけたのも、それなり黙って、伊だて達じ締めの間に紙さ幣つを隠す。わたくしは突つと立って主ある人じと入れちがいに外へ出た。 伏見稲荷の前まで来ると、風は路地の奥とはちがって、表通から真まっ向こうに突き入りいきなりわたくしの髪を吹乱した。わたくしは此処へ来る時の外はいつも帽子をかぶり馴れているので、風に吹きつけられたと思うと同時に、片手を挙げて見て始て帽子のないのに心づき、覚えず苦笑を浮べた。奉納の幟のぼりは竿さおも折れるばかり、路地口に屋台を据えたおでん屋の納簾と共にちぎれて飛びそうに閃ひらめき翻ひるがえっている。溝の角の無いち花じ果くと葡ぶど萄うの葉は、廃屋のかげになった闇の中にがさがさと、既に枯れたような響を立てている。表通りへ出ると、俄に広く打仰がれる空には銀河の影のみならず、星という星の光のいかにも森然として冴さえ渡わたっているのが、言知れぬさびしさを思わせる折も折、人家のうしろを走り過る電車の音と警笛の響とが烈風にかすれて、更にこの寂しさを深くさせる。わたくしは帰りの道筋を、白髯橋の方に取る時には、いつも隅田町郵便局の在るあたりか、又は向島劇場という活動小屋のあたりから勝手に横道に入り、陋ろう巷こうの間を迂うき曲ょくする小道を辿たどり辿って、結局白髯明神の裏手へ出るのである。八月の末から九月の初めにかけては、時々夜になって驟ゆう雨だちの霽はれた後あと、澄みわたった空には明月が出て、道も明く、むかしの景色も思出されるので、知らず知らず言こと問といの岡あたりまで歩いてしまうことが多かったが、今夜はもう月もない。吹き通す川風も忽ち肌寒くなって来るので、わたくしは地蔵坂の停留場に行きつくが否や、待合所の板バメと地蔵尊との間に身をちぢめて風をよけた。十
四五日たつと、あの夜をかぎりもう行かないつもりで、秋袷の代まで置いて来たのにも係らず、何やらもう一度行って見たい気がして来た。お雪はどうしたかしら。相変らず窓に坐っている事はわかりきっていながら、それとなく顔だけ見に行きたくて堪らない。お雪には気がつかないように、そっと顔だけ、様子だけ覗いて来よう。あの辺を一ひと巡まわりして帰って来れば隣のラディオも止む時分になるのであろうと、罪をラディオに塗付けて、わたくしはまたもや墨田川を渡って東の方へ歩いた。
路地に入る前、顔をかくす為、鳥打帽を買い、素ひや見か客しが五六人来合すのを待って、その人達の蔭に姿をかくし、溝の此こな方たからお雪の家を窺のぞいて見ると、お雪は新形の髷を元のつぶしに結い直し、いつものように窓に坐っていた。と見れば、同じ軒の下の右側の窓はこれまで閉めきってあったのが、今夜は明くなって、燈ほか影げの中に丸髷の顔が動いている。新しい抱かかえ――この土地では出でか方たさんとかいうものが来たのである。遠くからで能よくはわからないが、お雪よりは年もとっているらしく容きり貌ょうもよくはないようである。わたくしは人通りに交って別の路地へ曲った。
その夜はいつもと同じように日が暮れてから急に風が凪ないで蒸暑くなった為ためか、路地の中の人出もまた夏の夜のように夥おびただしく、曲る角々は身を斜めにしなければ通れぬ程で、流れる汗と、息苦しさとに堪えかね、わたくしは出口を求めて自動車の走はせちがう広小路へ出た。そして夜店の並んでいない方の舗道を歩み、実はそのまま帰るつもりで七丁目の停留場に佇たた立ずんで額の汗を拭った。車庫からわずか一二町のところなので、人の乗っていない市営バスがあたかもわたくしを迎えるように来て停った。わたくしは舗道から一ひと歩あし踏み出そうとして、何やら急にわけもわからず名なご残り惜しい気がして、又ぶらぶら歩き出すと、間もなく酒屋の前の曲まが角りかどにポストの立っている六丁目の停留場である。ここには五六人の人が車を待っていた。わたくしはこの停留場でも空むなしく三四台の車を行き過すごさせ、唯茫ぼう然ぜんとして、白ポ楊プ樹ラの立ちならぶ表通と、横町の角に沿うた広い空地の方を眺めた。
この空地には夏から秋にかけて、ついこの間まで、初めは曲馬、次には猿芝居、その次には幽霊の見世物小屋が、毎夜さわがしく蓄音機を鳴ならし立てていたのであるが、いつの間にか、もとのようになって、あたりの薄暗い灯ほか影げが水みず溜たまりの面おもてに反映しているばかりである。わたくしはとにかくもう一度お雪をたずねて、旅行をするからとか何とか言って別れよう。其の方が鼬いたちの道を切ったような事をするよりは、どうせ行かないものなら、お雪の方でも後あと々あとの心持がわるくないであろう。出来ることなら、真まことの事情を打明けてしまいたい。わたくしは散歩したいにも其その処ところがない。尋ねたいと思う人は皆先に死んでしまった。風流絃歌の巷も今では音楽家と舞踊家との名を争う処で、年寄が茶を啜すすってむかしを語る処ではない。わたくしは図らずも此のラビラントの一隅に於いて浮ふせ世いは半んじ日つの閑を偸ぬすむ事を知った。そのつもりで邪魔でもあろうけれど折々遊びに来る時は快く上げてくれと、晩おそ蒔まきながら、わかるように説明したい……。わたくしは再び路地へ入ってお雪の家の窓に立寄った。
﹁さア、お上んなさい。﹂とお雪は来る筈の人が来たという心持を、其様子と調子とに現したが、いつものように下の茶の間には通さず、先に立って梯はし子ごを上るので、わたくしも様子を察して、
﹁親方が居るのか。﹂
﹁ええ。おかみさんも一緒……。﹂
﹁新奇のが来たね。﹂
﹁御飯焚たきのばアやも来たわ。﹂
﹁そうか。急に賑かになったんだな。﹂
﹁暫く独りでいたら、大勢だと全くうるさいわね。﹂急に思出したらしく、﹁この間はありがとう。﹂
﹁好いいのがあったか。﹂
﹁ええ。明あし日たあたり出来てくる筈よ。伊だて達じ締めも一本買ったわ。これはもうこんなだもの。後で下へ行って持ってくるわ。﹂
お雪は下へ降りて茶を運んで来た。姑しばらく窓に腰をかけて何ともつかぬ話をしていたが、主ある人じ夫婦は帰りそうな様子もない。その中うち梯子の降おり口くちにつけた呼鈴が鳴る。馴染の客が来た知らせである。
家うちの様子が今までお雪一人の時とは全くちがって、長くは居られぬようになり、お雪の方でもまた主人の手前を気兼しているらしいので、わたくしは言おうと思った事もそのまま、半時間とはたたぬ中うち戸口を出た。
四五日過ると季節は彼岸に入った。空模様は俄にわかに変って、南なん風ぷうに追われる暗雲の低く空を行き過る時、大粒の雨は礫つぶてを打つように降りそそいでは忽たちまち歇やむ。夜を徹して小お息やみもなく降りつづくこともあった。わたくしが庭の葉頭は根もとから倒れた。萩の花は葉と共に振り落され、既に実を結んだ秋しゅ海うか堂いどうの紅い茎は大きな葉を剥はがれて、痛ましく色が褪あせてしまった。濡れた木この葉はと枯枝とに狼ろう藉ぜきとしている庭のさまを生き残った法ほう師しぜ蝉みと蟋こお蟀ろぎとが雨の霽はれま霽れまに嘆き弔とむらうばかり。わたくしは年々秋風秋雨に襲われた後のちの庭を見るたびたび紅こう楼ろう夢むの中にある秋しゅ窓うそ風うふ雨うう夕のゆうべと題された一篇の古詩を思起す。
秋花ハ惨淡トシテ秋草ハ黄ナリ。
耿耿タル秋燈秋夜ハ長シ。
已ニ賞ス秋窓ニ秋ノ不レ尽キザルヲ。
那イカンゾ堪ンヤ風雨ノ助クルヲ二凄涼ヲ一。
助クルノレ秋ヲ風雨ハ来ルコト何ゾ速ナルヤ。
驚破ス秋窓秋夢ノ緑ナルヲ。
………………………
そして、わたくしは毎年同じように、とても出来ぬとは知りながら、何とかうまく翻訳して見たいと思い煩わずらうのである。
風雨の中に彼岸は過ぎ、天気がからりと晴れると、九月の月も残り少く、やがて其年の十五夜になった。
前の夜もふけそめてから月が好かったが、十五夜の当夜には早くから一層曇りのない明月を見た。
わたくしがお雪の病んで入院していることを知ったのは其夜である。雇婆から窓口で聞いただけなので、病の何であるのかも知る由がなかった。
十月になると例年よりも寒さが早く来た。既に十五夜の晩にも玉の井稲いな荷りの前通の商店に、﹁皆さん、障しょ子うじ張りかえの時が来ました。サービスに上等の糊を進呈。﹂とかいた紙が下っていたではないか。もはや素足に古下駄を引ひき摺ずり帽子もかぶらず夜歩きをする時節ではない。隣とな家りのラディオも閉めた雨戸に遮さえぎられて、それほどわたくしを苦しめないようになったので、わたくしは家に居てもどうやら燈火に親しむことができるようになった。
* * *
東ぼく綺とう譚きたんはここに筆を擱おくべきであろう。然しながら若しここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年或は一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素しろ人とになっているお雪に廻めぐり逢う一節を書添えればよいであろう。猶又、この偶然の邂かい逅こうをして更に感傷的ならしめようと思ったなら、摺れちがう自動車とか或は列車の窓から、互に顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう。楓ふう葉よう荻てき花か秋は瑟しつ々しつたる刀とね禰が河わあたりの渡わた船しぶねで摺れちがう処などは、殊に妙であろう。
わたくしとお雪とは、互に其本名も其住所をも知らずにしまった。唯東の裏町、蚊のわめく溝どぶ際ぎわの家で狎なれしんだばかり。一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である。軽い恋愛の遊戯とは云いながら、再会の望みなき事を初めから知りぬいていた別離の情は、強しいて之これを語ろうとすれば誇張に陥り、之を軽けい々けいに叙し去れば情を尽さぬ憾うらみがある。ピエールロッチの名著阿おき菊くさんの末段は、能よく這しゃ般はんの情緒を描き尽し、人をして暗涙を催さしむる力があった。わたくしが東綺譚の一篇に小説的色彩を添加しようとしても、それは徒いたずらにロッチの筆を学んで至らざるの笑を招くに過ぎぬかも知れない。
わたくしはお雪が永く溝際の家にいて、極めて廉れん価かに其媚こびを売るものでない事は、何のいわれもなく早くから之を予想していた。若い頃、わたくしは遊里の消息に通暁した老人から、こんな話をきかされたことがあった。これほど気に入った女はない。早く話をつけないと、外のお客に身受けをされてしまいはせぬかと思うような気がすると、其女はきっと病気で死ぬか、そうでなければ突然厭いやな男に身受をされて遠い国へ行ってしまう。何の訳もない気病みというものは不思議に当るものだと云う話である。
お雪はあの土地の女には似合わしからぬ容色と才智とを持っていた。群けいぐんの一いっ鶴かくであった。然し昔と今とは時代がちがうから、病むとも死ぬような事はあるまい。義理にからまれて思わぬ人に一生を寄せる事もあるまい……。
建込んだ汚きたならしい家の屋根つづき、風あら雨しの来る前の重苦しい空に映る燈ほか影げを望みながら、お雪とわたくしとは真暗な二階の窓に倚よって、互に汗ばむ手を取りながら、唯それともなく謎なぞのような事を言って語り合った時、突然閃き落ちる稲妻に照らされたその横顔。それは今も猶ありありと目に残って消去らずにいる。わたくしは二はた十ちの頃から恋愛の遊戯に耽ふけったが、然し此の老境に至って、このような癡ち夢むを語らねばならないような心持になろうとは。運命の人を揶や揄ゆすることもまた甚しいではないか。草稿の裏には猶数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書しるして此夜の愁うれいを慰めよう。
残る蚊に額さされしわが血汐。
ふところ紙に
君は拭いて捨てし庭の隅。
葉頭の一ひと茎くき立ちぬ。
夜ごとの霜のさむければ、
夕暮の風をも待たで、
倒れ死すべき定めも知らず、
錦なす葉の萎しおれながらに
色増す姿ぞいたましき。
病める蝶ありて
傷きずつきし翼によろめき、
返かえり咲く花とうたがう頭の
倒れ死すべきその葉かげ。
宿かる夢も
結ぶにひまなき晩おそ秋あきの
たそがれ迫る庭の隅。
君とわかれしわが身ひとり、
倒れ死すべき頭の一茎と
ならびて立てる心はいかに。