一
毎まい夜よ吾あづ妻まば橋しの橋はしだもとに佇たゝ立ずみ、徃ゆき来ゝの人ひとの袖そでを引ひいて遊あそびを勧すゝめる闇やみの女をんなは、梅つ雨ゆもあけて、あたりがいよ〳〵夏なつらしくなるにつれて、次しだ第いに多おほくなり、今いまではどうやら十人にん近ちかくにもなつてゐるらしい。女をん達なたちは毎まい夜よのことなので、互たがひにその名なもその年と齢しもその住すむ処ところも知しり合あつてゐる。 一みん同なから道みつちやんとか道みち子こさんとか呼よばれてゐる円まる顔がほの目めのぱつちりした中ちゆ肉うに中くち丈ゆうぜいの女をんながある。去きよ年ねんの夏なつ頃ごろから此この稼かせ場ぎばに姿すがたを見みせ初はじめ、川かは風かぜの身みに浸しむ秋あきも早はやく過すぎ、手てぶ袋くろした手てさ先きも凍こゞえるやうな冬ふゆになつても毎まい夜よ休やすまずに出でて来くるので、今いまでは女をん供などもの中なかでも一番ばん古ふる顔がほになつてゐる。 いつも黒くろい地ぢい色ろのスカートに、襟えりのあたりに少すこしばかりレースの飾かざりをつけた白しろいシヤツ。口くち紅べにだけは少すこし濃こくしてゐるが、白おし粉ろいはつけてゐるのか居ゐないのか分わからぬほどの薄うす化げし粧やうなので、公こう園ゑんの映えい画ぐわを見みに来くる堅かた気ぎの若わかい女をん達なたちよりも、却かへつてジミなくらい。橋はしの欄らん干かんのさして明あかからぬ火ほか影げには近ちかくの商しや店うてんに働はたらいてゐる女をんなでなければ、真ま面じ目めな女をん事なじ務むゐ員んとしか見みえないくらい、巧たくみにその身みの上うへを隠かくしてゐる。そのため年と齢しも二十二三には見みられるので、真まことの年としはそれより二ふたツ三みつツは取とつてゐるかも知しれない。 道みち子こは橋はしの欄らん干かんに身みをよせると共ともに、真まつ暗くらな公こう園ゑんの後うしろに聳そびえてゐる松まつ屋やの建たて物ものの屋や根ねや窓まどを色いろ取どる燈とう火くわを見み上あげる眼めを、すぐ様さま橋はしの下したの桟さん橋ばしから河かは面づらの方はうへ移うつした。河かは面づらは対たい岸がんの空そらに輝かゞやく朝あさ日ひビールの広くわ告うこくの灯ひと、東とう武ぶで電んし車やの鉄てつ橋けうの上うへを絶たえず徃わう復ふくする電でん車しやの燈ほか影げに照てらされ、貸かしボートを漕こぐ若わかい男だん女ぢよの姿すがたのみならず、流ながれて行ゆく芥ごみの中なかに西すゐ瓜くわの皮かはや古ふる下げ駄たの浮ういてゐるのまでがよく見み分わけられる。 折をりから貸かしボート屋やの桟さん橋ばしには舷ふなばたに数かず知しれず提ちや燈うちんを下さげた凉すゞ船みぶねが間まもなく纜ともづなを解といて出でやうとするところらしく、客きやくを呼よび込こむ女をんなの声こゑが一層そう甲かん高だかに、﹁毎まい度ど御ごじ乗よう船せんありがたう御ござ在います。水すゐ上じやうバスへ御お乗のりのお客きやくさまはお急いそぎ下くださいませ。水すゐ上じやうバスは言こと問とひから柳やな橋ぎばし、両りや国うご橋くばし、浜はま町ちや河うが岸しを一周しうして時じか間んは一時じか間ん、料れう金きんは御ご一人にん五十円ゑんで御ござ在います。﹂と呼よびつゞけてゐる。橋はしの上うへは河かはの上うへの此この賑にぎはひを見みる人ひと達たちで仲なか見み世せや映えい画ぐわ街がいにも劣おとらぬ混こん雑ざつ。欄らん干かんにもたれてゐる人ひと達たちは互たがひに肩かたを摺すれ合あはすばかり。人ひとと人ひととの間あひだに少すこしでも隙すき間まが出で来きると見みると歩あるいてゐるものがすぐ其その跡あとに割わり込こんで河かは水みづの流ながれと、それに映うつる灯ほか影げを眺ながめるのである。 道みち子こは自じぶ分んの身みぢ近かに突とつ然ぜん白しろヅボンにワイシヤツを着きた男をとこが割わり込こんで来きたのに、一ちよ寸つと身みを片かた寄よせる途とた端ん、何なんとつかずその顔かほを見みると、もう二三年ねん前まへの事ことであるが、パレスといふ小こい岩はの遊あそび場ばに身みを沈しづめてゐた頃ころ、折をり々〳〵泊とまりに来きた客きやくなので、調てう子しもおのづから心こゝろやすく、 ﹁アラ、木き嶋イさんぢやない。わたしよ。もう忘わすれちやつた。﹂ 男をとこは不ふ意いをくらつて驚おどろいたやうに女をんなの顔かほを見みたまゝ何なんとも言いはない。 ﹁パレスの十三号がうよ。道みち子こよ。﹂ ﹁知しつてゐるよ。﹂ ﹁遊あそんでツてよ。﹂と周しう囲ゐの人ひと込ごみを憚はゞかり、道みち子こは男をとこの腕うでをシヤツの袖そでと一しよに引ひつ張ぱり、欄らん干かんから車しや道だうの稍やゝ薄うす暗ぐらい方はうへと歩あゆみながら、すつかり甘あまえた調てう子しになり、 ﹁ねえ、木き嶋イさん。遊あそんでよ。久ひさしぶりぢやないの。﹂ ﹁駄だ目めだよ。今こん夜やは。持もつてゐないから。﹂ ﹁あつちと同おなじでいゝのよ。お願ねがひするわ。宿やど賃ちんだけ余よけ計いになるけど。﹂と言いひながら、道みち子こは一ひと歩あし一ひと歩あし男をとこを橋はし向むかうの暗くらい方はうへと引ひツ張ぱつて行ゆかうとする。 ﹁どこへ行ゆくんだ。宿やど屋やがあるのか。﹂ ﹁向むかうの河か岸しに静しづかないゝ家うちがあるわ。わたし達たちなら一時じか間ん二百ひや円くゑんでいゝのよ。﹂ ﹁さうか。お前まへが彼あつ処ちに居ゐなくなつたのは、誰だれか好すきな人ひとができて、一緒しよになつたからだと思おもつてゐたんだ。こんな処ところへ稼かせぎに出でてゐるとは知しらなかつたヨ。﹂ ﹁わたし、パレスの方はうは借しや金くきんは返かへしてしまふし、御おれ礼いぼ奉うこ公うもちやんと半はん年としゐてやつたんだから、母かアさんが生いきてれば家うちへ帰かへつて堅かた気ぎで暮くらすんだけれど、わたし、あんたも知しつてる通とほり、父とうさんも母かアさんも皆みんな死しんでしまつて、今いまぢやほんとの一ひと人りぼつちだからさ。こんな事ことでもしなくツちや暮くらして行ゆけないのよ。﹂ 男をとこは道みち子こが口くちから出でまかせに何なにを言いふのかといふやうな顔かほをして、ウム〳〵と頷うな付づきながら、重おもさうな折をり革かば包んを右みぎと左ひだりに持もちかへつゝ、手てを引ひかれて橋はしをわたつた。 ﹁此こつ方ちよ。﹂と道みち子こはすぐ右みぎ手ての横よこ道みちに曲まがり、表おもての戸とを閉しめてゐる素しも人た家やの間あひだにはさまつて、軒のき先さきに旅りよ館くわんの灯あかりを出だした二階かい建だての家うちの格かう子し戸どを明あけ、一ひと歩あし先さきへ這は入いつて﹁今こん晩ばんは。﹂と中なかへ知しらせた。其その声こゑに応おうじて、 ﹁入いらつしやいまし。﹂と若わかい女ぢよ中ちゆうが上あがり口ぐちの板いたの間まに膝ひざをつき、出だしてあるスリツパを揃そろへ、﹁どうぞ、お二階かいへ。突つき当あたりが明あいてゐます。﹂ 梯はし子ごだ段んを上あがると、廊らう下かの片かた側がはに顔かほを洗あらふ流ながし場ばと便べん所じよの杉すぎ戸どがあり、片かた側がはには三畳でふと六畳でふの座ざし敷きが三み間まほど、いづれも客きやくがあるらしく閉しめ切きつた襖ふすまの外そとにスリツパが※ぬ﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁丿/友﹂、U+39DE、64-6﹈ぎ捨すてゝある。 道みち子こは廊らう下かの突つき当あたりに襖ふすまのあけたまゝになつた奥おくの間まへ、客きやくと共ともに入はいると、枕まくら二ふたツ並ならべた夜や具ぐが敷しいてあつて、窓まどに沿そふ壁かべ際ぎはに小こが形たの化けし粧やう鏡かゞみとランプ形がたのスタンドや灰はひ皿ざら。他たの壁かべには春しゆ画んぐわめいた人じん物ぶつ画ぐわの額がくがかゝつて、其その下したの花くわ瓶びんには黄きい色ろの夏なつ菊ぎくがさしてある。 道みち子こは客きやくよりも早はやく着きてゐる物ものをぬぎながら、枕まく元らもとの窓まどの硝がら子すし障やう子じをあけ、﹁こゝの家うち、凉すゞしいでせう。﹂ 窓まどの下したはすぐ河かはの流ながれで駒こま形がた橋ばしの橋はし影かげと対たい岸がんの町まちの灯ひが見みえる。 ﹁ゆつくり遊あそびませうよ。ねえ、あなた。お泊とまりできないの。﹂ 客きやくは裸はだ体かのまゝ窓まどに腰こしをかけて煙たば草こをのむ女をんなの様やう子すを眺ながめながら、 ﹁お前まへ、パレスにゐた時じぶ分ん露ろて呈いし症やうだつて云いはれてゐたんだらう。まつたくらしいな。﹂ ﹁露ろて呈いし症やうツて何なによ。﹂ ﹁身から体だぢ中ゆうどこも隠かくさないで平へい気きで見みせることさ。﹂ ﹁ぢや、ストリツプは皆みんなさうね。暑あつい時ときは凉すゞしくつていゝわ。さア、あんたもおぬぎなさいよ。﹂と道みち子こは男をとこのぬぎかけるワイシヤツを後うしろから手てつだつて引ひきはがした。二
道みち子こはもと南みな千みせ住んぢゆの裏うら長なが屋やに貧まづしい暮くらしをしてゐた大だい工くの娘むすめである。兄あにが一ひと人りあつたが戦せん地ちへ送おくられると間まもなく病びや気うきで倒たふれ、父ちゝは空くう襲しふの時とき焼せう死しして一家か全ぜん滅めつした始しま末つに、道みち子こは松まつ戸どの田ゐな舎かで農のう業げふをしてゐる母はゝ親おやの実じつ家かへ母はゝと共ともにつれられて行いつたが、こゝも生くら活しには困こまつてゐたので、母はゝの食しよ料くれうをかせぐため、丁ちや度うど十八になつてゐたのを幸さいはひ、周しう旋せん屋やの世せ話わで、その頃ころ新あらたにできた小こい岩はの売ばい笑せう窟くつへ身み売うりをしたのである。 男をとこはまだ初はじめてと云いふ年とし頃ごろであるが、気きの持もちやう一ひとツで、女をんなならば誰だれにでも出で来きる商しや売うばいのこと。道みち子こは三みつ月きたゝぬ中うち立りつ派ぱな稼かせぎ人にんとなり、母はゝへの仕しお送くりには何なんの滞とゞこほりもなくやつて行いつたが、程ほどなく其その母はゝも急きふ病びやうで死しんでしまひ、道みち子こはそれから以い後ご、店みせで稼かせぐ金かねは、いかほど抱かゝ主へぬしに歩ぶわ割りを取とられても、自じぶ分ん一ひと人りでは使つかひ切きれないくらいで、三年ねんの年ねん季きの明あける頃ころには鏡きや台うだいや箪たん笥すも持もつてゐたし、郵いう便びん局きよくの貯ちよ金きんも万まん以いじ上やうになつてゐたが、帰かへるべき家うちがないので、その頃ころ半はん年としあまり足あし繁しげく通かよつてくるお客きやくの中なかで、電でん話わの周しう旋せん屋やをしてゐる田たな中かと云いふ男をとこが、行ゆく末すゑは表おも向てむき正せい妻さいにすると云いふはなしに、初はじめはその男をとこのアパートに行ゆき、やがて三みノ輪わの電でん車しや通どほりに家いへ一軒けん借かりると、男をとこの国くに元もとから一度ど嫁よめに行いつたことのある出でも戻どりの妹いもうとに、人ひと好ずきのよくない気きむづかしい母はゝ親おやとが出でて来きたゝめ、針はり仕しご事とも煮にた炊きもよくは出で来きない道みち子こは手て馴なれない家かて庭いの雑ざつ用ように追おはれる。初はじめから気きし質つの合あはない家かぞ族くとの折をり合あひは日ひを追おふに従したがつて円ゑん滑くわつには行ゆかなくなり、何なにかにつけてお互たがひに顔かほを赤あからめ言こと葉ばを荒あらくするやうな事ことが毎まい日にちのやうになつて来きたので、道みち子こは客きや商くし売やうばいをしてゐた小こい岩はの生せい活くわつのむかしを思おも返ひかへしてふて腐くされる始しま末つ。それに加くはへて男をとこの周しう旋せん業げふも一向かううまくは行ゆかないところから、一年ねん後ごには夫ふう婦ふわ別かれと話はなしがきまり、男をとこは母はゝと妹いもうととを連つれて関くわ西んさいへ行ゆく。道みち子こは其その辺へんのアパートをさがして一ひと人りぐ暮らしをすることになつたが、郵いう便びん局きよくの貯ちよ金きんはあらかた使つかはれてしまひ、着きも物のまで満まん足ぞくには残のこつてゐない始しま末つに、道みち子こはアパートに出でい入りする仕しだ出し屋やの婆ばあさんの勧すゝめるがまゝ、戦せん後ご浅あさ草くさ上うへ野のへ辺んの裏うら町まちに散さん在ざいしてゐる怪あやし気げな旅りよ館くわんや料れう理り屋やへ出で入いりしてお客きやくを取とりはじめた。然しかし毎まい日にち毎まい晩ばんといふわけには行ゆかない。四五日にち目めに一ひと人りか二ふた人りもあればいゝ方はうなので、道みち子こはその頃ころ頻しきりと人ひとの噂うはさをする浅あさ草くさ公こう園ゑんの街がい娼しやうにならうと決けつ心しんしたが、どの辺へんに出でていゝのか見けん当たうがつかないので、様やう子すをさぐりに、或ある日ひあたりの暗くらくなるのを待まち、映えい画ぐわ見けん物ぶつの帰かへりのやうな風ふうをして、それらしく思おもはれる処ところをあちこちと歩あるき廻まはつてゐる中うち、いつか仮かり普ぶし請んの観くわ音んお堂んだうの前まへに来きかゝつたのに心こゝろづき、賽さい銭せん箱ばこに十円ゑん札さつを投はふり込こみ手てを合あはして拝をがんでゐた時ときである。﹁アラ、道みつちやん﹂と呼よびかけられ、驚おどろいて振ふり返かへつて見みると、小こい岩はの私しし娼やう窟くつにゐた頃ころ姉きや妹うだいのやうに心こゝ安ろやすくしてゐた蝶てふ子こといふ女をんな、もとは浅あさ草くさの街がい娼しやうをしてゐた事こともあるといふ女をんななので、訳わけを話はなして、道みち子こはその辺へんの蕎そ麦ば屋やに誘さそひ、委くはしくいろ〳〵の事じじ情やうをきいた。 このあたりで女をん達なたちの客きや引くひきに出でる場ばし所よは、目もく下か足あし場ばの掛かゝつてゐる観くわ音んお堂んだうの裏うら手てから三社じや権ごん現げんの前まへの空あき地ち、二天てん門もんの辺あたりから鐘かね撞つき堂だうのある辨べん天てん山やまの下したで、こゝは昼ひる間まから客きや引くひきに出でる女をんながゐる。次つぎは瓢へう箪たん池いけを埋うづめた後あとの空あき地ちから花はな屋やし敷きの囲かこひ外そとで、こゝには男だん娼しやうの姿すがたも見みられる。方はう角がくをかへて雷かみ門なりもんの辺へんでは神かみ谷やバーの曲まが角りかど。広ひろい道だう路ろを越こして南みな千みせ住んぢ行ゆゆきの電でん車しや停てい留りう場ぢやうの辺あたり。川かは沿ぞひの公こう園ゑんの真まつ暗くらな入いり口ぐちあたりから吾あづ妻まば橋しの橋はしだもと。電でん車しや通どほりでありながら早はやくから店みせの戸とを閉しめる鼻はな緒を屋やの立たちつゞく軒のき下した。松まつ屋やの建たて物ものの周ゐま囲はり、燈あか火りの少すくない道みち端ばたには四五人にんヅヽ女をんなの出でてゐない晩ばんはない。代だい金きんは誰だれがきめたものか、いづこも宿やど賃ちん二三百びや円くゑんを除のぞいて、女をんなの収しう入にふは客きやく一ひと人りにつき普ふつ通うは三百びや円くゑんから五百ひや円くゑん、一泊ぱくは千せん円ゑん以いじ上やうだと云いふ。 道みち子こは唯たゞ何なんといふ訳わけもなく吾あづ妻まば橋しのたもとが好よさゝうな気きのするまゝ、こゝを出でば場し所よにしたのであるが、最さい初しよの晩ばんから景けい気きが好よく、宵よひの中うちに二ふた人り客きやくがつき、終しゆ電うで車んしやの通とほり過すぎる頃ころにつかまへた客きやくは宿やど屋やへ行いつてから翌よく朝あさまで泊とまりたいと言いひ出だす始しま末つであつた。 道みち子こは小こい岩はの売ばい笑せう窟くつにゐた時ときから男をとこには何なんと云いふわけもなく好すかれる性た質ちの女をんなで、少すこし此この道みちの加かげ減んがわかるやうになつてからは、いかに静しづかな晩ばんでも泊とまり客きやくのないやうな夜よるはなかつたくらい。吾あづ妻まば橋しへ出でるやうになつても客きやくのつくことには変かはりがなく、其その月つきの末すゑにはハンドバツグの中なかに入いれた紙かみ入いれには百ひや円くゑ札んさつや千せん円ゑん札さつがいくら押おし込こまうとしても押おし込こめない程ほどであつた。 道みち子こは再ふたゝび近きん処じよの郵いう便びん局きよくへ貯ちよ金きんをし初はじめた。三
或ある日ひの朝あさも十時じ過すぎ。毎まい夜よ泊とまりの客きやくを連つれ込こむ本ほん所じよの河か岸しの宿やど屋やを出でて、電でん車しや通どほりでその客きやくとわかれ、道みち子こは三みノ輪わの裏うら通どほりにあるアパートへ帰かへつて来くると、窓まどの下したは隣となりの寺てらの墓ぼ地ちになつてゐる木この間まから、今け朝さは平ふだ素んよりも激はげしく匂にほひわたる線せん香かうの烟けむりが風かぜになびいて部へ屋やの中なかまで流ながれ込こんでくるやうにも思おもはれた。
昼ひる寐ねの夜や具ぐを敷しきながら墓ぼ地ちの方はうを見みお下ろすと、いつも落おち葉ばに埋うづもれたまゝ打うち棄すてゝある古ふるびた墓はかも今け日ふは奇きれ麗いに掃さう除ぢされて、花はなや線せん香かうが供そなへられてゐる。本ほん堂だうの方はうでは経きやうを読よむ声こゑ、鉦かねを打うつ音おともしてゐる。道みち子こは今こと年しもいつか盆ぼんの十三日にちになつたのだと初はじめて気きがついた時ときである。聞きき馴なれぬ女をんなの声こゑを聞ききつけ、又またもや窓まどから首くびを出だして見みると、日にほ本んが髪みに日にほ本んふ服くを着きた奥おくさまらしい若わかい女をんなと、その母はゝ親おやかとも思おもはれる老らう婆ばの二ふた人りが、手てを桶けをさげた寺てら男をとこに案あん内ないされて、石いしもまだ新あたらしい墓はかの前まへに立たつて、線せん香かうの束たばを供そなへてゐる。
道みち子こはふと松まつ戸どの寺てらに葬はうむられた母はゝ親おやの事ことを思おもひ起おこした。その当たう時じは小こい岩はの盛さかり場ばに働はたらいてゐたゝめ、主しゆ人じん持もちの身みの自じい由うがきかず、暇ひまを貰もらつてやつと葬とむ式らひに行いつたばかり。それから四五年ねんたつた今こん日にち、母はゝ親おやの墓はかは在あるのか無ないのかわからないと思おもふと、何なにやら急きふに見みさ定だめて置おきたい気きがして、道みち子こは敷しいた夜や具ぐもそのまゝにして、飯めしも食くはず、明あけた窓まどを閉しめると共ともに、再ふたゝび外そとへ出でた。
道みち子こは上うへ野のから省しや線うせ電んで車んしやに乗のり松まつ戸どの駅えきで降おりたが、寺てらの名なだけは思おも出ひだすことができたものゝ、その場ばし処よは全まつたく忘わすれてゐるので、駅えき前まへにゐる輪りんタクを呼よんでそれに乗のつて行ゆくと、次しだ第いに高たかくなつて行ゆく道みちが国こふ府のだ台いの方はうへと降おりかけるあたり。松まつ林ばやしの中なかに門もんの屋や根ねを聳そびやかした法ほつ華けで寺らで、こゝも盆ぼんの墓はか参まゐりをするらしい人ひとが引ひきつゞき出でい入りをしてゐた。すぐに庫く裏りの玄げん関くわ先んさきへ歩あゆみ寄よると、折をりよく住ぢゆ職うしよくらしい年ねん配ぱいの坊ばうさんが今いまがた配はい達たつされたらしい郵いう便びん物ぶつを見みながら立たつてゐたので、
﹁一ちよ寸つと伺うかゞひますが、アノ、アノ、田たむ村らと云いふ女をんなのお墓はかで御ござ在いますが、アノ、それはこちらのお寺てらで御ござ在いませうか。﹂と道みち子こは滞とゞこほり勝がちにきいて見みた。
坊ばうさんは一向かう心こゝ当ろあたりがないと云いふやうな面おも持もちをしながら、それでも笑ゑが顔ほをつくり、
﹁御ごめ命いに日ちはいつ頃ごろです。お葬とむ式らひは何なん年ねん程ほど前まへでした。﹂
道みち子こは小こい岩はの色いろ町まちへ身みう売りをした時ときの年ねん季きと、電でん話わの周しう旋せん屋やと一緒しよに暮くらした月つき日ひとを胸むねの中うちに数かぞへ返かへしながら、
﹁お葬とむ式らひをしたのは五年ねんばかり前まへで、お正しや月うぐわつもまだ寒さむい時じぶ分んでした。松まつ戸どの陣ぢん前まへにゐる田たむ村らといふ百姓しや家うやの人ひとがお葬とむ式らひをしてくれたんで御ござ在いますが……。﹂
﹁あゝさうですか。今いま調しらべて見みませう。鳥ちよ渡つと待まつて下ください。そこへ御お掛かけなさい。﹂
坊ばうさんは日にほ本ん紙しを横よこ綴とぢにした帳ちや面うめんを繰くり開ひらきながら、出でて来きて、﹁わかりました。わかりましたが、お墓はかはそれなり何なんのおたよりがないので、そのまゝにしてあります。お墓はかはありません。あなたは御おみ身よ寄りの方かたですか。﹂
道みち子こは葬はうむられた者ものの娘むすめで、東とう京きやうで生せい活くわつをしてゐるのだと答こたへ、﹁お墓はかが無ないのなら、ちやんとした石いしを立たてたいんですが、さうするにはどこへ頼たのんだら、いゝのでせう。﹂
﹁それはこの寺てらで知しつてゐる石いし屋やがありますから、そこへ頼たのめばすぐこしらへてくれます。﹂
﹁それぢや、わたくしお頼たのみしたいんですけど、石いしは一体たいどれ程ほどかゝるものでせうか。﹂
﹁さうですね、その辺へんに立たつてゐるやうな小ちひさな石いしでも、戦せん争さう後ごは物ぶつ価かがちがひますからな、五六千せん円ゑんはかゝるつもりでないと出で来きません。﹂
道みち子こは一ひと晩ばん稼かせげば最さい低てい千せん五六百ぴや円くゑんになる身から体だ。墓ぼせ石きの代だい金きんくらい更さらに驚おどろくところではない。冬ふゆの外ぐわ套いたうを買かふよりも訳わけはない話はなしだと思おもつた。
﹁今いま持もち合あはしてゐませんけど、それくらいで宜よろしいのならいつでもお払はらひしますから、どうぞ石いし屋やへ、御ごめ面んだ倒うでもお話はなしして下くださいませんか。お願ねがひ致いたします。﹂
坊ばうさんは思おもひ掛がけない好いいお客きやくと見みたらしく、俄にはかに手てを叩たゝいて小こば坊う主ずを呼よび茶ちやと菓くわ子しとを持もつて来こさせた。
道みち子こは母はゝのみならず父ちゝの墓はかも――戦せん災さいで生せい死しふ不め明いになつた為ため、今いまだに立たてずにある事ことを語かたり、母はゝの戒かい名みやうと共ともに並ならべて石いしに掘ほつて貰もらふやうに頼たのみ、百ひや円くゑ札んさつ二三枚まいを紙かみに包つゝんで出だした。坊ばうさんは道みち子この孝かう心しんを、今いまの世よには稀まれなものとして絶ぜつ賞しやうし、その帰かへるのを門もん際ぎはまで送おくつてやつた。
道みち子こはバスの通とほるのを見みて、その停てい留りう場ぢやうまで歩あるき、待まつてゐる人ひとに道みちをきいて、こんどは国こふ府のだ台いから京けい成せい電でん車しやで上うへ野のへ廻まはつてアパートに帰かへつた。
夏なつの盛さかりの永ながい日ひも暮くれかけ、いつもならば洗せん湯たうへ行ゆき、それから夕ゆふ飯めしをすますと共ともに、そろ〳〵稼かせぎに出で掛かける時じこ刻くになるのであるが、道みち子こは出でがけに敷しいたまゝの夜や具ぐの上うへに横よこたはると、その夕ゆふべばかりはつかれたまゝ外そとへは出でずに眠ねむつてしまつた。
次つぎの日ひの夕ゆふべ。道みち子こはいつよりも少すこし早はや目めに稼かせぎ場ばの吾あづ妻まば橋しへ出でて行ゆくと、毎まい夜よの顔かほ馴なじ染みに、心こゝろやすくなつてゐる仲なか間まの女をん達なたちの一ひと人りが、
﹁道みつちやん。昨ゆう夜べどうしたの。来こなくつてよかつたよ。﹂
﹁うるさかつたのかい。わたし母おつかさんの、田ゐな舎かのお寺てらへお墓はか参まゐりに行いつたんでね。昨ゆう夜べは早はやく寐ねてしまつたんだよ。﹂
﹁宵よひの口くちには橋はしの上うへで与よ太たの喧けん嘩くわがあるし、それから私しふ服くがうるさく徘うろ徊ついてゝね、とう〳〵松まつ屋やの横よこで三人にんも挙あげられたつて云いふはなしなんだよ。﹂
﹁ぢや、ほんとに来こなくつてよかつたね。来きたら、わたしもやられたかも知しれない。やつぱりお寺てらの坊ばうさんの言いふ通とほりだ。親おや孝かう行かうしてゐると悪わるい災さい難なんにかゝらないで運うんが好よくなるツて、全まつたくだよ。﹂
道みち子こはハンドバツグからピースの箱はこを取とり出だしながら、見みわ渡たすかぎりあたりは盆ぼんの十四よつ日かの夜よるの人ひと出でがいよ〳〵激はげしくなつて行ゆくのを眺ながめた。
(昭和廿八年十二月作)
〔一九五七(昭和三二)年一一月一〇日、中央公論社『あづま橋』〕