一
二人の借りている二階の硝ガラ子スま窓どの外はこの家うちの物もの干ほし場ばになっている。その日もやがて正ひ午るちかくであろう。どこからともなく鰯いわしを焼く匂においがして物干の上にはさっきから同じ二階の表おもて座敷を借りている女が寐ねま衣きの裾すそをかかげて頻しきりに物を干している影が磨すり硝ガラ子スの面に動いている。 ﹁ちょいと、今日は晦みそ日かだったわね。後あとであんた郵便局まで行ってきてくれない。﹂とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方を見返ったのは年のころ三十も大分越したと見える女で、細帯もしめず洗いざらしの浴ゆか衣たの前も引きはだけたまま、鏡台の前に立たて膝ひざして寝乱れた髪を束たばねている。 ﹁うむ。行って来こよう。火ひだ種ねはあるか。この二、三日大分寒くなって来たな。﹂と男はまだ寐ねたまま起きようともしない。 ﹁今こと年しも来月一ひと月つきだもの。﹂と女は片手に髪を押え、片手に陶器の丸まる火ひば鉢ちを引寄せる。その上にはアルミの薬やか鑵んがかけてある。 ﹁うむ。月日のたつのは全く早いな。来年はおれもいよいよ厄やく年どしだぜ。﹂ ﹁そう。全く憂ゆう欝うつになるわよ。男は四十からが盛りだからいいけれど、女はもう上ったりだわ。﹂と何のはずみだか肩を張って大きな息をしたのが、どうやら男には溜ため息いきをついたように思われた。 ﹁誰だって毎年年としはとるにきまっているからな。﹂と男は俄にわかに申もう訳しわけらしく、﹁まアいいやな、こうして暮して行けれァ何も愚ぐ痴ちを言う事はない。別に大した望みがあるじゃなし……なアお千代、おれは全くこうして暮していられれば結構だと思っているんだ。﹂ ﹁それはそうよ。だけどこうして暮して行けるのも永いことはないわよ。もう……。﹂ ﹁もう。どうして。﹂ ﹁どうしてッて。わたしとあんたとはいくらも年がちがわないんだもの。わたしの方じゃ稼かせぐつもりでもお客の方が……。﹂と言いながら女は物干台の人ひと影かげに心づいて急に声をひそめる。男は夜具から這はい出だして、 ﹁そうなれば、おれも男だ。お前にばかり寄よッかかっていやしない。お前はおれの事を意い気く地じなしだ――それァあんまり意気地のある方ほうでもないから何と思われても仕様がないが、おれだって行末の事を考えずにこうしてぶらぶらしているんじゃない。年を取ってから先の事はいつでも考えている。だから、お前の稼ぎは今までだって一いち厘りん一いっ銭せんだって無むだ駄づ遣かいをした事はないだろう。それァお前もよく知っているはずだ。なアお千代。﹂ 囁ささやくような小声ながらも一ひと語こと一ひと語こと念を押すように力を入れ、ぴったり後うしろから寄より添そっていつか手をも握りながら、﹁お前、もうおれがいやになったのか。﹂ ﹁そんな事……だしぬけに何を言うのさ。﹂とびっくりした調子で女は握り合った男の手をそのまま、乳房の上に押おし当あてた。 裏口の引ひき戸どを開ける音とともに物干台に出ていた女がどしんと板の間まへ降りる物音。つづいて正午のサイレンが鳴り出す。女は思おも直いなおしたように坐すわり直って、 ﹁もうそんな話、よしましょう。ねえ、あんた。じゃア後あとで郵便局へ行って来て下さいねえ。﹂ ﹁うむ。じゃア今の中うち……飯を食う前にちょっと行って来よう。﹂男は立上って羽織も一ツに襲かさねたまま壁に引ひっ掛かけてある擬まが銘いめ仙いせんの綿わた入いれを着かけた時、階し下たから男の声で、 ﹁中島さん。電話。﹂ ﹁はい。お世話さま。﹂と返事をしたが、細帯もしめぬ寝ねま衣きす姿がたに女の立ちかねる様子を見て、男は襖ふすまに手をかけながら、 ﹁おれが出てもいいか。﹂ ﹁いいわ。懇意な家うちへは弟がいるといってあるんだから。﹂ 降りて行った男は、すぐさま立戻って来て、﹁芳よし沢ざわ旅館だとさ。急いで下さいとさ。﹂ ﹁そう。﹂と女は落ちている男の細帯を取って締め、鏡台の上の石せっ鹸けんとタオルとを持って階し下たへ降りて行くと、男は床とこの間まに据すえた茶棚からアルミの小こな鍋べを出し、廊下に置いてある牛乳壜びんを取ってわかし始めた。夜昼ともに電話がかかって来て、飯を食う暇のない時には女は牛乳か鶏卵で腹をこしらえて出掛けることにしているのである。牛乳がわきかけた時、女は髪を直した上に襟えり白おし粉ろいまでつけ、鼻はな唄うたを唱うたいながら上って来て鏡台の前に坐り、 ﹁あんた。おあがんなさい。昨夜おそく食べたから、わたし何もいらない。﹂ ﹁そうか、お前の身から体だは全く不思議だな。よく食べずにいられるよ。﹂ ﹁わたし子供の時から三度満足に御飯をたべた事は滅めっ多たにないわ。そのくせお酒も好きじゃなしお汁粉はいやだし……経済でいいじゃないの。﹂ ﹁全くだ。煙たば草こものまないし……﹂と言ったまま、男は鏡に映る女の顔が化粧する手先の動くにつれて、忽たちまち別の人のように若くなるのを眺めていた。眼の縁ふちの小こじ皺わと雀そば斑かすとが白粉で塗りつぶされ、血色のよくない唇くちびるが紅べにで色どられると、くくり顎あごの円まる顔がおは、眼がぱっちりしているので、一層晴れやかに見えて来るばかりか、どうやら洋装をさせても似合いそうなモダーンらしい顔立にも見られる。それに加えて肉にく付づきのしまった小こづくりの身体は背うし後ろから見ると、撫なで肩がたのしなやかに、胴がくびれているだけ腰の下から立たて膝ひざした腿もものあたりの肉付が一層目に立って年とし増まざ盛かりの女の重くるしい誘惑を感じさせる。男はお千代が今年三十六になってなおこのような強い魅惑を持っているのを確たしかめると、まだこの先四、五年稼いで行けない事はないと、何となく心丈夫な気もする。それと共に人間もこうまで卑劣になったらもうおしまいだと、日ひご頃ろは閑かん卻きゃくしている慚ざん愧きと絶望の念ねんが動き初めるにつれて、自分は一体どうしてここまで堕落する事ができたものかと、我ながら不思議な心持にもなって来る。自分の事のみならずお千代の心境もまた同じように不思議に思われて、はっきり理解することが出来なくなる。――お千代はどういう心持でこの年月自分のような不ふ甲が斐いない男と一緒に暮して来たのであろう。彼女自身も気のつかぬ中うちいつからという事もなく私しし娼ょうの生活に馴ならされて耻はずべき事をも耻はじとは思わぬようになったものであろう。折々は反省して他の職業に転じようと思う事もあるにちがいない。しかしもともと小学校を出ただけの学歴では事務員や店員のような就職口さえなかなか見当らず、よしまた見当ったところで、一度秘密の商売を知った身には安い給料がいかにも馬鹿らしく思われ、世間は広くてもその身に適する職業は、やはり馴れた賤せん業ぎょうの外ほかにはないような心になるのであろう。それにつれて、女の身の何かにつけて心細い気のする時、いかに不甲斐なくとも、誰か一ひと人り亭主と定めた男を持ち、生活の伴はん侶りょにして置きたいという心持にもなるのであろう――まずこんなように解釈するより外ほかにその道がない。 牛乳の煮にえ立たつのに心づき男は小鍋を卸おろしてコップにうつすと、女は丁度化粧を終り紫むら地さきじに飛とび模もよ様うの一いち枚まい小こそ袖でに着換えて縫ぬいのある名なご古や屋お帯びをしめ、梔くち子なし色いろの綾あや織おり金きん紗しゃの羽織を襲かさねて白い肩かた掛かけに真まっ赤かなハンドバックを持ち、もう一度顔を直すつもりで鏡の前に坐った。二
お千代の出て行った後あと、重吉は飲み残りの牛乳と半熟の卵に朝昼を兼ねた食事をすませ窓をあけて夜具を畳んでいると、表おもて二階を借りている伊東さんというカフェーの女じょ給きゅうが襟えり垢あかと白おし粉ろいとでべたべたになった素すあ袷わせの寐ねま衣きに羽織を引ひっかけ、廊下から内を覗のぞいて、 ﹁中島さん……。あら、奥さんはもうお出掛けなの。﹂ ﹁何か御用。﹂と中島は窓へ腰をかける。 ﹁先ほどはすみません。おやすみのところを……。﹂と出入口の襖ふすまに身をよせ掛け、﹁封筒の上うわ書がきをかいて下さいな。すみませんけれど、男の手でないといけないんだから。﹂ ﹁はいはい御おや安すい御用……。彼かれ氏しのとこですか。﹂ ﹁ううむ。﹂と子供のように首を振り、﹁パトロンの家よ。来月は十二月でしょう。今から攻め掛けてやらないと間に合わないから。強ね請だるのも容易じゃないわよ。﹂ ﹁何になっても苦労が入いるもんですね。﹂ ﹁女給生活、つくづくいやだわ。﹂と女は懐中から封筒を出して中島に渡し宛名番地を書いてもらいながら、﹁中島さん。わたしも奥さんにお願いして派出婦会に這は入いりたいわ。ねえ、中島さん。わたしに出来るか知ら。奥さんのやっている接待婦ッていうのは普通の派出婦見たように御ごは飯んた焚きをしないでもいいんだわね。﹂ 中島はお千代の事についてはあまり深く問われたくないので、唯ただ頷うな付ずきながら四、五枚の封筒に同じ名宛を書きつづけている。お千代は以前から男と相談して怪しげなその身の上を隠そうがために、或ある派出婦会の接待婦になっていて、電話で呼ばれる時は何ど処こへでも会の名義で出張するのだといい拵こしらえている。時たま泊って来る時には遠い別荘の宴会か何かへ雇われた事にするのである。 中島は封筒を伊東さんに渡して、﹁接待婦なんて、あれァ体ていのいい日ひや雇といの女中です。内うちのやつは年さえ若ければ女給さんになりたいッて、いつでも伊東さんの事を羨うらやましがっているんですよ。﹂ ﹁じゃア何になってもそう面白いことはないのね。どうもお世話さまでした。﹂ ﹁お礼は後から頂ちょ戴うだいに行きますよ。﹂ ﹁いらッしゃいよ。ドーナツがあるわ。お茶を入れるから。﹂ 女が立去ると、間まもなく中島は郵便局の通帳を懐中にして階し下たへ降りた。階下は小売商店の立続いた芝しば桜さく川らが町わちょうの裏うら通どおりに面して、間まぐ口ち三さん間げんほど明あけ放はなちにした硝ガラ子スて店んで、家の半分は板硝子を置いた土間になっている。口くち髭ひげを生はやした五十年配の主人に出ッ歯の女房、小僧代りに働いている十四、五の男の子の三人暮らし。梯はし子ごだ段んの下の六畳で、丁度昼飯の茶ぶ台を囲んでいる処を、中島は御ごめ免んなさいと言いながら通りぬけて、台処の側そばの出入口から路ろ地じづたいに、やがて表の通とおりを電車のある方へと歩いて行った。お千代が貯金をしている郵便局は麻あざ布ぶ六ろっ本ぽん木ぎの阪さか下したにある谷たに町まちの局である。それはこの春桜川町へ引移るまで一年あまり、その近くの横よこ町ちょうに間借をしていたことがあったからで。ところが或ある日ひお千代が筋すじ向むかいの格こう子しど戸づ造くりの貸家に引越して来た主人らしい男と、横町を隔てて両方の二階から顔を見合せると、その男には既に二、三回、お千代は池いけの端はたの待まち合あいで出会ったことがあるというので、もし近処のものにでも秘密の身の上をしゃべられでもしたらと、万一の事を心配して、早速現在の貸間を捜さがして引移ったわけである。貯金した郵便局もその中うちに近い処へ替えようと思いながら、これはついそのままになっている。 中島は部屋代の十二円に、電話の使用代として、その度たびの通話料の外ほかに五円の礼金を出す約束なので、それを合せて十七円。女の着物の仕立代やら月末の諸払いを胸むな算ざん用ようして五十円ばかり引出した。そしてすぐさま電車の停留場へ引返すと、いつもはあまり人のいない道みち端ばたに、七、八人も人が立っていて電車はなかなか来そうもない。重吉はこの歳とし月つき昼の中うちはめったに表おも通てどおりへ出たことがないので、冬の日影も忽たちまち夏のようにまぶしく思われ、二にじ重ゅう廻まわしも着ずに出て来た身には吹きすさむ風の寒さ。急に腹が減ったような心持もする。それにまた、むかしの友達や何かには日ひご頃ろから逢あいたくないと思っているので、停留場の人ひと立だちが次第に多くなるのを見ると共に、こそこそ逃げるがように電信柱と街路樹との間を縫って、次の停留場の方へと歩みを運ぶ。 溜ため池いけまで来た時、後うしろからやっと一いち輛りょう満員の車が走って来た。待ちあぐんだ人たちと、押合いながら降りる人たちとの込こみ合あう間を、漸ようやく抜け出した一人の女が、鋪ほど道うに立っている中島の側を行過ぎようとして、その顔を見るや、﹁アラ中島さん。﹂ ﹁玉ちゃん。どうしたえ。﹂と中島は男の知しり人びとでないところから案外落ちついた調子でその様子を見た。年は二十七、八。既成品らしい紫地のコートにありふれた毛織の肩掛。両ぐりの下げ駄たをはいて日ひが傘さを提さげている。 ﹁千代子さん。お変かわりもなくって。﹂ ﹁ええ。無事です。﹂ ﹁一度お伺いしなくっちゃわるいと思っていたんですけど、ついお処がわからなかったもんで……。﹂と女はあたりを見廻し停留場にも人影がなく通とお過りすぎる円えんタクもちょっと途と絶だえているのを幸い、﹁この辺へんにお住すまいなの。﹂ ﹁いえ、桜川町……十八番地。太田ッていう硝子屋の二階だ。虎とらの門もんからわけはないから、何なら寄っておいでなさい。﹂ ﹁お邪魔してもよければ……実はわたし貸間をさがしているのよ。今世せ田たヶ谷やにいるんですけど、こっちへ出てくるのが大変だから。﹂ 二人は話をしながらいつか溜池の裏通を歩いている。 ﹁その後ごまるで影形も見せないから、お玉さんは東京にいないんだろうッて、家うちのやつもそう言っていたよ。じゃア、すっかり足を洗ったという訳わけでもないんだね。﹂ ﹁洗いかけたことは掛けたのよ。まア片足ぐらい洗ったんだわね。ほほほほほ。﹂ ﹁やっぱり先生と一緒か。﹂ ﹁いいえ、別れたの。この夏やっと話をつけて別れたのよ。それにはいろいろ訳もあるのよ。去年の暮だったわねえ、高たか輪なわ倶ク楽ラ部ブのおばさんが挙あげられたでしょう。わたしもその時一緒にやられたのよ。それから一月ばかりぶらぶらしていたわ。だけれど家の先生は相変らずだし、どうにも仕様がないから、ついこの間まで渋しぶ谷やの小さいカフェーに働いていたのよ。思ったよりは忙いそがしい店なんだけれど、チップだけじゃ二人暮して行けるはずがないじゃないの。何も彼かも承知しているくせに、内うちの先生ときたら相変らず御ごぞ存んじの通りなんだから。わたしもあんまりだと思って、持っているものは洗いざらい、お金も百円都合して或ある人ひとを仲に入れてきっぱり話をつけてもらったのよ。だからこれからは一人でかせぐわ。その方がどんなに気楽だか知れやしない。﹂ ﹁そうか。しかしよく思いきれたな。その中うちまた焼やけ棒ぼっ杭くいじゃないのか。﹂ ﹁よしてよ。なんぼわたしが馬鹿だって、そうそう男の喰くいものに……。﹂と女は言いかけて、中島とお千代との関係を思合せ俄にわかに語ちょ調うしを替え、﹁ねえ、そうでしょう。男の人が理解と同情を持っていてくれれば……。中島さんのようにわかっていてくれれば、それァ女ですもの、男のためならどんな事でもするわよ。喜んでするわよ。﹂ ﹁しかし、しまいには愛あい想そが尽きるだろう。あんまり男に意い久く地じがなさすぎると……。ねえ、玉ちゃん。あの時分、あんたが家にいる時分、何かそんな話をした事はなかったかね。内うちのお千代がさ。内のやつは一体何と思っておれと一緒に暮しているんだろう。考えると、時々不思議な気がするよ。﹂ ﹁あら。中なアさん、何を言っているのよ。今時急にそんな事……。﹂ ﹁話が出たからそう言うのさ。別に心配しているわけじゃない。しかし女の心持は女に聞かなくッちゃ、男にはわかったようでも分らないところがある……。﹂ ﹁それァそうかも知れないわ。女の方でも同じよ。男の心持は分ったようで、やっぱり分らないわ。ねえ、中アさん。家うちの彼かれ氏しはどうして中アさんのようにさばけてくれなかったんだろう。﹂ ﹁もうそろそろ未みれ練んばなしか。﹂ ﹁いいえ。それは大丈夫。だから今度の彼氏は中アさん見たような趣味の人を見付けるわ。﹂ ﹁何だ。おれ見たような趣味の人ッて。﹂ ﹁わたし、先せんに千代子さんから聞いたわ。中島さんはこういう商売が好きなんだって。千代子さんに勧めてやらせたんだッて。﹂ ﹁千代子がそんな事を言ってたか。はははは。しかしこればっかりはいくら勧めたって、女の方でも地じた体い自分でやる気がなければ出来るもんじゃアない。まア二人とも同じような人間がうまく一緒になったんだね。それだから無事にやって行けるんだ。それにはいろいろな事情や歴史がある……。﹂ 中島は問われるままに初めは冗談半分口から出まかせな事を言っていたが、する中うち、いつかしんみりした心持になって来て、平素誰にも話をする事の出来ない過去半生の来歴を心の行くかぎり話して見たくてならないような気がし出した。 ﹁ねえ、玉ちゃん。まだ学生の時分だった。僕がね……。﹂と言出したが、その時お玉は横よこ町ちょうのとある家の出窓に貸間の札の出してあるのを見付けて、 ﹁ちょいと、わたし聞いて見るわ。﹂と突然立たち止どまった。中島は話の腰を折られ、夢から覚めたような眼めつ付きをして、お玉が向むかいの家の格子戸をあける後うし姿ろすがたをぼんやり眺めていた。三
中島はその名を重吉というのである。重吉が私立の或ある大学を出たのは大正六、七年の頃ころで、日本の商工界は欧おう洲しゅう戦争のために最も景気の好い時代であった。重吉はわけなく就職口を見付け、或ある商会から広告代りに発行する雑誌の編へん輯しゅ係うがかりになったが、仕事には敏びん活かつでないくせに誠実でもなく、出勤時間にもおくれがちというので、一年過すぎると間まもなく解雇となった。しかしその頃には差さし当あたり生活には困らない理由があったので、玉たま突つきや釣つりなどに退屈な日を送る傍かたわら、小説をもかいて見た事があったが、もともと専門の文学者になろうというほどの熱心もまた自信もなかったので、或新聞社の懸賞募集小説に応じて落選したのを名な残ごりに、この道楽も忘れたように止よしてしまった。そうなると、一時は丁寧に浄書までした原稿の五、六篇もいつとはなく紙かみ屑くずにしてしまったが、その中で、自叙伝めいた一篇だけは、さすがに捨てがたい心持がしたと見えて、今もって大切に押入の中の古ふる革かば包んにしまってある。重吉はお千代が外へ泊って帰って来ない晩など、折々この旧作を取出しては読よみ返かえして見るのである。 この小説は重吉が学校を卒業する前後五、六年の間、十以上も年のちがった未亡人と同どう棲せいしていた時の事を、殆ほとんど事実そのまま書きつらねたものであった。 未亡人は麹こう町じまち平ひら川かわ町ちょ辺うへんに玉たま突つき場ばを開いていた。そして玉突に来る学生四、五人を引きつれ、活動写真を見に行ったり銀座通や浅あさ草くさ公園を歩いたりする。重吉も欠かさずお供にさそわれる学生の中の一人であったが、毎年八月中未亡人が店を休んで鎌倉へ避暑に行く。その後を追いかけて行った時、ここに忽たちまち情交が結ばれ、涼しくなって東京に立たち戻もどると間もなく女は玉突場を売払う、重吉は下宿を引上げる。そして二人は一軒家を借りた。丁度その頃、重吉は国元からこれまでのように学費を送ることのできなくなった事情を通知せられたが、未亡人と同棲しているために重吉は差さし閊つかえなく学校を卒業したのみならず、その後職を失っても平気で遊んでいることが出来た。 重吉の家は新潟の旅館で、両親は早く死し兄が家かと督くを取っていたが、経費ばかりかかって借財も年々嵩かさむばかりなので、いよいよ財産整理をした上家族をつれて朝鮮の京けい城じょうへ移住し運だめしに一奮発するというのである。重吉は学生の身でも立派に自活して行く道があるから心配するには及ばないと返事をして、未亡人の家の厄介になっていた。 卒業後、商会に通勤していた時分である。いつも重吉の帰りを待っていた未亡人が、或日家を留守にしたまま、夜も十二時近くなって、しかも酒臭い息をして帰って来たことがあった。重吉は口く惜やしさのあまり涙ぐんだ声で責め詰なじると、女は子供をなだめるような調子で、 ﹁重ちゃん。御免なさい。重ちゃんはお酒が飲めないから、わたし今日はお酒飲みのお友達とちょっと御飯をたべに行ったのよ。おそくなったのはわたしが悪かったんだから、ほんとにあやまるわ。重ちゃん、大丈夫よ。決して浮気なんぞしやしないから。﹂ そして女は重吉がいかに疑ぐろうとしても疑ぐることの出来なくなるような情熱を見せて申もう訳しわけの代りにした。 半はん歳としちかくたって、或日の朝重吉はいつものように寐ねぼ坊うな女を二階へ置いたまま、事務所への出がけ、独り上あが框りがまちで靴をはいていると、その鼻先へ郵便脚きゃ夫くふが雑誌のような印刷物二、三冊を投げ込んで行ったので、そのまま手にして電車に乗ってから、重吉は出版物の帯封を破りかけた時、重ねた郵便物の間に封書が一通はさまっていたのに心づいた。宛名は種たね子こという未亡人の名で、差出人も女名前であったが、重吉はその瞬間一種の暗示を感じたまま、事務所へ往ゆき着くが否や、巧みに封じ目の糊のりをはがして中の手紙を見た。外そと封ふうの書体とはまるで異った男の手しゅ蹟せきで、一語一句、いずれも重吉の心を煮にえ返かえらせるような文字ばかり並べてある中に、﹁ではまたこの次の水曜日を楽しみに。﹂﹁あなたもどうかその日をお忘れなさらないように。﹂﹁いつもの時間に。﹂というような語が殊ことに鋭く男の胸を刺した。 ﹁この次の水曜日﹂は暦を見れば分るが、﹁いつもの時間に。﹂とは何時のことであろう。重吉は一策を思いついた。未亡人種子の行動を探るには、その跡あとをつけたり何かするよりは、専業の秘密探偵に依頼してその身元から調べ上げてもらうのが一番捷ちか径みちであろう。そう決心して重吉はその月の給料の遣つかい残りを傾けて探偵社への報ほう酬しゅうに当てた。 種子は未亡人ではなかった。十年ほど前、背任罪で入獄中縊い死しした実業家某というものの妾めかけで、その前身はかつてその実業家の家に出入りしていた家庭教師であった。現在種子の名義になっている動産並ならびに不動産は犯人が検挙せられる以前合法的に隠いん匿とくした私財の一部であるのかも知れない。また種子が現在関係している男の中で、探偵社の調査したものは、筑ちく前ぜん琵び琶わの師匠何なに某がし、新派俳優の何某、日本画家何某の三人であるという。 しかしほどなく重吉は会社から解雇されて、一年ちかくたった時、種子自身の口から探偵社の調査報告書よりももっと委くわしい事情をば、包むところなく打明けられる機会に出で遇あった。種子はその身の不しだらを永く隠しおおせるものでないと思ったのか、あるいはまた男の心を引いて見るためか、大胆にもこんな事を語った。 ﹁重ちゃん。わたしは十九の時から三十まで十何年、いやでいやでたまらない人の玩おも弄ち物ゃになっていたのよ。よく辛しん抱ぼうしたでしょう。自分ながら感心だと思う位なのよ。その時分、今に自由な身になったらその時は思う存分な事をして、若い時の取返しをしようとそう思っていたのよ。だから、わたしの事をかわいそうだと思って同情してくれるのなら、少しくらい遊んで歩いてもそれは大目に見て頂ちょ戴うだい。何ぼわたしが滅めち茶ゃだって、今更重ちゃんをそっちのけにして外の男と一緒になろうなんてそんな事は夢にも考えたことはないわ。浮気は浮気で、本心から迷うなんてことは決してないわ。その証しょ拠うこには彼あの人も、それから彼あの人も、みんな奥さんのある人じゃないの。どうの、こうのと後あとが面倒になるような人とは、重ちゃんが家にいるようになってから、一度だって遊び歩いたことはないでしょう。重ちゃんさえ安心してくれれば、わたしはどんな証しょ文うもんでも書いて見せるわ。﹂ 重吉は種子の語ったことを冷静に考えて見た時、始はじめて自分は淫いん蕩とうな妾めか上けあがりの女に金で買われている男妾も同様なものである事に心づいた。女の言う所を言いい換かえて見れば、お前さんは学生上りで悪気がないから、それでわたしは安心して同棲をしている。他ほかの男はお前さんとはちがって世よ馴なれているから、わたしの財産に目をつけないとも限らない。それ故ゆえ家へは入れずに、距へだ離てを置いて、外で逢あっているのだ。何も彼かも承知でやっているのだから、お前さんは別に心配せずにおとなしくしていればいいのだ。という意味になる。重吉はかつて覚えたことのない侮ぶじ辱ょくを感じて決然として女の家を出ようと思いながら、また静しずかにその身を省かえりみると、勤先をしくじってから早くも一年ぢかく、怠なま気けぐ癖せのついてしまった身には俄にわかに駈かけ歩いて職を求める気力が薄くなっている。国元の家へ還かえろうにもその家はとうに潰つぶれてしまった。重吉は始めて身にしみじみ自活の道を求める事のいかに困難であるかを知ると共に、屈辱を忍んで現在の境遇に廿あまんじてさえ﹇#﹁廿じてさえ﹂はママ﹈いれば、金と女とには不自由せずにいられるのだ、という事をもはっきりと意識した。 重吉はこのまま種子の世話になっていようと思えば、まず何より先に男の持っている廉れん耻ちの心を根こそぎ取り棄すててしまわなければならない。 世間には立りっ身しん栄えい達たつの道を求めるために富豪の養子になったり権けん家かの婿むこになったりするものがいくらもある。現在世に重おもんぜられている知名の人たちの中にもこの例は珍しくない。それに比較すれば重吉はさほどその身を耻はじるにも当るまい。女の厄介になって、のらくらしている位の事は役人が賄わい賂ろを取って贅ぜい沢たくをするのに比べれば何でもない話である。重吉は人の噂うわさ、世間の出来事、日常見聞する事にその例を取って、努めて良心を麻ま痺ひさせ廉れん耻ちの心を押えるような方法を考えた。 重吉が自叙伝めいた小説をかいて見たのは、これらの煩はん悶もんを述べて、己おのれの行為に対する弁べん疏そにしたものであった。題をつけるのに苦しんだものと見えて、本文の始はじめに書かれた文字は幾度か塗ぬり消けされて読めないままに残されている。四
種子はその後も相変らず、一ト月の中に二、三回はきまって午後外出すると、そのまま夜もおそくならなければ帰って来ないことがあった。月初めには以前世話になって財産まで分けてもらった檀だん那なのお墓参り、月の終には現金と証券とを預けた銀行への用事、その他は百貨店へ買物に行くというような事で。その頃はちょっとした処へ行くにも賃銀五円を取った自動車を呼寄せ門かど口ぐちから乗って出る。しかし重吉は既に馴なれて初めほどにはやきもきしないようになっていた。事実種子の行動はその言う通り黙許して置いても重吉の生涯には何の利害もないことが月日の過ぎるにつれて次第に明瞭になった。それのみならず、重吉は種子が知人からの紹介で、或ある土地会社の宣伝係に雇われ、僅わずかばかりでも再び自力で給料を取る身となったので、以前にくらべるとよほど落ちついた心持でいられるようにもなっていた。 二人の生活は、最初家を借りた赤あか坂さかから芝しば公こう園えんへ引越した後、更に移って東ひが中しな野かのへ落ちついた頃には、何も知らない人の目には羨うらやましいほど平和に幸福に見られるようになっていた。 震災の年、種子は四十五、重吉は丁度三十三になった。年々若づくりになって行く種子と、二十代から白しら髪がのあった色の黒い小こお男とこの重吉とは、二人並んでいても年のちがいが以前ほどには目に立たぬようになって来た。女の方は白おし粉ろいや頬ほお紅べにで化粧を凝こらし、髪はその頃流行の耳かくしに結ゆい、飛とび模もよ様うの着物に錦きん襴らんのようなでこでこな刺しし繍ゅうの半はん襟えりをかけ甲かん高だかな調子で笑ったりしている側そばに、じみな蚊かが絣すりの大おお島しま紬つむぎに同じ羽織を襲かさねた重吉が仔しさ細いらしく咳せき嗽ば払らいでもして、そろそろ禿はげ上りかけた額ひたいでも撫なでている様子を見ると、案外真ま面じ目めな夫婦らしく、十二、三も年のちがう仲だと思われない。 九月の朔つい日たちに地震の起った時、重吉は会社の客を案内して下しも目めぐ黒ろの分譲地を歩き回っていた最さい中ちゅうだったので何の事もなかったが、種子は白しろ木き屋やで買物をしていたので、狼うろ狽たえて外へ逃出し、群集に押しもまれながら駈かけ歩いている中うち、いつか足た袋びはだしになったため踏ふみ抜ぬきをして、その日の暮れ近く人に扶たすけられてやっと家へ帰って来た。 足の疵きずはやがて痊いえたが、その年の冬風か邪ぜから引きつづいて腹ふく膜まく炎えんに罹かかり、赤十字病院に入ると間もなく危きと篤くに陥った。医者の注意と患者の希望とによって、これまで重吉の一度も会ったことのない親しん戚せきが二人、その一人は水戸から、他の一人は仙台から病院へ呼寄せられた。その翌日の夜種子が息を引取ると、親戚二人の間には忽たちまち種子の遺産の処分について議論が持出された。水戸から出て来たのは中学校の教員で種子の兄だという。仙台からのはその地の弁護士で叔父だという。家中をさがしても故人の遺書が見当らないので、その遺産は二人の親戚が分配してその残りを重吉に贈ることに議決された。即ち銀行に預けてある現金五千円ばかりと、家具衣類などである。重吉は抗議したが、弁護士の叔父は法律上重吉には異議を言う権利がない事を説き、漢文の教師で柔道は三段だという水戸の兄は重吉が種子の家に入り込んだ来歴を詰問して、その答弁の如いか何んによっては道徳上の制裁をも加えまじき勢いきおいを示した。重吉はしぶしぶ二人の為なすがままに任まかすより仕様がなかった。かつて学生のころ、重吉は水戸出身の同級生と争って、白しら鞘ざやの匕あい首くちでおどかされた事があってから、非常に水戸の人を恐れているのである。 葬式が済んで、親戚の二人が何やら意気揚々として立去ると、その後に残された重吉は唯ただ一人、長い長い夢から覚めたような心持で、何をどうしていいのやら、物が手につかない。 ﹁檀だん那なさ様ま御飯ができましたが。﹂と言う声に、びっくりしてあたりを見廻すと、日はいつか暮れかけたと見え、座敷の中は薄暗くなって、風が淋さびし気げに庭の木を動うごかしている。立って電燈を点じる足元へ茶ぶ台を持ち運ぶ女の顔を見ると、それは不ふだ断ん使っていた小こお女んなではなくて、通つ夜やの前日手不足のため臨時に雇入れた派出婦であるのに気がついた。 年はちょっと見たところ二十五、六かとも思われる。別にいい女ではないが、円まる顔がおの非常に色の白いことと、眼のぱっちりして、目に立つほど睫まつ毛げの濃く長いことが、全体の顔立を生いき々いきと引立たせている。声こえ柄がらも十六、七の娘のような、何ど処ことなくあど気けない事をも、重吉はこの時始めて心づいた。 ﹁御おき給ゅう仕じをしてもらおうかね。﹂と言って茶ちゃ碗わんを出すと、派出婦は別に気まりのわるい様子もせず、﹁お盆を忘れましたから御ごめ免ん下さい。﹂と飯をよそいながら、﹁召上れないかも知れません。何をこしらえていいか分りませんでしたから。﹂ 障子の外では小女が縁側の雨戸を繰りはじめた。 ﹁いや結構だ。うまいよ。﹂と重吉は落し玉子の吸物を一ひと息いきに半分ほど飲み干した。葬式の前後三、四日の間ゆっくり飯を食う暇もなかったので、今になってから一時に空腹を覚え初めて、実は物の味もよくは分らないのであった。派出婦は褒ほめられていよいよ嬉うれしそうに、 ﹁沢山召上って置かないといけません。後で一度にお疲つか労れが出ますから。﹂ ﹁お千代さんだッけね、名前は。お千代さんも御おと弔もらいをした経験があるらしいね。﹂ ﹁いいえ。自分の家では御ござ在いませんけれど、方々へ出張いたしますから。﹂ ﹁長くやっているのかね。﹂ ﹁まだいくらにもなりません。地震前は前からなんで御在ますけれど、姑しばらく休んで、先月からまた出始めましたんです。﹂ ﹁震災には無事だったのかね。父おとうさんやお母さんは……。﹂ ﹁ええ。家は市外の……田舎ですから。﹂ ﹁まだ結婚したことはないのか。どうもありそうに見えるよ。﹂ ﹁そう見えますか。ほほほほほ。﹂ ﹁結婚してもうまく行かなかったのかね。﹂ ﹁ええ、もう懲こり懲ごりしましたわ。それよりか人様のお内うちに働いている方が気楽で能よう御在ます。﹂ ﹁しかしそういつまで人の家に働いていたって仕様がないじゃないか。まだそう悲観する年でもないし、捜さがせばいくらでもあるものだよ。﹂ ﹁そう仰おっ有しゃいますけど、縁というものはあるようでないもんですわ。﹂ ﹁ないようであるものさ。考えよう一ツだよ。﹂ ﹁では、いいとこが御在ましたら、御世話を願います。﹂ ﹁お千代さん、あなた、いくつです。二十五か六くらいかね。﹂ ﹁そう見て下されば結構です。実はもう八なんで御在ます。﹂ 愛あい嬌きょう好く笑いながら派出婦は膳ぜんを引いた後あと、すぐ飯おは櫃ちを取りに来てまた姑く話をして勝手へと立去った。 重吉は寐ねるより外ほかに何もする事がない。心の中では、死んだ種子の衣類や貴金属品の仕末をつけると共に、この家も早く畳んで、これから先は自分の給料だけで暮らせるような処置を取らなければならないと、考えながら、何一ツ手をつける気が出ない。火鉢の火の灰になったのもそのままに重吉は懐ふと手ころでしてぼんやり壁の上の影法師を眺めている。やがて小女が番茶を入れて持って来た。 ﹁お千代さんはどうした。もう寐ねてもいいと言っておくれ。﹂ ﹁はい。﹂と小女が立って行くと間まもなく派出婦のお千代が湯ゆた婆ん子ぽを持って襖ふすまを明け、 ﹁あら。お蒲ふと団んが引いてあると思ったら。どうも済みません。﹂ ﹁旦だん那なさ様まが何とも仰おっ有しゃらないんだもの。﹂と小女は始めて気がつくと共に顔をふくらして行ってしまった。お千代は押入から夜具を取り下おろし、シーツを敷き延べてから、枕まくらを取出そうとして、二ツとも同じような坊主枕の、いずれが男のものだか分らぬところから、 ﹁旦那様、これはどちらが……。﹂と言いかけ、重吉が黙っているのを見て、急に気がつき、わるい事を言ったような気の毒な心持になって、すこし顔さえ赤くしながら、お千代は男のだか女のだか判明しない枕を取ってシーツの上に置こうと、両りょ膝うひざを畳の上につく。重吉はそれを待っていたように突然背うし後ろから抱きついた。 ﹁いけません、あなた。﹂と案外低い声で言いながらお千代は重吉の手を振りほどこうと身をもがき、﹁およし遊ばせ。女中さんが来ます……。﹂ 重吉は小女のことを言われて始めて気がついたらしく抱きすくめた手を緩ゆるめてお千代の顔を見た。お千代は怒って何か言うかあるいは畳を蹴けって逃げ去るかと思いの外ほか、﹁いけませんよ。おからかい遊ばしちゃア。こんどなさると大きな声を立てますから。﹂と言いながら重吉の寝ねま衣きらしいものを押入から取出して枕元に置き、夜具の裾すそへ廻って湯ゆた婆ん子ぽを入れる。この様子をじっと見て、重吉はお千代が派出婦にしてはすこし容きり貌ょうが好よすぎるので、度たび々たびこんな事には遇あいつけているのだろう。それで案外落ちついているのだろう。ひょっとすると、後で面倒な事を言出さないとも限らぬが、そうなればその時にはその時のしようがあるとますます心が乱れて来る。 ﹁お休み遊ばせ。﹂畳に手をついて立ちかけるのを、重吉はあわてて呼止めた。 ﹁もう何もしない。もうすこし其そ処こにいてくれよ。なんだか寂しくってしようがないんだ。﹂五
お千代が語る身の上ばなしをきくと、この女は中川の堤に沿うた西にし船ふな堀ぼり在ざいの船ふな宿やどの娘であった。都会にあこがれて、両親の言うことをきかず、東京市内の知しり人びとをたよって家を飛とび出だし、高たか輪なわの或ある屋敷へ女中奉公に住すみ込こんだ。それは年号の変る年の春頃ごろであった。その年夏のさかりに毎夜丸まるの内うちの芝しば原はらへいろいろ異様な風をした人が集って来て、加かじ持き祈と祷うをするのを、市中の者がぞろぞろ見物に出かけた。お千代も度々主家の書生や車夫などと夜がふけてからそっと屋敷を抜ぬけ出だして真まっ暗くらな丸の内へ出掛けたが、或夜巡査に咎とがめられ、屋敷から親元へ送り返された。その時お千代は既に妊にん娠しんしていた。生れたのは女の子で、お千代の老母が養育するという事になったので、せめてその費用なりとも稼ぎたいと、お千代は再び東京へ女中奉公に出た。三、四年の後相応の人が媒介をしてくれるがまま或雑貨商の家へ嫁に行くと、ほどなく田舎の母親が病死したので、良おっ人とに事情を打明けて子供を引取った。しかし無事に暮したのはわずか一年ばかりで、良人の両親や兄弟までが地方から出て来て同居するようになってから、家内には紛ごた々ごたが絶えず、暮し向むきも店をしまわなければならぬまでに窮迫して来た。お千代は親の家にいた時から手の汚れるような荒い仕事が嫌いであったのと、また最初からあまり気の進まなかった縁だったので、話合いで夫婦別れをして、子供は幸いと近処の人に懇望せられるまま養女にやり、身一ツになった気まぐれに、またまた屋敷奉公に出歩いた後、派出婦になって見たのだという事であった。 次の日の朝、重吉は小こお女んなを使つかいに出した後あと、死んだ種子の衣類を入れた箪たん笥すの扉や抽ひき斗だしをお千代にあけさせた。お千代は樟しょ脳うのうの匂においを心持よさそうに吸すい込こみながら、抽斗を引きあける度たびに、まアまアと驚嘆の声を発し、 ﹁あなた。こんな立派なお召物、みんなわたくしのものにしてもいいと仰おっ有しゃるの。エ、あなた。うそでしょう。﹂ ﹁うそなものか。お前がいらないと言えば、もともと売ろうと思っていたんだから、処分してしまうよ。用箪笥の中に指環や何かがあるんだがね。それは親類のものに頒わけてやる事になっているんだ。見るだけなら見てもかまわない。﹂ ﹁ええ。どうか、拝見さして下さい。ほんとにお召物だけでもゆっくり拝見していたら一日かかりますわねエ。﹂ お千代はもう逆の上ぼせたように顔ばかりか眼の中までを赤くさせ、函はこの中から取出す指ゆび環わや腕時計を、はめて見たり、抜いて見たりして、そのたびたびに深い吐とい息きをついている。 ﹁形見分けをするのは急がないでもいいんだからね。まだ二、三日、なくしさえしなければ篏はめていてもかまわない。﹂ ﹁ねえ。あなた。震災前だったらこの指環をはめて、三越の中でも歩いて見たいんだけれど、今はどこも行く処がありません。﹂ ﹁ははははは。﹂と重吉は思わず笑ったが、しかしお千代があまりにも嬉しがる様子に、女というものはこんなものか知らと、物哀れなような気の毒なような変な心持がした。 昼飯をすますと直すぐ様さまお千代は派出婦会との契約を断るために出て行く。重吉は種子が生きている時分に雇やと入いいれた小こお女んなに暇をやる。そして灯あかりのつく頃帰って来たお千代と一緒に、手を引き合わぬばかりにして近処の銭せん湯とうに行った。 震災後土地家屋の周旋業は一時非常に成績が好かったので、土地会社へ勤めていた重吉もこれまでにない賞与金を貰もらったくらいで、丁度歌か舞ぶ伎き座ざが新あらたに建たて直なおされた時、重吉は種子の衣類に身を飾ったお千代を連れて見物に行く。暑中休暇には二人連れで三日ばかり箱はこ根ねへ出掛ける。郊外の家はその前に畳んで牛うし込ごめ矢やら来いち町ょうに移っていたので、毎晩手をひきつれて神かぐ楽らざ阪かの夜店を見歩く。二人の新婚生活は幸福であった。 しかしこの幸福は世間一般が不景気になるに従って追おい々おいに破壊せられるようになった。再び年号が改ったその翌年の春、市しち中ゅうの銀行が殆ほとんど一軒残らず戸を閉めたことがあった。重吉が種子の遺産として譲ゆず受りうけた五千円の貯金はその時なくなってしまう。つづいて勤つと先めさきの会社が突然解散せられる。種子が形見の貴金属類は内ない々ないでとうの昔売り飛とばされた後である。 重吉は突然この窮境に陥り、内心途法に暮れながらも、お千代に対しては以前の会社がほどなく財産整理をして再興するはずだから暫しばらくの間辛抱してくれるようにと言いい拵こしらえて空しく日を送っていた。毎月晦みそ日かぢかくなると、お千代は一時自分のものにして喜んでいた種子の衣類を一ひと襲かさ々ねひ々とかさね質屋に持って行かなくてはならぬようになった。 ﹁あなた。どこか間借りをしたらどうでしょう。家を持っているよりかよッぽど経済だと思います。﹂と或日お千代の方から相談をしかけた。重吉は内心それを待っていたのであるが、﹁うむ。そうか。﹂とは言わずに、﹁会社の方もその中うちにはどうかなるだろう。実は昨日も重役の家へ呼ばれて行ったのだが……。﹂といつものように落ちついた風を見せていた。 ﹁元のようになったら、その時また家を借りればいいじゃありませんか、別に見み得えを張らないでもいいんですから。それに、あなた。着物ももう時節のものばかりで、外ほかには何にもありません。﹂ ﹁そうか。それは気がつかなかった。実にすまない事をした。﹂と重吉は始めて知ったような顔をして﹁これからは己おれのものを持って行こう。お前の物はよしたがいい。﹂ ﹁でも、男は世間の体裁がありますから。こうなればわたしは何を着ていたって構いません。﹂とお千代は涙声になる。 ﹁実にすまない。﹂と重吉も眼をぱちぱちさせながらそれとなく女の様子を窺うかがった。重吉は始めから質しち草ぐさの乏しくなった時、お千代が何を言出すか、それによって最後の決心をしなければならないと思っていたのである。最後の決心というのは、お千代が生活のために店員になろうとも、あるいは女給になろうとも、あるいは再び派出婦になろうとも、夫婦関係を絶たずにつきまとっていなければならないという事である。 まだ学生であった頃――今日のようにカフェーやダンス場などの盛にならなかった頃から、重吉は女の歓心を得るためにはどんな屈辱をも忍び得られる男である事を自覚していた。贅ぜい沢たくな玉たま突つき場ばの女主人に取入って、七、八年の間婬いん蕩とうな生活をつづけている中うち、重吉は女から受ける屈辱に対して反動的な快楽をも感じるようになった。そして女というものは、横暴残忍な行動をその欲するがままにさせて置く男を一番よく愛する。女は男を軽かろんじて尻に敷くか、そうでなければ反対に男から撲なぐられなければ満足しない。極端にこのいずれかを望んで止やまないものだという事をも、重吉はその経験からこれを確めていた。 お千代はどうするだろう。お千代は四年あまり自分と同どう棲せいして年はもう三十を越している。四年の間女の望むもので何一ツ与えられないものはなかった。その恩義もあれば、また未練もあるはずだ。年も三十を越しているから、今更自分を振り捨てて行く気きづ遣かいはまずない。それは衣類を質しち入いれしながら半年あまり離れずにいるのを見ても確たしかである。重吉の胸の中には早くから或ある計画がなされていた。 重吉は三、四年この方カフェーの女給が尠すくなからぬ収益を得ている事を知って、お千代を女給にしたいと思っていた。しかし自分の口から先にその事を言出すのは、女から薄情だと思われる虞おそれがある。女の口から言わせるように為し向むけて、そして自分が止めるのをも聴かず、女が敢あえてするようになることを望んでいた。 重吉はお千代が家をたたんで間借りをしようと言出したので、計画の半なかばは既に成じょ就うじゅしたような気がした。飯いい田だま町ちへ辺んの素しも人た屋やの二階へ引移った後、重吉は家にばかり一緒にいては、女に思案の余暇を与える時がない。女がどうかいう場合、男にも優まさった決心とその実行とを敢あえてすることがあるのは、思慮分別の結果ではなくして、大抵は一時の発作による。この発作は無ぶり聊ょうと寂せき寞ばくとに苦しむ結果による事が多いと考えたので、時を定めず外へ出るようにした。勿もち論ろん、これは去年破産した土地会社で知合になった人たちをたずね歩いて、就職口をたのむためでもあった。 その後保険会社の勧誘員になっている五十年輩の男を訪問した時、その男は雑談の末にこんな事を言った。 ﹁君は僕なんぞとちがって、まだいいさ。君の細君は若いし美人だからな。まさかの時にはどうかしてくれらアね。﹂ ﹁こう落ちぶれたら、見み得えも糸へち瓜まもかまっちゃアいられないからね。実は女給か何かにしたいと思っているんだがね。僕から言出しちゃチトまずいからな。﹂と重吉は答えた。 ﹁何がまずいものか。世間はいろいろだよ。極端な例をいうと、女房に檀だん那な取とりをさせている男さえあるからな。土地会社の時じぶ分ん外交員に野島という丈せいの高い出でっ歯ぱの男がいたろう。あの男の細君は或株屋の店の事務員になっていたんだが、その店の主人と関係をつけたんだ。それを野島は見て見ない振りをしていたおかげで、とうとう人にん形ぎょ町うちょうにカフェーを出さしてもらった。﹂ ﹁そうか。ちっとも知らなかった。よくある話だが、一体そういう事はどうして起るものだろう。最初男が暗あんに教きょ唆うさするのか、それとも女が勝手にやり出してから、男の方がそれを黙許するんだろうか。﹂ ﹁外ほかの事とちがうからな。教おそわったり勧められたりしたんじゃ、巧うまく行かねえだろう。女給でも芸者でも人に勧められてなったものは適材適処とはいえないからな。親兄弟の反対するのも聴かずになったような奴やつでなくっちゃ腕は上るまいて。﹂ 重吉は他の日にまた別の人を訪問すると、その人は重吉に向って、﹁中島君、安い月給取りの口は別として、金持の未亡人でも捜さがしたら、どうだ。君は女に好かれる性た質ちだから、きっと成功するぜ。﹂と言った。六
角かどの八や百お屋やで野菜を買って帰ろうとした時、お千代はその名を呼ばれても誰であったか思い出せなかったくらい、久しく見かけない人に出で逢あった。震災前派出婦として働きに行った先さきの主人である事だけは忘れなかったがその名前は思い出せない。 ﹁あなた。よくわたしの名を覚えておいででしたね。﹂ 男はあたりの人通りに気をつけながら、﹁また姑しばらく来てもらいたいんですがね。電話は何番です。﹂ ﹁ただ今派出婦会の方は休んでおります。親類に病人があるので、手つだいに来ております。﹂とお千代は言いまぎらした。以前この男の家へ派出婦会から出張した時お千代は無理やりに口く説どき落されて、一個月ばかりいた事がある。そして規定の日当の外に二、三拾円貰もらった。 ﹁家は以前の所です。小こび日な向た水すい道どう町ちょう……覚えているでしょう。一日でも二日でも能よ御ござんす。暇を見てちょっと来て下さい。失礼だが、これはその時の車代に。﹂と言って、男は無理やりに五拾銭せん銀貨二、三枚をお千代に握らせ、振返りながら向側の横よこ町ちょうへ曲った。 お千代はこの間から、質しちに入っている衣類の中で、どうしても流してしまいたくないと思うものがあるので、せめて利子の幾分でも入れて置きたいと思案に暮れていた。その矢先、偶然思おも掛いがけない人に呼よび留とめられて、車賃まで渡されて見ると、訪ねて行きさえすれば少し位の都合はしてもらえないはずはないという事を考えない訳わけには行かなかった。丁度その日重吉は新聞に出ていた外交員募集の広告を見て外出したまま夕飯時を過ぎても帰って来なかったので、お千代は膳ぜん拵ごしらえだけをして階し下たの人に伝言を頼み、ふらふらと小日向水道町へ出かけた。帰って来たのは夜も十時過ぎであったが、重吉の帰りはそれよりなお半時間も遅かったので、この晩のことはそれなり秘密に葬られてしまった。 或日お千代は重吉の出て行った後、二階の窓へ寝ねま衣きや何かを干していると、往おう来らいから女の声で、﹁奥さん。中島さんの奥さん。﹂と呼ぶものがある。この貸間に引移ってから、間まもなく銭せん湯とうの中で向むこうから話をしかけるまま心安くなった五十前後の未亡人らしい女である。湯の帰り、道づれになると、﹁お茶でも一つ上っていらッしゃい。﹂と言う。﹁何か急場の事で御金の御おい入りよ用うがありましたら、証しょ文うもんも何もなしで、御用立てをしますから。﹂と言ったこともある。お千代は良おっ人とにも話をした上金を借りたいとは思いながら言出しかねてそのままにしていたのである。此こち方らから出掛けた事もなければ、向むこうから尋ねて来たこともない。 この老ろう婆ばは以前は大おお塚つかの坂さか下した町まち辺へん、その前は根ねぎ岸し、または高たか輪なわあたりで、度々私しし娼ょう媒ばい介かいの廉かどで検挙せられたこの仲間の古ふる狸だぬきである。お千代が現い在まの二階へ越して来た時分、この老婆もまたこのあたりへ引越して来たのである。多年の経験で、この老婆は女を一目見れば、誘惑することが出来るか否かをすぐに判断する眼がん力りきを持っている。殊ことに女湯の中で、着物を脱いだり着たりする様子を一見すれば、その女の過去現在の境遇は勿もち論ろんのこと、男の気に入る性たちの女かどうかをも誤あやまりなく判断する事ができる。お千代はこの老婆の目にとまった。その年とし恰かっ好こうから見ても、遊びあきて悪あく物もの食ぐいのすきになったお客には持って来いという玉たまだと睨にらんだのである。 初めて言葉を交してからもうかれこれ三みつ月きぢかくになるが、今だに着通しに着ているお千代の着物を見ると、品物は金きん紗しゃの上等物でありながら、袖そで口ぐちや裾すそまわりの散々にいたんだのを、湯屋へ来る時などは素すは肌だにきて、腰巻などは似もつかぬ粗末なものを取返えもせずに締めている。この様子だけでも、老婆はもうそろそろ話をし出してもいい時分だと考えて、銭せん湯とうへの行きがけ、内うちの様子を見がてら、それとはなく尋ねて来たのである。障子も破れ、畳も汚れた貸二階に据えてある箪たん笥す火鉢から、机座ざぶ布と団んに至るまで、家具一いっ切さいはかつて資産のある種たね子この家にあったものばかりなので、お千代の人品に比較して品物が好よす過ぎるところから、老婆は最初の想像とは案に相違して、お千代夫婦の境遇を不審に思ったが、しかしとにかくここまで零落していれば、以前豊ゆたかに暮していただけ、かえって話は早いかも知れないとも考えた。 ﹁檀だん那なさ様まは毎日お出かけですか。﹂こんな事から話をはじめた。 ﹁いいえ。きまっておりません。唯今遊んでいるもんですから。﹂ ﹁お一人で、お留守番ばかりしていらしッちゃおさむしいでしょう。わたくしなんぞも、女中はいませんし、そう一日針ばかりも持っていられませんから、時々人様のところへお邪魔に出でか掛けると、つい長なが尻っちりをしてしまいます。﹂ ﹁男とちがって女は一人でぶらぶら散歩もしていられませんし……。﹂ ﹁奥さん。どこかお遊び半分お勤めにお出なさればいいのに。気がまぎれてきっと能よう御ござ在いますよ。﹂ ﹁それには女学校くらい出ていなければ駄目ですわ。わたしなんぞ、もう年もとっていますし、それに今まで大勢の人中で働いた事がありませんからね。新聞の広告なんぞ時々見ますけれど、カフェーの女給さんにもなれまいと思います。﹂ ﹁奥さんがほんとにその気におなりなら、どこへ行ったって二ツ返事でしょう。しかし……これは此こ処こだけのお話ですけれど、たとえ奥さんがその心持におなりだって、檀那さまが御承知になれァしません。﹂ ﹁どうにかこうにかやって行ける中うちは、そうかも知れませんけれど……二ッちもさッちも行かなくなったら外聞なんぞ構っちゃいられなくなりますよ。こんな話は、おばさんだから打明けて言いますけれど、早く内うちの人が……何しろ今年の夏から遊んでいるんですからね。あるものだってだんだんなくなるばっかりですわ。﹂ ﹁ほんとにねえ。何事によらず、その中うちにその中にと思って、待っている心持というものは気がくよくよしていやなもんですよ。一人で御留守番でもしていらっしゃる時は、わたくしの処へでもおいでになって呑のん気きに馬鹿ばなしでもして、気をお晴らしなさる方がよう御ござんすよ。いつかもちょっとお話ししたように、少し位の事ならいつでも構いませんから、ほんとに御遠慮なく仰おっ有しゃって下さい。女は女同士ということもありますから。﹂ ﹁ええ、有りがとう御在ます。しかし何ぼ何でもまだついこの頃ごろのお交つき際あいなのに、そんな御迷惑をかけちゃ済みません。﹂ ﹁ですから、大した事はお互たがいに後あとが困りますから、何ど処このお宅でもちょっと檀那さまにも言えないような事があるもんですよ。そういう時、少し位の御融通なら、どうにでもと言うんですよ。随分いいとこの奥さんで、内ない々ない困っておいでの方かたがありますよ。﹂ ﹁そうでしょうね。しかし融通のつく中うちなら、えばって借りられもしますけれど、お返しする当あてがつかないような時には、どうにもなりゃアしません。﹂ 婆ばあさんは最後の問題を提出する時が来たと考えた。﹁奥さん。妙な事をお話するようですけれど……何も彼かも明けッ放ぱなしにお話しをしましょう。﹂と相手の顔色とあたりの様子とを窺うかがいながら、﹁これはほんとに内ない所しょのお話ですよ。いっそ女給さんになったような心持で……お客様とどこかへ遊びに行ったような心持におなんなすったら。ねえ、奥さん。身を捨ててこそ浮うか瀬ぶせですからね。檀那様のいらッしゃらない時、内所でお知らせしますから、家へいらっしゃいまし……。﹂ お千代は婆さんの顔を見詰めながら次第に顔を赤くしたが何も言わずに俯うつ向むいた。お千代は昨夜も良おっ人との留守を窺って、またしても小日向水道町の家へ出掛けたので、婆さんが勧誘する事の意味に心付くと共に、昨夜のことまで見みす透かされているような心持がして、それがため我知らず顔を赤くしたのである。 婆さんはお千代が怒りもせず泣きもせず、すこし身を斜ななめにして顔さえ赤くした様子に、此方の言った事は十分通じたものと思った。顔を赤くしたのは﹁はい﹂という承諾の言葉よりもかえって意味の深いものと思った。 ﹁では、奥さん。お邪魔いたしました。﹂と婆さんは静しずかに座を立った。七
﹁お千代、今日からおれは内職を始めるよ。毎日歩き廻っても、靴の踵かかとがへるばっかりで、どうにもならないから、諦あきらめてこれから内職だ。﹂と洋服の上着だけ抜ぬいで、重吉は机へ背をよせ、頭を後うし手ろでに抱えて両足を投出した。 ﹁内職ならわたしも一緒に手伝います。﹂といいながらお千代は茶を入れかけた。 ﹁手伝えるなら手伝ってもらうよ。謄とう写しゃ版ばんで本を写すんだ。﹂ ﹁字をかくんですか。それじゃ駄目ですわ。むずかしい本でしょう。﹂ ﹁イヤむずかしくはない。小説見たようなもんだから、後でゆっくり見せてやるよ。﹂と言って重吉は突然大きな声で笑出した。 ﹁あら、何かわたしの顔についているの。﹂とお千代は何がおかしいのか分らないので掌てのひらで頬ほおを撫なでている。 重吉は新聞の職業案内をたよりに諸処方々歩き廻った末、日当壱いち円えん五ごじ拾っせ銭んの筆ひっ耕こうで我慢することにしたのである。雇やと主いぬしのはなしによると、謄写した書物は限定せられた会員だけに配布するので検挙の虞おそれはない。万一の場合には会の名義人が責任を負うから筆耕やその他のものに迷惑のかかる気きづ遣かいはないというのである。 一ひトしきり重吉の膝ひざにもたれて笑っていたお千代は坐り直なおって、﹁それさえ大丈夫なら安心だわ。楽しみ半分にいいじゃありませんか。﹂ ﹁おれもそう思って引受けて来たんだ。しかし日当一円五十銭とは情ないよ。﹂ ﹁ほんとにねえ。一円五拾銭じゃ、まるで派出婦のようね。﹂ ﹁そうだったなア。むかしお前の取った給料と同じだぜ。しかし女の方がまだいい。たまには特別の収入があるからな。﹂ ﹁あら、ひどいわ。何ぼわたしだって、そう誰にもッて言うわけじゃなかったのよ。あの時はあなたが悪いのよ。今になってそんな事を言うのはあんまりだわ。﹂ ﹁お千代、おれがもし病気にでもなったら……お前、おれのために稼いでくれるか。女給にでもなって……。﹂ 重吉はしなだれ掛かかるお千代の肩を抱くようにして上からその顔を差さし覗のぞいた。実はその後ごお千代の方から何か話をしだすだろうと、重吉は心待ちに待っていたのであるが、さっぱりその様子も見えないので、今夜の機会を逃のがさず正面から切出して女の心持をきこうと思おも定いさだめたのである。 ﹁ええ、なってもいいわ。﹂ ﹁お前、ほんとうか。﹂ ﹁ええ、あなたがなれといえばなって見ます。﹂ 重吉はお千代の返事が少したよりのないほど明快過すぎるので念を押して見ないわけには行かなかった。しかしお千代の方では初めから重吉の命ずる事なら何でもして見ようと気軽く考えている。別に重吉のためにその身を犠ぎせ牲いにすることを厭いとわないというような堅い決心からではない。何事に限らずその時々の場合に従って何の思慮もなく盲動するのがつまりこの女の性情である。派出婦をしていた頃ころ男に押えつけられれば拠よん処どころなくその意に従った。真ま面じ目めな人から説き勧められれば嫁にも行った。しかしこの女の辛抱しきれない事は周囲から何の彼かのとむずかしいことを言われたり、規則ずくめに規律正しく取り扱われたりすることである。姑しゅうとや小姑の多勢いた家うちの妻になりきれなかったのはこの故せいである。屈辱とも不義とも思わず小こび日な向た水すい道どう町ちょうの男の家へ誘われるがままに二度まで出掛て行ったのもまたこの性情によるのである。女給になる事を二ツ返事で承諾したのもやはりその通りで、別に反対する理由も知らぬがまま承諾したのに過ぎない。それ故女給という職業が自分に適しているか否かは少しも考えていなかった。予あらかじめ考えてから事に従うのはこの女には出来ない業わざなのである。 あくる日お千代は重吉に新聞の広告を見てもらって、銀座通どおりの或あるカッフェーに行って見たが、最初の店では年が少し取り過ぎているからといって断られた。次の店へ行って見ると、志願者が三、四十人も詰めかけているのに気おくれがしたのみならず、待っている間に大勢の女がいそがしそうに往いったり来たりしている店の様子を窺って、始めてカッフェーのどういうものかを知り、とても自分にはやれそうもないと思いはじめた。その中うちにやっと順番が来て事務所へ呼ばれて行くと、頭あた髪まをてかてかにひからせた二十四、五の男が仔しさ細いらしく住処、姓名、年齢、経歴、それからこれまでの職業などを質問した後、採否は追って通知すると言われて、ほっとして外へ出た。 三、四日待っていたが通知は来ない。重吉は店みせ口ぐちに募集の貼はり紙がみが出してある処を見付け遠慮なく聞いて見るがいいというので、お千代は再び銀座へ出掛けたが表おも通てどおりにはそういう貼紙のしてある店が見当らない。足の向き次第あちらこちらと歩き廻って、大分つかれた時分、京きょ橋うばしの河かし岸どお通りが向うの方に見渡される裏通り。両側ともカッフェーばかり並んでいる中に、やっと募集の貼出しを見つけた。 狭い店口へ南なん京きん玉だまを繋つないだ簾すだれ見たようなものがさげてある下から、踵かかとの高い靴をはいた女の足が四本ばかり見えたので、お千代は洋装でなければいけない店だと思って、躊ちゅ躇うちょしていると日本服をきた女が物を頬ほお張ばりながら、褐かば色いろの白おし粉ろいをつけた大きな顔をぬっと出して、手にしたバナナの皮をお千代の足元へ投げつけた。顔を見合せたのを機会に、お千代は腰をかがめて、 ﹁女給さんを募集しておいでですか。﹂ ﹁ええ。お這は入いんなさい。丁度マスターがいますよ。﹂と女給は頬張ったバナナが物を言うと口からはみ出しそうにするのを指先で中の方へ押込んでいる。 お千代は南京玉の簾を掻かき分わけて這入ると、内は人の顔も見分けられないほど薄暗い土間のままの一室で、植木や卓テー子ブルのごたごた置いてある向うの片かた隅すみに、酒場の電でん燈とうが棚の上に並べた洋酒の壜びんと、白い着物を着た男と、黒い背広を着た男二人の顔を照しているのが見えた。躓つまずきながら歩み寄って、﹁表おもてに書いてありましたから……。﹂と腰をかがめると、背広の男が話をやめて早速住所氏名をききはじめた。お千代は此こ処こでもまた追おって通知をするというのだろうと思って、 ﹁それでは何分よろしく。﹂といって手にした肩掛を持ち直すと、背広の男は造作もなく、 ﹁今からでもいいですよ。見習をして行きなさい。﹂ ﹁それでは、そう致しましょう。﹂ 背広の男は組くみ頭がしらとも見える女給を呼んでお千代を引合せると、その女給はまず酒場の後うしろの三畳ばかりの室にお千代を案内して羽織や肩掛をぬがせ、﹁わたしたちの組は赤なのよ。今日は二階が赤なんだから、二階へ行きましょう。﹂ ほどなく日が暮れると、二階中には電燈がつきながら、その薄暗さは階し下たよりもまた一層甚しいように思われた。蓄音機が絶え間なく鳴なり響ひびいている中から、やがて﹁お客様ア﹂と呼ぶ声につれて、二人連づれの客が三、四人の女給に取巻かれ、引ひき摺ずり上げられるように階段を上って来た。酔ってはいないが、客も女給も諸もろ共ともに酔倒れるように片隅のボックスに腰を落すと、二階にいる六、七人の女が一度に立ってそのまわりを取巻く中に、一人の女が麦ビー酒ル二、三本を持ち運びながら、﹁いいのよ。口あけじゃないか。﹂とお客を叱しかりつけた。 ﹁飲むよりか早く芸当をしろ。﹂と客が怒ど鳴なると、﹁飲まなくっちゃ気分が出ないんだよ。﹂とまた叱りつけた。 暫しばらくする中うちボックスにはお千代を入れて三人の女給が居残った。一人の客は洋装した一人の女給を膝ひざの上に抱きあげ、和装した他の女給の袖そで口ぐちへ手をいれる。それを見て、連つれの一人がぐっとお千代を引寄せて同じように手を入れかけたが、﹁何だ、こいつは。いやに用心していやがる。﹂と言って傍わきの方へ突き退のけた。 お千代はこの店の女がいずれも着物を素すは肌だに着ている事を知らなかったので、何の事だかわけが分らない。すると洋装の女が、こっちの客の方へ廻って来て、 ﹁この人は今日来たばっかりなのよ。あんまりいじめないでよ。﹂といいながら、短いスカートをたくし上げて、その男の膝の上に跨またがった。いつの間にか麦酒がまた二、三本テーブルの上に並べられている。 お千代は十二時になったのを知って、店の内はまだしまわずにいたが電車のなくなるのを虞おそれて一人先へ外へ出た。家へ帰ると、重吉はまだ寐ねずに、机に向って謄写版の写本をつくっていたので、すぐに今日のはなしが始まる。 ﹁そうか。大変な家へ飛込んだものだな。しかしそんな家は幾軒もありゃアしまい。気長に別の家をさがすんだな。﹂ ﹁ええ。そうするより仕様がありませんねえ。表通のいい家はなかなか入れてくれないし、それに、どの道みちカッフェー向きの着物が入いり用ようですからね。差当りそれが一番困ります。質しちから出したところで、あれは種子さんの物でしょう。だから、いくらはでだといっても役に立ちません。﹂ ﹁うむ。銀座は何かがはでだからな。それじゃ、初め暫くの中、外ほかの町のカッフェーをさがして、それから銀座へ出るようにしたらどうだ。﹂ ﹁まア、そうでもするより仕様がありません。今更派出婦になるのも、もう怠け癖がついてますから。通勤してお金が取れるのはやはりカッフェーでしょうかねえ。﹂ お千代はその翌日昨きの日うのようにまた女給の口をさがしに家を出た。しかし今日は場所が限られていないので、どの方面へ行ったものかかえって当あてがつかない。それのみならず、銀座通の裏表を歩いて、ほんのちょっとではあるがカフェーの内を窺うかがってから、お千代はもう女給になるのがいやになっている。そうかと言って差当り他に捜さがすべき職業はなく、また身の振ふり方かたを相談する人もない。歩きながら、洗せん湯とうで心安くなった彼かの婆ばあさんの事を思いついて、お千代は電車の停留場まで行き着きながら俄にわかにもとの道へ後戻りをした。 婆さんは事情をきいて、﹁それでは奥さん、こうなさいよ。﹂と言った。それは重吉の前だけ、あちこちのカッフェーへ三、四日ずつ見習に行くような振りをして、婆さんの家で時間をつぶすがよいという事である。 婆さんの家には電話が引いてあるが秘密の漏れることを恐れて女中は置いていない。食物は時折電話でてんや物ものを取寄せ、掃除は月に一、二度派出婦を呼んでさせるので、台だい処どころの流しや戸棚の中は家族の多い貧乏世帯よりはかえって奇麗になっている。大概毎日、午後から夜にかけて男の客が来ると、婆さんは電話で女を呼び寄せ二階へ上げるが、二、三人連づれの客だと、電話で予あらかじめ女の方へ交渉して、客の方は聯れん絡らくのついている待まち合あいか旅館かへ行ってもらって家へは上げないようにしている。馴なじ染みの客は用心深い家うちの様子を知って、電話だけで女の周旋を頼み、随意の処へ出掛けてもらうようにしているものもある。それ故ゆえ人の出でい入りもさほどには目立たない。 お千代はその日午後に立寄って日の暮までいる間に、婆さんのしている事をすっかり見抜いてしまった。婆さんの方ではわざとお千代に家の様子を見せて、無言の中に悟らせるつもりであった。お千代はこんな家へはあまり立寄らない方がいいと帰かえ道りみちには思返しながら、翌あくる日になると女給の口を捜さがし歩くのがいやなのと行きどころがないのとでまた立寄って時間をつぶす。一日休んではまた二、三日つづけて来るという具合で、お千代はどうしても婆さんの家へ寄らないわけには行かなくなる。お客が一度に二人かち合うような時には、婆さんの手伝いをして電話をかける事もあれば、留守番をたのまれることもあるようになった。重吉に対してもお千代はそう毎日々々女給の見習ばかりして歩いているとも言えないので、婆さんの知っているバーへ電話をかけてもらって、其そ処こで働いているように体裁をつくると、いよいよ夕方から夜の十二時までは婆さんの家にいなければならないようになる。その日その日のチップも重吉に見せなければならない。或夜婆さんの家で、お客が一人二階に待っているにもかかわらず、来くべきはずの女がどういう都合だか、来こずじまいになった時があった。時計を見るともう十一時近くで、今から急に代りの女を呼ぶわけにも行かぬところから、お千代は婆さんの当惑するさまを見兼ねて、拝むようにして頼まれるがまま二階へ上って行った。一度承知すれば後あとになっていやだとは言切れなくなる。その晩のお客が二、三日たってまた遊びに来る。そして是非この前の女をたのむという事になればなお更断りにくい。お千代は夜ごとに深みへと堕おちて行った。その代り質屋の利息のみならず滞った間まだ代いもその月の分だけは奇麗に払えるようになった。八
お千代は身の秘密が重吉に知られた時にはどういう事件が起るかということをはっきり考えてはいない。このままいつまでも、秘密が保たれるものか否かをもまたよく考えてはいないのである。唯知れずにいてくれるようにと冀ねがうばかりである。秘密を保つ方法と、また秘密が訐あばかれた場合の事とは予あらかじめ考える暇がない。それよりはむしろ考える能力がないのである。知れた暁には撲なぐられた揚あげ句く、別ればなしになるかも知れない。しかしそうなった所で、お千代の身にはさして利害はない。重吉と別れたからといって、他に生活する道のつくわけでもなければ、また一緒になっていたからとて、重吉が失職したきりでは、やはり同じことである。重吉が定業にありつく時まで、どうか知れずにいてくれるように……。これが漠然とお千代の冀うところであった。 その年の暮はさほど寒さも烈はげしくはなく、もう二、三日で大おお晦みそ日かが来ようという比ころになった。十二時打ってから半時間ばかり、いつもの刻限にお千代はバアから帰った振りで、実は婆さんの家から、その夜は烏から森すもりへ廻り、そこから円えんタクに乗って来た。コートの紐ひもを解きながら二階へ上ると、重吉も今し方がた帰って来たばかりと見えて、帽子と二にじ重ゅう廻まわしとは壁に掛けてあったが、襟えり巻まきも取らず蹲しゃ踞がんで火鉢の消えかかった火を吹いていた。 ﹁銀座は歩けないくらい人が出ていたよ。﹂ ﹁年の市いちでしたね。﹂ ﹁銀座の方じゃ、カフェーは二十五日から毎晩二時までやるんだとさ。神かん田だの方よりも勉強するね。﹂ ﹁やっぱりね、場所がいいから。﹂とは言ったものの、お千代は神田辺でもカフェーは二時までやるのかも知れないと始めて気がつき、話をそらすために、片寄せてあった置おき炬ごた燵つを引出し火鉢の炭火を直しはじめると、重吉は懐ふと中ころから蟇がま口ぐちを出しながら、 ﹁お千代。今夜思切った冒険をやったぜ。勿もち論ろん偶然なんだがね。﹂ お千代は心配そうに男の顔を見るばかりである。 ﹁銀座にはステッキガールが出るという話だから、それらしいやつの後をつけて横よこ町ちょうへ曲ろうとしたんだ。するとマントオを着た男がもしもしと言って、暗いところで絵葉書を買ってくれというのさ。実はおれも懐中にいいのを持っていたんだ。そら、この間謄写版と一緒に持って来たやつさ。ふいと己おれもやって見る気になったんだよ。銀座はやっぱり銀座だな。弐にえ円んになったぜ。﹂と銀貨を見せる。 お千代はびっくりするよりも、自分の秘密を思合せて、何といっていいのか返事が出来ない。 ﹁毎晩同じところへ行っちゃ危険だ。ときたま、散歩がてらにやるくらいなら、まア大丈夫だ。﹂ ﹁でも、あぶないわよ。よッぽど気をつけないと……。﹂ ﹁だから冒険さ。考えて見ると、こういう事は道楽見たようなもんだ。言わば趣味だね。掏す摸りだの万まん引びきなんぞもやッぱりそうだろう。おれも――まさか掏摸や万引はしないけれど、後うし暗ろぐらい事だの、秘密な事には興味がある。何となく妙に面白いもんだなア。いくら困っても真ま面じ目めな人間にゃなれそうもない。﹂ お千代は既にその身の秘密を知られているのではないかという気がして、いっそ一思いに打明けてしまおうかとも思いながら、さて言出すべき最初の言葉がわからないので、掛けてある土どび瓶んを卸おろして起りかけた炭火をまた直し始める。 ﹁この金で何か食おうじゃないか。今夜はふだんと違うからまだ起きているだろう。阪まで行けばおでん屋が起きてるだろう。いやか。くたぶれたか。﹂ ﹁いいえ。﹂ ﹁じゃア行こうよ。今年はいやに暖あったかいじゃないか。また地震かも知れないぜ。﹂ ﹁昨きの日うなんか驟ゆう雨だちが来たわねえ。﹂ お千代は重吉が何か思うところがあって外へ連れ出すのではないかと、こわごわながらも用心して一緒に外へ出た。 少し風が吹きはじめたが、薄い霧が下りているので、見渡す夜よふ深けの街の蒼あおく静しずかにかすんださまは夏の夜明けのようで、淡あわくおぼろな星の光も冬とは思われない。起きている家は一軒もないが、まだ杜と絶だえない人通りは牛うし込ごめ見みつ附けの近くなるに従っていよいよ賑にぎやかになる。二人の歩いて行く先に、同じような二人連づれがあって、その話声の中から早番だの晩おそ番ばんだのという言葉が漏れ聞える。重吉は思出したように、 ﹁お千代。お前の店は正月はどうするんだ。元日は休みか。﹂ ﹁さア、まだ聞いて見ないから。﹂ ﹁三ヶ日は骨休みをした方がいいぜ。バアへ行き始めてからもう三みつ月きだ。一日も休まないからな。﹂ お千代はまた返事にこまった。どうして今夜にかぎって、重吉は返事に困るようなことばかり言出すのだろう。知っていながら知らない風をして自分を困らせ、それをせめての腹いせにするのではないかという気もする。 ﹁わたし、一度どうしても家へ行かなければならない事があるんです。明日にでも行こうかと思っているんです。﹂とお千代は静に言出した。 ﹁家ッて。船ふな堀ぼりの家か。﹂ ﹁ええ。母おっかさんが死んでから一度も行きませんから。﹂ ﹁お千代、お前、もう帰って来ないつもりだろう。そんならそうとはっきり言ってくれ。﹂と重吉は声を高めたが、先へ行く二人連に気がついて立ち止どまる途とた端ん、﹁あら、誰か﹂という声と共に接せっ吻ぷんするらしい音が聞えた。 ﹁だって、わたし……。﹂とお千代は足を引ひき摺ずるように歩きながら、殆ほとんど聞えないような声で、﹁わたし、済まないことをしちゃったから……。﹂ ﹁それで、お前、別れようというのか。﹂ ﹁だって、あなた。堪忍しないでしょう。﹂ ﹁堪忍しなければ、今まで黙っていやしない。お千代、みんな己おれが……つまり己のためなんだから仕方がない。﹂ ﹁……。﹂ ﹁その中うちには何とか生活の道を立てるから。お前、己おれに見込まれたと思って、もう姑しばらくの間辛抱してくれ。なア。頼むよ。﹂と背うし後ろから手をまわして静に引寄せると、お千代はそのままぴったり倚よりかかって、 ﹁わたし……あなたさえ堪忍してくれれば。でも随分大胆なことをする女だと思ったでしょう。だけれど……。﹂ ﹁もう、いいよ。わかってるから。打明けてさえくれれば何もわるく思やしない。﹂ ﹁ほんと。﹂とお千代は寄りかかった男の肩先に頭を寄せかけ仰あお向むくようにして男の顔を見た。その重みに不意を打たれて重吉はよろめきそうになった足を踏みしめると共にぐっと抱きしめ、 ﹁心さえ変らなければわるく思やしない。己おれはとうから変だと思っていたんだよ。しかし己の口からはききにくいし、お前も言うまいと思ってさ。それで黙っていたんだ。お前、随分気をつかったろう。﹂ 先へ行く二人が此こな方たの話声に心づいたらしくちょっと離れて振返ったが、同じような二人連と見て安心したらしくまた寄添って歩いて行く。お千代はその後姿を遠く霧の中に眺めながら、 ﹁ええ。それァ心配したわ。だけれど、ねえ、あんた。どうしてわかったの。﹂ ﹁どうしてッて。それァわかるさ。お前、バアへ稼ぎに行くといっているのに、一遍ぺんも酔って来たことがないし、着物にも酒の匂においが移っていない。それから足た袋びがちっとも汚れていない。だからバアやカフェーじゃないと思ったんだ。﹂ ﹁全くねえ。﹂ ﹁そればかりじゃない。まだ他ほかにわかるわけがあるんだ。﹂と重吉は再び女の身をぐっと引寄せながら、二、三歩黙って歩きながら、﹁それァちょっと言えないよ。こんな処じゃア……。﹂ ﹁どうして。教えてよ。﹂ ﹁あんまり侮辱したようになるから。﹂ ﹁かまわないから、教えてよ。よ。よ。﹂とお千代はわざと調子だけ冗談らしく甘えるようにしながら、じッと眼を見張って男の顔を見上げる。その表情が街がい燈とうの光を斜ななめに受けていかにも艶なまめかしくまた愛くるしく、重吉の眼に映じた。 重吉は歩みを止めて、お千代の仰向いて自分の顔を見詰める眼の上に接吻しようとしたが、突然後うしろから照しつける自動車の光に驚いて女をかばいながら片側に立寄った。見れば先へ行く二人連も同じように道をよける。汽車の走はし過りすぎる響がして、蒼そう茫ぼうたる霧の中から堀ほり向むこうの人家の屋根についている広告の電燈が樹この間まから見えるようになった。 堀ほり端ばたの屋台店で二人はついぞ飲んだことのないコップ酒を半分ずつ飲み合い、吹きまさる風と共に深夜の寒さの漸ようやく烈はげしくなるのをも忘れて、ふらふら戯れながら家へ帰って来た。その夜から二人の心と肉体とはいよいよ離れがたく密着するようになった。 重吉はかつて我わが儘ままで身の修おさまらない年上の女と同どう棲せいした時の経験もあるので、下した手でに出て女をあやなすことには馴なれている。世間一般の男の忍び得られない事をして見るのが、今では改められない性癖のようになっている。重吉には名誉と品格ある人々の生活がわけもなく窮屈に、また何となく偽善らしく思われるのに反して、懶らん惰だひ卑わ猥いな生活がかえって修飾なき人生の幸福であるようにも考えられている。お千代と同棲してから四、五年を過ぎてその生活はいつか単調に陥りかけていたのが、その夜から俄にわかに異様な活気を帯びて来た。それは自分と同棲している女が折々他の男にも接触するという事実を空想すると、重吉はその事から種々なる妄もう想そうを誘起せられ、烈しく情慾を刺しげ戟きせられるがためである。 お千代の方では公然夫おっとの許可を得て心に疚やましいところがなくなったのみならず、夫のために働くのだということから羞しゅ耻うちの念が薄らいで、心の何ど処こかに誇りをも感じる。それに加えて、お千代は若い時分から誰彼にかぎらず男には好かれていたという単純な自うぬ惚ぼれを持っている。船ふな堀ぼりの家うちにいた時じぶ分んには近処の若いものにちやほやされた。屋敷奉公に出れば書生にからかわれ、派出婦になれば行った先々で折々主人に挑いどまれた。それをお千代は侮辱だとは思わず、自分は男に好かれる何物かを持っているがためだと考えていた。この何物かは年と共に接触する男の数が多くなるに従って、だんだんはっきりと意識せられ、内心ますます得意を感じる。自分は重吉に愛されている。そのように他の男からもまた愛されるに違いないと極めて簡単に考えているので、来年はもう三十三という年と齢しさえも忘れたように、唯ふわふわと日を送ることが出来るのであった。九
重吉が麻あざ布ぶ谷たに町まちの郵便局から貯金を引出して帰って来たその日、お千代は稼ぎに出たまま夜ふけになっても帰って来なかった。泊ることは珍らしくないので、その夜は別に心配もせず、重吉はいつものように、折々独ひと寐りねする晩をばかえって不断の疲労を休める時として、あくまで眠りを貪むさぼるのであった。しかし翌日、暮れ方がた近くなってもお千代はまだ帰って来ず、電話もかけて来ない。重吉は何か間違いでもありはしないかと、少し心配をしはじめた。 昼ひる飯めしの残りを蒸むし返かえし、てっか味み噌そと焼やき海の苔りとを菜さいにして、独り夕飯を食べてしまってから、重吉は昨きの日うの午後お千代を呼んだ芳よし沢ざわ旅館へ電話をかけて問い合わすと、その日の夕方まで其そ処こにいたことは分ったが、それから後の行先がわからない。日ひご頃ろ贔ひい屓きにしてくれる待まち合あい二、三軒へ問合したがやはり同じことである。重吉はいよいよ気になって、日頃お千代が親しく往ゆき来きしている同業の女のもとへ問合すより道がないと思ったが、これは電話の番号がよくわからない。鏡台の引出しか何処かに何か書いたものでもないかと捜さがして見たが何も見当らない……。 ﹁中島さん、どなたか見えましたよ。﹂とその時硝ガラ子ス屋やのお上かみさんの声がしたので、重吉は梯はし子ごだ段んを三、四段降りながら下を覗のぞくと、昨日の午後溜ため池いけの角で出で逢あったかの玉子である。 ﹁お上んなさい。﹂ ﹁千代子さんは……。﹂ ﹁今出掛けているんだが、ちょっと話があるから、まアお上んなさい。﹂ 玉子は硝子屋の家族に軽く挨あい拶さつして重吉の後あとについて二階へ上る。 ﹁昨日は失礼しましたわ。﹂ ﹁あれから、家へ寄るかと思って待っていたんだよ。貸間はきまったか。﹂ ﹁あの、溜池の家うちねえ。実はきめたんだけれど、階し下たの人が新聞社へ出る人だっていうから止よしたのよ。今日も一日さがし歩いたけれど電話の使える貸間はなかなかないわね。﹂ ﹁この近処なら、ここの家うちの電話で呼出しがきくよ。己おれが迎いに行ってやるから。﹂ ﹁じゃ、そうしようか知ら。わたし、もうそういう事にきめるわ。千代子さん、まだなかなか帰りそうもないこと?﹂ ﹁実は昨日の昼出たッきりなんだ。間違いでもあったんじゃないかと心配しているんだよ。電話のある処は大概きいて見たんだが、そこにはいないんだ。以前飯いい田だま町ちにいた荒木の婆ばあさんの家へも電話をかけたが、どうしても通じないんだ。今は四よつ谷やにいるんだからね。実はこれから行って見ようかと思っていたところさ。﹂ 玉子は久しく婆さんの家へ出入りをしないから、今度また出先を周旋してもらうために、重吉と一緒に行きたいと言出した。 本ほん村むら町ちょうの堀ほり端ばたから左へ曲って、小さな住宅ばかり立ちつづく薄暗い横よこ町ちょうをあちこちと曲って行く中うち、重吉も一、二度来たことがあるばかりなので、その時目じるしにして置いた郵便箱を見失うと、道をきくべき酒屋も煙たば草こ屋やもないので、迷い迷って遂ついに津つノ守かみ阪ざかの中ちゅ途うとに出てしまった。驚いてもと来た横町に戻り、薄暗い電燈をたよりに、人家の軒下や潜くぐ門りもんの表札に番地を見定めながら、やっとの事で目的の家へ行きついた。 潜門をあけると、付けてある鈴が勢いき好おいよく鳴ったが、格こう子し戸どの内は真まっ暗くらで、一、二度呼んでも出て来るものはなく、折から電話の鈴が家の内で鳴り出したのが聞えながら、やはり人声はしない。やや姑しばらく鳴り通しに鳴っていた電話の鈴がはたと止やんだ時、二人は始めて奥の方から人の苦しみ唸うなるような声のするのを聞きつけて、顔を見合せた。 ﹁おばさん、病気なのよ。誰もいないのか知ら。﹂ ﹁金持だから殺されたんじゃないか。﹂ ﹁あら、いや。おどかしちゃア。﹂と玉子は重吉に抱きついた。 ﹁まア上って見よう。﹂と言ったが、重吉も何やら気味がわるくなって、土間に立ちすくみながら、そっと手を伸のばして障子を少し明けて見ると、家の内の電燈は一ツもついていないらしく、一ひと際きわはっきり聞える唸うめき声は勝手に近い方から起るものらしく思われた。 ﹁何だか、おれ一人じゃ上れないな。玉ちゃん、台処の方へ廻って見よう。ふだん女中を置けばいいんだのに。﹂ ﹁お隣となりの家うちへそう言って、誰だれか来てもらったら。わたしほんとにいやだわ。﹂と言った時、唸声がまた一層烈はげしくなったので、玉子は思わず格子戸の外へ逃げ出すと、重吉もつづいて外へ出ながら、 ﹁隣り近処も、不ふだ断んつき合いをしていないだろうからな。まア病気だか何だか、様子を見てからにしよう。﹂ 勝手口へ廻って恐る恐る硝ガラ子ス戸どを明けると、家の内のどこかについている電燈の光で、台処の板の間まと茶の間らしい部屋との境に立っている障子際ぎわに、白しら髪がを振乱して俯うつ伏ぶしになった老ろう婆ばの姿が見えた。重吉は半身を外に、顔だけを硝子戸の内に突出して、 ﹁おばさん、荒木さんのおばさん。病気か。﹂ 老婆は唸うなるばかりで、殆ほとんど人事不詳の重態であるらしい。しかしきちんと片付いている台処の様子を始め、そのあたりにも血の流れている様子は見えないので、重吉はやや安心して流なが口しぐちへ進すす入みいり揚あげ板いたの上に半身を伸のばして、再び、 ﹁おばさん、荒木さんのおばさん。﹂と大声に呼びつづけたのがやっと耳に入ったらしく、老婆は障子につかまって身を起そうとした。その顔を見て、重吉は思わず、﹁あ﹂と叫ぶと、外に立っていた玉子は何やら物に躓つまずきながら潜門の外まで逃げ出した。老婆の顔は平生の二倍ほどにも見えたくらい一面に腫はれ上って、目も鼻もなくなったようになり、口ばかりが片方に歪ゆがみ寄っていた。この形ぎょ相うそうを障子越しに後うしろから照す電燈の光にちらと見た瞬間、重吉は化物かと思ったのである。 外へ逃げ出した玉子が隣の人をつれて来た。やがて近処の医者が呼ばれて来たが、その診察によると老婆の病やまいは歯しこ根んこ骨つま膜くえ炎んといって、口こう腔こう外げ科かの医者に手術をしてもらわなければならないという事であった。仕方がないので重吉は玉子と共に四谷の大おお通どおりへ出て、やっと歯医者をさがし、再び診察してもらうと、今度はいよいよ重症ということで、歯科医が附添って慶けい応おう義ぎじ塾ゅくの病院へ患者を送った。 医者のはなしでは顎あご骨ぼねを腐ふし蝕ょくした病毒が脳を冒せば治療の道がないとのことである。重吉が玉子と共に病院を出たのはその夜も十時を過ぎた頃である。 ﹁玉ちゃん、今夜は実に変な晩だな。荒木の婆さんはきっと助かるまいよ。﹂ ﹁そうかも知れないわね、あの様子じゃア……。﹂ ﹁内うちのやつもどうかしたかも知れない。﹂ 途中で乗った円タクを硝子屋の店先へつけさせ、裏口から二階へ駈かけ上あがって、貸間の襖ふすまを明けかけると、中にはいつの間まにか夜具が敷いてあって、後うし向ろむきに寐ねているお千代の髪が見えた。重吉も玉子も、自動車か何かで怪け我がをしたものと思込んで、覚えず大きな声で、 ﹁お千代、どうした。﹂ この声にお千代は睡ねむりから目をさまし、﹁お帰んなさい。﹂ ﹁どうかしたのか。﹂と重吉は立ったままである。 ﹁千代子さん。しばらく……。﹂と重吉の後に玉子も立っている。 ﹁あら、玉ちゃん。一緒……。﹂とお千代の方ほうでも不思議そうな顔をしながら起きかける。 ﹁どうもしたんじゃないのか。﹂ ﹁どうもしないッて、どうしたの。﹂とお千代は重吉の様子にいよいよ不審そうに眼を見張った。 ﹁でも、まア、よかったわ。御無事で……。﹂と玉子は初て気がついたらしくコートをぬぎかける。 ﹁あら。おかしいわね。﹂ ﹁おかしいどころか。心配したぜ。昨きの日うの昼間出たっきり電話もかけないからさ。﹂ ﹁あら、電話は女中さんに頼んだのよ。じゃア忘れてかけてくれなかったのよ。すみません。﹂ ﹁荒木の婆さんが死にそうなんだ。﹂ ﹁わたし、あの時は実に怖こわかったわ。顔がこんなよ。﹂と手て真ま似ねをして、玉子が一いち伍ぶし一じゅ什うを委くわしく話した。 ﹁今夜ほど、妙な晩はない。お前は怪け我がでもしたんだろうと心配するし、尋ねて行った先は大病で唸うなっているし……。﹂と重吉は疲れたようにごろりと横になった。 ﹁ほんとに妙なことがあるものね。わたしの方も昨夜は実に困ったことがあったのよ。滑こっ稽けいな事なのよ。だけどあんな可お笑かしなことは、しようたって出来ないわ。﹂ ﹁何なんだ。独りで笑っていたって、わからない。﹂ ﹁だって、考え出すと、あんまり滑稽で、話ができないわ。お客をまちがえてしまったのさ。わたしも随分そそッかしいと思って自分ながら呆あきれてしまったわ。﹂ ﹁いやだわ。千代子さん。﹂ ﹁それが時のはずみだから仕様がないのよ。昨日芳よし沢ざわ旅館の帰かえ道りみちだわ。新しん橋ばしのガードの下であるお客様に逢あったのよ。御ごは飯んにさそわれて、銀座の裏通のおでん屋へ行ったから、帰りにデパートへ連つれ込こんで何か買ってもらおうと思ってさ。二人でぶらぶら銀座を歩いたのよ。丁度人の出さかる時分だから松屋の前なんぞは押されたり、突当ったりされて歩けないくらいだったわ。立止って店みせ飾かざりの人形を見ていると、酔ッ払った学生がわざと突当りそうにしたんで、わたしは少し側わきへ寄る。その中うちに男の方ほうが二ふた歩あし三みあ歩し先になって、夜店の前に立たち留どまったから、わたしも立留ったのよ。人が大勢たかっていて、何なんにも見えないから、だんだん押分けて見ていると、後うしろからいやに押す人があるから、何の気なしに振返って見ると、わたしのお客は人を置去りにして向むこうの方へ歩いて行くんじゃないの。急いで追付いて手を引張ったけれど、また押返されて、くッついたり離れたりして四、五け間ん歩いて行ったのよ。少し人のすいた処へ来たから、ぴったりくッついて、あなたと言って横顔を見ると、どうでしょう。違った人じゃないの。帽子も二にじ重ゅう廻まわしも背せか恰っこ好うも後から見るとまるで同じなんだけれど、違った人なのさ。わたし、あんまり気まりがわるいんで、失礼とも何とも言えないで、真まっ赤かになって唯ただお辞じ儀ぎをしたわ。すると、その男の人は笑いながらわたしの手を握って、﹁もう歩いてもつまらないから、円タクで行きましょう。﹂と道みち端ばたにいる円タクを呼んで、まるで自分の女見たようにわたしを載せて行こうとするのよ。運転手は戸をあけて待っているし、人通りの込こんでいる中だし、愚ぐ図ず々ぐ々ず言い合うのもかえって見っともないと思って、一緒に円タクに乗ってしまったのさ。浜はま町ちょうまで五ごじ拾っせ銭んだと言って、それから男の人はわたしの耳に口を寄せて、﹁あなた、毎晩銀座を歩くのか﹂ッていうのさ。わたしのことを街スト娼リートだと思ったのよ。別に申もう訳しわけするにも及ばないから、だまって向うの言うようにしていたのさ。﹂ ﹁お前もなかなか敏はし捷っこくなったよ。話はそれから先が聞きものだ。﹂と重吉は笑う。玉子も傍から、 ﹁どこへ連れられて行ったの。﹂と水を向けたが、その時階し下たの時計の鳴る音がしはじめたので、自分の腕時計を見ながら、 ﹁あら、もう十二時。そろそろおいとましなくッちゃ。﹂ ﹁いいじゃないの。泊っておいでよ。彼氏のおのろけも聞きたいしサ。﹂ ﹁あれはもう駄目。今日すっかり兄にいさんにお話したのよ。﹂ ﹁そう。別れたの。﹂ ﹁ええ。﹂と玉子が話をしはじめようとした時、今度は電話の鈴がそれを遮さえぎった。お千代は十二時前後になって電話のかかって来るのは、表二階の女給さんと自分のところより外ほかにはないことを知っているので、急いで降りて行き、すぐに立戻って来て、 ﹁玉ちゃん、わたし今夜はもうつかれているから、あなた、出る気があるなら代りに出てくれない? それなら、そういう風に返事をするから。築つき地じのお茶屋で、いい家なのよ。﹂と指先の暗号で何やら数字を示した。 ﹁ええ。いいわ。﹂と玉子は頷うな付ずいて、﹁おとまりね。﹂ ﹁でしょう。だからコレ。﹂とお千代はまた暗号で念を押した後のち、電話の返事をしにと下へ降りて行った。十
あくる朝お千代はとにかく一度荒木のおばさんの様子を見て来ようと言って、病院へ出掛けて行った。重吉は昼頃まで寐ねるつもりで再び夜具の中へ這は入いって、うとうとしたかと思うと、襖ふすまの外からお千代の名を呼ぶ女の声を聞きつけた。玉子が昨ゆう夜べの出先から帰かえ途りみちに立寄ったものと思って、 ﹁お這は入いり。今病院へ行ったよ。﹂と言いながら襖のあく方へ寐返りして見ると玉子ではなくて、髪を流行おくれの束そく髪はつに結った三十前後の女中らしい女である。見た顔ではあるが重吉は誰だとも思い出せない。女はずかずかと枕まく元らもとまで歩み寄り、立ったままで、いきなり、 ﹁大変なの。﹂と言った。この様子と語調とで重吉はすぐに万事を察したらしく、 ﹁そう。わざわざありがとう。﹂と言いながら飛起きると共に壁にかけた着物を取り、﹁どちら様でしたね。つい……。﹂ ﹁芳沢旅館です。唯たった今お上かみさんがつれて行かれたんですよ。それから帳場にもう一人の刑事さんが張込んでおきみさんを外へ出さないようにしているんです。帳場に方ほう々ぼうの電話番号の書いた紙があるんですよ。それを見られると、皆さんが迷惑すると思ってね。わたしは丁度憚はばかりに入っていたから、外へ逃げ出したんだけれど、一いっ銭せんも持っていないから、自働電話をかける事も出来ないんでしょう。お千代さんとこはこの間金こん毘ぴ羅らさまの帰りに表まで一緒に来ましたから。それでお知らせしに来ましたの。﹂ ﹁ここの家の電話じゃまずい。やッぱり自働になさい。一円立替えます。﹂と重吉は袂たもとから小こぜ銭にを出す。 ﹁じゃ、暫しばらくお借りします。﹂ ﹁いずれまた電話で。﹂と重吉は女中と共に梯はし子ごだ段んを降りると、直すぐ様さま慶応義塾病院に電話をかけ、お千代を呼出して、﹁家へは帰って来てはいけない﹂と言って暗あんにその意を含ふくませ、二階へ上ってから手早く鏡台や何かの引出しをあけて手紙や請うけ取とり書しょなどの有無を調べ、押おし入いれからトランクと行こう李りと手てさ提げか革ば包んを引ずり出した後、外へ駈かけ出だし、円タクを二台呼んで来て、夜具を始めとして積まれるだけの物を積み込ませた。家やぬ主しの硝ガラ子ス屋やへは出放題の事を言って、間まだ代いの残りも奇麗に払い、重吉は荷物の半分を新しん橋ばし駅えきの手荷物預り処に預け、夜具と手提革包を載せた自動車に乗って浅あさ草くさ千せん足ぞく町まち一丁目の藤田という荒物屋をたずねた。松竹座の前を真まっ直すぐに南みな千みせ住んじゅへ出る新しん開かいの大通りである。この荒物屋はお千代の妹の嫁に行った先で、兼かねてよりお千代は万一の場合隠れ場所にするつもりで既に重吉をも紹介して置いたのである。 夜具と手提革包を預けてから、重吉はすぐさま貸間をさがしにその辺を歩き廻って、午ひる頃ごろ帰って来た時始めてお千代と落合った。 荒木のおばさんはお千代が見舞に行ってから三十分ばかりたって息を引取ったという。しかし二人はこの場合落ちついて死んだ人の話などしている暇がない。天どんを誂あつらえて昼飯をすますが否や、二人は別々に貸間を捜さがし歩くことにして、その日の夕方荒物屋に帰って来た時、お千代の方ほうは大おお鳥とり神社の筋すじ向むかいの横町に米屋の二階をさがし当て、重吉の方は浅あさ草くさ芝しば崎ざき町ちょうの天てん岳がく院いんに日にち輪りん寺じという大きな寺のあるあたり、重おもに素しも人た屋やのつづいた横町に洗濯屋の二階を捜した。いずれも店に電話があるが、米屋の方は朝鮮人の運転手が二人同居している。洗濯屋の方はお妾めかけさんばかりだというので、二人はこの方へ早速夜具と革包とを運んだ。 ﹁お千代、どうしたもんだな。鏡台に、火鉢に、それから机と茶棚が残してあるんだが、今夜おそくならない中うちに、様子をききながら取りに行こうかと思っているんだ。﹂ ﹁そっと電話できいてからにおしなさいよ。警察から人が来たか、どうだか……。﹂ ﹁今まで来なければまず大丈夫だな。﹂ ﹁そうとも限らないわよ。去年玉ちゃんのやられた時なんざ二日たってから呼出しが来たんだっていうから。﹂ ﹁みんな一度はやられているらしいな。土つかずは服はっ部とりのおしゅんさんとお前くらいなもんだというじゃないか。﹂ ﹁税金だと思やァ仕方がないけれど、誰しもあんな処へは行きたくないからね。また当分名前を変えましょうよ。﹂ ﹁何という名前にする。﹂ ﹁何でもいいじゃないの。一番初め、偽名した時は橘たちばなだったわね。﹂ ﹁うむ、あれは死んだ種子さんの苗みょ字うじを拝借したのさ。﹂ ﹁もう四、五年になるわね。荒木のおばさんは死んでしまうし、今じゃ、その時分の名前を知っている人はないはずだわ。﹂ ﹁じゃ、偽名は橘にしよう。下の家主さんへもそう言って置くぜ。それからちょっと芝の家へ電話をかけて見よう。﹂重吉は階し下たの電話を借りて、今けさ朝が方たまでいた硝ガラ子ス屋やへ様子を聞きき合あわすと、誰も尋ねて来た人はないとの返事に、やや安心して、二人は連つれ立だって貸間を出た。 横町の片側は日輪寺のトタンの塀であるが、彼かな方たに輝く燈とう火かを目めあ当てに、街の物音の聞える方へと歩いて行くと、じきに松竹座前の大通に出る。田たわ原らま町ちの角に新聞売が鈴を鳴ならしているのを見て、重吉は銅貨をさがし出して、﹃毎まい夕ゆう新聞﹄に﹃国民﹄の夕刊をまけさせた。 ﹁今け朝さの事だから、まだ出ていないかも知れない。﹂と歩きながらまず﹃毎夕﹄をひろげて見て、﹁根ね津づの松岡がやられたんだ。芳沢旅館の事は出ていないが、やッぱりその巻添いだろう。﹂ ﹁女じゃ誰が挙げられたの。﹂ ﹁本ほん郷ごう区く富とみ坂ざか町ちょう、太田てつ。大おお塚つか辻つじ町まち宮原こう。赤あか坂さか区く氷ひか川わま町ち吉岡つゆ……。﹂ ﹁吉岡さんもやられて。あなた。知ってるでしょう。せいのあんまり高くない、洋装した人……。﹂ ﹁うむ。谷たに町まちにいた時分家へ泊ったあれか……。まだ大分いるぜ。﹂と重吉は﹃毎夕﹄をお千代に渡し、自分は﹃国民﹄の方を開いたが、お千代は往来の人目を憚はばかって新聞を畳みながら、 ﹁松岡へ出入するのは安やす玉だまばかりだからね。﹂ ﹁お前、行ったことがあるのか。﹂ ﹁二、三年前のことだわ。客種もぐっと落ちるわね。あすこは。﹂ 広ひろ小こう路じへ曲ると、夜店が出でそ揃ろって人通りも繁しげくなったので、二人はそのまま話をやめて雷かみ門なりもんまで来た。 ﹁お前、これからどうする。行く処があるのか。﹂ ﹁そうね。ちょっと浜はま町ちょうへ行こうかと思ってるのよ。そら、昨ゆう夜べ話をした銀座のお客さ。わたしをストリートだと思って、連れて行ったお客さ。その時今夜来てくれって、約束したから。﹂ ﹁時節柄大丈夫か。﹂ ﹁浜町公園の側そばだし、今までわたしたちの知らない家だから、その心配はないわ。だから、ここのところ、方面を替かえるにもいいし、十二月早そう々そう引ひっ越こし貧びん乏ぼうもしたくないからね……。﹂ 円タクに乗って、重吉が芝しば桜さく川らが町わちょうへ行く途中、お千代は明治座の前あたりでおろしてもらった。 広い道を横よこ断ぎって、お千代は竈へっ河つい岸がしの方へ曲る細い横町の五、六軒目、深ふか草くさという灯あかりを出した家の格子戸を明けると、顔を見覚えていた女中が取次に出て、﹁今し方がた御電話で、すぐにお見えになりますッて。先へお出でになったら待っていて下さいッて。電話がかかりました。﹂と言いながら、一おと昨と日いの晩ばん通した同じ座敷へお千代を案内した。十一
女中が茶と共に﹃報知新聞﹄の夕刊と﹃都みやこ新聞﹄とを置いて行った。お千代はまず﹃都﹄の方をひろげて松岡と芳沢旅館との記事を捜したが出ていないので、﹃報知﹄を見たがこれには錦きん州しゅうと天てん津しんの戦報ばかりで、女の読むようなものはない。コートのかくしに﹃毎夕新聞﹄のあったことを思出して、一字一句も読みおとさないようにその記事を黙読した後、つかまった女たち十二、三人の住所姓名に眼を移したが、ふとその中に深沢とみ︵十九︶という名があるのを見て、お千代は小こく首びを傾かたむけ、それから瞼まぶたを軽く閉じ、指を折って年を数えた。 深沢というのはお千代の苗字と同じである。とみという名は、お千代が十八の時生んだ私生児の名たみに似て、唯ただ一字ちがうだけである。また括かっ弧この中にしるされた十九という年齢を数えて見ると、大正二年の夏に生んだ児この年と同じである。深沢とみ︵十九︶と紙上にその名を晒さらされたのは自分の生んだおたみであるのかも知れないと、お千代はいわれなくそう思ったのである。 お千代が娘のおたみを養女にやったのは、今から十四、五年前、雑貨商の妻になると間まもなく、別ればなしの起りはじめた頃ころであった。養女にやった先は女おん髪なか結みゆいの家であったが、その後は全く音いん信しん不ふつ通うなので、娘が身の成行きは知られようはずがない。お千代は新聞紙上のおとみが、どうやら理いわ由れなく娘のおたみであるような気がする。そして自分と同じ日ひか蔭げの身だという事を考えると、慚ざん愧きの念よりも唯むやみに懐なつかしい心持がし出して、その顔が見たく、そして話がして見たくてならないような心持になった。大通の方から号外売の叫ぶ声が聞え、どこか近くの家からは賑にぎやかな人声が聞える。茶ぶ台の上に肱ひじをついて、ぼんやり思おもいに沈んでいたお千代はやがて梯はし子ごだ段んを上って来る人の跫あし音おとと女中の声とを聞きつけ、大切そうに﹃毎夕新聞﹄をたたんだ。 ﹁お見えになりました。﹂という女中の声と共に襖ふすまがあくと、いきみ出したような声で笑いながら、一昨夜のお客が座敷へ這は入いるが否や、﹁大分待ったかね。﹂といいさま、女中の見る前もかまわず、二にじ重ゅう廻まわしの間から毛むくじゃらの太い腕を出してお千代を引寄せて頬ほお摺ずりをした。年は五十も大分越したらしく、てらてらに禿はげた頭には耳の上から後うしろの方に白髪が残っているばかりであるが、肩幅の広い身から体だはがっしりして、鼻と口との目立って大きな赤ら顔は油ぎって、禿げた頭と同じようにてらてら輝ひかっている。この老人は杉村といって銀座西何丁目に宏こう大だいなビルジングを持っている羅ラシ紗ャ屋やの主人である。いずこの花かり柳ゅう界かいやカフェーにも必かならず一人や二人女たちの噂うわさに上る好こう色しょくの老ろう爺やがあるが、しかしこの羅紗屋の主人ほど一見して能よくその典型に嵌はまったお客も少ないであろう。二、三十年間あらゆる階級の売ばい女じょに狎なれ親しみ、取る年につれて並大抵の遊び方では満足しなくなって、絶えず変った新しい刺しげ※き﹇#﹁卓+戈﹂、U+39B8、281-8﹈を求めていた。その折から偶然銀座の人ひと中なかでお千代に袂たもとを引かれ、これが噂に聞く街がい娼しょうだと思った処から、日頃の渇望を一時に癒いやし得たような心持になったのである。 ﹁湯はわいているか。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁それから向むこうの座敷を暖あたたかにして置け。ストーブを焚たけ。頼むぜ。﹂といいながら早くも座敷の中で帯を解くので、女中はあわてて、 ﹁唯今お寝ねま衣きを持って参ります。﹂と廊下へかけ出る。 ﹁そんなものは入いらない。﹂と毛だらけの胸の上に小こが柄らのお千代を抱き寄せながら、﹁一緒に這は入いろうよ。なア。﹂ お千代は馴なれたことなので、別に驚きもせず言うなり次第に風ふ呂ろ場ばへ連れられて行った。後あとから女中が二人の浴ゆか衣たを持って行き、それから狭い座敷の仕度をして電気煖だん炉ろの火をつけ、やや暫しばらくして他の客を案内しようと再び風呂場の戸をあけかけると、今だに二人の話声がしているので、その長湯に驚き跫あし音おとを忍ばせて立去った。お千代は日頃自分に対して優しくしてくれるものは家うちの重吉ばかりでなく、お客の中にもそういう人は珍らしくはない。それ故、たまたま醜悪な男に出会って、常識を脱した行動を受けて見るのも、満まん更ざら興味のないことではなかった。嫌悪と憤ふん懣まんの情を忍ぶことから、ここに一種痛烈な快感の生ずる事を経験して、時にはその快感を追求しようというほどにもなっていた。それに加えて、その夜お千代は杉村を金のあるお客と見て、少しまとまった金の無心をしようという下した心ごころから、その歓心を得るためには何事を忍んでも差さし閊つかえはないという心になっていた。お千代は自分の娘らしく思われた女を留置場から貰もら下いさげる費用もほしい。また年頃の経験から素しろ人うとにかかるお客はいかに厚こう遇ぐうしても、三度以上来るものは少く、大抵二度にきまっている事をよく知っていたので、無心をいうなら、いずれにしても今夜あたりが潮しお時どきだと思ったのである。 お千代の計画は予想の以上にその功を奏した。杉村はいかほど遊び歩いていても、己おのれの独断には疑うたがいを挟はさまない、極めて粗雑な考えの人なので、お千代がその夜の態度を見て、簡単にこれほどの女は世間をさがしても容易には得られまい。一昨日の晩銀座通で自分の袖そでを引いたのも商売気ばかりではないらしいと勝手に断定を下すと共に、当分自分の持物にして置きたい気になった。唯恐るるところは付いている男がありはしないか。それも陰にかくれているのなら大した事はないが、進んで脅迫がましい事でもするような男がいないとも限らないという事だけである。名前や商売を知られない中うちに、まず女の気を引いて見るに如しくはないと思って、 ﹁いいさ。それ位のことなら、御歳暮の代りだ。今夜あげるがね。それはそれとして、お前、おれの世話になる気はないか。家を持たせてやるが、承知しないか。野暮なことは言わんよ。そうむやみに自由を束縛するようなことはせんよ。﹂ ﹁結構ですわ。そうなれば。﹂お千代の返事はあまり気乗りがしていないように聞えた。 ﹁承知したのか。そんなら事は早い方がいい。おれは思立つと、愚図々々していられない性分だからな。明日にでも早速家をさがさないか。﹂ ﹁ええ。﹂ ﹁どこでもいいんだ。京橋か日にほ本んば橋しの中うちならおれには一番便利なんだ。ここの家へ電話でそう言ってくれれば、おれの方ではいつでもいい、見付け次第借りてしまうよ。﹂ ﹁じゃ、早速さがして見ます。﹂ ﹁お前、おッかさんか誰かいるのか。﹂ ﹁今のところ、一緒にはいません。﹂ ﹁兄にいさんも叔父もなしか。ははははは。そんな事はまアどうでもいい。﹂ ﹁あら。何もありゃしません。あればこんな事してはいません。﹂ ﹁おれはお前を信用するよ。身元調べは面白くないからな。﹂ ﹁こう見えても、わたし案外正直なんですよ。御迷惑になるようなことはしません。﹂ ﹁だから、初ッから信用しているというんだ。今夜また泊るか。どうする。﹂ ﹁どっちでも構いませんけれど、明日の朝早く用があるんです。お墓参りに行きますから……。﹂ お千代は金が手に入ったとなると、一刻も早く娘らしく思われる女の消息が知りたくてならないのであった。幸さいわいにも十二時近くになって銀座の方に火事があったので、杉村は急に帰かえ仕りじ度たくをした。十二
いつも退屈で困っていた重吉は、その夜お千代から相談をかけられて話をきめると、俄にわかに用事が多くなって、身から体だが二つあっても足りないような心持になった。用事の第一はお千代の身を禿はげ頭あたまの囲かこ者いものにするためには、急に家を捜さがして、今日引越したばかりの貸間を引上げる事、それと共に妾しょ宅うたくの最も寄よりに自分の身を隠すべき貸間をも同時に捜さねばならぬ事である。また一ツは松岡という老ろう婆ばと女たちの大勢拘留せられた警察署へ往いって、深沢という女が果してお千代の娘であるか否かを確めた後貰もら下いさげの手続をする事である。 妾宅の方は新聞の広告で思ったよりはたやすく捜すことが出来たが、他の用事はなかなか面倒で即座には運びがつかない。重吉が警察署へ出頭した時には深沢という女は既に放免せられた後であった。しかしその女の原籍から推察してお千代の私生児である事だけは確められたものの、それと共に不審の生じたのは、養女にやったものの籍が、その後書かき替かえられていないと見えて、今もって出生の時のままお千代の児こになっているらしい事であった。重吉は深沢が拘留せられた時の住所を尋ねて、本人に会おうとしたが、放免の後行先を言わずに貸間を引払ったというので、更に松岡という媒介業の老婆の放免せられるのを待ってその家をたずねたが、やはり徒む労だであった。やむことをえず、最初養女に貰受けた人の所在を尋たず出ねだそうと試みたが、これさえ今は年月を過ぎて不明になっている。 その年はいつにも増して一層あわただしく暮れたような心持で、お千代は八はっ丁ちょ堀うぼりの妾宅に、重吉は僅わずか二、三町ちょうはなれた新しん富とみ町ちょうの貸間に新年を迎え、間もなく二月ぢかくになったが、尋ねる人の行ゆく衛えは一向にわからなかった。 重吉は檀だん那なの杉村が来る時刻を見計らって、きわどい時まで妾宅に臥ね起おきをしている。表の格子戸の明く音と共に裏口から姿を消し、夜の十二時頃に戻って来て、二階の裏窓に火ほか影げが映っていればこれは杉村が泊るという合図なので、そのまま自分の貸間に帰るのである。明あくる日表の格子戸を覗のぞいて、下げた駄ば箱この上に載せた万お年も青との鉢が後うし向ろむきにしてあれば、これは誰もいないという合図なので、大びらに這は入いるが、そうでない時はそっと通り過ぎてしまう。まるでむかしの人情本にでもありそうな密みっ夫ぷの行動が、重吉には久しく馴なれた夫婦同どう棲せいの生活とは変って、また別種の新しい刺しげ※き﹇#﹁卓+戈﹂、U+39B8、286-13﹈と興味とを催させるのであった。 或ある夜よ重吉はもう来ないと思った檀那の杉村が突然格こう子し戸どを明ける音に、びっくりして裏口から逃出すと、外は寒い風が吹いている。しかし八丁堀の通には夜店が出ていて人通りも賑にぎやかなので、知らず知らず歩いて桜さく橋らばしまで来ると、堀割の彼かな方たに銀座の火影が遠く空一帯を彩いろどっている。また知らず知らず京橋まで来ると燃えるような燈とう火かと押返すような人通りの間から、蓄音機の軍歌と号外売の声とが風につれて近くなったり遠くなったりして、雑ざっ沓とうする夜の街の心持を一層きびしくさせている。橋を渡りながら、重吉は上シャ海ンハイ事変の号外よりも、お千代が初めて銀座通で頭の禿はげた杉村の袖そでを引いた時のことを想像した。つづいて杉村の醜い容貌と、お千代がさしてこれを厭いとう様子もなく歓かん遇ぐうしているありさまとを思おも浮いうかべ、女の性情ほど変なものはないと思った。重吉はこの年月仲間の女や媒介業の老婆などの陰口を聞いて、お千代がお客に好かれる訳わけ合あいを能よく知っていたのであるが、しかしそれは要するに噂うわさに聞くばかりの事で、直接お客の面か貌おを見知った後お千代のこれに対する様子をはっきり窺うかがい見る事を得たのは今度始めて妾宅へ引移ってからの事であった。しかし重吉はなさけないとも、口惜しいとも、また浅間しいとも思わない。唯そんな事を考えて、沈ちん欝うつな重くるしい心持になって、ふらりふらりと夜の町をさまよい、暗いカフェーの店口から白おし粉ろいを塗った女の顔や、洋装した女の足の見えたりするを窺い、あるいは手を引合って歩く男女に尾行してその私ささ語やきを偸ぬすみ聞きする事を悦よろこぶのであった。 薄暗い河かし岸どお通りから人通の少い裏通へ曲ると、薬屋の窓まどに並べてあるものが目についたまま立たち留どまって見ていた時、重吉は身近に立寄る女があるのに心づいて振返って見ると、それは桜川町の硝子屋の二階にいた頃、表の部屋をかりていた伊東春子という女給である。 ﹁あら、中島さん。お久ぶりねえ。﹂ ﹁やはりあすこにおいでですか。﹂ ﹁いいえ。歌か舞ぶ伎き座ざの裏の方へ越しました。あなたは何ど処こ。﹂ ﹁新富町です。﹂ ﹁千代子さん。お変りもありません。﹂ ﹁すこし都合があって、別になっています。﹂ ﹁あら。ほんと。﹂ ﹁時たま別になった方がいいんですよ。﹂ ﹁あの時分は随分聞かされましたからね。﹂ ﹁お互さまでしたろう。﹂ ﹁中島さん。お願いがあるのよ。あの、写した本、もうないこと。﹂ ﹁今、持っていませんが、二、三日中でよければ写して上げます。﹂ ﹁じゃお願いするわ。こんどの店は服はっ部とり時計店の裏通りでカルメンというのよ。﹂ ﹁尾おわ張りち町ょうの裏ですね。﹂と重吉は聞き直した。夜も九時頃なのに、尾張町のカフェーにいる女がぶらぶら京橋近くを歩いている理由がわからなかったのである。 ﹁こっちから行けば左側で、小さい店だけれど直すぐわかりますよ。﹂ ﹁これから、お出掛けなんですか。﹂ ﹁不景気だから、苦しまぎれにいろいろな事を考えるのよ。店が暇になると、ぶらぶら出掛けてお客を引くのよ。カフェーもこうなっちゃアおしまいだわね。﹂ ﹁ああ、なるほど……。﹂重吉は再び去年お千代の為なした事を思返し、銀座を徘はい徊かいする女にはいろいろ種類があることを知った。﹁店へ引張って行くんですか。それとも……。﹂ ﹁中には大胆なのもあるわよ。﹂ その時向むこうから歩いて来る断髪洋装の女が、春子の友達と見えて、﹁今あすこの横町でルンペンが仁義をやっていたわ。銀座といっても広う御ござ在います。はははは。﹂ ﹁また御機嫌だね。﹂ ﹁一口に銀座といっても広う御在ます……。﹂ 重吉はその女の顔を見ると、二、三年前麻あざ布ぶ谷たに町まちに間借りをしていた頃、お千代をたずねて来て一晩泊って行った吉岡つゆという女で、去年十二月の初め﹃毎夕新聞﹄にその名を晒さらされた連中の一人である。女の方ほうでもそれと心付いたが春子の前を憚はばかって、何ともいわず、唯それとなく目めい色ろで会えし釈ゃくをした。 重吉は去年の一件からこの女が深沢の消息を知っていないとも限らないと思いついて、﹁お店はカルメンですか。春子さんと御一緒……。﹂ ﹁ええ。﹂とつゆ子はもじもじしている。春子は側そばから、 ﹁この方かた中島さんと仰おっ有しゃるのよ。去年同じ二階にいたのよ。﹂ ﹁あら、そう。わたしつゆ子ッていいます。﹂ 歩いて行く中、春子が二、三歩先になった隙すきを窺って、重吉はつゆ子の側そばに寄り、﹁深沢とみ子ッていうのを知りませんか。松岡の一件で……。﹂ ﹁知ってます。﹂ ﹁今いる処……。﹂ ﹁ええ。﹂ 折好く春子が行きちがう三、四人連づれの酔漢を呼留め、﹁彼氏、お茶でも飲みに行きません。﹂ 重吉はこの隙ひまにお千代の住所を委くわしくつゆ子に教えた。十三
お千代が娘のおたみを京橋区新しん栄えい町ちょうの女おん髪なか結みゆいの許もとにやったのは大正六年の秋、海つな嘯みの余波が深夜築つき地じから木こび挽きち町ょう辺へんまで押寄せた頃ころで、その時おたみは五ツになっていた。
女髪結の出でい入りさ先きに塚山さんといって、もと柳やな橋ぎばしの芸げい者しゃであったお妾おめかけさんがあった。近処の縁日でおたみが髪結に手を引かれているのを見てから、お妾さんはおたみをかわいがって、浅あさ草くさなどへお参りに行く時はきっと連れて行き、いろいろなものを買ってやった。
二、三年の後のち、久しく寡やも婦めでくらしていた女髪結に若い入にゅ夫うふができた。この入夫が子供嫌いでややもすればおたみを虐待するようになった。塚山のお妾さんはその家におたみを引取り小学校へ通わせていたが、とかくする中、女髪結は浮うわ気きな亭主の跡を追って、夜よに逃げ同様にどこへか姿をかくしてしまったので、行きどころのないおたみはそのまま塚山さんの妾しょ宅うたくに養われてその娘のようになってしまった。
小学校もいつか卒業間まぎ際わになった時、同級の生徒の持っていた蟇がま口ぐちが紛失した。確たしかな証拠はなかったが、おたみの様子が怪おかしいということになって、学校の注意書が妾宅へ送られた。お妾さんはびっくりしてその処置を檀だん那なに相談すると、檀那は﹁構わないから家で遊ばして置け。﹂と言った。
この塚山という人はその父から譲ゆず受りうけた或ある電気工場の持主であったが、普通選挙の実施せられるより以前、労働問題の日に日に切迫して来るのを予想し、早く工場を売ばい卻きゃくして、現代社会の紛ふん擾じょうからその身を遠ざけ、骨こっ董とうの鑑賞と読書とに独善の生涯を送っていたのである。
震災の年おたみは十一になった。丁度小学校をよして裁縫のけいこに通かよっていた時である。お妾さんは日ひ比び谷や公園の避難先から直すぐ様さま渋しぶ谷やへ家を借りたが、おたみは裁縫をならいに家を出たまま帰って来なかった。月日は四年を過ぎて、昭和二年の春お妾さんが丹たん毒どくで死のうという間まぎ際わに至っても、その生死は依然として不明であった。
然しかるに次の年の春、塚山が芸者をつれて箱根へ遊びに行った時、同じ旅館の隣りん室しつに泊っていた六十あまりの老夫婦が、おたみの稚おさ顔ながおによく似た少女をつれているのを見て、様子をきくと、果してその少女は年十六になったおたみであった。
老夫婦はもと箱はこ崎ざき町ちょうにいた金貸で、罹災の当日、逃げ迷った道すがら、おたみを助け、その郷里の桐きり生ゅうに往いって年を越し、東京に帰って来てから、引取る人の尋ねて来るのを待つ間、娘も同様におたみを養育していたというのであった。
塚山はおたみをかわいがっていたお妾が病死した後、今では引取る人のない事を告げ、若いく干らかの金をも与えた上、この後も身の上の事については相談に与あずかってやろうといって別れた。
半年あまりを過ぎて、或日塚山は新潟まで行く用事があって、汽車に乗った時、再びおたみと金貸の老人とに邂かい逅こうした。老人は箱根から帰った後間まもなく老妻を失い、話相手におたみをつれて伊い香か保ほの温泉に行くのだという。塚山は老人の話をききながら、何心なくおたみの様子を見ると、わずか半年あまりの間に、殆ほとんど見違えるように、すっかり大人らしくなっているのを怪しまずにはいられなかった。おたみの姿態と容よう貌ぼうとは、そのどこやらに、年を秘かくしている半はん玉ぎょくなどによく見られるような、早熟な色めいた表情が認められたからである。
塚山は六十歳を越した金貸と、十六、七になったおたみとの関係をいろいろに想像して、その真相を捜さぐりたいと思いながら、その機会がなくてまた半年ばかりを過した時、こん度は突然おたみの手紙に接した。
おたみは某処のダンサーになっていた。そして遠慮なく塚山に金の無心を言って寄よ越こしたのである。
その後二年ばかり塚山はおたみの消息を知らなかったが、偶然﹃毎夕新聞﹄の記事からその拘留せられた事を知り弁護士を頼んで放免の手続をしてやったのである。
﹁あの娘は盗癖があるかと思っていたが幸さいわいにそうではないらしい。万まん引びきや掏す摸りになられては厄介だが、あのくらいのところで運命が定まればまずいい方ほうだろう。順当に行ったところで半玉から芸者になるべき運命の下もとに生れた女だから。﹂
塚山は弁護士と共にこんな事を語かた合りあって笑ったのである。
塚山は孤児に等しいおたみの身の上に対して同情はしているが、しかし進んでこれを訓戒したり教導したりする心はなく、むしろ冷静な興味を以てその変化に富んだ生涯を傍観するだけである。塚山はその性情と、またその哲学観とから、人生に対して極端な絶望を感じているので、おたみが正しい職業について、あるいは貧苦に陥り、あるいはまた成功して虚栄の念に齷あく齪せくするよりも、溝どぶ川がわを流れる芥あくたのような、無むち知ほう放ら埒つな生活を送っている方が、かえってその人には幸福であるのかも知れない。道徳的干渉をなすよりも、唯些さし少ょうの金銭を与えて折々の災難を救ってやるのが最もよくその人を理解した方法であると考えていたのである。
或日塚山はおたみの手紙を受取った。小説のような長い手紙である。
わたくしは一生逢あうことができないだろうと思っていたわたくしのほんとうの母に会いました。わたくしはこの事をあなた様に申上げなければならない義務があると思ってこの手紙を差上げます。どうして、どういう事から、ほんとうの母に逢あったかということは、まるで、わたくしばかりでなく、母とそれからその愛人との秘密を暴露することになるのですから、あなた様の外ほかには誰にも言うことができません。わたくしの母は久しい以前からわたくしと同じような生活をしていたのです。ある時にはわたくしと母とは同じ家に泊った事さえあったはずなのですが、わたくしたちはお互たがいにそれを知らずにいたのです。わたくしは母とは知らずに仲間のものから年とし増まの橘たちばな千代子さんという女の噂うわさを幾度も聞いたことさえありました。︵橘千代子というのは母の偽名なのです。︶またわたくしの友達のつゆ子という女が二、三年前、母が麻あざ布ぶの谷たに町まちにいた時分、雨にふられて一晩その家に泊ったことさえあったのです。それだのにわたくしたちはお互に出会う機会もなく、またお互に知り合う機会もなかったのです。東京は実にひろいところだと思いました。
二、三日前につゆ子さんが突然たずねて来て、是非わたくしに逢いたいという人があるが逢ってくれるかどうかというのです。つゆ子さんは去年の暮わたくしたちと一緒に罰金を取られてから、今では銀座四丁目裏のカルメンというバアに働いています。わたくしはつゆ子さんのはなしを聞いてびっくりしました。ほんとうの母がわたくしと同じようなことをしている女だと知った時、わたくしは悲しいと思うよりも、嬉うれしいといっては変ですが、何だか親しみのあるような心持がしたのです。そのためか、わたくしは母がわたくしを人の家へ養女にやってから、今日まで永い年月の間わたくしを尋ねずにいた事を思い出しても、その時には母の無情を怨うらむような気が起って来なかったのです。母がもし立派な家の奥さんにでもなっていたなら、わたくしはかえって母を怨みもしたでしょう。また身の上を恥じて、どれほどに逢いたくても顔を見せる気にはならなかったろうと思います。母の方でもやはりそういう心持がしていたようです。お互に恥かしいと思う心持がその場合遠慮なくわたくしたち二人を引き寄せてくれたのです。
わたくしは急いで八はっ丁ちょ堀うぼりの母の家へ出かけて行きました。母のことは大体友達のつゆ子から聞いていましたから、午後がよかろうと思って、三時頃にたずねたのです。十二、三の小こお女んなが取次に出て、二階へ上って行きました。すると、母は寐ねていたものと見えて、浴ゆか衣たの寝ねま衣きの前を合せながら降りて来て、
﹁さア、お上んなさい。よく尋ねて来てくれたねえ。﹂
わたくしは何と言っていいのか、胸が一ぱいになってそのままだまって下座敷の茶の間まらしい処へ通りました。母は羽織をきてくるからといって二階へ上って行ったまま暫しばらくしても降りて来ませんから、お客でも来ているのかと気がついて、また出直して来ようかと思っていると、梯はし子ごだ段んに跫あし音おとがします。一人ではなく二人の跫あし音おとらしいと耳をすます間もなく、唐から紙かみがあいて、
﹁あら布ふと団んもしかないで。さア。﹂と母は長火鉢の向むこうに坐りすぐ茶を入れようとします。わたしは﹁お久ひさしぶり﹂とも言えず、何といって挨あい拶さつしていいのかちょっと言う言葉に困って、
﹁おいそがしいの。﹂といいました。よく仲間同士で挨拶のかわりに使う言葉です。ここでこんな事をいうのは、後で考えると実に滑こっ稽けいです。母はそれを何と聞いたのか、別に気まりのわるい顔もせず、
﹁お客じゃないの。紹介しなければならない人だから。﹂
﹁母かあさんの彼かれ氏し……。﹂
その時四十前後の男の人が唐紙の間から顔を出して、
﹁いらッしゃい。去年の暮から随分方々をたずねたんですよ。知れない時はいくら尋ねても知れないもんです。﹂と言いながら母のそばに坐りました。わたくしは友達のつゆ子から聞いて名前まで知っていましたから、改めて挨拶もせず、
﹁つい近処にいながら、不思議ですねえ。﹂といって笑いました。
﹁つゆ子さんとは始しょ終っちゅう一緒でしたか。﹂と彼氏がききます。わたくしは初め新しん宿じゅくのホールでつゆ子と友達になり同じ貸間にいた事や、それから同じ時につかまってダンサアの許可証を取り上げられて、市内ではどこのホールにも出られなくなったので、五ごた反ん田だの円宿のマスターに紹介してもらって、この方面へ転じたはなしをしました。
母はわたくしに名前を変かえるとか、何とか方法を考えて、もう一度ダンサアになるか。それともつゆ子さんのように女給さんになった方ほうが安全ではないかと言います。わたくしはダンサアも初めの中は面白いけれど、それが商売になって、すこし飽あきてくると、労働が激しい上に、時間で身体を縛られるのがいやだから、二度なる気はない。また女給さんもつゆ子の通っているような店は、往来へ出て見ず知らずの人を引ひっ張ぱるのだから、万一の事を思えば、危険なことは同じだと言って、その事情をくわしく説明しました。
母はわたくしに貸間の代を倹約するために母の家に同居したらばといい、それから、もう暫くここの家にいて、貯金ができたら、将来はどこか家賃の安い処で連つれ込こみ茶ぢゃ屋やでもはじめるつもりだといいます。すると彼氏が、貯金はもう二千円以上になったと側そばから言い添えました。
わたくしは今まで行末のことなんか一度も考えたことがありませんから、弐に千円貯金があると言われた時、実によくかせいだものだと、覚えず母の顔を見ました。母は十八でわたくしを生んだのですからもう三十七になります。それだのに髪も濃いし、肉づきもいいし、だらしなく着物をきている様子は二十七、八の年とし増まざかりのように見えます。外へ出る時はもっと若くなると思います。わたしがホールにいた時分にも、やはりお金をためて貸家をたてたダンサアがいましたが、その人よりも母の方がなお若く見えます。ダンサアで貸家をたてた人は、みんなの噂では少し低能で、男のいうことは何でもOKで、そして道楽はお金をためるより外ほかに何もない人だと言うはなしでした。母もやはりそういう種類の女ではないかと思われます。一ひと目め見ても決してわるい人でない事がわかります。若く見えてきれいですが、どこか締しまりのないところがあります。人の噂もせず世間話も何もない人のようです。こういう人が一いっ心しんになってお金をためると、おそろしいものです。
わたくしは母がわたくしの父になる人を今でも知っているのかどうか尋ねて見たいと、心の中では思っていたのですが、その日は話の糸口がなかったのと、またわたくしも初めから父というもののあることを知らずに育って、一度もそういう話を聞いた事がないので、さほどに父を恋しいとしたう心がありません。それ故その時は初めて逢った母に対して強しいて父の事をきいて見ようという気にもならずにいたのです。わたくしが懐なつかしいと思うのは見たことのない男親よりも、わたくしを育ててくれた船ふな堀ぼりのおばアさんです。おばアさんが死んだのはわたくしが三ツか四ツの時分でしたから、その顔もおぼえてはいません。しかし夜たった一人で真まっ暗くらなところにいて、一つ処をじいっと見詰めていたり、また眠られない晩など、つかれて、うつらうつらとしている時などには、どうかすると、おばアさんの姿と、川のある田舎の景色がぼんやり見えるような心持のする事が時々あります。それは幻とでもいうのでしょう。懐しいといえばそれは震災前新しん栄えい町ちょうにいらしったおばさんとそしてあなた様の事です。わたくしの一生涯で一番幸福だったのはこの前も手紙で申上げましたように、それは新栄町のお家にいた時です。おばさんに手をひかれて明あか石しち町ょうの河か岸しをあるいて蟹かにを取って遊んだことは一生忘れません。わたくしの一番幸福な思出は二ツとも水の流れているところです。そして懐しいと思う人はお二人ともおなくなりになりました。
わたくしは暫く母のところに同居することにいたしました。また変ったことがありましたら、お知らせをいたします。ではさようなら。
一九三二、二、十六日。 たみこ