仮寐の夢

永井荷風




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 ()()()()()()()()()()()※(「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93)()()()()()()便()()()()()()()()()()()()()西()()()()()椿()()()()()()()()
わたくしがまだ焼かれずに麻布の家にいた時であるからこの記事に少からず興を催したのである。
○東京市内から西洋人の姿の追々おいおいまれになって行ったのは、日露戦役の頃からであろう。官省会社等に顧問として雇われていた西洋人は大方おおかた任を解かれるようになった。西洋人の教を待たなくとも日本人だけで差閊さしつかえはないというようになったのだ。日本人のこの得意と慢心とが四十年ののち今日の失敗を招いたのではあるまいか。それはともかく、今日より以後近き将来において、吾々は再び内地雑居の頃に似たような時勢の光景に接するのであろう。すばらしい最新式の自動車を走らせるものはこれ洋客。国内形勝の地に宏壮こうそう楼閣ろうかくを築いて夜宴やえんを張るものはまたこれ洋客といったような光景を見るのであろう。むかし市中の寄席に英人ブラックの講談が毎夜聴衆をよろこばしたことがあった。倫理学者デニング先生の講義は江戸児えどっこ流の巻舌まきじたと滞りなき日本語とによって聴客を驚かせた。これから先の世の中にもそれに似たような事が続々として現われずにはいないであろう。
(昭和廿一年四月廿五日稿)

〔一九五四(昭和二九)年二月『裸体』〕






底本:「21世紀の日本人へ 永井荷風」晶文社
   1999(平成11)年1月30日初版
底本の親本:「荷風全集 第十七卷」岩波書店
   1964(昭和39)年7月13日第1刷発行
初出:「新生 第二卷第七號」
   1946(昭和21)年7月
※誤植を疑った箇所を、親本の表記にそって、あらためました。
入力:入江幹夫
校正:noriko saito
2023年3月13日作成
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