渡鳥いつかへる

軽演劇一幕四場

永井荷風




街娼鈴代 (年十九)
アパートのおかみさん (年三十)
艶歌師福井 (年廿五、六)
艶歌師松田 (年三十)
ヤクザ斎藤 (年廿五、六)
医師武田先生 (年五十四、五)
おでんや (年五十四)
私服刑事一人
電車従業員二人
酔漢一人
女巡査二人



第一場


()()()()()廿()
刑事 オイ一寸ちょっと待て。
ト呼止める。斎藤聞えぬふりにて上手へ行きかける。
刑事 オイ待て。貴様、斎藤だろう。
ト後から組みつく。斎藤振りほどき刑事の急処をつき上手へ駈入る。刑事起直り、
刑事 この野郎。待て。
トよろめきながら追掛けて上手に入る。

舞台暗転。


第二場


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おでんや 三百七拾円になります。
 
おでんや ヘエ参拾円のおつり。毎度ありがとう御ざい。
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職工 姐さん。ちょいとねえさん。
ト呼びかける。鈴代一寸振返り知らぬ顔にて下手へ行きかける。
職工 一人歩きは危険だぜ。送ってッてやろう。
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鈴代 何するんだよ。このひたア。
ト突きとばす。職工よろけて倒れる。鈴代おでん屋の灯を見てかけ寄り、
鈴代 おじさんおじさん。
職工 よくも人を突飛ばしたな。承知しねえぞ。
おでんや 店の邪魔だ。止しなさい。
職工 この野郎。承知しねえぞ。
ト立ちかかって見たがおでん屋の姿に、
職工 この野郎。この野郎。
ト呼びながら下手へ入る。
おでんや 馬鹿野郎。おとといお出でだ。
 
おでんや アイヨ。今夜アいつもより早かないか。
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おでんや 今夜はこの辺も馬鹿にしずかだよ。景気のわるい晩はどこも同じだと見えるな。
鈴代 お天気も毎日毎日はっきりしないわね。
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ト茶を捨る。この前より第一場の斎藤下手より出でそっとあたりの様子を窺い上手へ行きかけ、鈴代の捨てる茶をズボンに掛けられ、
斎藤 おい、気をつけろ。
鈴代 アラ、御免なさい。
ト二人顔を見合せ、
斎藤 鈴坊すうぼうじゃねえか。
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鈴代 にいさん。気をつけてね。
斎藤 お前も身体からだ大事にしなよ。あんまり丈夫な方じゃねえからな。
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斎藤 何だ。何か用か。
 
ト鈴代緑色の外套をぬいで男に着せ頭巾ずきんかぶせてやる。
 
鈴代 まだそう寒かないから。そんな事心配しないでもいいよ。
斎藤 すまねえな。じゃ借りて行こう。
 
斎藤 じゃ、あばよ。
鈴代 気をつけてね。
ト男の後姿を見送っている。下手より艶歌師二人(福井松田)手風琴ギタラを弾き「湯の町エレジイ」か何かを唄いながら出る。
福井 ※(歌記号、1-3-28)伊豆の山々月あはく
あかりにむせぶ湯のけむり
あゝ初恋の
君をたづねて今宵また
ギターつまびく旅の鳥
トおでんやの店先に立寄り、
福井 おじさん。今晩。
おでんや 今晩。お前さん達も大分早いね。
 
鈴代 アラ何のお礼なの。
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松田 遠慮しないでよ。食べたくなければ一杯どうだい。
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福井 どんな事だい。
鈴代 わたし、兄さん達の御仲間になって見たいと思っていたんだけど。わたしでもできるか知ら。
福井 何だと思ったら。おいら達の仲間入をして門附かどづけになろうッて言うのか。
 
 ()()()()()
松田 そうとも。女が入ればどんな晩でもあふれる心配はねえよ。
 
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鈴代 ※(歌記号、1-3-28)染めるルージユも誰故に。





福井 いい声だ。申分なしだ。
松田 流しながら出かけよう。
鈴代 アラ。今夜からもう始めるの。
松田 善は急げさ。
ト三人つづいて次の一節を合唱しながら下手に入る。
三人 ※(歌記号、1-3-28)はなれ/″\の淋しさに
いつか迷うた恋の道……。
おでんや オイ忘れもの。会計だよ。
ト追いかけて下手に入る。

舞台暗転。


第三場


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鈴代 にいさん。もう何時。
 
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鈴代 あら、そう。(ト起直り)わたしお湯へ行ってくるわ。
 
松田 お湯ばっかりじゃない。商売もすっかりよくなるまで休んだ方がいいぜ。
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福井 そんなに淋しかったのか。じゃ今夜は二人ともお付合つきあいに休もうよ。
 
福井 そうか。そんなら今のうち行っておいで。
ト鈴代ズボンに毛糸のシャツを着て行こうとする。
福井 寒いといけない。上衣か何か引掛けておいで。
鈴代 いいわよ。すぐそこだもの。
福井 心配だから。着ておいでと言うのに。
ト無理に着せかけ親切に後から襟を直してやる。鈴代石鹸タオルを持ち下手に入る。
福井 我儘わがまま言うほど女はかわいくなるもんだ。(ト思入あって)しかし、松田、君どう思っている。
松田 何だ。
 
 
 
松田 弱いどころか、馬鹿に達者だって、お前よろこんでたくせに。
 
松田 一度お医者に見せたらどうだ。直ぐそこに武井さんというお医者がいるじゃないか。
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トアパート管理人のかみさん(年三十位、厚化粧。色っぽい女。)下手より出で、
お神 あした七日分お米の配給があるよ。ちょいと印を押して下さい。
福井 松ちゃん。印はたしかあの箱の中に入ってるよ。
お神 どこへ行くの。
 
お神 武井先生かい。あの先生なら気軽ないい先生だから、すぐ来てくれるよ。
ト福井下手に入る。お神さんにわかに色ッぽい様子になり、
お神 松田さん。あの人あたしが来たんで、気をきかして出て行ったんじゃないかい。
松田 それだって構わないじゃないか。お神さんとおれの事はいくら隠そうと思っても福井には隠しきれないよ。
 
松田 そんなに御亭主の事が気になるなら、一層今の中止したらどうだい。
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松田 お神さんはどうだ。若い燕なしで居られるつもりかい。
お神 だから、こうして昼間でもちょいちょいあんたの顔を見に来るんじゃないか。みんなが帰って来ない中だよ。
松田 じゃ物干へ上ろう。
お神 今日は向の十号室が空いているよ。あすこで、ゆっくり。
松田 そうか。それじゃうぐいすの谷渡りでも、達磨だるまのでんぐり返しでも何でも出来るね。
ト二人おかし味の仕草よろしく下手に入る。福井下手奥より出で、
 
ト室の中に入りそこらを片づけている。鈴代鼻唄をうたいながら下手より出る。
 
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 鹿
 
福井 じゃ一所に出かけるとしよう。
鈴代 わたし夜になるとあかりのついたにぎやかな処へ行きたくなって、我慢ができないのよ。
ト毛糸のシャツをぬぎ化粧にかかる。福井その後姿を眺めながら、
 
 
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鈴代 じゃ見てもらいます。
トやはり化粧をしている。五十年配の医者武井革包かばんをさげ下手より出る。
武井 福井さん。こちらかね。
福井 おいそがしいとこ。ありがとう御在ございます。
 
鈴代 ええ。
武井 寝てから咳漱せきがでますか。
 
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トシュミーズをもぬがせ聴診器にて胸から背中を診察する中容易ならぬ病気だという思入おもいいれ
武井 いつごろ結婚しました。
鈴代 あの、ついこのあいだ……。
武井 じゃ新婚ですな。
福井 まだ、やっと半年はんとしです。
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福井 はァ、そんなに疲労していますか。
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福井 はい。後程のちほど取りに参ります。
ト医者を送りながら共に下手に入る。鈴代外出の支度をする。松田シャツのボタンを掛けながら下手奥より出で、
 
 
 ()()()()()宿
鈴代 あら。三亀松みきまつはだしだわ。
松田 おいらん。それじゃアつれなかろうぜ。
ト福井心配そうな様子にて下手より出る。
 
 
鈴代 どんな話。
 
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福井 鈴代。わるく思っちゃいけないよ。
鈴代 にいさん。わたしの事忘れないでね。
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福井 いいとも。今夜はお前の気のすむように流して歩こう。
鈴代 嬉しいわ。兄さん。
 
福井 さア出かけよう。
ト福井と松田そっと涙を啜り楽器を取上げる。

舞台暗転。


第四場


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松田 鈴坊がいてくれるとわけはねえんだが、男ばっかりじゃ始末がつかねえ。アいたい。
ト針をさした指をなめる。
 
ト茶棚の上に置いてある女の写真を手に取り小声に唄いながら眺めている。アパートのお神さん下手より出で、
 
 
 
お神 もうかれこれ一ト月になるかね。まだよくならないのかね。
福井 しばらく便たよりがないから、心配しているんだ。
お神 そうかい。今日は電燈料だけ貰って置こう。
福井 そうしてくれると助かるよ。いくら。
お神 一燈、百二十円。
ト福井より金を受取りそっと松田に色目を使い下手に入る。
福井 おらアもう門附かどづけもいやになった。
 
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松田 一本なしだ。火鉢の中の吹殻すいがらでも探すがいい。
ト煙草の空箱を投捨てる。下手より第一場の斎藤(見にくからぬ服装)ボストンバッグを提げて出で、
斎藤 鳥渡ちょっとうかがいます。八号室はどこでしょう。
松田 八号室はここですが。何か御用で。
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福井 その外套。
斎藤 彼女にそれをお見せになれば、私のこともみんな分りますから。
福井 そうですか。お名前は何と仰有おっしゃるんです。
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ト下手に入る。
 
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トこのとき雨の音。下手にて女の声。
女の声 雨がふって来ましたよ。洗濯物が濡れちまいますよ。
別の声 はい。ありがとう。
福井 馬鹿に降って来やがった。
ト窓に干した毛布を取入れる。
松田 この降りじゃ今日もまたおやすみか。
 
松田 大丈夫。
ト一升罎からコップに酒をついで飲む。
 
ト下手にて呼ぶ。福井松田下手に行きかける。お神さん鈴代を抱くようにしてたすけながら、
お神 しっかりおし。
 
 
ト三人して鈴代を室の中に入れてねかす。
お神 濡れたもの着せといちゃいけない。おぬぎよ。
ト上衣をぬがせ、斎藤の置いて行った外套を掛ける。鈴代つぶった眼をひらき、
鈴代 あら、このマント。
 
鈴代 あ、そう。じゃあの晩、うまく逃げられたんだわ。
福井 お前のおかげで助かったと、そう言っていたぜ。
ト鈴代何とも言わずまた眼をつぶる。皆々心配そうに眺めている。鈴代福井の手を探って握り、
 
福井 すこし静にしてお休みよ。
松田 お医者呼んで来よう。
 
福井 うむ。アノ……
松田 夜毎の溜息。そうだろう。

(昭和廿五年五月稿)






底本:「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」岩波文庫、岩波書店
   2019(令和元)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「荷風全集 第二十巻」岩波書店
   2010(平成22)年11月25日第2刷発行
初出:「オール読物 第五巻第六号」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年6月1日発行
入力:入江幹夫
校正:noriko saito
2022年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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