奥州における御館藤原氏

喜田貞吉





 


 
 


 


 藤原秀衡は清衡の孫で、祖父以来今の陸中の主要部分たる胆沢・和賀・江刺・稗貫・紫波・岩手の六郡を領し、さらに南に出でて磐井郡の平泉に根拠を構え、砂金その他の豊富なる国産によって豪奢を極め、直接音信を京師に通じて院宮・権門・勢家に贈賄し、その威はよく国司を圧迫して、国司もこれをいかんともすることが出来ず、隠然一敵国の観をなしたのであった。されば心あるの士はこれを憤慨し、彼らは王地を押領するものとして、これを近づけるを欲しなかった。その史料は断片ながら多少は存している。『古事談』に、
 使

 ※(「てへん+晉」、第3水準1-84-87)
 殿()使
とある。彼の黄金の力はよく御室御所をまでも煩わして、方便を廻らして忠通の額を手に入れんとしたのであったが、それが基衡の依頼であることを知るに及んで強いてこれを取り返し、いかに秘計をめぐらすもついにこれに応じなかったというところに、忠通の剛直が窺われるとともに、基衡がやはり父清衡と同じく王地を押領する者として、心ある公家から指弾されていた趣を察することが出来よう。
 基衡がいかに横暴を極めていたかの有様は、やはりこれも『古事談』に、
 使
使
 鹿
 駿()()使
漿使
 
庄名    本年貢                 増徴年貢
高鞍庄  金十両、布二百反、細布十反、馬二疋   金五十両、布千段、馬三疋
大曾禰庄 布二百反、馬二疋            布七百反、馬二疋
本良庄  金十両、馬二疋、預所分金五両、馬一疋  金五十両、布二百反、馬四疋
屋代庄  布百反、漆一斗、馬二疋         布二百反、漆二斗、馬三疋
遊佐庄  金五両、鷲羽三尻、馬一疋        金十両、鷲羽十尻、馬二疋
 一躍二倍ないし五倍に引き上げんとしたもので、近ごろ強慾な家主が借家人を馬鹿にして、無法な値上げを命ずるよりもいっそうはなはだしいものであった。基衡もとよりこれに応じない。人を代えて折衝の結果、基衡もいくらかの増徴を諾したのであったが、その内幕について面白い記事が頼長の日記、仁平三年九月十四日条に見える。
 
 鹿
 殿耀
 奥州夷狄秀平、任鎮守府将軍。乱世之基也。

 
 
と。いわゆるその先日の議定なるものは同月六日の条に、
 
 

 

 
とある。しかもまた十七日条には、
 
西殿寿
 退


 


 
秀郷―千常―文脩┬文行―公光―公清―秀清―康清―則清(西行)
        └兼光―正頼―経清―清衡┬基衡―秀衡―泰衡
                    └忠継┬継信
                       └忠信
西西
 ()()
 調()宿
 婿
 
 
 西殿西西辿
 便

 西
※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)殿
十月廿四日
前因幡守
出羽留守所
 


 


 ()()()()()耀
 
 
 西寿調
 
 

 
 
 
 忿
 
 
 使※(「(女/女)+干」、第4水準2-5-51)

 駿
 調


 


 西退
 西
 西鹿
 鹿退
 使





  
   1980555251
 
   1922116




Juki
2013414
2014727

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