法隆寺再建非再建論の回顧

喜田貞吉





 


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 当初余輩が関野・平子両君の非再建論に対して駁論を発表した際にあっては、ただこれを論破せんとする事にのみ急にして、勿論深く研究を重ねる程の余裕もなく、またそれをなすだけの素養もなかったのであった。ことにこれらの諸論文の発表は、もともと小杉先生のお顔を立てたいと云うのが主なる目的であり、むしろ助太刀くらいの意味を以て着手したものであったが為に、一時は昂奮の余り甚だ過激なる論法をもあえてしたとは云え、畢竟余輩にとっては一つの余技たるに過ぎず、したがってその後は平城京その他の諸問題の研究に没頭して、法隆寺問題の方は自ずから等閑に附せらるるを免れなかったが、それでも時に前説に対する補遺の意味を以て、多少の意見を発表した場合もないではなかった。ことにその後小野玄妙君、会津八一君、その他の人々から、時に異説の発表があり、また法隆寺そのものについても少からざる新発見があったが為に、これに促されてしばしば所見を発表した事もまた少くなかった。古くは大正三年七月奈良において、日本歴史地理学会の夏期講演会を開催するや、余輩は「奈良朝寺院史」を担当して、談たまたまこれに及んだが如き、次いで翌大正四年八月の歴史地理に、「法隆寺の古建築は果して推古式か」の一文を、越えて昭和二年六月の史学雑誌には、「法隆寺の最近調査の結果につきて」を、また同六年一月発行の夢殿には、「斑鳩宮と斑鳩寺に関する雑考」を、また同八年七月の歴史地理には、「法隆寺五重塔に関する幾多の疑問」を、それぞれ発表したが如きみなこれである。近くは本年一月の東北帝大文科会発行文化の誌上において、「其の後の法隆寺に関する諸問題」と題して、主として会津八一君の新研究に対して所見を開陳した事であった。その他教壇における講義、及び折に触れたる講話等によって、新研究を発表した場合もあり、かつては史学会の例会において、当の関野博士と立会講演を行った事もあった。かくて研究は次第に精緻の域に達した事を信じているが、これらはいずれもその後の学界の進歩に促されて起ったもので、これによって前説の不備を補い、またその誤りを正した場合も少くなかった。今その中の主なるものを箇条書にして、余輩の法隆寺問題に関するその後の推移を記録しておきたい。

一、法隆寺の今の堂塔は、必ずしも旧建築物の敷地に復興せられたのではなかろうという事。
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二、出土古瓦の問題。
  
三、今の金堂の礎石中には旧礎石を再用せるものの存する事。
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四、今の金堂の間取りは当初のものと異なるべき事。
  西西西
  西()西西西殿西
  殿西
  本項はかつて本誌所載「斑鳩宮及び斑鳩寺に関する雑考」中にその大要を述べたところであるが、今、さらに再建非再建論問題の回顧を完うし、兼ねて前説の不備を補うの意味において繰り返す事とした。
五、五重塔心柱礎の問題。
  
  
六、尺度の問題。
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底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社
   2008(平成20)年1月30日初版発行
初出:「夢殿叢書 第二冊」
   1934(昭和9)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、以下の個所を除いて大振りにつくっています。
「爾後数ヶ月間は甲論乙駁」
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年6月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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