たぶん五六年前のことと覚えてゐる。私の歌の友だちの栗原潔子さんが小野小町の墓を訪ねる歌を十首ばかりの連作にして、どこかの雑誌に出したことがある。作者が何かの用事で栗橋の近くまで行つたとき、むかし小町が都にも住みきれず落ちぶれきつてみちのくへ行く旅の途中、その辺の路傍に死んでしまつたのを、里びとがそこに葬つたという言伝へがあるのださうで、それは嘘かほんとか、あるひは別人の墓であるかもしれないと断つて、その歌を詠んだのであつた。歌もうつくしかつたが、﹁小町の墓﹂に私は深い興味をひかれた。小町は京の貴族の家に生れた貴婦人ではなかつた。みちのくに育つたわかい娘の、たぐひない才色を見出されて采うね女めとして都に召され、宮廷に仕へるやうになつた才媛であつた。采うね女めといへば、後宮の官女、諸国の郡司の女などの才色すぐれたる者を貢せしめたと書いてある。だから彼女は紳士の令嬢であつたのだらう。そして一世に名をうたはれたその美しい人がどんなに疲れやつれて、どんな姿で旅をしたらうなどと考へてみた。乱れた髪を長く垂らし灰色のきものを着て杖をついてゐる小町のさすらひの姿は、何かの画でも見てゐるけれど、お面めんのやうな端麗な顔の女性が杖をもつて野原を歩いてゆく時、彼女は何か小さい荷物を持つてゐたかしら、などと考へてみた。 先年の戦争中、私たちみんなの小さい疎開荷物には、紙、櫛、石けん、手拭、肌着、足袋、白米五合、マツチぐらゐな物が入つてゐた。小町が小さい荷物を持つてゐたとしても、櫛、紙、香料の袋、肌着ぐらゐな物しか考へられない。都を出て遠路を歩いてくるうちに、お金をすつかり使ひ果してゐたらうと思はれる。花やかだつた彼女の過去をつつんだ凡ての美しい物、歌と社交と恋愛と、その他もろもろの好い物は旅立つ日にみんな捨てたのである。彼女の心はその時もう死んでしまつたに違ひない。その他もろもろといふ言葉は近ごろ﹁二十の扉﹂でたびたび聞かされる。 ふるさとのみちのくへ行く途中で死んだ彼女とは逆に、私たちは未知の明日に向つてみんなが旅立つて行きつつある。その旅の小さい荷物の中には何が入れられるのだらう? まづ主食ではない、夜具布団でも着物でもない。私たちの一ばん欲しい物、買ひたいもの、それはおのおの違つたもので、必需品以外に、生活のうるほひとなる小さな物や大きなもの、その他もろもろであらう。疎開荷物に入れられた物や、むかしの小町の小さい包に入れられた物ではない、それ以外のもろもろの好ましい物。 四五人が寄つてお茶を飲みながら、みんなが欲しいものを言つた。虎屋の羊かんを五六ぽんとある人が小さい願ひを言つた。毛皮の外套と若い人が言つた。匂ひのいい石けん、といふ人もゐた。ラツキイを十箱ぐらゐでがまんするといふのもゐた。それはみんなが持つてゐる夢で、多少なりともその幾分は充され得る夢である。 小さい荷物もあるかなしに枯野をあるく昔の女とは違つて、私たちの毎日には何かしら好い香り、うつくしい色け、豊かな味、そんなものの少しづつでも与へられる時代となつた。それは﹁暮しの手帖﹂に書き入れられるもろもろの好い物であると言つてもよろしい。衣食足つてと言つた昔の人のゆめにも知らない今日のわれわれの生活はとぼしく裸であるけれど、その中にも出来るだけの知慧をしぼつて、夢と現実とを入れまぜたもろもろの好い物を見出してゆきたい。