少将滋幹の母

谷崎潤一郎






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そうこうするうち、その年の夏も過ぎ、秋も暮れて、平中へいじゅうの家のまがきに咲いた菊の花も色香がうつろう季節になった。
此の古今に名をせた色好みの男は、人間の花を愛したばかりでなく、植物の花をもいつくしむ心を持っていて、わけても菊を栽培することが相当上手じょうずであったらしい。「又此の男の家には、前栽せんざい好みて造りければ、面白き菊などいとあまたぞ植ゑたりける」とある平中日記の一段には、或る月の美しい夜に、平中の留守をうかゞって女たちがひそかに菊の花を見物に来、たけの高い花の茎に歌をいつけて帰ることなどが記されているが、大和物語にも、仁和寺にんなじの宇多上皇―――亭子院ていしいんみかどが平中をお召しになって、「御前に菊を植えたいと思うので、よい菊を献上するように」と云う仰せがあったことを記している。その時院は、平中がかしこまって退出するのをお呼び止めなされて、「その献上の菊の花には歌を添えて参れ。そうでなければ受け取らないぞ」と仰せになったので、平中はひとしお畏まって退き下り、我がの庭に咲き誇っている菊の中からすぐれた数株を選び取って、それに歌を添えて差上げた。古今集巻五秋歌の下に、「仁和寺にんなじに菊の花めしける時に、歌そへて奉れと仰せられければよみて奉りける」と云う詞書の附いているのが即ちそれである。―――
秋をおきて時こそありけれ菊の花
うつろふからに色のまされば
()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()調

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殿

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※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)
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寿()()歿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()

春の野に緑にはえるさねかづら
わが君実きみざねとたのむいかにぞ
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殿()




()()()()()()※(「てへん+晉」、第3水準1-84-87)()()()()()()()()()()()()()()()
()使()
みよを経てふりたるおきなつえつきて
花のありかを見るよしもがな
平中の返し、
たまぼこに君し来寄らば浅茅生あさぢふ
まじれる菊の香はまさりなむ
これはいつ頃のことであったか明かでないが、或は平中は、自分が此の翁の秘蔵の花を手折たおったことを考えて、いくらか皮肉にそんな贈物をしたのであろうか。



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綿

寿
綿


()使綿()()()()()()()()()()()使使()()()()()()()()()()()
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綿
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調

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()()使()
我がかど
とさんかうさんる男
よしこさるらしや
よしこさるらしや
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()鹿
待乳山まつちやま
待つらん人を
行きてはや
あはれ
行きてはや見ん
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殿


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殿
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()殿()()


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()()()()()※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)()()()()()()
()殿

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()()()()辿()()()()()()()()()()

()()姿()
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物をこそいはねの松の岩つゝじ
いはねばこそあれ恋しきものを
と、走り書きをして、小さく畳んで、不意に何処からか左大臣の車の側に現れ、下襲の尻を簾の中へ押し込むのと一緒に、人知れずそれを北の方の袖の下へし入れたのであった。



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辿()()
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鹿()()()
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時平公はすべておごれる人にておはしけるにや、御をぢの国経大納言のしつ在原棟梁ありわらむねやなの女なりけるを、たばかりとりて我が北の方にし給ひけり、敦忠卿の母なり、国経卿歎き給ひけれども、世のきこえにはゞかりてちから及ばざりけり
思ひ出づるときはの山の岩つゝじ
いはねばこそあれ恋しきものを
此の歌は、国経卿そのころよみ給ひけるとぞ
調()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()西()()()()()()
昔せしわがかねごとの悲しきは
いかに契りし名残なごりなるらん
と云う歌が載っているのは、その何よりの證拠であるが、この歌のあとに又、「返し、読人しらず」として次のような歌が見えるのは注目に値いする。―――
うつゝにて誰ちぎりけん定めなき
夢路にまよふ我は我かは
()()()()()()()殿西()()()()()()()

ゆくすゑの宿世すくせも知らず我がむかし
契りしことはおもほゆや君
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()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()
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()()()()尿()()()()()()()()※(「木+覊」の「馬」に代えて「月」、第4水準2-15-85)()()()()()()()()
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姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)()()()()
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退()()()()()()()()()()()()()()()()歿()()歿歿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()廿歿()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
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西四条のさきの斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くるあしたさかきの枝につけてさしおかせ侍りける
伊勢の海の千尋ちひろの浜に拾ふとも
今は何てふかひかあるべき
又、小野宮左大臣実頼の女子で、彼が「みくしげ殿の別当」と呼んでいる人を、久しく恋いわたりながらなか/\逢うことが出来ないので、或る年の師走しわす晦日つごもりに、
もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに
今年もけふに果てぬとか聞く
と書いて送ったが、父の左大臣が事情をぎつけていよ/\逢わせないようにしたので、又次のように書いて送った。
いかにしてかく思ふてふことをだに
人づてならで君に語らん
季縄すえなわの少将の女子の右近うこんと云う人とも、此の女がまだ宮中に奉公をしていた頃に云い交したことがあったが、後に宮仕えを止めて里へ帰ってからは、ふっつり訪ねても来ないようになったので、女の方から、
忘れじと頼めし人はありときく
いひしことの葉いづちいにけん
と云ってやると、矢張何とも返事はしないで、雉子きじを贈ってよこしたので、女が重ねて云ってやった。―――
栗駒の山に朝たつ雉子よりも
かりにあはじと思ひしものを
此の外に、長男の助信の母に当る人で、参議源等みなもとのひとしの女子もいるが、なお敦忠集に、「はじめの北の方」と呼ばれている女や、「すけまさの母君」と呼ばれている女が見えるのは、前記の女たちの中の人々か別の人々かよく分らない。「すけまさ」と云うのは二男の佐理のことであるが、これはあの行成こうぜい道風とうふうと並び称せられた能書家の佐理とは違う。敦忠集に依ると、佐理の母は佐理を生んで死去したので、子は小母のところに預けられて、「あづま」と云う幼名で呼ばれていたが、あづまが二つになった時に敦忠がその子を見に行って、たいそう泣いて、下のような歌を詠んだ。―――
むつごともまだいひ出でゞ別れにし
人のかたみはあづまなりけり




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()()()()()()()()()()()()()()()()()()()歿
しげもとの少将に、女、
恋しさに死ぬる命を思ひいでゝ
とふ人あらばなしとこたへよ
少将かへし
からにだに我きたりてへ露の身の
消えばともにと契りおきてき
と云うのが見え、後撰集巻十一恋三の部に、藤原滋幹として、
宵に女にあひて必ず後にあはんとちかごとをたてさせてあしたにつかはしける
千早振ちはやぶる神ひきかけて誓ひてし
こともゆゝしくあらがふなゆめ
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失うて庭の前の雪となり
飛んで海の上の風に
九霄きうせうまさともを得たるなるべし
三夜ろうに帰らず
声はみどりの雲の外に
影はあきらけき月の中に沈む
郡斎ぐんさいこれより後は
たれか白頭の翁に伴はん
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我念ふ所の人あり
隔たりて遠き/\さとにあり
我感ずる所の事あり
結ぼれて深き/\はらわたにあり
郷は遠くしてくことを得ざれども
日としてあふぎ望まざることなし
膓は深くして解くことを得ざれども
ゆふべとして思ひはからざることなし
いはんや此の残燈の夜に
ひとり宿りて空堂にあるをや
秋のそら殊に未だけず
風と雨と正に蒼々さうさう
頭陀づだの法を学ばざれば
前よりの心いづくんぞ忘るけん
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()()()()()()()()()※(「さんずい+帝」、第4水準2-78-80)164-6便()()()()尿()()()※(「口+敢」、第3水準1-15-19)()()()()()
()()()()()()()()()()()※(「やまいだれ+於」の「冬−夂」に代えて「冫」、第3水準1-88-48)()※(「口+敢」、第3水準1-15-19)()()()()()()
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()()()姿()()()西()()()()()()()()()()()()()
西()()()()西
音羽川せき入れて落す滝つせに
人のこゝろの見えもするかな
()()()()()()()()()()()()()西()()()
宿西()()()()()()()西
西()()()()
おちたぎつ滝の水上みなかみ年つもり
老いにけらしな黒きすぢなし
()沿辿()()()()()()()()()()()()西()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()湿()()()()()()()()
()()()()沿()()()()()()()()()()()()()()()()
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()()()()綿()()()()()()()()()
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殿

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底本:「少将滋幹の母」中公文庫、中央公論新社
   2006(平成18)年3月25日初版発行
底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第十六巻」中央公論社
   1982(昭和57)年8月25日
初出:「毎日新聞」毎日新聞社
   1949(昭和24)年11月16日〜1950(昭和25)年2月
※表題は底本では、「少将滋幹しげもとの母」となっています。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年2月28日作成
2017年4月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「さんずい+(融−虫)」    164-6


●図書カード