狂言『食道楽』

北大路魯山人




登場人物 大名 目 鼻 口 手 心 耳


 

    ただいま、食事も了ったれば、まず、ゆるりといたそう。ヤレヤレ、ヤットやなあ、どうやらねむうなってきたわ。腹八分目と、ことわざにいえば、きょうとても、八分目でひかえたにかかわらずこのようにねむいは、いかなこと、目があかぬわ、グータラグーグーグータラ」


舞台、暗転

目 「これは、目でござりまする」
鼻 「まかり出でたるは、鼻でござる」
口 「このものは口でござりまする」
耳 「わらわは耳でありつるぞ」
胃 「これは胃袋でござる」
手 「われこそは手にござりまする」
心 「まかり出でたるは、心でござりまする」
目 「よいぐあいに、うちの大名は、いねむりをいたしております」
鼻 「この間に、そっとぬけ出してまいってござる」
口 「さあさあかたがた、ゆっくりくつろいで語ろうではござりませぬか」
耳 「されば、輪になって、みなのもの、坐りや」
一同「かしこまってござる。かしこまってござりまする」
胃 「さてこそ、うちの大名が長生きをなさることは、ことの外喜ばしいことではござらぬか」
手 「いかにも」
一同「さようにござりまする」
心 「それというのも、つねづね食べ物に心くばらるるためと存じまする」
 寿
目 「それはまた、一段と思いつきにござりまする」
耳 「しからば、心、そなた、司会をやれ」
心 「かしこまってござる。それなれば、真中にどーんと坐らせていただきとうござります」
耳 「よいよい、うちの大名はすみにおけぬお人じゃによって真中にきやれ」
心 「ハー」
鼻 「さればうちの大名は目から鼻にぬけるお人じゃによって、わたくしは目のそばに行きとうござる」
耳 「よいよい、行きや」
鼻 「ヘーイ」
耳 「さて、うちの大名は大そう口がわるいとの、世の評判じゃにより、口どのは、うしろの方へ、遠慮しや」
 
耳 「いわしておけばええはらのたつたつ。そなたばかりをえばらせておけぬぞえ。口で食べるとは、せんえつしごく……」
口 「それじゃというて、耳で食べられるものでござろうか、なんとなんと」
 
口 「やあ」
 
口 「それならこっちも口きかぬわ」
 
口 「それなら耳で食べてみせるか」
 
耳 「耳すますというて、すますはわらわの天分じゃ」
心 「されば耳すませて、ようおきき遊ばされよ。耳で食べいと口どのはいわるるが、なんと耳で食べることが、できることでござろうか」
耳 「いかにも、たとえいかなる美食といえど、まず第一は、この耳で食べることにてありつるぞ」
鼻 「ヤおもしろしおもしろし、いかなれば耳にて食べると」
一同「仰せでござる」
 
   
 
 
心 「ヤア目で食べると仰せでござるか」
目 「いかにもさようでござりまする」
心 「しからばそのわけをお話しくだされ」
 
   
   
   調調
   と、こう申せばお料理は、まず目で食べるという道理、なんといかがでござりまする」
心 「いや、目にいわれてみればそれもことわり。それにしてもそなた、なんとようしゃべるお方でござるな」
目 「はい、目は口ほどにものをいいと、みな知ることでござります」
鼻 「しばらくしばらく、しばらくしばらく、それがしにも、もの申させてくだされよ」
口 「また誰やらでしゃばってこられたな。おお、お前さまは鼻さん、花よりだんごということがござります。ひっこみなされ」
鼻 「ハナせば分るというものでござる」
心 「おしずかにおしずかに、まずまずお静かに。さて鼻どのには、なんぞ文句がござるか」
 
心 「いかにも、さっそく申されよ」
鼻 「かたじけのうござる。
   姿
 
   大名ねむりつつ、ゆめうつつにいたたたたとハナをおさえる。
耳 「はてはて、そのように争うてはなりませぬぞ」
鼻 「ヤア、大切な鼻をつまむとはなにごと」
目 「どうせそなたは鼻つまみもの」
   と二人あらそう。口々に一同とめる。
 
胃 「いやまて、またれよ。そうはいわせぬ胃袋が、ちゃんとひかえておりまする。
   
   寿
手 「それなら拙者も申さばなるまい。ものを食べるはこの手でござる」
胃 「ヤアヤアその手は」
一同「くわぬくわぬ」
手 「さても桑名の焼蛤、拙者がこうして手で蛤を、もってこっちの手がのびて、つまんで口へ入れるの道理、
  茶わんもつのは左の手、
  はしをもつのは右の手だ、
  茶漬けかきこむ両手の協力。
   
   
大名 「うーむうーむ。
    やあ、ようねむってござる、なにやらしらねど、べちゃべちゃとやかましうさわいでいたが、はて、ゆめかうつつか、うーむうーむ、五体にみなぎるこの力、どれ、やしゃ孫めと[#「やしゃ孫めと」は底本では「しゃしゃ孫めと」]、うでずもうなどして来よう。わっしょい、わっしょい(と足ふみならしつつあゆみ去らんとして)」
――幕――

(昭和二十八年)






底本:「魯山人著作集 第三巻」五月書房
   1980(昭和55)年12月30日
※誤植を疑った箇所を、「魯山人著作集 第三巻」五月書房、1997(平成9)年12月18日新装愛蔵版の表記にそって、あらためました。
入力:江村秀之
校正:栗田美恵子
2020年11月27日作成
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