一
三さぶ郎ろうはどこからか、一ぴきのかわいらしい小こい犬ぬをもらってきました。そして、その小こい犬ぬをかわいがっていました。彼かれはそれにボンという名なをつけて、ボン、ボンと呼よびました。 ボンは人ひと馴なれたやさしい犬いぬで、主しゅ人じんの三さぶ郎ろうにはもとよりよくなつきましたが、まただれでも呼よぶ人ひとがあれば、その人ひとになついたのです。だから、みんなにかわいがられていました。三さぶ郎ろうは朝あさ早はやく起おきてボンを連つれて、空くう気きの新しん鮮せんなうちに外そとを散さん歩ぽするのを楽たのしみとしていました。また、小おが川わに連つれていって、ボンを水みずの中なかに入いれて毛けを洗あらってやったりして、ボンを喜よろこばせるのをも楽たのしみの一つとしているのです。 三さぶ郎ろうは、独ひとり犬いぬばかりでない猫ねこもかわいがりました。また、小こと鳥りや、金きん魚ぎょなどをもかわいがりました。なんでも小ちいさな、自じぶ分んより弱よわい動どう物ぶつを愛あいしたのであります。 三さぶ郎ろうの隣となりに、おばあさんが住すんでいました。そのおばあさんは、一ぴきの猫ねこを飼かっていました。その猫ねこは、よく三さぶ郎ろうの家うちへ遊あそびにきました。くると三さぶ郎ろうは、その猫ねこを抱だいて、顔かおを付つけたり、頭あたまをなでたりしてかわいがってやりました。猫ねこはよくやってきて、三さぶ郎ろうが大だい事じにしておいた金きん魚ぎょを殺ころしたり、またお勝かっ手てにあった魚さかなを取とったりしたことが、たびたびありました。けれど、三さぶ郎ろうは猫ねこをいじめたことがありませんでした。それは猫ねこの性せい質しつだから、しかたがないと思おもったのです。 けれど、そのおばあさんは、いじの悪わるいおばあさんでした。ボンがお勝かっ手てもとへゆくと、なんにもしないのに水みずをかけたり、手てでぶつまねをしたり、あるときは小こい石しを拾ひろって投なげつけたりしました。そして、夜よが明あけると、ばあさんは勝かっ手てもとの戸とを開あけて、外そとに出でると、 ﹁ほんとうにしかたのない犬いぬだ。こんなところに糞ふんをして、あんな犬いぬってありゃしない。﹂ と大おおきな声こえで、さもこちらに聞きこえるようにどなるのであります。 ほんとうにこのおばあさんは、自じぶ分んかってなおばあさんでした。自じぶ分んの家うちの猫ねこが、近きん所じょの家うちへいって魚さかなをくわえてきたのを見みても知しらぬ顔かおをしていました。そんなときは、 ﹁こう、こう、こう、みいや、家うちへ入はいっておいで。﹂ といって、猫ねこを家うちの中なかへ入いれて、戸とを閉しめてしまいます。 三さぶ郎ろうは、かわいがっているボンが、ばあさんのために小こい石しを投なげられたり水みずを頭あたまからかけられたりしてきますと、今こん度ど、ばあさん家とこの猫ねこがきたら、うんといじめてやろうと思おもいました。しかし、猫ねこがやってきますと、いつも三さぶ郎ろうがその猫ねこをかわいがっているものですから、すこしもおそれず、すぐに三さぶ郎ろうのそばに、なきながらすりよってくるのでした。これを見みると、もう三さぶ郎ろうは、その猫ねこをいじめるというような考かんがえがまったくなくなってしまいました。そして、猫ねこの頭あたまをなでて、いつものごとくかわいがってやったのであります。二
ボンは、おとなしい犬いぬでありました。それにかかわらず、この犬いぬを悪わるくいったのは、この隣となりのいじの悪わるいばあさん一ひと人りではなかったのであります。もう一軒けん近きん所じょに、たいへんに犬いぬを怖こわがる子こど供ものある家うちがありました。ほかの子こど供もらは、みな犬いぬといっしょになって遊あそんでいましたのに、その子こど供もだけは、どういうものか臆おく病びょ者うもので、犬いぬを見みると怖こわがっていたのです。そして、ボンが尾おを振ふりながら、なつかしそうにその子こど供ものそばへゆきますと、子こど供もは犬いぬの頭あたまをなでてかわいがろうとせずに、火ひのつくように泣なきたって家うちへ駆かけこむのでありました。 ﹁どうしたんだ。﹂ と、びっくりしてその子こど供もの母はは親おやが家うちから飛とび出だしてきます。すると子こど供もは泣なきじゃくりをしながら、 ﹁犬いぬが追おっかけたんだ。﹂ といいます。母はは親おやはこれを聞きいて、 ﹁ほんとうに悪わるい犬いぬだ。あっちへゆけ。﹂ といって、おとなしくしているボンを棒ぼうでなぐったり、また、ものをぶつけるまねなどをして追おうのです。 ﹁おばさん、犬いぬはなにもしないんですよ。﹂ と、三さぶ郎ろうはじめ他たの子こど供もがいいましても、その子こど供もの母はは親おやは耳みみに入いれません。なんでも犬いぬを悪わるいことにしてしまって、ボンを見みるといじめたのであります。 ボンは隣となりのばあさんと、その弱よわ虫むしの子こど供もの母はは親おやから、さんざん悪わるくいわれました。 ﹁三さぶ郎ろうや、あんなに、ご近きん所じょでやかましくおっしゃるのだから、ボンを、だれかほしいという人ひとがあったら、やったらどうだい。﹂ と、姉あねや祖そ母ぼが、三さぶ郎ろうにいいました。 三さぶ郎ろうはそこで考かんがえました。しかしどう考かんがえてみましても、ボンにすこしの悪わるいとこところがありませんものを、そして自じぶ分んがこんなにかわいがっていますものを、ほかにやらなければならぬという理りゆ由うがないと思おもいました。 ﹁だって犬いぬがなんにもしないのに、犬いぬをしかる道どう理りがない。これは人にん間げんのほうが、かえって悪わるいのじゃありませんか。僕ぼくはいくら近きん所じょでやかましくいったって、犬いぬが悪わるくないのだから、ほかへやるのはかわいそうでなりません。もしほかへやったら、どんなに悲かなしがって泣なくかしれません。﹂ と、三さぶ郎ろうは、姉あねや祖そ母ぼにいいました。 隣となりのばあさんは、犬いぬをしかりながら、自じぶ分んの家うちの猫ねこはひじょうにかわいがっていました。もし夜よな中かに外そとで、猫ねこが猫ねことけんかでもしていますと、ばあさんは起おきて出でて、物もの干ほしざおを持もってきて、猫ねこがけんかをして鳴ないているほうへゆきました。そして、自じぶ分んの家うちの猫ねこに向むかっているほかの猫ねこを突ついたりなぐったりしたのです。 あまりばあさんが自じぶ分んかってのものですから、三さぶ郎ろうはある日ひのこと、隣となりの猫ねこをしばらくの間あいだ隠かくしてやりました。するとばあさんは、きちがいのようになって猫ねこを探さがして歩あるきました。 ﹁チョ、チョ、チョ、みいや。こう、こう、みいや、みいや……。﹂ とわめきながら、四あた辺りを歩あるきまわりました。そして、しまいには一軒けん一軒けん、よその家うちを訪おとずれて、 ﹁家うちの猫ねこはきていませんでしょうか。﹂ と、聞きいて歩あるきました。三さぶ郎ろうは、あまりばあさんが気きをもんでいるのを見みて、はじめはおもしろうございましたが、しまいには不ふび憫んになって、ついに猫ねこを放はなしてやりますと、ばあさんは飛とびたつばかりに猫ねこを抱だきあげて喜よろこんでいました。三
ある日ひの朝あさ、三さぶ郎ろうは起おきて外そとに出でますと、いつも喜よろこんで駆かけ寄よってくるボンが見みえませんでした。彼かれは不ふ思し議ぎに思おもって口くち笛ぶえを鳴ならしてみました。けれど、どこからもボンの走はしってくる姿すがたを見みいださなかったのであります。
﹁ボンはどこへいったろう。﹂
と思おもって、三さぶ郎ろうは口くちにボンの名なを呼よびながら、あっちこっちと探さがして歩あるきました。けれど、ついにその影かげ・形かたちを見みなかったのです。三さぶ郎ろうは隣となりのばあさんが、いつか猫ねこが見みえなかったときに、きちがいのようになって探さがして歩あるいたのを思おもい出だして、あのときは猫ねこを隠かくして悪わるいことをしたと後こう悔かいいたしました。
ちょうどそこへ、隣となりのばあさんがきかかりまして、
﹁こんなに早はやく、なにをしておいでだい。﹂
と、ばあさんは聞ききました。
﹁ボンが見みえなくなったので探さがしています。﹂
と、三さぶ郎ろうがいいますと、ばあさんは、さもうれしそうな顔かおつきをして、
﹁そうかい。もう、家うちの勝かっ手てぐ口ちに糞ふんをしなくて、それはいいあんばいだ。﹂
と、独ひとり言ごとをしてゆきすぎました。また弱よわ虫むしの子こど供もの母はは親おやは、ボンがいなくなったと聞きいて、家うちの外そとに出でて、いい気き味みだといわぬばかりに笑わらっていました。
三さぶ郎ろうは悔くやしくてしかたがありませんでした。しかし、いくらほうぼうを探さがしても、ボンはいなかったのであります。彼かれは、いまごろボンは、どこにどうしているだろうと思おもいました。だれに連つれられていったものか、また路みちを迷まよったものか、あるいは縛しばられていようか、ほかの子こど供もや、大おおきな犬いぬにいじめられていようか、と、いろいろのことを考かんがえて、その夜よは眠ねむられなかったのであります。そして、幾いく日にちか過すぎました。その間あいだ、三さぶ郎ろうは一日にちとしてボンのことを忘わすれた日ひはなかったのです。
それから、またしばらくたったある日ひのことでありました。三さぶ郎ろうが我わが家やから程ほど隔へだたったところを歩あるいていますと、ある大おおきな屋やし敷きがありまして、その門もんの前まえを通とおりますと、門もんの中なかで子こど供もらと犬いぬとが遊あそんでいました。
三さぶ郎ろうはふとのぞきますと、なんで自じぶ分んが一日にちも忘わすれなかったほどにかわいがっていたボンを忘わすれることがありましょう。まさしくその犬いぬはボンでありました。どうして、こんなところにきたろうと不ふし審んに思おもいながら、よく見みていますと、子こど供もらは、たいへんにこの犬いぬをかわいがっていました。三さぶ郎ろうは、しばらく立たってこのようすを見みていましたが、ボンは、いまだ三さぶ郎ろうを見みつけませんでした。そこで三さぶ郎ろうは口くち笛ぶえを鳴ならしました。すると犬いぬは、この口くち笛ぶえを聞ききつけて、急きゅうに飛とび上あがってこっちへ駆かけてきました。そして喜よろこんでクンクン泣ないて三さぶ郎ろうにすがりつきました。三さぶ郎ろうはまたうれしさのあまり、犬いぬを抱だき上あげて犬いぬの毛けの中なかに頬ほおをうずめました。
門もんの中なかの子こど供もらは、たいそうこの有あり様さまを見みて驚おどろきました。そして、犬いぬの後あとを追おって門もんのところまで出でてきてみますと、もはや犬いぬが外よそをもふり向むかずに三さぶ郎ろうについてあっちへゆきかけますので、中なかにも一ひと人りの子こど供もは、しくしく声こえをたって泣なき出だしました。
﹁君きみ、その犬いぬをつれていってはいけない。﹂
と、その中うちの一ひと人りが、三さぶ郎ろうに向むかっていいました。
﹁これは僕ぼくのかわいがっていたボンだよ。十とお日かばかり前まえに見みえなくなったのだ。いま、見みつけたから、つれて帰かえるんだよ。﹂
と、三さぶ郎ろうは答こたえました。
﹁ああ、そんなら君きみのところの犬いぬだったのかい。十とお日かばかり前まえに、牛ぎゅ乳うに屋ゅうやがいい犬いぬを拾ひろってきたといってくれたのだよ。そんなら、それは君きみの家うちのだかい……。﹂
といって、子こど供もらは残ざん念ねんそうにして立たっていました。中なかにも一ひと人りの子こど供もはやはり泣ないていました。
このようすを見みますと、三さぶ郎ろうは子こど供もらがかわいそうに思おもわれました。あんなに犬いぬを大だい事じにしてかわいがってくれるなら、いっそのこと、この犬いぬを子こど供もらにあたえようかという考かんがえが起おこったのです。そして、ふたたび自じぶ分んの家うちへつれて帰かえると、隣となりのいじ悪わるいばあさんがまた犬いぬをしかるばかりでなく、あの弱よわ虫むしの子こど供もの母はは親おやまでが犬いぬをいじめると思おもいました。いっそ犬いぬを子こど供もらにあたえたほうが、かえって犬いぬのしあわせになるかもしれないと思おもいましたので、
﹁君きみらが犬いぬをかわいがってくれるなら、この犬いぬを君きみらにあげよう。﹂
と、三さぶ郎ろうはいいました。
﹁ああ、僕ぼくらは、ほんとうにかわいがるから、どうかこの犬いぬをおくれよ。﹂
といって、子こど供もらは意いが外いなのに、驚おどろかんばかりに喜よろこびました。そして三さぶ郎ろうから、その犬いぬをもらいました。独ひとり三さぶ郎ろうは、なごり惜おしそうにしてさびしく、一ひと人りで我わが家やの方ほうへ帰かえっていったのであります。