はるかなそりの跡あと
この村むらには七つ八つから十一、二の子こど供もが五、六人にんもいましたけれど、だれも隣とな村りむらの太たろ郎うにかなうものはありませんでした。太たろ郎うは、まだやっと十二ばかりでした。けれど力ちからが強つよくて、年としのわりあいに体からだが大おおきくて手てあ足しが太ふとくて、目めが大おおきく円まるくて、くるくるとちょうど、わしの眸ひとみのように黒くろくて光ひかっていました。 だから、この村むらの子こど供もはだれも太たろ郎うとけんかをして勝かち得うるものはありません。みな太たろ郎うをおそれていました。 ﹁今きょ日う君きみは太たろ郎うを見みたかい。﹂ と、甲こうがいいました。 ﹁僕ぼくは見みたよ。﹂ と、丙へいが答えました。 ﹁なにもしなかったかい。﹂ と、甲こうが丙へいを見みて問といました。 ﹁遠とおくだったから、なんにもしなかったよ。僕ぼくは急いそいで帰かえってきたよ。﹂ と、丙へいが答こたえました。 ﹁明あし日たも学がっ校こうへゆくときには、みないっしょにゆこうよね。そうすれば太たろ郎うがきたってだいじょうぶじゃないか。﹂ と、乙おつがいいだしました。 ﹁しかし君きみ、太たろ郎うは強つよいんだよ。﹂ と、丙へいがいいました。 ﹁だってみんなでかかれば太たろ郎う一ひと人りなんか負まかしてしまうね、僕ぼくは足あしを持もってやる。﹂ と、乙おつが力りきんでいいました。 ﹁僕ぼくはぶってやるよ。﹂ 丙へいがいいました。 ﹁僕ぼくは雪ゆきの中なかへうずめてやろう。﹂ 甲こうがいいました。そしてみんなで声こえをたてて笑わらいました。 その明あくる日ひになると雪ゆきが降ふっていました。朝あさ、甲こう・乙おつ・丙へい・丁ていの四人にんの子こど供もは、たがいに誘さそい合あって学がっ校こうへ出でかけました。路みちばたのすぎの木きの枝えだは雪ゆきがたまってたわんでいます。そして、その下したを通とおるときには、くぐってゆかなければなりません。寺てらの横よこを通とおったときには、もう雪ゆきが地ちの上うえにますます積つもって墓はか石いしの頭あたまがわずかばかりしか見みえていませんでした。子こど供もらは自じぶ分んの村むらをすこし離はなれたところに学がっ校こうがある。そこへ歩あるいてゆくのでした。村むらを出でると、広ひろ々びろとした野のは原らがありました。野のは原らは一め面んに見みわ渡たすかぎりも雪ゆきにうずまって真まっ白しろに見みえました。そしてそこへ出でると、そりの跡あとも風かぜにかき消けされて、あるかなしかにしか見みえなく、寒さむい北きた風かぜが顔かおや手てや足あしを吹ふいたのでした。君きみは僕ぼくの家けら来い
ようやくその野のは原らを通とおりこして、かなたの森もりの中なかから学がっ校こうの屋や根ねが見みえる村むらはずれにさしかかりますと、いままでどこかに隠かくれていた太たろ郎うが飛とび出だしてきて、まっさきになって歩あるいてきた乙おつに突つきあたりました。乙おつは不ふ意いをくらってたじたじとなって雪ゆきの中なかに倒たおれてしまいました。 ﹁僕ぼくはなんにもしないじゃないか。﹂ と、乙おつは雪ゆきの中なかに倒たおれながら、うらめしそうに太たろ郎うの顔かおを見み上あげていいました。太たろ郎うはじっと雪ゆきの中なかに倒たおれて自じぶ分んを見み上あげている乙おつを見み下おろしながら、 ﹁なんで、先せんだって僕ぼくが遊あそぼうといって呼よんだときにこなかったのだい。君きみは僕ぼくの家けら来いになるといったんだろう。﹂ と、太たろ郎うはくるくるした黒くろ目めを光ひからしていいました。 その間あいだに、甲こう・丙へい・丁ていなどは、すきをうかがって逃にげ出だして早はやく学がっ校こうの門もんへ入はいってしまおうと、あちらに駆かけ出だしました。太たろ郎うは、そのほうをしりめにかけて、あえて追おおうとはいたしませんでした。 ﹁あ、僕ぼくが悪わるかったのだから堪かん忍にんしておくれ。﹂ と、乙おつは、わなわなとふるえながら太たろ郎うにたのんでいました。 ﹁きっとかい。僕ぼくの家けら来いになったのなら、帰かえりに待まっておれ。いっしょに帰かえるから、うそをいったら、今こん度どひどいめにあわしてやるから。﹂ と、太たろ郎うはいって、自じぶ分んは先さきになって学がっ校こうの方ほうへゆうゆうと歩あるいてゆきました。その後あとから乙おつはついてゆきました。 その日ひの午ご後ご、授じゅ業ぎょ時うじ間かんが終おわって学がっ校こうから帰かえるときに、甲こう・丙へい・丁ていは、いちはやく逃のがれて帰かえることができました。けれど、乙おつだけは太たろ郎うと約やく束そくをしたので逃にげて帰かえることができずに、ついに太たろ郎うといっしょに帰かえることになりました。 乙おつは太たろ郎うがどんなことをいい出だすかしらんと心こころのうちでおそれていました。太たろ郎うは乙おつをふり向むいて、 ﹁君きみ、海うみへいってみようよ。﹂ といいました。 海うみには一里りばかりありました。広ひろい野のは原らを越こして高たかいおかを上のぼってそれを下おりなければ、海うみを見みることができなかったのです。 ﹁海うみなんかおもしろくないじゃないの。﹂ と、乙おつはさも迷めい惑わくそうにいいました。 ﹁君きみは冬ふゆの雪ゆきの降ふっている海うみを見みたことがあるかい。それは盛さかんだぜ。毎まい晩ばんゴーゴーといって鳴なり音おとが聞きこえるだろう。僕ぼくは海うみを見みながらハモニカを吹ふくんだぜ、僕ぼくといっしょにゆこう。﹂ と、太たろ郎うはくるくるした目めをみはりました。 ﹁だって帰かえりがおそくなると、お母っかさんにしかられるもの。海うみなんか遠とおくて、ゆくのはいやだ。﹂ 乙おつは泣なき声ごえを出だしていいました。 ﹁ほんとうにいやだなら、いじめてやるぞ。﹂ と、太たろ郎うは雪ゆき路みちの上うえに立たって、怖おそろしいけんまくをしてみせて乙おつをおどしました。乙おつは大おおきな声こえをあげて泣なき出だしました。ちょうどそこへ、乙おつの知しったおじいさんが通とおりかかったもので、 ﹁おい、けんかをしていかんぞ。﹂ といったので、太たろ郎うは独ひとりであちらへいってしまい、乙おつはおじいさんに連つれられ、その日ひは家うちに帰かえりました。雪ゆきの上うえのハモニカ
その明あくる日ひ、甲こう・乙おつ・丙へい・丁ていはまた集あつまって相そう談だんいたしました。
﹁おい、君きみが悪わるいんじゃないか、いちばん先さきに君きみが逃にげたんだぜ。﹂
﹁僕ぼくじゃない、いちばん先さきに逃にげ出だしたのは君きみだぜ。﹂
彼かれらは、たがいに前まえの日ひのことをいい争あらそいましたが、ついに、もうこれからは、かならずいっしょになって、太たろ郎うを敵てきとして戦たたかわなければならぬということに決きめました。
四人にんの子こど供もらはその日ひから隊たいを組くんで隣とな村りむらへ出でかけていって太たろ郎うとけんかをしました。しかし先せん方ぽうはいつも太たろ郎う一ひと人りでありました。太たろ郎うは例れいの大おおきな目めをみはって路みちの上うえに立たって、こちらを見みています。するとこっちでは、四人にんの子こど供もが口くち々ぐちに太たろ郎うをめがけてののしって、雪ゆきを握にぎっては投なげつけました。おおぜいに一ひと人りですから、遠とおく隔へだてて雪ゆきを投なげるのでは、いつも太たろ郎うに雪ゆき球だまが多おおくあたりました。そして四人にんの子こど供もは凱がい歌かをあげて村むらへ帰かえりました。
学がっ校こうへゆくときも四人にんはそろって太たろ郎うにあったら、必ひっ死しとなって戦たたかう覚かく悟ごでありましたから、太たろ郎うは、それを見みてとってか容よう易いに手て出だしをいたしませんでした。
こうなると甲こう・乙おつ・丙へい・丁ていらは、まったく自じぶ分んらが勝かったものと思おもいました。そして家うちに帰かえると四人にんはそろって太たろ郎うを征せい伐ばつするのだといって出でかけました。しまいには四人にんのほかにも年とし下したの七つ八つぐらいの子こど供もが三人にんも四人にんも後あとからついてきたのであります。しかるに太たろ郎うのほうはいつも一ひと人りでありました。太たろ郎うは路みちのまん中なかに立たって勇ゆう敢かんに戦たたかいました。こちらは、たとえおおぜいであったけれど、だれひとりとして進すすんでいって太たろ郎うと組くみ打うちをしようというほどの勇ゆう気きのあるものはなかったのであります。
ある日ひのこと、こちらのおおぜいのものは、隣とな村りむらの方ほうへ出でかけてゆきました。けれど、いつもそこに立たって、こちらを向むいておおぜいを迎むかえている太たろ郎うの姿すがたが見みえなかったのであります。
﹁どうしたんだろうね、太たろ郎うが見みえないよ。﹂
と、甲こうがいいました。
﹁どこかに隠かくれているんだろう。﹂
と、乙おつがいいました。そして、いつまで待まっていても太たろ郎うの姿すがたが見みえませんでした。その日ひはそれで帰かえりましたけれど、また明あくる日ひになっても太たろ郎うの姿すがたが見みえませんでした。学がっ校こうへいっても、また家うちへ帰かえってから出でかけていっても、ついに太たろ郎うの姿すがたは見みえなかったのです。
子こど供もらは口くち々ぐちに、どうしたのだろうといっていました。するとそこへ、隣とな村りむらから見みなれない男おとこの人ひとが子こど供もらの遊あそんでいるところへやってきて、
﹁おい、おまえがたは、よく太たろ郎うとけんかをしたが、太たろ郎うは、もういなくなったぞ。﹂
その男おとこの人ひとはいいました。子こど供もらは顔かおを見み合あって、
﹁小お父じさん、太たろ郎うくんは、どこへいったのだい。﹂
その見みなれない男おとこに聞ききました。
﹁どこへいったか私わしも知しらない、太たろ郎うは遠とおくへいってしまったんだ。﹂
と、その男おとこはいいました。
子こど供もらは不ふ思し議ぎでならなかったのです。しかるに一日じつ、雨あめが降ふってその明あくる日ひはいい天てん気きになったときに、雪ゆきの上うえは鏡かがみのように堅かたく凍こおって、どこまでも渡わたってゆくことができました。村むらの子こど供もらは、ちょうど日にち曜よう日びであったから、みなうちつれ合あって、歌うたいながら雪ゆきの野のは原らを越こえて、はるかかなたに海うみの見みえる方ほうまでやってきたのでした。すると、かなたには灰はい色いろの海うみが物もの悲がなしく見みえて、その沖おきの方ほうは暗くらくものすごかったのでありました。
﹁ああ、これは太たろ郎うの吹ふいていたハモニカだ。こんなところに落おちていたよ。﹂
といって、乙おつは雪ゆきの上うえに落おちていたニッケル製せいのハモニカを拾ひろい上あげました。それはいつか太たろ郎うが吹ふいているのを見みて覚おぼえがあるのでした。
﹁どうして、こんなところに落おちていたろうね。﹂
と、丙へいがいいました。
﹁きっと太たろ郎うは海うみのあっちへいって、自じぶ分んの味みか方たを連つれてくるんだろう。そして、仇かたきうちをするんだろう。そうすると怖おそろしいな。﹂
と、乙おつがいいました。みんな、おそれを抱いだいて海うみの方ほうをながめました。そして声こえをあげて村むらの方ほうへ逃にげ帰かえりました。寒さむい北きた風かぜが吹ふいている。