この世せか界いが造つくられましたときに、三人にんの美うつくしい天てん使しがありました。いちばん上うえの姉ねえさんは、やさしい、さびしい口くち数かずの少すくない方かたで、そのつぎの妹いもうとは、まことに麗うるわしい、目めの大おおきいぱっちりとした方かたで、末すえの弟おとうとは快かい活かつな正しょ直うじきな少しょ年うねんでありました。 みんなは、それぞれこの世せか界いが造つくられるはじめてのことでありますので、なにかに姿すがたを変かえなければなりませんでした。 ﹁よく考かんがえて、自じぶ分んのなりたいと思おもうものになるがいい。けれど、一度ど姿すがたを変かえてしまったなら、永えい久きゅうに、ふたたびもとのような天てん使しにはなれないのだから、よく考かんがえてなるがいい。﹂と、神かみさまは申もうされました。 三人にんの姉あねと妹いもうとと弟おとうとは、それぞれ、なにになったらいいだろうと考かんがえました。姿すがたを変かえてしまえば、もういままでのように、三人にんは仲なかよくいっしょにいて話はなしをすることもできなければ、また、顔かおを見みることもできないと思おもいます。三人にんは、それが悲かなしくてなりませんでした。 気きの弱よわい妹いもうとは、目めにいっぱい涙なみだをためてうつむいていました。すると、気けだ高かい、さびしい姉あねは、やさしく妹いもうとをなぐさめて、 ﹁たとえ、遠とおく離はなれることがあっても、わたしたちは、毎まい晩ばん顔かおを見み合あうことができれば、それで満まん足ぞくするであろう。﹂といいました。 いよいよ三人にんの決けっ心しんはつきました。そうして、神かみさまから、おまえたちは、なにになるかと問とわれましたときに、 いちばん上うえの気けだ高かい姿すがたの姉あねは、 ﹁私わたしは、星ほしになります。﹂と申もうしました。 つぎの妹いもうとは、 ﹁私わたしは、花はなになります。﹂と申もうしました。 そうして、末すえの弟おとうとは、 ﹁私わたしは、小こと鳥りになります。﹂と申もうしあげました。 神かみさまは、いちいちそれを聞きいて、お許ゆるしになりました。こうして、三人にんは、ついに、星ほしと花はなと小こと鳥りになってしまったのです。 星ほしは夜よごとに空そらに輝かがやきましたけれど、幾いく百万まん里りとなく遠とおく地ちの上うえから隔へだたってしまって、もはや言こと葉ばを交かわすこともできなくなりました。それでも花はなは、夜よごとに空そらを向むいて、星ほしから降ふってくる露つゆを身みに受うけました。小こと鳥りとなってしまった弟おとうとは、昼ひる間まは、すぐの姉あねの花はなのそばへいって遊あそび、さえずっていましたけれど、いちばん上うえの姉あねの姿すがたを見みることができませんでした。それですから、星ほしが暁あかつきとともに隠かくれてしまう前まえに大おお急いそぎで起おきて、空そらに輝かがやいている、さびしい姉あねの姿すがたを見み上あげることもありました。 なんで、この三人にんの天てん使しは、いままでのように、いっしょにいて楽たのしく暮くらすように考かんがえなかったでしょうか? それから、幾いく世せい紀きはたちました。やがてこの地ちじ上ょうをつかさどられた王おうさまがあります。 王おうさまは、いたって勤きん勉べんな方かたでありましたから、太たい陽ようが出でると働はたらき、そうして、日ひの暮くれるまで働はたらいて、暗くらくなったときに休やすむような勤きん勉べんなものが、なんでも好すきでありました。たとえば、ありをごらんになると、 ﹁ああ、ありは感かん心しんなものだ。﹂と思おもわれました。 また、みつばちをごらんになると、 ﹁ああ、みつばちは感かん心しんなものだ。﹂と思おもわれました。 けれど、王おうさまは、美うつくしく咲さいた花はなをごらんになったとき、花はなというものは、いかにも怠なまけ者ものだと思おもわれました。また、星ほしをごらんなされたとき、星ほしは、ああして輝かがやいて、なんの役やくにたつのだろうと思おもわれました。また、小こと鳥りがやかましくさえずるのをお聞ききなされたとき、小こと鳥りというものは、じつにうるさいものだと思おもわれました。 そのとき、不ふ思し議ぎな魔まほ法うつ使かいが王おうさまのもとへ伺うかがいました。この魔まほ法うつ使かいは、遠とおい昔むかしのことでも、またこれから幾いく千年ねんの後のちに起おこることでも、魔まほ法うによって知しることができたのです。 王おうさまは、さっそく、魔まほ法うつ使かいに向むかって、 ﹁あの星ほしは、いったいなにものだ。そうして、毎まい晩ばんなんのために、あんな高たかいところで光ひかっているのだ。﹂と聞きかれました。 太たい古このことで、星ほしや、花はなや、鳥とりや、すべてのものに対たいして、人ひと々びとは不ふ思し議ぎを感かんじていた時じだ代いであります。だから、この王おうさまのお問といになったのも無む理りはないことでした。魔まほ法うつ使かいは広ひろい庭にわに火ひをたきました。そうして、空そらに輝かがやく星ほしに向むかって、祈いのりをささげました。やがて、こうして黙だまっていますうちに、魔まほ法うつ使かいは、なんでも遠とおい遠とおい、星ほしと話はなしをすることができるようになったのであります。 けれど、魔まほ法うつ使かいと星ほしの話はなしは、もとより王おうさまの耳みみには聞きこえませんでした。 ﹁星ほしは、どうしてできたのじゃ。﹂と、王おうさまはいわれました。 ﹁幾いく千年ねん前ぜんに、三人にんの姉あねと妹いもうとと弟おとうとと仲なかのいい天てん使しがありました。この世せか界いが作つくられた時じぶ分んに、三人にんは、思おもい思おもいの姿すがたに変かわるように神かみさまから命めいぜられたのであります。そうして、いちばん上うえのさびしい、口くち数かずの少すくない姉あねが星ほしとなったのであります。﹂と、魔まほ法うつ使かいは、お答こたえを申もうしあげました。 王おうさまは、これをお聞ききになって、うなずかれました。 ﹁しかし、ああして、毎まい晩ばん、空そらで輝かがやくのはなんのためじゃ。太たい陽ようのように暖あたたかな光ひかりを送おくるのでもなく、また月つきのように夜よみ路ちを照てらすというほどでもない。なんのために夜よもすがら光ひかるのじゃ。﹂と、王おうさまは問とわれました。 すると、魔まほ法うつ使かいは、そのことを星ほしに問といました。 星ほしは、魔まほ法うつ使かいを通とおして、なんで自じぶ分んは星ほしになったかということを、王おうさまに答こたえたのであります。 ﹁王おうさま、この世よの中なかには、みんな幸こう福ふくなものばかりでありません。中なかには貧びん乏ぼうのものもたくさんいるのであります。そうして貧びん乏ぼうの家いえに生うまれた子こど供もは、夜よるは寒さむくて目めをさまします。あるときはまた、仕しご事とに出でた父ふ母ぼが、とっくに日ひが暮くれたけれど帰かえってきません。そんなときは、さびしがって泣なきます。私わたしは、その子こど供もの無ぶ事じを祈いのらなければなりません。また、あるときは両りょ親うしんを亡なくした不ふこ幸うな子こど供もがあります。中なかには父ちち親おやだけで、母はは親おやのない子こど供ももあります。それらの子こど供もは、夜よるになると目めをさまして泣なきます。私わたしは、破やぶれ家やのすきまから、それらの子こど供もをいたわってやらなければなりません。それで、私わたしは、空そらの星ほしとなったのです。﹂と申もうしあげました。 この話はなしをお聞ききになると、王おうさまは、ほんとうに、そのやさしい心こころがけに感かん心しんなされました。それから星ほしを尊とうとまれました。 また、つぎの妹いもうとが花はなになり、弟おとうとが小こと鳥りになったことを王おうさまに知しらせますと、それをも魔まほ法うつ使かいを通とおして、聞ききたいと思おもわれました。 魔まほ法うつ使かいは、美うつくしい花はなの前まえにいって、おなじように祈いのりをささげました。花はなは、魔まほ法うつ使かいを通とおして、王おうさまにお答こたえ申もうしあげました。 ﹁私わたしは、姉あねが星ほしとなりましたときに花はなとなりました。それは、美うつくしい着きも物のをきて、怠なまけけているのではありません。人にん間げんはこの世よに達たっ者しゃでいますうちは、たがいになぐさめもしますし、またたずねてもゆきますが、ひとたび死しんで墓はかにゆきますと、めったにたずねるものもありません。私わたしは、その哀あわれな死しんだ人ひとたちをなぐさめますために花はなとなりました。そうして、昼ひるでも、まただれもいない夜よるでも、墓はかの前まえで霊れい魂こんをなぐさめるために香かおっています。﹂と申もうしあげました。 王おうさまはこの言こと葉ばをお聞ききになると、まことにその心こころがけを感かん心しんなされました。そうして、永えい久きゅうに花はなを愛あいされたのであります。 最さい後ごに、王おうさまは、魔まほ法うつ使かいに命めいぜられて、 ﹁あの口くちやかましい、小こと鳥りはなんのために?﹂と、そのことを小こと鳥りに聞きかせられたのであります。魔まほ法うつ使かいは、自じぶ分んの持もっているつえの上うえに小こと鳥りを止とまらせました。そうして、おなじように祈いのりをささげると、小こと鳥りは語かたりました。 ﹁私わたしは、二ふた人りの姉あねが星ほしと花はなになったとき、小こと鳥りとなりました。それは、野のや山まを飛とびまわって遊あそぶためではありません。毎まい日にち、山やま河かわを越こえてゆく旅たび人びとが幾いく人にんあるかしれません。それらの旅たび人びとは、ゆく先さきを急いそいでいます。けれど疲つかれて、よく眠ね入いっているものもあります。家うちには、子こど供もが父ちち親おやの帰かえるのを待まっているのもあります。中なかには、重おもい病びょ気うきにかかって、早はやく息むす子この帰かえるのを待まっている年とし取とった親おやたちもあります。それらの旅たび人びとに元げん気きづけるために、快こころよく朝あさ早はやく目めをさまさせるために、私わたしは鳴なくのです。﹂と申もうしあげました。 王おうさまは、弟おとうとが小こと鳥りになった心こころがけがよくわかりました。そして、姉あねも、妹いもうとも、弟おとうとも、みんな人ひと々びとのためを思おもっているのをお知しりになって、深ふかく感かん心しんなされました。王おうさまは、永えい久きゅうに小こと鳥りを平へい和わの使つかいとされたのであります。 それから、すでに幾いく万まん年ねんかたちましたけれど、星ほしと花はなと小こと鳥りは、人ひと々びとから愛あいせられ、詩しじ人んから歌うたわれています。三人にんの姉あねと妹いもうとと弟おとうとは、暁あかつきのある一ひと時ときを、ものこそいわないが顔かおを合あわして、永えい久きゅうにいきいきとして、たがいになぐさめ合あうのでありました。