川かわの辺ほとりに、一本ぽんの大おおきなくるみの木きが立たっていました。その下したにありが巣すを造つくりました。どちらを見みまわしても、広ひろ々びろとした圃はたけでありましたので、ありにとっては、大おおきな国くにであったにちがいありません。 ありには、ある年とし、たくさんな子こど供もが生うまれました。それらの子こど供ものありは、だんだんあたりを遊あそびまわるようになりました。するとあるとき、それらの子こありのお母かあさんは、子こど供もらに向むかっていいました。 ﹁おまえがたは、あのくるみの木きに上のぼってもいいけれど、けっして、赤あかくなった葉はにつかまってはならぬぞ。いまは、ああしてどの葉はを見みても、真まっ青さおだけれど、やがて秋あきになると、あの葉はが、みんなきれいに色いろがつく、そうなると危あぶないから、きっと葉はの上うえにとまってはならぬぞ。﹂と、戒いましめたのでありました。 ある日ひのこと、五匹ひきの子こありが外そとに遊あそんでいて、大おおきなくるみの木きを見み上あげていました。 ﹁なんという大おおきな木きだろう。こんな木きが、またとほかにあるだろうか。﹂と、一匹ぴきのありがいいました。 ﹁まだ世せか界いには、こんな木きがたくさんあるということだ。これより、もっと大おおきな木きがあるということだ。﹂と、ほかの一匹ぴきの子こありがいいました。 ﹁お父とうさんや、お母かあさんは、あの木きのてっぺんまで、お上のぼりになったといわれた。僕ぼくたちも、どこまでいけるか上のぼってみようじゃないか。﹂と、ほかの一匹ぴきのありがいいました。ついに五匹ひきの子こありは、大おおきなくるみの木きに上のぼっていきました。そこで、中ちゅ途うとまでいった時じぶ分んには、五匹ひきとも疲つかれてしまって、しばらく、枝えだの上うえに休やすんで、物もの珍めずらしげに、あたりの景けし色きなどをながめていました。 ﹁なんという、大おおきな河かわだろうか。﹂といって、一匹ぴきのありは下したを見みおろしていました。 ﹁なんという広ひろい野のは原らだろう。﹂と、ほかの一匹ぴきが驚おどろいていいました。太たい陽ようは、ちょうど木きのてっぺんに輝かがやいていました。するとそのとき、 ﹁あの枝えだに、あんなにきれいな葉はがあるじゃないか。あのそばまでいってみよう。﹂と、一匹ぴきのありが叫さけびました。 二匹ひきのありは、あの赤あかい葉はこそ危きけ険んだと、お母かあさんやお父とうさんがいわれたのだから、ゆくのはよしたがいいといいました。けれど、ほかの三匹びきのありは、どうしてもいってみるといいはりました。 二匹ひきの子こありは、そこから三匹びきのお友ともだちに別わかれて地ちの上うえへ帰かえることになりました。そこには、こいしいお母かあさんやお父とうさんがすんでいられました。そして、三匹びきの子こありは、赤あかい美うつくしい葉はを目め指ざして上のぼっていきました。三十分ぷんともたたないうちです。風かぜがきますと、いままでの、美うつくしい赤あかい葉はは、ぱたりと枝えだから空そらに離はなれて、ひらひらと舞まって、下したの川かわの中なかに落おちてしまいました。いうまでもなく、その赤あかい葉はの上うえには、三匹びきの子こありがとまっていたのでした。 三匹びきのありは、あまり不ふ意いなことにびっくりしましたが、気きがついたときには、赤あかい葉はの上うえに乗のって、川かわの上うえを流ながれていたのです。三匹びきのありは、いまはじめてお母かあさんが、赤あかい葉はの上うえに乗のってはいけないといわれたことを悟さとりましたけれど、どうすることもできませんでした。 ﹁さあ、どうなることだろう。﹂と、三匹びきのありは、心ここ細ろぼそくなって思しあ案んをしました。果はてしなく、川かわの水みずは、日ひに輝かがやいて野のは原らの中なかを流ながれていました。どうして、どこへゆくというようなことなどが、小ちいさなありに考かんがえがつきましょう。三匹びきのありは、一つところに固かたまってふるえていました。そのうちに、また風かぜが吹ふいて、赤あかい葉はは岸きしに着つきました。三匹びきのありは、やっとそこからはい上あがって、危あやうく命いのちが助たすかったのです。そこは、思おもったよりもいいところでした。美うつくしい花はなが咲さいていました。きれいな草くさの生はえている丘おかもありました。三匹びきのありは、その日ひからはじめて、知しらない土と地ちに巣すを造つくって働はたらいたのです。幾いく日にちか日ひがたつと、このあたりの土と地ちにも幾いく分ぶんか慣なれてきました。それにつけて、三匹びきのありは、父ふ母ぼのすんでいる故こき郷ょうを、こいしく思おもったのです。けれど、いくら思おもっても、帰かえることができませんでした。三匹びきのありは、いつか、みんながお父とうさんになったのであります。そして、三匹びきのありにも子こど供もがたくさん産うまれました。けれど、ありはけっして、子こど供もらに向むかって木きに上のぼっても、赤あかい葉はに止とまっていいとはいいませんでした。やはり、昔むかし、お父とうさんや、お母かあさんが自じぶ分んたちを戒いましめたように、 ﹁おまえがたは、けっして、赤あかい葉はにつかまってはならない。﹂といったのです。 それは、いくらしあわせになっても、お父とうさんや、お母かあさんに、あわれないことは、なによりも不ふこ幸うなことであったからであります。