あるところに、子こど供もをかわいがっている夫ふう婦ふがありました。その人ひとたちの暮くらしは、なにひとつとして不ふそ足くを感かんずるものはなかったのでありましたから、夫ふう婦ふは、朝あさから晩ばんまで、子こど供もを抱だいてはかわいがっていることができました。 子こど供もは、やっと二つになったばかりの無むじ邪ゃ気きな、かわいらしい盛さかりでありましたので、二ふた人りは、子こど供もの顔かおを見みると、なにもかも忘わすれてしまって、ただかわいいというよりほかに思おもうこともなかったのであります。 ﹁どうしてこんなに無むじ邪ゃ気きなのでしょうね。赤あかちゃんの目めには、なんでも珍めずらしく見みえるのでしょうね。ほんとうに、こんなときは神かみさまも同おなじなんですわね。﹂と、妻つまは、夫おっとに向むかっていいました。 夫おっとも目めを細ほそくして、じっとやさしみのある目めを子こど供もに向むけて、妻つまの言こと葉ばにうなずくのでありました。二ふた人りは、同おなじように、我わが子こをかわいがりましたが、中なかにも妻つまは女おんなであるだけに、いっそうかわいがったのであります。 しかし、この世よの中なかは、美うつくしい、無むじ邪ゃ気きなものが、つねに、神かみに愛あいされて変かわりなしにいるとばかりはまいりません。美うつくしい、無むじ邪ゃ気きなものでも、冷れい酷こくな運うん命めいにもてあそばれることがたびたびあります。それはどうすることもできなかったのでありました。 こんなに、二ふた人りが大だい事じにしていた子こど供もが病びょ気うきにかかりました。二ふた人りは、どんなに心しん配ぱいをしたでしょう。あらんかぎりの力ちからをつくしたにもかかわらず、小ちいさな、なんの罪つみもない子こど供もは、幾いく日にちか高たかい熱ねつのために苦くるしめられました。そして、そのあげく、とうとう花はなびらが、むごたらしい風かぜにもまれて散ちるように、死しんでしまいました。 その後あとで、この二ふた人りのものは、どんなに悲かなしみ、なげいたでありましょう。自じぶ分んたちの命いのちを縮ちぢめても、どうか子こど供もを助たすけたいと、心こころの中なかで神かみに念ねんじたのも、いまは、なんの役やくにもたちませんでした。 ﹁この世よの中なかには、神かみも仏ほとけもない。﹂と、二ふた人りはいって、神かみをうらみました。 それからというものは、りっぱな家いえも、広ひろい屋やし敷きも、ありあまるほどの財ざい産さんも、二ふた人りの心こころを満みたすことはできませんでした。二ふた人りは、もし、それらのものを亡なくした子こど供もと換かえることができたら、あるいはそれらのものを投なげ出だすことを惜おしむものではなかったかもしれません。どんな貴きち重ょうのものも、子こど供もとは、とうてい比ひか較くになるものではないと、しみじみこのときだけは感かんじたのであります。 二ふた人りは、金かねを惜おしまずに、子こど供ものために、美うつくしい、小ちいさな大だい理りせ石きの墓はかを建たてました。そして、そのまわりに花はなの咲さく木きや、いろいろの草くさ花ばなを植うえました。けれど、これだけでは、かぎりない思おもいやりに対たいして、その幾いく分ぶんをも消けすことができなかったのです。 寒さむい風かぜの吹ふく、暗くらい夜よに、女おんなは、いまごろ、子こど供もは墓はかの下したで目めを覚さまして、どんなにさびしがっているだろうかと思おもうと、泣なかずにはいられませんでした。 すると、男おとこはいいました。 ﹁なんで、あの凍こおった冷つめたい地ちの下したなどにいるものか。いまごろは、神かみさまにつれられて天てん国ごくへいって遊あそんでいる。﹂といいました。 ﹁そうでしょうか？﹂ ﹁そうとも、天てん国ごくへいって遊あそんでいるよ。﹂と、男おとこは答こたえました。 ﹁そんなに、遠とおい、高たかいところへならいかれませんけれど、もし歩あるいていけるところなら、幾いく千里り、遠とおい、遠とおく国くにのどんなさびしい野のは原らでも、子こど供もがいることなら探さがしていきますのに……。﹂と、女おんなはいって、泣なきつづけました。 二ふた人りは、もう、ただ子こど供もの死しんでいってからのしあわせを、いまでは、思おもうよりほかに途みちはなかったのであります。 そのとき、ちょうど、過か去こ、現げん在ざい、未みら来い、なんでも聞きいてわからないことはないという占うらない者しゃがありました。 女おんなは、さっそくその占うらない者しゃのところへいって、自じぶ分んの死しんだ子こど供ものことをば見みてもらいました。占うらない者しゃは、死しんだ子こど供もの過か去こ、現げん在ざい、未みら来いを見みて語かたりました。 ﹁あなたがた二ふた人りには、長ながい間あいだ子こど供もがなかったが、信しん神じんによって、子こど供もが生うまれました。けれど子こど供もは、まだこの世よの中なかにくるのには早はやかった。早はやいというのは、この世よの中なかがあまりに汚よごれすぎているのです。それでもう一度ど、星ほしの世せか界いへ帰かえることになりました。しかし、短みじかかったけれど、この世よの中なかに出でてきたうえは、苦くぎ行ょうをしなければ、ふたたび天てん国ごくへ帰かえることはできません。 いま、あなたの死しんだお子こど供もさんは、高たかい山やまの頂いただきに、真まっ赤かな小ちいさい花はなをつけた草くさになっていられます。いまごろは、山やまには雪ゆきが降ふっていますから、雪ゆきの中なかにうずもれていますが、そのうちに神かみさまのお召めしによって、星ほしの世せか界いへ帰かえられます。この後のち、あなたがたの信しん神じんによっては、もう一度どこの世よの中なかへ出でてこられないものでもありません。﹂ 占うらない者しゃは、このようにいいました。 これを聞きいて、二ふた人りは、わが子こに対たいしてあれほどまでかわいがり、また大だい事じにしたけれど、まだ足たりなかったか？ まだ二ふた人りの真まご心ころは、通つうじなかったかとなげきました。女おんなは、夜よる、外そとに立たって、月つきのさえた、青あおい空そらをながめました。そして、いまごろ、高たかい山やまの上うえの雪ゆきの光ひかる下したに、草くさとなってふるえている、わが子この傷いたましい運うん命めいを思おもいました。 いまから、すぐにも、彼かの女じょは、旅たび立だちをしてその高たかい山やまに、雪ゆきを分わけて登のぼってゆこうと思おもいましたが、もとよりどこに草くさがうずもれているか知しることができなかったのです。このうえはただ、もう一度ど信しん神じんの力ちからで、子こど供もを自じぶ分んの手てに帰かえしてもらうよりほかに、どうすることもできないと知しりました。 彼かの女じょは、その日ひから毎まい日にち、神かみに願がんをかけて、﹁どうか死しんだ子こど供もが、もう一度ど帰かえってきますように。﹂と、宮みやや、寺てらへいって祈いのったのであります。 こうするうちに、春はるもだんだんに近ちかづいてきました。しかし、まだ木きが芽めぐむには早はやく、風かぜも寒さむかったのであります。ただ雲くもの切きれ目めに、ほんのりと柔やわらかな日ひの光ひかりがにじんで、なんとなく、なつかしい穏おだやかな日ひがつづくようになりました。小こと鳥りは、庭にわの木こだ立ちにきて、よい声こえでさえずっていました。 日ひがたちましたけれど、彼かの女じょの子こど供もを亡なくした悲かなしみは、ますます鋭するどく、胸むねを刺さしてたえられなくなって、彼かの女じょは、毎まい日にちのように子こど供もの墓はかにお詣まいりをしました。そして、どうか、もう一度ど生うまれ変かわって帰かえってくるように祈いのりました。 ある夜よのこと、女おんなは、不ふ思し議ぎな夢ゆめから、驚おどろいて目め覚ざめました。 ﹁おまえが、それほどまで子こど供もをかわいがるなら、もう一度どあの子こど供もをかえしてやろう。明あ日すの晩ばんに、おまえは独ひとりで、町まちの西にしの端はしに河かわが流ながれている、あの河かわを渡わたって、野のは原らの中なかにいってみれ、おまえの子こど供もが、なにも知しらずに遊あそんでいるから……。﹂ こういって、見みなれない、白しろいひげのはえたおじいさんが、あちらの方ほうを指さしたかと思おもうと、目めがさめたのであります。 そのことを彼かの女じょは、朝あさになって、夫おっとに告つげました。 ﹁それは、おまえが平へい常ぜい死しんだ子こど供ものことばかり思おもっているから、夢ゆめを見みたのだ。そんなことがあるものでない。﹂と、夫おっとはいいました。 しかし、女おんなは、どうしても、昨きの日う見みた夢ゆめを忘わすれることができませんでした。きっと神かみさまが私わたしのお願ねがいをかなえてくだされたのだろう。とにかく自じぶ分んは夜よるになったら、野のは原らにいってみなければならぬと決けっ心しんしました。 せんだって降ふった雪ゆきは、まだ町まちの中なかにも消きえずに、そこここに残のこっていました。彼かの女じょは夜よるになるのを待まっていました。その夜よは、いつになく空そらが清きよらかに晴はれて、青あおくさえたうちに星ほしの花はなのごとくきれいに乱みだれていました。その一つ一つ異ことなった色いろの光ひかりを放はなって、輝かがやいていたのであります。彼かの女じょは、寒さむい風かぜが吹ふく中なかを歩あるいて、町まちの西にしのはずれにいたりました。そこには、大おおきな河かわが音おとをたてて流ながれていました。あたりは、一面めんに煙けむるように青あお白じろい月つきの光ひかりにさらされています。この河かわのふちは、一帯たいに貧ひん民みん窟くつが建たて込こんでいて、いろいろの工こう場じょうがありました。どの工こう場じょうの窓まども赤あかくなって、その中なかからは機きか械いの音おとが絶たえ間まなく聞きこえてきました。そして建たて物ものの頂いただきにそびえたった煙えん突とつからは、夜よるの青あおい空そらに、毒どく々どくしい濁にごった煙けむりを吐はき出だしているのでありました。 彼かの女じょは、ある工こう場じょうの前まえでは、多おおくの女じょ工こうが働はたらいているのだと思おもいました。また、鉄てっ槌ついの響ひびいてくる工こう場じょうを見みては、多おおくの男おとこの労ろう働どう者しゃが働はたらいているのだと思おもいました。その人ひと々びとは、みんな、このあたりのみすぼらしい家いえに住すんでいるのだと思おもったときに、彼かの女じょは、自じぶ分んたちはどうしてここに生うまれてこずに、金かね持もちの家いえへ生うまれてきたか、しあわせといえば、そうであるが、そのことが不ふ思し議ぎにも思おもわれたのでありました。 ここを離はなれて、だんだん寂さびしい野のは原らにさしかかると雪ゆきが深ふかくなりました。手てあ足しは寒さむさに凍こごえて、ことに踏ふむ足あしの指ゆび先さきは、切きれて落おちそうに、痛いたみを感かんじたのであります。 どこを見みましても、あたりは、灰はい色いろの雪ゆきにおおわれていました。そして、あの天てん国ごくで聞きこえるであろうような、よい音ねい色ろも、また輝かがやかしい明あかりもさしていませんでした。彼かの女じょは、せっかく子こど供もにあえると思おもって、苦くつ痛うを忍しのんで歩あるいてきたのでした。 彼かの女じょは、葉はのない林はやしの中なかに入はいってゆきました。そこにも明あかるいほど星ほしの光ひかりはさしていました。 ﹁どこに、私わたしのかわいい子こど供もがいるだろう。﹂ 彼かの女じょは、こう思おもって、灰はい色いろの世せか界いをさがしていました。 このとき、すこし隔へだたったところに、黒くろい人ひと影かげが人ひとのくるのを待まっているように立たっていました。彼かの女じょは、その方ほうに歩あるいてゆきました。すると、髪かみの毛けを乱みだして、やせた女おんなが子こど供もを抱だいて立たっていました。その女おんなは泣ないていました。彼かの女じょが近ちかづくと、みすぼらしいふうをした女おんなは、 ﹁どうか助たすけてください。﹂といいました。 彼かの女じょは、もっと近ちかづいて、よくようすを見みますと、この工こう場じょ町うまちに住すんでいる貧びん乏ぼうな若わかい女にょ房うぼうでありました。 ﹁おまえさんは、こんなところに立たって、なにをしているのですか？﹂と、彼かの女じょはたずねました。 すると、やせた貧まずしげな若わかい女おんなは、 ﹁私わたしたちは、この子こど供もを養やしなってゆくことができません。それで、だれも、もらってはくれませんから、かわいそうですけれど、ここへ捨すてにやってきたのです。けれど、やはり捨すてられないのでもらってくださる人ひとのくるのを待まっていました。﹂といいました。 彼かの女じょは、これを聞きくとびっくりしました。 ﹁まあ、こんな雪ゆきの上うえへ、子こど供もを捨すてる気きなんですか。﹂といって、やせた女おんなを見みすえました。 やせた女おんなは泣なきながら、 ﹁奥おくさま、私わたしたちは、この子こど供もがあるばかりに、手てあ足しまといになって、どんなに困こまっていますか、どうかお慈じ悲ひをもって、この子こど供もを育そだててくださいませんか。﹂と頼たのみました。 金かね持もちの妻つまは、心こころの中なかで、不ふ思し議ぎなことがあればあるものだと思おもいました。 ﹁まあ、どんな子こど供もですか、私わたしに、見みせてください。﹂といいました。そして、星ほしの明あかりに照てらして、やせた女おんなに、抱いだかれている子こど供もの顔かおをのぞきました。星ほしの光ひかりは、下げか界いをおおうた雪ゆきの面おもてに反はん射しゃして、子こど供もの顔かおがかすかにわかったのであります。けれど、その子こど供もは、彼かの女じょが探さがしている自じぶ分んの死しんだ子こど供もではありませんでした。 ﹁この子こど供もは、私わたしの死しんだ子こど供もじゃない。﹂と、彼かの女じょはいいました。 やせた女おんなは、しくしくと泣ないていました。そのようすは、いかにも哀あわれに見みられました。 ﹁奥おくさま、どうかこの子こど供もを育そだててくださいませんか。そうしてくだされたら、私わたしどもは、どんなに助たすかりましょう。﹂といいました。 金かね持もちの妻つまは、私わたしがこれほどまでにせつない思おもいをして、神かみさまに願ねがっているのも、みんな死しんだ自じぶ分んの子こど供もがかわいいからのことだ。自じぶ分んの死しんだ子こど供もが、永えい久きゅうに帰かえってこないものなら、なんで、見みず知しらずの人ひとの子こど供もを苦くろ労うして育そだてることがあろう？ 私わたしは、あくまで、私わたしの死しんだ子こど供もを神かみさまから返かえしてもらわなければならぬと考かんがえました。 ﹁私わたしは、いま自じぶ分んの子こど供もを探さがしているのです。それが見みつかるまでは、知しらない人ひとの子こど供もをもらうことはできません。﹂と、彼かの女じょは断ことわりました。 やせた女おんなは、絶ぜつ望ぼうして、ため息いきをついていました。 ﹁奥おくさま、子こど供もはみんなかわいいものでございます。しかたがありません。私わたしは、またこれから、この子こど供もを育そだててくださる人ひとを探さがさなければなりません。﹂といって、やせた女おんなはしおしおと、彼かの女じょの前まえを離はなれて雪ゆきの上うえをあちらに歩あるいてゆきました。 彼かの女じょは、このとき、女おんなのいったことをよく考かんがえてみました。そして、だんだん遠とおざかってゆく哀あわれな女おんなの姿すがたを見みお送くりながら、もう一度ど、あの子こど供もの顔かおをよくながめて、どこか死しんだ自じぶ分んの子こど供もの顔かおつきに似にているところがあったら、もらって育そだてようかと思おもいました。 しかし、こう思おもったときは、もう遅おそかったのであります。もはや、どこを探さがしても、やせた女おんなの姿すがたは見みえませんでした。 雪ゆきの上うえを、空そらの星ほしの光ひかりが、寒さむそうに、かすかに照てらしていました。彼かの女じょは、寒さむい身みにしみる風かぜにさらされながら、なお、死しんでしまった子こど供もを探さがして歩あるいていました。 その夜よ、遅おそくなってから、彼かの女じょは疲つかれて、空むなしく町まちの方ほうへ帰かえってゆきました。 この二ふた人りの夫ふう婦ふは、それから後のち、長ながい間あいだ、子こど供もというものがなく、さびしい生しょ涯うがいを送おくったのであります。