ある国くにに美うつくしいお姫ひめさまがありました。いつも赤あかい着きも物のをきて、黒くろい髪かみを長ながく垂たれていましたから、人ひと々びとは、﹁赤あかい姫ひめ君ぎみ﹂といっていました。 あるときのこと、隣となりの国くにから、お姫ひめさまをお嫁よめにほしいといってきました。お姫ひめさまは、その皇おう子じをまだごらんにならなかったばかりでなく、その国くにすら、どんな国くにであるか、お知しりにならなかったのです。 ﹁さあ、どうしたものだろうか。﹂と、お姫ひめさまは、たいそうお考かんがえになりました。それには、だれか人ひとをやって、よくその皇おう子じの身みの上うえを探さぐってもらうにしくはないと考かんがえられましたから、お伴ともの人ひとをその国くににやられました。 ﹁よく、おまえはあちらにいって、人ひと々びとのうわさや、また、どんなごようすの方かただか見みてきておくれ。﹂といわれました。 そのものは、さっそく皇おう子じの国くにへ出でかけていきました。すると、隣となりの国くにから、人ひとが今こん度どのご縁えん談だんについて探さぐりにきたといううわさが、すぐにその国くにの人ひと々びとの口くちに上のぼりましたから、さっそく御ごて殿んにも聞きこえました。 ﹁どうしても、あの、美うつくしい姫ひめを、自じぶ分んの嫁よめにもらわなければならぬ。﹂と、皇おう子じは望のぞんでいられるやさきでありますから、ようすを探さぐりにきたものを十分ぶんにもてなして帰かえされました。 やがて、そのものは、立たち帰かえりました。お待まちになっていたお姫ひめさまは、どんなようすであったかと、すぐにおたずねになりました。 ﹁それは、りこうな、りっぱな皇おう子じであらせられます。御ごて殿んは金きん銀ぎんで飾かざられていますし、都みやこは広ひろく、にぎやかで、きれいでございます。﹂と、家けら来いは答こたえました。 お姫ひめさまは、うれしく思おもわれました。しかし、なかなか注ちゅ意うい深ぶかいお方かたでありましたから、ただ一ひと人りの家けら来いのいったことだけでは、安あん心しんをいたされませんでした。ほかに、もう一ひと人り、家けら来いをやって、よくようすを探さぐらせようとお考かんがえになったのです。 ﹁こんどは、ひとつ姿すがたをかえてやろう。それでないと、ほんとうのことはわからないかもしれぬ。﹂と思おもわれましたので、お姫ひめさまは、家けら来いを乞こじ食きに仕し立たてて、おつかわしになりました。 いろいろの乞こじ食きが、東とう西ざい、南なん北ぼく、その国くにの都みやこをいつも往おう来らいしていますので、その国くにの人ひとも、これには気きづきませんでした。 乞こじ食きに姿すがたをかえたお姫ひめさまの使つかいのものは、いろいろなうわさを聞きくことを得えました。そして、そのものは、急いそいで帰かえりました。 お姫ひめさまは、待まっておられたので、そのものが帰かえるとすぐに自じぶ分んの前まえにお召めしなされて、聞きいたことや見みたことを、すっかり話はなすようにといわれました。 ﹁私わたしは、つい皇おう子じを目まのあたりに見みられませんでした。しかし、たしかに聞きいてまいりました。皇おう子じは御ごて殿んから外そとに出でられますときは、いつも黒くろい馬ばし車ゃに乗のっていられます。そして、いつも皇おう子じは、黒くろのシルクハットをかぶり、燕えん尾びふ服くを着きておいでになります。そして片かた目めなので、黒くろの眼めが鏡ねをかけておいでになるということです。﹂と申もうしあげました。 お姫ひめさまは、これを聞きくと、前まえの家けら来いの申もうしたこととたいそう違ちがっていますので、びっくりなさいました。すぐに縁えん談だんを断ことわってしまおうかとも思おもわれましたが、もし、そうしたら、きっと皇おう子じが復ふく讐しゅうをしに攻せめてくるだろうというような気きがして、すぐには決けっしかねたのであります。 やさしい心こころのお姫ひめさまは、片かた目めであるという皇おう子じの身みの上うえをかわいそうにも思おもわれました。そして、お嫁よめにいって、なぐさめてあげようかとも思おもわれました。毎まい日にちのように、赤あかい姫ひめ君ぎみは、ぼんやりと遠とおくの空そらをながめて、物もの思おもいに沈しずんでいられました。すると、高たかい黒くろのシルクハットをかぶって、黒くろの燕えん尾びふ服くを着きて、黒くろ塗ぬりの馬ばし車ゃに乗のった皇おう子じの幻まぼろしが浮うかんで、あちらの地ちへ平いせ線んを横よこ切ぎるのが、ありありと見みえるのでありました。 雨あめの降ふる日ひも、この黒くろ塗ぬりの馬ばし車ゃは駆かけていきました。風かぜの吹ふく日ひも、黒くろのシルクハットをかぶって燕えん尾びふ服くを着きた皇おう子じを乗のせた、この馬ばし車ゃの幻まぼろしは走はしっていきました。 お姫ひめさまは、もう、どうしたら、いちばんいいであろうかと迷まよっていられました。 ﹁ああ、こうして、幻まぼろしにうなされるというのも、わたしの運うん命めいであろう。﹂と、あるときは、思おもわれました。 ﹁わたしさえ、我がま慢んをすれば、それでいいのだ。﹂と、あるときは考かんがえられました。そのうちに、皇おう子じのほうからは、たびたび催さい促そくがあって、そのうえに、たくさんの金きん銀ぎん・宝ほう石せきの類るいを車くるまに積つんで、お姫ひめさまに贈おくられました。また、お姫ひめさまは、二ひきの黒くろい、みごとな黒くろ馬うまを皇おう子じに貢みつぎ物ものとせられたのです。 いよいよ、赤あかい姫ひめ君ぎみと黒くろい皇おう子じとがご結けっ婚こんをなされるといううわさがたちました。そのとき、一ひと人りのおばあさんの予よげ言んし者ゃが、姫ひめ君ぎみの前まえに現あらわれて申もうしあげたのであります。このおばあさんは、これまでいろいろなことについて予よげ言んをしました。そして、みんなそれが当あたったというので、この国くにの人ひと々びとからおそれられ、よく知しられていました。 ﹁このご結けっ婚こんは、赤あかと黒くろとの結けっ婚こんです。赤あかが、黒くろに見み込こまれている。お姫ひめさま、あなたは、皇おう子じに生いき血ちを吸すわれることとなります。この結けっ婚こんは不ふき吉つでございます。もし、ご結けっ婚こんをなされば、この国くにに疫えき病びょうが流りゅ行うこうします。﹂と、おばあさんの予よげ言んし者ゃはいいました。 お姫ひめさまは、これを聞きいて、心しん配ぱいなされました。どうしたらいいだろうかと、それからというものは、毎まい日にち、赤あかい、長ながいそでを顔かおにあてては、泣ないて悲かなしまれたのであります。 皇おう子じとお姫ひめさまの、約やく束そくの結けっ婚こんの日ひが、いよいよ近ちかづいてまいりました。お姫ひめさまは、どうしたらいいだろうかと、お供ともの人ひと々びとにおたずねになりました。 このとき、黒くろいシルクハットをかぶって、燕えん尾びふ服くを着きた皇おう子じを乗のせた、黒くろい馬ばし車ゃの幻まぼろしが、ありありとお姫ひめさまに見みえたのであります。お姫ひめさまはぞっとなされました。 ﹁なんでも執しゅ念うね深んぶかい皇おう子じだといいますから、お姫ひめさまは、早はやくこの町まちから立たち去さって、あちらの遠とおい島しまへお逃にげになったほうが、よろしゅうございましょう。あちらの島しまは、気きこ候うもよく、いつでも美うつくしい、薫かおりの高たかい花はなが咲さいているということであります。﹂と、お供とものものは申もうしました。 お姫ひめさまは、だれも気きのつかないうちに、あちらの島しまへ身みを隠かくすことになさいました。ある日ひのこと三人にんの侍こし女もととともに、たくさんの金きん銀ぎんを船ふねに積つまれました。そして、赤あかい着きも物のをきたお姫ひめさまは、その船ふねにおすわりになりました。 青あおい海うみを、静しずかに、船ふねは港みなとから離はなれて、沖おきの方ほうへとこぎ出でたのです。空そらは澄すんでいました。そして、遠とおく、かなたには、島しまの影かげがほんのりと浮うかんでいたのであります。 船ふねには、たくさんの金きん銀ぎんが積つみ込こんでありましたから、その重おもみでか、船ふねは沖おきへ出でてしまって、もう、陸りくの方ほうがかすんで見みられなくなった時じぶ分んから、だんだんと沈しずみかけたのでした。どんなに、三人にんの侍こし女もととお姫ひめさまは驚おどろかれたでありましょう。 ﹁やはり、皇おう子じが、わたしをやらないように引ひっ張ぱっているのです。﹂ と、お姫ひめさまは歎なげかれました。 ﹁いいえ、お姫ひめさま。これは、あまり金きんや銀ぎんをたくさん船ふねに積つみ込こんであるからであります。金きんや銀ぎんの重おもみを去されば、船ふねは、軽かるくなって浮うき上あがるでありましょう。﹂と、侍こし女もとらはいいました。 ﹁そんなら、みんな金きんや、銀ぎんを海うみの中なかに投ほうり込こんでおしまいなさい。﹂ と、お姫ひめさまは、侍こし女もとたちに命めいぜられました。 侍こし女もとたちは、金きんや、銀ぎんを手てに取とって、一つずつ海うみの中なかに投なげ込こみました。陸りくの方ほうでは、これを知しっているわずかの人ひとだけが、お姫ひめさまの船ふねを見みお送くっていたのですが、このとき、海うみの上うえが光ひかって、水みずの中なかに沈しずんでいくまばゆい光ひかりを、その人ひと々びとはながめました。そして、お姫ひめさまの赤あかい着きも物のに、日ひが映うつって、海うみの上うえを染そめるよう見みえたのです。 しかし、不ふ思し議ぎなことには、船ふねはだんだんと水みずの中なかに深ふかく沈しずんでいきました。侍こし女もとたちが手てに手てを取とって投なげる金きん銀ぎんの輝かがやきと、お姫ひめさまの赤あかい着きも物のとが、さながら雲くもの舞まうような、夕ゆう日ひに映うつる光こう景けいは、やはり陸りくの人ひと々びとの目めに見みられたのです。 ﹁お姫ひめさまの船ふねが、海うみの中なかに沈しずんでしまったのだろうか。﹂と、陸りくでは、みんなが騒さわぎはじめました。 赤あかい姫ひめ君ぎみと黒くろい皇おう子じの結けっ婚こんの日ひのことであります。皇おう子じは、待まてども待まてども、姫ひめ君ぎみが見みえないので、腹はらをたてて、ひとつには心しん配ぱいをして、幾いく人にんかの勇ゆう士しを従したがえて、自みずからシルクハットをかぶり、燕えん尾びふ服くを着きて、黒くろ塗ぬりの馬ばし車ゃに乗のり、姫ひめから贈おくられた黒くろ馬うまにそれを引ひかせて、お姫ひめさまの御ごて殿んのある城じょ下うかを指さして駆かけてきたのです。 城じょ下うかの人ひと々びとは、今こん度どのことから、なにか起おこらなければいいがと心しん配ぱいしていました。ちょうどそのとき、皇おう子じがやってこられるといううわさを聞ききましたので、みんなは家いえの中なかに入はいって、かかり合あいにならぬように、戸とを堅かたく閉しめてしまいました。 はたして夜よるになると、家いえの前まえをカッポ、カッポと鳴ならして通とおるひづめの音おとをみんなは聞ききました。その後あとからつづいて、幾いくつかの乱みだれたひづめの音おとが、入いり混まじって聞きこえてきました。みんなは、息いきを潜ひそめて黙だまって、その音おとに耳みみを傾かたむけたのです。すると、ひづめの音おとは、だんだんあちらに遠とおざかっていきました。 しばらくすると、こんどは、あちらから、こちらへ、カッポ、カッポと鳴なり近ちかづくひづめの音おとが聞きこえました。つづいて入いり乱みだれた幾いくつもの音おとを聞きいたのでありました。あちらにお姫ひめさまがいないので、彼かれらはこちらにきて探さがすもののように思おもわれました。 ﹁お姫ひめさまは、昨さく夜や、海うみの中なかに沈しずんでしまわれたのだもの。いくら探さがしたって見みつかるはずがない。﹂と、人ひと々びとは思おもっていました。 また、ひづめの音おとが聞きこえました。こんどは、またこちらから、あちらへもどっていくのです。 ﹁姫ひめは、どこへいったのじゃ。﹂と、叫さけぶ声こえが、闇やみの中なかでしました。 やがて、そのひづめの音おとが、聞きこえなくなると、後あとには、夜よか風ぜの空そらを渡わたる音おとがかすかにしました。しかしこうして、ひづめの音おとは、夜よな中か、家いえ々いえの前まえをいくたびも往おう来らいしたのであります。そして、夜よ明あけごろに、この一隊たいは、海うみの方ほうを指さして、走はしっていきました。人ひと々びとは、その夜よは眠ねむらずに、耳みみを澄すまして、このひづめの音おとを聞きいていました。 夜よが明あけたときには、もうこの一隊たいは、この城じょ下うかには、どこにも見みえませんでした。前ぜん夜やのうちに、皇おう子じの馬ばし車ゃも、それについてきた騎き馬ばの勇ゆう士しらも、波なみの上うえへ、とっとと駆かけ込こんで、海うみの中なかへ入はいってしまったものと思おもわれたのであります。 夕ゆう焼やけのした晩ばん方がたに、海うみの上うえを、電でん光こうがし、ゴロゴロと雷かみなりが鳴なって、ちょうど馬ばし車ゃの駆かけるように、黒くろ雲くもがいくのが見みられます。それを見みると、この町まちの人ひと々びとは、 ﹁赤あかい姫ひめ君ぎみを慕したって、黒くろい皇おう子じが追おっていかれる。﹂と、いまでも、いっているのでありました。