小(ちい)さな木(き)の芽(め)が土(つち)を破(やぶ)って、やっと二、三寸(ずん)ばかりの丈(たけ)に伸(の)びました。木(き)の芽(め)は、はじめて広(ひろ)い野(のは)原(ら)を見(みわ)渡(た)しました。大(おお)空(ぞら)を飛(と)ぶ雲(くも)の影(かげ)をながめました。そして、小(こと)鳥(り)の鳴(な)き声(ごえ)を聞(き)いたのであります。︵ああ、これが世(よ)の中(なか)というものであるか。︶と考(かんが)えました。
どれほど、この世(よ)の中(なか)へ出(で)ることを願(ねが)ったであろう。あの堅(かた)い土(つち)の下(した)にくぐっている時(じぶ)分(ん)には、同(おな)じような種(た)子(ね)はいくつもあった。そして、暗(くら)い土(つち)の中(なか)で、みんなはいろいろのことを語(かた)り合(あ)ったものだ。
﹁早(はや)く、明(あか)るい世(よ)の中(なか)へ出(で)たいのだが、みんながいっしょに出(で)られるだろうか。﹂と、一つの種(た)子(ね)がいうと、
﹁それはむずかしいことだ。だれが出(で)るかしれないけれど、あとは腐(くさ)ってしまうだろう。しかし出(で)たものは、死(し)んだ仲(なか)間(ま)の分(ぶん)も生(い)きのびてしげって、幾(いく)十年(ねん)も、幾(いく)百年(ねん)も雄(お)々(お)しく太(たい)陽(よう)の輝(かがや)く下(した)で華(はな)やかに暮(く)らしてもらいたい。もし、二つなり、三つなりが、いっしょに明(あか)るい世(せか)界(い)へ出(で)ることがあったら、たがいに依(よ)り合(あ)って力(ちから)となって暮(く)らしそうじゃないか。﹂と、他(た)の種(た)子(ね)が答(こた)えました。
みんなは、その種(た)子(ね)のいったことに賛(さん)成(せい)しました。しかしみんなが明(あか)るい世(せか)界(い)を慕(した)ったけれど、そのかいがなく、土(つち)の上(うえ)に出(で)ることを得(え)たものは、ただ一つだけでありました。
こうして、一本(ぽん)の木(き)の芽(め)は、この世(せか)界(い)に出(で)たが、見(み)るもの、聞(き)くものに心(こころ)を脅(おびや)かされたのであります。みんなの希(きぼ)望(う)まで、自(じぶ)分(ん)の生(せい)命(めい)の中(なか)に宿(やど)して、大(おお)空(ぞら)に高(たか)く枝(えだ)を拡(ひろ)げて、幾(いく)万(まん)となく群(むら)がった葉(は)の一つ一つに日(にっ)光(こう)を浴(あ)びなければならないと思(おも)いましたが、それはまだ遠(とお)いことでありました。
最(さい)初(しょ)、この木(き)の芽(め)の生(は)えたのを見(み)つけたものは、空(そら)を渡(わた)る雲(くも)でありました。けれど、ものぐさな無(むく)口(ち)な雲(くも)は、見(み)ぬふりをして、その頭(あたま)の上(うえ)を悠(ゆう)々(ゆう)と過(す)ぎてゆきました。
木(き)の芽(め)は、鳥(とり)をいちばんおそれていたのです。それは、代(だい)々(だい)からの神(しん)経(けい)に伝(つた)わっている本(ほん)能(のう)的(てき)のおそれのようにも思(おも)われました。あのいい音(ねい)色(ろ)で歌(うた)う鳥(とり)は、姿(すがた)もまた美(うつく)しいには相(そう)違(い)ないけれど、みずみずしい木(き)の芽(め)を見(み)つけると、きっと、それをくちばしでつついて、食(く)い切(き)ってしまうからです。そのくせ、鳥(とり)は木(き)が大(おお)きくなってしげったあかつきには、かってにその枝(えだ)に巣(す)を造(つく)ったり、また夜(よる)になると宿(やど)ることなどがありました。そんなことを予(よか)覚(く)しているような木(き)の芽(め)は、小(こと)鳥(り)に自(じぶ)分(ん)の姿(すがた)を見(み)いだされないように、なるたけ石(いし)の蔭(かげ)や、草(くさ)の蔭(かげ)に隠(かく)れるようにしていました。
口(くち)やかましい、そして、そそっかしい風(かぜ)が、つぎに木(き)の芽(め)を見(み)つけました。
﹁おお、ほんとうにいい木(き)の芽(め)だ。おまえは、末(すえ)には大(たい)木(ぼく)となる芽(め)ばえなんだ。おまえの枯(か)れた年(とし)老(と)った親(おや)は、よくこの野(のは)原(ら)の中(なか)で俺(おれ)たちと相(すも)撲(う)を取(と)ったもんだ。なかなか勇(ゆう)敢(かん)に闘(たたか)ったもんだ。この世(せか)界(い)は広(ひろ)いけれど、ほんとうに俺(おれ)たちの相(あい)手(て)となるようなものは少(すく)ない。はじめから死(し)んでいるも同(どう)然(ぜん)な街(まち)の建(たて)物(もの)や、人(にん)間(げん)などの造(つく)った家(うち)や、堤(てい)防(ぼう)やいっさいのものは、打(ぶつ)衝(か)っていっても、ほんとうに死(し)んでいるのだから張(は)り合(あ)いがない。そこへいくと、おまえたちや、海(うみ)などは、生(い)きているのだから、俺(おれ)が打(ぶつ)衝(か)ってゆくと叫(さけ)びもするし、また、戦(たたか)いもする。俺(おれ)は、じっとしていることはきらいだ。なんでも駆(か)けまわっていたり、争(あらそ)ったり組(く)みついたりすることが大(だい)好(す)きなのだ。﹂
木(き)の芽(め)は、まだ地(ち)の上(うえ)に産(う)まれてから、幾(いく)日(にち)もたたないので、ものを見(み)てもまぶしくてしかたがないほどでありましたから、こう、風(かぜ)におしゃべりをされると、ただ空(そら)怖(おそ)ろしいような、半(はん)分(ぶん)ばかり意(い)味(み)がわかって半(はん)分(ぶん)は意(い)味(み)がわからないような、どきまぎとした気(き)持(も)ちでいたのであります。
﹁しかし、おまえは、大(たい)木(ぼく)になる芽(め)ばえだとはいうものの、それまでには、おおかみに踏(ふ)まれたり、きつねに踏(ふ)まれたりしたときには、折(お)れてしまおう。そうすれば、それまでのことだ。だから体(からだ)を鍛(きた)えなければならない。﹂と、宇(うち)宙(ゅう)の浮(ふろ)浪(うし)者(ゃ)である風(かぜ)は、語(かた)って聞(き)かせました。
哀(あわ)れな木(き)の芽(め)は、風(かぜ)のいうことをともかくも感(かん)心(しん)して聞(き)いていましたが、
﹁それなら、どうしたら、私(わたし)は強(つよ)くなるのですか。﹂と、木(き)の芽(め)は、風(かぜ)に問(と)いました。
風(かぜ)は、いちだんと悲(ひつ)痛(う)な調(ちょ)子(うし)になって、
﹁それには、俺(おれ)がおまえを鍛(きた)えるよりしかたがない。いまおまえは、まだ小(ちい)さくて教(おし)えても歌(うた)えまいが、いんまに大(おお)きくなったら俺(おれ)の教(おし)えた﹃曠(こう)野(や)の歌(うた)﹄と、﹃放(ほう)浪(ろう)の歌(うた)﹄とを歌(うた)うのだ。﹂と、風(かぜ)は、木(き)の芽(め)にむかっていいました。
無(むき)窮(ゅう)から、無(むき)窮(ゅう)へ
ゆくものは、だれだ。
おまえは、その姿(すがた)を見(み)たか、
魔(まも)物(の)か、人(にん)間(げん)か。
黒(くろ)い着(きも)物(の)をきて
破(やぶ)れた灰(はい)色(いろ)の旗(はた)がひるがえる。
風(かぜ)は、歌(うた)って聞(き)かせました。そして、強(つよ)く、強(つよ)く吹(ふ)き出(だ)しました。木(き)の芽(め)ばかりでなく、野(のは)原(ら)に生(は)えていた、すべての草(くさ)や、林(はやし)が、驚(おどろ)いて騒(さわ)ぎ出(だ)しました。中(なか)にも、この小(ちい)さな木(き)の芽(め)は、柔(やわ)らかな頭(あたま)をひたひたとさして、いまにもちぎれそうでありました。
粗(そ)野(や)で、そそっかしい風(かぜ)は、いつやむと見(み)えぬまでに吹(ふ)いて、吹(ふ)いて吹(ふ)き募(つの)りました。木(き)の芽(め)は、もはや目(め)をまわして、いまにも倒(たお)れそうになったのであります。
このとき、太(たい)陽(よう)は、見(み)るに見(み)かねて、風(かぜ)をしかりました。
﹁なんで、そんなに小(ちい)さい木(き)の芽(め)をいじめるのだ。おまえが騒(さわ)ぎ狂(くる)いたいと思(おも)ったなら、高(たか)い山(やま)の頂(うえ)へでも打(ぶつ)衝(か)るがいい、それでなければ、夜(よる)になってから、だれもいない海(うみ)の真(ま)ん中(なか)で波(なみ)を相(あい)手(て)に戦(たたか)うがいい。もうこの小(ちい)さな木(き)の芽(め)をいじめてくれるな。﹂と、太(たい)陽(よう)はいいました。
風(かぜ)は、太(たい)陽(よう)に向(む)かって飛(と)びつきそうに、空(そら)へ躍(おど)り上(あ)がりました。そうして叫(さけ)びました。
﹁私(わたし)は、この小(ちい)さな木(き)の芽(め)をいじめるのではありません。強(つよ)く、強(つよ)く、強(つよ)くならなければ、どうしてこの曠(こう)野(や)の真(ま)ん中(なか)でこの木(き)の芽(め)が育(お)い立(た)ちましょう。そうするには私(わたし)が、木(き)の芽(め)を、強(つよ)くするように鍛(きた)えなければならないのです。﹂
太(たい)陽(よう)は、あきれたような顔(かお)つきをして、しばらくぼんやりと見(み)下(お)ろしていましたが、
﹁私(わたし)のいうことを守(まも)らんと、おまえを三千里(り)も四千里(り)も遠(えん)方(ぽう)へ追(お)いやってしまうぞ。これから、芽(め)が大(おお)きくなるまで、おまえはけっして、あんなに烈(はげ)しく吹(ふ)いてはならない。﹂と、太(たい)陽(よう)は風(かぜ)に命(めい)じました。
風(かぜ)は、声(こえ)低(ひく)く、﹁放(ほう)浪(ろう)の歌(うた)﹂をうたいながら、海(うみ)の方(ほう)をさして去(さ)ってしまいました。後(あと)で、太(たい)陽(よう)は哀(あわ)れな木(き)の芽(め)をじっとながめたのであります。
﹁もう驚(おどろ)くことはない。おまえを苦(くる)しめた風(かぜ)は遠(とお)くへ去(さ)ってしまった。これから後(あと)は、私(わたし)がおまえを見(みま)守(も)ってやろう。﹂と、太(たい)陽(よう)はいいました。
木(き)の芽(め)は、生(う)まれて出(で)た世(よ)の中(なか)が予(よそ)想(う)をしなかったほど、複(ふく)雑(ざつ)なのに頭(あたま)を悩(なや)ましました。そして、空(そら)恐(おそ)ろしさに震(ふる)えていました。
﹁おまえは寒(さむ)いのか。なんでそんなに震(ふる)えているのだ。﹂と、太(たい)陽(よう)は、怪(あや)しんで聞(き)きました。
木(き)の芽(め)は、風(かぜ)に吹(ふ)かれて、体(からだ)がたいへんに疲(つか)れてきました。そして、のどがこのうえもなく渇(かわ)いていたので、ただ雨(あめ)の降(ふ)ってくれることを望(のぞ)んでいましたが、しかし、そんなことを口(くち)に出(だ)していいもされずに、不(ふあ)安(ん)におそわれて震(ふる)えていたのです。
﹁かわいそうに、おまえは、ものがいえないほど寒(さむ)いのか。それで、震(ふる)えているのだろう。もう安(あん)心(しん)するがいい。風(かぜ)は、あちらへいってしまった。私(わたし)が、おまえを思(おも)いきって暖(あたた)めてやるから。﹂と、太(たい)陽(よう)はいいました。
そして、太(たい)陽(よう)は、急(きゅう)に熱(ねつ)と光(ひかり)をましました。その熱(ねつ)は雲(くも)を散(さん)じてしまいました。そして、やっと地(ち)の上(うえ)に伸(の)びたばかりの木(き)の芽(め)は、小(ちい)さな葉(は)がしぼんで、細(ほそ)い幹(みき)は乾(かわ)いて、ついに枯(か)れてしまいました。
太(たい)陽(よう)は、そのことには気(き)づかずに、日(ひ)暮(ぐ)れ方(がた)まで下(げか)界(い)を照(て)らしていました。
ある国(くに)にあった話(はなし)です。人(ひと)々(びと)は、長(なが)い間(あいだ)の版(はん)で押(お)したような生(せい)活(かつ)に疲(つか)れていました。毎(まい)日(にち)同(おな)じようなことをして、朝(あさ)になるとはね起(お)きて、働(はたら)き、食(く)い、そして日(ひ)が暮(く)れると眠(ねむ)ることにも飽(あ)きてしまいました。
みんなは、仲(なか)よく暮(く)らすことを希(きぼ)望(う)していましたけれど、どうしても、このことばかりはできなかったというのは、ある人(ひと)がたくさん金(かね)がもうかったときには、一(いっ)方(ぽう)ではまたたいへんに損(そん)をするというようなぐあいで、みんなの気(き)持(も)ちがいつも一つではなかったから、怒(おこ)るものもあれば、また喜(よろこ)ぶものがあり、中(なか)には泣(な)くものまた笑(わら)うものがあるというふうで、その間(あいだ)に嫉(しっ)妬(と)、嘲(ちょ)罵(うば)の絶(た)える暇(ひま)もなかったのでありました。
﹁ああ、なんで俺(おれ)たちは、産(う)まれてきたのだろう。産(う)まれたかいがないというものだ。毎(まい)日(にち)、こんなような同(おな)じことを繰(く)り返(かえ)して死(し)んでしまわなければならないのか?﹂と、人(ひと)々(びと)はため息(いき)をついていいました。
春(はる)になると、花(はな)が咲(さ)きました。ちょうどその国(くに)全(ぜん)体(たい)が花(はな)で飾(かざ)られるようにみえました。夏(なつ)になると、青(あお)葉(ば)でこんもりとしました。そして、秋(あき)がくる時(じぶ)分(ん)には、どこの林(はやし)も、丘(おか)も、森(もり)も、黄(きい)色(ろ)になって風(かぜ)のまにまにそれらの葉(は)が散(ち)りはじめました。冬(ふゆ)が過(す)ぎ、また春(はる)がめぐってくるというふうに繰(く)り返(かえ)されたのであります。
この国(くに)には、昔(むかし)からのことわざがありまして、夏(なつ)の晩(ばん)方(がた)の海(うみ)の上(うえ)にうろこ雲(ぐも)のわいた日(ひ)に、海(うみ)の中(なか)へ身(み)を投(な)げると、その人(ひと)は貝(かい)に生(う)まれ変(か)わる。また、三年(ねん)もたつと、海(うみ)の上(うえ)にうろこ雲(ぐも)がわいた日(ひ)に、その貝(かい)は白(はく)鳥(ちょう)に変(か)わってしまう。白(はく)鳥(ちょう)になると自(じゆ)由(う)に空(そら)を飛(と)ぶことができる、白(はく)鳥(ちょう)は遠(とお)い、遠(とお)い、沖(おき)のかなたにある﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)﹂へ飛(と)んでゆくというのであります。
﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)があるというが、それはほんとうのことだろうか。﹂
ある人(ひと)が、この国(くに)でいちばん物(もの)知(し)りといううわさの高(たか)い人(ひと)に向(むか)って問(と)いました。物(もの)知(し)りはもうだいぶ年(とし)をとった、白(しら)髪(が)のまじった老(ろう)人(じん)でありました。
﹁それはほんとうのことだ。幸(こう)福(ふく)の島(しま)へゆけば、いまこの国(くに)でまちがっているようなことは、たとえ見(み)ようと思(おも)っても見(み)られない。そのうえ、山(やま)へゆけば木(き)がしげっている。土(つち)を掘(ほ)ればいい水(みず)がわいてくる。岩(いわ)を破(わ)れば、金(きん)・銀(ぎん)・銅(どう)・鉄(てつ)などが光(ひか)っている。野(のは)原(ら)には花(はな)が咲(さ)き乱(みだ)れ、田(た)や、畠(はたけ)にはしぜんと穀(こく)物(もつ)が茂(しげ)っている。そこへさえゆけば、人(ひと)は眠(ねむ)っていて楽(らく)に生(くら)活(し)がされるから、たがいに争(あらそ)うということを知(し)らない。ただ、しかしその幸(こう)福(ふく)の島(しま)へいくのが容(よう)易(い)でない。波(なみ)が荒(あら)いし、恐(おそ)ろしい風(かぜ)が吹(ふ)く、また、深(ふか)い海(うみ)の中(なか)には魔(まも)物(の)がすんでいて、通(とお)る船(ふね)を覆(くつがえ)してしまう。だれも、まだその島(しま)にいったものがないが、島(しま)には、人(にん)間(げん)が住(す)んでいるということだ。また幸(こう)福(ふく)の島(しま)の女(おんな)は、天(てん)使(し)のように美(うつく)しいということだ。昔(むかし)から、その島(しま)へいってみたいばかりに、神(かみ)に願(がん)をかけて貝(かい)となったり、三年(ねん)の間(あいだ)海(うみ)の中(なか)で修(しゅ)業(ぎょう)をして、さらに白(はく)鳥(ちょう)となったり、それまでにして、この島(しま)に憧(あこが)れて飛(と)んでゆくのであった。白(しろ)い鳥(とり)は、その島(しま)にゆくと、花(はな)の咲(さ)いている野(のは)原(ら)の上(うえ)で舞(ま)うのである。またあるときは、いつも緑(みどり)の色(いろ)の変(か)わらない林(はやし)の中(なか)で歌(うた)い、あるときは、美(うつく)しい女(おんな)の肩(かた)に止(と)まって愛(あい)されもするというが、じつに不(ふ)思(し)議(ぎ)なことだ。﹂
物(もの)知(し)りの老(ろう)人(じん)は答(こた)えました。この話(はなし)を聞(き)いた人(ひと)は、目(め)をみはりました。そして驚(おどろ)きました。
﹁なぜ、こんな不(ふ)思(し)議(ぎ)な話(はなし)をもっと早(はや)く、みんなに聞(き)かせてはくださらなかったのですか。﹂と、老(ろう)人(じん)に向(む)かっていいました。
﹁こういう話(はなし)は、世(よ)の中(なか)を騒(さわ)がせるものだから、あまりしないほうがいいと思(おも)ったのだ。﹂と、物(もの)知(し)りは答(こた)えました。
この話(はなし)は、いつか国(くに)じゅうに伝(つた)わり広(ひろ)まったのであります。
生(せい)活(かつ)に興(きょ)味(うみ)を失(うしな)っている若(わか)い人(ひと)々(びと)の中(なか)では、毎(まい)日(にち)うなだれて沈(しず)んでいるものもありましたが、一命(めい)を賭(か)けても、幸(こう)福(ふく)の世(せか)界(い)を見(み)いだしたいと思(おも)ったものもありました。そして、夏(なつ)の日(ひ)が海(うみ)のかなたに傾(かたむ)いて無(むす)数(う)のうろこ雲(ぐも)が美(うつく)しく花(はな)弁(びら)のように空(そら)に散(ち)りかかったときに、身(み)を投(な)げて死(し)んだものもありました。
こうして、死(し)んだ人(ひと)々(びと)に対(たい)しては、だれも悲(かな)しいというような感(かん)じを抱(いだ)きませんでした。このままこの国(くに)に朽(く)ちてしまって土(つち)となるよりは、生(う)まれ変(か)わって幸(こう)福(ふく)の島(しま)へゆくことがどれほど楽(たの)しい愉(ゆか)快(い)なことであるかしれなかったからです。
そして、海(うみ)の中(なか)に身(み)を投(な)げて死(し)ぬほどの勇(ゆう)気(き)もなく、いたずらに、醜(みぐるし)く年(とし)を取(と)って木(き)の枯(か)れるように死(し)んでしまうことが、その美(うつく)しい死(し)に較(くら)べたら、どんなにか陰(いん)気(き)で、また暗(くら)い事(じじ)実(つ)でありましたでしょう?
日(ひ)が沈(しず)むころになると、毎(まい)日(にち)のように、海(かい)岸(がん)をさまよって、青(あお)い、青(あお)い、そして地(ちへ)平(いせ)線(ん)のいつまでも暗(くら)くならずに、明(あか)るい海(うみ)に憧(あこが)れるものが幾(いく)人(にん)となくありました。海(うみ)は、永(えい)久(きゅう)にたえず美(びみ)妙(ょう)な唄(うた)をうたっています。その唄(うた)の声(こえ)にじっと耳(みみ)をすましていると、いつしか、青(あお)黒(ぐろ)い底(そこ)の方(ほう)に引(ひ)き込(こ)められるような、なつかしさを感(かん)じました。
まれには、月(つき)の光(ひかり)が、波(なみ)の上(うえ)を静(しず)かに照(て)らす夜(よる)になってから、感(かん)がきわまって、とつぜん海(うみ)の中(なか)に身(み)を躍(おど)らしたものもあったのです。
生(う)まれ変(か)わるという信(しん)仰(こう)が、どれほど味(あじ)気(け)ない生(せい)活(かつ)に活(かっ)気(き)をつけたかしれません。﹁死(し)﹂ということがこんなに、このときほど意(い)義(ぎ)のあることに思(おも)われたかわかりません。
﹁死(し)なずに幸(こう)福(ふく)の島(しま)へ渡(わた)れないものだろうか。﹂
多(おお)くの人(ひと)々(びと)の中(なか)には、身(み)を海(うみ)に投(な)げてしまって、はたして、ふたたび生(う)まれ変(か)わるだろうかという疑(うたが)いをもったものもおります。その人(ひと)々(びと)は死(し)なずに、どんな冒(ぼう)険(けん)でもやってみて、その島(しま)へたどり着(つ)きたいものだと思(おも)いました。そして、そのことを年(とし)よりの物(もの)知(し)りにたずねました。
﹁ゆけないこともあるまいが、なにしろ遠(とお)い。その島(しま)へ渡(わた)るまでには怖(おそ)ろしい風(かぜ)の吹(ふ)いているところがある。また、大(おお)波(なみ)の渦(うず)巻(ま)いているところがある。魔(まも)物(の)のすんでいる深(ふか)い海(うみ)をも通(とお)らなければならない。その用(よう)意(い)が十分(ぶん)できるなら、ゆけないこともないだろう。﹂と、なんでも知(し)っている老(ろう)人(じん)は答(こた)えました。
考(かんが)え深(ぶか)い、また臆(おく)病(びょう)な人(ひと)たちは、たとえその準(じゅ)備(んび)に幾(いく)年(ねん)費(つい)やされても十分(ぶん)に用(よう)意(い)をしてから、遠(とお)い幸(こう)福(ふく)の島(しま)に渡(わた)ることを相(そう)談(だん)しました。
それからというものは、みんなは働(はたら)くことに張(は)り合(あ)いを得(え)ました。あるものは、海(うみ)を渡(わた)る船(ふね)について工(くふ)夫(う)を凝(こ)らしました。あるものは、いろいろな器(き)具(ぐ)について考(かんが)えました。またあるものは、その島(しま)についてからのことなどを研(けん)究(きゅう)して頭(あたま)を悩(なや)ましました。しかしその悩(なや)みは、行(ゆ)く末(すえ)の幸(こう)福(ふく)を得(う)ることのために愉(ゆか)快(い)でありました。早(はや)く、その未(み)知(ち)の島(しま)にゆきたいものだとみんなは心(こころ)で思(おも)いました。どんな困(こん)難(なん)や辛(しん)苦(く)がこの後(のち)あってもそれを切(き)り抜(ぬ)けてゆこうという勇(ゆう)気(き)がみんなの心(こころ)にわいたのであります。
太(たい)陽(よう)は、赤(あか)く、暮(く)れ方(がた)になると海(うみ)のかなたに沈(しず)みました。そのとき、炎(ほのお)のように見(み)える雲(くも)が地(ちへ)平(いせ)線(ん)に渦(うず)巻(ま)いていました。
﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)は、あの雲(くも)の下(した)のあたりにあるのだろう。﹂と、みんなはその方(ほう)を望(のぞ)みながら、いいました。やがて、日(ひ)がまったく沈(しず)んで、空(そら)の色(いろ)がだんだん暗(くら)くなると、地(ちへ)平(いせ)線(ん)は波(なみ)に洗(あら)われて、雲(くも)の色(いろ)の消(き)えてゆくのを惜(お)しんだのであります。
ある日(ひ)のこと、人(ひと)々(びと)がいつものごとく、海(かい)岸(がん)に立(た)って沖(おき)の方(ほう)をながめていました。そのとき、なにか一つ黒(くろ)い点(てん)のようなものが、夕(ゆう)空(ぞら)をこなたに向(む)かってだんだん近(ちか)づいてくるように見(み)えたのであります。みんなはしばらく、目(め)をみはってそのものに気(き)をとられていました。
﹁あれは、なんだろうか。こちらに向(む)かってこいでいるようだ。﹂
﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)から、魁(さきがけ)をして、こちらの国(くに)へやってきたのではないか。﹂
﹁なんにしても、いまに着(つ)いたら、すこしぐらい沖(おき)のようすがわかるだろう。﹂と、みんなは、くびを差(さ)し伸(の)ばして黒(くろ)いもののこの岸(きし)に近(ちか)寄(よ)るのを待(ま)っていました。
だんだんとその黒(くろ)いものは近(ちか)づいたのであります。すると、小(ちい)さな船(ふね)で、それには三人(にん)のものが乗(の)っていたのであります。やっとその船(ふね)は汀(みぎわ)に着(つ)きました。船(ふね)から下(お)りた三人(にん)のものは、目(め)ばかり鋭(するど)く光(ひか)って、ひげは黒(くろ)く、頭(か)髪(み)はのびて、ほとんど、骨(ほね)と皮(かわ)ばかりにやせ衰(おと)えていたのです。
﹁みんな俺(おれ)たちの顔(かお)をば忘(わす)れてしまったろう。十年(ねん)ばかりまえに沖(おき)へ出(で)て、大(おお)風(かぜ)のために遠(とお)くへ流(なが)されたものだ。﹂と、その中(なか)のいちばん背(せ)の高(たか)い男(おとこ)がいいました。
人(ひと)々(びと)は、十年(ねん)ばかり前(まえ)にあった大(だい)暴(ぼう)風(ふう)雨(う)の夜(よ)のことを記(きお)憶(く)から呼(よ)び起(お)こしました。そして、三人(にん)のものがいまだに行(ゆく)方(えふ)不(め)明(い)であることを思(おも)い出(だ)したのであります。
﹁よく帰(かえ)ってきた。もうみんなは死(し)んだものと思(おも)っていた。おまえたちは、幸(こう)福(ふく)の島(しま)にでも救(すく)われていたのか?﹂と、群(ぐん)集(しゅう)の中(なか)から、一(ひと)人(り)がいいました。
﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)?﹂と、そのとき、三人(にん)の中(うち)一(ひと)人(り)が、自(じぶ)分(ん)の耳(みみ)を怪(あや)しむように、大(おお)きな声(こえ)で聞(き)き返(かえ)しました。
﹁そうだ。幸(こう)福(ふく)の島(しま)に長(なが)い間(あいだ)、住(す)んでいたかと聞(き)くのだ。﹂と、群(ぐん)集(しゅう)の中(なか)から一(ひと)人(り)が答(こた)えました。
﹁ばかにするのか? 地(じご)獄(く)から、やっと逃(に)げ出(だ)してきた俺(おれ)たちに向(む)かって、幸(こう)福(ふく)の島(しま)とはなんのことだ?おまえがたは、久(ひさ)々(びさ)で帰(かえ)ってきたものを侮(ぶじ)辱(ょく)するつもりなのか。﹂と、三人(にん)は、青(あお)い顔(かお)をして怒(おこ)りました。
みんなは、意(いが)外(い)なできごとに驚(おどろ)いて、三人(にん)をやっとのことでなだめました。
﹁ちょうど、ここから見(み)ると、あの太(たい)陽(よう)の沈(しず)む、渦(うず)巻(ま)く炎(ほのお)のような雲(くも)の下(した)だ。その島(しま)に着(つ)くと、三人(にん)はひどいめにあった。朝(あさ)から晩(ばん)まで、獣(けも)物(の)のように使(しえ)役(き)された。俺(おれ)たちはどうかしてこの島(しま)から逃(に)げ出(だ)したいものだと思(おも)ったけれど、どうすることもできなかった。日(ひ)が暮(く)れると海(うみ)辺(べ)へ出(で)ては、火(ひ)をたいて、もしやこの火(ひか)影(げ)を見(み)つけたら、救(すく)いにきてはくれないかと、あてもないことを願(ねが)った。三人(にん)は、ついに丘(おか)の上(うえ)の獄(ごく)屋(や)に入(い)れられてしまった。そして、長(なが)い間(あいだ)、その獄(ごく)屋(や)のうちで月(つき)日(ひ)を送(おく)ったのだ。たまたま月(つき)の影(かげ)が、窓(まど)からもれると、その月(つき)を見(み)て遠(とお)い海(うみ)のかなたのふるさとをしのんだ。ある晩(ばん)のこと、三人(にん)は、その窓(まど)から逃(に)げ出(だ)した。そして、ようようの思(おも)いで、助(たす)かってここまで逃(に)げてきたのだ。﹂と、三人(にん)は、くわしく物(もの)語(がた)りました。みんなは、年(とし)寄(よ)りの物(もの)知(し)りにあざむかれたことを憤(いきどお)りました。
﹁ああ、俺(おれ)たちはばかだった。あの老(ろう)人(じん)が、自(じぶ)分(ん)でいきもしない﹃幸(こう)福(ふく)の島(しま)﹄などというものを知(し)っているはずがなかったのだ。あの老(ろう)人(じん)を、だれがいったい物(もの)知(し)りなどといったのだ。そして、あの老(ろう)人(じん)のおかげで幾(いく)人(にん)海(うみ)の中(なか)へ身(み)を投(な)げて死(し)んだかしれない。﹂
みんなは、老(ろう)人(じん)を海(かい)岸(がん)へひきずってきました。そして、みんなをあざむいたことをなじりました。すると、老(ろう)人(じん)は、案(あん)外(がい)平(へい)気(き)な顔(かお)をしていいました。
﹁昔(むかし)は、﹃幸(こう)福(ふく)の島(しま)﹄だったのだ。しかし、それがいま﹃禍(わざわい)の島(しま)﹄に変(か)わってしまったのだ。それをだれが知(し)っていよう。けっして、私(わたし)の罪(つみ)じゃない。﹂
けれど、みんなは老(ろう)人(じん)のいうことを承(しょ)知(うち)しませんでした。そしてついに老(ろう)人(じん)を三人(にん)の乗(の)ってきた小(こぶ)船(ね)に乗(の)せて、沖(おき)の方(ほう)へ流(なが)してしまいました。みんなは、これで復(ふく)讐(しゅう)がとげられたと思(おも)いました。もうこれからは、みんな物(もの)知(し)りなどというものがいなくて、この国(くに)の人(ひと)々(びと)が迷(まよ)わされる心(しん)配(ぱい)のないのを喜(よろこ)びました。しかし、そうした喜(よろこ)びもつかのまのことでありました。
みんなは、また、前(まえ)のように生(い)きている望(のぞ)みを失(うしな)ってしまいました。なんのために、自(じぶ)分(ん)らは、こうして味(あじ)気(け)ない生(せい)活(かつ)をつづけなければならぬのか。
﹁禍(わざわい)の島(しま)でもいいからいってみたい。﹂といって、まれには船(ふね)を押(お)し出(だ)していくものもありました。
未(み)知(ち)の世(せか)界(い)に憧(あこが)れる心(こころ)は、﹁幸(こう)福(ふく)の島(しま)﹂でも、また、﹁禍(わざわい)の島(しま)﹂でも、極(きょ)度(くど)に達(たっ)したときは変(か)わりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲(よく)深(ぶか)であったり、嫉(しっ)妬(と)しあったり、争(あらそ)い合(あ)ったりする生(せい)活(かつ)に愛(あい)想(そう)をつかしました。そして、これがほんとうの人(じん)生(せい)であるとは、どうしても真(しん)に信(しん)じられなかったのであります。