一
ある家いえの門もんのところに、大おおきなしいの木きがありました。すずめが、その枝えだの中なかに巣すを造つくっていました。さわやかな風かぜが吹ふいて、きらきらと若わか葉ばは波なみだてていました。 ﹁お母かあさん、さっきから、小ちいさな子こど供もたちがこの木きの下したでぺちゃぺちゃいっているが、なにをしているんでしょうね。﹂と、子こすずめがききました。 ﹁さあ、なにをしているのでしょう。年とし雄おさんとちい子こちゃんとですね。おまえ下したの枝えだまでいってごらんなさい。﹂と、母ははすずめが答こたえました。 ﹁空くう気きじ銃ゅうで打うたれるといけないな。﹂ ﹁いいえ、あの子こたちは、そんなわるいことをしませんよ。それに、もうこのごろは、銃じゅうを持もつ季きせ節つでありませんからね。﹂ 子こすずめは、飛とんで降おりようとしました。 ﹁だが、あまり下したへいってはいけませんよ。近きん所じょにねこがいますからね。﹂と、母ははすずめは注ちゅ意ういをしました。 ﹁お母かあさん、ねこならだいじょうぶですよ。僕ぼくたちのほうがよっぽど早はやい。﹂ ﹁いいえ、ここにいる年としとったねこは、それはりこうで、木きに登のぼることが上じょ手うずです。いつか、私わたしですら、もうちょっとで捕つかまるところでしたから、油ゆだ断んをしてはいけません。﹂ ﹁あの白しろと黒くろのぶちのあるねこでしょう？﹂ ﹁そうです。あのねこも、このごろどこかわるいのか、それとも年としをとって体からだがよわったのか、このあいだ、下したを通とおったときは、元げん気きがなかったようでした。ですから、もう前まえのように恐おそろしいこともないでしょう。﹂ ﹁前まえって、いつごろのことですか。﹂ ﹁去きょ年ねんあたりまでは、目めがぴかぴかと光ひかって肩かたを怒いからして、のそり、のそりと歩あるいたものです。﹂ 子こすずめは、このうえお母かあさんのお話はなしをじっとして聞きいている気きにはなれなかったのです。それよりは、下したの子こど供もたちの遊あそびを見みるほうが、よっぽどおもしろそうでありました。チュン、チュン、と鳴ないて、子こすずめは、下したの枝えだへ移うつっていきました。 ﹁ちい子こちゃん、このみみずは、あっちの圃はたけへ歩あるいていこうとしたのだね。﹂と、年とし雄おさんが、いっています。ちい子こちゃんは、白しろく乾かわいた道みちの上うえで、じっとして動うごかないみみずを見みつめていました。 ﹁どうして。﹂ ﹁だって、太たい陽ようが、当あたって暑あついから、水みず気けのある、圃はたけへいきたかったのだよ。﹂ ﹁年とし雄おさん、きっとそうだわ。﹂ ちい子こちゃんは、じっとしている、みみずの体からだに、日ひの光ひかりがにじむのを見みながら、どうして、こんなところを歩あるいたのかということがわかりました。 ﹁かわいそうだな。﹂と、年とし雄おさんが、いいました。 ﹁あんまり、のろいからよ。もっと早はやく歩あるけばいいのに。﹂ ﹁だって、歩あるけないから、しかたがないだろう。﹂ 二ふた人りの考かんがえ方かたが、ちがいました。 ﹁はや、ありがたかってよ、年とし雄おさん。﹂と、ちい子こちゃんは、どこからか、みみずのじっとして動うごけないのを知しって、集あつまってくるありを見みて、不ふ思し議ぎがりました。 ﹁こいつめ、こいつめ。﹂といいながら、年とし雄おさんは、石いしころで、一ぴき、一ぴき、小ちいさなありを殺ころしていました。 ﹁年とし雄おさん、およしなさいよ。ありが、わるいんではないわ。﹂ ﹁まだ、みみずは、生いきているんだよ。﹂ ﹁みみずがのろのろしているから、わるいのよ。﹂と、ちい子こちゃんは、あくまで、みみずのせいにしていました。 木きの枝えだに止とまって、下したのようすを見みていた子こすずめは、 ﹁さあ、どちらが、わるいのだろうか。﹂と、頭あたまをかしげていました。年とし雄おさんにもわからなかったかもしれません。 ﹁あっちへ、飛とんでいけ。﹂といって、棒ぼう切きれへありのついたみみずを引ひっかけて、圃はたけの方ほうへ投なげてしまいました。 ﹁年とし雄おさん、お花はなを見みつけて、おままごとしましょうよ。﹂ 二ふた人りは、あちらへ、駆かけていきました。子こすずめは、母ははすずめのところへきて、いま見みた話はなしをしたのでした。 ﹁お母かあさん、みみずがわるいのですか、ありがわるいんですか。﹂ 母ははすずめは、しばらく考かんがえていたが、 ﹁みみずは、ありをたべないから、ありがわるいんでしょうね。﹂と、答こたえました。 子こすずめは、お母かあさんはさすがに偉えらいと感かん心しんしました。 ﹁そうね、お母かあさん、私わたしたちは、ねこを食たべはしないのに、ねこは、私わたしたちを捕とろうとするんですものね。﹂ ﹁ああ、そうだよ。﹂ こんな話はなしをしていたとき、あちらの垣かき根ねの下したをくぐって、白しろと黒くろのぶちねこが近ちかづきました。二
﹁おや。﹂と、母ははすずめは、おどろいて、
﹁あのねこの歩あるきかたをごらんなさい。﹂と、子こすずめに、いいました。
﹁また、私わたしたちが、ここにいるのを知しってきたのでしょうか。﹂と、子こすずめも、枝えだの上うえから、そのねこを見み下おろしました。
﹁おまえには、そんな元げん気きがあるように見みえますか。あのねこは、やっと歩あるいているのですよ。﹂
木きの上うえで、母ははすずめと子こすずめが、ねこを見みながら、話はなしをしていると、あちらから、ほかの若わかいねこがきかかりました。年としとったねこは、とぼとぼといき過すぎようとしたが、若わかいねこは、そのそばへ寄よってきました。前まえには、この年としとったねこにいじめられたこともあったろうが、いまはすべて忘わすれているようです。
﹁どうしたんですか。﹂と、若わかいねこが、ききました、年としとったねこも、ちょっと足あしをとめて、
﹁私わたしは、体からだがわるいのだから、どうかそばへ寄よらないでおくれ。﹂と、力ちからなくいいました。
﹁どこが、わるいのですか。﹂
﹁なにか、毒どくになるものを食たべたとみえて、ここまで歩あるくのがやっとなんだよ。﹂
﹁そんな気きの弱よわいことでどうするんですか。私わたしたちは、よくあなたに追おいかけられたものです。あの時じぶ分んの元げん気きを出だしてください。﹂
﹁もう、そんなことをいっておくれでない。私わたしは、これから身みを隠かくす場ばし所ょを探さがそうと思おもっているのだ。﹂
﹁あなたがいなくなれば、私わたしは、ここで威い張ばることができます。たとえ、威い張ばることができても、私わたしは、うれしいと思おもいません。﹂
﹁おまえさんの天てん下かになるのに、なんでうれしくないことがあるもんかね。﹂と、年としとったねこが、まぶしそうな目めつきをして、いいました。
﹁いいえ、このつぎには、私わたしが、またあなたのようになると思おもうからです。﹂
若わかいねこは、なつかしそうに病びょ気うきのねこへ近ちかづきました。
二ひきのねこは、たがいに顔かおを寄よせ合あって、体からだをすりつけるようにして、別わかれたのです。
﹁さようなら。﹂
﹁さようなら。﹂
木きの上うえでは、母ははすずめと子こすずめが、じっとそのようすを見みま守もっていました。
年としとったねこは、しいの木きの下したを通とおるときに、木きの上うえを見み上あげながら立たち止どまりました。二羽わのすずめは、自じぶ分んたちを見みたのかと、びっくりしました。
﹁おや、まだ私わたしたちをねらうのだろうか？﹂
﹁逃にげましょうか、お母かあさん。﹂
﹁いいえ、じっとしておいで。﹂
ねこの目めには、もう獲えも物のの影かげなどうつりませんでした。ただ、その木こだ立ちがなつかしかったのです。
﹁よくこの木きにも登のぼったものだ。あのいちばん高たかい頂いただきまで、かけ上あがるのも平へい気きだった。﹂
ねこは、さも昔むかしのことを思おもい出だしたように、木きの周しゅ囲ういをぐるりと、熱ねつのためにふらふらする足あしつきで、体からだをすりつけながらまわりました。
﹁ああ、この木きともお別わかれだ。﹂
ねこはしいの木きに別わかれを告つげるために、ここまできたのでした。そして、もう思おもい残のこすことがないというふうに、とぼとぼとわき見みもせず、あちらへ消きえてしまいました。
チュン、チュンと、このとき、子こすずめが鳴なき声ごえをたてると、母ははすずめは、しかりました。
﹁おとなしくしておいで。私わたしたちはみみずにたかったありのようなまねをしてはいけません。﹂といいました。
ある日ひ、急きゅうにこの木きの下したが、やかましかったのです。ちい子こちゃんの家いえが、引ひっ越こしするのでした。
﹁おや、引ひっ越こしなんだよ。﹂と、母ははすずめは、びっくりしました。
﹁えっ、ちい子こちゃんの家いえが引ひっ越こしするの。﹂と、子こすずめが問といかえしました。
﹁もう、私わたしたちを守まもってくれる、やさしい子こど供もがいなくなります。﹂
ちい子こちゃんの兄にいさんは、空くう気きじ銃ゅうを持もってすずめを打うちにくる子こど供もがあると、あぶないといってしかったのでした。
ちい子こちゃんの兄にいさんは、しいの木きの下したに立たって、
﹁しいの木きも、すずめさんも、元げん気きでいるんだよ。﹂と、見み上あげたのでした。そこへ、妹いもうとのちい子こちゃんと隣となりの年とし雄おさんが、走はしってきました。
﹁年とし雄おさん、僕ぼく、しいの実みが大おおきくなった時じぶ分んに遊あそびにこようね。﹂と、兄にいさんが、いいました。
﹁私わたしも、そうしたら、またしいの実みを拾ひろって遊あそびましょうね。﹂と、ちい子こちゃんがいいました。
﹁こんどのお家うちに、大おおきな木きがあるの。﹂と、年とし雄おさんが、ききました。
﹁町まちの中なかだから、こんな大おおきな木きはないって、お父とうさんが、いったわ。﹂
﹁遠とおいの。﹂
﹁電でん車しゃに乗のって、おいでよ。﹂
子こど供もらが、いろいろの話はなしをしているのを、すずめは、木きの上うえで耳みみを傾かたむけて聞きいていました。
﹁おまえ、世よの中なかって、楽たのしいことがあったり、悲かなしいことがあったり、こういうものだよ。﹂と、母ははすずめは、子こすずめに、静しずかにいってきかしたのであります。