広ひろい庭にわには、かきが赤あかくみのっていました。かきねの破やぶれを直なおして、主しゅ人じんは、いま縁えん側がわへ腰こしを下おろし、つかれを休やすめていたのです。彼かれはこのあたりの地じぬ主しでした。 裏うら門もんから、寺てらのおしょうさんが、にこにこしながら、入はいってくるのを見みると、ちょっと迷めい惑わくそうな顔かお色いろをしたが、すぐ笑わらいにまぎらして、丁てい寧ねいに迎むかえました。 ﹁あまりごぶさたをしたので、前まえを通とおりかかったものだから。﹂と、おしょうさんは、いいました。 ﹁どうぞ、すこしお上あがりください。﹂ 地じぬ主しは、おしょうさんを、茶ちゃの間まへ通とおしました。 ﹁おお、ここのにわとりは、ねこを追おいかけるな。﹂と、土ど間まの方ほうを見みて、おしょうさんは、さもおどろいたように、大おおきな声こえでいいました。 ﹁このあいだ、卵たまごを産うんだので、魚さかなの骨ほねをやりましたら、ねこの分ぶんまで、自じぶ分んのものと思おもい、しようのないやつです。﹂ ﹁ほ、ほう、なるほどしつけは、怖おそろしいもんだな。教きょ育ういくのしかたで、いい子こも、わるくなるから。﹂と、あとのほうを、おしょうさんは、ひとりごとのようにいって、立たち上あがりました。そして、仏ぶつ壇だんの前まえへすわり、静しずかにかねをたたき、お念ねん仏ぶつを唱となえたのです。そこには、軍ぐん服ぷく姿すがたをした若わか者ものの写しゃ真しんが飾かざられ、お供そなえ物ものが上あがっていました。 ﹁まだお便たよりがありませんか。もう帰かえるものは、たいてい帰かえったようにききますが。﹂ おしょうさんは、もとの座ざへもどりました。 ﹁うちのせがれは、死しんだものと、あきらめています。﹂と、地じぬ主しは、こう答こたえて、さすがにさびしそうでありました。 ﹁いつ亡なくなられたものかの。﹂ おしょうさんは、声こえを低ひくく落おとしました。 ﹁なんでも、南みなみへいった舟ふねは、およそ途とち中ゅうでやられたという話はなしで﹂ ﹁いや、こんどの戦せん争そうでは、お気きの毒どくな方かたが、どれほどいるかしれません。なんにしても、戦せん争そうばかりは、地じご獄くにまさる、この世よの地じご獄くですぞ。﹂と、おしょうさんは、ため息いきをもらして、瞑めい目もくしました。このとき地じぬ主しのついでくれた茶ちゃをすすって、またおしょうさんは、じっと考かんがえていました。庭にわの木こだ立ちで、あぶらぜみの鳴なく声こえがします。 先さっ刻きから、おしょうさんが、なんで立たち寄よったろうかと思おもったのが、ほぼ察さっせられると、地じぬ主しは、先せん手てを打うつつもりで、 ﹁なにしろ頼たのみとするせがれでしたので、量りょ見うけんがせまいようですが、当とう分ぶん他たに人んさまのためにどうこうする気き持もちも起おこりません。﹂といいました。 ﹁ごもっとものことです。ご存ぞんじのごとく、資しり力ょくのない私わたしどもに、人ひとを助たすける資しか格くはありませんが、ほかでない、両りょ親うしんをなくした、子こど供もの身みを考かんがえますと、だれも世せ話わをするものがなければ、自じぶ分んがしなくてはという気きでやったものの、皆みなの力ちからを借かりねばできぬ事じぎ業ょうでして。﹂と、おしょうさんはいいました。 ﹁おおぜいの子こど供もの世せ話わでは、おたいていでありますまい。﹂ ﹁いまのところ、まだ五、六人にんですが、なにしろこんな時じせ勢いで、それさえ荷にが重おもすぎ、ときどき途とほ方うにくれますよ。しかし、またいじらしい子こど供もの姿すがたを見みると、これを見み捨すてられるものかとむち打うたれるのです。﹂ この話はなしをきくうち、地じぬ主しの目めに、一つの光こう景けいが浮うかびました。過かじ日つこの孤こじ児え園んの孤こ児じたちが、連つれ立だって、書しょ簡かんせんや、鉛えん筆ぴつや、はみがき粉こなどをかんへ入いれて、売うりにきたとき、自じぶ分んは、つれなく、﹁みんなあるから、いらない。﹂と、断ことわったのだった。そのとき、子こど供もらは恨うらめしそうに、こちらを見みたが、いずれも顔かお色いろは青あおく、手てあ足しがやせて、草ぞう履りを引ひきずって歩あるくのも物もの憂うそうなようすであった。 おしょうさんは、前まえの茶ちゃわんをとり上あげて、残のこった茶ちゃをすすりながら、 ﹁子こど供もには罪つみがありません。みんな大おと人なの犯おかした悪あくの酬むくいです。どうか、世せけ間んにそのことがわかってもらいたいのです。さすがに、子こど供もどうしの間あいだでは同どう情じょうがあって、行ぎょ商うしょうに出でると、鉛えん筆ぴつや、紙かみなどを学がっ校こうの生せい徒とが買かってくれます。ありがたいことです。﹂と、こう、意い味みありげにいって、おしょうさんは、扇せん子すでふところへ風かぜを入いれていました。 この家いえの軒のき下したには、薪たきぎが、山やまのごとく積つんでありました。また土ど間まには、つけ物ものおけや、みそだるが、並ならべて置おいてあり、中なかすみの方ほうには、まだどろのついたままの芋いもや、にんじんが、ころがっていました。さらに、奥おくの間まへ目めを向むけると、百姓しょ家うやにしては、ぜいたくすぎる派は手でな着きも物のが、同おなじように高こう価かな帯おびといっしょに衣いこ桁うへかかっていました。 外そとから見みて、何なん人ぴとか、ここに悲かなしみがあると思おもうだろうか。むろんここには近きん所じょまで迫せまった飢き餓がもなければ貧ひん困こんもなかったのでした。 ﹁ふとる盛さかりの子こに、腹はらいっぱい食たべさせられないのは、なによりもつらいのです。このあいだ、町まちからきた子こが、白しろい飯めしをどうしてもたべません。きいてみると、こんな光ひかるご飯はんを、見みたことがないというのです。﹂と、話はなしました。 ﹁光ひかるからというんですね。﹂ ﹁なんでも、その子こは、母はは親おやと方ほう々ぼうを転てん々てんしたというから、これまでの生せい活かつが、察さっしられますが、ほかにも子こど供もどうしで、あの木きの芽めはたべられそうだとか、あの草くさを煮にてたべたら、おいしかろうとか、真しん剣けんにいい合あっているのを聞きくと、いじらしい気きがして。﹂ これをきいて、地じぬ主しは、なんとも返へん答とうができなかった。そして、おしょうさんの今きょ日うきたわけが、いよいよはっきりのみこめたけれど、ただ寄き付ふはしたくなかったのでした。そして、半はん分ぶんは、いつわりなく、心こころのうちをいって、弁べん解かいするように、 ﹁せがれが、もし生いきていますなら、どこか山やまの中なかで、へびや、とかげを食くっていることでしょう。そう考かんがえると、だれも彼かれも、いっしょに苦くるしむがいい、と思おもいまして、たとえ子こど供もであろうが、特とく別べつに同どう情じょうする気きになれません。﹂といいました。 ﹁いや、正しょ直うじきなお話はなしです。あなたばかりでなく、みんなが、悪わるい夢ゆめを見みていますのう。﹂と、おしょうさんは答こたえました。 ﹁悪わるい夢ゆめとおっしゃいますか。﹂ ﹁さよう、悪わるい夢ゆめにちがいない。すべて夢ゆめからさめるのを悟さとりといいますのう。別べつに、美うつくしい、なごやかな、真しんの人にん間げん世せか界いがあるはずだが。﹂と、おしょうさんは、いいました。 ﹁どうしたら、その世せか界いを知しることができますか?﹂と、地じぬ主しは、いいました。 ﹁それを、いま私わたしがいってもわかりますまい。正ただしい心こころをもちながら、忘わすれたのであれば、かならず悟さとる日ひがありますじゃ。﹂ ﹁つい、長なが居いして。﹂と、おしょうさんは、あいさつして、縁えん側がわへ出でてから、庭にわのさるすべりを、ほめて帰かえりました。 ある日ひ、地じぬ主しは、用ようたしでお寺てらのそばを通とおると、ちょうど孤こ児じたちが、庭にわで遊あそんでいました。境けい内だいには、はぎの花はなが盛さかりなばかりか、どこからともなく、もくせいの甘あま酸ずっぱいような香かおりがただよってきました。 一ひと人りの子こが、ふいに、 ――南みなみから、南みなみから、とんできた、きた、渡わたり鳥どり、うれしさに、楽たのしさに、――と、うたい始はじめたのです。すると、ほかの子こも、手てをたたいて、調ちょ子うしをとりました。歌うたうと、どの子この顔かおを見みても、無むし心んで、さも楽たのしそうでした。 おそらく、このときの子こど供もの心こころは明あかるく、なんの悲かなしみもなかったでしょう。地じぬ主しは、それに誘さそわれて、自じぶ分んが子こど供もの時じぶ分んを回かい想そうしました。自じぶ分んにも、こんな時じだ代いがあった。いたずらをして、しかられても、すぐ悲かなしみを忘わすれて、なにを見みても楽たのしく、美うつくしく、だれ彼かれの差さべ別つなくなつかしかったのであった。 ﹁おしょうさんが、いわれたように、子こど供もに罪つみはない。すべてが大おと人なの責せき任にんなんだ。子こど供もは、いつも美うつくしいし、子こど供もの心こころは、いつも朗ほがらかだ。それを、なんと大おと人なが、一ひとたび道みちを誤あやまったばかりに……。﹂ こう感かんずると、地じぬ主しは、急きゅうに悪あく夢むからさめたような気きがしたのでした。同どう時じに、目めの前まえへ、清きよらかで、平たいらかな人ひととして踏ふむべき道みちの開ひらけるのを感かんじました。地じぬ主しは、いきいきとして、歩あるきながら、自じぶ分んのからだに、良りょ心うしんの火ひがまだ残のこっていたのが、限かぎりなくうれしかったのでした。