道みちであった、顔かお見み知しりの人ひとは、みすぼらしい正しょ吉うきちの母ははにむかって、 ﹁よく、女おん手なでひとつで、むすこさんを、これまでになさった。﹂と、いって、うしろについてくる正しょ吉うきちを見みながら、正しょ吉うきちの母ははをほめるのでした。 しかし、心こころから感かん心しんするように見みせても、じつは母おや子このしがない暮くらしを、あわれむというふうが見みえるので、正しょ吉うきちは子こど供もながら、それを感かんじていましたが、母ははは、そういって、なぐさめられると、気きが弱よわくなっているせいか、すぐなみだぐんで、 ﹁なにしろ、三つのときから、一ひと人りで育そだて、やっと来らい年ねんは小しょ学うが校っこうを、卒そつ業ぎょうするまでにしました。﹂と、うったえるように答こたえたのでした。 あいては、もっと立たちいって、二ふた人りの生せい活かつを知しろうとするのを、正しょ吉うきちは母ははのたもとをひっぱって、 ﹁さあ、早はやくいこうよ。﹂と、その場ばから、はなれたのでした。 正しょ吉うきちは、そのときだまっていたけれど、自じぶ分んの母ははを、きのどくに思おもいました。そして、母ははのためなら、どんな困こん難なんもいとわないと、心こころにちかったのです。 ﹁来らい年ねんは、ぼく、おじさんの家いえへいくのだ。そうしたら、おかあさんは、一ひと人りになって、さびしいだろうね。﹂と、正しょ吉うきちはいうのでした。 ﹁いいえ、さびしいものかね。おかあさんは、はたらいて、はたらいて、そんなことわすれてしまいます。ただおまえが、早はやく大おおきくなって、ひとり立だちするのを、たのしみとしますよ。﹂と、母ははは、ねっしんに針はりをもつ手てをはこびながら、答こたえるのでした。 正しょ吉うきちが学がっ校こうからかえると、近きん所じょの武たけ夫おくんとさそいあって、原はらっぱへあそびにいき、草くさの上うえにねころんでいました。 ﹁だれでも、ほかが、まねのできない技ぎじ術ゅつをもてば、えらくなれると、先せん生せいがいったね。﹂と、正しょ吉うきちは学がっ校こうで聞きいてきた話はなしを、思おもいだしました。 ﹁ああ、そうだよ。マラソン選せん手しゅとなって、オリンピックで名なをあげるのも、図ず画ががじょうずになって、名なだ高かい画が家かとなるのも、自じぶ分ん一ひと人りだけの名めい誉よでなく、やはり国くにの名めい誉よだと、先せん生せいがいわれたよ。それも、自じし信んと努どり力ょくすることが、たいせつなんだって。﹂と、武たけ夫おは答こたえました。 ﹁ぼく、徒とき競ょう走そうに自じし信んがあるんだがな。﹂と、正しょ吉うきちは目めをかがやかしました。 ﹁そうだ、正しょうちゃんは、いつも徒とき競ょう走そうでは、一番ばんだから、練れん習しゅうして、マラソン選せん手しゅになるといいよ。﹂と、武たけ夫おは手てをたたいて、正しょ吉うきちの思おもいつきに賛さん成せいしました。 正しょ吉うきちはきゅうに、からだをおこして、空そらをあおぎながら、しんけんに考かんがえこんだのです。そして、自じぶ分んが、はなやかな世せか界いて的きの選せん手しゅとなった日ひのゆめを、目めにえがいたのです。 ﹁なんで、そんなことを、きゅうにいいだしたの。﹂と、武たけ夫おはふしぎに思おもって、聞ききました。 ﹁もし、そうなったら、ぼくのおかあさんが、どんなによろこぶだろうと思おもったのさ。だれでも得え手てというものがあるから、それをのばせば、成せい功こうすると先せん生せいがいったので、ぼく、元げん気きが出でて、うれしくなったよ。﹂と正しょ吉うきちは、すなおに心こころのうちを、友ともだちにうちあけたのでした。 武たけ夫おもいつになく、くつろいだ気きもちになって、正しょ吉うきちをよろこばせようと、 ﹁正しょうちゃんはいい子こだと、うちのおとうさんも、おかあさんも、いっていたよ。正しょうちゃんのおかあさんは、いまはくるしくても、正しょうちゃんが大おおきくなれば、きっと楽らくをされるだろう。﹂ こうして、武たけ夫おが両りょ親うしんのうわさしたことをつげようとするのを、正しょ吉うきちはうちけすようにして、 ﹁ぼくのうちは、貧びん乏ぼうだし、なかなか上うえの学がっ校こうへいかれない。来らい年ねんは町まちのおじさんの店みせへ奉ほう公こうして、夜やが学くで勉べん強きょうをするつもりだ。武たけちゃんは、いいおとうさんがあって、安あん心しんして勉べん強きょうができるから、きっと、えらくなれるだろう。ぼくは、自じぶ分んの力ちからだけで、やらなければならないからね。﹂と、正しょ吉うきちは、日ひぐれがたの空そらに、わきあがる雲くもを、じっと見みていました。 いま、西にしの空そらには、炎ほのおの流ながれるように、赤あかい雲くもが、うずをまいていました。そして、ほかにも花はなびらを散ちらすように、おなじ色いろの雲くもが、ちぎれちぎれにとんでいました。それが、いつしか、一ひとかたまりとなって、たてがみをなびかせた金きん色いろのししの姿すがたとなったり、高たかくかけあがる神しん馬めの形かたちをつくったりして、はるかの青あお々あおとした地ちへ平いせ線んを目めざして、うごいていたのでした。 正しょ吉うきちはしばらく、その雲くものゆくえを見みまもるうちに、空くう想そうは、町まちの文ぶん房ぼう具ぐを売うる店みせへと、とんでいました。ちょうど、金きん色いろの雲くもが、たれさがったあたりに、その町まちはあるのでした。空くう気きとガラスの見みさかいが、つかないほど、よくふき清きよめられたまどの上うえのたなに、青あおくぬられた飛ひこ行う機きが、いまにもとび立たちそうなかっこうで、おいてあり、その下したの台だいには、まっかな洋よう服ふく姿すがたのおどり子この人にん形ぎょうが、片かた方ほうの足あしを上あげて立たっていました。それは、野のは原らにさく赤あかいゆりよりも、はなやかであったし、また川かわふちでかおる、のばらの花はなよりも、目めにしみるまぶしさでありました。 ﹁武たけちゃん、きみは、町まちの文ぶん房ぼう具ぐ屋やにあるおもちゃを見みた？﹂と、正しょ吉うきちは、そのときぼんやりとして、ならんでいた武たけ夫おに聞ききました。 ﹁どんなおもちゃだったかな。バットとグローブは、知しっているけど。﹂と、武たけ夫おは、頭あたまをかしげていました。 ﹁青あおい飛ひこ行う機きと、赤あかいお人にん形ぎょうさんだよ。﹂と、正しょ吉うきちは友ともだちを見みて、たずねました。 ﹁知しらなかったな。﹂と、武たけ夫おはてんで、そんなものに気きがつかなかったようです。正しょ吉うきちは、やっと安あん心しんしました。もし、武たけ夫おがそれをほしいと思おもえば、いつでも自じぶ分んのものに、することができたからでした。 しばらくして、こんどは武たけ夫おのほうから、 ﹁正しょうちゃん、そんなに、いいおもちゃだったの。﹂と、聞ききかえしました。正しょ吉うきちはそれに答こたえず、 ﹁ねえ武たけちゃん、あの金きん色いろの雲くもをごらん。きれいだろう。そして、あちらの空そらをごらん。あの青あおい色いろもきれいだね。ぼく、いままで見みた、美うつくしいものが、みんな目めにうかんでくるんだよ。﹂と、正しょ吉うきちは、とび立たつような、自じぶ分んの心こころを、おさえきれなかったのです。 つぎの日ひの昼ひる間ま、また二ふた人りは、この原はらっぱへきました。武たけ夫おがわざと三輪りん車しゃで走はしるのを、正しょ吉うきちはそれと競きょ走うそうしようとして、素すあ足しで走はしりました。いまにマラソン選せん手しゅになる自じし信んをもとうとして、あやまって、足あしの指ゆびをいためました。 晩ばんになると、その指ゆびがだんだんいたみだして、こらえられなくなったのでした。 ﹁どんなに、なっているの。ちょっと見みせな。﹂と、母ははにいわれると、正しょ吉うきちの顔かおは、たちまち、くらくなりました。 ﹁おや、えらく、はれているでないか。﹂と、母はははびっくりしました。こうした母ははのおどろき声ごえは、正しょ吉うきちの心こころを、するどく、むちうって、しばらく足あしのいたみも、わすれたのでした。 ふだんから、母ははは正しょ吉うきちにむかって、おとうさんがいないのだから、わたしは、おまえ一ひと人りをたよりに生いきていると、いわれたのが思おもいだされて、後こう悔かいで、胸むねが、はりさけそうになりました。 ﹁あっ、おかあさん、いたいから、さわらんでおくれ。﹂と、足あしをひっこめようとすると、母ははは正しょ吉うきちのひざがしらに、ふれてみて、 ﹁たいへんな熱ねつだね。今こん夜や、こうしておいて、さしつかえないものだろうか。﹂と、うろたえるのでした。 正しょ吉うきちは母ははがあわれになって、すまぬことをしたと思おもいました。 ﹁あすになれば、なおるよ。﹂と、いって、がまんしながら、ねどこにはいったのでした。 医いし者ゃのもとへいったのは、それから二、三日にちあとのことでした。 ﹁いままで、おじさんのところへ、お金かねのことで、たのみにいったおぼえはないのだが、こんどばかりは、そんなことを、いっていられないのでね。﹂と、道みちすがら母ははに聞きかされたことばは、正しょ吉うきちをせめるのでした。 正しょ吉うきちは、医いし者ゃが自じぶ分んの足あしを見みて、なんというだろうか、このうえとも、自じぶ分んたちをくるしめることに、なりはしないだろうかと、診しん察さつ室しつへはいると、なんとなく不ふあ安んに、足あしがふるえたのでした。 ﹁なぜ、もっと早はやく、見みせにこなかったのです。﹂と、医いし者ゃは、まゆをひそめながらいいました。 ﹁注ちゅ射うしゃをしていただいたら、なおりませんでしょうか。﹂と、母はははわが子この、身みの上うえを気きづかいながら聞きくのでした。 ﹁手ておくれなので、注ちゅ射うしゃがきかなければ、手しゅ術じゅつをするのですな。そうすると、二、三日にち入にゅ院ういんしなければなりません。﹂と、医いし者ゃはすこしの思おもいやりすらなく、ひややかに答こたえました。 医いし者ゃのところを出でると、 ﹁家うちへかえって、この水みず薬ぐすりで、足あしのいたむところを、ひやしておいで。﹂と、母ははは正しょ吉うきちとわかれました。正しょ吉うきちは、母ははのいくさきを、聞きかなかったけれど、たぶん、おじさんの家いえへいったのだろうと思おもいました。 やがて、日ひがくれてしまい、しばらくたって、母はははかえってきました。 ﹁世せけ間んで、金かねもちといわれても、たのんでいけば、金かねがないというものです。はじめてだし、こんどだけは用ようだてするけれど、つぎからは、おことわりだと、きっぱりいいました。おじさんだから、とくべつせわしてくれると思おもっては、いけません。たよりとなるものは、ただ、自じぶ分んの力ちからだけです。わたしは、これからも、せいいっぱいはたらくことにします。﹂と、母はははいいました。 正しょ吉うきちは、なんとも答こたえられず、あついなみだが、こみあげるばかりでした。 二、三日にち、顔かおをあわさなかった武たけ夫おは、学がっ校こうからかえると、あそびにきました。 ﹁きょう、先せん生せいが正しょ吉うきちくんは、どうして休やすんでいるのだと聞きいたから、ぼくの三輪りん車しゃと競きょ走うそうして、足あしをいためたといったら、なんでそんなばかのまねをするのかといったよ。だから、ぼくは正しょうちゃんは、マラソン選せん手しゅになるので、三輪りん車しゃなんかに負まけられないのだと話はなしたら、先せん生せいは、人にん間げんの足あしと機きか械いと、いっしょになるかと笑わらった。﹂と、学がっ校こうの話はなしを告つげました。 ﹁ぼく、つまらんことをした。﹂と、正しょ吉うきちは、後こう悔かいしました。 ﹁もっと、自じぶ分んをたいせつにしなければ、いい選せん手しゅなんかになれないと、先せん生せいもいっていたよ。﹂と、武たけ夫おはありのままをつげました。 ﹁お医いし者ゃさんに注ちゅ射うしゃしてもらったけれど、いたみがとれなければ、入にゅ院ういんして手しゅ術じゅつするんだって、こまってしまったよ。﹂と、正しょ吉うきちが力ちからなくいうと、 ﹁とんだめにあったね。そうそう、文ぶん房ぼう具ぐ屋やへグローブを買かいにいくと、店みせのガラスが、めちゃめちゃにこわれているので、おどろいた。聞きくと、トラックがとびこんで、だいじな品しな物ものをこわしたと、店みせのおばさんがいっていたよ。﹂と、武たけ夫おは、意いが外いなことを知しらせました。 正しょ吉うきちは、ゆめにさえ見みた、あの青あおい飛ひこ行う機きや、赤あかいおどり子この人にん形ぎょうは、どうなったろうと聞きくと、武たけちゃんは、見みえなかったから、こわれたのかもしれないというのでした。 ﹁それで、きみのほしいと思おもったグローブはあったの。﹂と、正しょ吉うきちは聞ききました。 ﹁とりこんでいるときだから、まけておくといって、安やすくしてくれたよ。﹂と、武たけ夫おはよろこびました。 ﹁どうして、トラックが、店みせへとびこんだのだろうね。﹂ ﹁運うん転てん手しゅが、お酒さけに酔よっていたって、おばさんがいった。﹂と、武たけ夫おはいいながら、このとき、先せん生せいが正しょ吉うきちにいった言こと葉ばを思おもい出だしたのか、 ﹁やはり、酔よったりしては、運うん転てん手しゅになれないんだね。﹂と、つけくわえました。 正しょ吉うきちは下したを向むいて、だまっていました。足あしのいたみは、そのあくる日ひになっても、とれませんでした。母はは親おやは、子こど供ものようすから、すぐにでも手しゅ術じゅつを決けっ心しんしたらしく、家いえの中なかをかたづけはじめたのです。 そのとき、ちょうど門かど口ぐちへ乳ち飲のみ子ごをおぶった女おんなこじきが立たって、無むし心んをねがったのでした。正しょ吉うきちの母ははは女おんなこじきを見みて、子こもちだと知しると、気きぜわしい中なかを、ふところからさいふをだして、金かねを手てわ渡たしてやりました。女おんなこじきは、心こころからありがたく思おもったらしく、いくたびも頭あたまをさげていましたが、そばで、痛いたい痛いたいと泣なき声ごえでうったえている正しょ吉うきちの姿すがたを見みると、おじおじしながら、 ﹁どうなされたので、ございますか。﹂と、聞きいたのでした。 母はは親おやは、こういってやさしく聞きかれたので、さすがに当とう惑わくしているときであり、気きも弱よわくなっていたので、こちらも、ありのままのことを――子こど供もが走はしって、あそんでいるうち、足あしの指ゆびをいためて、注ちゅ射うしゃをしてもらったけれど、ききめがなく、これから、いやがるのをつれて、手しゅ術じゅつをうけに医いし者ゃのところへ出でかけるのだ――と、ほんとうのことを話はなしたのでした。女おんなこじきは、そのことを人ひと事ごとと思おもわず、耳みみをかたむけて、聞きいていましたが、 ﹁それなら、いい薬くすりがあります。このへんにもある草くさです。私わたしのいうことを信しんじて、ためしてごらんなさい。私わたしども金かねのないものは、神かみさまの教おしえてくだされたもので、どんな病やまいもなおします。その草くさは、秋あきになると、黄きい色ろな花はなの咲さく厚あつい葉はです。その葉はを火ひにあぶり、やわらかにして、傷きず口ぐちにはります。痛いたみはじきとれて、四、五日にちもすると、うみが出でてなおります。﹂と、ていねいに教おしえました。 母はは親おやと正しょ吉うきちは、これを聞きいて、一ひとすじの光ひかりが、急きゅうに、やみの中なかへさしこんできたような感かんじがしました。 ﹁その草くさというのは。﹂と、母はは親おやは、すぐにも知しりたかったのです。 ﹁ちょっと、さがしてきます。﹂と、女おんなこじきは、門もんから出でていきました。 親おや子こは、そのうしろ姿すがたを、とうとく思おもって、おがまんばかりに見みおくったのです。そして、いくたびも、母はは親おやは外そとまで出でて、女おんなこじきがもどるのをまっていました。 あまりおそいので、その葉はが見みつからぬので、そのままどこへか立たちさりはしなかったかと思おもい、うたがい、なやんだりしたが、そのうち女おんなこじきは、手てに青あおい葉はをにぎって、母はは親おやの前まえへあらわれました。 ﹁まあ、ありましたかね。﹂と、とびつくようにして、母はは親おやはむかえたのです。女おんなこじきがつくってくれた薬くすりをつけると、ふしぎに痛いたみがうすらいで、その晩ばん、親おや子こは、はじめて、気きもちよくねむりました。 正しょ吉うきちは夢ゆめの中なかで、あのおじおじしたようすで、いたわりながら、薬くすりをつけてくれた女おんなこじきを思おもい出だして、いつまでも、その姿すがたが、目めからきえずにのこっていました。 それから、二、三日にちもすると、足あしのはれがひいて、きず口ぐちに、白しろいうみをもちました。母はははこれを見みて、おどろき、 ﹁正しょ吉うきちや、もうだいじょうぶだよ。草くさの名なを、よく聞きいておくのだったね。あの女おんなこじきに、お礼れいをいわなければなりません。いつもは、見みなかった女おんなですのに、あの日ひどうしてきましたか。こんどきたら、おまえの小ちいさいときの着きも物のがありますから、赤あかんぼにやりたいと思おもいます。気きをつけていて、見みたら家うちへつれてきておくれ。﹂と、いつになく母ははは、きげんがよかったのです。 正しょ吉うきちは足あしがよくなったのを、わがことより、よろこんでくれる母ははを見みて、真しんにその恩おんを、わすれてはならぬと思おもいました。 いよいよ明あし日たから、ふだんどおり、武たけ夫おくんと学がっ校こうへいけるようになった、その前まえの日ひのことでした。 ﹁正しょ吉うきちや、なにかおまえに、ほしいものがあるなら、おいい。﹂と、母ははは、つくえの前まえにすわっている正しょ吉うきちに、たずねました。 これを聞きくと、たちまち、小ちいさな胸むねへ、よろこびが泉いずみのように、こみあげました。 ﹁青あおい飛ひこ行う機きと、赤あかい人にん形ぎょうと、どちらにしようかな。﹂と、耳みみのあたりまで赤あかくしながら、正しょ吉うきちは答こたえたのです。 ﹁それは、なければならぬ品しなですか。﹂と、母ははは聞ききました。 ﹁おかあさん、それより、早はやくおじさんに、お金かねをかえしたほうがいいよ。﹂と、正しょ吉うきちはいいました。 ﹁ああ、その金かねは、きっと、私わたしがそのうち、もっていきますよ。これは、おまえがつかわずにすんだので、あげますから、すきなものを、お買かいなさい。﹂と、母はははひきだしから、いくらかの金かねをとって、正しょ吉うきちにあたえたのでした。 いま、青あおい、飛ひこ行う機きでも、赤あかいおどり子この人にん形ぎょうでも、正しょ吉うきちのすきなものを、買かうことができるのでした。しかし、もう、それを買かう気きが、なくなってしまいました。 ﹁どんな色いろでも、そろっている上じょ等うとうのクレヨンを、買かおう。﹂と、正しょ吉うきちはすぐに、心こころをきめたのでした。 晩ばんになると、原はらっぱへいって、草くさの上うえに、こしをおろしました。そこここに、いつものように、赤あかい花はながさき、青あおい空そらは、はてなくひろがって、地ちへ平いせ線んにつづき、夏なつを思おもわせる金きん色いろの雲くもが、西にしの方ほうからわき出でて、音おとなく、頭あたまの上うえを、うごいていくのでした。 その雲くもには、おかあさんがすわって、仕しご事とをしていました。また、ほかの一つの雲くもには、乳ち飲のみ子ごをおぶった女おんなこじきが、のっていました。二つの雲くもは、たがいに近ちかづき、また、あるときは、かさなり合あうようになったが、そのうち、はなればなれとなって、いつしか、青あおい空そらへ、すいこまれるように、きえてしまいました。