一
泉いずみは、自じぶ分んのかいこが、ぐんぐん大おおきくなるのを自じま慢んしていました。にやりにやり、と笑わらいながら、話はなしを聞きいていた戸と田だは、自じぶ分んのもそれくらいになったと思おもっているので、おどろきはしなかったが、誠せい一は、ひとり感かん心しんしていました。お母かあさんが、きらいでなければ、自じぶ分んもかいこを飼かいたいのです。なんでお母かあさんは、あんな虫むしが怖こわいのだろう。お母かあさんや、妹いもうとが、かわいい顔かおをしているかいこを、気き味みわるがっているのが、不ふ思し議ぎでたまらなかったのであります。そこへ、ちょうど理り科かの長おさ田だせ先んせ生いが通とおりかかられました。 ﹁君きみたち、なにをしているね。﹂と、みんなの顔かおを見みて笑わらっていられたのです。 ﹁おかいこの話はなしをしていたのです。先せん生せい、僕ぼくのおかいこは大おおきくなりました。﹂と、泉いずみが、いいました。 ﹁そうか、学がっ校こうのと、どっちがいい繭まゆを造つくるかな。﹂ ﹁競きょ争うそうするといいや。﹂と、戸と田だがいいました。 ﹁君きみも、飼かっているのかね。﹂ ﹁飼かっています。﹂ ひとり誠せい一がだまっているので、先せん生せいは誠せい一の顔かおをごらんになって、 ﹁南みなみ、おまえは。﹂と、お聞ききになりました。 誠せい一は、こないだ先せん生せいがみんなにかいこを飼かってみるようにおすすめなさったのを覚おぼえています。自じぶ分んだけ飼かわぬと答こたえるのは、なんだか理り科かに対たいして、不ふね熱っし心んに思おもわれはせぬかと考かんがえたので、 ﹁僕ぼく、かいこを飼かいたいのですけれど、かいこがないのです。﹂といいました。 ﹁ほんとうに飼かうなら、学がっ校こうのを四、五匹ひきあげよう。あとからきたまえ。﹂といって、先せん生せいは、誠せい一の頭あたまをぐりぐりとなでて、彼あっ方ちへいってしまわれました。三人にんは先せん生せいの後あとを見みお送くっていましたが、たがいに心こころの中なかでやさしい先せん生せいだと思おもったに、ちがいありません。 ﹁じゃ、みんなで、競きょ争うそうしようか。﹂と、泉いずみが、いいました。 ﹁いいとも。﹂と、戸と田だが、答こたえました。 まったく経けい験けんのない、そして、どうするかも知しらない誠せい一は、すぐに返へん事じができなかったのです。 誠せい一は、 ﹁むずかしいだろうね。﹂と、心こころもとなさそうに、いいました。 ﹁僕ぼく、よく教おしえてあげるよ。お菓か子しの空あき箱ばこと、あとでわらがあればいいんだよ。﹂と、戸と田だが、勇ゆう気きづけてくれました。 ﹁それに、桑くわの葉はがないのだが。﹂ ﹁桑くわの葉はなら、僕ぼく、明あし日た学がっ校こうへ持もってきてあげる。びんの中なかへ水みずを入いれてさしておきたまえ。﹂と、泉いずみが、教おしえました。二
誠せい一は、先せん生せいが、大おおきな桑くわの葉はの上うえへ、かいこを七匹ひきばかり、のせて渡わたしてくだされたのをありがたくいただきました。さあこれをどうして持もって帰かえったらいいだろう。紙かみもなかったので、葉はの上うえにのせたまま、それを手てのひらで支ささえて、そろそろ歩あるいて、学がっ校こうの門もんから一ひと人り出でたのであります。 うすい、白しら雲くもを破やぶって、日にっ光こうはかっと町まちの建たて物ものを照てらしていました。車くるまが通とおります。自じて転んし車ゃが走はしっていきます。そのあわただしい景けし色きに心こころを奪うばわれるでもなく、誠せい一は、ゆっくり、ゆっくり、おかいこを見みま守もりながら、道みちを歩あるいてきました。町まちの人ひと々びとは、なんだろうと思おもって、誠せい一の手てをのぞくものもありました。 ﹁やあい、おかいこをあんなことして持もっていくやあい。﹂と、笑わらっている子こど供ももありました。いつもなら、十五分ふんぐらいで帰かえれるのに、三十分ぷんあまりもかかって、やっと我わが家やの門もんが目めにはいったのです。 ﹁お母かあさんが、いけないといって、しかりはしないかなあ。﹂と、誠せい一は、ちょっと心しん配ぱいになりました。 ﹁誠せいちゃん、たいそうおそかったですね。﹂ お母かあさんは、そうおっしゃいました。 ﹁先せん生せいから、おかいこをもらってきたのだよ。﹂ 誠せい一は、先せん生せいからといったら、お母かあさんは、許ゆるしてくださりはしないかと思おもって、先せん生せいという語ごに力ちからを入いれたのです。 ﹁お母かあさんは、はだか虫むしがきらいなのを知しっているでしょう。なんでそんなものをもらってきたのですか。﹂と、お母かあさんは、おっしゃいました。 ﹁生きい糸とは、日にっ本ぽんの大だい事じな産さん業ぎょうだって、それで先せん生せいがみんなに飼かってごらんとおっしゃったのです。かいこはちっともこわくもなんともないのに、お母かあさんがこわがるのは、お母かあさんが、よわ虫むしだからだろう。﹂と、誠せい一が、いいました。 ﹁ほんとうにそうですね。じゃ、私わたしの目めにつかないところに置おいておくれ。﹂ 誠せい一は、お母かあさんがそういったので、いくらか安あん心しんしましたが、おかいこをどこへ置おいたらいいだろう。 ﹁お母かあさんの目めにつかないところって、どこかなあ。﹂ 妹いもうとといっしょに勉べん強きょうするへやに置おくことはできませんでした。妹いもうとがやはりお母かあさんと同おなじく、虫むしがきらいだからです。 ﹁物もの置おきにしようか、あすこは、暗くらくて、風かぜがよく通とおらないし。﹂と、考かんがえているところへ、学がっ校こうで約やく束そくした、戸と田だがやってきました。 ﹁先せん生せいからいただいたおかいこをお見みせよ。﹂ ﹁こんなんだ。﹂ 誠せい一は、もうしおれかかった桑くわの葉はの上うえにのっているかいこを見みせました。 ﹁大おおきいんだね。もうじき上あがるんじゃない。僕ぼくのは、こんなに大おおきくないよ。﹂ ﹁先せん生せいだから、うまいんだろう。﹂ ﹁早はやく、お菓か子しの空あき箱ばこを持もっておいでよ。﹂ 誠せい一は、お菓か子しの空あき箱ばこを出だしました。また近きん所じょの米こめ屋やへ走はしっていって、わらももらってきました。戸と田だは、かいこを飼かう箱はこを一つ、まぶしを一つ造つくってくれました。 ﹁ここらに、桑くわの木きはないのかい。﹂ ﹁君きみのうちにあるの。﹂ ﹁僕ぼくのうちのは、縁えん日にちで買かってきた苗なえ木ぎだよ。﹂ ﹁ここらに桑くわ畑ばたけがないんだ。﹂ ﹁あとで、さがしておいでよ。こう細こまかくきざんでやるのだ。﹂三
戸と田だが、帰かえってしまった後あとでした。 ﹁誠せいちゃん、こんなところに、おかいこを置おいては、かわいそうじゃありませんか。風かぜの通とおる涼すずしいところがいいではありませんか。﹂と、物もの置おきへはいって、石せき炭たんを出だしていられたお母かあさんが、かいこの箱はこを見みつけておっしゃいました。 ﹁お母かあさんの、見みえないところといったんでしょう。﹂ ﹁あんたのおへやに置おきなさい。﹂ ﹁みよ子こがいやだというのだもの。﹂ ﹁あの子こも、私わたしににたのですね。そんならお座ざし敷きに置おきなさい。﹂ ﹁え、お座ざし敷きに置おいていいの。﹂ ﹁ちらかさないように、下したになにか敷しいてね。﹂ お母かあさんが、そうおっしゃると、誠せい一はうれしかったのです。やはりお母かあさんは、やさしいなと感かんじたのです。 門もんの外そとへ出でると、西にしの空そらが赤あか々あかとしていました。とみ子こさんや、よし子こさんや、勇ゆうちゃんたちが、遊あそんでいました。 ﹁どこかに、桑くわの木きがないか知しらない。﹂ ﹁おかいこにやるの。﹂ ﹁うん、先せん生せいから、おかいこをもらってきたけれど、桑くわの葉はがなくて困こまっているのだ。﹂ ﹁僕ぼくに見みせておくれよ。﹂と、勇ゆうちゃんが、いいました。 ﹁私わたし、知しっているわ。原はらっぱにあってよ。﹂と、とみ子こさんが、いいました。 ﹁どこの原はらっぱに。﹂ ﹁土どか管んの置おいてある、原はらっぱに。﹂ ﹁ほんとう。僕ぼく、桑くわの木きなんか見みなかったがなあ。﹂ ﹁あってよ。おしえてあげましょうか。﹂と、とみ子こさんは、真まっ先さきになって、原はらっぱの方ほうへ駈かけ出だしました。あとからみんながつづいたのです。 原はらっぱの片かたすみの方ほうは、草くさの茂しげったやぶになっていました。そこへは、近きん所じょの人ひとたちが、よく空あき俵だわらや、ごみなどを捨すてるのです。そのやぶの中なかをさして、 ﹁ほら、あの木きがそうよ。﹂と、とみ子こさんがいいました。そこには、青あお々あおとした、一本ぽんの木きが、夕ゆう日ひの光ひかりを浴あびていました。 ﹁あれ、桑くわの木きかしらん。﹂ ﹁そうよ。﹂ 誠せい一は、やぶの中なかへはいっていきました。いつか、ここで、ねこが子こを産うんだことがあります。 ﹁ねこが、ここで子こを産うんだね。﹂ ﹁あのねこは、死しんじゃったよ。﹂と、勇ゆうちゃんが、いいました。誠せい一は、白しろと黒くろの、あわれなねこの姿すがたが目めに浮うかんだのでした。彼かれの後あとについて勇ゆうちゃんも、とみ子こちゃんも、よし子こさんもはいってきたのです。 ﹁ほんとうに、桑くわの木きだ。﹂ ﹁赤あかい実みがなっているわ。﹂ ﹁ここにも。﹂ みんなが、わあわあいっていると、すぐあちらの家いえのおばさんが、生いけ垣がきの間あいだから、こちらをのぞいて、 ﹁みんな葉はをとらないでください。私わたしの家うちにも、おかいこがありますからね。﹂といいました。 こんなにたくさん葉はがあるのにと思おもって、誠せい一は、へんな気き持もちがしたが、 ﹁すこししか、とりませんよ。﹂と、答こたえました。子こど供もたちは、また、草くさを分わけて、原はらっぱの広ひろ々びろとしたところへもどると、 ﹁いやなおばさんだね。﹂と、とみ子こさんが、いいました。 ﹁やな、ばばあだな。﹂と、勇ゆうちゃんが、いって、みんなは、赤あかい屋や根ねを見み上あげました。四
翌よく日じつ、学がっ校こうへいくと、泉いずみはしんせつにびんの中なかへ桑くわの枝えだをさして、持もってきてくれました。 ﹁こんど、僕ぼくの家いえへ取とりにおいでよ。自じて転んし車ゃに乗のってくれば、わけがないだろう。﹂といいました。 その桑くわの葉ははつやつやとして、色いろが黒くろく、厚あつくて、ほんとうにうまそうです。こんな葉はを食たべているおかいこは、きっとよくふとっているだろう。そして、いい繭まゆを造つくるにちがいない。競きょ争うそうは、泉いずみの勝かちかもしれないと、誠せい一は思おもいました。 学がっ校こうの帰かえり道みちで、戸と田だといっしょになったのです。 ﹁君きみのところの桑くわの葉はも、こんなに大おおきくて、おいしそうかい。﹂と、誠せい一は、たずねました。 ﹁まだ、木きが小ちいさいからね。﹂ ﹁僕ぼくは、原はらっぱに生はえている桑くわの木きの葉はを取とってきたけれど、かたくて、おいしくなさそうだ。﹂ ﹁それは、こやしを、やらないからだよ。﹂ ﹁これは、こやしがきいているんだね。﹂ ﹁そうさ。﹂と、戸と田だは、なぜかくすくす笑わらいました。 ﹁僕ぼく、毎まい朝あさ、自じて転んし車ゃにのって、もらいにいこうかな。﹂ ﹁泉いずみの家いえの前まえは、桑くわ畑ばたけなんだぜ。だから、すこしばかり取とったって、かまわないのさ。﹂ ﹁泉いずみの家いえから、火かそ葬う場ばが近ちかいんだってね。﹂と、誠せい一が聞ききました。 ﹁だから桑くわの木きのこやしに火かそ葬う場ばの灰はいをやるんだよ。﹂ ﹁えっ、火かそ葬う場ばの灰はいをやるの。﹂ ﹁いってみたまえ、根ねのところが白しろくなってるから。﹂ ﹁僕ぼく、もういくのをよした。﹂ ﹁どうして。﹂ ﹁だって、気き味みがわるいもの。﹂ 誠せい一には、手てに持もっている桑くわの葉はの光ひかりが、急きゅうに普ふつ通うとちがっているように感かんじられたのです。その葉はは捨すてなかったけれど、それからは、やはり原はらっぱへいって、桑くわの葉はを取とってきました。 ある日ひ、やぶのところで、十とおばかりの女おんなの子こと、八つばかりの男おとこの子こが、桑くわの木きの方ほうに向むかって立たっていました。とんぼを捕とるのでもなければ、また、きちきちを捕とるようなようすもなかったのです。 ﹁なにしているの。﹂と、不ふ思し議ぎに思おもって、誠せい一は、聞ききました。 ﹁桑くわの葉はを取とりにきたの。﹂ ﹁どこから。﹂ ﹁私わたしの家いえは、あの赤あかい屋や根ねのお家うちよ。﹂ 誠せい一は、いつかみんな葉はを取とってはいけないといった、おばさんの家いえだと思おもいました。 ﹁おかいこをたくさん飼かっているの。﹂ ﹁五十匹ぴきばかりいるの。﹂ ﹁たくさんいるんだね。﹂ ﹁もう、そろそろ上あがりかけているわ。﹂ ﹁早はやいなあ、僕ぼくも桑くわの葉はを取とりにきたのさ。﹂と、誠せい一がいうと、 ﹁大おおきなへびがいるよ。﹂と、男おとこの子こが、いいました。 ﹁どこに?﹂と、誠せい一はびっくりしました。 ﹁私わたしが、学がっ校こうの帰かえりにここを通とおると、大おおきなへびがあすこへはいっていったのよ。﹂ 女おんなの子こが、そういうのを聞きいて、誠せい一もおそろしくなりました。桑くわの木きを見みれば、摘つんでも、摘つんでも、伸のびる若わか芽めが、風かぜの吹ふくたびになよなよとかがやいています。その葉はの間あいだから、白しろい枝えだが見みえるのが、なんだかへびのからんでいるようにも見みえたのであります。誠せい一は、石いしや、土つちくれを拾ひろって、やぶを目めあてに投なげていました。こうすれば、へびがおどろいてどこへか姿すがたをかくすからでした。 ﹁お姉ねえちゃん、帰かえろうよ。﹂ ﹁僕ぼくが、取とってあげるから待まっておいで。﹂ 誠せい一は、勇ゆう気きを出だして、草くさを分わけてはいっていきました。桑くわの枝えだを折おろうとすると、熟じゅくしきった赤あかい実みが、ぽとぽとと落おちました。 ﹁さあ、これを持もってお帰かえり。﹂ 誠せい一は、桑くわの枝えだを女おんなの子この手てに渡わたしてやったのです。五
朝あさ早はやく起おきた誠せい一は、いつになく忙いそがしそうでした。かいこが、いよいよ上あがりかけたのです。学がっ校こうへいってしまった後あとで、お母かあさんがおへやへはいってみると、手てが紙みが置おいてありました。
﹁まあ、なんでしょうか。﹂と、お母かあさんは、笑わらいながら、開あけてごらんになりました。
﹁お母かあさん、おかいこが口くちから糸いとを出だしたら、まぶしに入いれてください。まぶしに入いれたのには、桑くわをやらないでください。糸いとを出ださないほかのには、桑くわの葉はを細こまかくきざんでやってください。誠せい一より。﹂
お母かあさんは虫むしはきらいでしたけれど、子こど供ものためには、怖こわいとも思おもわず、なんでもしてやる気きになられました。そして、おかいこの前まえへいって、一つ、一つ、しらべていられました。