清きよしさんとたけ子こさんの二ふた人りは、お母かあさんにつれられて、海かい岸がんへまいりました。 ﹁清きよしさんは、男おとこですから、泳およぎを知しらなくてはいけません。ここには、泳およぎの上じょ手うずな先せん生せいがいらっしゃるから、よく習ならって、覚おぼえなさいね。﹂と、お母かあさんは、おっしゃいました。 その晩ばん、清きよしさんは、お母かあさんや、妹いもうとのたけ子こさんと、海うみの見みえるお座ざし敷きで、メロンやお菓か子しを食たべながら、宿やどの人ひとから、いろいろのおもしろいお話はなしをききました。中なかでも、いちばん心こころをひかれたのは、もう、七、八年ねんも前まえになるが、五、六人にん連づれの旅たび芸げい人にんが、ある日ひ、急いそいでここの港みなとから、船ふねに乗のって出しゅ立ったつしたときのことであります。乗のり後おくれた一ひと人りの少しょ年うねんがありました。船ふねは、少しょ年うねんを残のこして、そのままいってしまったのです。少しょ年うねんは、後あとを追おうにも、はるばるとした海うみの上うえですから、どうすることもできなく、独ひとり岩いわの上うえに立たって、悲かなしそうに、持もっている笛ふえを吹ふいていました。 少しょ年うねんは、いまにも怖おそろしい土どよ用うな波みが、やってくるということを知しらなかったのです。これから、どう歩あるいていったら、船ふねで立たった親おや方かたや、友ともだちに、しまいには追おいつくことができるだろうかと考かんがえていたのでしょう。そのとき、沖おきの方ほうから怖おそろしい山やまのような大おお波なみが襲おそってきたと思おもうと、もう少しょ年うねんの姿すがたは、見みえなくなって、波なみは、どこかへさらっていってしまったのでした。 このことを伝つたえきいた浜はまの人ひとたちは、その子こど供もをかわいそうに思おもわぬものはなかったのです。ところが、それからというもの、月つきのいい晩ばんには、かなしそうな笛ふえの音ねが、沖おきの方ほうから聞きこえるという話はなしでした。 ﹁いまでも聞きこえますか？﹂と清きよしさんは、宿やどの人ひとに、ききました。 ﹁それが、きこえることもあれば、またきこえぬこともあります。笛ふえの音ねのきこえたつぎの日ひは、船ふねを沖おきへ出だしても、漁りょうがないということです。﹂と、宿やどの人ひとは、答こたえました。 ﹁まあ、不ふ思し議ぎなお話はなしですこと、清きよしさんも、海うみへ入はいったら、波なみに気きをつけなければいけませんよ。﹂と、お母かあさんは、おっしゃいました。 ﹁あの先せん生せいがついていらっしゃいますから、だいじょうぶですし、まだ、土どよ用うな波みの立たつ時じせ節つでもありませんから。﹂と、宿やどの人ひとは、いいました。 清きよしさんと、たけ子こさんは、寝ねてからもしばらく、その話はなしが頭あたまにあって、 ﹁今こん夜やは、笛ふえがきこえないかなあ。﹂と、まくらにつけた耳みみをすましたのでした。 翌よく日じつ、海かい水すい浴よく場じょうで、清きよしさんは、水すい泳えいの先せん生せいに向むかって、昨ゆう夜べ聞きいたお話はなしをしました。そして、 ﹁ほんとうでしょうか？﹂と、たずねたのであります。先せん生せいは笑わらっていられましたが、 ﹁それは、笛ふえでなくて、ハーモニカでないのかね。﹂と、おっしゃいました。清きよしさんは、目めをまるくして、 ﹁ハーモニカが、聞きこえるのですか？﹂と、ききました。 ﹁ハーモニカなら、月つき夜よの晩ばんでなくとも、きこえるよ。ああそうだ、これから聞きかしてあげようか。﹂と、おっしゃいました。清きよしさんは、まったくびっくりしてしまいました。 ﹁昼ひる間までも、お化ばけが出でるのですか？﹂ ﹁ははは、そのお化ばけを見みせてあげましょう。﹂と、先せん生せいは、おっしゃいました。 海かい水すい浴よく場じょうの中なかは、どちらを見みても人ひとの頭あたまでいっぱいでした。赤あかい水みず着ぎを着きたのや、青あおいのや、黒くろいのや、さまざまで、まるでくらげのお仲なか間まのように、ぷかぷかと浮うかんでいたのです。こんなに人ひとがたくさんたくさんいるのなら、たとえお化ばけが出でても怖おそろしくはないと思おもいましたから、 ﹁ええ、そのお化ばけを見みせてください。﹂と、清きよしさんは、いいました。 ﹁いまごろなら、泳およいでいるだろう。さあ、僕ぼくといっしょにおいでなさい。﹂と、いって、清きよしさんは、浮うき輪わにつかまり、先せん生せいは、泳およぎながら清きよしさんの背せな中かを押おして、沖おきへ、沖おきへと出でてきました。たちまち、ハーモニカの音おとが青あおい、青あおい波なみの上うえからきこえるのでした。 ﹁あ、ハーモニカの音ねが。﹂と、清きよしさんは、じっと水すい平へん線せんを見みますと、白しろい帽ぼう子しを被かぶった一ひと人りの少しょ年うねんが、ハーモニカを吹ふきながら、波なみの間あいだを自じゆ由うに泳およいでいました。それは、まったく人にん間げん業わざとは思おもわれないほど上じょ手うずでありました。 ﹁あの子こはだれでしょう。﹂と、清きよしさんは、おどろきました。 ﹁どうだね、あの子こならお化ばけでもなんでもない、この浜はまで評ひょ判うばんの水すい泳えいの天てん才さい少しょ年うねんなのだ。君きみも熱ねっ心しんにけいこをすれば、きっとうまくなれるから。﹂と、先せん生せいは、快かい活かつにおっしゃいました。このとき、ハーモニカの音ねは、まただんだん遠とおくなりました。