せみ
Ｂビー坊ぼうが、だれかにいじめられて、路みちの上うえで泣ないていました。 ﹁どうしたの？﹂と、わけをきくと、こうなのであります。 Ａエー坊ぼうと、Ｂビー坊ぼうは、いっしょに遊あそんでいたのです。すると、みんみんぜみが飛とんできて、頭あたまの上うえの枝えだに止とまりました。 二ふた人りは、家いえに走はしっていって、もち棒ぼうを持もってこようとしました。すると、日ひごろから、強つよい、わんぱく子このＡエー坊ぼうが、 ﹁これは、僕ぼくのせみだから逃にがしちゃいけないよ。番ばんをしていておくれ。﹂と、命めいずるように、Ｂビー坊ぼうに向むかっていいました。
清しみ水ずよ良し雄お・絵え﹇＃﹁清しみ水ずよ良し雄お・絵え﹂はキャプション﹈ 気きの弱よわいＢビー坊ぼうは、たとえ内ない心しんでは、それを無む理りと感かんじても、だまって、うなずくよりほかはなかったのです。 ﹁どうか、Ａエーちゃんのくるまで、みんみんぜみが、逃にげてくれなければいいが……。﹂と、Ｂビー坊ぼうは、心しん配ぱいしていました。なぜなら、もし、せみが、逃にげたら、きっとＡエー坊ぼうは、自じぶ分んのせいにすると思おもったから。 Ｂビー坊ぼうは、上うえを向むいて、せみを見みま守もりながら、身みう動ごきもせず、じっとしていました。せみは、つづけて、ミン、ミン、ミン――と鳴なきました。そして、鳴なきやむと、思おもい出だしたように、遠えん方ぽうを目めがけて、飛とび去さってしまいました。うらめしそうに、Ｂビー坊ぼうは、しばらく、飛とび去さってしまったせみの行ゆく方えを見みま守もっていました。 そのとき、もち棒ぼうを持もったＡエー坊ぼうが、息いきをきらしながら、あちらから駆かけてきました。 ﹁Ｂビーちゃん、せみはいる？﹂と、遠とおくから、こちらを見みて叫さけびました。Ｂビー坊ぼうは、なんとなく、すまなそうな顔かおつきをして、頭あたまをふり、 ﹁逃にげてしまった。﹂と、答こたえました。 ﹁うそだ！ 君きみが、逃にがしたのだろう……。﹂と、Ａエー坊ぼうは、すぐ、そばにくると難なん題だいをいいかけました。 ﹁僕ぼくが、逃にがしたのではないよ。﹂と、Ｂビー坊ぼうは、あまりのＡエー坊ぼうの邪じゃ推すいに、不ふへ平いを抱いだきました。 ﹁君きみは、番ばんをしているといったじゃないか？﹂ Ｂビー坊ぼうは、たしかにそういったから、だまっていました。 ﹁君きみは、番ばんをしているといったろう。このうそつき！﹂ こういって、Ａエー坊ぼうは、Ｂビー坊ぼうをなぐったのです。 ――話はなしはこういうのでした。さあ、どちらに真しん理りがありましょう？
博はく物ぶつ館かん
﹁ねえ、叔お父じさん、上うえ野のへまいりましょう。﹂と、学がく生せいがいいました。 もう、秋あきで、上うえ野のの山やまには、いろいろの展てん覧らん会かいがありました。 ﹁そうだな、天てん気きがいいから、いってみようか。﹂ 二ふた人りは、家いえを出でかけました。そして、電でん車しゃを降おりて、石いし段だんを上あがり、桜さくらの木きの下したを歩あるいて、動どう物ぶつ園えんの方ほうへきかかりました。いつしか桜さくらの葉はは黄きばみかかって、なかに、虫むしばんでいるのもあれば、風かぜもないのに、力ちからなく落おちるのもありました。 ﹁おまえは、光こう琳りんの絵えを見みたことがあるか。﹂と、叔お父じさんは、甥おいにききました。 ﹁よく、絵かい画がざ雑っ誌しに載のっている、写しゃ真しん版ばんで見みたことがあります。﹂ ﹁写しゃ真しん版ばんでは、うまみがよくわからんが、気きひ品んがあるだろう……。﹂と、叔お父じさんがいわれた。 ﹁なかなか、豪ごう華かでいいと思おもいます。﹂と、学がく生せいは答こたえました。 ﹁そう、豪ごう華かじゃ。﹂ 二ふた人りは、博はく物ぶつ館かんの前まえの通とおりを歩あるいていました。 ﹁おまえは、どこへゆくつもりじゃ。﹂と、叔お父じさんは、立たち止どまってきかれました。 学がく生せいは、美びじ術ゅつ館かんに、いま開ひらかれている洋よう画がの展てん覧らん会かいを見みたいと思おもったのです。 ﹁博はく物ぶつ館かんに、いま光こう琳りん・抱ほう一など、琳りん派ぱの陳ちん列れつがあるのじゃがな。﹂と、叔お父じさんは、博はく物ぶつ館かんの門もんのある方ほうをつえで指さしました。しかし、その方ほうには、人ひと影かげが少すくなくて、寂さびしかったのです。そして、青せい年ねんや若わかい女おんなたちは、うららかな秋あきの日ひの光ひかりを浴あびながら、旗はたの立たっている美びじ術ゅつ館かんの方ほうへと、あとからあとから、つづいたのでした。 ﹁僕ぼくは洋よう画がを見みたいのですが、叔お父じさんもごらんなさいませんか。﹂と、学がく生せいは、いいました。 ﹁なるほど、みんな、そっちへばっかりゆくのう、どんな傑けっ作さくがあるのか、おまえのおつきあいをしてみようか。﹂ 叔お父じさんは、博はく物ぶつ館かんの方ほうを名なご残り惜おしそうに、もう一度ど見みか返えったが、つい甥おいの後あとからついて美びじ術ゅつ館かんの入いり口ぐちをはいってゆきました。 帰かえる時じぶ分んになって、叔お父じさんは、思おもいました。――西せい洋よう画がなんて、どこがおもしろいのだろう？ そして、博はく物ぶつ館かんにいい陳ちん列れつがあるのに、見みにゆかずに、こちらへばかりやってくる――。 ﹁高たかい金かねを出だして見みるだけのこともないじゃないか。﹂と、叔お父じさんはいいました。 ﹁叔お父じさん、昔むかしの絵えは、いくらよくたって、冷つめたい墓はか石いしのようなものです。いまの若わかい人ひとの画えには、自じぶ分んたちと同おなじ血ちが通かよっています。まあ、自じぶ分んの姿すがたを見みにゆくのですね。﹂ ﹁すると、おもしろくないのは、もう自じぶ分んの姿すがたがどこにも見みいだせないというわけかな。そう考かんがえれば、さびしい気きがするのう。﹂ 頭あたまの白しろくなった、人ひとのよい叔お父じさんは、ほんとうに、さびしそうに笑わらいました。貧びん乏ぼう人にん
達たっ者しゃのうちは、せっせと働はたらいてやっとその日ひを暮くらし、病びょ気うきになってからは、食くうや食くわずにいて、ついに、のたれ死じにをしたあわれな男おとこがありました。その死しが骸いは犬いぬころの屍しかばねと同おなじく、草くさ深ぶかい、野のは原らのすみにうずめられてしまった。そして、その人ひとの一生しょうは、終おわってしまったのであるが、彼かれの霊れい魂こんだけは、どうしても浮うかばれなかったのです。
﹁文ぶん明めいだという、にぎやかな世よの中なかへ生うまれ出でて、いったいどんなしあわせを受うけたろう？ 生いきている間あいだは、世よの中なかのために仕しご事とをした。死しんでも形かたちだけの葬そう式しきひとつしてもらえなかった……これでは、犬いぬやねこと同おなじであって、冥めい土どの門もんもくぐれないではないか？﹂
霊れい魂こんは、まったく浮うかばれなかったのです。りっぱなお寺てらへいって、お経きょうをあげてもらい、丁てい寧ねいに葬とむらいをしてもらってから、冥めい土どの旅たびにつこうと思おもいました。
うす曇ぐもった、風かぜの寒さむい日ひの午ご後ごのこと、この貧びん乏ぼう人にんの霊れい魂こんは、☆棺かん屋やの前まえをうろついていました。
﹁だれか、冥めい土どの途みちづれにするものはないかな。﹂と、人にん間げんを物ぶっ色しょくしていたのです。
ここに、金かね持もちの老ろう人じんがありました。何なに不ふそ足くなく暮くらしていました。ただ、もっと見みたい、もっと知しりたい、もっと味あじわいたいという欲よく望ぼうは、かずかぎりなくあったが、だんだん体たい力りょくの衰おとろえるのをどうすることもできませんでした。
寒さむい風かぜの吹ふく中なかを、この老ろう人じんは歩あるいてきました。棺かん屋やの前まえにさしかかって、ふと、その店みせ先さきにあった棺かんや、花はな輪わが目めに触ふれると、
﹁あの中なかへ、だれかはいるのだろうが、このおれも、いつか一度どは、はいらなければならぬ。ああ、そんなことを思おもっても、気きが滅め入いってくる……。﹂と、頭あたまを振ふって、通とおり過すぎようとしました。
これを見みた霊れい魂こんは、冷つめたい青あおい笑わらいをしました。そして、金かね持もちの背せな中かへ、そっと、しがみつきました。
﹁おお寒さむい！ かぜをひいたかな。﹂
金かね持もちの老ろう人じんは、思おもわず身みぶるいをして、家いえへ急いそぎました。
それから、十とお日かばかりたつと、金かね持もちは、かぜがもとで死しんだのであります。
生いきている間あいだは、自じど動うし車ゃに、乗のったことのない貧まずしい男おとこの霊れい魂こんは、いま金きん色いろの自じど動うし車ゃに乗のせられて、冥めい土どの旅たびをつづけました。また、ありがたいお経きょうによって、すべての妄もう念ねんから洗あらい浄きよめられた。金かね持もちの霊れい魂こんは、平びょ等うどう・無むさ差べ別つの生うまれる前まえに立たち返かえって、二つの魂たましいは仲なかよくうちとけていました。
﹁こうして途みちづれがあれば、十万まん億おく土どの旅たびも、さびしいことはない。﹂と、金かね持もちの霊れい魂こんがいえば、
﹁なぜ、娑しゃ婆ばにいるうちから、こうして、お友ともだちにならなかったものか……。﹂と、貧びん乏ぼう人にんの霊れい魂こんは、いぶかしく感かんじました。
あちらの空そらには、ちぎれ、ちぎれの雲くもが飛とんで、青あおい水みず色いろの山やまが、地ちへ平いせ線んから、顔かおを出だして微びし笑ょうしています。秋あき雨さめの降ふった後あとの野のは原らは、草くさも木きも色いろづいて、鳥とりの声こえもきこえませんでした。
金きん色いろにかがやく、棺かんを載のせた自じど動うし車ゃは、ぬかるみの道みちをいくたびか、右みぎと左ひだりにおどりながら、火かそ葬うじ場ょうの方ほうへと走はしったのです。
☆棺かん屋や――葬そう儀ぎし社ゃ