あるところに、母ははと少しょ年うねんとがさびしく暮くらしていました。 あわれな母ははは、貧まずしかったから、その身みになんの飾かざりというものをつけていなかったけれど、頭あたまの髪かみに、青あおい珠たまのついているかんざしをさしていました。少しょ年うねんは、そのお母かあさんのかんざしを見みることが大だい好すきでした。なぜなら、自じぶ分んの顔かおが、小ちいさく、どんよりと深ふかい水みずのように、うるんだ珠たまの上うえにうつったばかりでなく、ときに、おばあさんの顔かおも、またあちらの遠とおい景けし色きも、うつって見みえるような気きがしたからです。 この、昔むかしからあったかんざしは、死しんだおばあさんが、お母かあさんに遺のこしていった、形かた見みでありました。だから、お母かあさんが、それを大だい事じにしていたのに、無む理りはありません。 ある日ひ、行ぎょ商うし人ょうにんが、村むらへはいってきました。黒くろいふろしきに、箱はこを包つつんだのをせおっていました。箱はこの中なかには、女おんなのほしそうな、指ゆび輪わや、かんざしや、いろいろのものがはいっていました。 男おとこは母はは親おやのかんざしに目めをつけて、 ﹁いいかんざしをおさしですね。﹂といいました。 母はは親おやは、恥はずかしそうに、うつむいて、 ﹁昔むかしふうで、こんなもの、いいものでありません。﹂と、答こたえました。 ﹁私わたしに、売うってくださらないですか？﹂と、男おとこはいいました。 ﹁おばあさんの形かた見みですから、まあ、持もっていましょう。﹂ ﹁なんなら、ここにある品しなと換かえてくださらないですか。ここには、さんごもあります。べっこうのくしもあります。ほれ、こんなにいい根ねがけもあります。昔むかしふうのガラス珠だまのかんざしより、いくら、気きがきいているかしれませんよ。﹂と、男おとこはすすめました。 母はは親おやは、流りゅ行うこうの品しながほしかったけれど、がまんをしました。 ﹁考かんがえておきます。﹂と、答こたえました。 ﹁また、こんどきますから、よく考かんがえなさっておいてください。﹂と、行ぎょ商うし人ょうにんは、くれぐれもいって出でてゆきました。 母ははは、めったに外そとへも出でず、家うちにいて、針はり仕しご事とをしていました。少しょ年うねんは、そばで、本ほんを読よんだり、算さん術じゅつのけいこをしたりしました。母ははは仕しご事とができあがると、それを持もって、町まちへゆきました。少しょ年うねんも後あとについていったのであります。あるとき、途とち中ゅうで、学がっ校こう友ともだちのＡエーくんのおばあさんに、出であいました。 ﹁お母かあさんと、おつかいですか？﹂と、おばあさんは、少しょ年うねんを知しっているので、にっこりと笑わらって、声こえをかけられました。少しょ年うねんも、母はは親おやも、おばあさんにあいさつをしました。 その翌よく日じつ、少しょ年うねんが、Ａエーくんの家うちに遊あそびにゆくと、おばあさんが、 ﹁あなたのお母かあさんは、いいかんざしをおさしですね。﹂といわれました。 ﹁あれは、死しんだおばあさんの形かた見みなんです。﹂と、少しょ年うねんはいいました。 ﹁そうでしょう。昔むかしのものでなければ、あんないいものはありません。﹂と、Ａエーくんのおばあさんは、感かん心しんされました。 Ａエーくんの家うちで遊あそんで、少しょ年うねんは、帰かえり道みちにＡエーくんのおばあさんのいわれたことを思おもい出だして、 ﹁どうして、昔むかしのものは、そういいのだろう。きっと、昔むかしは、世よの中なかも美うつくしかったにちがいない。自じぶ分んの家うちも、昔むかしはよかったのだが、いまは、貧びん乏ぼうになったのだ……。﹂と、思おもいました。そして、それが矛むじ盾ゅんしたようにも考かんがえられたのです。 ﹁先せん生せいに、聞きいてやろう……。世よの中なかが文ぶん明めいになって、かえって、品しな物ものが悪わるくなるということを？﹂ その後のちも、あわれな母ははと少しょ年うねんの暮くらしには、変かわりがなかったのでした。 ある日ひのこと、村むらへ、また行ぎょ商うし人ょうにんが、はいってきました。これは、前まえにきたのでなく、べつの男おとこでした。そして、もっと、口くちが上じょ手うずでありました。 ﹁奥おくさん、まだお若わかいのに、こんな昔むかしふうのものをおさしになっては、おかしゅうございます。ここにこんな上じょ等うとうなさんご珠じゅがあります。足あしは金きんでございます。これとお換かえになってはいかがですか。昔むかしふうのものを探さがしていらっしゃるご老ろう人じんがありますので、私わたしのほうは、損そんがいくのですが、お換かえしようと申もうすのです……。﹂といいました。 母はは親おやは、前まえにきた行ぎょ商うし人ょうにんが、ガラス珠だまだといったことを覚おぼえていたので、つまらない品しなとよい品しなと換かえるなら、たとえ形かた見みであろうとも許ゆるしてもらえるような気きがして、その男おとこの金きんのかんざしと、自じぶ分んの頭あたまにさしている青あおい珠たまのかんざしと取とり換かえたのであります。 行ぎょ商うし人ょうにんは、いそいそとして、村むらをあちらへ歩あるいて去さりました。ちょうど、その後あとへ、はじめにきた男おとこが、いつものごとく、箱はこをせおってやってきましたが、いま、ほかの行ぎょ商うし人ょうにんとかんざしを換かえたということを話はなすと、びっくりして、目めの色いろを変かえながら、 ﹁ど、どれ、そのさんごの珠たまのついている、金きんのかんざしをお見みせなさい。﹂といいました。 そして、それを手てに取とって見みて、 ﹁これは、めっきした安やす物ものだ。あの青あおい珠たまはほんとうは、ガラスでない、珍めずらしい石いしなんです。どこのものか、知しらないやつに、もうけられてたまるものか……。私わたしが、とりもどしてきてあげましょう。﹂と、金きんのかんざしを手てに握にぎって走はしり出だしました。 少しょ年うねんは、その男おとこといっしょに走はしりました。 ﹁大だい事じなお母かあさんのかんざしをとりもどさねばならない……。﹂と、叫さけんで、先さっ刻きの行ぎょ商うし人ょうにんの後あとを追おいかけました。 かんざしを取とりかえた奴やつは、それと察さっしたものか、とっとっと道みちを急いそいで、その姿すがたは、野のは原らのはてにかすんで、小ちいさく見みえました。二ふた人りは、けんめいになって走はしったのです。 ﹁おうい、おうい。﹂ この時じぶ分んから、空そらは、曇くもってきました。そして、雷かみなりが鳴なりはじめました。少しょ年うねんは、だんだん疲つかれて、男おとこにおくれました。野のは原らを越こして、海かい岸がんに出でたときには、海うみの上うえは、墨すみを流ながしたように暗くらくなって、電でん光こうは流ながれ、雷かみなりはすぐ近ちかくで鳴なり、たきのような太ふとい雨あめが降ふってきました。このものすさまじい景けし色きの中なかで、二ふた人りの男おとこは、たがいに欲よくのために、死しにものぐるいになって、組くみ打うちをしていました。少しょ年うねんは、いまにも、雷かみなりが、頭あたまの上うえに落おちそうなので、浜はま辺べに、引ひき上あげてあった、船ふねの下したに腹はらばいになって、二ふた人りのけんかを見みている中うちに、二ふた人りは、岩いわの鼻はな先さきから、抱だき合あったまま、うず巻まく波なみの中なかに落おちたかと思おもうと、そのまま海うみは、二ふた人りをのんでしまいました。 しばらくすると、空そらは、けろりと晴はれて、海うみの色いろは青あおく、それは、お母かあさんのかんざしの珠たまよりも青あおく、あちらの夕ゆう焼やけは、また、さんごよりも紅あかかったのでした。しかし、そこには、もう二ふた人りの男おとこの姿すがたは見みえませんでした。少しょ年うねんは、ひとりそこに立たって、この夢ゆめのような話はなしを家うちに帰かえって、どう語かたろうかと考かんがえていたのです。