一
北きたの方ほうの町まちでは、つばめが家いえの中なかに巣すをつくることをいいことにしています。いつのころからともなく、つばめは、町まちの人ひと々びとをおそれなくなりました。このりこうな鳥とりは、どの家いえが、朝あさ早はやく起おきて、戸とを開あけるか、またどの家いえには、どんな性せい質しつの人ひとが住すんでいるか、また、この家いえは、規きり律つ正ただしいかどうかということを、よく見みぬいていました。それでなければ、安あん心しんして、家いえの中なかに、巣すはつくれなかったからです。また、大だい事じな自じぶ分んたちの子こどもをも育そだてられなかったからです。 つばめのいいと思おもった家いえは、ほんとうにいい家いえであったから、巣すをつくるのは、無む理りもなかったのでしたが、もう一つこれには、町まちの人ひとが、なぜこんなにつばめを愛あいするかという話はなしがあります。 それは、昔むかしのことでした。この海かい岸がんに近ちかい町まちの人ひと々びとは、船ふねに乗のって、沖おきへ出でて漁りょうをしていました。 ある日ひのこと、幾いくそうかの船ふねは、いつものごとく青あおい波なみ間まに浮うかんで、漁りょうをしていたのです。すると、天てん気きがにわかにかわって、ひどい暴ぼう風ふうとなりました。いままで静しずかであった海うな原ばらは、さながら、白しろくにえかえるようになり、風かぜは、吹ふきに吹ふきすさみました。たちまち、幾いくそうかの船ふねは、くつがえってしまった。そして、その中なかの、ただ一そうの船ふねは、遠とおく遠とおく沖おきの方ほうへ吹ふき流ながされてしまったのです。 暴ぼう風ふうがやんだときに、この一そうの船ふねは、まったくひろびろとした海うみの上うえに、あてもなく、ただよっていました。どちらが北きたであり、どちらが南みなみであるかさえわからなかった。 この船ふねに乗のっている三人にんのものは、たがいに顔かおを見み合あって、ため息いきをつきました。生せいも、死しも、運うん命めいにまかせるよりほかに、みちがなかったからです。 ふしぎに船ふねは、くつがえりもせず、波なみにゆられて風かぜのまにまに、すでに幾いく日にちとなく海うみの上うえをただよっていました。三人にんは、つねに、こうしたときの用よう意いにしまっておいたかつお節ぶしや、こんぶなどをとり出だして、わずかに飢うえをしのいだのでした。 今きょ日うは、船ふねに出であわないか、明あ日すになったら、どこかの浜はまに着つかないかと、空むなしい望のぞみを抱いだいて、ただ、海うみから上のぼった太たい陽ようをながめ、やがて、赤あかく沈しずんでゆく太たい陽ようを見みお送くったのです。 ﹁どうかして、すくわれたいものだな。﹂ ひとたびは、死しを覚かく悟ごしたものが、こうして毎まい日にち、おだやかな海うみを見みるうちに、どうかして生いきたいという希きぼ望うに燃もえたのでした。 のろわしい風かぜも、いまは、やさしく彼かれらの耳みみにささやき、ほおを吹ふいたのであります。船ふねは、あてもなくただよって、ただ、風かぜがつれていってくれるところへ着つかなければなりませんでした。 海うみの上うえに、うすく霧きりがかかって、一日にちは、むなしく暮くれてゆく時じぶ分んでした。あちらに、赤あかい火ほか影げをみとめたのです。 ﹁火ひだ、火ひだ。﹂ 三人にんは、じっと、それをながめました。急きゅうに、元げん気きがわいて、かじを取とって、その方ほうへいっしょうけんめいに船ふねを進すすめるのでした。火ひは、だんだん近ちかくなりました。小ちいさな燈とう台だいのようでした。 ﹁いったい、ここはどこだろう。﹂ 夜よるの空そらをすかして見みると、熱ねっ帯たい植しょ物くぶつがこんもりと立たっていました。そこは、大たい洋ようの真まん中なかにあった、小ちいさな島しまであることがわかったのでした。 ﹁なんだか、夢ゆめのようだな。﹂と、一ひと人りがいいました。 ﹁幽ゆう霊れい島とうでないかしらん。﹂ ﹁どこでもかまったことはない。なるほど、このあたりは、岩いわが多おおいようだ。沖おきへ出でている船ふねもいるとみえて、あの赤あかい火ひがついているのだろう。﹂と、もう一ひと人りがいいました。 三人にんは、いつまでもこうしていては、助たすからないと思おもいましたから、命いのちがけの冒ぼう険けんをする気きで、十分ぶん注ちゅ意ういしながら、岩いわと岩いわの間あいだをこいで、その島しまに上じょ陸うりくしました。 屋や根ねの低ひくい家いえが、ところどころにありました。葉はの大おおきな植しょ物くぶつが、こんもりとして、海うみの方ほうから吹ふいてくる風かぜに、うちわをふるように、はたはたと夜よぞ空らに音おとをたてています。そして、どこからともなく、らんの花はなのいい香かおりが流ながれてきました。 三人にんは、知しらない島しまに上あがりました。不ふあ安んな心こころをおさえながら、一軒けんの家いえの窓まどに近ちか寄よってのぞいてみますと、髪かみの長なが、美うつくしい目めをした少しょ女うじょが、両りょうはだをぬいで、下したを向むいて貝かいをみがいていました。 人じん種しゅこそちがっているけれど、けっしてこの島しまの人ひとは、わるい人ひとたちでないとわかると、三人にんはやっと安あん心しんをして、島しまの中なかをぐるぐると歩あるきはじめたのです。そのうちに、島しまの人ひとたちは、三人にんを見みつけて、めずらしそうに、まわりに集あつまってきました。 もとより言こと葉ばは、たがいにわからなかったけれど、手てまねで、やっと三人にんが、遠とおい北きたの方ほうから、暴ぼう風ふうのために、幾いく日にちも漂ひょ流うりゅうして、この島しまに着ついたことがわかったのでした。 三人にんは、数すう日じつ間かんというもの、島しまの人ひとたちに、いろいろともてなされました。その間あいだに、疲つかれたからだを休やすめて、勇ゆう気きをとりもどすことができたので、ふたたび、遠とおい故こき郷ょうをさして帰かえることにしました。 島しまの人ひとたちは、三人にんの船ふねをなおして、新あたらしい帆ほを張はってくれたばかりでなく、食しょ物くもつや、また、水みずなどの用よう意いもしてくれたのです。美うつくしい娘むすめたちは、自じぶ分んたちが、貝かいでつくったボタンを二つずつ三人にんに、わけてくれました。そして、無ぶ事じに、故こき郷ょうへ着つくようにと祈いのってくれました。言こと葉ばはわからなかったけれど、人にん情じょうにかわりはありませんでした。島しまの人ひとたちのまごころは、三人にんの胸むねに通つうじて、永えい久きゅうに忘わすれられないものでした。また三人にんの心こころからの感かん謝しゃは、島しまの人ひとたちにとどいて、彼かれらが船ふねに乗のって別わかれるときには、娘むすめたちは、涙なみだを流ながして見みお送くっていたのであります。二
北ほっ方ぽう人じんの目めには、島しまの景けし色きが、いつまでも残のこっていました。また、つばめが、たくさんこの島しまにすんでいたこと、島しまの人ひとたちが、みずから、その島しまをつばめの島しまといっていたことも忘わすれることができませんでした。
こうして、三人にんの乗のった船ふねは、かぎりない、青あおい海うみに吸すいこまれるごとく、あてもなくただよいはじめたのです。島しまの人ひと々びとが、どちらに太たい陽ようを見みてゆくときは、どの方ほう向こうへゆくということを教おしえてくれたので、それをただ一つのたよりとしました。
しかし、北きたへ帰かえる旅たびも、無ぶ事じではありませんでした。一片ぺんの木この葉はにもひとしい、たよりない船ふねは、ある日ひ、また風かぜのために吹ふき流ながされて、知しらぬ他たこ国くの岸きしに着つけられたのでした。そして、その国くにの人ひとたちは、島しまの人ひと々びとのように、しんせつではありませんでした。三人にんは、さっそく金かねに困こまったのでした。身みにつけているもので、売うって金かね目めになるようなものはなにもありません。このとき、一ひと人りは、島しまの娘むすめからもらったボタンに気きがつきました。
﹁おい、兄きょ弟うだい、なんともいえないきれいなボタンだが、これは金かねにならないものだろうか。﹂
こういうと、二ふた人りは、頭あたまをかしげました。
﹁そうだな、たいした金かねにもなるまいが、ひとつ見みせてみようか。﹂といいました。
それから、町まちを歩あるきまわって、いろいろめずらしいものを売うる店みせにはいって、そのボタンを見みせたのです。すると、主しゅ人じんらしい男おとこが、その六個このボタンを手てにとって、じっとながめていましたが、
﹁いくらで売うるか。﹂といって聞ききました。
三人にんは、自じぶ分んたちは、風かぜに流ながされて、こんなに遠とおくきたことを話はなしました。それで、故こき郷ょうに帰かえる旅りょ費ひにでもなればいいということを――心こころのうちでは、そんなになるとは思おもわなかったけれど――いったのでありました。
﹁いくら、お入いり用ようか知しらないが、精せいいっぱいにいただいて、金きん貨か五つとならお換かえいたします。﹂と、主しゅ人じんはいいました。
彼かれらは、ほんとうに、思おもいもよらぬ金かねになったとよろこびました。それで、ボタンを売うって、自じぶ分んたちの故こき郷ょうをさして旅たび立だったのであります。それからまた幾いく日にちかのあいだ苦くるしみました。そして、ついに彼かれらは、なつかしい故こき郷ょうに帰かえって、兄きょ弟うだいや、親おやたちの顔かおを見みることができたのでした。
﹁あのボタンは、なんだったろう。﹂
三人にんは、いまから考かんがえると、あれが、普ふつ通うの貝かいではなかったような気きがしました。そして、あの島しまのことを思おもうと、まったく、夢ゆめのような、ふしぎな気きがします。美うつくしい娘むすめたちも、しんせつな島しまの人ひとたちも、木こだ立ちも、あの赤あかい燈とう台だいの火ひも……。
﹁もう一度ど、あの島しまへいってみたいな。﹂
三人にんは、顔かおを見みると、そのときのことを語かたりあって、遠とおい南みなみの海うみを空くう想そうしました。そして、春はるになって、つばめが飛とんできたとき、
﹁あの島しまからきたのだ。つばめの島しまからきたのだ。﹂といって、このりこうな鳥とりを歓かん迎げいしました。
町まちの人ひとたちは、三人にんから、つばめの島しまの話はなしを聞きいて、そんな、いいところが、この世せか界いのどこかにあるのかと思おもいました。
﹁つばめは、幸こう福ふくを持もってきたのだ。﹂といって、どこの家いえでも、自じぶ分んの家いえのなかに巣すをつくってくれるようにと望のぞんだのです。こうして、いつということなしに、つばめは北ほっ方ぽうへ飛とんでいけば、人にん間げんは自じぶ分んたちを保ほ護ごしてくれるものでこそあれ、けっして害がいを加くわえるものでないことを知しったのであります。
夏なつのおわりになると、つばめは、北きたから南みなみへと、紫むら色さきいろのつばさをひろげて、帰かえってゆきました。
冬ふゆのない南なん方ぽうは、まだ真まな夏つであります。湖みずうみの水みずは、銀ぎんのごとく、日ひの光ひかりを反はん射しゃしていました。片かた方ほうは、高たかいがけになって、ちょうど切きり落おとされたように、赤あかい地じはだを静しずかな水みずの面おもてにうつしていました。
そのがけの半はん腹ぷくに、円まるいあなをうがって、一ひと家かぞ族くのつばめは、巣すをつくりました。そして、子こどもを、あなの中なかに産うみそだてていました。
ある日ひ、親おやつばめは、そのあなの中なかから出でて、湖こす水いの上うえを矢やのようにかけてゆきました。ちょうど、そのとき、あのしげみに、一羽わのかわせみが、しょんぼりとしてたたずんでいたが、頭あたまの上うえを通とおりかかるつばめを見みると、急きゅうに声こえをかけて、呼よび止とめました。
つばめは、何なに事ごとかと思おもって、舞まい下おりると、一本ぽんの強つよそうなあしに止とまったのであります。
﹁どうなさったのですか。﹂と、快かい活かつに、つばめはたずねました。
﹁弟おとうとはどうしたのでしょう、まだ帰かえってこないのですが、あなたは、ごらんになりませんでしたか。﹂と、かわせみは、心しん配ぱいそうに聞きいたのであります。
つばめは、いまそのことを思おもい出だしたように、うなずきながら、
﹁それは、高たかい山やまに、いつも雪ゆきのある北きたの国くにの町まちでした。ある日ひ、私わたしは飛とんでいますと、一軒けんの薬くす屋りやのガラス戸どのはまった店みせさきに、めずらしい鳥とりのはくせいがありました。私わたしは、見みおぼえのあるような気きがしたが、そのときは、急いそいでいましたので、よくそれを見みませんでしたが、あれは、あなたの弟おとうとさんではなかったようです。きっと、そのうちに、帰かえっておいでになりますよ。﹂と、なぐさめるようにいいました。
かわせみは、うらやましそうに、つばめを見み上あげながら、
﹁あなたたちは、どこへいっても、人にん間げんにかわいがられて、おしあわせですこと。﹂と、感かん嘆たんいたしました。
つばめは、それを打うち消けすように、羽はばたきをして、おしゃべりをはじめました。
﹁北きたの国くにでは、そうでありましても、こちらへきては、なかなか油ゆだ断んがなりません。へびが子こどもをねらっていますから。﹂と答こたえました。
かわせみは、すばしこく水みずの上うえをいったり、きたりしながら、
﹁こんどの巣すは、なかなか安あん心しんな場ばし所ょじゃありませんか。それに、巣すのまわりの木きの枝えだには、毛けむ虫しがたくさんついていますから、そんなに遠とおくまでいって餌えさをおさがしなさらなくてもいいかと思おもいます。﹂
﹁かわせみさん、そこが、私わたしの用よう心じん深ぶかいところなんですよ。だれもすぐあなのまわりに、私わたしたちの好すきな食しょ物くもつがあると思おもうでしょう。私わたしが、それを捕とらないのは、巣すのあり場ばをかくすためです。こういう秘ひみ密つも、仲なかのいいあなたにだけお教おしえするのですよ。﹂と、つばめは、さも、じまんそうにいいました。そして、立たち去さったのであります。
あなにいた子こつばめは、母ははつばめの後あとをしたいました。もう、目めはあいていたから、チイ、チイと鳴ないて、あなの入いり口ぐちまではい出でて、お母かあさんの許ゆるしなしに、赤あかいほおを出だして外そとの世せか界いをのぞいたのです。
きらきらとした、美うつくしい水みずが、目めの下したにあふれていました。そして、すぐあなの前まえへ差さし出でた青あおい葉はのついている枝えだに、自じぶ分んたちの好すきな、いつも母はは親おやが、どこか遠えん方ぽうから持もってきてくれるのと同おなじい毛けむ虫しが、うようよとして動うごいているのを見みました。
﹁これは、どうしたというのだろう？ お母かあさんはこれを知しらないのか？﹂
子こつばめたちは、首くびをのばして、あらそってそれをとろうとしました。そして、つぎの瞬しゅ間んかんに、みんな湖こす水いの中なかに落おちておぼれてしまいました。
親おやつばめは、まだそれを知しりませんでした。
りこうで、幸こう福ふくな鳥とりとして知しられているつばめらも、南みなみの方ほうに帰かえると、こうした思おもわぬわざわいにかかることもあったのです。