ある草くさ花ばな屋やの店みせさきに、河こう骨ほねが、小ちいさな鉢はちの中なかにはいって、ガラス戸どの内うち側がわにかざられていました。街まちの中なかで、こうした片かたいなかの水すい辺へんにあるような緑みど色りいろの草くさを見みるのは、めずらしいといわなければなりません。 しかし、河こう骨ほねにとっては、こうして置おかれることは、迷めい或わくこのうえもなかったのです。すがすがした空くう気きと、自じゆ由うの世せか界いにみなぎる、日にっ光こうを受うけることから、さえぎられて、毎まい日にち、ここで見みるものは、街まちの砂すなぼこりの煙けむりと、ざわざわ歩あるく人にん間げんの姿すがたと、自じど動うし車ゃと、電でん車しゃの外ほかになかったからでした。 ﹁あなたがたは、心しん配ぱいですね。これからの売うれ口くちを考かんがえると、まったく、どこへいくか、わからないのですものね。私わたしなどは、もう花はなの時じぶ分んは終おわったから、だれも、買かってくれ手てはありません。まあ、このすみで半はん年とし眠ねむるんです。あの、暖あたたかな海うみの潮しおが押おしよせてきた、がけの上うえで、心ここ持ろもちのいい風かぜに吹ふかれて、うつりうつりと夢ゆめを見みていたときのことを考かんがえると、くらべものになりませんが、どうせ私わたしの一いっ生しょうというものは、眠ねむるようにできているのですから、不ふし承ょうもなりますが、けしさんや、河こう骨ほねさんなどには、この生せい活かつは、さぞ苦くるしいことだとお察さっしします。はやくいい売うれ口くちがあって、いいお暮くらしをなさるように祈いのっていますよ。﹂と、南なん洋よう産さんのらんがいいました。 赤あかいけしの花はなは、さまで、ここにいることを苦くろ労うと感かんじないように、いつも、お化けし粧ょうに身みをやつしてそわそわしていましたが、いま、らんに同どう情じょうされるとなんとなく、自じぶ分んの誇ほこりを傷きずつけられたと思おもって、ほおを染そめながら、 ﹁わたしなどは、はたけにいる時じぶ分んから、人にん間げんがみんな目めをつけていました。あなたばかりは、どこへいっても大だい事じにされますよと、ちょうがよくきていったものです。わたしは、いく先さきのことなどは、ちっとも心しん配ぱいしていないのです。﹂と答こたえました。 ひとり、河こう骨ほねは、ほんとうに、いつまで、こんなところにいるのだろう、小ちいさな鉢はちの水みずは、なまぬるくて、夜よぎ霧りにはぬれることもなければ、いなかの沼ぬまにいたときのように、水みずの上うえを渡わたってくるひやひやとした風かぜに吹ふかれもしないので、いつも頭あたまが重おもいのをなげいていました。 なるほど、らんは、平へい気きで眠ねむっています。そして、けしの花はなは、晩ばん方がた、じょうろで水みずをかけられると、いっそう、そわそわして、あかりのついた下したで、しなをつくっていたのでした。 ﹁まあ、このけしの花はなのきれいなこと。﹂といって、散さん歩ぽしている、若わかい夫ふう婦ふが、店みせさきに立たち止どまると、けしの花はなを見みました。 ﹁ねえ、これを買かっていきましょうよ。﹂ ﹁持もって帰かえると、じきに散ちってしまうけれど、買かっていこうか。﹂ 二ふた人りは、こんなことを話はなし合あって、店みせへはいると、けしの花はなを買かいました。 ほんとうに、けしの花はなが、自じぶ分んを自じま慢んしたごとく、すぐに売うれ口くちはありました。けしの去さった後あとで、らんが、ひとり言ごとのように、 ﹁あんな人にん間げんにかぎって、花はなを大だい事じにするものでない。だれでも、けしさんは自じぶ分んを大だい事じにすると思おもっているが、かわいそうに……。﹂といいました。 翌よく日じつ、花はな屋やの主しゅ人じんは、らんをどこへか移うつしてしまいました。もはや、来らい年ねんまでは、店みせさきに用よう事じがないと思おもったからでしょう。そして、そこには、河こう骨ほねだけが、残のこされたのです。 ﹁私わたしは、どうなるのだろう？﹂ 河こう骨ほねは、思しあ案んにつかれた顔かおをして、ぼんやりと外そとを見みていました。 太ふといステッキをついて、パイプをくわえた、おじいさんが、ガラス窓まどの前まえに立たちました。そして、青あおい煙けむりをすぱすぱやりながら、河こう骨ほねをながめていました。 河こう骨ほねは、このおじいさんは、きっと、しんせつな人ひとだろうと思おもいました。この人ひとに買かわれていったら悪わるいことはあるまいという気きがしたので、 ﹁どうか、私わたしをもっと広ひろい、自じゆ由うなところへつれていってください。﹂と、訴うったえたのでした。 その心こころが、おじいさんに達たっしたものか、しばらく、花はなに心こころをひかれたように、ながめて立たっていましたが、 ﹁いまは、会かい社しゃへの出でがけだから、どうすることもできない……。﹂と、軽かるく、心こころのうちでいって、窓まどから離はなれると、ちょうどそこへきあわせた、乗のり合あい自じど動うし車ゃに乗のっていってしまいました。 その日ひの昼ひるごろ、おじいさんは、会かい社しゃの応おう接せつ室しつで、テーブルに向むかい、大おおきな腹はらを抱かかえて、パイプをすぱすぱ吸すいながら、お客きゃくと話はなしをしていました。そのとき、おじいさんは、ふと、今け朝さ、花はな屋やの店みせさきで見みた河こう骨ほねを目めに思おもい浮うかべたのです。 ﹁夏なつは、水みず草くさはいいものだ。あれを一ひと鉢はち買かっても悪わるくないな。﹂と、笑わらいながら、お客きゃくの話はなしとはまったく関かん係けいなしに考かんがえていたのでした。 しかし、おじいさんは、会かい社しゃからの帰かえりに、宴えん会かいがあって、その方ほうへまわりました。そして、河こう骨ほねのことは、それきり忘わすれてしまったのでした。 河こう骨ほねは、あいかわらず、自じぶ分んに同どう情じょうを寄よせてくれる人ひとのくるのを待まっていました。けれど、たいてい、この花はな屋やの前まえへ立たつ人ひとは、ほかの紅あかや、青あおや、白しろや、紫むらさきの切きり花ばなに目めをとめて、水みずの中なかに、つつましやかに咲さいている自じぶ分んを注ちゅ意ういしてくれる人ひとはありませんでした。 いつも、子こど供もをおぶって、子こも守りうたをうたいながら、店みせさきにやってくるおばあさんがありましたが、河こう骨ほねを見みても、べつになんとも感かんじないようでした。おばあさんは、街まちの中なかで生うまれた人ひとで、このいなかの草くさを見みても、なつかしいとは思おもわなかったのでありましょう。 ある日ひの晩ばん方がたのこと、そこに、黒くろい、短みじかい洋よう服ふくを着きて、赤あかいえりを出だした、二ふた人りの娘むすめが立たって、ガラス窓まどの内うち側がわをのぞいていました。乗のり合あい自じど動うし車ゃの女おん車なし掌ゃしょうでありました。 ﹁あなた、あの黄きい色ろい花はなの名なを知しってる？﹂と、一ひと人りがいいました。 ﹁水みず草くさですわね。なんて、やさしい花はなでしょう。私わたし、名なまえは知しらないけど。﹂ 河こう骨ほねは、二ふた人りの娘むすめさんが、自じぶ分んのことをいっていると思おもうと、なんとなく、はずかしく思おもいました。 ﹁もし、この、まつ毛げの長ながい美うつくしい娘むすめさんが、自じぶ分んを買かって、どこかへ連つれていってくださったら、自じぶ分んは、どんなにしあわせだかしれない。きっと毎まい日にちのように、娘むすめさんは、清きよらかな水みずをいれて、風かぜ通とおしのいい、また、太たい陽ようのあたるところへ出だしてくださるだろう……。﹂と、河こう骨ほねは、思おもったのであります。 ﹁私わたし、草くさ花ばなの種たねをまいたりするのは、大だい好すきなのですけれど、もう、そんな暇ひまなんかないのです。﹂と、一ひと人りが、いいますと、 ﹁ほんとうに、朝あさ出でて、晩ばんにならなければ、帰かえらないのですもの……。﹂と、一ひと人りは、答こたえました。 二ふた人りは、花はな屋やの前まえで、しばらく花はなを見みて、目めを楽たのしませると、窓まどの際きわから離はなれ、肩かたを並ならべて、ふたたび自じど動うし車ゃに乗のって働はたらくために立たち去さったのです。 都とか会いの生せい活かつに経けい験けんのない河こう骨ほねは、どうして、この娘むすめたちのことを知しり得えましょう。娘むすめたちが去さると、河こう骨ほねは、自じぶ分んの不ふこ幸うをなげいたのでした。 しかし、このやさしい娘むすめたちは、けっして、河こう骨ほねをば忘わすれたのではありません。一ひと人りの娘むすめは、狭せま苦くるしい自じど動うし車ゃの内うちで、客きゃくにもまれて、切きっ符ぷをはさむ間あいだも、花はな屋やの店みせさきにあった、水みず草くさの黄きい色ろな花はなを心こころの目めに思おもい浮うかべていました。そして、一日にちの仕しご事とに疲つかれた魂たましいをわずかになぐさめていたのであります。 河こう骨ほねの花はなは、このままそこで、しおれてしまうより、ほかなかったのでした。 ﹁街まちの人ひとは、だれも、私わたしをかえりみてくれない。私わたしはそんなにいなかびているのだろうか？﹂ もはや、一日にちましに、暑あつくなる時じせ節つであって、街まちの上うえの空そらは、銀ぎん色いろにうるんでいました。そして、旅たびの心ここ細ろぼそさをまさしめる、つばめが鳴ないていました。 このとき、みすぼらしいふうをした、少しょ年うねんが、店みせさきに立たちました。少しょ年うねんは、どこか体からだがよくないのか、青あおい顔かおをしていたが、河こう骨ほねを見みると、その目めは、急きゅうに、いきいきとして輝かがやいたのであります。 ﹁村むらへ帰かえりたいな。いまごろ、池いけに、河こう骨ほねが咲さいているだろう。あの時じぶ分んは、おもしろかった。釣つりもしたし、ひしの実みもとったし……。﹂ 少しょ年うねんは、じっとして、河こう骨ほねの花はなを窓まどからのぞいて見みていましたが、やがて、花はな屋やにはいると、価あたいを聞きいて、小ちいさな財さい布ふをかたむけて、河こう骨ほねの鉢はちを買かいました。河こう骨ほねは、はじめて、少しょ年うねんに抱いだかれて、永えい久きゅうに、花はな屋やの店みせから別わかれたのであります。 ﹁どこへいくのだろう？﹂と、河こう骨ほねは、思おもいました。しかし少しょ年うねんが、自じぶ分んを見みたときに、涙なみだぐんだのを知しったので、つれられていくことについて、すこしも不ふあ安んを感かんじていませんでした。 少しょ年うねんは、河こう骨ほねの鉢はちを大だい事じに抱かかえながら、にぎやかな街まちの通とおりをまっすぐに歩あるいてゆきました。