河かわ水みずは、行ゆく方えも知しらずに流ながれてゆきました。前まえにも、また、後うしろにも、自じぶ分んたちの仲なか間まは、ひっきりなしにつづいているのでした。そして、どこへゆくという、あてもなしに、ただ、流ながれている方ほうに、みんなはゆくばかりでした。 前まえにいったものは、笑わらったり、わめいたり、喜よろこばしそうに踊おどったりしていました。はやく、まだ見みない、めずらしいことのたくさんある世せか界いへゆきたいと、あせっているようにも思おもわれたのです。 ほんとうに、それは、遠とおい、また、長ながい旅たびでありました。すべてのことに終おわりがあるように、この旅たびも、いつかは尽つきるときがあるでありましょう。 河かわ水みずは、昼ひるとなく、夜よるとなく、流ながれてゆくのでした。 ある日ひのことです。ふいに、黄きい色ろな、破やぶれた袋ふくろのようなものが、飛とび込こんできました。それはバナナの皮かわでした。 ﹁ああびっくりした。やっと、私わたしは、目めがさめたような気きがする。﹂と、バナナの皮かわは、いいました。 南なん洋ようの林はやしの中なかに、あったころのさわやかな香においが、まだ残のこっていて、このとき、ふたたび冷ひややかな水みずの上うえで、したのでした。 ﹁おまえさんは、いままで眠ねむっていたのかね。﹂と、水みずは、たずねました。 ﹁ここは、どこですか？﹂と、バナナの皮かわは、驚おどろいたようすをして、聞ききました。 ﹁ここは、どこだか俺おれにもわからない。だが、この歩あるいている幅はばの広ひろい一ひと筋すじの道みちは、俺おれたちの領りょ分うぶんだということができる。おまえさんは、これから、ここへ飛とび込こんできたからは、俺おれたちのいくところまで、いっしょに、ついてこなければならない。﹂と、水みずは、答こたえたのであります。 バナナの皮かわは、しばらく考かんがえていたが、 ﹁ああ、私わたしは、まだ、船ふねに乗のっているような気きもしたが、それは、ずっと昔むかしのことだった。あれから、きっと、どこかの港みなとに着ついたのだろう！ そして、どこかの町まちへ運はこばれて、人にん間げんの手てにかかって、こんなに着きも物のばかりにされてしまったのだろう。しかし、もし、私わたしに、あの甘あまい中なか身みがあったなら、私わたしの眠ねむりは、いつまでもさめずに、しまいに、いい気き持もちのまま、私わたしの体からだがすっかり、酒さけのように、醸かもされて溶とけてしまったかもしれない。だから、なにが、幸さいわいとなるかわかるものでない。中なか身みを取とられて、水みずの中なかに捨すてられたので、もう一度ど私わたしは、気きがついて、目めがさめたのだ。まだ、私わたしの皮ひ膚ふには、あの林はやしの中なかにあったころを思おもわせるような、青あおい部ぶぶ分んが残のこっている。じつに、あの林はやしの中なかにあった時じぶ分んは、なんという、青あお々あおとした体からだであったろう……。﹂ バナナは、独ひとりごとをしながら、追つい懐かいにふけっていました。 河かわ水みずは、その言こと葉ばをきいていました。そして、それに同どう情じょうをしてか、また、あざけるのか、わからないような、ささやかな笑わらい声ごえをたてたのであります。 ﹁いくら眠ねむるからといって、そんなによくも眠ねむれたものだ。俺おれたちは、まだ、十分ぷん間かんと一ひとところにじっとして、眠ねむった覚おぼえがない。﹂と、河かわ水みずは、いいました。 ﹁南みなみの熱あつい、森もりの中なかに咲さいている花はなや、また、木きの葉はは、それは、じっとしてよく眠ねむります。なかには、あまり眠ねむりすぎて、しぜんに溶とけてしまうものもあります。﹂と、バナナは、答こたえました。 それから、バナナは、河かわ水みずについて、流ながれてゆきました。すると、突とつ然ぜん、そこへ一本ぽんのつえが落おちてきました。 ﹁ああ、やっと、私わたしは、盲めく人らの手てから、脱ぬけ出でてきた。一刻こくも、休やすみなく、堅かたい石いしの上うえや土つちの面おもてを、こつこつやられたのでは、私わたしの身みがたまったものでないからな。﹂と、つえは、独ひとり言ごとのようにいいました。 ﹁おまえさんは、どこから、どうして、ここへきたのです。﹂と、河かわ水みずは、問とうたのです。 つえは、長ながい体からだを、水みずの上うえで、ぐるぐると振ふりながら、 ﹁按あん摩まに、長ながいこと、私わたしは、つかわれていたのです。どうかして、すこし体からだを休やすめたいと思おもっていましたが、一日にちとして、その暇ひまがありませんので、はやく、按あん摩まの手てからのがれて、どこかへ身みを隠かくして、ぐっすりと眠ねむりたいと思おもいました。けれど、按あん摩まは、私わたしがなくっては、ちっとも歩あるけませんので、どこへいくにも私わたしをつれていきました。私わたしの体からだは、日にち夜やの過かろ労うのために、だんだんやせていきました。私わたしは逃にげ出だす機きか会いを、待まっていました。ところが、今きょ日う、ちょうど橋はしの上うえで、按あん摩まのげたの鼻はな緒おがゆるみました。按あん摩まは、橋はしの欄らん干かんに私わたしの体からだをもたせかけて、げたの鼻はな緒おをしめていました。私わたしは、このときと思おもって、するすると欄らん干かんから下したへ、ぬけ落おちたのであります……。﹂と、物もの語がたりました。 この話はなしを、河かわ水みずは、黙だまって、聞きいていました。そばで、バナナの皮かわも、聞きいていたのです。 ﹁おまえさんは、水みずの上うえへ落おちるということがわからなかったか？ 俺おれたちはこれから、どこへいくかわからないのだ。﹂と、河かわ水みずはいいました。 バナナは、いま、うす暗ぐらいところを通とおったが、あすこは、橋はしのかかっている下したであったのかと思おもいかえしました。 ﹁私わたしは、どこへ落おちても、按あん摩まに、休やすみなく使つかわれている境きょ遇うぐうよりは、ましだと思おもいました。﹂と、つえは、答こたえたのです。 水みずは、だまって、きいていましたが、二、三度ど、大おおきく体からだをゆすって、 ﹁しかし、これからは、否いや応おうなしに、おまえがたは、俺おれたちのいくところへついてこなければならない。﹂といいました。 バナナも、つえも、その言こと葉ばを聞きくと、いったい、どこへゆくのだろうかと思おもいました。そして、それに対たいして、多たし少ょう不ふあ安んを感かんじないではいられませんでした。 河かわ水みずは、あるときは、ゆるやかに、あるときは駆かけ足あしでもするように、速すみやかに走はしりました。ゆるやかな時じぶ分んには、バナナの皮かわも、つえも、ゆるやかに流ながれて、たがいの身みの上うえ話ばなしでもするようについたり、離はなれたりしていきましたが、速すみやかに流ながれるときは、やはり、バナナの皮かわも、つえも、駆かけ足あしをしたのでした。そして日ひの輝かがやく下したの、野のは原らの中なかを流ながれたり、右みぎや、左ひだりに、野やさ菜いえ園んのしげったのなどを見みながらいったのです。また、さびしい林はやしの中なかを通とおったこともありました。 ﹁あなたの産うまれた林はやしというのは、こんなところでしたか？﹂と、林はやしの中なかをゆくときに、つえはバナナの皮かわにたずねました。 バナナの皮かわは、半はん分ぶん黒くろくなった頭あたまを振ふりながら、 ﹁まったくちがっています。もっと、太たい陽ようは、大おおきく、そして、林はやしの中なかは、ぎらぎらと明あかるく光ひかっていました。﹂と答こたえました。 寒さむい国くにの山やまで、子こど供もの時じぶ分んに育そだったつえには、それを想そう像ぞうすることができなかったのです。 そのうちに、水みずの上うえが、紅あかく色いろづいて、夏なつの日ひは、だんだん暮くれかかりました。林はやしのなかで、鳴ないているひぐらしの声こえも静しずまると、星ほしの影かげが映うつったのであります。あたりは、暗くらくなってしまいました。 しかし、河かわ水みずは、休やすまずに、流ながれていきました。 日ひは暮くれても、空そらの色いろは、ほんのりと明あかるく、土ど手ての下したを流ながれていくと、ほたるなどが飛とんでいました。なんでもその土ど手てへは、近きん所じょの人ひと々びとが涼すずみにきているように、思おもわれました。バナナの皮かわは、若わかい男おとこと女おんなとが、楽たのしそうに語かたり合あい、笑わらっている声こえをききますと、急きゅうに産うまれた、南みなみの故こき郷ょうが恋こいしくなりました。自じぶ分んのなっていた木きの下したで、ちょうど、これと、同おなじ笑わらい声ごえや、ささやき声ごえを、聞きいたことがあったからです。 ﹁どうか、私わたしをこの土ど手ての岸きしへ上あげてください。私わたしは、せめて、ここで故こき郷ょうをしのびながら、果はてたいと思おもいますから……。﹂といって、バナナの皮かわは、河かわ水みずに向むかって、たのみました。 ﹁俺おれたちは、そんな約やく束そくまでしなかったはずだ。﹂といって、河かわ水みずは、さっさと流ながれていってしまいました。バナナの皮かわも、それに、ついていかなければなりませんでした。 バナナの皮かわも、つえも、いまさら河かわ水みずの無むじ情ょうなことを悟さとりました。そして、これからどうなることだろうと思おもっていました。 もはや、夜よるも、だいぶ更ふけたころであります。河かわは、町まちの間あいだを流ながれていきました。どの家いえも戸とをしめて、町まちは、しんとしています。たちまちあちらの町まちの裏うらから、按あん摩まの笛ふえの音ねが聞きこえてきました。つえは、それをきくと、急きゅうに、いままでの生せい活かつが恋こいしくなりました。こうして、たよりない身みの上うえよりか、たとえつらくても、にぎやかな町まちの中なかを歩あるいて、いろいろなものを見みたり、聞きいたりするほうが、どれほど、ましであったかしれなかったからです。 ﹁どうか、私わたしを、この町まちの岸きしにつけてください。﹂と、つえは、河かわ水みずに向むかって頼たのみました。 けれど、河かわ水みずは、振ふり向むきもしませんでした。そして、いっそう速そく力りょくをはやめて、町まちの間あいだを過すぎていってしまったのです。 バナナの皮かわと、つえは、後あとになったり、先さきになったりしました。体からだの弱よわい、バナナの皮かわは、ぐったりとしてしまって、もはや、何なに事ごとも、あきらめていたようです。ひとり、つえは、どうしても、このまま流ながれていくことが、不ふあ安んでたまりませんでした。 ﹁これから、私わたしたちは、どこまでいくのでしょうか。﹂と、河かわ水みずに向むかって、たずねました。 ﹁それを、どうして俺おれが知しるものか。﹂と、河かわ水みずは、いいました。 ﹁あなたにも、それは、わからないのですか？﹂と、つえは驚おどろいて叫さけびました。 バナナの皮かわとつえとは、それからも、まだ河かわ水みずについて流ながされていったのです。しかし、彼かれらは、まだ希きぼ望うを捨すてませんでした。