この広ひろい世せか界いの上うえを、ところ定さだめずに、漂ひょ泊うはくしている人ひと々びとがありました。それは、名なも知しられていない人ひと々びとでした。その人ひと々びとは、べつに有ゆう名めいな人にん間げんになりたいなどとは思おもいませんでした。彼かれらの中なかには、唄うたうたいがあり、宝ほう石せき商しょうがあり、また、手てじ品な師しなどがありました。 ある晩ばんのこと、港みな町とまちの小ちいさな宿やど屋やに、それらの人ひと々びとが泊とまり合あわせました。 ﹁私わたしなどは、こうして幾いく年ねんということなく、旅たびから旅たびへ、歩あるきまわっています。﹂と、手てじ品な師しがいいました。 ﹁私わたしとて、同おなじことです。﹂と、宝ほう石せき商しょうはいいました。 ﹁みんな、ここにおいでなさる人ひとたちは、そうでしょう。私わたしなども、やはりその一ひと人りですが、ふるさともなく、家いえもないということは、気きら楽くにはちがいありませんが、ときどき雨あめの降ふる日ひなど、独ひとり考かんがえてみて、さびしくなることがあります。それで、そんなときは、せめて、この地ちき球ゅうの上うえに、どこででもいいから、ふるさとというものがあったら、はりあいがあろうと思おもうことがあるのです……。﹂と、唄うたうたいがいいました。 ﹁ほんとうに、そうです。﹂ ﹁いや、あなたのおっしゃるとおりです。﹂ 宝ほう石せき商しょうも、手てじ品な師しも、同どう感かんして、答こたえました。 このとき、そばで、この話はなしをだまって、聞きいていた男おとこがあります。男おとこは、口くちをいれて、 ﹁みなさん、私わたしといっしょに、おいでになりませんか。私わたしのいるところは、それはいいところでございます。﹂といいました。 みんなは、その男おとこの方ほうを向むいて、その男おとこを見みました。 ﹁あなたは？﹂といって、その男おとこがなんであって、どこの人ひとかと思おもったのであります。 ﹁私わたしは、眼めが鏡ね屋やで、いろいろな眼めが鏡ねを持もっています。私わたしも、みなさんのように、ふるさとというものがありません。あるとき、荒あれた庭てい園えんがありましたので、そこに一夜やを明あかしますと、庭てい園えんの主しゅ人じんは、この広ひろい場ばし所ょに、自じぶ分んたちだけがいるのでは、さびしいから、ここを家うちと思おもって、いつでも帰かえってくるようにといいました。それで、その庭てい園えんをふるさとときめて、思おもい出だしては、そこに帰かえるのです。それは、気きこ候うのいいところで、果くだ物ものもたくさんあれば、山やまには、温おん泉せんもわき出でています。まるで、この世よの楽らく園えんです。ただ、あまり世よの中なかの人ひと々びとに知しられていない、南なん洋ようの島しまでありますから、開ひらけてはいません。しかし、そのほうがかえってしあわせなんです。もし、みなさんも、私わたしといっしょに、その庭てい園えんへおいでなさるなら、主しゅ人じんは、喜よろこんでお迎むかえいたしましょう。そして、にぎやかになったのを喜よろこぶでしょう。主しゅ人じんは、この世せか界いの珍めずらしい話はなしや、草くさ花ばななどのようなものを見みることが大だい好すきなのです……。﹂と、眼めが鏡ね屋やはいいました。 みんなは、この話はなしをきいて、たいそう興きょ味うみをもちました。 ﹁温おん泉せんがあって、果くだ物ものがあって……、ああ、なんといういいところだろう？ そんないいところが、この世よの中なかにあるでしょうか？﹂と、唄うたうたいは、目めをまるくしました。 ﹁眼めが鏡ね屋やさん、海うみに近ちかいところですか。その庭てい園えんというのは……。﹂と、宝ほう石せき商しょうはききました。 眼めが鏡ね屋やは、さながら、南なん洋ようの輝かがやかしい、日ひの照てらす、海うな原ばらの景けし色きを前まえに見みるように、 ﹁宝ほう石せき商しょうさん、あなたのお持もちなさるひすいのように、その海うみの色いろは、青あおくうるんでいます。また、真しん珠じゅのように、真まひ昼るには、日にっ光こうに輝かがやいています。そして、夕ゆう暮ぐれは、ちょうど、そのさんごのように夕ゆう焼やけが彩いろどるのですよ。﹂といいました。 ﹁ああ、私わたしは、そんなところを、どれほど、探さがしていたでしょう。しかし、私わたしの魔まじ術ゅつでも、それを現あらわすだけの力ちからがなかったのです。﹂と、奇きじ術ゅつ師しはいいました。 あくる日ひ、四人にんのものは、いっしょになって旅りょ行こうをしたのでした。それは、眼めが鏡ね屋やのいった、名なもない庭てい園えんへいって、そこを自じぶ分んたちのふるさとにしようという考かんがえからでありました。 幾いく日にちかの後のち、みんなは、南なん洋ようの島しまにあった庭てい園えんに着つきました。そこだけには、冬ふゆというものがなかったのです。いつも美うつくしい花はなが咲さいていました。すべては、眼めが鏡ね屋やがいったことに変かわりがなかったのです。 庭てい園えんの主しゅ人じんという人ひとは、いい人ひとでした。 ﹁あなたがたは、どこへでも小こ舎やを建たて、自じぶ分んのすみかを作つくってください。ここをば、あなたがたのふるさとにしてください。そして、珍めずらしい花はながあったら、その種た子ねや、また苗なえを持もってきてまいたり、植うえたりしてください。ここはなんでも育そだたないということはありません。それは、地ちが肥こえています。五年ねん、十年ねんの後のちには、りっぱな楽らく園えんとなるでしょう。果くだ物ものは、いまでも、みんなの食たべきれぬほど実みのっています。海うみからは魚さかなが捕とれますし、また、山やまにゆけば温おん泉せんがわいています。ただ、親したしい、話はなし合あう人にん間げんが少すくないことです。これからは、にぎやかになって、どんなに、楽たのしみができるでしょう。﹂と、主しゅ人じんはいいました。 けれど、ここに集あつまった、漂ひょ泊うは者くしゃは、もうここにじっと、おちついてしまうということはできませんでした。彼かれらは、この広ひろい世せか界いを自じゆ由うに歩あるきまわらなければ、気きのすまぬ人ひとひとたちでした。 ﹁ああ、俺おれたちにも、いいふるさとができた。これを楽たのしみに、また、出でかけてこよう。﹂と、みんなはいいました。 みんなは、島しまから旅たびへと出でかけました。べつべつに、自じぶ分んたちの気きの向むいた方ほうへ、あるものは東ひがしへ、あるものは西にしへというふうに、思おもい思おもいの方ほう角がくを指さして出でかけたのであります。 唄うたうたいは、マンドリンを弾ひきながら、こちらの町まちから、あちらの町まちへと渡わたって歩あるきました。そして、町まち々まちで聞きいた、おもしろい話はなしを覚おぼえていて、帰かえったら、みんなに話はなして聞きかせましょうと思おもいました。手てじ品な師しは、東ひがしの方ほうの国くにの市いち場ばで、若わかい女おんなが、きれいな花はなを売うっているのを買かって、その根ねを島しまの庭てい園えんに持もって帰かえることになりました。また、眼めが鏡ね屋やは、船ふねの中なかで、望ぼう遠えん鏡きょうと美うつくしいつぼと交こう換かんしました。このつぼは、じつに美びじ術ゅつ的てきなつぼでした。宝ほう石せき商しょうは、ある町まちで機はたを織おる器きか械いを買かいました。それは、みんなが、もし女にょ房うぼうをもらったら、この器きか械いで機はたを織おらしたらいいと思おもったからです。 ﹁ああ、春はるになった。どれ、島しまのふるさとに帰かえろうか。あすこへゆけば、みんながもう帰かえりを待まっているかもしれない。そして、花はなの盛さかりであろう……。﹂ こういうように、みんなは、渡わたり鳥どりが、古ふる巣すを思おもい出だすように、ふるさとを思おもい出だしました。 ﹁俺おれたちにもふるさとがあるんだぜ！ それは、南なん洋ようの島しまにある楽らく園えんだ！﹂ 約やく束そくした春はるがくると、これらの漂ひょ泊うは者くしゃは、楽たのしい思おもいで、その島しまに帰かえってゆきました。 いつしか、島しまの中なかは、諸しょ国こくの珍めずらしい花はなで、みごとに飾かざられたのでした。みんなは、自じぶ分んたちの庭てい園えんの手て入いれをしました。だから、果くだ物ものは、ますますみごとに、枝えだもたわむばかりになりました。 ﹁この果くだ物ものが、黄きい色ろくなった時じぶ分んに、俺おれたちはまた旅たびから帰かえって、みんなで達たっ者しゃの顔かおを合あわせよう。そして、それまでにためておいたおもしろい話はなしや、珍めずらしい品しな物ものを、聞きかせたり、見みせたりしよう……。﹂と、宝ほう石せき商しょうはいいました。 ﹁幽ゆう霊れい船ぶねの話はなしをしたが、また、これよりも、もっと怖おそろしい話はなしをきいてくるぞ。﹂と、唄うたうたいはいいました。 ﹁ああ、私わたしは、もう、年としを老とったので、どこへも出でかけられないが、みなさんが、旅たびから無ぶ事じで帰かえってきなさるのを、楽たのしみにして、待まっています。﹂と、庭てい園えんの主しゅ人じんはいいました。 みんなが、旅たび立だった後のちのことであります。 汽きせ船んがこの島しまに着つきました。その船ふねには、一ひと人りの大おお金がね持もちが乗のっていましたが、上じょ陸うりくすると、庭てい園えんの主しゅ人じんのところにやってきました。 ﹁こんなに、風ふう景けいのいいところを、こうしておくのは惜おしいものだ。私わたしが帰かえって、みんなに知しらせます。そうすると、この島しまは、たちまち有ゆう名めいになって、世せか界いじゅうの金かね持もちが見けん物ぶつにやってきます。そして、ここに別べっ荘そうを建たてます。美うつくしい花はなは咲さいているし、果くだ物ものは、実みのっているし、温おん泉せんがわいている。こんないいところはありません。どんな美うつくしい人ひともくるでしょう。有ゆう名めいな歌うたうたいや、役やく者しゃや、踊おどり子こもやってくるにちがいありません。それにしては、ここにある汚きたならしい小こ舎やを取とりはらってしまわなければなりません。﹂と、金かね持もちはいいました。 庭てい園えんの主しゅ人じんは、いままで寂さびしくてしかたのなかったのが、世せか界いの有ゆう名めいな歌うたうたいがきたり、美うつくしい踊おどり子こがきて踊おどったり、また役やく者しゃなどがくるということを想そう像ぞうしますと、そうなったら、どんなに幸こう福ふくだろうと考かんがえたのでした。 ﹁それは、ほんとうでしょうか？﹂ ﹁なんの私わたしのいうことに、まちがいがあろう。この島しまは、有ゆう名めいになって、年ねん々ねん遊あそびにやってくる人ひとたちでにぎわうでしょう。そうすれば、町まちも美うつくしくなり、また、電でん燈とうもつき、いろいろな文ぶん明めいの設せつ備びがゆきとどくにちがいがありません。﹂と、その大おお金がね持もちはいいました。 庭てい園えんの主しゅ人じんは、とうとうそこにいままでいた、漂ひょ泊うは者くしゃをその庭てい園えんから追おい出だしてしまいました。 ﹁ああ、私わたしたちは、ふるさとを失うしなってしまった。また、どこか世せか界いのはてに、ふるさとを見みいだそう……。﹂といって、眼めが鏡ね屋やも、手てじ品な師しも、宝ほう石せき商しょうも、唄うたうたいも、どことなく去さってしまったのです。 この島しまは、その後ご、はたして、大おお金がね持もちのいったように有ゆう名めいになりました。 別べっ荘そうができ、りっぱな町まちができましたけれど、庭てい園えんから主しゅ人じんも追おい出だされる日ひがきました。そして、主しゅ人じんもまた、流るろ浪うし者ゃとなってしまったのです。 ――一九二四・一〇作――