あるところに、おじいさんと、おばあさんとが住すんでいました。その家うちは貧まずしく、子こど供もがなかったから、さびしい生せい活かつを送おくっていました。 二ふた人りは、駄だ菓が子しや、荒あら物ものなどを、その小ちいさな店みせさきに並ならべて、それによって、その日ひ、その日ひを暮くらしていたのです。 あるとき、おじいさんは、どこからか、小ちいさな常とこ夏なつの芽めをもらってきました。それを鉢はちに植うえて水みずをやり、また、毎まい日にち、日ひあたりに出だして生せい長ちょうするのを楽たのしみに丹たん精せいをいたしました。 木きによらず、草くさによらず、また人ひとによらず、すべて小ちいさなときから、大おおきくなるには、容よう易いのことでありません。いろいろの悩なやみや、苦くつ痛うや、骨ほねおりがそれに伴ともなうものです。 おじいさんは、常とこ夏なつを大おおきな雨あめに当あてないようにしました。また、風かぜの強つよい日ひは、外そとへ出ださないようにしました。こうして、一ひと夏なつすぎましたけれど、常とこ夏なつはそう大おおきくはなりませんでした。小ちいさなつぼみを一つ、二つつけましたけれど、それが咲さかないうちに、秋あきとなり、冬ふゆとなってしまいました。おじいさんは、霜しもにあててはならないと思おもって、家うちの中なかへいれておきました。そして、日ひの当あたるときだけ、窓まどぎわに出だしてやりました。けれど、とうとうそのつぼみは開ひらかずにしまいました。 おじいさんは、来らい年ねんの春はるになるのを待まったのです。ついに、その春はるがきました。すると、常とこ夏なつの芽めは、ぐんぐんと大おおきくなりました。はじめは、細ほそい枝えだが、二本ほんしかなかったのが、たちまちのうちに、三本ぼんになり、四本ほんとなり、細こまかな葉はがたくさんついたのであります。そして、夏なつのはじめのころには、真まっ紅かな花はなが、いくつも咲さきました。 ﹁おばあさん、こんなに、常とこ夏なつがよくなった。﹂と、おじいさんは、いいながら、水みずをやって、常とこ夏なつの鉢はちを店みせさきに飾かざっておきました。 しかし、これほどの常とこ夏なつは、ほかにいくらでもありました。まだ、たいしてりっぱな常とこ夏なつということができません。 ちょうが、どこからか飛とんできて、花はなの上うえへとまりました。最さい初しょは、それは、おじいさんの目めを喜よろこばしましたのですけれど、ちょうがたくさんの卵たまごを産うんでいって、あとから、青あおい裸はだ虫かむしが無むす数うに孵ふ化かして、柔やわらかな芽めや、葉はを食たべることを知しりますと、おじいさんは、葉はについた虫むしを取とってやったり、また、ちょうが飛とんできて止とまろうとするのを追おったりして、それは、人ひとの知しらぬ苦くし心んをして、花はなをいたわってやったのであります。 こうして、おじいさんのひと通とおりでない骨ほねおりによって、常とこ夏なつは、ますますみごとに生せい長ちょうをいたしました。 三年ねんめには、それは、ほんとうに、みごとな常とこ夏なつになりました。店みせさきに置おいてあったのを通とおりすがりの人ひとが振ふり向むいてゆくようになりました。 ﹁なんというりっぱな常とこ夏なつだろう。﹂ と、前まえを通とおる人ひとが、いってゆきました。 家いえの内うちにいて、おじいさんは、これを聞きくと得とく意いでありました。 ﹁そうとも、私わしが、子こど供もを育そだてるように、大だい事じにして、大おおきくしたのだったもの。﹂と、おじいさんは、たばこをすいながら、独ひとりごとをしました。 その翌よく年としには、ますます常とこ夏なつは、みごとになりました。茎くきは太ふとく木きのようになり、小ちいさな技えだは、幾いく筋すじとなく鉢はちのまわりに垂たれ下さがって、そのどんな小ちいさな芽めさきにも、かわいらしいつぼみがついたのであります。 もう、こんなにみごとな常とこ夏なつは、そう世せけ間んにたくさんあるものでありませんでした。人ひと々びとが、この花はなを見みて、いろいろいってほめるのを聞きくと、おじいさんは、まるで、自じぶ分んの子こど供もがほめられるように、うれしがりました。 ﹁この常とこ夏なつは、私わしの家うちの宝たからだ。﹂ と、おじいさんは笑わらいながらいったのです。 なるほど、この貧まずしい店みせさきを見みまわしても、この美うつくしい、いきいきとした赤あかい花はなの鉢はちよりほかに、目めをひくようなものはありませんでした。 おじいさんは、常とこ夏なつの花はなを見みるときは、すべてのさびしさも、悲かなしさも、たよりなさも、いっさい忘わすれてしまいました。おばあさんは、また、おじいさんの毎まい日にちうれしそうな顔かおつきを見みるのが、なによりの楽たのしみでありました。 ある日ひのこと、近きん所じょに住すんでいる金かね持もちが、店みせさきへはいってまいりました。 ﹁まことにみごとな常とこ夏なつだな、どうか私わたしに、これを譲ゆずってくださらぬか。﹂といいました。 おじいさんは、それどころではありませんでした。 ﹁いえ、これは、私わたしの大だい事じな常とこ夏なつです。売うることはできません。﹂と答こたえました。 金かね持もちは、しかたなく、店みせから出でてゆきました。しかし、よほど、この花はなが気きにいったとみえて、それから、二、三日にちすると、また、金かね持もちは、やってきました。 ﹁私わたしは、三円えん出だします。どうか、この花はなを売うってくださらぬか。﹂といいました。 ﹁せっかくのお頼たのみですけれど、これは、私わたしの大だい事じな花はなです。お譲ゆずりすることはできません。﹂と、おじいさんは、答こたえました。 おばあさんは、三円えんになれば、売うってもよさそうなものにと、いわぬばかりの顔かおつきをして、おじいさんを見みていました。 その日ひも、金かね持もちはしかたなく帰かえりました。その後あとで、おばあさんは、おじいさんに向むかって、 ﹁三円えんのお金かねをこの店みせでもうけるのはたいへんなことだ。お売うりなさればよかったのに。﹂といいました。 ﹁私わたしの丹たん精せいを考かんがえてみるがいい。いくら金かねになったって、この常とこ夏なつは、売うれるものではない。﹂と、おじいさんは、頭あたまを振ふって答こたえました。 金かね持もちは、よほど、その花はなが気きにいったものとみえます。また、四、五日にちするとやってきました。 ﹁どうか、この常とこ夏なつを売うってくださらぬか。五円えんさしあげますから。﹂といいました。 おばあさんは、こんなことが、またとあるものではない。売うったほうがいいと、そばでおじいさんに、小ちいさな声こえですすめました。おじいさんは、なるほど、考かんがえてみれば、この店みせで、それだけの金かねをもうけるのは、たいへんなことだと考かんがえたから、つい、その金かね持もちに、常とこ夏なつを売うってしまいました。 金かね持もちは、喜よろこんで、常とこ夏なつを抱かかえて家うちへ帰かえりました。その後あとで、おじいさんは、大だい事じな子こど供もを奪うばわれたように、がっかりしました。もはやさびしい家いえのうちを、どこを探たずねても、真まっ紅かないきいきとした、花はなの影かげは見みられなかったのです。おじいさんは、また、前まえのたよりない、さびしい生せい活かつに帰かえってしまいました。 金かね持もちは、家うちへ持もっていって二、三日にちは、飽あかず、その花はなをながめていましたが、そのうちに、だんだん青あお々あおとした葉はが、弱よわって、花はながしおれてきました。金かね持もちは、水みずをやったり、肥こや料しをやったり、日ひに当あてたりしましたが、花はなは、小ちいさなときから、親したしく、慣なれた、おじいさんの手てを離はなれてしまったので、万ばん事じ調ちょ子うしが変かわったとみえて、しだいに、いけなくなってしまったのです。 ﹁また、そのうちに、常とこ夏なつが見みつからぬものでない。見みつかったら、いくら高たかくても、買かってくることにしよう。﹂といって、金かね持もちは、だんだん弱よわってゆく、花はなを振ふり向むきもせず、庭にわさきへ投なげ出だしておきました。 あわれなおじいさんは、その後のちも、花はなのことを思おもい出だしていました。 ﹁あの常とこ夏なつは、どうなったろう？﹂といって、さびしがりました。 そのうちに、おじいさんは病びょ気うきにかかりました。おばあさんは、はじめて、あのとき、常とこ夏なつを金かね持もちに売うらなければよかったと悟さとったのであります。なぜならおじいさんは、なぐさめられるものがなく、その後のちは、さびしそうに見みられたからです。 おばあさんは、金かね持もちが、なんとなくうらめしくなりました。自じぶ分んたちの幸こう福ふくを奪うばっていったようにさえ思おもわれたのでした。﹁ああ、お金かねがなにになろう？﹂と、おばあさんは、せっかくおじいさんの丹たん精せいした花はなを、金かねのために売うったことに対たいして後こう悔かいしました。 ある日ひ、おばあさんは、五円えんの金かねを持もって金かね持もちのところへやってきました。 ﹁まことにおそれいりますが、いつかお譲ゆずりしました、常とこ夏なつをまた私わたしどもにお譲ゆずりしてくださるわけにはなりますまいか。﹂といって頼たのみました。これを聞きくと、金かね持もちは、から、からと大おおきな声こえで笑わらいました。 ﹁あの常とこ夏なつは、枯かれかかっている。ほしければ庭にわさきにあるから、持もってゆきなさい。お金かねはいらないから。﹂といいました。おばあさんは、傷いたましい気きがして、見みる影かげもない常とこ夏なつをもらって家うちへ帰かえりました。そして、おじいさんに見みせながら、 ﹁こんなにするなら、譲ゆずってやるのでなかった。﹂と、おばあさんはいいました。 おじいさんは、自じぶ分んの子こど供もが、傷きずついて、死しにかかって帰かえってきたように思おもいました。 ﹁まあ、かわいそうに、私わしの手てを離はなれては、ほかの人ひとの手てでよくなりっこがない。﹂といって、涙なみだぐみながら、床とこから起おき上あがって、土つちを新あたらしくして植うえ変かえてやりました。そして、そのあくる日ひから、おじいさんは、はじめて、常とこ夏なつを芽めから丹たん精せいしたときのように、自じぶ分んが気きぶ分んの悪わるいのを忘わすれて、手て入いれをしてやりました。すると、常とこ夏なつは、だんだん水みずを吸すい上あげて、生いき返かえってきたのです。 おじいさんは、その有あり様さまを見みると、失うしなわれた楽たのしみが得えられたのでした。 ﹁このぶんならだいじょうぶだ。精せいを出だして、よくしてやろう。もう、これからは、けっして、どんなことがあっても手てば離なすものでない。﹂と、堅かたく心こころに思おもいながら、日ひに当あてたり、水みずをやったりしました。 おじいさんに、希きぼ望うができると、いつしか病びょ気うきもなおってしまったのです。おじいさんは、ふたたび、真まっ紅かな、いきいきとした花はなが、咲さく日ひを楽たのしみにしているのであります。