三つのかぎ
小川未明
ある青(せい)年(ねん)は、毎(まい)日(にち)のように、空(そら)を高(たか)く、金(きん)色(いろ)の鳥(とり)が飛(と)んでゆくのをながめました。彼(かれ)は、それを普(ふつ)通(う)の鳥(とり)とは思(おも)いませんでした。なにか自(じぶ)分(ん)にとって、いいことのある使(つか)いであろうというように思(おも)ったので、その鳥(とり)の行(ゆく)方(え)を探(さが)そうとしました。どこかに巣(す)があるにちがいない。その巣(す)を探(さが)し出(だ)さなければ帰(かえ)ってこないと決(けっ)心(しん)をして、家(うち)を出(で)かけたのであります。なんでも、金(きん)色(いろ)の鳥(とり)は、晩(ばん)方(がた)になるとあちらの山(やま)の方(ほう)へ帰(かえ)ってゆきましたから、青(せい)年(ねん)は、その山(やま)の方(ほう)へとゆき、高(たか)い山(やま)を上(のぼ)ってまいりました。すると、山(やま)から一(ひと)人(り)の猟(りょ)師(うし)が鉄(てっ)砲(ぽう)をかついで、胸(むね)にぴかぴか光(ひか)るものを下(さ)げて降(お)りてきました。
青(せい)年(ねん)は、不(ふ)思(し)議(ぎ)なものを見(み)たものだ。なぜなら、そのぴかぴかする光(ひかり)は、大(おお)空(ぞら)をはるかに飛(と)んでいった鳥(とり)の光(ひかり)に、よく似(に)ていると思(おも)ったからでした。
﹁この山(やま)へ登(のぼ)る道(みち)は、まだよほどけわしいのですか……。そして、鳥(とり)のすんでいるような森(もり)がありますか?﹂といって、青(せい)年(ねん)は猟(りょ)師(うし)にききました。猟(りょ)師(うし)は、目(め)をみはって、
﹁あなたは、なんでこの山(やま)へ上(のぼ)りなさるのか……。﹂と、問(と)い返(かえ)しましたから、青(せい)年(ねん)は、金(きん)色(いろ)の鳥(とり)の巣(す)をたずねてきたものだと答(こた)えました。
﹁その鳥(とり)というのは、私(わたし)が、今(きょ)日(う)山(やま)で打(う)ち落(お)としたこのわしだ。わしの足(あし)に、ぴかぴか光(ひか)るかぎがついていたのだ。そのかぎというのは、私(わたし)の胸(むね)にぶらさがっているこのかぎじゃ。﹂といいました。
なるほど、猟(りょ)師(うし)は脊(せ)に大(おお)きな灰(はい)色(いろ)をしたわしを負(お)っていました。青(せい)年(ねん)は、毎(まい)日(にち)のように大(おお)空(ぞら)を高(たか)く飛(と)んでいった鳥(とり)は、このわしであったかと思(おも)いました。それよりは猟(りょ)師(うし)の胸(むね)にぶらさがっているかぎがたまらなく欲(ほ)しくなりました。このかぎがあったら、なにか大(おお)きな幸(こう)運(うん)が自(じぶ)分(ん)のために開(ひら)かれはしないかという感(かん)じがしたからであります。
﹁私(わたし)に、そのぴかぴか光(ひか)るかぎを譲(ゆず)ってくださいませんか。﹂と、青(せい)年(ねん)は、猟(りょ)師(うし)に頼(たの)みました。
猟(りょ)師(うし)は考(かんが)えていましたが、
﹁おまえさんは、この光(ひか)ったものが欲(ほ)しいばかりに、この山(やま)へ上(のぼ)ってきなされたのだから、このかぎをあげましょう。私(わたし)は、このわしがほしいばかりに打(う)ったのだから、もともとこんなものは必(ひつ)要(よう)がない……。﹂といって、胸(むね)にぶらさげていたかぎを取(と)って、青(せい)年(ねん)にくれました。
青(せい)年(ねん)は、どれほど、うれしかったかしれません。猟(りょ)師(うし)と別(わか)れて、山(やま)を下(くだ)りました。
﹁このかぎは、どんな箱(はこ)を開(あ)けるためであったろう?﹂と、彼(かれ)は、そのかぎをよくよく手(て)にとってみますと、2という番(ばん)号(ごう)がついていました。
しかし、だれが、いつ荒(あら)わしの足(あし)に、このかぎを結(むす)びつけたものかわかりません。また、なんのためにそうしたものかということも、知(し)られるはずはなかったのです。
ただ荒(あら)わしは、その足(あし)で暴(ぼう)風(ふう)雨(う)の中(なか)を翔(か)けました。また、雪(ゆき)の中(なか)を歩(ある)きました。また林(はやし)や、砂(さば)漠(く)の中(なか)や谷(たに)や、山(やま)のいただきや、ところかまわずに、降(お)りたり飛(と)んだりしたのでありましょう。またその足(あし)で、勇(ゆう)敢(かん)に敵(てき)と戦(たたか)ったこともあったでしょう。それがために、かぎは、金(きん)色(いろ)にぴかぴかとみがかれて光(ひか)っていました。青(せい)年(ねん)は、2はどうした番(ばん)号(ごう)であるか、かぎに刻(きざ)まれている文(も)字(じ)を見(み)てもわかりませんでした。けれど、そのときから、このかぎで開(ひら)かれるものを、この世(よ)の中(なか)に見(み)いだしたときに、ほんとうに自(じぶ)分(ん)は幸(こう)福(ふく)であり得(う)るのだと考(かんが)えました。それから彼(かれ)の長(なが)い旅(たび)はつづいたのです。
別(べつ)に、また一(ひと)人(り)の若(わか)者(もの)がありました。志(こころざし)をたて、故(こき)郷(ょう)を出(で)てから、もう幾(いく)年(ねん)にかなりましたけれど、目(もく)的(てき)を達(たっ)することができずに、あちら、こちらと流(るろ)浪(う)していました。ある日(ひ)のこと、彼(かれ)は、疲(つか)れた足(あし)を引(ひ)きずりながら、さびしい昔(むかし)の城(しろ)跡(あと)を通(とお)ったのであります。すると、壊(こわ)れかかった石(いし)垣(がき)の間(あいだ)に、夕(ゆう)日(ひ)の光(ひかり)を受(う)けて、ぴかぴか輝(かがや)いているものがありました。その光(ひかり)は、なかば土(つち)にうずもれているためか、それほどの強(つよ)い輝(かがや)きではなかったけれど、彼(かれ)の注(ちゅ)意(うい)をひくに十分(ぶん)だったのであります。
﹁なにが光(ひか)っているのだろう?﹂と、若(わか)者(もの)は、その石(いし)垣(がき)のそばへ寄(よ)り添(そ)ってみました。そして、間(あいだ)から光(ひか)っているものを掘(ほ)り出(だ)すと、小(ちい)さなかぎでありました。
﹁なにに使(つか)ったものだろう……。﹂と思(おも)いながら、よく見(み)ますと、それには、3という番(ばん)号(ごう)がついていました。しかし、不(ふ)思(し)議(ぎ)なかぎのような気(き)がして、それをふたたび捨(す)てることができなかったのです。きっと、このかぎで開(ひら)かれる箱(はこ)か、なにかがあるにちがいない。もしそれを見(み)いだしたなら、いま自(じぶ)分(ん)の抱(いだ)いているような、すべての野(やし)心(ん)は遂(と)げられるだろうというような気(き)がしたのでした。
しかし、その秘(ひみ)密(つ)の箱(はこ)は、どこにうずもれているかわからなかった。若(わか)者(もの)は、その日(ひ)から、この昔(むかし)の城(しろ)跡(あと)やこの付(ふき)近(ん)の町(まち)をたずね歩(ある)いて、黄(こが)金(ね)の箱(はこ)の話(はなし)を聞(き)き出(だ)そうとしました。この若(わか)者(もの)は、なかなかの智(ちえ)慧(し)者(ゃ)でありましたから、このかぎが、どんな金(かね)で造(つく)られていたかということを、すぐに見(み)分(わ)けることができたのです。そして、このかぎを使(つか)って開(あ)けるほどの箱(はこ)は、やはり黄(こが)金(ね)で造(つく)られた箱(はこ)にちがいない。黄(こが)金(ね)の箱(はこ)などというものは、そうたくさんあるものでないから、どこかの倉(くら)に宝(ほう)物(もつ)となって、そのまましまってあるか、もしくは、どこかの地(ちち)中(ゅう)にうずめられているという昔(むか)話(しばなし)でも、残(のこ)っているであろうと考(かんが)えたからです。
ただ、このりこうな若(わか)者(もの)は、このかぎの番(ばん)号(ごう)が3であったから、まだこれと同(おな)じ合(あ)いかぎが他(た)にあろうと思(おも)いました。それで、自(じぶ)分(ん)よりすでに先(さき)に、だれかその箱(はこ)を開(あ)けてしまうものがないかということを心(しん)配(ぱい)したのでした。
﹁いくつもかぎを造(つく)ってあるからには、この箱(はこ)は、だれにでも、すぐに発(はっ)見(けん)されるような場(ばし)所(ょ)に隠(かく)してはないだろう。﹂と思(おも)って、まだそれが見(み)つからないと考(かんが)えたのであります。
若(わか)者(もの)は、それがために、熱(ねっ)心(しん)に城(しろ)の歴(れき)史(し)などから伝(でん)説(せつ)などをしらべたのでした。
また、あるところに、年(とし)の若(わか)い男(おとこ)がありましたが、毎(まい)晩(ばん)のように、海(かい)岸(がん)の岩(いわ)の上(うえ)へきては、海(うみ)の中(なか)から起(お)こる、かすかな笛(ふえ)の音(ね)を聞(き)いたのでありました。海(うみ)の中(なか)には、人(にん)魚(ぎょ)というものがすんでいるということだが、その男(おとこ)は、この笛(ふえ)を人(にん)魚(ぎょ)が吹(ふ)くのでないかとさえ思(おも)ったのです。
﹁なんという、いい笛(ふえ)の音(ね)だろう。﹂と、彼(かれ)は、夜(よ)の更(ふ)けるのも知(し)らずに、その笛(ふえ)の音(ね)に聞(き)きとれていました。月(つき)のいい晩(ばん)には、その笛(ふえ)の音(ね)は近(ちか)くに聞(き)こえてきました。曇(くも)った夜(よ)には、その笛(ふえ)の音(ね)は遠(とお)くになって聞(き)かれました。そして、あらしの晩(ばん)には、まったく聞(き)こえないことすらもあったのです。
ある夜(よ)、彼(かれ)は、いつものごとく岩(いわ)の上(うえ)にたたずんで耳(みみ)を傾(かたむ)けていました。明(あか)るいよい月(つき)夜(よ)なのにもかかわらず、笛(ふえ)の音(ね)がきこえてきませんでした。どうしたのだろうと、彼(かれ)は思(おも)っていました。そして、ただ聞(き)こえるものは、打(う)ち寄(よ)せる波(なみ)のひびきだけであって、笛(ふえ)の音(ね)はきこえてきませんでした。おそらく、それは永(えい)久(きゅう)に聞(き)かれないもののようにすら、なんとなく思(おも)われたのであります。
このとき、砂(すな)の中(なか)にうずもれている光(ひか)ったものに、彼(かれ)の目(め)はとまりました。海(うみ)の中(なか)から、波(なみ)がそこに打(う)ち上(あ)げたものでした。彼(かれ)は、それがなんだろうと思(おも)って拾(ひろ)い上(あ)げると、金(きん)色(いろ)のかぎでありました。このかぎが浜(はま)に上(あ)がった日(ひ)から、笛(ふえ)の音(ね)のやんだことを不(ふ)思(し)議(ぎ)とも思(おも)いました。もしや、人(にん)魚(ぎょ)がこのかぎを自(じぶ)分(ん)に授(さず)けてくれて、なにかまだこの世(よ)に発(はっ)見(けん)せられない、隠(かく)された箱(はこ)を開(ひら)かせるためではないかと考(かんが)えました。彼(かれ)は、そのかぎを持(も)って家(うち)に帰(かえ)りました。
三人(にん)の男(おとこ)は、べつべつにかぎを持(も)って、この世(よ)の中(なか)に隠(かく)されている宝(たから)の箱(はこ)を探(さが)して歩(ある)いたのであります。このうわさは、いつしか人(ひと)々(びと)の口(くち)の端(はし)にも上(のぼ)りました。そして、三人(にん)の男(おとこ)が、ついにあるとき、あるところで落(お)ちあって、自(じぶ)分(ん)の持(も)っているおのおののかぎを出(だ)してみると、三つはまったく同(おな)じかぎであることを知(し)りました。
﹁どうして、こう同(おな)じものが三つあるのだろうか。﹂と、一(ひと)人(り)の青(せい)年(ねん)は怪(あや)しみました。
﹁きっと、三つのかぎが、三つとも見(み)つかるものでない。その中(なか)の一つが、この世(よ)の中(なか)に残(のこ)ればいいと、箱(はこ)の主(ぬし)は思(おも)ったにちがいない。﹂と、他(た)の若(わか)者(もの)は答(こた)えました。
﹁いや、三つのかぎの中(なか)で、だれかそのかぎを拾(ひろ)って、いちばん早(はや)く箱(はこ)を開(あ)けたものに、その箱(はこ)の中(なか)の宝(たから)をやるということではなかろうか。﹂と、年(とし)の若(わか)い男(おとこ)がいいました。
﹁きっと、その箱(はこ)の中(なか)には、宝(たから)がはいっているにちがいない。﹂
﹁私(わたし)も、そう思(おも)う。﹂
﹁あるいは、私(わたし)たちの思(おも)っているような宝(たか)物(らもの)ではないかもしれない。﹂
三人(にん)の男(おとこ)は、思(おも)い思(おも)いのことをいいました。しかし、その宝(たから)のはいっている箱(はこ)は、どこにあるものか、まったく見(けん)当(とう)すらつかなかったのであります。
﹁私(わたし)は、このかぎを昔(むかし)の城(しろ)跡(あと)から見(み)つけ出(だ)したのだから、昔(むかし)のものにちがいないと思(おも)う。﹂と、一(ひと)人(り)がいいますと、
﹁しかし、私(わたし)は、わしの足(あし)に結(むす)びつけられているのを取(と)ったのだから、そんなに昔(むかし)のものであるはずがなかろう。﹂と、一(ひと)人(り)はいいました。
三人(にん)は、このかぎを、都(みやこ)に持(も)って出(で)て、ある学(がく)者(しゃ)に見(み)せて判(はん)断(だん)をしてもらうことにしたのであります。
学(がく)者(しゃ)は、子(しさ)細(い)に見(み)てこういいました。
﹁このかぎのかかる黄(こが)金(ね)の箱(はこ)は、幾(いく)年(ねん)前(まえ)か土(つち)の中(なか)から掘(ほ)り出(だ)されて、いま博(はく)物(ぶつ)館(かん)に収(おさ)めてあります。しかし、私(わたし)の考(かんが)えでは、その中(なか)になにもはいっているようすがなかった。とにかく、これから博(はく)物(ぶつ)館(かん)へごいっしょにまいりまして調(しら)べてみましょう。﹂
三人(にん)は、学(がく)者(しゃ)の言(こと)葉(ば)を聞(き)いて失(しつ)望(ぼう)しました。けれど、あるいは、この箱(はこ)の中(なか)に、なにかはいっていはしないかという一(ひと)筋(すじ)の希(きぼ)望(う)を持(も)ちながら、出(で)かけてゆきました。
博(はく)物(ぶつ)館(かん)へ、学(がく)者(しゃ)と三人(にん)の若(わか)者(もの)たちはまいりました。やがて、そこへ金(きん)色(いろ)の箱(はこ)が出(だ)されたのであります。その箱(はこ)はあまり大(おお)きくなかったが、黄(こが)金(ね)で造(つく)られていました。それですから土(つち)の中(なか)にうずもれていても、腐(くさ)ることがなかったのです。三つのかぎはどの一つを取(と)っても、その箱(はこ)のふたを開(あ)けることができました。学(がく)者(しゃ)の手(て)によって、三人(にん)の見(み)ている前(まえ)で、その箱(はこ)は開(ひら)かれました。中(なか)には、ただ一枚(まい)の字(じ)を書(か)いた紙(かみ)がはいっていたのです。
﹁わたしは、三つのかぎをいろいろな方(ほう)法(ほう)で捨(す)ておきました。きっと、それらは、私(わたし)のめぐりあいたいと思(おも)う人(ひと)々(びと)の手(て)によって拾(ひろ)われるであろうと思(おも)います。もしその人(ひと)が広(ひろ)い土(と)地(ち)が欲(ほ)しいなら、その土(と)地(ち)をあげましょう。もし、その人(ひと)が芸(げい)術(じゅつ)が好(す)きなら、いろいろの珍(めずら)しい宝(たから)をあげましょう。もし、その人(ひと)が、わたしと結(けっ)婚(こん)を希(きぼ)望(う)されるなら、わたしは、その勇(ゆう)敢(かん)な方(かた)の妻(つま)となります……。﹂という意(い)味(み)のことが書(か)いてありました。
三人(にん)は、この文(も)字(じ)を読(よ)んで目(め)を輝(かがや)かしました。
﹁先(せん)生(せい)、私(わたし)たちは、どこへいったらこの姫(ひめ)君(ぎみ)にあうことができますか?﹂と、三人(にん)は、学(がく)者(しゃ)に問(と)うたのです。すると、学(がく)者(しゃ)は、三人(にん)の顔(かお)を見(み)て冷(ひ)ややかに笑(わら)いながら、
﹁もう、取(と)りかえしのつかない大(おお)昔(むかし)のことだ。すくなくも三百年(ねん)は、その時(じぶ)分(ん)からたっていよう……。﹂と、学(がく)者(しゃ)は、答(こた)えたのであります。
三人(にん)は、がっかりして、おのおのの持(も)っているかぎを三つとも博(はく)物(ぶつ)館(かん)に収(おさ)めて、いずこへとなく、思(おも)い思(おも)いに去(さ)ってゆきました。
﹁もう、こんなかぎが、なんの役(やく)にたとう……。﹂
彼(かれ)らが、口(くち)々(ぐち)にそういってゆく後(うし)ろ姿(すがた)を、学(がく)者(しゃ)は見(みお)送(く)りながら微(びし)笑(ょう)していました。
それから後(のち)のことです。学(がく)者(しゃ)はなにかの記(きろ)録(く)から、偶(ぐう)然(ぜん)つぎのような事(こと)柄(がら)を見(み)いだしたのであります。
――殿(との)さまの一(ひと)人(りむ)娘(すめ)であった姫(ひめ)さまは、またとないほどの美(びじ)人(ん)であったけれど、三人(にん)まで願(ねが)いをかけた婿(むこ)君(ぎみ)が、一(ひと)人(り)も見(み)いだされなかったことを恥(は)じて、この山(やま)に上(のぼ)られ、一(いっ)生(しょう)を尼(あま)になって暮(く)らし給(たま)われた――。
この記(きろ)録(く)は、高(たか)い山(やま)の上(うえ)にあった、廃(はい)寺(じ)の中(なか)から発(はっ)見(けん)されたのでした。
学(がく)者(しゃ)は、いつか三人(にん)の男(おとこ)たちが、幾(いく)百年(ねん)の後(のち)になって、しかもうちそろって、かぎを持(も)ちながら自(じぶ)分(ん)を訪(たず)ねてきたことを思(おも)い出(だ)しました。そして、姫(ひめ)さまというのは、まさしく、あの博(はく)物(ぶつ)館(かん)に収(おさ)められてある黄(こが)金(ね)の箱(はこ)の持(も)ち主(ぬし)であり、祈(きが)願(ん)をかけたというのは、あの中(なか)にはいっていた紙(かみ)に認(したた)められていた文(も)字(じ)であろうと知(し)ったのであります。
学(がく)者(しゃ)は、その高(たか)い山(やま)へ、ある年(とし)の夏(なつ)のこと、わざわざ登(のぼ)りました。白(しろ)い雲(くも)が、いただきをかすめて飛(と)んでゆきました。壊(こわ)れかかった寺(てら)には、いまはだれも人(ひと)の住(す)んでいるようすもなかった。学(がく)者(しゃ)は、しばらくたたずんで、昔(むかし)、この寺(てら)に美(うつく)しい尼(あま)さんが、夜(よる)々(よる)空(そら)を仰(あお)いで、月(つき)の光(ひかり)に、雲(くも)の姿(すがた)に、物(もの)思(おも)いに沈(しず)んだ姿(すがた)を想(そう)像(ぞう)したのであります。
――一九二五・一〇作――
底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
1977(昭和52)年2月10日第1刷
1977(昭和52)年C第2刷
底本の親本:「兄弟の山鳩」アテネ書院
1926(大正15)年4月19日発行
初出:「赤い鳥」
1925(大正14)年12月
※初出時の表題は「三つの鍵」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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