おせんといって、村むらに、唄うたの上じょ手うずなけなげな女おんながありました。たいして美うつくしいというのではなかったけれど、黒くろい目めと、長ながいたくさんな髪かみを持もった、快かい活かつな女おんなでありました。機はた屋やへいって働はたらいても、唄うたがうまいので、仲なか間まからかわいがられていました。 これらの娘むすめたちは、年としごろになると、たいていは近きん傍ぼうの村むらへ、もしくは、同おなじ村むらの中うちで嫁よめ入いりをしましたのに、どうした回まわり合あわせであるか、おせんは、遠とおいところへゆくようになったのです。 村むらで、おせんの望のぞみ手てがないのでなかった。そればかりでなく、みんなは、その結けっ婚こんをいいと思おもわなかった。しかも、彼かの女じょは孤みな児しごであって、叔お母ばさんに育そだてられたのであるが、叔お母ばさんも、この結けっ婚こんには不ふさ賛んせ成いでした。なぜなら、相あい手てというのは、遠とおい旅たびから行ぎょ商うしょうにきた、貧まずしげな青せい年ねんだったからです。 この青せい年ねんは、村むらへやってきて、娘むすめたちに、貝かいがら細ざい工くや、かんざしや、香こう油ゆのようなものを並ならべて商あきなったのです。そして、ときに、彼かれは山やまのあちらの国くに々ぐにの珍めずらしい話はなしなどを聞きかせたりしました。おせんは、あるとき、彼かれが、子こど供もの時じぶ分んに両りょ親うしんに別わかれて、その父ふ母ぼの行ゆく方えがわからないので、こうして、旅たびから旅たびへさすらって探さがしているという話はなしを聞きいたときに、同おなじ孤みな児しごの身みの上うえから、彼かれに同どう情じょうするようになったのでした。 ﹁私わたしたちは、山やまのあちらの明あかるい国くにへいって、働はたらいて暮くらしましょう。﹂と、二ふた人りは誓ちかい合あった。 叔お母ばさんも、ついに二ふた人りの願ねがいを許ゆるさなければならなかった。そして、二ふた人りが、家いえを出でるときに、 ﹁いつまでも、達たっ者しゃで、仲なかよく暮くらすがいい。﹂といって、見みお送くったのでした。 いつのまにか、月つき日ひはたってしまった。そして、彼かの女じょのことは、おりおり、村むら人びとの口くちの端はに上のぼるくらいのもので、だんだんと忘わすれられていった。村むらの機はた屋やでは、あいかわらず、若わかい女おんなの機はたを織おる音おとが聞きかれ、唄うたの声こえが、家いえの外そとへひびいていたのです。 ある年としの秋あきも、やがて、逝ゆこうとしていました。沖おきの雲くも切ぎれのした空そらを見みると、地ちへ平いせ線んは、ものすごく暗くらかったのです。そして、里さとの子こど供もたちは、丘おかへ上あがって、色いろづいたかきの葉はなどを拾ひろっていました。 この日ひ、ふいに、おせんが、村むらへ帰かえってきました。彼かの女じょの姿すがたは、昔むかしとは変かわっていたけれど、そのもののいいぶりや、黒くろい、うるおいのある目めつきには、変かわりがなかった。 ﹁どうして、帰かえってきた?﹂と、彼かの女じょを知しっている人ひとたちは、たずねました。 ﹁わたしには、もう二ふた人りの子こど供もがあります。夫おっとが長ながい間あいだ、病びょ気うきで臥ねていますので、知しった人ひとに買かっていただこうと思おもって、商あきないにまいりました。どうか、わたしの持もってきた品しな物ものを買かってください。わたしは、船ふねに乗のって、荒あら海うみを渡わたってやってきました。﹂といいました。 村むらの人ひとたちは、顔かおを見み合あわせた。 ﹁このごろ、沖おきの方ほうは、暴あれているだろうに……。﹂ ﹁まあ、どんなものを持もってきたか……。﹂ おせんは、持もってきた品しな物ものを、みんなの前まえに拡ひろげて見みせました。いつか、青せい年ねんが、行ぎょ商うしょうにきた時じぶ分んに持もってきたような、青あおい貝かい細ざい工くや、銀ぎんのかんざしや、口くち紅べにや、香こう油ゆや、そのほか女おんなたちの好すきそうな紅あかい絹きぬ地じや、淡うす紅べに色いろの布ぬのなどであったのです。 ﹁娘むすめたちが見みたら、さぞ喜よろこぶことだろう。男おとこには用ようのないものだ。﹂ ﹁ああ、男おとこには、用ようのないもんだ。帰かえって、女おんなたちに話はなして聞きかせるべい。﹂ 男おとこどもは、体ていよくその場ばを引ひき揚あげました。しかし、女おんなたちも、おせんが帰かえったと知しって、品しな物ものを見みにやってきたものは、まれだったのであります。 おせんは、あちらから流ながれてくる、機はた屋やでうたっている唄うたを聞きいて、自じぶ分んの昔むかしを思おもい出だして、涙なみだぐんでいました。 ﹁おせんや、雪ゆきの降ふらないうちに、帰かえったらいいだろう……。﹂と、叔お母ばさんは、いいました。 もう、このごろは、毎まい日にちのように天てん気きは暴あれていました。おせんは、せっかく持もってきた品しな物ものをしょって、二度どとこの村むらへはくることもなかろうと思おもいながら、暇いとまごいに歩あるいたのでした。 海うみの上うえは、もはやゆくことができなかった。彼かの女じょは、あちらの山やまを越こえてゆかなければならなかった。村むらの人ひと々びとの中うちでも、おせんをかわいそうに思おもったものもあります。 ﹁こんなお天てん気きに、女おんなの身みであの山やまが越こえられるだろうか?﹂ 彼かの女じょが旅たび立だちをしてから、叔お母ばさんは毎まい晩ばんのように、門かど口ぐちに立たって、あちらの山やまの方ほうを見みて案あんじていました。雨あめが降ふったり、みぞれになったり、風かぜが吹ふいたりして、満まん足ぞくの日ひがなかったのでした。 ちょうど、おせんが、あの山やまにかかる時じぶ分んでありました。西にしの空そらが、よく晴はれて、雲くもの色いろが、それは美うつくしかった。さながらおせんが持もってきた、貝かい細ざい工くのように、銀ぎんのかんざしのように、紅あかい絹きぬを拡ひろげたように、淡うす紅べに色いろの布ぬの地じを見みるように、それらのものをみんな大おお空ぞらに向むかって投なげ撒まいたように……。 叔お母ばさんは、この景けし色きを見みて、
おせん、
おせん、
西 の空 に、
紅 さした……。
おせん、
といって、喜よろこびました。
これから、この文もん句くは、長ながく北ほっ国こくに残のこって、子こど供もたちが、いまでも夕ゆう焼やけ空ぞらを見みると、その唄うたをうたうのであります。
――一九二七・一作――