ある男おとこが、牛うしに重おもい荷にも物つを引ひかせて町まちへ出でかけたのであります。 ﹁きょうの荷には、ちと牛うしに無む理りかもしれないが、まあ引ひけるか、引ひかせてみよう。﹂と、男おとこは、心こころの中なかで思おもったのでした。 牛うしや馬うまは、いくらつらいことがあっても、それを口くちに出だして訴うったえることはできませんでした。そして、だまって人にん間げんからされるままにならなければなりませんでした。 牛うしは、その荷にを重おもいと思おもいました。けれど、いっしょうけんめいに力ちからを出だして、重おもい車くるまを引ひいたのです。 街かい道どうをきしり、きしり、牛うしは、車くるまを引ひいて町まちの方ほうへとゆきました。汗あせは、たらたらと牛うしの体からだから流ながれたのでした。松まつ並なみ木きには、せみが、のんきそうに唄うたをうたっていました。せみには、いまどんな苦くるしみを牛うしが味あじわっているかということを知しりませんでした。野のは原らの上うえを越こえ、そよそよと吹ふいてくる涼すずしい風かぜに、こずえに止とまって鳴ないているせみは眠ねむ気けを催もよおすとみえて、その声こえが高たかくなったり、低ひくくなったりしていました。 牛うしは、心こころのうちで、せめてこの世よの中なかに生うまれてくるなら、なぜ自じぶ分んは、せみに生うまれてこなかったろうとうらやみながら、一歩ぽ一歩ぽ、倦うまずに車くるまを引ひいたのであります。 男おとこは、手たづ綱なの先さきで、ピシリピシリと牛うしのしりをたたきましたが、牛うしは、力ちからをいっぱい出だしていますので、もうそのうえ早はやく足あしを運はこぶことはできませんでした。さすがに、男おとこも、心こころのうちでは、無む理りをさせていると思おもったので、そのうえひどいことはできなかったばかりでなく、またそのかいがなかったからです。 それに、真まな夏つのことであって、いつ牛うしが途みちの上うえで倒たおれまいものでもないと思おもったから、よけいに心しん配ぱいもしたのでした。 街かい道どうの中なかほどに掛かけ茶ぢゃ屋やがあって、そこでは、いつも、うまそうな餡あんころもちを造つくって、店みせに並ならべておきました。男おとこは、酒さけ呑のみで、餡あんころもちはほしくなかったが、牛うしが、たいそうそれを好すきだということを聞きいていましたから、やがて、その家うちの前まえへさしかかると、 ﹁どうか、この荷にも物つを無ぶ事じに先せん方ぽうへ届とどけてくれ。そうすれば帰かえりに餡あんころもちを買かってやるぞ。﹂と、男おとこは、牛うしにいったのであります。 その言こと葉ばが牛うしにわかったものか、牛うしは重おもそうな足あしどりを精せいいっぱいに早はやめました。そして、その日ひの午ご後ご、町まちの目もく的てき地ちへ着つくことができたのであります。 男おとこは、そこで賃ちん金ぎんを、いつもよりはよけいにもらいました。心こころのうちでほくほく喜よろこびながら、牛うしにも水みずをやり、自じぶ分んも休やすんでから、帰かえりに着ついたのでした。 ﹁牛うしもたいそうだし、自じぶ分んも骨ほねだが、多おおく積つんで積つめないことはないものだ。すこしこうして勉べん強きょうをすれば、こんなによけいにお金かねがもらえるじゃないか……。﹂と、手たづ綱なを引ひいて歩あるきながら考かんがえました。 町まちを出でてから、田いな舎かみ道ちにさしかかったところに居いざ酒か屋やがありました。そこまでくると、男おとこは、牛うしを前まえの柳やなぎの木きにつないで、店みせの中なかへはいりました。彼かれは、有あり合あいの肴さかなでいっぱいやったのでありました。そして、いい機きげ嫌んになって、そこから出でたのであります。 その間あいだ、牛うしは、居いね眠むりをして、じっと待まっていました。牛うしは疲つかれていたのです。赤あか々あかとして、太たい陽ようは、西にしの空そらへ傾かたむきかけて、雲くもがもくりもくりと野のは原らの上うえの空そらにわいていました。 男おとこは、牛うしを引ひいて、やがて餡あんころもちを売うっている店みせの前まえへかかりますと、その時じぶ分んから、ゴロゴロと雷かみなりが鳴なりはじめました。 ﹁あ、夕ゆう立だちがきそうになった。ぐずぐずしているとぬれてしまうから、今きょ日うは我がま慢んをしてくれな。明あし日たは、きっと餡あんころもちを買かってやるから。﹂と、男おとこは牛うしにいいました。 牛うしは、黙だまって、下したを向むいて歩あるいていました。男おとこは、けっしてうそをいうつもりはなかったのでしょう。すくなくも哀あわれな牛うしにはそう信しんじられたのでした。 明あくる日ひも男おとこは、昨きの日うと同おなじほどの重おもい荷にを引ひかせたのです。牛うしは、汗あせを滴たらして車くるまを引ひきました。そのうち、餡あんころもちを売うる店みせの前まえへさしかかると、男おとこは、ちょっと店みせの方ほうを横よこ目めで見みて、 ﹁今きょ日うは、帰かえりに餡あんころもちを買かってやるぞ。だから、早はやく歩あるけよ。﹂といいました。 昨きの日うと同おなじ時じぶ分んに、町まちへ着つきました。そして、男おとこは、昨きの日うと同おなじように、よけいに金かねをもらいました。男おとこは、ほくほく喜よろこんだのであります。この男おとこは、よけいに金かねを持もつと、なんで忍にん耐たいして、居いざ酒か屋やの前まえを素すど通おりすることができましょう。やはり我がま慢んがされずに、店みせへはいって、たらふく飲のみました。その間あいだ、牛うしは外そとにじっとして待まっていました。 男おとこは、いい機きげ嫌んで店みせから出でると、牛うしを引ひいてゆきました。 やがて、餡あんころもちを売うる店みせの前まえへさしかかりました。 ﹁なに、畜ちく生しょうのことだ。人にん間げんのいったことなどがわかるものか……。﹂と、男おとこは、ずうずうしくも知しらぬ顔かおをして、牛うしを引ひいて、その前まえを通とおり過すぎてしまいました。そのとき、牛うしは、 ﹁モウ、モウー。﹂と、なきました。 ﹁さ、早はやく歩あるけ!﹂と、男おとこは、しかりつけて、ピシリと牛うしのしりを手たづ綱なで力ちからまかせにたたきました。すると、いままで、おとなしかった牛うしは、急きゅうに、猛たけりたって、男おとこを角つのの先さきにかけたかと思おもうと、五、六間けんもかなたの田たの中なかへ、まりを投なげ飛とばすように投なげ込こんでしまったのです。 彼かれは、顔かおを泥どろ田たの中なかにうずめてもがきました。そのまに、牛うしは、ひとりでのこのこと歩あるいて家いえへ帰かえってゆきました。 男おとこは、ようやく田たの中なかからはい上あがると、泥どろまみれになって村むらへ帰かえりましたが、あう人ひとたちがみんな怪あやしんで、どうしたかと聞ききましたけれど、さすがに、牛うしにうそをいって、復ふく讐しゅうされたとはいえず苦にが笑わらいしていました。 彼かれは、家いえに帰かえってから、黙だまっている牛うしが、なんでもよくわかっていることを覚さとって、心こころから自じぶ分んの悪わるかったことを牛うしに謝しゃしたといいます。 ――一九二六・六作――