太たろ郎うが叔お母ばさんから、買かってもらった小こが刀たなは、それは、よく切きれるのでした。あまり形かたは、大おおきくはなかったけれど、どんな太ふとい棒ぼうでもすこし力ちからをいれれば、おもしろいように切きれるのでした。 太たろ郎うは、いままで持もっていた小こが刀たなを捨すててしまいました。その小こが刀たなは、いくらといでもよく切きれなかったのです。太たろ郎うには、よくとぐことができなかったのにもよりますけれど、もとから、その小こが刀たなは、よく切きれなかったのでした。紙かみを切きるにも、ひっかかるようであったり、また鉛えん筆ぴつを削けずるにもガリガリ音おとがして、よく切きれないのでありました。 それにくらべると、こんどの小こが刀たなは、ひじょうによく切きれたのです。紙かみを切きるのにも、ほとんど音おとがしなければ、また鉛えん筆ぴつを削けずるるのにもサクリサクリと切きれて、それは、おもしろかったのであります。 そんないい小こが刀たなを持もつことのできた太たろ郎うは、幸こう福ふくでありました。いつも、鉛えん筆ぴつの先さきは、木きの香かがするようにきれいに削けずられていて気き持もちがよかったからです。太たろ郎うは、かばんの中なかへ、その小こが刀たなを失うしなわないように大だい事じにしまって、やがて、学がっ校こうの終おわった鐘かねが鳴なると、いつものように、急いそいで、我わが家やの方ほうへ帰かえってきました。 途とち中ゅう、太たろ郎うは、桑くわ圃ばたけの間あいだを通とおったのであります。この道みちは、毎まい日にち通とおらなければならぬ道みちでしたが、このときは、ただ太たろ郎う一ひと人りでありましたから、右みぎを見みたり、左ひだりを見みたりして、道みち草くさをくってやってきました。 すると、一本ぽん、桑くわの枝えだが目めにはいりました。もし、この枝えだを根ねもとのところから切きったら、じつにいいつえが造つくられたからです。また、つえなどを造つくらなくとも、その根ねもとはじつに太ふとく、そして枝えだは、おもしろく曲まがりくねっていて、見みるばかしでも好こう奇きし心んをそそらせるようなものでした。 ﹁あの枝えだがほしいな。﹂と、いって、太たろ郎うは、ぼんやりとたたずんで見みていましたが、ふと彼かれは、自じぶ分んのかばんの中なかに、切きれる小こが刀たながはいっていたことを思おもい出だしたのであります。 太たろ郎うは、にっこりとしました。あの小こが刀たなで切きりさえすれば、どんな枝えだでも切きることができると思おもったからです、彼かれは、カバンの中なかから小こが刀たなを出だそうとしました。そして、だれか、見みていはしないかと、あたりを見みまわしました。もし、百ひゃ姓くしょうが、見みつけたなら、きっと走はしってきてしかるからであります……。太たろ郎うは、うしろを振ふり向むいたときに、びっくりしました。なぜなら、そこには、脊せいの低ひくい、頭あたまのとがった男おとこが青あおい顔かおをして立たっていたからです。 太たろ郎うは、桑くわの枝えだを切きるどころでありませんでした。急きゅうに、歩あるき出だしますと、その男おとこも太たろ郎うについて歩あるいてきました。 太たろ郎うは、気き味みが悪わるくなりましたが、だいたんに振ふり向むきました。そしてこの見みなれない男おとこを見みると、かえって、小ちいさな男おとこのほうが、びくびくしているらしかったのです。このようすを見みて、太たろ郎うは、急きゅうに、気きが強つよくなりました。 ﹁俺おれは、切きれるナイフを持もっているのだぞ！﹂といわぬばかりに、かばんの中なかから、小こが刀たなを取とり出だしました。 男おとこの顔かおは、ますます青あおくなりました。太たろ郎うは、この不か具た者わは、いったい何なに者ものだろうと考かんがえましたから、 ﹁おまえは、だれだ！﹂と、太たろ郎うは、男おとこに向むかっていいました。 男おとこは、うらめしそうな顔かおをして、太たろ郎うを見みました。 ﹁坊ぼっちゃんは、私わたしをお忘わすれなさったのですか？﹂といいました。 太たろ郎うは、こんな男おとこを知しっているはずがないと思おもいました。 ﹁僕ぼくは、おまえなんか知しっていない。きっと人ひと違ちがいだろう……。﹂と、太たろ郎うは答こたえました。 ﹁あなたは、私わたしをよく知しっていなさるはずです。私わたしこそ、ほかに、知しっている人ひとはないのであります。私わたしは、工こう場じょ町うまちで生うままれました。そして、どうかしんせつな方かたのところへゆきたいものだ。そうすれば、私わたしは、その方かたのために、朝あさ晩ばん、どんなにでも働はたらこうと思おもっていました。……それが、こんな有あり様さまになってしまった。これというのも私わたしの不ふう運んです……。﹂と、青あおい顔かおをした、脊せいの低ひくい男おとこはいいました。 ﹁僕ぼくは、そんなことは知しらないよ。だいいち、おまえのいっていることが、僕ぼくには、わからないのだ。なんだか、僕ぼくが、おまえをいじめたようにとれるじゃないか？﹂ ﹁そうです。私わたしは、坊ぼっちゃんに、罪つみのないのにいじめられました。もっと、役やくにたち、もっとこの世よの中なかに生いきていたかったのを、あなたは、私わたしをかわいそうとも思おもわずに、苦くるしめぬいて捨すててしまわれました。考かんがえると、うらめしいのであります……。﹂ 太たろ郎うは、なんだか、この青あおい男おとこのそばにいるのが怖おそろしくなって、駈かけ出だしました。 その晩ばんのことであります。太たろ郎うは、床とこについてから、昼ひる間ま学がっ校こうの帰かえりに、出であった、脊せいの低ひくい青あおい顔かおの男おとこのことを思おもい出だしました。けれど、すぐに、彼かれは、眠ねむってしまいました。 ﹁坊ぼっちゃん、昼ひる間まは、なんで逃にげ出だしてしまったのです。あなたは、あんなに切きれるナイフを持もっておいでなさるくせに……。しかし、このまえのナイフのほうが、どれほど、思おもいやりや、友ゆう情じょうがあったかしれません。私わたしは、いま窓まどの下したで、横よこたわりながら、そう思おもっています……。﹂と、青あおい顔かおの男おとこは、いいました。 太たろ郎うは、身みう動ごきをしました。その瞬しゅ間んかんに夢ゆめからさめたのでした。 あくる日ひの朝あさ、彼かれは、起おきるとまず、机つくえの抽ひき斗だしを開あけて、友ゆう情じょうのあったという昔むかしのナイフを出だしてみました。そのナイフは、もう赤あかくさびています。彼かれは、念ねんのために窓まどの下したへいってみました。そしてなにか、そこにないかとあたりを探さがしますと、自じぶ分んが、おもしろ半はん分ぶんにその頭あたまを削けずった、短みじかくなって捨すてた一本ぽんの鉛えん筆ぴつが、かなしそうに落おちていたのであります。 ――七月九日――