あるところに、気きの弱よわい少しょ年うねんがありました。いい少しょ年うねんでありましたけれど、気きが弱よわいばかりに、うそをついたのです。自じぶ分んでも、うそをつくことは、よくない、卑ひき怯ょうなことだということは知しっていました。 ﹁もう、これから、私わたしはうそはつかない。﹂と、うそをいった後あとでは、いつも少しょ年うねんは心こころにそう思おもうのでした。 けれど、それは、悪わるいと思おもわれないような場ばあ合いもありました。たとえば、病びょ人うにんに向むかって、 ﹁このあいだよりも、ずっとお顔かおの色いろがよくおなりです……。﹂というと、実じっ際さいは、そうでなくても、病びょ人うにんを喜よろこばすものである。こんなときのうそは、かならずしも悪わるいのでない。もし、そういうことができれば、 ﹁僕ぼくは、昨ゆう夜べ、お化ばけを見みたよ！﹂といって、なにか畑はたけの中なかにあったものを見みて、空くう想そうにふけったことをまことしやかに、友ともだちに話はなすと、つまらなそうな顔かおつきをしていた友ともだちらが、急きゅうに目めを輝かがやかして、近ちかくそばへ集あつまってきて、 ﹁君きみ、ほんとうかい……。﹂というのであります。 ﹁ああ、ほんとうだ。﹂と、少しょ年うねんは、熱ねっ心しんに、空くう想そうしたことを、見みたことのように話はなすのでした。 この少しょ年うねんのうそというのは、たいていこうした罪つみのない、ちょっとみんなをおもしろがらせようとする種しゅ類るいのものでした。 ﹁自じぶ分んのうそは、けっして、悪わるいうそではないのだが、それでも、いってはいけないものだろうか？﹂と、少しょ年うねんは、自じぶ分んの心こころに向むかって、たずねました。 ﹁それは、いけないにきまっている。うそをつくのは、人にん間げんとして、卑ひき怯ょうなことだ。﹂と、自じぶ分んの心こころと思おもわれない、なんだか年としとった、太ふとい声こえが答こたえます。 このとき、同どう時じに、それを打うち消けすように、自じぶ分んより、ずっと勇ゆう敢かんな、いきいきした、やはり、それも自じぶ分んの心こころと思おもわれないような声こえが、 ﹁そんなうそは、いったってさしつかえない。小しょ説うせつでも、文ぶん章しょうでも、みんな、うそのことを真しん実じつらしく書かいてあるのじゃないか……。﹂といいました。 少しょ年うねんは、この二つの異ことなった、自じぶ分んの心こころのどちらに従したがったがいいか迷まよってしまいました。 ﹁小しょ説うせつはうそをつくものだということはわかっているが、おまえのいうことがうそだとわかれば、だれもおまえを信しんじなくなるだろう。﹂と、年としとった太ふとい声こえがいいました。 こうして、少しょ年うねんは、つねに、自じぶ分んの良りょ心うしんをとがめながら、気きが弱よわいので、ついみんなを笑わらわせたり、喜よろこばせたりしたいために、うそをつく癖くせを改あらためることができなかったのでした。 そのうそは、無むじ邪ゃ気きなものであっても、それをほんとうにした人ひとは、あとでうそということがわかると、ばかにされたと思おもった。そして、だんだんみんなは、この少しょ年うねんを信しん用ようしなくなったのでした。 ﹁おまえは、いい子こだけれど、ていさいのいいうそをつくので、悪わるい子こになってしまった。﹂と、少しょ年うねんのお母かあさんは、いって、泣なかれたことがあります。 そのたびに、少しょ年うねんは、自じぶ分んの悪わるい癖くせを改あらためようと努どり力ょくしました。気きの弱よわい少しょ年うねんには、なかなかそれができなかった。つい知しらずに、うそをいってしまうのでした。そうした後あとでは、いつも深ふかい後こう悔かいをするのでした。 なんでも長ながい間あいだに、できてしまったことは容よう易いのことで改あらたまるものでないごとく、こうした癖くせもまた、その一つです。 ある夏なつの日ひのことでありました。少しょ年うねんは、いつものように、学がっ校こうから帰かえって、外そとへ遊あそびに出でました。 友ともだちは、どこへいったものか、往おう来らいへ出でてみたけれど、だれの姿すがたも見みえませんでした。これは、きっと河かわの方ほうへ遊あそびにいったのだろう……。自じぶ分んも、その方ほうへいってみようと思おもいながら、少しょ年うねんは、往おう来らいを歩あるいて、だんだん村むらはずれのさびしい方ほうへとやってきました。 道みちが三方ぽうに分わかれるところがあります。ちょうどそこにあった石いしの上うえに腰こしかけて、一ひと人りの男おとこが、ぼんやりとした顔かおつきをして休やすんでいました。その男おとこは、旅たびの人ひとのようです。 少しょ年うねんが、歩あるいていくと、旅たび人びとは、にっこりと笑わらいました。少しょ年うねんは、やさしい、どこかのおじさんだと思おもうと、急きゅうになつかしくなりました。 ﹁おじさんのお家うちは、遠とおいとこなの？﹂と、少しょ年うねんは聞ききました。こんなに、やさしいおじさんが、もし近ちかくであったら、自じぶ分んは寂さびしいときに遊あそびにいこうものをと思おもったからです。 ﹁遠とおいところとも。汽きし車ゃに乗のったり、船ふねに乗のったりしなければ、いかれないところなのだ……。﹂と、旅たび人びとは、少しょ年うねんの顔かおを見みて、笑わらいながら答こたえました。 そういって、旅たび人びとは、思おもい出だしたように、両りょ方うほうのたもとをさぐり、また、ふところなどを探さがして困こまったなというような顔かおつきをしたのです。 ﹁おじさん、どうしたの？﹂と、少しょ年うねんは、旅たび人びとの前まえに立たちながら、たずねました。 ﹁たばこをすおうと思おもったが、マッチをどこかへなくしてしまった……。﹂と、旅たび人びとは、答こたえました。 ﹁マッチがないの？﹂ ﹁このへんに、たばこや、マッチを売うる家うちはないかしらん……。﹂と、旅たび人びとはいいました。 ﹁売うっているところはないけれど、僕ぼく、マッチを持もってきてあげよう。﹂と、少しょ年うねんはいいました。 旅たび人びとは、少しょ年うねんの言こと葉ばを聞きいて、喜よろこばしそうな顔かおつきをしましたが、考かんがえながら、 ﹁おじさんは、日ひの暮くれないうちに、また遠とおくまで歩あるかなければならぬのだ。坊ぼうのお家うちはよほどあるだろうから、たばこをすうのを我がま慢んしていこう……。﹂といったのです。 少しょ年うねんは、目めをかがやかしながら、 ﹁すぐに持もってきてあげよう！﹂といって、あちらへ向むかって駈かけ出だしました。 旅たび人びとは、少しょ年うねんのしんせつを無むにしてはいけないと思おもって、黙だまって、ほほえみながら、そのうしろ姿すがたを見みお送くっていたのです。 少しょ年うねんは、近ちかくに、友ともだちの家うちがあるから、そこへいって、マッチを借かりてこようと思おもいました。いっしょうけんめいに駈かけて、森もりを曲まがると、友ともだちの家うちが畑はたけの中なかに見みえました。彼かれは、元げん気きづいて、その家うちの入いり口ぐちまで、息いきを切きらしながらたどり着つきました。彼かれは、友ともだちの名なを呼よんだ。けれど、返へん事じがなかった。 ﹁いないのだろうか？﹂と、少しょ年うねんはがっかりしました。 しかし、自じぶ分んは、友ともだちのお母かあさんを知しっているから、家うちへはいって頼たのもうと思おもいました。彼かれは、家うちへはいりました。けれど、家うちは、みんな留る守すであって、だれもいなかったのです。 ﹁畑はたけへいっているのだろうか？﹂ 少しょ年うねんは、こうつぶやくと、しかたなしに、その家うちから出でて、こんどは、知しっているおばあさんの家うちへ駆かけていったのです。自じぶ分んの家うちへ帰かえるよりは、まだ、そのほうが早はやかったから。 ﹁おばあさん、マッチを貸かしておくれ。﹂と、少しょ年うねんは、その家うちへはいるなりいいました。 ﹁マッチかい。さっき、私わたしは、目めがわるいので、土どび瓶んの水みずがこぼれたのを知しらずにいたら、マッチが、みんなぬれてしまって、火ひがつかない……。それは、困こまったことをしたな。﹂と、おばあさんは、目めをくしゃくしゃさせながら答こたえたのです。 少しょ年うねんは、がっかりしてしまいました。どうして、こんなまわり合あわせになったかと思おもいました。これでは自じぶ分んは、あの旅たび人びとに対たいして、うそをつくことになってしまう。旅たび人びとは、急いそいでいるのだ……と思おもうと、少しょ年うねんは、とうとう自じぶ分んの家うちまで駆かけていって、マッチを握にぎって、すぐに旅たび人びとのいるところへ走はしっていきました。 旅たび人びとは、かなり長ながい間あいだ、少しょ年うねんのもどってくるのを待まっていました。しかし、どうしたことか、なかなかもどってきませんでした。 ﹁なんといっても、子こど供もの足あしだからな。﹂と、旅たび人びとはいいました。そして、西にしの空そらをながめました。夏なつの日ひもいつしか、傾かたむきかけていたのであります。 旅たび人びとは、だまっていくのは悪わるいと思おもって、 ﹁おそくなるから出でかけますよ。坊ぼっちゃんのごしんせつをありがたく思おもいます。旅たび人びとより。﹂と書かいて、石いしの上うえにのこして、男おとこは去さりました。 少しょ年うねんは、ついおそくなって、旅たび人びとに、うそをいったと思おもわれはしないかと、心しん配ぱいしながら走はしってきてみますと、もうそこには、旅たびのおじさんはいませんでした。少しょ年うねんは、石いしの上うえにのこしてあった紙かみきれの文も字じを見みると、旅たび人びとは少しょ年うねんのいったことをけっしてうそには思おもわなかったばかりか、深ふかく、心こころに感かん謝しゃしていたことがわかったのです。 このことは、少しょ年うねんの心こころを深ふかく感かん動どうさせました。もう自じぶ分んは、けっして、うそをいっては、悪わるいと思おもいました。 そして、正しょ直うじきというものは、かならず相あい手てを感かんじさせずにおかないものだと知しったのです。 それから少しょ年うねんは、正しょ直うじきな子こど供もとなりました。 ――一九二七・六作――