垣根の楓かえでが芽を萌ふく頃だ。彼あち方らの往来で――杉林の下の薄暗い中で子供等らが隠れ事をしている。きゃっきゃっという声が重い頭に響く。北から西にかけて空は一面に黄色く――真黒な雲がその上に掩おおい被かぶさって、黄色な空をだんだんに押しつけて、下に沈ませているようだ。刻々に黄色な空が減じて終しまいには一直線となって、はっきりと地平線から此こち方らを覗き込んでいる。それが厭らしい細長い眼付で笑っているように思われた。 悪わる寒さむい風が北方の海から吹いて来る。煤すすけた障子を閉めて灰色の壁に向った周蔵は、頭を手てぬ拭ぐいで鉢巻して、床の上に起上って考え込んでいた。障子も一時は黄色に見えたが漸ぜん次じ薄暗くなって、子供等の鬼おに事ごとの声も遠ざかってしまうと、遥かにボーッ、ボーッと蒸汽船の笛の音が聞える。三里彼かな方たの直江津の港を今しも出帆する汽船が新潟に向って立ったのであろう。 この時、私は周蔵を訪れた。 周蔵は三十二三の若者である。唇の尖った色の浅黒い丈夫そうな男である。彼は村の吉沢という家の次男で、この頃一人この家に別家したので、彼は独身者である。僅わずかばかりの金を別わけてもらって、その日その日を何もせずに暮しているのであった。昼でも彼は臥ねころんでいる。いつ行って見ても彼はごろりと臥ろんで何かむしゃむしゃと食べていた。 ﹁周さん鳥が来たから指しておくれよ。﹂と沢山鶸ひわが裏の松林に来た時に行って頼んで見たが、 ﹁厭だ。﹂といって受け合あわなかった。 彼の家うちというのは三軒長屋の中である。去年あたりまで天理教の行者が住んでいたのであった。 その行者というのは、頭の禿げた目尻の垂れた口くち軽がるな、滑稽じみた男であったがたえず信者を集めて、加かじ持き祈と祷うをしていたので、今周蔵のいる家がその神様を祭った場所である。行者は西隣に住んでいた。今一軒の家には小学校の教師が住んでいたが、今でも尚なお住んでいる。 その頃周蔵のいる家の前は、往来に出るまで圃はたけの中に細道があって、その道の両側に樫かしの木や、榛はんの木や、桜の木や、椿の木が植うえられてあり、木の根には龍の髭ひげが植られてあった。私はよくこの木の下に来て龍の髭に生なる青い実を他の多くの子供等と共に争っては取ったものだ。真夏の時分には樫の木の葉がちらちらと日光に輝いて赤い実が葉隠れに見え、蜻とん蛉ぼが来ては頭の上をぐるぐると舞っているのを独り欲しそうにその木の下に佇たたずんで、赤い実を見上げていたこともある。 今周蔵のいる家は、全く変っていて前には、格子戸が閉たっていた。中は薄暗く、鏡が光って、大きな太鼓と榊さかきに白紙の結び付けられた生花と、御ごへ幣いと、白い徳とく利りとが目に入って、それに賽さい銭せん箱が直すぐ格子戸の際きわに置かれてあった。また賽銭箱の上にはだらりと赤、白、紫の交りの紐が垂たれ下さがっていて、青錆の出た鈴が上に吊されていた。其それ等らの紐は、多くの人々の手垢に汚れて下の方が黒くなっていたことを覚えている。その他堂の中には献納の絵額が五枚も六枚もかかっていた――毎月、三五の日には近隣の信者がこの狭い堂の中に集って、加持祈祷をしたので、その日には禿頭の行者は、時に応じ火渡りだの、刃やい渡ばわたりなどをして見せたこともあったという――僅かにそれが一年の後には、その行者は旅へ行ってしまって、その跡は全く変ってしまった。今迄あった桜の木や、樫の木は他へ移されてしまい、真まっ直すぐに往来に通っていた参詣人のための、道は耕されて圃となり、堂は造り代えられて、勝かっ手ても許とや便所まで附け加えられて、全くの普通の長屋となってしまい、その跡に入って来たのが、周蔵であった。 周蔵は独身者であるから、神様を祭ってあった跡に入っても、決して汚けがれはしないから、罰ばちが当らないだろうと近所の人はいっていたが、入ると間もなく彼は病気にかかった。多分風をひいたのだろう。明あ日すになれば快なおってしまうと、彼は昨日あたりまで平気で床の中に横よこたわっていたが、今日はなかなか苦しそうに見えた。私はいつも来るので、黙って戸を開けて彼の枕まく許らもとに行った。周蔵は黄色な眼付をして私の顔を見て黙っている。灰色の壁には、今年の暦が貼ってあって、火鉢の上には煎せん薬やくの入った土どび瓶んがぶつぶつと沸き立っている。一種、眼の眩くらみそうな臭においが室内に漲みなぎって、周蔵は起上って坐っていたが、私の入って来ると同時にまたごろりと眠ねころんでしまった。 ﹁周さん、頭が痛むかい。﹂ と私は、始めて言うと、 ﹁ああ、頭は破われそうだ。大分熱がある。﹂と答えた。 ﹁この薬を飲むんでないのかい?﹂ と私は、ぶつらぶつらと黄色い泡を立てて沸き上っている煎薬の土瓶に目を止めていうと、周蔵は後向きに臥ねているままで、それには黙って、 ﹁あ――苦しい。苦しい。﹂といっていた。 ﹁ああ、周さん、薬が沸にえ溢こぼれるよ。﹂というと、 ﹁ああ、苦しい、下おろしておくれ。其そ処こまで行けねえ。﹂ といって例の尖った口先を心ここ持ろもち此こち方らに向けて頼んだ。 私は、袂たもとでその沸えたぎっている煎薬の土瓶を下して、周蔵の言うがままにそれを茶碗に移して枕許に持もって行いってやると、彼はむくりと起き上って、熱いやつをぷうぷうと吹き出した。 私は、黙って彼の枕許に坐って見ていた。 やがて、大分冷めた時分に、周蔵は醤油色をした、臭の劇はげしい煎薬の茶碗を取上げた。最初は眼を閉つぶって、尖った唇で何か甘い物でも飲むような調子で悠ゆっ然たりと吸い始めたが二口、三口目から、彼の顔かお付つきは怖しく変って、口は耳許まで裂けたように薄黒い歯をむき出して、大きな口を開けて、眼は険けわしげに光った。私はいつもの周蔵でないように怖ろしかった。周蔵は薬を飲むとまた苦しそうに呻うな吟り出した。私は家へ帰ろうかと思ったが、いかにも周蔵の苦しんでいるのを見捨てて帰るに忍びなかった。で、 ﹁周さん、どんなに苦しいか。﹂と聞いた。 ﹁死にそうに苦しい。﹂と彼は答えたがその声すら、重々しかった。室へやの内は熱臭く、煎薬の臭いで一ぱいになって、私もどうやら頭が痛み出して来た。 ﹁私は家へ帰るよ。﹂と半分周蔵に気きが兼ねをして、――この儘まま彼の苦しむのを見捨てて帰るのが不人情のようで心に咎とがめたから――声が戦ふるえたのである。すると周蔵は私の名を呼んだ。 ﹁正雄さん、私わしの家へ行って母おふ親くろに来いといってくれないか――今夜にでも私は死にそうだ。﹂と彼は急に苦しみ出した。 私は死ぬるということは偽うそだと思った。しかし風をひいても、ちょっとした病気でも、晩ばん方がたになると重くなると聞いていたから、それで周蔵も斯こん様なに苦しみ出したのだ、とは子供心ながらに思わぬでもなかったが、彼の様子は実際苦しそうであった。 ﹁母親がいなけれや仕方がない。町へ行って針医さんを呼んで来てくれないかね。﹂ と苦しみながらも、私に言葉を柔やわらげて願うようにいった。 もう室の内は臥ている彼の顔が見えぬ迄暗くなったのである。私はランプを点つけてやろうかとも思ったが、何ど処こにランプがあるのか分らないので、直すぐ様さま家を飛び出して、彼の母親に告げて、針医を迎いに行ってやろうと思った。 外に出ると黄色かった空は、いつしか灰色に黒ずんで、空には重たらしい押え付けるような黒雲が、私の村の上を去らずにいた。その雲の中でも最も真黒な所が周蔵の家の頭になっている――私は全く日の暮れないうちに行って来ようと一生懸命に駆け出して、村むら端はずれの周蔵の実家に駆け付けたのである。楓の生垣をした村の細道を通り、暗い杉林の下に出たが、もはや遊んでいた子供等は、いずれも散じてしまって、誰もいなかった。私は気味が悪かったが、眼を閉ふさいで口の中で一いちッ、二にッとかけ声を出して、自みずから勇気をはげまして駆け出した。私の下駄の力の入った踏み音のみが、四あた境りの寂しさを破って響いた。脊中にはしっとり汗ばんで顔が熱ほてったけれど、彼の実家に行って用を済すまして更に町へ行って、針医を呼んで来なければならぬ重役を帯びていた――それにしても、私の母親は私の帰りの遅いのを心配して、今頃外に呼びに出ているかも知れないと思った時、益ます々ます速力を疾はやめて、周蔵の実家を目ざして駆け出した。 彼方に桑圃が一面につづいている。その奥の奥にちょっと藁屋が見えた時に、私はもうじきだと心のうちで独りで囁ささやいた。 ﹁一ッ二ッ。﹂とかけ声を出して、やっと周蔵の実家の戸口に駆け付けた。ちょうど夕飯時で、ランプの下には膳を据えて、彼の実兄と嫁とが嬉しそうに飯を食べていた。兄というのは四十近い、肥ふとった顎あご髭ひげの沢山にある脊の低い男で大工である。いつも笑顔をしているが、これで弟などには情じょ合うあいが薄いと聞いていた――彼の母親は見つからない。私は余りに駆けたので、急せき込こんで、碌ろく々ろく声も出なかったが口くち早ばやに、 ﹁周さんが病気だから早く小お母ばさんに来てくれいと周さんがいったよ。﹂と戸口から大声に告げると、彼の兄というのが、 ﹁ハア、母おふ親くろは今湯に行きやしたから、帰かいれば直ぐ行くといってくんなさい。大おおきに御苦労でした。﹂と立上りもせずに――箸を持ったまま答えた。嫁というのも一ちょ寸っと此方を振向いて、 ﹁大きに御苦労さんでした。﹂といったばかりである。 私はあまりのあっけなさに腹立しいというよりは気抜けがした。 ﹁苦しいと、うなっているのだから早く来ておくれよ。﹂ といい残すとその家を出たが、急に周蔵が可哀そうになって彼の兄が憎くなった。それだから私は大声に軍歌をうたって、聞えよがしに怒ど鳴なってやった。 ﹁ああ正まさ成しげよ正成よ……。﹂と口から出るがままに大声で叫わめいて、この村に響き渡れ! 彼の兄と嫁との耳に鳴り響いて鼓膜を破ってやれ! という意気込みで怒鳴り付けた。いつしか私は暗い杉林の下を通り抜けて、町へと急いだ。中途からは全く軍歌も止めて、私は又考え込んで途みちを歩いた。今頃私の母は私の帰りの遅いのを待って、心配しているであろう……しかし周蔵のために遅くなったのだから……言い訳が立つと考えた。 考えながら、途を歩いている間にも、周蔵の兄がランプの下で飯を食べていた姿が目に浮ぶ。ついで、暗い熱臭い室の中でうめいている周蔵の、黄色い眼付が目に浮び、うなり声が聞えるようだ……私は、また駆け足を始めた。 ﹁一ッ、二ッ。﹂と口の中うちで言って、全速力を出して町へと行った。 やがて町へ入った。軒の低い、柱の曲った雁がん木ぎがうねうねとつづいて、大抵の家は燈あか火りをつけていたが、まだ燈火を点つけずにいる家もあった。朝出て帰って来た車くる引まひきなどは、家の前に荷車を置いて、上からいろいろの道具を取り下しているのもある。また、私より一歩先に道具箱を担かついで、帰って来たばかりの大工の家もあった。其そん様な家の内の光あり景さまなどを一いち々いち覗き込んで、町の中程になっている按あん摩まの家を訪ねた――家は九尺しゃく二間けんで裡なかは真暗である――私は﹁今晩は。﹂といって入った。 暗がりの中で、ごとごとさしている音が聞えたけれど、私の声に返事をしない。 ﹁按摩さんはいるかい。﹂といった。 ﹁ハア……。﹂と、力のない老人の声が耳に入った。 ﹁今いま直すぐに来ておくれ、大病人があるから。﹂といった。私は大病人といわなければ按摩や医者などは直に来ない。だから、呼よびに行く時は大病人といった方が一番いいと誰やらがいったことを覚えていたのでそういった。 ﹁何どち方ら様ですかえ。﹂と、暗がりから老人は聞いた。 ﹁一番前の長屋だよ、早く来ておくれ。﹂ ﹁お堂のあった辺あたりですかえ。﹂ ﹁あすこの家だ。﹂ ﹁あの跡あとへ誰か入りましたかね。﹂ ﹁周さんが入ったのだ。﹂ ﹁ああ、吉沢の次男ですけえ、あの人が悪いんですかえ。ハア直に行きやす。﹂ ﹁直に来ておくれ。﹂ ﹁あなたと一しょに行きやす。﹂ と、直に按摩は仕度にかかった。私は暫らく、戸口に待っていると、こつこつと杖を捜す音がして、はや下駄を足につっかけているらしい。私は、他に誰もいないのかと思ったが、やはり暗がりで誰やら、ごとごとやっている音がする。私は婆さんがいるのだなと思った。 爺さんは按摩で針医を兼ねている。手に大きな箱を垂ぶら下さげていた。盲目で竹の杖を突きながらとぼとぼと私の後うし方ろについて来たが、途中から、私に手を引いてくれいといった。私は按摩の手を引きながら、低い、暗い、凸凹のあるうねうねと曲った町の雁木下を歩いて、やがて村へ差しかかったのである。西の山は真黒く浮き出ている。空には黒雲の間から、稀まれに星の光りが見えた。暗い物凄い晩である。先さっ刻きまで黄色かった空の名残は、殆ほとんどもはや見られなかったが、思いなしか、西の空は何処やら薄黄色ばんでいるようにも思われた。按摩は腰が曲って黒の羽織を着ていた。 手は筋ばって痩せ衰えている。全くの盲目で一寸先も分らないといった。私は早く帰りたかったが、按摩の手を引いているので思うように歩けなかった。 歩くたびガタガタと箱の中が鳴る。箱は木で出来ている真黒な四角な箱であった。私は箱の中に針や、薬や、いろいろな道具が入っているのだと思ったから、 ﹁この箱の中に針が入っているの?﹂と聞くと、 ﹁ハア、左様でげす、これが私わしの商売道具です。﹂と言った。 ﹁針を打つのは痛くないかい。﹂ と、私は光っている鋭い針が肉に突込まれるのを想像していった。 ﹁少しは痛う御座いやす。針ていうものは効きき果めの恐ろしいもので生いき死しににかかわるものでげす。﹂ といった。 私は、生死にかかわると聞いてびっくりした。 ﹁針を打って死ぬことがあるかい。﹂と問うと、 ﹁それは、二つ一つの針がありやす。もう助かるか助からぬ時に打つ針で滅めっ多たに打つことの出来ぬ針でげす。﹂ と答えた時に、私は周蔵の病気はこの二つ一つの針を打たなければならぬのではないかと不安でならなかった。そう思って、この痩せ衰えた盲めく人らを見ると、何となくこの盲人が怖しいように感ぜられた。二人はその後無言であった。私の手は折おり々おり戦ふるえた。暗い杉林の下を通り、また桑圃を抜けて、だんだん周蔵の家の近くに来た時按摩は私に向って、 ﹁お堂の前の途は、まだありやすかえ。﹂と聞いた。 ﹁いや、もう無くなってしまった。﹂ 又按摩は、 ﹁圃になりましたかえ。﹂と聞いた。 ﹁アア、圃になってしまった。﹂と私は言った。 按摩は、しばらく黙っていたが、また、 ﹁大でけえ榛の木があった筈だが、あれは伐きりやしたかえ。﹂と問うた。 ﹁あの木は去年枯れてしまった。而そして今年の春伐ってしまったよ。﹂と私は答えた。 ﹁あの木は村の鬼門に植うわっている木で昔からある木でげす……。﹂と按摩は言った。私は何んだか慄ぞっとして、 ﹁針を木に打っても快なおらないか?﹂と聞くと、 ﹁ハハハハハ。﹂と、按摩は歯のない口を開けて冷ひややかに笑った。何故笑うのだか私には分らなかった。私はただ黒い箱に目を止めて不思議でならなかった。二人はやっと、周蔵の家の前に来た。私は母でも迎いに来ていはしないかと思って、耳を澄したがそれらしい声も聞えなかった。また周蔵の母おふ親くろの来ている様子もなかった。家の内は燈火の点いた様子もなく真暗である。もと西隣の行者が住んでいた家は、今も尚お借り手がなくて空あき家やであった。東隣の小学校教員の家は、はや雨戸を閉めてしまった。真暗な家の中から周蔵の苦しんでうめく声が聞える。私は思わず其処に佇たたずんだ。 きっとこの盲人は二つ一つの針を打つだろう……而して周蔵の命は助かるまい。 ああ、どうしよう……この儘、私は按摩の手を振り放して逃げ出してしまおうかと立止って、按摩の様子を見守ると、按摩はしかと私の手を握って頻しきりに前へ出たがって身体をもじもじさしていた。