美うつくしい翼つばさがある天てん使しが、貧まずしげな家いえの前まえに立たって、心しん配ぱいそうな顔かおつきをして、しきりと内うちのようすを知しろうとしていました。 外そとには寒さむい風かぜが吹ふいています。星ほしがきらきらと枯かれた林はやしのいただきに輝かがやいて、あたりは一面めんに真まっ白しろに霜しもが降おりていました。天てん使しは見みるもいたいたしげに、素すは跣だしで霜しも柱ばしらを踏ふんでいたのであります。 天てん使しは自じぶ分んの身みの寒さむいことなどは忘わすれて、ただこの貧まずしげな家いえのようすがどんなであろうということを、知しりたいと思おもっているふうに見みえました。家いえの内うちにはうす暗ぐらい燈とう火かがついて、しんとしていました。まだ眠ねむる時じぶ分んでもないのに話はなし声ごえもしなければ、笑わらい声ごえもしなかったのであります。 このとき、ちょうど同おなじ村むらに住すんでいる、人ひとのいいおじいさんが、山やまの小こ舎やでおそくなるまで働はたらいて、そこを通とおりかかったのであります。そして、おじいさんは天てん使しを見みると、そばへいってどうしたのかと問とうたのであります。 天てん使しはおじいさんを見み上あげて、 ﹁近ちかいうちに、この家いえへ天てんから子こど供もを一ひと人りよこそうと思おもうのですが、心しん配ぱいでなりません。この寒さむいのに、子こど供もがどうしてつらいめをしないものでもないと思おもうと、なんとなく案あんじられて、私わたしはこの家いえのようすを見みにやってきたのであります。それだのにこの家いえはしんとして、笑わらい声ごえひとつしないので、どうしたのであろうと考かんがえていたのであります。﹂といいました。 おじいさんは天てん使しのいうことを聞きいて、もっともだといわぬばかりにうなずきました。 ﹁それにちがいありません。俺わしがよく亭てい主しゅの心ここ持ろもちを聞きいてみます……。﹂と、おじいさんは申もうしました。 天てん使しは木こ枯がらしの吹ふく中なかを、いずこへとなく歩あるいて去さりました。その後あとを見みお送くって、おじいさんは、よくこのときの神かみさまのお心ここ持ろもちがわかったのでした。 ﹁ほんとうにこの家いえの亭てい主しゅにも困こまったものだ。女にょ房うぼうがもうじきお産さんをするというに、働はたらいた金かねはみんな酒さけを飲のんでしまう……。なんということだ。今こん夜やもあの居いざ酒か屋やに酔よいつぶれているにちがいない……。﹂と、おじいさんは村むらはずれの居いざ酒か屋やをさして、疲つかれている足あしを運はこびました。 いってみると、はたして亭てい主しゅは、そこで酔よっているのでした。おじいさんは意いけ見んをしてやろうと思おもいましたが、このようすではなにをいっても、いまはこの男おとこの耳みみにはいらないと思おもいましたので、明あ日す酔よいのさめているときにするつもりで、家いえにもどったのであります。 その亭てい主しゅは大だい工くでありました。あくる日ひ、仕しご事と場ばで彼かれは休やすみの時じか間んに火ひを焚たいてあたっていました。 いい天てん気きでありました。冬ふゆではあったが日ひがあたたかに当あたると、小こと鳥りが枯かれた木こだ立ちにきて鳴ないています。青あおい煙けむりは、さびしくなった圃はたけの上うえをはって、林はやしの中なかへとただよってゆきました。彼かれはぼんやりと、なにか頭あたまの中なかで考かんがえているらしく見みえたのであります。 ﹁こんにちは。﹂といって、おじいさんは若わか者もののそばへ近ちかづきました。 若わか者ものはだれかと思おもって見みると、人ひとのよいおじいさんなものですから、 ﹁こんにちは、いいお天てん気きですの、風かぜが寒さむいから火ひにおあたんなさい。﹂といいました。 それから二ふた人りは、いろいろな話はなしをしましたが、そのうちにおじいさんは、 ﹁おまえさんのところにも、もうじき赤あかん坊ぼうが産うまれるようだが、もし子こど供もがいらないなら、ほしいという人ひとがあるから、やる気きはないか？﹂といいました。 これを聞きくと、若わか者ものは急きゅうに怒いかりだしました。 ﹁大だい事じな子こど供もをなんで他たに人んにやれるものか。おじいさんいくら人ひとがよくても、また頼たのまれたからといって、そんなばかなことをいうものじゃない。﹂といったのであります。 おじいさんは、にこにこと笑わらって、 ﹁それは俺おれが悪わるかった。おまえさんは酒さけばかり飲のんで、女にょ房うぼうの身みの上うえも思おもわなければ、赤あかん坊ぼうが産うまれる仕した度くもしていないようすなので、おまえさんは子こど供もがかわいくないのだろうと思おもったからいったのだ。赤あかん坊ぼうは、この寒さむい時じぶ分んに生うまれてくるのだから、それを思おもったら、あたたかに仕した度くしておいてやらなければならん……。そうでないかな。﹂と、おじいさんはいいました。 若わか者ものは、酒さけに酔よっていませんから、よくおじいさんのいうことがわかりました。自じぶ分んが悪わるかったと思おもいました。若わか者ものは頭あたまをかきながら、 ﹁私わたしがわるかった。ほんとうに、まだ子こど供ものことを考かんがえていなかった。女にょ房うぼうが、わがままですこし気きにいらないことがあると、がみがみいうもんだから、つい外ほかで飲のんでしまうのだが、考かんがえてみりゃ子こど供ものために我がま慢んするんだった……。﹂と、若わか者ものは心こころから感かんじたのであります。 おじいさんは、たいそう喜よろこびました。その後のちのこと、夜よる、この大だい工くの家いえの前まえを通とおりますと、大だい工くは家いえにいて、女にょ房うぼうの話はなし声ごえもすれば、なんとなく陽よう気きでありました。 ﹁これなら、もう、安あん心しんだ。﹂と、おじいさんは、思おもいました。 ある夜よのこと、星ほしの光ひかりは、凍こおったように白しろく見みえたけれど、もう、やがて春はるがきかかっているのがわかりました。おじいさんは、山やまで仕しご事とをして、おそく帰かえってきますと、いつかの天てん使しが、大だい工くの家いえの窓まどの下したに、しょんぼりと立たっていました。いつかのように素すは跣だしで、脊せに白しろい翼つばさがありました。 おじいさんは、神かみさまというものは、一ひと人りの子こど供もをこの世よの中なかに送おくるために、これほど気きづ遣かわれるものかということをはじめて知しりました。 ﹁この家やの亭てい主しゅは、もうあのときから、酒さけをやめて、子こど供もの生うまれる仕した度くをしています。あのように二ふた人りが、楽たのしそうに話はなしをしている声こえがきこえています。もう、ご心しん配ぱいなさることはありません……。﹂と、おじいさんは、いいました。 やさしい、美うつくしい天てん使しは、それでも、まだなんとなく安あん心しんしない気き持もちをして、涙なみだに光ひかった目めを、いたいたしげな自じぶ分んの足あしもとに落おとしていました。 ﹁俺わしは、はじめて、あなたのお姿すがたを見みたのでありますが、どの人ひとも、この世よの中なかに生うまれてくる時じぶ分んには、こうして、神かみさまがご心しん配ぱいなさるものでございましょうか。﹂と、おじいさんは、天てん使しに向むかって聞ききました。 天てん使しは、この長ながい年とし月つきを、生せい活かつと戦たたかってきて、いまこのように疲つかれて見みえるおじいさんの清きよらかな目めをうつしながら、 ﹁どの人ひとが生うまれてくるときも、健すこやかに、平へい和わに育そだつようにと思おもって、心しん配ぱいするかしれません。そして、親おやたちは、みんな子こど供もを大だい事じにしなければならないと思おもいますのに、いつか自じぶ分んたちのことにかまけて、忘わすれてしまいます。生うまれない前まえまでは神かみの力ちからで、どうにもすることができるけれど、ひとたび、世よの中なかのものとなってしまえば、神かみの力ちからのとどくはずはありません。人にん間げんにすべてを悟さとる力ちからを神かみは与あたえたはずですけれど、それを忘わすれてしまえばまた、どうすることもできないのです……。﹂と、天てん使しは答こたえました。 おじいさんは、天てん使しの話はなしを聞きいているうちに、遠とおい過か去この、青せい春しゅんの時じだ代いに、自じぶ分んの魂たましいが帰かえったように感かんじました。あの時じぶ分んから、自じぶ分んは正ただしく生いきようと心こころがけてきたが、顧かえりみればまだどれほど後こう悔かいされることの多おおかったことかしれない。若わかいものは、これから、一生しょうをもったいなく思おもって、ほんとうに有ゆう益えきに、正ただしく送おくらなければならないだろう……と思おもいました。 ﹁よく、あなたのおっしゃることがわかりました。よく、この家いえの女にょ房うぼうにも、子こど供もをしからないように、注ちゅ意ういしますし、みんなが、いい生せい活かつをするように、私わたしの力ちからで、できるかぎり心こころがけさせます。﹂と、おじいさんは誓ちかいました。 いつしか、白しろい天てん使しの姿すがたは、どこへか消きえてしまいました。 幾いく何ばくもなくして、この家いえに、赤あかん坊ぼうが生うまれました。それからというもの、女にょ房うぼうは、ほんとうにやさしい、いいお母かあさんとなり、亭てい主しゅはよく働はたらく大だい工くとなって、二ふた人りは、赤あかん坊ぼうの顔かおを見みるのが、なによりの楽たのしい、なぐさめとなったのであります。 おじいさんは、仕しご事との帰かえりに、この家うちへ立たち寄よって、平へい和わな有あり様さまを見みるのが、またなによりの喜よろこびでありました。 そして、何なん人ぴとによらず、子こど供もをしかるのを見みると、おじいさんは、 ﹁おまえが生うんだから、自じぶ分んのものだとばかり思おもってはいけない。神かみさまこそ、ほんとうのこの子こど供ものお母かあさんだから、自じぶ分んの機きげ嫌んにまかせて、子こど供もを育そだててはならない。﹂といいました。 村むらの人ひとたちは、いまごろ、神かみさまなどというおじいさんをばかにして、笑わらっていました。 ﹁おじいさん、神かみさまの子こど供もなら、人にん間げんは、神かみさまでなければならないじゃないか、それだのにいい人ひともあれば、わるい人ひともある。これは、どうしたことだ？﹂と問といました。 そのとき、おじいさんは、いつか天てん使しが、 ﹁人にん間げんは生うまれてくるとき、すべての悟さとる力ちからを授さずけられてきたのだが、いつか忘わすれてしまって、正ただしい生せい活かつができなくなったのだ……。﹂といったことを思おもい出だしました。 おじいさんは、そんなことをこの人ひとたちにいっても信しんじてくれないと思おもいました。まして、自じぶ分んが、翼つばさのある天てん使しを見みたなどといっても、大だい工くの夫ふう婦ふはじめ、それをほんとうにしてはくれないと思おもいました。 そう思おもうと、おじいさんは、さすがに悲かなしかったのであります。 おじいさんは、どうかもう一度ど、天てん使しを見みたいと思おもいました。そうしたら、今こん度どこそよく見みておこう……。そして、ほかの人ひとにもそっと知しらしてやろうと思おもいました。けれど、ふたたび、天てん使しを見みることはできませんでした。 そのうちに、春はるになりました。長ながい冬ふゆの間あいだじっとしていた草そう木もくは、よみがえって、空そらは緑みど色りいろに、あたたかな風かぜが吹ふきました。おじいさんは、空そらに向むかって、黙だまって感かん謝しゃしました。 ――一九二五・一二作――