毎まい年ねんのように、遠とおいところから薬くすりを売うりにくる男おとこがありました。その男おとこは、なんでも西にしの国くにからくるといわれていました。 そこは、北ほっ国こくの海うみ辺べに近ちかいところでありました。 ﹁お母かあさん、もう、あの薬くす売りうりの小お父じさんがきなさる時じぶ分んですね。﹂と、二番ばんめの女おんなの子こがいいました。 すでに、あたりは、初しょ夏かの日ひの光ひかりが、まぶしかったのであります。そして、草くさ木きの芽めがぐんぐんと力ちか強らづよく伸のびていました。 ﹁ああ、もうきなさる時じぶ分んだよ。﹂と、母はは親おやは、働はたらいていながら答こたえました。 その薬くす売りうりの小お父じさんという人ひとは、ほんとうに、やさしいいい人ひとでありました。いろいろな病びょ気うきにきくいろいろな薬くすりを箱はこの中なかにいれて、それを負おぶって、旅たびから旅たびへ歩あるくのでありました。そして、ここへも、かならず年ねんに一度どは、ちょうど、あのつばめが古ふる巣すを忘わすれずに、かならずあくる年としには舞まいもどってくるように、まわってきたのでした。 この小お父じさんは、だれにもしんせつでありました。また、どんな子こど供もをもかわいがりました。だから、子こど供もも、この薬くす売りうりの顔かおを見みると、 ﹁小お父じさん、小お父じさん。﹂といって、なつかしがりました。 ﹁今こと年しも、なにか小お父じさんは、持もってきてくださるかしらん。﹂と、二番ばんめの女おんなの子こは、遠とおくをあこがれるような目めつきをしていいました。 この一家かは、あまり豊ゆたかではありませんでした。父ちち親おやがなくなってから、母はは親おやが子こど供もたちを養やしなってきました。しかし、みんな健すこやかに育そだったので、家いえの内うちは、貧まずしいながら、つねににぎやかでありました。めったに、薬くす売りうりの小お父じさんの持もってきた、薬くすりを飲のむようなことはなかったけれど、小お父じさんは、こちらにくればきっと立たち寄よりました。そして、みんなの健すこやかな顔かおを見みて、心こころから、喜よろこんでくれるのでした。姉きょ弟うだいの中うちでも、二番ばんめの女おんなの子こは、もっともこの小お父じさんを慕したったのでした。人ひとのいい小お父じさんも、旅たびで見みたたくさんの子こど供もの中なかでも、またいちばんこの子こをかわいらしく思おもったのでありましょう。 ﹁これをおまえさんにあげる。﹂といって、青あおい珠たまをくれました。それはちょうどかんざしの珠たまになるほどの大おおきさでした。 女おんなの子こは、この青あおい珠たまを見みて、ひとり空くう想そうにふけったのであります。 ﹁西にしの国くにへいってみたらどんなだろう……。そこに、小お父じさんは住すんでいなさるのだ。﹂と思おもいながら、青あおい珠たまを手てにとってながめていますと、はるかに高たかい空そらの色いろが、その珠たまの上うえにうつってみえるのでありました。 はたして、薬くす売りうりの小お父じさんは、夏なつのはじめにやってきました。そして、こんどはお土みや産げに、二番ばんめの女おんなの子こに、紅あかい珠たまをくれました。ほかの子こには、西にしの国くにの町まちの絵えが紙みなどをくれました。 ﹁みなさん、いつもお達たっ者しゃでけっこうですね。私わたしも、もう年としをとって、こうして歩あるくのが、おっくうになりました。若わかいときから、働はたらいたものですが、この後のち、もう幾いく年ねんも諸しょ国こくをいままでのようにまわることはできません。それに、私わたしには、子こど供もというものがないのですから、さびしくて、楽たのしみがないのであります……。﹂と、薬くす売りうりの小お父じさんは、母はは親おやに話はなしました。 ﹁まあ、あなたには、お子こど供もさんがないのですか？﹂と、母はは親おやは、それは、さだめしさびしかろうというようにいいました。 ﹁こうして、働はたらいて、金かねをのこしましても、やるものがないので、ばあさんと、つまらないといいくらしています。﹂と、旅たびの薬くす売りうりの小お父じさんはいいました。 ﹁小お父じさん、また、来らい年ねんになったらくるの？﹂と、子こど供もたちはいいました。 ﹁ああ、また、来らい年ねんになったらやってきますよ。みんな、お母かあさんのいうことをよくきいて、達たっ者しゃでおいでなさい……。﹂と、薬くす売りうりの小お父じさんはいいました。そして、背せに箱はこをばふろしきで負おぶって、いずこをかさして立たち去さったのであります。 赤あかい夕ゆう焼やけのする夏なつがすぎて、やがて秋あきとなり、そして、冬ふゆは、北ほっ国こくに早はやくおとずれました。雪ゆきは降ふって、野のも山やまも埋うめてしまい、それが消きえると、黄たそ昏がれ時どきの長ながい春はるとなりました。その間あいだ、姉あねや、妹いもうとや、弟おとうとらは、よく母ははのいうことを聞きいて、この一家かは、むつまじく日ひを送おくってきたのであります。 子こど供もたちは、薬くす売りうりの小お父じさんのくれた絵えが紙みを出だして見みたりしました。その絵えには、白しら壁かべの家いえがあり、柳やなぎがあり、町まちがあり、橋はしがあり河かわが流ながれていました。 ﹁こんなところへいってみたいこと。﹂と、一ひと人りがいいますと、 ﹁ずっと遠とおいところだから、幾いく日にちもかからなければゆくことができない……。﹂などと、一ひと人りが話はなしをしたのでした。 その年としの夏なつもまた、年としとった旅たびの薬くす売りうりはやってきました。彼かれは母はは親おやに向むかって、 ﹁私わたしは、今こと年しもこうしてきましたが、じつは、あなたのところの娘むすめさんをもらいたいと思おもってやってきたのです。私わたしには、子こど供もというものがありませんので、寂さびしくてなりません。働はたらいて、ためました金かねも、また家うちの財ざい産さんもやるものがないので悲かなしく思おもっています。もしあなたのお家うちの娘むすめさんをもらうことができましたら、どんなにうれしいかわかりません。大だい事じにして、私わたしの子こど供もとして育そだてて、お婿むこさんをもらって、家うちの跡あとを継つがしたいと思おもいますが、どうか私わたしに、娘むすめさんをくださいませんか……。﹂といって、ねんごろに頼たのみました。 娘むすめの母はは親おやは、長ながい間あいだ、貧まずしい生せい活かつをしてきました。それは、自じぶ分んの腕うでひとつで働はたらいて、たくさんの子こど供もを育そだてなければならなかったからです。 そして、みんな、自じぶ分んの家うちにいつまでも置おけるものでない。いつかは、よそへやらなければならない。どうせそうならば、この人ひとのいい薬くす屋りやさんにやって、りっぱに、幸こう福ふくに育そだててもらったほうが、どれほど、当とう人にんにとってもいいことかしれないと考かんがえました。 あわれな母はは親おやは、二番ばんめの娘むすめをやることにきめました。そして、そのことを娘むすめに話はなしますと、さすがに娘むすめは、恋こいしい母はは親おやのもとを去さることを悲かなしみましたが、やさしい小お父じさんであり、また、日ひごろから遠とおい西にしの国くにの景けし色きなどを目めに描えがいて、憧あこがれていましたから、ついいってみる気きにもなったのでありました。 姉あねや、弟おとうとは、彼かの女じょのまわりに集あつまって、いまさら別わかれてゆく、娘むすめのために悲かなしみました。ちょうど、家うちの前まえには、赤あか々あかとした、ほうせんかが、いまを盛さかりに咲さき乱みだれていました。この花はなを二番ばんめの娘むすめはことに愛あいしていました。それで、朝あさとなく、夕ゆうべとなく、水みずをやったりしたので、 ﹁ああ、この赤あかい花はなにも、私わたしは別わかれてゆかなければならない。せめて、この花はなの種た子ねを持もってまいりましょう……。﹂といって、娘むすめは、ほうせんかの種た子ねを、紙かみに包つつんで、それを懐ふところの中なかにいれたのでした。 それは、夏なつも終おわりに近ちかづいた、ある日ひでありました。娘むすめは、薬くす売りうりの小お父じさんにつれられて、みんなと別わかれて、門かど出でをしたのであります。母はは親おやは涙なみだをもって見みお送くりました。姉あねや、弟おとうとは、村むらのはずれまで送おくってゆきました。そして、娘むすめは、うしろ髪がみを引ひかれるように振ふりかえり、振ふりかえりいってしまったのであります。 これは、ほんとうに、我わが家やにも、姉あねや、弟おとうとにも、また恋こいしい母はは親おやにも、長ながい、長ながい別わかれでありました。 薬くす売りうりの小お父じさんは、その宵よい、港みなとから出でる汽きせ船んに乗のって、娘むすめをつれて、遠とおい、遠とおい、西にしの海うみを指さして走はしっていったのであります。 北ほっ国こくの空そらは、いつものごとく、ほんのりと山やまの端はが紅あかく色いろづいて、沖おきの方ほうは明あかるく、暮くれかかりました。 ほうせんかが、家うちの前まえに咲さいているのを見みるにつけて、母はは親おやは、二番ばんめの娘むすめの身みの上うえを案あんじました。船ふねに乗のっていったのであるが、もう着ついたであろうか。そう思おもっては、門かど口ぐちに立たって、ぼんやりと沖おきの方ほうの空そらをながめていました。 姉あねや、弟おとうとは、いなくなった二番ばんめの娘むすめのことを思おもい出だして、いつもいっしょになって遊あそんだので、いままでのように、はしゃぐこともありませんでした。 日ひは、一日にち一日にちとたってゆきました。けれど、いった娘むすめは、もう帰かえってくることもなかったので、母ははは、いまさらのごとく後こう悔かいをしました。 ﹁なんで、遠とおいところへなどやってしまったろう？﹂といって、夜よるも、ろくろく眠ねむらずに、思おもい明あかすこともあったのです。 ﹁今こと年しは、二番ばんめの姉ねえちゃんがいないから、さびしいな。﹂といって弟おとうとは、青あお々あおとして澄すみわたった空そらを飛とんでゆく、鳥とりの行ゆく方えを見みお送くりながら、独ひとり言ごとをしたのでありました。 いつしか、ほうせんかはすっかり散ちってしまいました。そして、園そのには、とうがらしが赤あかく色いろづきました。山やまには、くりが紫むら色さきいろに熟じゅくすときがきました。秋あきになったのであります。 秋あきになると、母はは親おやはいっそう、遠とおくへやった娘むすめのことを思おもい出だしました。それでなくてさえ、虫むしの声こえが、戸との外そとの草くさむらのうちにすだくのでした。 ある夜よのこと、母はは親おやは、二番ばんめの娘むすめが帰かえってきた夢ゆめを見みました。 ﹁おまえは、どうして帰かえってきたか？﹂と、母はは親おやは喜よろこびと、驚おどろきとで戸とぐ口ちへ飛とび出だしました。 ﹁お母かあさんは、いったら、我がま慢んをして家うちへ帰かえりたいなどと思おもってはいけないと、おっしゃったけれど、私わたし、どうしても帰かえりたくて、帰かえりたくてならないので、帰かえってきました……。﹂と、娘むすめは泣なきながら訴うったえたのです。 ﹁あ、よく帰かえってきてくれた！ 私わたしは、おまえがいった日ひから、一日にちでも胸むねの休やすまった日ひとてなかった。いくら貧びん乏ぼうしても、親おや子こはいっしょに暮くらします。もう、けっして、おまえをどこにもやりはしない。﹂と、母はは親おやはいいました。 ふと、目めがさめると、娘むすめはそこにいませんでした。そして、いってから、いまだに便たよりとてなかったのです。 ﹁夢ゆめであったか……。それにしても、娘むすめは、いまごろどうしたであろう。﹂と、母はは親おやは、思おもっていました。 すると、このとき、かすかに、すすり泣なきするような音おとが、戸との外そとできこえたのであります。母はは親おやは、驚おどろいて床とこの中なかから起おき上あがりました。ほんとうに娘むすめが帰かえってきて、もしや家うちにはいれないで、庭にわさきにでも立たって泣ないているのでなかろうかと思おもったのでした。彼かの女じょは雨あま戸どを開あけて、わざわざ外そとへ出でてあたりをながめてみました。 外そとは、いい月つき夜よでありました。昼ひる間まのように明あかるく、木こだ立ちの姿すがたはうす青あおい月つきの光ひかりに照てらし出だされていました。しかし、どこにも娘むすめの姿すがたは見みえませんでした。そして、はるかかなたから、波なみの音おとがすすり泣なくようにきこえてきました。 さすがに、秋あきになると、宵よい々よいに、荒あら海うみに打うち寄よせる波なみの音おとが、いくつかの村むら々むらを過すぎ、野のを越こえて、遠とおくまできこえてくるのであります。 娘むすめの泣なき声ごえと思おもったのは、その波なみの音おとであったのでした。 姉あねや、弟おとうとも、二番ばんめの娘むすめのことをいいくらしていました。 冬ふゆがきました。こがらしは、空そらに叫さけび、雪ゆきはひらひらと舞まって飛とび、山やまも、林はやしも、やがて真まっ白しろとなって、雪ゆきの下したにうずもれてしまいました。この時じぶ分んになると、もはや、汽きせ船んの笛ふえの音ねもきくことができませんでした。荒あら浪なみは、ますます荒あれて、暗くらい空そらの下したに、海うみは、白しろくあわだっていたからであります。 山やまにすんでいる獣けだものや、鳥とりは、餌えを探さがすのに困こまったのであります。ある日ひのこと、姉あねや弟おとうとが、窓まどから外そとを見みていますと、四、五羽わのからすが、鳴なきながら、野のは原らの方ほうから飛とんできて、圃たんぼの中なかの木こだ立ちに止とまり、悲かなしそうに鳴ないていました。それは、親おや子このからすのように見みえました。やはり雪ゆきのために、餌えを探さがしに里さとの方ほうへやってきたのだと思おもわれます。 子こど供もたちは、これを見みると、なんとなくかわいそうに思おもいました。それで、あわもちがあったからそれを小ちいさくして、圃たんぼの方ほうへ、窓まどから投なげてやりました。すると、からすは、目めざとくそれを見みつけて、一羽わのからすが降おりて、雪ゆきの中なかから、もちぎれを拾ひろいあげると、また立たち上あがって木きの枝えだに止とまりました。子こど供もらはどうするだろうかと見みていますと、そのからすは、自じぶ分んで、それを食たべずに、下したの枝えだに止とまっていた、からすのくちばしにそれをいれてやったのです。餌えを拾ひろったからすは、母はは親おやであって、それを食たべさしてもらったのはその子こど供もであると思おもわれました。 ﹁まあ、なんとやさしいもんでないか？﹂と、子こど供もたちといっしょにそれを見みていた、母はは親おやがいって感かん心しんしました。これを見みるにつけて母はは親おやは、二番ばんめの娘むすめの身みの上うえを案あんじました。 ﹁あのしんせつな、人ひとのよさそうな小お父じさんのことだから、娘むすめは、しあわせに暮くらしているにちがいなかろうが、どんなにか、あの遠えん方ぽうに離はなれているのでさびしかろう……。﹂ と思おもい、涙なみだぐまずにはいられませんでした。 ﹁お姉ねえちゃんは、どうしたろうね？﹂と、弟おとうとは、思おもい出だして聞きくと、一家かの内うちは、急きゅうにしんみりとするのでした。 そのあくる年としの春はるのことでした。娘むすめのところから、はじめてのたよりがありました。それには、たいへんいいところで、気きこ候うも暖あたたかであれば、町まちも美うつくしく、にぎやかで、自じぶ分んは、しあわせに暮くらしているから安あん心しんしてもらいたいと書かいてありました。 このとき、母はは親おやをはじめ、姉きょ弟うだいたちは、どんなに喜よろこんだでありましょう。そして、姉あねや、弟おとうとは、自じぶ分んたちも二番ばんめの娘むすめのいっている国くにへいってみたいと憧あこがれました。 けれど、この時じぶ分んには、まだこの地ちほ方うには汽きし車ゃというものがありませんでした。どこへゆくにも、荒あら海うみを汽きせ船んでゆかなければならなかったのです。 西にしの国くにへ、もらわれていった、二番ばんめの娘むすめは、大だい事じにされていたので幸こう福ふくでした。小お父じさんの家うちは、町まちでの薬くす屋りやでありました。小お父じさんは、薬くすりを売うって諸しょ国こくを歩あるいていましたが、留る守すには、おばあさんが薬くす屋りやの店みせにすわっていたのであります。 二番ばんめの娘むすめは、こうして幸こう福ふくであるにつけて、故ふる郷さとの姉あねや弟おとうとや、また恋こいしい母はは親おやを思おもい出ださずにはいられませんでした。 ﹁いまごろは、お母かあさんはどうしておいでなさるだろう……。﹂と思おもいました。 ﹁種た子ねを持もってきてまいたほうせんかが咲さいたが、ふるさとの前まえの圃たんぼにもたくさん咲さくことであろう……。そして、いまごろになると、うす紅あかく色いろどられた沖おきの方ほうの空そらを望のぞんで、なんとなく、遠とおいところに憧あこがれたものだが、やはりあちらの空そらは、今こよ宵いも美うつくしく色いろづくことであろう……。﹂などと思おもいました。 冬ふゆになっても、娘むすめのきた地ちほ方うは、雪ゆきも降ふりませんでした。いつもあたたかないい天てん気きがつづいて、北ほっ国こくの春はるの時じせ節つのような景けし色きでした。彼かの女じょは、吹ふぶ雪きのうちにうずもれている、故こき郷ょうのさびしい村むらを目めに描えがいて、そこに住すむ哀あわれな母ははや、姉きょ弟うだいを思おもったのであります。 このせつない心こころをする思おもいにくらべて、故ふる郷さとで、みんなといっしょに暮くらすことができたらば、どんなに幸こう福ふくなことであろうと思おもわれました。 どうかして、彼かの女じょは、もう一度どふるさとに帰かえってお母かあさんや、姉あねや、弟おとうとに、あってきたいと思おもいました。けれど、このころから、小お父じさんは、体からだがだんだん弱よわってきて、彼かの女じょは、年とし寄よりたちを独ひとり残のこして、遠とおい旅たびにも出でることはできなかったのです。 小お父じさんが、ああして、薬くすりの箱はこを負おぶって、諸しょ国こくを歩あるいていた時じぶ分んに、もっと南みなみの船ふな着つき場ばで、外がい国こくから渡わたってきた、草くさの種た子ねを手てにいれました。それは、黄きい色ろな大おおきな輪りんの花はなを開ひらき、太たい陽ようの移うつる方ほうに向むいて、頭あたまを動うごかす、不ふ思し議ぎな花はなでありました。 当とう時じ、ひまわりの花はなは、この地ちほ方うにすら珍めずらしいものに思おもわれました。また、この花はなの種た子ねから、薬くすりが造つくられるというので、小お父じさんは、それを持もって帰かえって、自じぶ分んの家うちのまわりにまいたのであります。 このひまわりの花はなが、そのときちょうど赤あかん坊ぼうの頭あたまほどもありそうな大おおきな輪りんに開ひらいていました。娘むすめは、この黄こが金ねい色ろをした花はなをじっと見みていますうちに、いつしか、その花はなが自じぶ分んと同おなじような思おもいで生いきていることを感かんじました。花はなは、自じぶ分んが、母はは親おやを恋こい慕したうように、つねに太たい陽ようのありかを慕したっていたからです。 彼かの女じょは、いつからともなく、ひまわりの花はなが好すきになりました。 一日にち、彼かの女じょは、店みせさきにすわって、街まちの上うえを飛とんでいるつばめの影かげをぼんやりと見みま守もっていました。そのとき、四十前ぜん後ごの男おとこの巡じゅ礼んれいがはいってきて、すこし休やすませてくださいといいました。巡じゅ礼んれいは、体からだのぐあいがわるく、それに、疲つかれていました。彼かの女じょは、さっそく、薬くすりを与あたえました。しばらくすると、巡じゅ礼んれいは、元げん気きを恢かい復ふくしました。そして、厚あつくお礼れいを述のべて、これから諸しょ国こくの神じん社じゃ仏ぶっ閣かくを参さん拝ぱいするとき、あなたの身みの上うえをもお祈いのりしますといいました。 娘むすめは、この巡じゅ礼んれいが、遠とおい諸しょ国こくをもまわるのだとききましたから、もしや自じぶ分んの故ふる郷さとへもゆくことはないかと問といました。 ﹁来らい年ねんの春はるのころには、あなたの故ふる郷さとの方ほうへもまいります。﹂と答こたえました。 彼かの女じょは、考かんがえていましたが、ひまわりの種た子ねを紙かみに包つつんで、すこしばかり持もってきました。 ﹁もし、私わたしの家うちの前まえをお通とおりなさることもありましたら、この種た子ねを私わたしだと思おもってくださいといって、母ははに渡わたし、姉あねや、弟おとうとに、よろしくいってください。﹂といって頼たのみました。 巡じゅ礼んれいの男おとこは、それを受うけ取とって、 ﹁たしかにお渡わたしいたします。ありがとうございました。﹂と、礼れいをいって立たち去さりました。 ﹁お達たっ者しゃに。﹂といって、娘むすめは、巡じゅ礼んれいを見みお送くりました。 巡じゅ礼んれいは、遠とおざかってゆきました。彼かの女じょは、あの青あおい、青あおい海うみを、汽きせ船んで幾いく日にちも揺ゆられてきた時じぶ分んのことを思おもい出だしました。いまの巡じゅ礼んれいは、山やまを越こえ、河かわを渡わたり、野のは原らを過すぎ、村むら々むらをいって、自じぶ分んの故ふる郷さとに着つくには、いつのころであろうと考かんがえられたのです。おそらく、木き々ぎの葉はがちってしまい、さびしい、寒さむい冬ふゆをどこかですごして、来らい年ねんのことであろうと思おもわれました。 今きょ日うも、夕ゆう日ひは、町まちの白しら壁かべを染そめて、静しずかに暮くれてゆきました。 小お父じさんが亡なくなられて、その後のちは、おばあさんと娘むすめとで暮くらしましたが、娘むすめはだんだんと大おと人なとなってゆきました。しかし、その時じぶ分んとなっても、彼かの女じょは故ふる郷さとに帰かえることはできなかったのです。 娘むすめと約やく束そくをした巡じゅ礼んれいは、たしかに、その約やく束そくをはたしました。ある日ひのこと、巡じゅ礼んれいは、娘むすめの生うまれた家うちの前まえを過すぎて、そこに立たち寄よって、娘むすめの渡わたした、紙かみに包つつんだひまわりの種た子ねを渡わたし、﹁お娘むすめさんは、達たっ者しゃでいられます。これを私わたしと思おもってくださいといって渡わたされました。﹂といいました。 一家かのものは、どんなにか、この巡じゅ礼んれいをなつかしがってながめたでありましょう。そして、娘むすめにあったときのようすや、その家いえや、また町まちの有あり様さまなどをもたずねたでありましょう……。 母はは親おやは、年とし寄よりになり、姉あねや、弟おとうとも、大おおきくなり、姉あねは、近ちかくの村むらに嫁よめにゆきました。そして、娘むすめの家いえの前まえには、毎まい年ねん、夏なつになると脊せの高たかい、ひまわりの花はながみごとに咲さきました。西にしの国くにから、はじめてきたこの花はなは、そのころこのあたりでは珍めずらしいものでした。ひまわりの花はなが、日ひに向むかって、頭あたまをうつすのを見みると、二番ばんめの娘むすめが故ふる郷さとを恋こいしがっているのだと、一家かのものは悲かなしく思おもいました。年としとった母はは親おやは、ほうせんかの種た子ねの飛とぶのを見みては、二番ばんめの娘むすめを思おもい出だして、いつも涙なみだぐんだということであります。 ――一九二五・八作――