荷にも物つを背せな中かに負おって、薬くす売りうりの少しょ年うねんは、今きょ日うも知しらぬ他たこ国くの道みちを歩あるいていました。北きたの町まちから出でた行ぎょ商うし群ょうぐんの一ひと人りであったのです。 霜しも解どけのした道みちは、ぬかるみのところもあるが、もう日ひの光ひかりに乾かわいて、陽かげ炎ろうの上のぼっているところもありました。村むらはずれに土ど手てがあって、大おおきな木きが立たっていました。かさのように枝えだを空そらへ拡ひろげていました。 ﹁なんの木きだろうな。﹂ 少しょ年うねんは、よくこうした景けし色きを見みるのです。ゆくところ、どこにも同おなじような村むらがあり、人ひとが住すんで、笑わらったり、怒おこったりしていると思おもうと、なんとなくこのあたりの風ふう景けいを見みてもなつかしいのでした。そしてここにはもう春はるがきていて、木きの下したには、青あおい草くさが芽めぐみ、紫むら色さきいろのすみれの花はなさえ咲さいているのが、目めの中なかに入はいったのです。 少しょ年うねんは思おもわず、故こき郷ょうの方ほうを振ふり返かえりました。青あお空ぞら遠とおく雲くもは流ながれていて、もとよりその方ほう角がくすらたしかでなかったが、曇くもり日びがつづき、冷つめたい雪ゆきが降ふっていることと思おもわれました。彼かれは、青あお草くさの上うえへ腰こしをおろそうとしたが、そばに小ちいさな茶ちゃ店みせがあるのに気きづいたので、さっそく入はいって腰こし掛かけへ休やすみました。 ﹁いらっしゃいまし。﹂と、おかみさんが、愛あい想そよくお茶ちゃを注ついでくれました。 ﹁この村むらへ、薬くす屋りやがやってきますか。﹂と、少しょ年うねんは、たずねたのであります。 ﹁あなたは、お薬くす屋りやさんですね？﹂と、おかみさんは、少しょ年うねんを見みました。 ﹁そうです。どんな薬くすりでも持もっています。今こと年し置おいてゆきまして、来らい年ねんまたまいりましたときに、お使つかいになった薬くすりのお代だいをいただくのですが、どうか、ここへも一つ置おかしてくださいませんか。﹂といって、薬くす売りうりの少しょ年うねんは、頼たのみました。少しょ年うねんは、おかみさんが、どういうだろうかと心しん配ぱいしながら返へん答とうを待まちました。 ﹁よろしゅうございますよ。このへんは、町まちへ出でるには遠とおいし、お医いし者ゃさまもいない、まことに不ふべ便んなところですから、万まん一の場ばあ合いに困こまってしまいます。私わたしの家いえばかりでなく、きっと喜よろこぶ家いえがありますから、このへんをお歩あるきになってごらんなさい。﹂と、おかみさんは、しんせつにいってくれました。少しょ年うねんは、いいところへきたと思おもって、たいそう喜よろこびました。 ﹁こちらは、暖あたたかでいいところでございますね。﹂ 少しょ年うねんの目めには、おかみさんから、やさしい言こと葉ばを受うけたので、土と地ちまでが、和なごやかな慕したわしいものに感かんじられたのでした。 ﹁気きこ候うはいいが、さびしいところですよ。﹂ 行ぎょ商うし人ょうにんは、かえって汽きし車ゃなどの通とおらないところ、町まちのないところ、不ふべ便んなところほど、得とく意いを造つくるのに都つご合うがいいとされていましたので、少しょ年うねんとて、不ふべ便んやさびしいということは、覚かく悟ごでありました。ただ、こうして歩あるいていて、ありがたくも、うれしくも、また悲かなしくもしみじみと感かんずるのは、人ひとの情なさけであると思おもいました。 少しょ年うねんは、その茶ちゃ店みせから出でて、おかみさんに教おしえられた道みちの方ほうへ、荷にを負おって、とぼとぼと歩あゆみをつづけたのです。 松まつ原ばらへつづいている小こみ道ちで、一ひと人りの少しょ女うじょがしきりに下したを向むいて、なにかさがしていました。 ﹁この松まつ原ばらの奥おくにもお家うちがありますか？﹂といって、薬くす売りうりの少しょ年うねんは、たずねたのです。女おんなの子こは、両りょ手うてについた砂すなをはらって、少しょ年うねんの顔かおを見みました。 ﹁ええ、ずっと奥おくの、がけの上うえに一軒けん家やがあってよ。﹂といいました。 ﹁一軒けんきりですか？﹂ ﹁ええ、一軒けんだけ、そして、たった一ひと人りだけ住すんでいるの。﹂ ﹁一ひと人りだけですか……。﹂ ﹁先せん生せいが一ひと人り住すんでいるの、変かわった人ひとなの。﹂ ﹁どんなに変かわっていますか？﹂ ﹁そうね、よく知しらないわ。おもしろい人ひとね。﹂ 少しょ女うじょは、笑わらって、こう答こたえると、また下したを向むいて、なにか草くさをさがしていました。 ﹁嫁よめ菜なをつんでいるのですか？﹂と、少しょ年うねんは、道みちばたの青あおい草くさを見みました。 ﹁いいえ、おんばこをさがしているの。﹂と、少しょ女うじょは、答こたえたのです。 ﹁おんばこをさがして、なんになさるのですか。﹂と、少しょ年うねんは、ききました。 ﹁せきのお薬くすりにするのよ。兄にいさんが、せきをしてなおらないのですもの。﹂ ﹁ああ、せきの薬くすりですか、せきのお薬くすりなら、私わたしがたいへんきくよい薬くすりを持もっています。﹂と、少しょ年うねんは、いいました。すると、少しょ女うじょは、驚おどろいたふうで、少しょ年うねんをながめました。 ﹁あんた、お薬くす屋りやさん？﹂ ﹁ええ、私わたしは、薬くす屋りやですよ。いい薬くすりを持もっています。あなたのお家うちはどこですか？﹂と、少しょ年うねんは、いったのでありました。 ﹁おじいさんに聞きいてみるわ。私わたしの家うちはあすこなのよ。﹂と、少しょ女うじょは、先さきになって、小こみ道ちを走はしっていきました。薬くす売りうりの少しょ年うねんは、すこしおくれて従ついていくと、 ﹁おじいさん、お薬くす屋りやさんをつれてきた。﹂と、いう声こえがきこえたのでした。その家いえの周しゅ囲ういは、桃ももの木きの林はやしになっていました。鶏とり小ご舎やがあって、鶏にわとりがのどかな声こえでないていました。おじいさんの前まえへいってあいさつすると、 ﹁年としの若わかい薬くす屋りやさんだな、いくつになるかな。おお、うちの孫まごより五つは多おおいが、感かん心しんなこった。孫まごもその年としになったら、独ひとりで船ふねに乗のって、父ちち親おやのいるハワイへいくことができるだろう。孫まごも、かぜをひいて、せきがなかなかしつこくて困こまっているが、よくきく薬くすりがあったらもらって、すぐ飲のましましょう。﹂と、おじいさんは、かわいい孫まごのことで、心こころがいっぱいだったのです。 薬くす売りうりの少しょ年うねんは、荷にを下おろして、薬くすりを出だす間まにも、自じぶ分んにもこんなやさしいおじいさんがあったらば、と思おもわれるのでした。 ﹁このお薬くすりをあげてください。せきによくききますから。﹂ この声こえをききつけて、臥ねている男おとこの子こは、 ﹁ありがとう。﹂と、薬くす売りうりの少しょ年うねんの方ほうを向むいて、お礼れいをいいました。まくらもとの壁かべには父ちち親おやがいっている、ハワイの風ふう景けいの写しゃ真しんが貼はられていました。 ﹁坊ぼっちゃん、早はやくなおってください。﹂と、少しょ年うねんがいいました。 ﹁また、来らい年ねんきてください。僕ぼく、待まっているから。﹂と、臥ねている、男おとこの子こがいいました。 ﹁きっと、まいりますよ。﹂ 少しょ年うねんは、振ふり返かえって、あいさつしながら、出でていくと、後うしろ姿すがたを少しょ女うじょとおじいさんが見お送くっていて、 ﹁気きをつけて。﹂と、おじいさんが、いってくれました。 少しょ年うねんが、がけの上うえにあるという、一軒けん家やをたずねていったのであります。それが、自じぶ分んの職しょ業くぎょうであるうえは、たとえ一軒けんといっても捨すててしまうわけにはいきませんでした。小ちいさな門もんがあって、開あけると、二、三人にんの子こど供もが花かだ壇んのところで、遊あそんでいました。南みなみの海うみから吹ふく風かぜが暖あたたかなせいか、もう、ヒヤシンスが咲さき、すいせんや、フリージアなどが咲さいていました。 ﹁だれかきた。﹂と、一ひと人りの子こど供もが、いいました。 ﹁いま、先せん生せいは、お留る守すですよ。﹂と、他たの子こど供もが、少しょ年うねんを見みていいました。 ﹁薬くす売りうりですが、お留る守すですか。﹂と、少しょ年うねんは、いって、恍こう惚こつとして、かなたに輝かがやく青あおい海うみをながめたのです。 ﹁カナリヤにやる、はこべを採とりにいらしたのだからすぐお帰かえりになるわ。﹂と、女おんなの子こがいいました。 ﹁いい景けし色きですね。﹂と、思おもわず口くちに出だして、薬くす売りうりの少しょ年うねんは、がけっ鼻ぱなの方ほうへ歩あるきました。 ﹁この家いえは、あぶないのだよ。先せん生せいは、変へん人じんだから、人ひとの住すまない家うちに住すんでいるのだ。﹂と、一ひと人りの子こど供もが、いいました。薬くす売りうりの少しょ年うねんは、おんばこを摘つんでいた少しょ女うじょが、いった言こと葉ばを思おもい出だしたのです。 ﹁どうして、変へん人じんなんですか？﹂ ﹁だって、がんこなんだもの、人ひとがあぶないといっても平へい気きでいるからさ。けれど、先せん生せいは、僕ぼくたち子こど供もだけはかわいがってくれるよ。﹂ ﹁いい人ひとではありませんか？﹂ ﹁それは、いい人ひとさ。けれど、大おお風かぜが吹ふいたり、地じし震んがあったりしたら、この家いえは、がけがくずれてひっくり返かえるかもしれん。そうすれば、僕ぼくたち安あん心しんして、本ほんを習ならうこともできないだろう。﹂と、子こど供もが、いいました。 薬くす売りうりの少しょ年うねんは、下したを見みるとはるかに波なみが岩いわに砕くだけ、日ひの光ひかりが射さして、美うつくしい虹にじを描えがいています。なるほど、がけの下したまで、土つちは削けずり落おとされて、五色しきに彩いろどられた潮しおの匂におう海うみが迫せまっていました。汽きせ船んがいくとみえて水すい平へい線せんに、一抹まつの煙けむりが上のぼり、沖おきの小こじ島まには、夜よるになると煌こう々こうとして光ひかりを放はなつ燈とう台だいが、白しろい塔とうのようにかすんでいます。 ﹁あれは、燈とう台だいですか？﹂ ﹁そうだよ、あの燈とう台だいの明あかりは、先せん生せいのお家うちの座ざし敷きへ入はいるのだよ。﹂ ﹁坊ぼっちゃんたちは、日にほ本んか海いの冬ふゆの海うみを知しらないでしょう。それは、すごいですよ。﹂と、薬くす売りうりの少しょ年うねんがいいました。 ﹁そうかい、そんなにすごいかい。けれど、台たい風ふうがくるのは、たいていあちらの南みなみの方ほうからだぜ。そのときは、大おおきな風かぜが吹ふいて、波なみも高たかいのだよ。﹂ ﹁なるほど、台たい風ふうがきますね。﹂ 少しょ年うねんは、沖おきの方ほうを見みて、茫ぼう然ぜんとしていますと、そこへ、先せん生せいが片かた手てにはこべを持もって、門もんを開あけて入はいってきました。 ﹁おまえは？﹂ 先せん生せいは、けげんな顔かおをして、少しょ年うねんの前まえに立たちました。 ﹁私わたしは、薬くす売りうりですが、この後のちごひいきにしていただこうと上あがりました。﹂と、少しょ年うねんは頭あたまを下さげました。 ﹁ここには、病びょ気うきにかかる人ひとはいないよ。﹂と、先せん生せいはそっけなくいって断ことわりました。 ﹁でも、万まん一ということがあります。どうか一ひと袋ふくろ置おかしていただきます。﹂と、少しょ年うねんはもう一度ど頭あたまを下さげました。 ﹁薬くすりなど置おいていかれると、病びょ気うきを引ひき起おこすようなものだ。いらないからさっさと帰かえってくれ。﹂と、先せん生せいは少しょ年うねんをしかりつけるようにいいました。薬くす売りうりの少しょ年うねんは、なるほどがんこな人ひとだと思おもいました。そして、こういう人ひとは、話はなし相あい手てもなく独ひとりぼっちでいて、どんなに寂さびしかろうと想そう像ぞうされたので、 ﹁お一ひと人りでいらしって、お心ここ細ろぼそいことはありませんか。﹂と、少しょ年うねんは、いったのでした。 ﹁なんの、さびしいことがあるものか。人ひとの声こえを聞ききたいと思おもえばラジオがあるし、カナリヤは、一日にちじゅうこの窓まどでさえずっているし、ここは、前まえが海うみだから、台たい湾わん、上シャ海ンハイ、ハワイ、どこのラジオも手てに取とるように入はいってくるのだ。﹂と、先せん生せいは、海うな原ばらを見みやって、誇ほこらしげに語かたったのです。 ﹁ハワイからのラジオも聞きこえますか？﹂ ﹁夜よるの十時じごろには、手てに取とるようによく聞きこえる。﹂ 先せん生せいは、はこべをカナリヤにやろうとして窓まどのところへ近ちかづきました。 ﹁あ、カナリヤの足あしから血ちが出でていますよ。﹂と、薬くす売りうりの少しょ年うねんは、おどろいて、叫さけびました。 ﹁ねずみか、からすにやられたとみえる。このあたりに、悪わるいからすがいるからな。﹂ 先せん生せいは、案あん外がいカナリヤの痛いた々いたしい傷きずを見みても平へい気きでした。 ﹁かわいそうに。﹂ 少しょ年うねんは、こういって、荷にも物つの中なかから、傷きず薬ぐすりを取とり出だしました。 ﹁おい、薬くすりなんかいらないよ。﹂ ﹁いえ、お代だいをいただくのではありません。ちょっとこれをつけてやってください。﹂ 少しょ年うねんが、白しろい塗ぬり薬ぐすりを出だすと、 ﹁おまえは、なかなか感かん心しんだ。﹂と、先せん生せいは、機きげ嫌んがよかったのです。少しょ年うねんが、ここから去さろうとすると、 ﹁お薬くす屋りやさん、また来らい年ねんくるの？﹂と、子こど供もたちは、少しょ年うねんを取とりまいてききました。 ﹁あの、桃ももの木きのある家いえへまいりますよ。﹂ ﹁あ、重じゅうちゃんの家いえだ。﹂ 子こど供もたちは、なんと思おもったか、喜よろこんで、手てをたたきました。 ﹁もしきたら、ここへもお寄より。﹂と、先せん生せいが、いいました。 ﹁みんなが、あぶないといいますから、早はやくこの家うちをお移うつしなさい。﹂と、少しょ年うねんがいうと、 ﹁はっ、はっ。﹂と、先せん生せいが、笑わらいました。