上
光こう一は、かぶとむしを捕とろうと思おもって、長ながいさおを持もって、神じん社じゃの境けい内だいにある、かしわの木きの下したへいってみました。けれど、もうだれか捕とってしまったのか、それとも、どこへか飛とんでいっていないのか、ただ大おおきなすずめばちだけが二、三びき前ぜん後ごを警けい戒かいしながら、幹みきから流ながれ出でる汁しるへ止とまろうとしていました。しかたなく、鳥とり居いのところまでもどってきて、ぼんやりとして立たっていると、せみの声こえがうるさいほど、雨あめの降ふるように頭あたまの上うえからきこえてくるのでした。そのとき、勇ゆうちゃんが、あちらから駆かけてきました。 ﹁なにをしているのだい?﹂ ﹁なんにもしていない。﹂ 光こう一は、さびしく思おもっていたところで、お友ともだちをばうれしそうに迎むかえたのです。 勇ゆう吉きちは、並ならんで鳥とり居いによりかかるとすぐに、問もん題だいを出だして、 ﹁長ながい足あしで歩あるいて、平ひらたい足あしで泳およいで、体からだを曲まげて後あとずさりするもの、なあんだ……。﹂と、光こう一に向むかってききました。 ﹁考かんがえもの?﹂ ﹁うううん、光こうちゃんの知しっているものだよ。﹂と、勇ゆう吉きちは笑わらいました。 ﹁なんだろうな。﹂ 光こう一は、しきりに考かんがえていました。 かぶとむしではないし……。 ﹁ああ、わかった。ばっただろう?﹂と、大おおきな声こえで答こたえました。 勇ゆう吉きちは、ちょっと目めを光ひからして、頭あたまをかしげたが、 ﹁ちがうよ、ばったは、泳およぎはしないよ。﹂と、朗ほがらかに、笑わらったのです。 ﹁僕ぼく、わからないから教おしえて。﹂ とうとう、光こう一は、降こう参さんしました。 ﹁えびさ。きょう僕ぼく、学がっ校こうで理り料かの時じか間んにならったんだよ。光こうちゃんもえびはよく知しっているだろう。けれど、そう聞きくと不ふ思し議ぎと思おもわない? 僕ぼく、えびをおもしろいと思おもったんだ。かぶとむしなんかより、えびのほうがずっとおもしろいと思おもったんだよ。あした、川かわへびんどを持もっていって、小ちいさなえびを捕とってきて、びんの中なかへ入いれてながめるのだ。﹂と、勇ゆう吉きちは、おもしろいことを発はっ見けんしたように、いいました。 学がっ校こうでは、一年ねん上うえの勇ゆう吉きちのいうことが、なんとなく光こう一にまことらしく聞きこえて、珍めずらしいものに感かんじられました。自じぶ分んも来らい年ねんになれば、やはり理り科かで同おなじところを習ならうのだろう、そうしたら、かぶとむしよりもえびがおもしろくなり、えびよりはもっとおもしろいものがあることに気きづくかもしれないと思おもいました。すると、急きゅうにこの大おおきな自しぜ然んが、貴とうとい、美うつくしい、輝かがやく御ごて殿んのごとく目めの中なかに映うつったのです。 ﹁光こうちゃん、僕ぼく、えびをとってきたら、どんなびんの中なかへ入いれると思おもう? 僕ぼくすてきなことを発はつ明めいしたんだよ。君きみわからないだろう。﹂と、勇ゆう吉きちは、いいました。まったく、そんなことが、光こう一にわかろうはずがありませんでした。 むしろ、いろいろなことを知しっている勇ゆう吉きちをうらやましそうに、光こう一は、だまって見みつめていたのです。 ﹁君きみ、水すい族ぞく館かんで、お魚さかながガラスの箱はこの中なかを、泳およぐのを見みたろう? 水みず草くさを分わけて、ひらりひらりと尾おを揺ゆるがしたり、また、すうい、すういと小ちいさなあわを口くちから出だして。僕ぼく、あんなのを造つくるんだよ。﹂ ﹁勇ゆうちゃん、どうして、造つくるの?﹂ ﹁入いれ物ものかい? 教おしえてあげようか、僕ぼくの家うちへおいでよ。﹂ 勇ゆう吉きちが、先さきになって、光こう一は、後あとからついて、人ひと通どおりの少すくない、白しろく乾かわいた真まひ昼るの往おう来らいを駆かけていきました。 ﹁僕ぼくも、兄にいさんからきいたので、まだ実じっ験けんしてみないのだから、うまくできるか、どうかわからないのだ。ここに、待まっておいで。﹂ 勇ゆう吉きちは、家うちへ入はいって、アルコールと、ひもと、マッチを持もってきました。 ﹁お母かあさんが、昼ひる寝ねをなさっていて、見みつからなくてよかった。﹂ 彼かれは、見みつかればしかられるということをほのめかしたのでした。それから、物もの置おきの戸とを開あけて、中なかから、空からの一升しょうびんを取とり出だしました。また、バケツに水みずをいっぱい入いれて、そばに備そなえておきました。 ﹁どうするの?﹂と、光こう一は、ききました。 ﹁このガラスのびんをうまく切きるのさ。そうすれば、いい入いれ物ものができるだろう……。﹂と、勇ゆう吉きちは、大おおきなびんをながめて、その中なかへ水みず草くさを入いれ、赤あかべんたんや、えびを泳およがせるおもしろみを、いまから目めを細ほそくして、空くう想そうせずにいられませんでした。 ﹁うまく、二つに切きれる?﹂と、光こう一が、疑うたがっている間まに、勇ゆう吉きちは、ひもをアルコールに浸ひたして、びんの胴どうへ巻まきました。そして、マッチをすって、それへ火ひをつけると、見みえるか見みえぬ幽かすかな青あお白じろい炎ほのおが、ひもの上うえから燃もえはじめました。いいかげんの時じぶ分んに、急きゅうにバケツの水みずへびんをつけると、ピン! と音おとがして、ひもを巻まいたところから、びんは、真まっ二ぷたつにきれいに分わかれたのです。 ﹁おお。﹂といって、光こう一は、もちろん、それをやった勇ゆう吉きちまでが、思おもわず感かん歎たんして、声こえを放はなったのであります。光こう一は自じぶ分んを忘わすれて、持もっているさおを地じめ面んへ倒たおしたのでありました。中
﹁きょう、勇ゆうちゃんはびんどを持もって川かわへえびを取とりにいくといったが、僕ぼくもいっしょにゆこうかな。けれど、だいぶ空そらが暗くらくなって、雨あめが降ふりそうだ。﹂ 光こう一は、学がっ校こうの帰かえりに考かんがえながら、原はらっぱを歩あるいてきました。空そらを見みていた目めを地じめ面んへ移うつすと、なんだろう? 黒くろ光びかりのする、とげとげしたものが、ゆく先さきの草くさの上うえに落おちているのでした。 ﹁虫むしかしらん?﹂ 光こう一は、すぐに、それが生いきもののように感かんじました。なんだか気き味みの悪わるいものです。しかし動うごきません。用よう心じん深ぶかく、目めをこらして近ちかづくと、長ながい足あしがあって、二つの目めが光ひかっています。かぶとむしではない、むかででもない、えびのようであるが……まだ見みたことのない虫むしとしか思おもわれませんでした。 ﹁なんだろうな?﹂と、彼かれは、もっと近ちかづいてよく見みると、長ながいひげがあって、それはまちがいなく、えびでありました。 ﹁えびだ、大おおきなえびだ!﹂ 不ふ思し議ぎでたまりません。こんな草くさの上うえに落おちているのに、いま水みずの中なかから、はね出だしたばかりのように、黒くろ色いろの甲こうらがぬれているなどであります。彼かれは、ちょっと、それを拾ひろい上あげるのにためらいました。が、えびであることがわかると、しぜんに勇ゆう気きが出でて、手てに取とり上あげたのです。 なるほど、勇ゆうちゃんのいったように、長ながい足あしと平ひらたい足あしとがあって、どこも傷きずがついていませんでした。 水みずの中なかへ入いれたら、生いき返かえるかもしれぬと、光こう一は思おもったので、なるべく強つよく握にぎらないようにして、急いそいだのでありました。 ﹁どうして、こんなところに、えびがあったんだろうな。﹂ 考かんがえれば、考かんがえるほど、不ふ思し議ぎでなりませんでした。それから、このえびをどうしたらいいかということにも迷まよったのでした。家うちへ帰かえって、すぐ水みずに入いれてみよう、そして、生いきたら飼かっておこう、もし生いき返かえらなかったら、そうだ、標ひょ本うほんにしようか? だが、もっと気きにかかるのは、悪わるい病びょ気うきのはやる時じぶ分んに、こんなものを拾ひろって帰かえると、きっとお父とうさんもお母かあさんも、やかましくいって、しかることでした。だから、家うちの人ひとたちの目めにつかないところに置おかなければならない。 光こう一は、頭あたまに、いろんなことを考かんがえながら、原はらっぱの真まん中なかに、立たち止どまって、えびを鼻はな先さきへぶらさげて匂においをかいでみました。まだ、海うみを泳およいでいた時じぶ分んの、磯いその香かが残のこっていました。 ﹁きっと、生いき返かえるかもしれない。﹂ 彼かれは、かばんから、半はん紙しを出だして、えびを包つつみました。そして、急いそぎました。家うちへ着つくと、洗せん面めん器きに塩しお水みずを造つくって、入いれてみたのです。けれど、やはり、えびは動うごきませんでした。彼かれは、ともかく、この、えびを勇ゆうちゃんに見みせようと思おもって、また紙かみに包つつんで、生いけ垣がきの間あいだへ隠かくしました。 ﹁茶ちゃだなの上うえに、おやつがありますよ。﹂と、お母かあさんが、おっしゃいました。光こう一は、おやつも食たべないで、外そとへ飛とび出だしたのであります。 ﹁勇ゆうちゃんが見みたら、びっくりするだろうな。﹂と、歩あるきながら、ときどき、えびを紙かみから出だしてながめていました。 指ゆび先さきでつまんで、これが、水みずの中なかにいる時じぶ分んの姿すがたを想そう像ぞうして、空くう中ちゅうを泳およがしてみました。 お宮みやの前まえまでくると、ワン、ワンとけたたましい犬いぬのほえ声ごえがしました。 境けい内だいをのぞくと、昨きの日う、かぶとむしをさがした、かしわの木きの下したで、ペスが、しきりに地じめ面んを掘ほるように、つめで、かいて、騒さわいでいるのでした。 ﹁ペスや、なにしているんだい?﹂ 光こう一は、さっそく、犬いぬのそばへいってみました。へびでも見みつけたのかと思おもったのが、そうでなく小ちいさな穴あなに向むかってほえているのでした。 ﹁なあんだ。﹂といっていると、黒くろいものが穴あなの中なかから頭あたまを出だしたようです。 ﹁おや、なにか見みえたぞ。﹂ 光こう一は、棒ぼう切きれをきがして、穴あなをつついてみました。奥おくの方ほうに、小ちいさなしかの角つのの形かたちをしたものが、ちょっと見みえています。 ﹁やあ、かぶとの子こだ。こんなところに、かぶとむしの穴あながあるとは思おもわなかったなあ。ペス、おまえはおりこうだね。﹂と、光こう一は、喜よろこんでペスの頭あたまをなでてやりました。そして、えびをあちらの木きの根ねのところへ置おいてきて、いっしょうけんめいに、その穴あなの中なかからかぶとむしを掘ほり出だすのに、夢むち中ゅうになっていました。 やっと一ぴき捕つかまえると、まだいるだろうと、光こう一は、顔かおを赤あかくして、顔かおに汗あせを流ながしながら、穴あなを掘ほり返かえしていました。また、あちらで、﹁ワン、ワン。﹂と、ペスが、ほえました。顔かおを上あげると、驚おどろいたのです。ペスは、えびをくわえて、二、三度ど頭あたまを振ふったが、そのまま、あちらへ駆かけ出だしていきました。 ﹁ペス! それは、大だい事じなんだよ。﹂といって、光こう一は、後あとを追おいかけたけれど、だめでした。もう、姿すがたは見みえなくなってしまいました。 学がっ校こうの運うん動どう場じょうで、遊あそんでいるとき、勇ゆう吉きちがそばへきましたから、 ﹁勇ゆうちゃん、川かわへ魚さかなを捕とりにいったの。﹂と、光こう一は、ききました。 ﹁雷かみなりが鳴なり出だしたろう、雨あめが降ふるといけないからいかなかった。それで、晩ばんに縁えん日にちへいって、金きんめだかを買かってきたのさ。﹂ ﹁あのびんに入いれた?﹂ ﹁入いれたよ、こんど川かわへいって、藻もを取とってくるのだ。﹂ 光こう一は、えびを拾ひろった話はなしをしました。 ﹁えっ、あの原はらっぱでかい。﹂と、勇ゆう吉きちは、さも信しんじられないというような、顔かおつきをしたのです。 ﹁うそでない、草くさの上うえに落おちていたんだよ。﹂ 光こう一は、それ以いじ上ょう、ほんとうだと信しんじさせるようにいえないことを、至しご極く残ざん念ねんに思おもいました。 ﹁魚さか屋なやさんかしらん。しかし、あんな原はらっぱを通とおるはずがないだろう。また、ねこがさらってきたなら、食たべてしまうし。そのえびは、どっか、傷きずがついていたかい。﹂と、勇ゆう吉きちが、ききました。 ﹁一本ぽんも足あしがとれていなかった。まだ生いきているように、黒くろ光びかりがしていた。﹂ ﹁そして、足あしが、動うごいていた?﹂ ﹁じっとしていた。僕ぼく、家うちへ帰かえって、すぐに塩しお水みずに入いれてみたけれど、死しんでいたよ。﹂と、光こう一は、いいました。 ﹁そいつは、おかしいね。それで、そのえびどうしたの。﹂と、勇ゆう吉きちは、そんなこと、あり得えないことだといわぬばかりに、問といました。 ﹁僕ぼく、勇ゆうちゃんに、見みせようと思おもって、持もっていったのだよ。途とち中ゅうで、かぶとむしを見みつけたので、つかまえていると、ペスがくわえて、逃にげてしまったんだ。﹂と、光こう一は、考かんがえても残ざん念ねんそうに、答こたえました。 ﹁なあんだ――。﹂と、勇ゆう吉きちは、両りょ手うてを頭あたまの上うえにのせて、しばらく考かんがえていたが、 ﹁ああ、光こうちゃん、わかった。君きみは、夢ゆめを見みたんだ! きっと、光こうちゃんは、夢ゆめを見みて、それをほんとうにあったことと思おもっているんだ。第だい一、海うみにいるえびが、原はらっぱへくるわけがないさ。それでなければ、お化ばけだ!﹂ 勇ゆう吉きちは、太たい陽ようがきらきらする、森もりの方ほうを見あ上げて、笑わらいました。白しろい雲くもが、帆ほのように、青あおい空そらを走はしっていきました。 ﹁えっ、お化ばけ? なんでお化ばけであるもんか……。﹂と、光こう一は、力りきんで、いいはったが、自じぶ分んながら、昨きの日うのことを考かんがえると、まったく夢ゆめのような気きがしてならなかったのです。下
日にち曜ようの午ごぜ前んでした。空そらは、曇くもっていました。どうしたことか、このごろは、晴はれたり、降ふったりして、おかしな天てん気きがつづくのでした。光こう一は、友ともだちが遊あそんでいないかと思おもって、赤あか土つちの原はらっぱへくると、あちらに黒くろく人ひとが集あつまって、なにか見みています。ちょうどえびが落おちていたあたりでした。
﹁なにを見みているのだろうか。﹂と、彼かれは、走はしっていきました。そこには、自じて転んし車ゃを止とめた職しょ人くにんふうの男おとこもいれば、小こぞ僧うさんもいました。また小ちいさな女おんなの子こもいました。けれど、自じぶ分んの知しった顔かおは、一ひと人りもなかったのです。光こう一は、なんだかさびしい気きがしたが、みんなの中なかへ入はいってみると、おじいさんが草くさの上うえへ店みせを開ひらいていました。一つのバケツには、かにや、かめの子こが入はいっていました。のぞくと、むずむずと重かさなり合あったり、ぶつぶつとあわを吹ふいています。他たの一つのバケツには、それこそ奇きみ妙ょうなものが入はいっていました。真まっ黒くろい色いろをして、かぶとむしくらいで、頭あたまが大おおきく、尾おの短みじかい、魚さかなに似にて魚さかなでないものでした。この奇きみ妙ょうなものは、バケツの中なかで、たがいに押おしくらまんじゅうをして、バケツのまわりに頭あたまをつけています。
﹁おじいさん、こんな大おおきなおたまがあるものかね?﹂と、職しょ人くにんふうの男おとこがきいていました。
﹁こいつのすんでいる池いけは、そうたくさんはありません。これは遠えん方ぽうから送おくられてきたんですよ。夜よるになると鳴なきます。﹂
﹁どういって?﹂
﹁ボーオ、ボーオといって、鳴なきます。﹂と、おじいさんが答こたえました。
﹁鳴なくって、ボーオ、ボーオと、こいつがかい?﹂
今こん度どは、鳥とり打うち帽ぼうをかぶった小こぞ僧うさんが、きいて、たまげていました。
﹁まるで、自じど動うし車ゃの笛ふえみたいだな。﹂と、職しょ人くにんふうの男おとこは、笑わらいました。
﹁なに、薬やく品ひんでも飲のまして、おたまを大おおきくしたんだろう。﹂と、小こぞ僧うさんが、おじいさんのいったことを真まに受うけなかったようです。
小ちいさな女おんなの子こは、大おと人なたちの間あいだから、おかっぱ頭あたまを出だして、バケツを見みながら、
﹁これ、なまずの子こでないこと。﹂といっていました。
﹁いくら、なまずの頭あたまが大おおきいって、こんな大おおきいのはない。やはり、これはおたまだ。おたまにちがいねえが、おじいさん、食しょ用くようがえるは鳴なくというが、これは、その子こでないのかね。﹂と、職しょ人くにんふうの男おとこは、いったのでした。
おじいさんは、きせるに煙たば草こをつめて、マッチで火ひをつけて吸すいながら、それには、答こたえないで、
﹁なにしろ珍めずらしいもんでさあ。坊ぼっちゃんたちは、かにや、かめの子こには、飽あきましてね。﹂と、おじいさんはいったのです。
光こう一は、早はやくお家うちへ帰かえって、お母かあさんにお金かねをもらってこようと思おもいました。
﹁このおたまだけは、どうしても買かわなければならないものだ。﹂と、心こころの中なかで、叫さけびました。おじいさんは、一ぴき五銭せんで売うるのだけれど、きょうは特とく別べつに三銭せんに負まけておくといいました。彼かれは、このあいだお父とうさんから、お小こづ使かいをもらったのを大だい事じにしておけばよかったと後こう悔かいしたのです。バッチンをしたり、花はな火びを買かったりして、みんな使つかってしまったのでした。どういって、お母かあさんに、ねだったらいいだろうかと考かんがえながら、飛とんで帰かえりました。お母かあさんの顔かおを見みると、
﹁ねえ、お母かあさん、鳴なくおたまってありますか?﹂
いきなり光こう一は、質しつ問もんを発はっしました。ふいに、こんな質しつ問もんをされたので、お母かあさんは、
﹁さあ、鳴なくおたまじゃくしなんて、まだ、きいたことがありませんね。﹂と、つい話はなしにつりこまれて、なんでこんなことをいったのか知しらずに、おっしゃいました。
﹁それが、お母かあさんあるんですよ。日ひが暮くれると、ボーオ、ボーオって、鳴なくというのです。﹂
光こう一は、自じぶ分んも驚おどろいたといわぬばかりに、目めをまるくして、お母かあさんの顔かおを見みました。
﹁なんか、きっとほかのものでしょう、かじかではないんですか。﹂
﹁色いろが真まっ黒くろで、頭あたまが大おおきくて、尾おがちょっぴりついているんです。それは、かわいいのですよ。﹂光こう一は、いいました。
﹁まあ、気き味みの悪わるいこと、おたまじゃくしのお化ばけみたいなのね。﹂と、お母かあさんは、かわいいどころか、ぞっとするように、おっしゃいました。
﹁一ぴき三銭せんに負まけておくって、ねえ、買かってよ。﹂
光こう一は、お母かあさんが珍めずらしいといってくださらなかったので、おおいに当あてがはずれたのです。
﹁どこへ、そんなものを売うりにきたんですか、家うちへ持もってこられると困こまりますね。﹂
﹁ちっともこわくなんかないんだよ。ただ、鳴なくおたまなんだもの。﹂
彼かれは、無む理りにも、お母かあさんに承しょ知うちしていただいて、お金かねをもらわなければなりませんでした。それで、家いえの内うちをお母かあさんの後あとについて歩あるきました。そして、やっと三びき買かうほどのお金かねをいただいたとき、彼かれは、どんなにうれしかったかしれない。だが、運うんが悪わるく雨あめが降ふり出だしてきました。
﹁困こまったなあ、おじいさんは、どっかへいってしまうだろうな。﹂と、光こう一は、気きをもんでいたのであります。
﹁この雨あめの中なかを、いつまで原はらっぱにいられるものですか。﹂と、お母かあさんは、おかしそうにおっしゃいましたが、あまり光こう一が落らく胆たんするので、後あとでかわいそうになって、
﹁じきに、この雨あめは上あがりますよ。﹂と、やさしく、いたわるように、いわれました。しかし、お昼ひるのご飯はんを食たべてしまっても、まだ雨あめはやみそうもありませんでした。もうおじいさんは、とっくに、どこへかいってしまったものとあきらめなければならなかったのです。
晩ばん方がたになって、やっと雨あめが晴はれて、空そらが明あかるくなりました。ちょうど、その時じぶ分んでした。
﹁おたまがきた!﹂と叫さけんで、どこかの子こが、家いえの前まえを走はしってゆきました。光こう一は、はっとして、耳みみを澄すましました。
﹁あの、おじいさんがきたのだ!﹂
彼かれは、すぐに家うちから飛とび出だしました。そして、子こど供もの走はしっていった方ほう角がくを見みましたが、なんらそれらしい人ひと影かげもありません。あちらの煙えん突とつのいただきに、青あお空ぞらが出でて、その下したのぬれて光ひかる道みちを人ひと々びとが、いきいきとした顔かおつきをして往ゆくのでした。
﹁おたまは、どこへきたんだろうな。﹂と、光こう一はしばらく往おう来らいに立たっていました。そこへ、お湯ゆから上あがって、顔かおへ白おし粉ろいを真まっ白しろにつけたかね子こさんが、長ながいたもとの着きも物のをひらひらさして、横よこ道みちから、出でてきました。
﹁光こう一さん、晩ばんにチンドン屋やの行ぎょ列うれつがあってよ。﹂と、知しらせました。
﹁どこに?﹂
﹁青あお物もの市いち場ばの前まえに、もうじきはじまるわ。﹂
かね子こさんは、それを見みにいくらしいのです。光こう一は、市いち場ばの方ほうを見みると、チン、チン、ジャン、ジャン、という音おとがきこえてくるような気きがしました。おたまのことは、忘わすれられないけれど、つい、自じぶ分んもかね子こさんといっしょにチンドン屋やの行ぎょ列うれつを見みる気きになって、道みちのくぼみの水みずたまりを避さけながら、二ふた人りは、町まちの方ほうへ向むかって歩あるいたのでした。
くる! くる! くる! いろんなようすをしたチンドン屋やが……旗はたを立たて、黒くろい山やま高たか帽ぼうをかぶってくるもの、兵へい隊たい帽ぼう子しにゴム長ながをはいてくるもの、赤あかい頭ずき巾んをかぶって、行あん燈どんをしょってくるもの、燕えん尾びふ服くを着きて、鉦かねと太たい鼓こをたたいてくるもの……。
先さきのが、かぶとむし、つぎは、さいかち、そのつぎは、えび、そのつぎが、ボーオ、ボーオと鳴なくおたま、……光こう一の目めには、みんな虫むしになって見みえたのであります。
もう、両りょ側うがわの店みせには、燈あか火りがついて、大おお空ぞらは、紫むら水さき晶すいしょうのように暗くらくなっていました。
光こう一は、かね子こさんに、昼ひる間ま見みたおたまの話はなしをすると、
﹁そんな、おたまなんかないわ。﹂と、かね子こさんは、すげなくいいました。
﹁あの、おじいさんから、おたまを買かっていたらなあ。﹂と、光こう一は、残ざん念ねんでなりません。
﹁かね子こさんさえ信しんじないのだから、きょうのことを勇ゆうちゃんに話はなしたら、勇ゆうちゃんも、きっと、そんなおたまはないというだろう。そして、光こうちゃんは、またみょうな夢ゆめを見みたといって笑わらうだろう……。﹂
そう考かんがえると、光こう一は、頼たよりなく、さびしかったのでした。そして、この世よの中なかには、自じぶ分んにだけ信しんじられて、他たの人ひとには、どうしてもわからない、不ふ思し議ぎなことがあるものだということを、彼かれは、しみじみと感かんじたのでありました。