日本歴史の研究に於ける科学的態度

津田左右吉






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 歴史の学問的研究の方法についてこのように考えて来ると、ここにぜひともいい添えておかねばならぬことがある。この論稿のはじめに科学的研究という語を史学の学問的方法による研究という意義に解するといったが、特に科学という語の用いられていることについては、別に注意すべき点があるからである。
 科学という語が用いられると、何となく自然科学が思い出される傾向があるが、もし歴史の研究の方法もしくは態度が自然科学のそれと同じであるように考えられるならば、それは大なる誤である。勿論、自然科学に対して文化科学とか精神科学とかいうような語が作られているのでも知られる如く、科学が自然科学のみをさすものでないことは、普通に知られているであろうが、同じく科学と呼ばれるために、研究の対象は違っていてもその方法は同じであるように、ともすれば思われがちなのが一般のありさまではなかろうか。対象が違えばそれを取扱う方法もそれにつれて違わねばならず、史学の対象は自然界の事物とは違って情意あり思慮ある人の生活であるところにその特殊性がある。かつて歴史科学という語が一時或る方面で流行したことがあるが、この語を用いた人々の歴史の取扱いかたは、よしそれが自然科学者の自然界の取扱いかたと同じではなかったにせよ、史学の研究法としては適切でないところが多かったようである。それを今ここでならべあげるつもりはないが、例えば上代史を考えるについても、記紀の記載をそのままに、あるいはそれに恣な解釈を加えて、上代の普通にいう、歴史的事実を記録したものと見なし、それによって何らかの見解を立てることが行われていたようである。が、もしそうならば、これは記紀の記載を史料と見てその史料の批判をすることを忘れたものである。こういう態度は、実は、史学の研究の方法の明かにせられなかった時代の過去の学者、もしくはかの固陋な主張をもっていたものの態度と同じであり、畢竟ひっきょうそれをうけついだものに外ならぬ。違うところはただ、別に社会組織経済機構の歴史的変遷についての一種の思想的規準をもっていて、それにあてはめて上代史を解釈しようとした点にあるのみである。そうしてその点に、考えかたとしては、自然科学のそれから導かれたところのある側面もあるように見うけられた。
 そこで、歴史の科学的研究という語を用いるならばその研究について、次のことを注意しておきたいと思う。歴史は国民の生活の過程であり、国民の生活は過去に作り出して来た、あるいは過去によって与えられた状態のうちにありながら、現在の生活の要求によってそれを変化させ、未来に向って新しい状態を作り出してゆくものであり、そこに国民の意欲と志向とがはたらくのであるから、歴史の研究は過去の生活の展開の必然的な径路を明かにするのみならず、その径路そのものにおいて、この自由な志向と、どうしてそれが生じたかの由来と、どうそれがはたらいて来たかの情勢とを、究めることが必要であるということ(ここに昔からむつかしい問題とせられた自由と必然との交渉がある)、――一国民の生活には歴史の養って来たその国民の特殊性のあること、――この特殊性とても歴史的に絶えず変化して来たものでありまた変化してゆくべきものであって、そこに生活の意義があるが、特殊性がありまたそれの生ずるのを否認すべきではないということ、――歴史の研究の任務は生活の進展の一般的な、人類に普遍な、法則を見出そうとするところにあるのではなくして、国民の具体的な生活のすがたとその進展の情勢とを具体的なままに把握し、歴史としてそれを構成するところにあるということ、従ってその研究の道程においても、何らかの一般的な法則や公式やを仮定してそれを或る国民の生活にあてはめるというような方法をとるべきでないということ(古典の記載を無批判に承認しながら、それにこういう公式を結びつけるのは、二重の錯誤を犯すものである)、――生活の進展に人類一般の普遍的な径路があることを必ずしも、否認しようとするのではなく、またそういうことを研究するいろいろの学問、例えば人類一般を通じての考古学なり経済学なり民俗学なり宗教学なり神話学なりの成立を疑うのでもなく、却ってこれまで研究せられたこれらの学問の業績が、例えば日本のにおけるが如く、或る特殊の国民の生活の状態を考えるに当って大なるはたらきをすることを主張しようとするのではあるが、それらの業績は現在においてはなお不完全なものであり偏するところの多いものであるから、それを用いるには用いる方法があるべきことを知らねばならぬということ、――人の生活には多方面がありそれらが互にはたらきあって一つの生活をなすものであるから、そのうちの一、二をとって基礎的のものとし他はそれから派生したものと考えるのは僻見であるということ、――過去の史学者の深く注意しなかった社会史・経済史の研究が行われるようになったのは、もとより喜ぶべきことであり、それによって人の生活に一層深き理解が与えられ歴史に新面目が開かれることを承認すべきではあるが、それだけで歴史の全体もしくは真相が明かになるのではないということ、――歴史の科学的研究という語には誤解が伴いやすいから、これだけのこともいっておくのである。もしこの語を用いることによって史学の本質に背き歴史研究の学問的方法に背くような考えかたが流行するようにでもなるならば、過去の学者によって日本人の生活とその歴史とに誤った解釈が加えられたのと、解釈そのものは違いながら、同じような結果とならぬにも限るまい。のみならず、学者の態度によっては、その世間一般に及ぼす影響において、かの固陋な放恣な主張の宣伝せられたのと、似たようなことが起らぬとはいいかねるかも知れぬ。





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷
底本の親本:「世界 三」
   1946(昭和21)年3月
初出:「世界 三」
   1946(昭和21)年3月
入力:坂本真一
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
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