古川ロッパ昭和日記

昭和十二年

古川緑波




昭和十二年一月



一月一日(金曜)

 調使宿
 


一月二日(土曜)

 宿宿宿
 


一月三日(日曜)

 宿宿70宿


一月四日(月曜)

 宿


一月五日(火曜)

 


一月六日(水曜)

 昨夜どろんけんの三時にねて今朝がビクターの招待でアラスカだ。午前十時に招待なんて凡そ野暮なこと、いやんなる。食事あんまりうまくなかった。座へ出る、又満員、ギッシリ来てゐる。昼が終ると、アラスカへ又行く。オルドヴルとビスマルクスティークってのを食った。ビクター本社の奥村から電話で、徳山は京都も休ませるからとのこと、おや/\仕方がない。久富・小林の二人を、出演させることゝした。夜、無論大満員である。名古屋にも此んなに人がゐるかと思ふ位だ。「昇給」の受け方は又ベラボーで、セリフは笑はないが動きを百パーセント喜ぶ傾向あり。ハネて石田・大庭・土屋を連れて山まんへ牛肉食ひに行く。宿へ帰って麻雀二荘。


一月七日(木曜)

 鹿調宿
 


一月八日(金曜)

 宿宿
 


一月九日(土曜)

 宿50宿


一月十日(日曜)

 
 宿


一月十一日(月曜)

 10020宿


一月十二日(火曜)

 宿
 


一月十三日(水曜)

 宿調宿
 


一月十四日(木曜)

 



一月十五日(金曜)

 宿
 


一月十六日(土曜)

 宿


一月十七日(日曜)

 宿


一月十八日(月曜)

 使


一月十九日(火曜)

 宿


一月二十日(水曜)

 
 


一月二十一日(木曜)

 
 鹿
 宿宿


一月二十二日(金曜)

  


一月二十三日(土曜)

 それから又よくねたもので十時半迄。轟美津子から電話で起され、出てみると、「今度姫宮接子さんが入るって新聞に出てましたけどほんとですか」と、何を言ってる、又女の子同士のくだらもない個人感情だ、「馬鹿」と叱りつけて切る。一時から小劇場本読み。小林重四郎が新加入してゐる、日活から引抜いちまったらしい。ハリキってゐた。三益だけ三十分以上遅刻、「こんな風におくれないやうに」と皆に言ってやる。本読みの終る頃、聖路加病院へ徳山を見舞に行く。先づ元気。痔で岡もこゝへ入院、ついでに見舞。不二アイスで食事して、五時からビクター本社で「嘘クラブ」の本読み。さてこれから毎日急しいことである。それが嬉しいが。石田・堀井・大庭とで浅草へ。江川劇場のロクロー中根の「笑ふ弥次喜多」を見て、みや古へ行く。


一月二十四日(日曜)

 


一月二十五日(月曜)

 


一月二十六日(火曜)

 


一月二十七日(水曜)

 
 


一月二十八日(木曜)

 綿


一月二十九日(金曜)

 使


一月三十日(土曜)

 


一月三十一日(日曜)

 





二月一日(月曜)

 宿


二月二日(火曜)

 


二月三日(水曜)

 鹿西


二月四日(木曜)

 宿西1
 


二月五日(金曜)

 退鹿


二月六日(土曜)

 鹿使


二月七日(日曜)

 1
 


二月八日(月曜)

 十時半起き。二時に家を出て浅草へ。浅草は奥山へ復帰するといふ説の研究、東久雄をつかまへて、各館の景気をきくと、正に僕の説の通り、ゲスなもの程成功してゐる、不二洋子の剣劇第一、五九郎五一郎合同第二、笑の王国、エノケンの順である。笑の王国の大辻の淀君といふ愚劇をのぞいて、慨嘆して中西でカツレツとオムライス食って座へ。月曜だが補助出切りの大満員。「楽天」よく受ける。「見世物」は、受けはするが、も一つ物足りない。PCLの英・伊達・清川・高尾来訪、みんな一景の素通りに出して、ハネ後、1番へ案内し、大いに食ふ。十五円であがるんだから安い。


二月九日(火曜)

 


二月十日(水曜)

 六時頃キリ/\と胃が痛み出した。昨夜銀座で食った鯖のすしに中毒ったと思はれる、金の薬をのみ、ラキサトールをのみ、アダリンをのむ、少々吐瀉した。懐炉を沢山入れて、時々便所に起きたが、二時迄ねた。起きるともう治ってゐる。食事はパンにした。「ハリキリボーイ」のシナリオ一読、原作本位でまことによろし。座は、大入満員。ギッシリ詰ると、自然よく受ける。「楽天」の時、しみ/″\腹が空いて来て、「朝から何も食べてない」なんてセリフが実感が出る。消え物のパンをむしゃ/\食った。うまかった。ハネると、今日見物の母上をカティで待合せ、一緒に帰る。今日の方が三日目あたりよりづっと面白い由、短縮したせいであらう。帰って、夜食。もう腹は大丈夫らしい。


二月十一日(木曜)

 


二月十二日(金曜)

 西


二月十三日(土曜)

 便


二月十四日(日曜)

 便


二月十五日(月曜)

 


二月十六日(火曜)

 


二月十七日(水曜)

 


二月十八日(木曜)

 鹿


二月十九日(金曜)

 
 


二月二十日(土曜)

 十一時起き、パン食、一時半に、公会堂へ行く。新喜劇まつりも挨拶程度ならよからうといふことになり、出演することゝした。作者連の芝居珍景百出、可笑しくてよかった。僕はヴァラエティのトリで、之がすむとホテルのグリルでフィレソール食って座へ。鏡台前にいろ/\置くものを揃へたりして機嫌がいゝ。日日の記者から電話で、「今、お宅の芝居を、千駄ヶ谷の歌右衛門が見物してるさうですがほんとですか」と言はれて早速調べさせたら、補助椅子に座って見てゐるといふので、みんなハリキった。而も歌右衛門は、「見世物」の終り頃迄、あの不自由な身体で補助におさまって見物し、帰りに「ロッパによろしく」と言って帰った由。感激ものである。夜も、公会堂へかけつけ、七分ばかりやって引返す。ハネ頃菊田が礼を持って来たが、何とたった三十円、新喜劇の名で、儲け仕事をし、エラクこっちを馬鹿にした金をよこしたから之は返す気だ。


二月二十一日(日曜)

 


二月二十二日(月曜)

 50


二月二十三日(火曜)

 50


二月二十四日(水曜)

 九時起き、PCL迄、又これから此の長丁場を毎日自動車で通ふかと思ふとうんざりだ。着いたのが十時半すぎ。キャメラテスト。次に録音テスト。これでもう今日は役済みだ。二時から試写室で「嘘クラブ」の試写。わりに面白かった。夢声の老けが印象に残る。それから森岩雄と一緒に東京へ出る。ホテルのニューグリルで、オルドヴル、オニグラ、フィレソール。座へ出たのは五時。今日の入りは、昨日程ではないが空席は無し。労れてるのか何うも気乗りがしない、客も食ひついて来ない。ハネが十時十分頃。すぐ家へ帰る。床の中で柳への手紙を書き、三百円封入する、明日道子が見舞に行く。


二月二十五日(木曜)

 10


二月二十六日(金曜)

 今日はPCLもないので十一時迄ゆっくりねる。四時家を出て、日劇事務所へ、専務は東横へアトラクションに出したいと言ってる由、支配人宛に、そんな馬鹿な、堂々の陣を張ってる我一座を小さくするのか、絶対ことはると言ふ手紙置いて来た。樋口と蛇の目ですしをつまみ、リズムでソーダ水のんで座へ出る。いろんな物貰ひが来て、此ういふ時は柳がゐないとつく/″\困る。入りは大入。「荒神山」の一景で安濃徳が「あゝそれなのに/\」って近頃の流行歌を入れてみたら受けた。高助が見物してゐた。まっすぐ帰る。


二月二十七日(土曜)

 PCLで又プレスコあり、正午開始。先づハリキリボーイの歌を四通り、カットカットして入れる。之が済んで、あと一カット能勢と食ひ合ふところがあるのに能勢来らず、くさって待つ。能勢漸く来る、怒る。四時二十分といふ危い時間迄、キチ/\にやり、PCLの送りで座へ出る。夕食は、支那飯一皿っきり。座は、土曜ではあるが、ワッといふ入りではない、やっぱり月末である。前の東宝はオールスターキャストで、今日の初日が六分の入りだった由。珍しや小笠原明峰久々来訪、芝居を見て行く。此ういふものなら書けさうだ、勉強すると言ってゐた。ハネ後、小林重四郎や馬楽などゝルパンでのみ、小林にいろ/\意見したらしい。


二月二十八日(日曜)

 
 使





三月一日(月曜)

 


三月二日(火曜)

 50稿
 


三月三日(水曜)

 八時起き、砧村へ。野川君の家のセット第三日。ライトってものゝ不自由さにはつく/″\驚く。昼前六七カット。待ちの間、「モダン日本」への一人トーキー「あゝそれなのに」と題をつけて二十枚書き上げた。雨になって、便所へ行くのも一々ビショ/\濡れてしまふ。夕食の後、試写室で第一日に撮った分のラッシュを見る。素顔でも大丈夫である。夜のセットはます/\ダレる。三益のカットが続いたのでその間に又「映画の友」へ六枚ばかり書いた。呼ばれてワンカット、又休んで又呼ばれ――つひにクタ/\とつかれた、終りが何と午前四時十分。


三月四日(木曜)

 


三月五日(金曜)

使


三月六日(土曜)

 八時起き、PCLへ。おでん屋親爺役の林寛が来ない、昨夜から帰らず、速達を見てゐないらしいとのこと、しょうがない、白川を代役で撮る。午前中、こんなことでワンカット。昼休みに日日新聞へ三回分書いた。午後は、わりに能率が上り、とん/\行った。夕刻終ったので入浴、のう/\した気持。浅草へ。常盤座で東と会ふ、渡辺篤は笑の王国でドンと五百円ばかり給料を下げられた由。生駒・山野とみや古へ寄り、江川で旗挙した高屋朗を呼んで激励する。それから銀座へ。藤山の兄貴、加納と会ふ。加納もホラ吹きで、「月五千円かせぎます」なんて言ふんでいかん。


三月七日(日曜)

 


三月八日(月曜)

 


三月九日(火曜)

 今日も早い。八時半起き、PCL。午前中二三カット。昼休みに、森氏のとこへ行き、「人妻読本」のプランを話すと、早速菊池寛氏に話して、秋の大作にするから、僕に脚色して呉れと言ふ。食堂で、まづいシチューを食ひ、又ダラ/″\と撮影を続ける。今夜はおそくなると覚悟する。身体を気をつけ、よく含嗽し、メンソラを用ゐる。夜食後、又数カット、つく/″\撮影って奴はやり切れないな。十二時半迄休んで又始まるといふのでダレてゐたら突如今夜は中止となり、すぐ入浴して帰る。


三月十日(水曜)

 姿


三月十一日(木曜)

 もう/\孫子の代まで映画撮影は止めだ、とブーブー言ってたが、一時間ばかりねると気分が直った。PCL食堂ではかない朝食をして、九時半頃から残りのWCの二カットをやる。十一時近く帰宅す。少し休むと十二時半、約束の報知記者来る、アッサリ事実を話し、道子と並んだ写真を撮られ、帰る。夕刊に出るらしい。それからビクターへ。朝日の記者来り、報知夕刊の第二版に出たのを見せて話をきかせろと言ふ。五時近くから「酔へば大将」の吹込み、トン/\とうまく入った。それから浅草へ出て、山野・高屋・泉・只野他大庭・石田等みや古で大いにのみ食ひ、心祝ひのつもりで金をやる。


三月十二日(金曜)

 映画を撮り出してからは、今日が何日だか何曜だかサッパリ分らない。殊に昨日の如き徹夜などがあると、ます/\ぼやけてしまふ、いゝ心持ではない。十一時に起きる、上山から電話、今日のロケは中止、夜もないとのことでやれ/\と思ふ。中野実を訪問、五月のために一本書き卸しをして貰ふことに約束した。僕は一旦別れて、千疋屋でPCLの荻原と阪田英一に逢ふ。そこで又中野と一緒になり、エスキーモでライスカレー食って、橘のとこへ麻雀しに行く。中野・橘・友田・僕で十二時迄ぶっ通す。久々で機嫌のいゝ麻雀だった。結局三千勝った。帰宅。一向中野も橘もニュースを知らないらしいので、反って何となく弱った。


三月十三日(土曜)

 十一時起き「主婦之友」の記者が来るといふので、新婚の記ってなことの注文だらうと思って待ってたら、その方は知らないらしく、宝塚女生徒の座談会の司会をたのむ話だった。上山から電話で今日昼のロケはなし、夜もなし、と定り先づ安心。日劇四階へ、専務のとこへ行く、落成した東宝文芸ビルの移転通知に「日劇ステージショウ及各劇国けい古場」と印刷してあったが、各劇団なんて書かずに、東宝劇団とか古川緑波一座とかして呉れと申し入れる。文芸ビルの僕の方の事務所へ寄り、二十一日放送の菊田の「歌ふ水戸黄門」一読、菊田らしさ横溢のもの。四時、東劇へ新国劇見物。道子さんざ待たせたので怒る。劇の感想は別に。十一時帰宅。


三月十四日(日曜)

 
 


三月十五日(月曜)

 


三月十六日(火曜)

 午前十時頃家を出て、目黒平町のロケ。二三カット撮ると又曇って来て、お流れとなる。全く、誰に当りやうもない憤懣である。三益より秘密にとの旨で、実は彼女妊娠で、八月あたりは休まねばなるまいからそのつもりでお考へをと、川口からよろしくとの話、さうか、それはめでたいと言ふ。今夜は徹夜らしいから、目黒から家へ帰ると床とってねる。呼出しの電話が来ないので、伊藤松雄氏を訪問し、久々で十時まで話し込む。それでもまだ電話がない、大体十二時位からかゝれるだらうとの話なので、PCLへ向った。セットがペンキぬり立てゞ今乾かしてる最中だとある。ねるにねられず、近くの麻雀クラブへ行く。


三月十七日(水曜)

 西 鹿  鹿


三月十八日(木曜)

 姿


三月十九日(金曜)

 


三月二十日(土曜)

 
 稿


三月二十一日(日曜)

 


三月二十二日(月曜)

 昨夜オープンセットの始まったのが十一時すぎ。大西と武田、両書生何れへか逐電したと見え、姿を見せず、何うも俺のとこへは此ういふのが居つかない、あんまり怒るせいか。ゐなくても一向さしつかへなし。オープンは銀座裏、七八カット。夜を徹して、五時すぎに終了。帰宅。十時からセットという話だが、どうせ又おくれると見て、ねる。果して十二時頃電話でPCLへ行く。今日はキャバレの最後の日で、水着の女にとりかこまれて野川・前田両君満悦といふシーンである。菊田が来たので五月のプランを立てるが、うまい考へが浮ばないので困る。三カット撮り、アガり、藤原と銀座へ出て、支那グリルで夕食。


三月二十三日(火曜)

 宿
 


三月二十四日(水曜)

 


三月二十五日(木曜)

 


三月二十六日(金曜)

 辛さも辛し、睡眠時間二時間。九時半に起きて、母上・道子と青山の竜岩寺へ、悪坊主の住職のお経、かなり長くてヘタる。寺の本堂の寒さも大したものブル/″\である。今日は父上の十三年、祖母祖父上の年忌も兼ねた法事である。終って浜町の浜のやへ行く。会する者十一人。わりにうまかった。芋の摺ったのを、鯉の形にしたのが受けた。それから、太平ビルへ二時半、最後のロケーション。エレベーターのとこワンカット撮る。これであとアフレコのみ。のう/\した気持。四時日劇四階へ。一座の者皆集め、今日はPCLからの手当を配る。皆々喜ぶ。不二アイスで軽い食事をなし、釜足やリキーと仕事話で夜を更かす。PCLの金にて、古川緑波一座の積立金がいさゝか出来た。


三月二十七日(土曜)

 


三月二十八日(日曜)

 


三月二十九日(月曜)

 


三月三十日(火曜)

 50西西


三月三十一日(水曜)

 
 





四月一日(木曜)

 
 


四月二日(金曜)

 稿


四月三日(土曜)

 宿


四月四日(日曜)

 宿


四月五日(月曜)

 
姿


四月六日(火曜)

 
 


四月七日(水曜)

 姿
 


四月八日(木曜)

 上段の寝台は辛い、落ちさうな不安と、足がつかへるのと――九時新橋で下りて家へ帰り、入浴食事。今日から日劇のけい古、二時より文ビル二階で「見世物」と「金色」、新しいものでないからハリキれない。夕刻終り、一寸麻雀クラブでやる、労れてるところへ御苦労な話で、これでかなり肩がはる。八時、柳橋の白菊て家へ、PCLの滝村と逢ふ。五月に堤・大川を借りることのOKをとり、「東京読本」の話をすると、又映画にしたいとハリキってゐた。尚、僕プランの菊池物「日本女性読本」の一エピソードに、ぜひ出演して貰ひたいとの話、考へとくことにする。藤山一郎と兄をそこへ呼び、五月の話。大分ウイをのんじまった。


四月九日(金曜)

 


四月十日(土曜)

 今日は一日「見世物王国」の撮影につかまった。九時起き、撮影開始は十時すぎ。午前中二セット。此処、千歳村の東洋発声の撮影所の食堂は又ひどい。はかなきオムレツとやきめしなど食ふ。「見世物王国」の奇術師は、扮装ヒゲの、毛をまん中から分けの、「さらば青春」の先生の型で、東北弁でやる。丁度調子やってゐるから、エラい声が出て、不可思議なものになったらう。今日一日でアガった。撮影の合間に、次の撮影「女性読本」の本を読み、直す。いやはや急しいことである。


四月十一日(日曜)

 
 


四月十二日(月曜)

 
 調
 


四月十三日(火曜)

 


四月十四日(水曜)

 
 


四月十五日(木曜)

  
 


四月十六日(金曜)

 
 
  便
  
  


四月十七日(土曜)

 


四月十八日(日曜)

 


四月十九日(月曜)

 今日はゆっくり十一時起き。逃げ出した大西が謝まりに来た。昨日あたりから腹具合がいけない。日劇へ出る。月曜だから少し落ちるかと思ってたが、とてもいゝ入りである。受け方も物凄い。「東京読本」のプリントが出来て来た。五月の三益の進退定まらず、今日は川口来り色々心配してゐたが、何うもハッキリしない。一回終り、リズムの紅茶とトーストのみ、それであんまり腹が減らないのだから何うかしてゐる。夜の部も満員。明日で終りだ、此の興行も先づ大成功であった。ハネてすぐ帰り、明日早いので早寝である。


四月二十日(火曜)

 
 調


四月二十一日(水曜)


 


四月二十二日(木曜)

 


四月二十三日(金曜)

 眠ること五時間ばかり、四時すぎに家を出て、又撮影所へ行く。喫茶店で数カット。これは早く終って、八時半。大谷俊夫を誘って、ホテルのグリルへ。今晩が有楽座の撮影で徹夜だから、うんと食っとこうと、オニグラに、フィレソール、ミニツステーキに、アイスクリーム、ペストリーにコーヒー。有楽座へ行くと、もう用意出来てゐて、先づ楽屋口のところを二三カット。それから楽屋で休んじゃあワンカット、又休んじゃあワンカット。江村弥左衛門の所謂旧式な体操といふの、うんと考へて、メチャクチャなのをやる。夜はあけかゝってゐる。然し、まだ/″\何カットもある。


四月二十四日(土曜)

 50


四月二十五日(日曜)

 便


四月二十六日(月曜)

 殿


四月二十七日(火曜)

 


四月二十八日(水曜)

 九時起き。日比谷のロケーション、一休みして下高井戸の駅の踏切のところを撮る、引越の荷車を引っぱるところで、群衆が多ぜいたかって、それを追ふのにヤー/\言ってゐる、その中にさらしものになってゐる辛さ――いやな商売だ。五時半、アフレコを残して僕のとこ全部アガリ。PCLへ寄り、ラッシュを見る、有楽座の夜間のきれいなこと、体操の珍景には自ら腹を抱えた。夕食する暇もない、昼は下高井戸のそばやで二十銭の親子丼。文ビルへ引返すと、「東京読本」五・九景を一時間宛かゝってまとめる。十時半から「研辰」を立つ。セリフ三百近く、まだ一つも入ってゐない。心配である。一時半帰宅。やれ/\よくぞ働きます。


四月二十九日(木曜)

 九時半に起きる、服部さんと柳が来て、八日の東京会館の招待状を書くのをやって呉れる。十二時半けい古場、「東京読本」を一景からラスト迄立った。音楽効果とまって、これは大丈夫いゝものになる自信がついた。一休みすると、六時から「研辰」一と通り立ったが、どうも原作の方が数倍面白かったやうだ。菊田はお伽芝居の作者だ。九時から杉寛の肝入りで、長年逢ひたいと思ってゐた松旭斉天勝を招いて、浜町の浜のやへ。芸談色々、全く幻滅なし。立派な天勝であった。夜の更くるも忘れ、語り、語った。


四月三十日(金曜)

 
 





五月一日(土曜)

 有楽座初日。
 舞台稽古でヘト/\になって帰ると、十時からグッスリねて、四時迄。セリフまるでやってないので恐ろしいやうだったが、白紙状態で家を出る。六時開演。大入札が出た。「東京読本」の時間になる。大成功であった。狙ひ誤たず的中といふ感じ、菊田など、僕の今迄のもので一ばんいゝと絶讃してゐる。音楽効果も極めてよかったし、先づ大ヒットである。之が終って「研辰」は、てんでセリフが入ってないといふのに、一俳優に返ったので、演技は自分でも驚く程のハリキリ方で、セリフのないとこも大いに動いた。エノケンが出たり金語楼になったり、ダレもせずに、十一時十分に閉演。こいつは大出来。残って、ねむいのにダメを出し、一時までかゝって又、セリフなどやり直してやる程のハリキリ方。一時半帰宅。くたびれた、全く。


五月二日(日曜)

 


五月三日(月曜)

 


五月四日(火曜)

 今日はPCLのアフレコ。通ひ馴れた砧への道、新緑である。試写室で、「日本女性読本」の僕の分のを見せて貰った。気も利いてゐるし、大丈夫だと思ふ。一緒に見てゐたフランク徳永が、エミル・ヤニングスそっくりだから、「ラストラブ」をやってみろなどゝ言ふ。アフレコは、一時間余りで終った。これで「女性読本」オールチョンである。座へ出ると、今日は三田新聞の貸切り、然し、いつもの貸切と違って、インテリなので、やりにくゝなし。「研辰」は、いけやせん。中野実来り、お祝ひだ/″\と、藤山・石田等を一緒に赤坂へ。話に話がつゞいて、何と四時迄。


五月五日(水曜)

 


五月六日(木曜)

 今日は母上のお誕生日である。二時半に母上と日劇へ。エノケンの「江戸ッ児健ちゃん」を見た。エノケンより、中村正常の娘メイコなる少女の巧まざる演技(?)には涙の出るほど感激した。ニューグランドに寄り、ポタアジュ、コールドラブスター、スパゲティと、ローストビーフにヨークシャイヤプディングとアイスクリーム。そこで母上と別れて座へ出る。よく入ってゐる。「東京読本」の受け方物凄い、七景で道川の犬を、今日は蹴とばしたらワッと大受けだったが、あとで可哀さうになって困った。「研辰」いよ/\救ひがたし、異例であるが明日けい古し直しと発表する。ハネ後、田中三郎が酔って来り、ルパンへ、林文三郎にも逢った。


五月七日(金曜)

 今日けい古し直し、一時に文ビルへ。台本のカットをして、群衆の個所をすっかりやり直した。これでよくなると思ふ。六月二十五日間宝塚、七月も二十日間、京都・名古屋と旅をさせられることになり、がっかりする。座へ行くと、もう満員である。気持がいゝ。「東京読本」よろし。「研辰」もカットが利いて、やってゐて楽になって来た。ハネ後、滝村と逢ひ、酒ものまずに、撮影の話。又、六月一日だけ来てくれなんて話が出た、これはもう本気でことはる。今日もおそくなった。


五月八日(土曜)

 退
 


五月九日(日曜)

 十時半起き、昨日の労れが抜けてゐない、ところへ今日はマチネーだ、やれ/\。昼の部の客は甘かったが、よく受けた。一回終ると、山水楼へ、宝塚から萩原が出て来たので、打ち合せをする。料理は、まづかった。宝塚の狂言は、二に大番頭、三にヴァラエティ、四に金色と定め、三のヴァラは徳山・堀井で構成し、一の三十分物一つを僕が書かうとハリキる。座へ戻って夜の部。むろん、はち切れさうな満員、どーどーっと、実によく受ける。「研辰」も、まあ/\見られる程度にはなったらしい。まっすぐ帰宅。


五月十日(月曜)

 姿


五月十一日(火曜)

 退100


五月十二日(水曜)

 


五月十三日(木曜)

 調退


五月十四日(金曜)

 


五月十五日(土曜)

 鹿


五月十六日(日曜)

 


五月十七日(月曜)

 十一時起き、主婦之友の婦人記者が待ってゐる、「えびで鯛を釣った話」をしてくれと言ふ、そんな経験なしと言っても中々帰らぬ、考へとくからそっちも別の題考へろと言って帰す。伊藤松雄訪問、いろ/\喋舌る。夕刻辞して、名物食堂で鯛と卵子をつまみ、座へ出る。補助出切りの満員である。「研辰」、読売の評に曰く「こんな低調なものを緑波は満足してやってゐるのか」これだからいやんなる。ハネ後、内田岐三雄を中心に、菊田・穂積に友田・松村等、支那グリル一番に集り、ウイのみつゝ論じる。内田は流石に適切な評をする。穂積の不勉強をうんと叱ってやった。


五月十八日(火曜)

 昨夜ものみすぎである、いかん。十二時すぎに出て、日比谷映画劇場へ。活動も久々で、「セールムの娘」と「麗人遁送曲」共に、つまらないのだが、たのしめた。帝国ホテルグリルで、夕食、道子と共に。オニグラにフィレソール、珍しくカレーライス。座へ出て、宝塚のプロに出す作文を書く。今日も大入り満員、「東京読本」の当りである。新聞評はあんまりよくないのだが、確かにこれ一本の力である。京・名の出しものも「東京読本」「かごや大納言」と決定、手配にかゝる。「ロッパ節」について藤山と打合せ。歌ひながら又のんじまった。


五月十九日(水曜)

 


五月二十日(木曜)

 


五月二十一日(金曜)

 十時半起き。昨夜は暑くて肌ぬぎでねた。一時に、佐々木邦氏の家へ約束なので行く。続ガラマサどんのざっと略筋だけきかして貰ふ、面白くなるもの。川島の脚色が不安である。二時頃辞し、日劇へ行くと、折柄の雨なのに朝日新聞社の前に一杯の人だかり、神風が亜欧飛行完成して帰って来るといふので熱狂してゐる。気になって僕も暫く立ってゐた。神風無事着の報をきいて安心して、日劇コンサートといふアトラクションと、(これがバカな金をかけてゐる、シャクにさはる。)PCLの「日本女性読本」を見物する。むろん僕のとこが一番よかった。独乙人のリマー・ヘニッヒ牧師と知り合ひになる。座へ出ると今日も大満員なり。いくらか涼しくなり大助かり。


五月二十二日(土曜)

 十時半起き、今日は寒い位涼しい。新協劇団が築地でやってゐるので行く。築地小劇場、入りは百人足らず。それでも一生けんめよくやる。クリフォード・オデット作「醒めて歌へ」四場である。役者が皆うまいのに感心した。終って不二アイスへ寄り、トマトクリーム、ローストビーフに、ワフルを食ひ、又日劇へ寄って「日本女性読本」を見る。映画も出来上ると又やりたくなる。座へ出る。づーっと大入満員の続き。中野実来り「坊ちゃん重役」を呉れた。「東京読本」で廻り舞台が二三度こはれて大さわぎ。まっすぐ帰宅、「中央演劇」に随筆六枚書き、山本安英の「素顔」読み出したら眠れなくなり、大いに苦しむ。


五月二十三日(日曜)

 宿


五月二十四日(月曜)

 十時半起き、雨である。伊藤松雄訪問。病気好きの彼、今回はおヘソのまはりが神経痛だと言ふ。二時にビクターへ行く。細田作曲の「アンマリソング」のけい古である。わりにいゝ。上山雅輔の詞である。徳山が「週刊朝日」に出たゴシップで青くなって怒ってゐる、大手飛車といふ匿名だが明かに伊藤松雄である。小林千代子が又何かでクサって泣いてるので二人を誘ってニューグランドへ。丁度藤山も来合せて食事する。座へ出ると、今日も大満員、佐々木邦氏の顔が見えた。母上・道子も見物。「東京読本」も、そろ/\あきて来た、「研辰」は言ふも更なり。


五月二十五日(火曜)

 


五月二十六日(水曜)

 
 


五月二十七日(木曜)

 十時すぎ起き、絨たんの礼に吉岡・秦に会はうと出かける。日劇へ行くと秦はゐたが、吉岡新社長は大阪。で、秦のところで少時話す。夕食は名物食堂のすしで簡単にすませる。座へ出ると、菊田が三日夜放送用の「日本女性読本」の台本書けたと持って来た。又イージゴーイングに書きなぐったなと思ひつゝ読んでみると、何うして面白い。やっぱり今の作家中では彼である。今日も大入満員、昨日にひきかへ、何をしてもワッワと受ける。


五月二十八日(金曜)

 十一時起き、一時すぎに文ビルへ。一足違ひで、約束しといた新妻莞にスッポカしを食はし、一日気になった。二時より、「大番頭小番頭」の立ちけい古、肝腎の高尾が撮影で来られず、気が抜ける。川島が今度の本にアンダスタンディングを入れてゐるのに、その遊びを知らないらしいので、教へるのに骨を折った。久しぶりでアンダスタンディングをやってみて面白かった。四時から「金色」の立ち。放送局から佐藤が来り、菊田の本が、放送まかりならぬとなった由、もう機嫌とれませんと怒っちまった。菊田が結局又新に書く。徳山とホテルで食事し、座へ入る、大入満員である。とても受けるが、こっちが労れて来た。ハネて見物してた道子同道帰宅。


五月二十九日(土曜)

 


五月三十日(日曜)

 
 退


五月三十一日(月曜)

 宿





六月一日(火曜)

 使


六月二日(水曜)

 


六月三日(木曜)

 


六月四日(金曜)

 七時半までねた。食堂へ。ハムエグス、コンフレーク、トースト。大ぜいだから何のかのと言ってるうちに大阪着。阪急バスで宝塚南口まで、早いのに驚く。川万へ落ちつき、入浴して、揉ませる。けい古始まるので座へ。「大番」終り「金色」にかゝると楽士がゐない、これで一揉め、菊田が荒れるなどあり、次に電気屋が無礼な口をきいたと言って僕も怒る。徳山がライオン歯磨の会へ出るので「海のカーニバル」の時はゐなくなり、等々といふうち十一時近く、めでたく終った。大阪の暑さも夕方からは涼しくなった。麻雀卓持参の旅だ。いざござんなれと始めたのが十一時半、三荘やって、白々と明くる四時に終り、労れてねた。


六月五日(土曜)

 
 


六月六日(日曜)

 


六月七日(月曜)

 姿西


六月八日(火曜)

 西宿


六月九日(水曜)

 


六月十日(木曜)

 宿


六月十一日(金曜)

 宿
 


六月十二日(土曜)

 十時半に起きて「舞踊新潮」同人佐藤邦夫の肝いりで、座談会があるので、大阪へ出かける。新大阪ホテルのパーラー。集まった連中ちっとも喋らず、つまらないから、大阪劇場のアメリカンショウてのを見ようと僕から言ひ出し、皆で千日前へ。アメリカンショウてもの、ひどい上海もので、婆が踊るなど悲劇なりし。アラスカへ寄り、食事。宝塚へ帰る。入りは土曜だから一杯にはなってゐる。何だか熱っぽい。宿へ帰って計ってみると七度六分ある。あはてゝアスピリンのみ、アダリンのんで十一時半床へ入る。今日御影の嘉納親分楽屋へ来り、明後日あたり御馳走すると言ふ。やれはや。


六月十三日(日曜)

 宿


六月十四日(月曜)

 宿


六月十五日(火曜)

 十一時近くまでねた。宝塚ホテルの理髪室へ行き、それから大阪へ出る。南の竹川旅館へ寄り、おかみさんと一時間余話した。夕食は北の本みやけで、ヘット焼。宝塚へ帰る。道子より手紙で家は至極無事の由、安心。入りは今日も六分強。熱が七度二分あり、やっぱり風邪らしい。「大番頭」も「金色」も手に入りすぎてもうあきた感じ。宿へ帰ると徳山夫妻が来てゝ一緒に食事。又すきやきで参っちまった。志村道夫菓子持参、このところ菓子成金。又、麻雀、二回でやめた。


六月十六日(水曜)

 宿


六月十七日(木曜)

 宿
 


六月十八日(金曜)

 よくねて十時すぎ起き、久富・能勢、梅田で徳山と待ち合せて、四人で新大阪ホテルへ。ビクターの岡から誘はれたので。行くと、クロークで未だ出先からお帰りにならぬと言ふ。四十何分待って腹を立てゝ食事を始めちまったところへ、実は帳場の間違ひで部屋にゐて岡は待ってるのだった。で会食。小林千代子の脱退はとんだナンセンスらしい、その話など。一人で宝塚へ帰る。宿で又麻雀し、座へ。「ガラマサどん」の扮装で三四種写真を撮る。今日の入りは稍々よく、七分弱位か。京都の高井来り、「かごや」の中止問題で一と揉めする。それから又麻雀。二時半まで。


六月十九日(土曜)

 九時に起きる、十時三十分の汽車で新加入の田村淑子(松竹から引き抜いた)が着くといふので文げい部揃って出かける。ところが何とハヤ時間表の見違ひで、十一時四十五分とある。いろ/\のことは上山に任せ、僕は、北の堂ビル前のかどのってうちへ「サンデー毎日」の花柳章太郎との対談会をしに行く。花柳が僕の芝居をよく見てるのには驚いた。大いに感じよき対談会。かどのは変った料理ばかりで、赤飯に赤だし、そのあとおしることいふ式。夜、座の入りは満員、補助出る。「大番」も「金色」も生き返ったやうに受ける。明日早いといふのに又麻雀二回。
 結局、「かごや」は松竹でいけないと言ふので、「歌ふ金色夜叉」をやらうといふことに決定した。これをトリに、前の三つは同じである。これはすべて東宝営業部の責任、帰ったら責任を問ふつもりだ。


六月二十日(日曜)

 


六月二十一日(月曜)

 宿


六月二十二日(火曜)

 宿宿


六月二十三日(水曜)

 宿宿
 
 便
 
 
 


六月二十四日(木曜)

 十二時までねる。今日はとりゐ屋の招待で一時半に宝塚ホテルへ集ることになってゐる。サントリーウイスキーのとりゐ屋主人が、一言ごあいさつを立ったのが、長いの何のって。これじゃあ、御馳走になっても何もならん。一つ東京で「ポンパン祭」をやらうとおだてたり、いゝ加減で切り上げて宿へ帰り、又麻雀を一つやり、座へ出る。入りは六分。何うもおとなしい客であんまり笑はないのでやりにくい。終って、加藤弘三が来り、石田・大庭と神戸へ出る。三ノ宮バー、こゝの二階の洋食中々よろし。ワニ/\といろんなものを食ひ、ウイをのむ。それからパラマウント・コロネーション他もう一つのバーを歩く、加藤弘三二十一才にすっかりアホられちまった。三時帰る。すぐねる。


六月二十五日(金曜)

 


六月二十六日(土曜)

 


六月二十七日(日曜)

 
 


六月二十八日(月曜)

 十二時起き、一座京都へ向ふ。新京阪で一時間かゝらず、電車中は、「前身しらべ」といふ遊び。今日発明したのだが、例へば、清川虹子の前身お櫃、轟がシャツのボタン、久富は安楽椅子なんて笑ってるうちに着いた。三条河原町の大文字屋へおさまる。むーッと暑いのと、蚊がいるのとで参った。片岡千恵蔵へ電話すると、待ってましたと、箕浦勝人と一緒にやって来た。麻雀――夕食は悲しきハムライス、又々続ける。同い年とはいゝながら、千恵蔵と僕はよく似てる。一寸勝つといゝ機嫌で、言ひたいこと言ふし、一寸負けて来ると、いやハヤとても機嫌が悪い。結局三時すぎ迄やった。


六月二十九日(火曜)

 宿
 


六月三十日(水曜)

 調





七月一日(木曜)

 
 


七月二日(金曜)

 調宿


七月三日(土曜)

 調


七月四日(日曜)

 宿宿


七月五日(月曜)

 


七月六日(火曜)

 使宿


七月七日(水曜)

 宿


七月八日(木曜)

 便使宿


七月九日(金曜)

 十二時起き、汗で後頭部に汗もが出来て気持わるし。大阪の竹川泊り居て、又麻雀となる。川島順平、「ガラマサ」の脚本持参、通読、あんまり感心しない。書き直すとこ二三景言っておく。麻雀してると、千恵蔵が乗り込んで来た。夕刻迄やる。座へ出る。大入満員で、どん/″\客を帰してゐる。「東京読本」はいゝが、「金色」となるともう倦きた、つく/″\。千恵蔵から小浜へ来てくれといふので竹川・伊東と道子も一緒で、小浜へ行き、日活の所長藤田も入って二組で、又夜の明ける迄麻雀。こっち方の勝ち。麻雀を、一と月と十日、よくもまあ、やったものである。さて、もう八月の脚本にかゝらねばならない、今日でやめて、さて仕事、と此うハッキリしなくてはいけない。


七月十日(土曜)

 
 宿


七月十一日(日曜)

 
 宿宿


七月十二日(月曜)

 宿


七月十三日(火曜)

 宿


七月十四日(水曜)

 宿宿


七月十五日(木曜)

 


七月十六日(金曜)

 鹿宿


七月十七日(土曜)

 宿


七月十八日(日曜)

 宿宿
 


七月十九日(月曜)

 宿使


七月二十日(火曜)

 
 
 


七月二十一日(水曜)

 


七月二十二日(木曜)

 



七月二十三日(金曜)

 十時起き、雑司ヶ谷の父上の墓参りに一人で行き、十二時に日比谷、文芸ビルへ。中々集まらないので本読みが十二時半になる。いきなりそれを怒り、それから本読みにかゝる。各々作者が読み、わりに早くアガったので、「彼女と男装」の読み合せをさせる。田村淑子が案外うまくないので心配、それに松浦杉子もうまくない。五時頃、ニューグランドへ、林、多和・伊東と行って、カレーライスなど食ひ、家へ揃って帰り、麻雀をやる。四荘やり、六千何百といふ勝。又今宵も暑いぞと思ふとがっかり。


七月二十四日(土曜)

 昨夜は水枕したせいかあんまり苦しまずに眠れた。九時までねる。十時半、文ビルへ。皆時間通りに集まってゐるので嬉しかった。「彼女と男装」を十二時までかゝって一と通り立ってみる。二景が中々むづかしさうだ。「ガラマサ」にかゝる、アチャラカで味がないが、まあ/\やれる。渋谷正代が昨日から顔を出さないので困る。「弥次喜多」は読み合せだけやる、自信なし。今日月給出た。珍しく徳山がニューグランドを奢るといふので行き、ポタアジュ、スパゲティ、カレーライス。それから銀座の千山閣で、林・多和・堀井と麻雀、十二時近くまでやり、すきや橋ですしをつまみ、味気なく帰る。夏は面白いことなし。
 演出ってこと、面白いには面白いが、一ばん労れる仕事だと今日も思った。


七月二十五日(日曜)

 鹿使


七月二十六日(月曜)

 


七月二十七日(火曜)

 
 


七月二十八日(水曜)

 


七月二十九日(木曜)

 


七月三十日(金曜)

 調


七月三十一日(土曜)

 稿





八月一日(日曜)

 
 稿


八月二日(月曜)

 


八月三日(火曜)

 寿
 


八月四日(水曜)

 
 


八月五日(木曜)

 


八月六日(金曜)

 宿
 


八月七日(土曜)

 鹿
 


八月八日(日曜)

 
 


八月九日(月曜)

 


八月十日(火曜)

 


八月十一日(水曜)

 


八月十二日(木曜)

 十二時起き、銀座へ。三昧堂で、谷崎・永井荷風の新刊を発見、嬉しい、すぐ買ふ。三時、モナミの二階でPCL山本嘉次郎、矢倉茂雄と要談で逢ふ。文藝春秋社へ行き、菊池氏も居られたので、しばらく話す。これからは喜劇時代だ、脚本を選んでしっかりやることだ、と言はれる。先生の税金二万円以上とは驚いた。それから日劇へ行き、秦に逢ひ、九月に、波岡・澄川を借りたい旨話す、喜んで貸すと言ってゐた。食事金ずしでひらめ食ったのみ。座へ出ると、ワッと正月景気の大満員である。「ガラ」も「弥次喜多」もよう笑ふ。ハネてすぐ帰る。新刊書を枕もとに、蚊帳の中たのし。


八月十三日(金曜)

 誕生日 第三十五回。
 今日は誕生日である。母上・道子と榊叔母、日出子を誘ひ、新宿帝都座へ行く。「そんなの嫌ひ」と「恋山彦」を見る、結局松竹は現代物よく、日活は時代物がいゝらしい。出て日劇へ、PCLの「楽園の合唱」を見る、つまらん。僕の出てるとこも意味ない。それから皆で山水楼の冷房部屋で食事する、三円定食、まづい。座へ出る、大満員、ハネ後、牛込松ヶ枝へ。森・田中・川口・岡・徳川・那波・樋口・中野と皆揃ひ、ウイを乾杯。案外に「弥次喜多」が評判よし。徳川・川口と同車で帰る。午前四時近くねる。


八月十四日(土曜)

 


八月十五日(日曜)

 


八月十六日(月曜)

 


八月十七日(火曜)

 鹿


八月十八日(水曜)

 汗かきながら目をさます。暑くてしょがないから日比谷映画劇場へ行く。涼みの客で一杯である。「打倒すまで」といふ拳闘映画も面白い、昔なつかしいハリー・ケーリーが相当いゝ役で出てゐた。出て、柳に逢ひ渡辺篤が今朝調印仮契約した報告をきいた。やれ、これで芝居がらくになる。ホテルのグリルで那波支配人と会ひ、コールコンソメ、フィレソール、コールビーフ。座へ出る、満員だが、補助が少々スキあり、楽屋の来訪客えらく混雑、又アダヨが来り金とられる。能勢妙子、胃痙れんで休演、代役「出征」を花井、「弥次喜多」のお園を藤田にやらせる、二人ともよかった。フロリダキチンで夜食して帰り、一時前にねる。


八月十九日(木曜)

 使


八月二十日(金曜)

 


八月二十一日(土曜)

 十時半起き、道子鎌倉の姉のとこへ行くので、一緒に出て日比谷映画劇場へ、「ボビーの初舞台」てのを見る、ボーイ・ソプラノの何とか少年がとてもいゝ。それから東宝劇場のマチネーをのぞく。「メキシコの花」は宝塚で見た時より短くなってるが、前の方が面白かった。約束の芦原英了と逢って、ニューグランドで話す。シャンソニエの話、その他参考になる話をきいた。食事、ビールピカタ、スライスチキンサラダ。座へ出る、少し補助が残ってる満員。能勢妙子今日も休む。ハネてから有楽座主事岡崎を招き、松ヶ枝へ行き、冷房の室で、鶏を煮て冬の気分を――さうも行かないが。二時すぎ帰宅。


八月二十二日(日曜)

 日曜の朝といふに、新妻莞と山野一郎が早くから来て待っている。新妻は国際劇場への話、小林さんに話して堂々となら行くがと答える。山野は、PCLへ世話したので礼に来たのだが、又来月から先のことも考へてくれと、キリのない奴。座へ出る、大した入りで補助出切り。昼終り、徳山とニューグランドへ。ポタアジュ、ビルカツレツにカレーライス。今日は記録的暑さの由。夜の部も大満員。川口松太郎来り三益男子出生の報。先づめでたし。菊田漸く「丸の内オペラ」の緒についた、自信はある由、尤も常に自信ある奴故アテにならぬが。一時すぎ帰宅、道子帰った。


八月二十三日(月曜)

 


八月二十四日(火曜)

 


八月二十五日(水曜)

 


八月二十六日(木曜)

 


八月二十七日(金曜)

 暑い、今日も亦汗。新妻莞がねてる間に来て、国際劇場の返事を、せいてゐるので、兎に角小林さんとこへ行ってみようと、東電へ行く。大谷は借りに来っこないよ、緑波を借りれば左団次や吉右衛門を東宝に貸さなきゃならないから、といふ話。その足で新妻に逢ひ、その通り話して置く。一時からけい古。「丸の内オペラ」前半よく後半ダレさうだ。座は今日も九分の入り、二円が大分空いてる。ハネてから柳と渡辺篤に会ふため神楽坂へ行く。あついのにヤケで牛肉を食ひながら、十一月よりやらうと約す。渡辺・三益と二人ゐて呉れゝば全く助かる。二時すぎ帰宅。


八月二十八日(土曜)

 今日から文ビルで又けい古である。三時頃社長によばれて、社長室へ。新妻莞が例の話を持って吉岡のとこへ来て、ポンとハネつけられたといふ有様らしい。吉岡も新妻あたりの話に乗っちゃいかんよと笑って言ふ。そのついでに、社長に、秦にきいたが柳が役者のピンを行くらしいから注意しろと言はれた。気になるので、秦のとこへ行ってきくと、福田正夫といふ青年部の男が、柳に六・七月と五円十円とられ、今月も三十円よこせと言はれて困ってゐるとの投書があったとの話。こいつには悉くクサリ、大庭をハネ後、金兵衛へ連れて行き、何かよき方法はないかと語る。十二時半帰宅。


八月二十九日(日曜)

 鹿


八月三十日(月曜)

 二時半東配地下室の試写室で新人テストのフィルムを見て、文ビルへ行くと、柳が、いけない顔をして、あっしは今日から休ましていたゞきますと、一寸スゴム。昨夜僕に任せると言っておきながら、青年部その他に喋ったらしく皆が物々しく心配してゐる。しようのない奴だ。時間なので放送局へ。「非常時ガラマサどん」のテストを二回、七時すぎ、東日主催の「進軍の歌」発表会へ出る、そこで漫談を一席。放送局へ引返して「非常時ガラマサどん」八時半から一時間放送する。五六人連れて歩いたが、のむ気にならず、牛鍋を食って、二時頃帰宅。あゝつかれた。


八月三十一日(火曜)

 今日は嘉納健治の招待で山王ホテルへ十一時半に行く。座員から川島・菊田・井田までよばれる、人の顔を見るなり例の豪快談である。かなりこのおつきあひてものが骨が折れる。食事終っても親分の話は中々尽きず、二時すぎ迄つかまってしまひ、漸く解放されて文ビルへ。柳のこと気になるので、秦専務のところへ行く。秦曰く、君のいゝやうに任せる、善処されたし。で、柳をうちへ連れて帰り、ヤクザ気分を一切清算せよ、スゴんだり尻まくるのは一切通用しないと意見する。一々感じ入ったと、気が軽くなったやうに帰って行った。按摩とり、じっくり揉ませる。
[#改段]

昭和十二年九月



九月一日(水曜)

 


九月二日(木曜)

 


九月三日(金曜)

 
 


九月四日(土曜)

 
 


九月五日(日曜)

 宿


九月六日(月曜)

 塩入亀輔が出征するので、歓送のため早起き、十時にすきや橋際の小公園へ。堀内敬三の挨拶、徳山の発声で軍歌を歌ひ、それから市電一台買切ってねり歩くらしかったが、そこで失敬して橘弘一路のとこへ行き、友田をよび、穂積純太郎と、麻雀。火傷で右手が痛いが、ラストの清一色自摸入の満貫ですっかり気をよくした。座へ出ると、今日は先づ八分といふ入りだ。「丸の内オペラ」は結局菊田のセンチメンタリズム、中学生の程度、段々これはやりにくゝなりさう。ハネて、中野とルパンで落ち合ひ、のむ程に、喋る程に、夜は更ける。中野は夜中の散歩で残る。


九月七日(火曜)

 十時起き、東宝グリル。渡辺篤入社の件を松竹側からデマをとばされるといけないから記者に発表しちまはうと、打ち合はせる。五時、道子とニューグランドで夕食。座へ出ると、今日は八分強の入り。他はひどいらしいのに有がたいわけ。都の日色来り、渡辺のこと発表する。ハネ十一時一寸前にまで漸くこぎつけた。大辻が待ってゐて、話があると言ふ。どうも此奴とつきあふのは嫌だから丁度来た山野も誘ひ、金兵衛で酒なしで食ふ。大辻は、漫談に見切りをつけておしるこやを開業するさうである。情ないこと。山野にPCL入社したいからとたのまれる。昨日送った塩入亀輔は、今日帰されて来た由、ナーンだ。


九月八日(水曜)

 昨夜来、ひどく風が強い、蚊帳が顔へかぶさって眼がさめる。十一時半起き、入浴して、按摩をとる。高橋の姉の犬クーパーの伜一匹貰ひ、今日よりうちで生活す。ボビーと名づけた。エアデール・テリアである。風の強いのを受けつゝ読書。永井荷風の「墨東綺譚」。五時半座へ出る。入りはかなりいゝが満員ではない。「ガラ」よく受け「丸の内」ます/\気のりせず。ハネやっぱり十一時近し。玉村友明出征と定り訪れて来たので、銀座方々歩く。西田・大庭から、柳が血迷っていろ/\放言をしてることをきいてがっかりした。あいつもチブス以来たしかに頭が悪くなってゐる。


九月九日(木曜)

 十時半までねる。都の演芸面トップ四五段抜きで「天高くロッパ肥る」のみだしで、渡辺篤加入のことが出た。とてもよく書いて呉れてゐるので嬉しい。食後、ボビーと芝生に裸で転がる、いゝ運動だ。三時、雨が降る中を雑司ヶ谷へ道子と墓参りに行く。母上が先に行って居られ、雑司ヶ谷祖母上のとこへ。九日の集りで賑か。こゝで久々橋本の親子を食ひ、座へ。八分の入り。「ガラマサ」久々で快演、これだけハコに入ってゝも出来不出来はある。「丸の内」終って十一時十分前。山野・只野が来たので銀座裏の鳴門ってうちへ。安いのがよかった。一時すぎ帰宅。涼しい。


九月十日(金曜)

 


九月十一日(土曜)

 


九月十二日(日曜)

 


九月十三日(月曜)

 西


九月十四日(火曜)

 鹿


九月十五日(水曜)

 
 
 


九月十六日(木曜)

 涼しい、もう寒いって位に。よくねられる。林弘高が来訪、吉本がムーランから引きぬいて新喜劇座てのを作ったが解散になったから、引きとってくれといふ話、こっちも整理したいところだから、那波氏にでも話してくれと言ふ。一時に座へ出る。入りは昨日と同じ位、「丸の内オペラ」は、あんまり皆がふざけたので菊田が貼出しをした、「あまり馬劇にならぬやうに」と。高槻の車で帰る。雑司ヶ谷祖母上、近藤・榊叔母も見えて大賑か。珍しやまだ九時といふに二階で、「新青年」への七枚半を書き、「もめん随筆」を読了。


九月十七日(金曜)

 
 


九月十八日(土曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)
 


九月十九日(日曜)

 姿鹿


九月二十日(月曜)

 
 


九月二十一日(火曜)

 十一時起き、三時、山水楼で「現代」の座談会、石黒敬七との対談。相手が石黒じゃあ面白くはなるまいと思ってたが果して面白くない。山水楼のまづい支那物食って、六時に座へ入る。入りが、ガタッと落ちて六分強位になったのは驚いた。笑いが半減して、しまりがなくなる。心寒し。ハネるとすぐ下谷へ、川口松太郎と逢ふ。三益のことを、水谷・勘弥にひきくらべて川口曰く「乃公ぁあんまり口を出さない方がいゝんじゃあるまいかと思ふ」と。結局、三益・渡辺・僕と三人のものは自分で書きたいと思ふ。


九月二十二日(水曜)

 
 


九月二十三日(木曜)

 十時起き、新喜劇座の原秀子来訪、就職のことたのまれる、いゝ女優なのだが、今うちでは入れる余地なし。十一時、朝日新聞へ愛国献金席の十五日分のアガリ六百九十円を持参。座へ。マチネー。入り八分位。祭日の客だ。よく笑ふ。ヒルの終りに、石田守衛を連れてニューグランド。渡辺の加入でくさってゐるのをはげまし、勉強しろと言ふ。トマトポタアジュ、ラビオリ・ニコアス、松茸ソテーベーコン。座へ帰ると、夜も八分の入り、「ガラマサ」の時道具裏で高声放談、腹が立って芝居してゐられない位、大道具と照明部がベチャクチャやってゐたものゝ由。腹立てゝやってゐるので味も素っ気もない芝居になってしまふ。帰りには金兵衛に寄り一時頃帰宅。


九月二十四日(金曜)

 


九月二十五日(土曜)

 十時半起き、築地小劇場へ新協の「アンナカレニナ」を見に出かける。つまらなくて何のタシにもならないものだった。古典を映画的に、レヴィウ的に脚色したもので、手際の悪さにあいそが尽きる。座へ出ると、土曜だから――といふだけの入りにはなってゐる。月給が出る。払ひは、覚悟も出来てゐるが、貸して呉れの多いので貧乏しちまふ。十月は母上や道子と旅をしたいといふ気だが、いさゝか勝手元が心細い。何か一つ位仕事があるとよかったんだが、きれいな仕事てのが時節柄無かったので、みんな断はった。十一月狂言のことで毎晩は集まるが、結局のむので終っちまふ。


九月二十六日(日曜)

 


九月二十七日(月曜)

 昨夜アダリンのんでねたので、よくねて十二時。歯はおさまったが、やっぱり歯医者へ行かう。夕方雨の中を堀ビルの寺木ドクトルへ行くと、あひにく留守で代診、サリドン錠てふ薬を教へられたので安心する。座へ出ると、六分位しか入ってない。山野、金借りに来り二十円貸す――返しっこないが。原田耕造泣き言言ひに来る。横尾泥海男・関時男・斉藤紫香等ねがひたき顔で来る。いやはや、どれだけ金があると思ってやがる。ハネ後、今夜は千吉でダンシングチームの会あり、三十円寄附出席。歯幸ひ痛まず、二時半帰宅。


九月二十八日(火曜)

 
 


九月二十九日(水曜)

 調


九月三十日(木曜)

 按摩に揉まれながら起きる、樋口正美が来て、那波支配人の意見として、渡辺が入ったりして金がかゝるから人間を整理しては如何とのこと、兎に角小林氏にきかうといふことにする、一方に東宝劇団といふ無駄があるのに整理と言っても此の際はさせない。円タクで蒲田の田中三郎宅へ。田村がポカチップ持参で、田中・田村・高橋・井関・新館のメムバー。二時近くまでやる。面白い。浮沈甚しく僕結局負けた。閉め切った部屋で煙草のけむりで一杯だったので頭痛い。幸ひ歯が痛くない。
[#改段]

昭和十二年十月



十月一日(金曜)

 


十月二日(土曜)

 


十月三日(日曜)

 


十月四日(月曜)

 鹿


十月五日(火曜)

 
 


十月六日(水曜)

 
 


十月七日(木曜)

 
 宿207
 


十月八日(金曜)

 
 宿


十月九日(土曜)

 
 宿宿宿
 宿


十月十日(日曜)

 


十月十一日(月曜)

    
 


十月十二日(火曜)

 鹿


十月十三日(水曜)

(数日間日記をしなかったので、湯河原へ来て整理しかけたが、何うも記憶がハッキリしない。十六日記)中野実を訪れた。一旦入営したが、痔のため帰されたので、「何と言っていゝのか分らないが、安心しました」と言ってやる。文芸ビルへ行くと、岩井達夫――うちの青年部――が、出征と定り、頭をグリ/″\にしてあらはれた。歯医者へ寄る、注射されると一二時間痛むので困る。五時半、新橋演舞場へ、母上・道子と。トリは、古い「へちまの花」で前の三つは新作だが、何れもパッとしない。入りも六七分といふところか。ハネてから五郎オン大に逢ひ、中野実も来り、中根竜太郎、蝶太郎、明蝶と曽我廼家気分で飲む。


十月十四日(木曜)

 退
 


十月十五日(金曜)

 
 調西


十月十六日(土曜)

 
 宿宿


十月十七日(日曜)

  
 西調


十月十八日(月曜)

 
 
 


十月十九日(火曜)

 宿


十月二十日(水曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


十月二十一日(木曜)

 調


十月二十二日(金曜)

 


十月二十三日(土曜)

 


十月二十四日(日曜)

 西西


十月二十五日(月曜)

 十時半起き、十二時、文ビルへ。ハイヤに乗るのは不経済とあって、通りへ出て拾ふ、「あロッパだ/″\」と円タク待ってるのを多ぜいに見られる。文ビルのけい古、順にやる。月給出る、今月は税、そこへ北支事変特別税てのが入り合計三百四拾何円である。その上貸してやらねばならぬのが沢山あり、やれ/\。夕食はふたばのそぼろ丼。夜は用談。又々十一月は燈火管制あり、そのうち何日間かはぜひ休まして貰ひたい事、旅興行に愛国切符をやってほしいこと、東宝劇場進出の希望等々――あんまり頭を使ったせいか、ひどくつかれ、ねられなくなり、アダリンのむ。


十月二十六日(火曜)

 
 
 


十月二十七日(水曜)

 十一時半東電小林氏のとこへ。此の際積極的に行くべきか消極策かといふ質問をする、小林氏曰く、僕も積極案だ、他が積極的に出られない時に大いにやるべきだと思ふ。お前は他のこと考へないで緑波一座の充実ばかり考へればいゝじゃないかといふ有がたき言葉。けい古場へ出る。六時すぎ、ホテル・ニューグリルで久々岡と会食。景気がよくなれば必ずよくするからまあ居据って契約を続けてくれとの話、オルドヴル、オニグラ、フィレソール、アスパラガス。それから八田の招きで大森福利庵へ行く。先に柳以下大ぜい行ってゝ、いろ/\快談。


十月二十八日(木曜)

 


十月二十九日(金曜)

 
 


十月三十日(土曜)

 
 


十月三十一日(日曜)

 





十一月一日(月曜)

 



十一月二日(火曜)

 


十一月三日(水曜)

 調


十一月四日(木曜)

 調


十一月五日(金曜)

 1


十一月六日(土曜)

 十時半起き、雨で犬とは遊べない。母上・道子今日有楽座見物なので日比谷へ出て、デンツーで食事。ポタアジュとスパゲティのチーズ蒸、犢の蒸煮。座へ出ると補助がどん/″\売れてゐる。「のどか」を作者川口が見て、あんまりのんびりとやるのでよく客が怒らないと思ふと言ふ。六代目だよ、こっちはと言ってやる。三宅周太郎が日日に、えらく賞めて呉れた。「のどか」も好評、「名作」は意外にも、今回の作中で一ばんいゝと来た。「若し戦はゞ」も演技、「ガラマサ以上」と来たんで面喰った。ハネて母上・道子同道帰宅、夜食。
 日独伊の協定調印成れりと、大いに明るい気持になった。


十一月七日(日曜)

 


十一月八日(月曜)

 


十一月九日(火曜)

 


十一月十日(水曜)

 ゆっくりねた十一時近くまで。東宝ビル、パラマントの田村と逢ひ田中三郎の話をする。三郎乱酒も原因は仕事の不振にあるさうだ。心配なり。日劇へ寄り、井口の北支戦線報告てのをきく、及第点である。JOの大河内の「血路」なるもの大愚劇、見てゐられぬ。座へ出ると、今日も大体満員である。能勢妙子、全快して元気な顔を出す。一月より大いにハリキれと言ふ。ハネ後、川口松太郎、上森健一郎来り、ルパンへ渡辺・三益も一緒で大飲み。


十一月十一日(木曜)

 宿
 


十一月十二日(金曜)

 宿※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)


十一月十三日(土曜)

 11


十一月十四日(日曜)

 


十一月十五日(月曜)

 


十一月十六日(火曜)

 調


十一月十七日(水曜)

 十時半に起きる。道子と「風の中の子供」を見る、新宿松竹館。原作の方がはるかによく、頗る期待外れであった。それからムーランルージュをのぞく。「母の放送」とヴァラエティ。「母の放送」は、いゝ小品だった。出たら、望月美恵子が追っかけて来り、中村屋へ行く。こゝで夕食する、ボルシチとパステーチェン。座へ。防空演習が利いて二階がガラである。今日は又アダ系多く、金もらひ大いに来り、くさる。此の二三日ひどく貧乏なり。みんな断はる。ハネるとすぐ高槻の車で、燈火管制の中を帰る。


十一月十八日(木曜)

 


十一月十九日(金曜)

 調
 


十一月二十日(土曜)

 
 西


十一月二十一日(日曜)

 
 


十一月二十二日(月曜)

 


十一月二十三日(火曜)

 


十一月二十四日(水曜)

 二時からビクターへ行く約束なので一時半に出る。細田の曲が出来て「江戸っ子部隊」のけい古。あんまり面白くない、銀座へ出る。三昧堂で木村錦花の「灰皿の煙」を見出す。島津保次郎にひょっくり逢ひ、千疋屋へ上って話する、相変らずのハリキリである、座へ出る。今日もいゝ入り、小林氏が一寸来た、「御苦労、おめでたう」と言って帰った。佐藤邦夫から「東京美人双六」の本が来た。僕の責任はこれの改訂と演出である。ハネて、浅草みや古へ。東五郎と会ひ、「笑の王国」へ山野を戻すやうにたのむ。


十一月二十五日(木曜)

 
 


十一月二十六日(金曜)

 ビクターのけい古へ行く。細田の「江戸っ子部隊」と、浅井の「可愛い水兵さん」を鈴木にやって貰った。レコードの企画について奥村と話す。芝居と映画レコードの企画を縦横にやってのけたいものである。座へ出る。今日もいゝ入り。佐藤邦夫来り「東京美人双六」の打合せをする。三時半から座の五階楽屋で「ガラマサどん続」の立ちけい古する、旅のために。結局「戦はゞ」が、一ばん笑ふ、こっちもこれが楽しみになって来ちまった。浅草のみや古へ上山雅輔と佐藤邦夫・伊東孝とで行き、鳥なべつゝきながら話す、上山には歌詞をやってみるやうにすゝめる。二時頃帰宅。


十一月二十七日(土曜)

 十一時からビクターの吹込みである。上山雅輔作詞・細田曲の「江戸っ子部隊」声も出て、調子よく行くのに、楽器が間違へるので、やりなほし/\、そのうち労れが出て、休憩。今度はこっちが出そこなったり舌をかんだりしてNGを出し、やっとこさ終った。続いて、菊田作詞・浅井挙曄曲の正月の「海軍ロッパ」の主題歌「可愛い水兵さん」この方は、とん/\行って、一時間かゝらずOK。座へ出る。土曜だからとてもいゝ入り。「ロッパ戦はゞ」の受けることます/\激しい。今年のヒットである。京極鋭五と読売の吉本明光と来り、新宿のまるやへ行き、カツレツとトーストなど、一時帰宅。


十一月二十八日(日曜)

 


十一月二十九日(月曜)

 西西


十一月三十日(火曜)

 宿





十二月一日(水曜)

 
 調


十二月二日(木曜)

 十時すぎ起きる、宿の朝めしに昨夜鳴瀬で貰った納豆。今日から五日までマチネーあり。昼の入り、八九分。大体東京通り受けるが、客に活気のないことを感じる。一回終ると、柳と共に附立病院へ林長二郎の見舞に行く。思ったより傷も小さいし、元気だ。東洋亭でハヤシライスをかき込むと座へ引返す。夜はワッと入るかと思ふと、やっぱり昼と同じ位の入り。終る頃、千恵プロの箕浦と藤田が来たので、林寛を連れて、例の小浜へ行き麻雀。但し千恵蔵は麻雀を断ったからと、ハナをひいてる。ハムライス・幕の内・支那そばを食ひ、五千プ程勝つ。三時半すぎ宿へ。


十二月三日(金曜)

 宿


十二月四日(土曜)

 


十二月五日(日曜)

 今日はマチネー。昨日の夜から活気のついた客席、今日の昼もぐっと活気づいてゐる。昼の部終ると、又鳴瀬へ鳥の足と深山あげを食ひに出かける。座へ戻って夜の部、補助椅子出切りの大満員。「ガラマサ」大受けである。東京から屋井が来て、島原の角屋へ座員大勢を招待、オイランのお祝の式てものを見せて呉れる。その馬鹿げた可笑しさ、「アンタ尾の上太夫はん」と呼ぶ声に、大笑ひする。宿へ引き返すと、面子が待ってゐて、麻雀開始。


十二月六日(月曜)

 昨夜の十二時から麻雀を始め、つひに夕刻まで一睡もせずにやったといふのは、レコードであった。千恵プロの箕浦、林誠之助、藤田と三人が交代でやり、こっちは僕と林寛でやる、何荘やったのか分らんが、僕、一万以上負けてしまった。座へ出る。ぎっしりの満員。ねてゐないから何うだらうと心配してゐた舞台の出来も無事。ハネると、石田・大庭と三養軒へ行き、たっぷり食ひ、たっぷりのみ、さて、たっぷりねようと、吸ひ込まれるやうに床へ入る。


十二月七日(火曜)

 


十二月八日(水曜)

 


十二月九日(木曜)

 
 宿


十二月十日(金曜)

 


十二月十一日(土曜)

 宿宿
 


十二月十二日(日曜)

 十一時起き、宿の風呂狭くたのしからず、朝食は家庭的で気に入った。マチネーありで、出かける。昼満員、然し客がピンと来ない、のどチンコがはれてゝ物いふたびにひっかゝるやうでやりにくい。昼終ると、アラスカへ。南京陥落スープといふのがあり、かぼちゃのポタアジュに、チーズ即ち乾酪のトースト添。しゃれたり矣。座へ戻る、夜もぎっしり満員である。吉岡社長来る。「のどか」「ガラマサ」共に、受けはしたが、京都程でない。ハネて――さて何うする手もなし、弱ったと思ってたら、吉岡を中心に、小尾老人が得月へ招いて呉れたので、これで間が持てた。


十二月十三日(月曜)

 鹿


十二月十四日(火曜)

 十一時起き、昨夜の川瀬條吉が来た。これから座員大ぜいで陸軍病院へ行くといふと、自分も雑誌を沢山持って一緒に行きたいと、ついて来る。迎への車でお城近くの陸軍病院へ行く。余興場で演芸、大受け。それから川瀬の雑誌を持って重傷者の病室を廻る。これは女だけにすればよかった、男が行くと明かにいやがって、女の方ばかり貪り見てゐる。一旦宿へ帰る。川島と菊田が来り、宿で猥談となる。それから座へ。今日も満員である。少々声がよくなり気持がいゝ。又楽屋へ川瀬條吉来り、長崎料理かもめへ、こっちが呼んでやる。ウイのみ、豚の角煮をしたゝか食ひ、宿へ帰って吸入。


十二月十五日(水曜)

 宿


十二月十六日(木曜)

 


十二月十七日(金曜)

 


十二月十八日(土曜)

 Boar's Head 
 


十二月十九日(日曜)

 
 調


十二月二十日(月曜)

 


十二月二十一日(火曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


十二月二十二日(水曜)

 


十二月二十三日(木曜)

 寿


十二月二十四日(金曜)

 


十二月二十五日(土曜)

 


十二月二十六日(日曜)

 


十二月二十七日(月曜)

 宿宿宿


十二月二十八日(火曜)

 


十二月二十九日(水曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


十二月三十日(木曜)

 
 


十二月三十一日(金曜)

 午前九時、「初春コンサート」が終り、これで僕の責任は終ったので、「婚約時代」は残して、穂積と同車で帰宅。帰ると七時すぎ迄ねてしまひ、それから母上・道子と、榊の叔母上・日出子とで銀座へ出る。松喜で牛肉、タレが日本一だと賞めたわりに今夜のはまづかった。人波に揉まれつゝ買ひ物をして歩く。三昧堂でポケット日記。亀屋でサンドウィッチレリッシュと、レバーパステーテ。田屋でネクタイとショール。大辻のしるこやへ寄って、フランス雑煮と栗ぜんざい。円タクを明治神宮へ。丁度十二時に神殿に拝してゐた。今度は招魂社へ参拝。さて、これで気持よく年を送り、迎へることが出来る。帰って床へ入ると又、セリフである。





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2014410

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