宮本武蔵

吉川英治






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昭和二八・晩秋
著者
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はしがき




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昭和二四・二月  於、吉野村
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旧序


 宮本武蔵は、いつか一度は書いてみたいとのぞんでいた人物の一人であった。それを、東西両朝日新聞の紙上によって、一日一日、思いを果すような気持で構成して行ったのが、この書である。
 わたしたち民衆のあいだに、宮本武蔵という名は、すでに少年の頃から親しみのなかにあったものだが、それは古い戯曲や旧時代の読本よみほんなどで、あまりに誤られている変形のまぼろしであり、ほんとの宮本武蔵という人の心業しんぎょうは、ああいう文芸からは、片鱗へんりんもうかがうことはできない。
 近年、宮本武蔵のあるいた生涯――「剣から入った人生の悟道」とか「人間達成への苦闘のあと」などが、まじめに考え出され、それがひとつの「武蔵研究」となってあらわれ、また美術史家たちの詮索せんさくによる、彼の絵画史研究などもすすめられて来てはいるが、私のこの書は、もとより小説宮本武蔵である。学究的なそれではない。
 といって、武蔵という人間の片鱗もない戯作には私とて不満であるし、また新たに書いても意味はない。書くからには、かつての余りに誤られていた武蔵観を是正して、やや実相に近い、そして一般の近代感とも交響できる武蔵を再現してみたいというねがいを私はもった。――それと、あまりにも繊細せんさいに小智にそして無気力にしている近代人的なものへ、私たち祖先が過去には持っていたところの強靱きょうじんなる神経や夢や真摯しんしな人生追求をも、折には、よみがえらせてみたいという望みも寄せた。とかく、まえのめりに行き過ぎやすい社会進歩の習性にたいする反省の文学としても、意義があるのではあるまいか、などとも思った。それらが、この作品にかけた希いであった。
 だが、どの程度まで、それが達しられたであろうかは、私にはわからない。ただ、これが新聞のうえに掲載中は、不才のわたくしを鞭撻べんたつしてくれた読者諸氏の望外な熱情と声援には、その過大にむしろわたくしはおそれたほどだった。新聞小説を書いて、未知辱知じょくちの人々から、こんなにもおびただしい激励やら感想をうけたためしは、今日こんにちまでの私にはないほどだった。
 また特に、記しておきたいのは、武蔵に関する郷土史料きょうどしりょうや記録などを、執筆中、絶えまなく寄せてくれた多くの未知の人々の好意である。それがどれほどわたくしのせまい知識をたすけてくれたことか知れない。

昭和一一・四  草思堂にて






底本:「宮本武蔵(一)」吉川英治歴史時代文庫14、講談社
   1989(平成元)年11月11日第1刷発行
   2010(平成22)年5月6日第41刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月18日作成
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